吸殻山日記(2004.1.4~6.27)



6月27日 6月のデジカメ写真


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ツツジの生け垣に覆い被さるように繁茂した野バラ(6月初旬)。


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庭の一隅で姉たちが野菜を育てている。樹木が多くて陽が射さないので条件は悪いが、先日その茂みのあたりを観察していて名前を教えて貰った。ゴボウ、キュウリ、茄子、シシトウ、ミョウガ、ミツバ、ミニトマト、青ジソ。収穫量は実用的とはいえないと思うが(^^;、ちょっと薬味に青ジソが欲しいというとき、今度もらおう。狭い区画なので、うえの最初の画像にはそれらの植物がほとんど入っていると思う。以下の画像は、キュウリの花と、キュウリそのもの(今月初旬に撮影したもので、今はもっとふくよかだ)、収穫して貰った茄子。


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「酒と料理とジャズが好きで、ゴルフ狂いのバーテンダーは先週もハワイに行って来た
調律していないピアノと古ぼけたサックスを置いた店の片隅で
いやにしみとおる50'sを聴きながら、今夜もきみと飲んだくれる
「あんまり甘いのはいやですね」とこの街生まれのマスターは自分でかけた曲をくさして
私たちにアイルランドとケンタッキーのウィスキーを注いだ
深夜スーパーとカラオケ店にはさまれたジャズバーMELIORの止まり木に
巨きな夕ぐれの、凪、という思想を繋留して、グラスのなかの鮮烈な日没を飲み干す」


 これは、倉田良成さんの「MELIORのある街」(詩集『六角橋ストリート・ブルース』(私家版・青木印刷)所収)という詩の一節。6月20日に倉田さんの新詩集『風について』(私家版・青木印刷)の出版記念会がその店MELIOR(メリオール)で開かれた。画像は当日、店の入り口を撮影したものだ。店内の雰囲気は、詩からもうかがい知れるようにアンティークな雑貨や装飾品に彩られ、酒とジャズ好きにはいかにもゆっくりくつろげそうな感じだった。当日この店に行きつくのに通ったのが詩集のタイトルにもなっている六角橋ストリート(六角橋商店街)で、この個人商店の建ち並ぶ緩やかな坂道を下りながらスナップを一枚撮った。


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6月20日 窓のケヤキの木


 前回梅雨らしい天候が続いていると書いたが、あれからずっと中休み状態で、晴天の日が続いた。今日も晴れているが、台風の影響らしく、日射しも風もつよい。

 風が強いのは、木の葉のゆらぎや、梢を渡る葉擦れの音でわかる。それに下界のほうに見える家の物干し場で洗濯物がひるがえっている。こうしたことは、私が二階のパソコンのある三畳の部屋の椅子に坐っていてわかることだ。西側に大きく開いた窓からそうした情報が流れ込んでくる。この家は崖の上に立地しているので、そのまた二階の窓から見える住宅地はちょっと下界と言いたいほど低地に見える。その中のちょうど見やすい位置にある一軒家の物干し台に、晴れた日にはたいてい洗濯物が干してある。働き者の奥さんがいるのだとひそかに想像している。


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 もっともそういうことにいつも注意しているのではなくて(^^;、やはりこの窓の風景の主役は一本の大きな欅の木である。窓からはこの木の全体像が視野におさまらない。ちょうど、長く伸びたその幹の中間部が見えるだけだが、幹の一部が癒着しているような宿り木があったり、蔦が這いのぼったりしていて、なかなか趣がある。樹木ということを考えていると、やがてはこの木のイメージに結びつく。私にとっては長い間、毎日のように見るともなく眺めてきた親しい樹木なのだった。窓から身をのりだして撮影してみた。


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6月13日 紫陽花の花、あれこれ


このところ梅雨時らしい天候が続いている。先日、雨のきれまに庭にでて朝の薄日のなかで紫陽花を撮影した。


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紫陽花は好きな花で、もう随分むかしに一度、北鎌倉の「明月院」、別称、紫陽花寺を訪ねたことがある。その日は晴れていて、斜面のようなところに紫陽花が群生していたという記憶があるが、花そのものの印象はあまり残っていない。そればかりかちょっと期待はずれだったというような記憶がある。時期的なことや、紫陽花寺という名前から、過度の期待をしていたということがあったのかもしれない。その時は、近くにある東慶寺の小林秀雄の墓にも立ち寄った。それから、その足で長谷寺近くの邪宗門という喫茶店に行ったのか、あれは別の時のことだったのか、これはもう定かでなくなっている。


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紫陽花で記憶に残っているのは、子供の頃、土壌の酸性、アルカリ性という違いによって、咲く花の色が違う、ということを授業で教わったことだった。同じように見える土でもそういう違いがあるということ、その違いが赤や青という鮮やかな花の色調に直接反映されるのだということ、そういうことを初めて教えられて感動したのだが、そういう興味は植物や土壌への関心に向かうということがなく(^^;、その知識は孤立したまま残っていて、紫陽花の季節になるとたまに思い出す。それ相応の年になるまで生きてくると、そういうぽつんとした記憶というのは、なんと沢山あることだろう、と思う。


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6月6日 お気に入りについてのあれこれ


 IE(インターネットエクスプローラー)というブラウザには、特定のサイトのアドレスを登録保存しておける便利な機能があって、そのスペースは日本語表示だと「お気に入り」という名前になっている。このお気に入りを大多数のひとは利用していると思うのだが、さてどんなサイトをどんなふうに登録しているかというのは千差万別だろう。私のはどうなっているのか。その一部のはなし。

 ある情報がほしい、と思うとき、しかるべき手だてでその情報にたどりつく。そういう意味で一番便利なのは、検索機能であって、本当は検索エンジンこそが、究極のお気に入り的サイトなのだと思う。たとえば私はこういうところを今使っている。

役立つサーチエンジン集

 ある情報がほしい、という場合でも、いろいろな場合がある。ある種類の情報が欲しいという場合、その情報の種類に特化したようなサイトが登録してあれば便利だ。そこで、ニュースなら報道関係のサイト、パソコンなら自分の使っているパソコン関連情報のサイトなどをフォルダにまとめて登録しておく。これははじめのうちは面白がってどんどん充実させていくこともできるが、多すぎると結局あまりつかわないことになる(^^;。ここではアサヒコムのサイトをのせておこう。このサイトでは、ニュースがメインだが、囲碁将棋覧をたまに楽しむ(なんと自分でボタンをおして掲載棋譜の対局過程を再現できるのだ)。

アサヒ・コム

 実用的な情報、というのも、人によって様々だが、JRや私鉄の時刻表のサイトとか、地図のサイト、テレビ番組表のサイトなどは、かなり一般的だと思う。しかし最近では、検索エンジンが充実してきて、駅名と路線名とか、地名と地図などと文字だけを入れると、けっこう目的情報に辿り着くことができるし、そのほうが手っ取り早いことも多い。ここではJRのサイトと、NHK番組表のサイトをあげておこう。これは地上波とBSの番組の予定表が両方のっているので便利そうだが、大リーグ中継の予定を探したきりで、今はあまりみていない(^^;。

駅から時刻表

番組表(NHK)

 だんだん趣味の領域に近づいてきて、ネット販売をしている各種(書店、古書店、レコードやパソコン機器、オークションそのた)サイトとなると、人それぞれ。美術館、映画館、音楽演劇の紹介サイトなどもそれぞれ。ひととおりあると便利かもしれないが、検索エンジンで、そのつど検索して事たりることが多い。私は書籍の購入に紀伊国屋のサイトを一番つかっている。

紀伊国屋インターネット仮想書店BookWeb

 かわったところでいろいろ登録してある。いつも使わないがあると便利そうと思うようなところ。長さや重さの単位を変換してくれる便利計算機、クロネコヤマトの宅急便料金、郵便料金、英文和訳と和文英訳をしてくれるサイト、文字化けしたメールを修復してくれるサイト、西暦和暦の年号を対照した表のあるサイト。いずれも一二度は使ったことがあるサイトだが、こういうのは人によりけりだろう。

便利計算機

宅急便料金

郵便料金

ニフティ・翻訳

文字化けしたメールの修復

西暦元号早見表

 特定の対象、たとえば金子みすず、という人について調べているとき、お気に入りにフォルダをつくって、その中にどんどん関連サイトをいれておく。それで情報を収集するのだが、こういうのは、なんとなく残っているが、やがて整理して消していくことになるのだと思う。ただこういう自分で手間をかけて集めたリンクは、愛着がでてくるのも確かだ。これは、一時期はまるゲーム関連のサイトにもいえる(^^;。以前「シムピープル」というゲームにはまって、いまは諸事情で中断しているのだが、その関連サイトで今でも愛着があるものが多い。じゅんこさんの「シムじまん」というサイトは、いまもたまに訪れるが、画像も文章もよくできているので、読み始めると1,2時間はのめりこんでしまうことがある。マニアックですが最高(^^;。

シムじまん






5月30日 5月のデジカメ写真


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5月となるとバラの季節。うえは初旬の六日に撮影した庭のバラ。


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5月16日に埼玉詩祭に行った時、与野本町駅前の植え込みに咲いていた薔薇。この日は、駅近くの公園で「ばら祭」というのをやっていて、時間があったのでそちらにも足を運んだのだが、人波と屋台ばかりだったので現地の画像は省略。基本はバラも含めた苗木や植木、花の市というイベントのようで、花の苗を売る店が幾つか目についたが、前日の土曜日に七万人の人出だったというので、バラは売り切れ状態だったのだろう。


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これは、5月9日に西荻窪の「奇聞堂」で行われた短歌と俳句の朗読会「存在の飛沫」に行ったときのスナップ。大きなレインスティック(雨の音を奏でる楽器)を手にしているのは、北久保まりこさん(短歌朗読)で、オカリナを吹奏しているのは、入澤明夫さん。俳句を朗読しているのが生野毅さん。朗読者ふたり、演奏者ひとりという組み合わせの小さな朗読会だったが、現代詩の朗読とはまた一味違うテンポのある短歌や俳句の連作朗読は、独特の雰囲気があって楽しめた。また入澤明夫さんの、ご自宅から会場まで運んできたという鍵盤楽器チェレスタ(中央の右)の即興演奏も不思議な音色で楽しかった。この楽器、私ははじめて聞いたのだが、チェレスタというのは、どういう楽器かというと、以下にリンクを。

チェレスタ


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庭の梅の実が大きくなった(梅酒用)。


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これは玄関横のヒイラギナンテンの実。


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チーズケーキの横にあるのは姉から貰った苺。すごく小粒なのだが、庭で採取した無農薬果実といっていた(^^)。味は実にすっぱかった(^^;。食べられるもの、食べられないもの、いろいろな実が賑やかな季節なのだった。






5月23日 海辺の美術館


5月も前半のことだが、神奈川県の葉山にある美術館に行った。これは神奈川県立近代美術館の別館(葉山館)として、昨年10月に開館したばかりのもので、まだあまり知られていないと思う。もっとも、神奈川県立近代美術館のサイトを見ると、トップページで大きく紹介されている。

神奈川県立近代美術館

ここで見たのが、ドイツ人彫刻家ヴィルヘルム・レームブルック(1881-1919)の回顧展(6月13日まで開催中)で、うえのページから、葉山館へのリンクでとぶと、その概要を知ることができる。若い頃ロダンに影響をうけたという写実的な作風が、しだいにデフォルメされていく、そこに恣意性のようなものがほとんど感じられないのが印象的。「ひざまずく女」「くずおれる男」など、一度みたら忘れられなくなるような作品も多い。

美術館までは、もよりの逗子(JR)や新逗子(京急)といった鉄道の駅前から、さらにバスで20分近くかかるので、けして交通の便がいいとはいえないが、たまにはこうしてちょっとした手間をかけてゆっくり美術館を見に行く、というのもいいものだと思う。また展示に関しても、こうした一人の作者に限った展覧会というのは、印象が散漫にならずに楽しめて、いかにも的を絞ってでかけていく、という、こういう立地に向いているという感じがした。


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美術館の中庭と、建物裏手から見た海辺の風景。見てのとうり、裏手はすぐ海に面している。美術館には喫茶室も併設されているので、海を見ながらコーヒーを呑むこともできる。


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美術館から直接海岸には降りられない(そういう通路をみつけられなかった)ので、いったん美術館をでて、正面の道路から迂回して浜辺(一色海岸)にでる。あいにく曇天だったが、それなりに空の表情が面白い。


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浜辺に降りる道の際に咲いていた花々。上から、ハマヒルガオ、マルバシャリンバイ、ハマダイコン(ぺこさんにお聞きした)。みんな海辺の住人とのことで納得。






5月16日 埼玉詩祭にいったこと


 16日に埼玉詩祭に行った(これを書いているのは17日)。これは埼玉詩人会が主催する年に一度の催しで、基本的には会員むけということになるのだろうが、先般、関富士子さんの詩集『女-友-達』が第十回埼玉詩人賞に選ばれて、その授賞式もプログラムに組み込まれている。私はネットでそのことを知って、行ってみたいというようなことを掲示板に書き込んだら、嬉しいことに会の理事をされている高田昭子さんが、当日の入場チケットを送ってくださったのだ。こういった特定地域の在住者を対象にした現代詩の親睦団体が主催する詩の催しにでかけるのははじめてで、その雰囲気のようなものに興味もあった。

 催しは、三部にわかれていて、第一部が埼玉詩人賞の贈呈式、第二部が「中村稔の詩の世界」、というタイトルの、詩の朗読。第三部が、中村稔氏による講演「中原中也と小林秀雄」という構成になっていた。その模様をデジカメで撮影したので、以下に時系列にそって順次のせてみる。


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 これは、会場になった与野本町にある「彩の国さいたま芸術劇場」のスナップ。かなり大きな建物だが、詩祭が開催されたのは、この一郭(右手の奥のほう)にある「映像ホール」というところだ。


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 第一部が一時半から開会。左の画像は、開会の挨拶をされる理事長の飯島正治氏、右は第十回埼玉詩人賞の選考経過報告をされる選考委員長の笠井剛氏。


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 続いて、贈呈式。会長の石原武氏が、詩人賞を関さんに手渡される前のスナップ。埼玉詩人賞は、賞金はなくて、絵画が記念に贈られるというのがユニークなところ。


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 続いて、中上哲夫氏のスピーチ「関富士子の「人と作品」」。一番右に贈呈されたばかりの絵画がうつっている。


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 中上さんは、詩集『女-友-達』が、昨年読んだ詩集のベスト3のひとつだと思っていた、というようなこと、関さんとは長年の釣り仲間であるということなどなど、関さんの詩作品についての感想や、交友エピソードを、ユーモアをまじえて披瀝された。


 続いて、受賞者のことば。関さんはスピーチのなかで自作詩や宮澤賢治の作品なども朗読された。


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 続いて花束の贈呈。これをもって第一部は了。


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 休憩をはさんで二時四十五分からはじまった第二部は、中村稔氏の詩を、澁沢洋俊氏(劇団・埼芸)、小林登茂子氏(劇団・久喜座)のお二人が朗読されるというもの。


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 途中に音楽による小休止をはさみながら詩作品十七編の朗読がつづく。


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 朗読が終わったところで、作者の中村稔氏も壇上にでてこられて、自作をこういうかたちの朗読できかれたのははじめてのことだとかおっしゃっていた。また朗読作品は、若いときのものから、近作まで、さまざまなので、いろんな感慨があったというようなことも。これをもって第二部了。


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 第三部は、中村稔氏の講演。中原中也と小林秀雄の関係について、最近考えているということを、幾つもの関連文献の一節を引用紹介しながら話がすすめられた。講演の内容は、小林秀雄が書き残したことで有名な長谷川泰子を巡る「奇怪な三角関係」について、同時期の複数の資料と対照したところで浮かび上がってくる謎、ということや、また、ベルグソンや西田幾太郎への早い時期の傾倒といったことから、この二人に共通する資質の類似性、それゆえの親密な共感の情、というようなことに触れるもので、興味深く拝聴した。


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 左は、実行委員長の相原校三氏による閉会の挨拶。右は、五時から会場付属のレストランで開かれた懇親パーティのスナップ。


 懇親パーティは、バイキング方式で、私は隅のほうで、清水鱗造さんや足立和夫さん、高田昭子さんたちと歓談。ビールや冷酒をのんで楽しく過ごした。また当日は会場でお会いした竹内敏喜さんから、思いがけなく美装の詩集『燦燦』(水仁舎)をいただいた、感謝。






5月9日 「ドラクエ5」のことなど


 このところ、テレビゲームの「ドラゴンクエスト5」のプレステーション2版をやっている。これが結構面白い。「ドラゴンクエスト」というゲームは、最初、1986年にファミコン用のゲームとして発売された。それ以降、一年から数年間隔でシリーズとして順次開発・発売され、遊べるゲーム機のほうも、ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、プレステーション、プレステーション2などと、時代の新機種に対応して進化してきて、今現在では2000年に発売された「ドラゴンクエスト7」まででている。

 シリーズのどの作品も大ヒットして、発売されるたびに販売店に長蛇の列ができたりするのがマスコミでも報道されるので、ご存じの人は多いと思う。ところでこのシリーズは、2000年に「ドラゴンクエスト7」が発売されて、四年もたつのに、シリーズの8がでていない。ゲームの開発には莫大な手間ひまがかかるというのがたぶんその理由で、それでも今年中にはでると思うので期待しているのだが、その間ゲームメーカーは何をやっていたかというと、ゲームを別の機種に移植したり、関連した別ゲームをつくったり、と、いろいろな事があるようで、すでに基本ベースのある旧シリーズのリメイク版を新しい機種向けに開発するというのも、そのひとつだ。そうして今年の三月に発売されたのが、「ドラゴンクエスト5」で、これは、もともとスーパーファミコン用ゲームとして、1992年に発売されたものがベースになっている。

 公式サイトを見ると、この「ドラゴンクエスト5」は、発売後二週間で150万本の売り上げがあったという。すでに発売されたゲームとストーリーのうえではほとんど同じリメイク版なのに、なぜこんなに売れたのかというと、グラフィックや動きなど格段に改良されていることがあると思うが、そういうことはたぶん年配者しかわからないことで(^^;、要するに若い世代は、12年前のゲームを知るよしもなく、全く新しいゲームとして受け入れる購買層が育っていた、ということだと思う。12年というのは、長いのか短いのか、短いと感じても世界はかってに動いて大いに変化しているのであった。

 テレビゲームの中で、主人公が経験を重ねて成長していくRPG(ロールプレイングゲーム)というジャンルが結構好きで、年に二三本はやっていると思う。そういう中でもこのドラクエシリーズは、優等生タイプだ。ようするにゲームバランスがよくて、子供から大人まで安心して楽しめるという感じがする。それで日本を代表するメガヒットのゲームシリーズということになるのだろうが、シリーズの中でもこの5が、ちょっと変わっているのは、主人公の成長が、人間としての成長に重ねられているところだろう。父親に連れられて母親を捜して旅をする八歳の少年というのが、ゲームのスタート時で、旅をして経験(イベント)を重ねるうちに、彼はやがて一八歳になり、花嫁をむかえることになる。そして、子供も生まれる。それから今度は子供たちを引き連れて旅をする。要するに親子三世代の物語がストーリーにくみこまれているわけで、こういうゲームが子供むけに作られているということを考えると、その意義というかゲームの設計思想はとても興味深いところだ。もうひとつ印象的なのは、主人公が花嫁を選ぶとき、二人の女性のどちらかを選ぶことを迫られるという究極の選択場面があるところだろう。主人公はもはや神話時代の英雄ではなく、両方の女性とは同時に結婚できない、というのも現代的市民家族向きゲームの思想というべきか(^^;。

 雨の日曜日の午後、書くことが思い浮かばなくて、このところ毎晩のようにちまちまやっているゲームのことを書いてみた。もちろんテレビゲームというのは本当に好きずきなので、万人にお勧めというわけではない。ただかれこれ20年近くつきあっていると、その対応機種も含めて、進化のほどがこれほどはっきりわかるジャンルもめずらしい。操作性がどんどん増して、享受者がゲーム世界を固有といえるほどに創造していけるようなところまでもっていければ、人間のバーチャルな想像体験の世界もワンランク、レベルアップするのかもしれない。






5月2日 「ほっと、ポエム展」のことなど


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清水鱗造さん撮影画像を加工



 先週の4月29日に、駒場の日本近代文学館で開催された「ほっと、ポエム展」(vol.2)という青木栄瞳さん主催の詩の朗読会に行った。当日は青木さんにカメラ係をおおせつかっていたので、はやめに会場に行って主に煙草などを喫って待機していた。そうこうしているうちに、会場の隅に音響器財が置いてあるのを発見。その中にカセットコーダーがあるのを見つけて、これは使えるのではないかと清水鱗造さんと相談して、文学館の担当の方に連絡して使用法など説明してもらい、急遽、貸していただくことにする。それから近くのコンビニに行ってカセットを購入。開場前はそういうことをばたばたやっていたのだった。

 ところで青木栄瞳さん主催のこの会の第一回目は、やはり同じ会場で、「ほっと、ポエム展「山本陽子」」として、2001年5月3日に行われている。ご存じの方も多いと思いますが、灰皿町主宰の清水鱗造さんのホームページにその時の記録が掲載してあり、懐かしいのでここからもページをリンクしておきます。


2001年5月3日・ほっと、ポエム展「山本陽子」


 前回は、84年に亡くなった詩人山本陽子の人と作品に照明をあてるというモチーフで、講演や座談会も含めた朗読会だったが、今回は、詩の朗読と音楽(パーカッションやフリージャズ)の取り合わせがメインという、ちょっとイメージがかわったものになった。これはプロデュースされた青木さんの試みで、15人の朗読者のうち、白石かずこ、井川博年、井原秀治、川端進、佐藤文夫、中上哲夫、八木忠栄、山根研一といった方々は、昨年10月8日に開催された朗読会「沖至歓送  詩と俳句とジャズの会」の出演メンバーでもあり、長年そういう取り組みをされている人たちと、尾山修一、野村おさむさんといった、やはりそういう意欲的な試みを長年されているミュージシャンとの出会いのような場をつくってみたいというようなことではなかっただろうか。

 当日撮影した写真を掲載したページは、清水さんがWelcome to Rinzo's HomePageのトップから「記録」としてリンクしてくださっているが、ここにもアドレスを書いておきます。

「ほっと、ポエム展」(第二回)の写真ページ


 おまけ)青木栄瞳さんは、今回参加されたミュージシャン尾山修一、野村おさむさんたちと一緒に、5月16日にも新詩集「ヘクトパスカル・2000X」の朗読を中心にした詩の朗読会「ヘクトパスカル・2000X」をアミュー立川小ホールで開催される。私は埼玉にでかけてしまうので行けないのが残念。また会場では、生野毅さんから、5月9日西荻窪で行われる「存在の飛沫」という短歌、俳句、即興演奏の朗読会の案内状をいただいた。詳細はあわせてここに









4月25日 4月のデジカメ写真


 4月最後の日曜日なので恒例の月末写真をのせます。


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 これらは4月2日、自転車で近場の桜を見て回った時のもの。多摩川にかかる睦橋の上から、川沿いの遊歩道、それと滝山城趾の近くの疎水のスナップ。最後が一応当日のお目当ての場所で、この時撮影した画像3枚は灰皿町アルバムにも掲載させてもらった。


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 4月中旬に撮影した庭の花々。うえからキュウリグサ、ハナニラ、ヒメウツギ、クリスマス・ローズ、シロスミレ。どうして名前を知っているかというと、植物園のぺこさんにメールで教えてもらったのだった(^^;。キュウリグサは、すごく小さい花だということを示すために煙草と一緒に撮影した。


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 4月18日に、灰皿町の清水鱗造さん、倉田良成さん夫妻と二子多摩川駅近くの多摩川川原に遊んだときのもので、この日にデジカメを清水さん宅に忘れてしまったため、前回掲載できなかったもの。下は当日の倉田良成さん制作による筍とあなごの炒め物。今月は季節の花が主役のデジカメ記録になった。









4月18日 春風駘蕩の日


 18日と書いたが、これを書いているのは19日の早朝だ。昨日は朝の八時から、NHKテレビの番組「小さな旅」(灰皿町住人の有働薫さんたちの制作しておられるタウン紙「九段界隈桜みち」と桜の名所千鳥が淵の桜の由来などが紹介されていた)を見てから、どたばたとコーヒーをポットにいれたりしてそのまま外出し、午後1時に二子多摩川駅改札口で、やはり灰皿町住人の清水鱗造さん、倉田良成さん夫妻と待ち合わせて、至近の多摩川川原にでかけて遊んだ。

 遊んだといっても川原の草むらにしゃがみこんでビールを呑んだというようなことなのだが、気候は好天に恵まれ、気温も暑からず寒からずで、川原には菜の花やらなんとかの花やらが咲き乱れ、まさに春風駘蕩という感じだった。その後、駅近くのデパート高島屋内の中華料理店で遅い昼食のようなもの(高菜入り蕎麦など)をとって、地下の食品売り場で食材を買い込んでから清水さん宅にお邪魔して酒宴の続き。倉田さんが手際よく空豆の塩ゆでや、うど(さらしたものを酢みそで食べる)、海老と空豆の炒め物、筍とあなごの炒め物を調理してくれるのを順次つつきながら、ビールに白ワイン、はては清水さんの秘蔵というか死蔵というか味わい深いモルトウィスキーまでいただきながら歓談した。そんなこんなで清水さん宅を辞去して家に帰りついたらばたんぎゅーと寝てしまい、この日曜日記の更新ができなかったのだった。

 しかし同性の人の手料理を食べたのは何年ぶりのことだろう。そもそもそういうことがあったのかどうか、ちょっと考えてもまるで思い出せない。しかも料理随想『解酲子飲食』の著者の手になるこのおつまみ料理は旬の食材のとりあわせで味つけもほどよく美味この上なかった。皿にもられた料理をデジカメで撮影したのだが、カメラを清水さん宅に置き忘れてきてしまったので、これは後日に。



 と、書いたところ、清水さんが当夜撮影した料理画像をメールで送ってくださったので、以下に掲載。空豆と海老のごま油風味の炒め物。だいぶ箸がすすんでいるなあ。この状態で私も撮影してそのままカメラを食卓のわきに置いて忘れてしまったのだった(19日夜に追記)。


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4月11日 パスタをつくる


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 今日は、たぶん1年くらいは使っていなかったパスタマシンをキッチンの棚から下ろしてきて、パスタをつくった。最初に活躍したのは、その名も「手づくり名人」という粉こね器。これに強力粉と塩、オリーブオイル、水を入れて、モードをパンにあわせ、12分のタイマーをかけてスタート。


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 できあがった生地にラップをかけて30分ほどやすませ、これを5個程度の小さな塊にわけてまとめ、パスタマシンのローラーで伸ばす。生地の厚さを少しずつ調整して、好みの厚さになるまで段階的にこの作業を繰り返す。


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 次にパスタマシンに裁断用のパーツをとりつけて、この生地をいよいよ裁断する。幅が二種類選べるのだが、今回は太めのもので作業。薄く伸ばした生地を受け口に差し入れて、ハンドルをぐるぐる回していくと、きしめんのような平べったい麺がきれいに裁断されて、出口から押し出されてくる。


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 これを塩をきかせた熱湯にほうりこんで茹で上げるのだが、そのシーンは省略。茹であがったパスタをとりわけて、「ぱすた屋のスパゲッティ・カルボナーラ」(レンジでチンしたもの(^^;)を流しかけてできあがり。ごま風味のするイタリアン野菜のルッコラを添えて、グラスにはサングリアをついで飲みかつ食べた(^^)。


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 味は久しぶりの制作としては、まずまず。今回のパスタは、ストックしてあった強力粉を使ったので、実はこれはうどんにも化けることができるという変な麺。今度はちゃんとセモリナ粉を買ってきてパスタに挑戦しよう。









4月4日 江戸時代の時計らしきものをつくったこと


 昨日は久しぶりに地元の福生駅前にある100円ショップのチェーン店「ダイソー」まで封筒を買いにでかけた。「ダイソー」が入っているのは、以前は衣料品中心のデパート「長崎屋」だったビルで、今は一階に「二木の菓子」、二階から四階までを「ダイソー」が占めているので、売り場面積は広大だ。各階にところせましと日用雑貨商品が並んでいる。ふらふら眺めて歩いていると、面白くてあっという間に時間がたってしまい、ついよけいなものまで買い込んでしまうというのはいつものことだが、今回は時計セットというのを買ってしまった。

 これは組み立て式のもので、文字盤と機械の部分、短針長針秒針、文字盤につける数字のセットが、それぞれ別売りで売られていて、それらを好みの組み合わせで買って組み立てるとオリジナルの掛け時計がつくれるというものだ。時計がなくて困っていたわけじゃなくて、これは文字盤のところに、昔(江戸時代頃)の時刻の名称を書き入れてみたらどうだろうという変なことを、その場で思いついた純然たる遊び。昨晩さっそく工作してみた。

 工作といっても器具は使わずに、それぞれの別売部分を説明図に従ってはめ込んでいくだけであっというまにできる。この文字盤に時刻をあらわす干支をマジックで適当に描き入れていく。同じ時刻でも昼と夜で呼び名が違うので、区別するために昼間のほうを、そのうえから白いアクリル絵の具でなぞって描いてみた。それに、江戸時代に一般の庶民が使っていたという数字名で表す時刻の名称(数呼び)も書いてみたのがこれ。


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 文字を実に安易、かつぞんざいに書いてしまったので、ちょっとみっともないできばえなのだが、一応これで江戸時代頃の時計らしきものができた(^^;。もっとも実際に時刻の呼び名は現代のように一律でなく(辞書によると、子の刻は、「現在の午前零時頃。また午後11時から1時まで。または午前零時から午前二時まで。」とある)、さまざまだったらしいが、この時計では一応、一番オーソドックスそうな「午後11時から1時まで」(子の刻)ということにしてある。

 ネットで検索すると、一日24時間を2時間間隔で干支で区切るということがはじまったのは戦国時代の頃かららしく、その時刻それぞれを、「上刻・下刻」や「半」で二分割して表していたものが、やがて江戸時代頃からは「上刻・中刻・下刻」と三分割する言い方や、「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ」と四分割する言い方もでてきたらしい。近世の到来とともに時間も細分化されていくのが面白い。今でいう「午前・午後」というのは、午の刻(午前十一時から午後一時)を前と後ろに二分割した言い方なのだなあとか、「丑みつ時」というのは、丑の刻(午前一時から午前三時)の「みっつ」で、午前二時から二時半頃のことなのだなあというようなことがわかる。

 針が文字盤を二十四時間かけて一回りする見やすい江戸時代の時刻時計というのも商品として発売されていることを、さっきネットで知ったが(^^;、この自作時計は、見る人が今は昼なのか夜なのかわかっていないと、迷ってしまうのが難点なのだった。









3月28日 3月のデジカメ写真


 はやいもので、まえに画像特集をやってから、もうひと月がたってしまった。今月も終わりなので、また撮影したデジカメ写真をのせてみる。


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 3月4日 灰皿町住人の布村さん、足立さんと国立で呑み、その別れ際に駅のホームで撮影したスナップ。人物入り写真は普段あまりとらないのだが、ほろ酔い気分で撮影。ホームの向こう側でにっこり笑って手をあげている足立さんとは逆方向に帰宅する途中。


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3月6日 これは新宿二丁目の夕暮れスナップ。「bura」というお店で開催された「森岡正博のフィロソフィー・リーディング──哲学の、朗読の試み──」(ワイン付き)の帰り、店のある通りから広い通りにでたところで、やがてユニテに向かう途中(^^;。したがってやはりほろ酔いが入っている。


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3月14日 久しぶりに訪ねてきた友人と、花でも撮ろうとデジカメを下げて多摩川の土手コースを散歩したときのもの。画像はしばらく下流に向かっていくとある堰の風景で、ここにはたまに気分転換に足を運ぶ。向こう岸に渡れそうで渡れない。川の水量が少ないとき、渡河を試みて途中で思わぬ激流(^^;に足を阻まれて、立ち往生して引き返したこともあるし、テトラポットの上を跳び歩いていて、デジカメを川の中に落としたこともある、という思い出の場所だ。


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3月の半ばから咲き始めた椿の花。椿というのは、これまで特に気になる花じゃなかったのだが、今年は2月頃から「灰皿町公園3番地・ぺこの植物園」の画像入り掲示板「ぺこの植物写真」で、次々アップされる椿の花の画像を見ていて、その美しさに開眼。家の近辺でも早く咲かないかなと心待ちにしていた。


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これは撮りたて。さっき自転車で5分ほどの多摩川堤防まで行って撮影した画像。土手の桜並木はほぼ満開で、今日は快晴で休日ということもあり、午前中からそこそこの人出があった。鳥の声に梢を振り仰いで撮影したもので、うえの画像の一部を拡大してみた。


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3月21日 幻の元「トム・ピリビ」の全容


 2月15日の日記で、現在一般に楽譜などで流布されている「トム・ピリビ」という曲には、自分の子供の頃の記憶などから、最初その曲がNHK「みんなのうた」で放送された時には別の歌詞がつけられていたのではないかと推測して、その歌詞を今流布されている曲の歌詞(現「トム・ピリビ」)と区別して元「トム・ピリビ」と仮に呼んでおいた。

 この元「トム・ピリビ」の歌詞の全容が知りたいということが念願だったのだが、先日1960年代の風俗や子供文化の情報を総合的にテーマにした、その名も「60年代通信」というサイトを見ていて、水星社から1960年代半ばに刊行された「NHKみんなのうた」シリーズを所有されているという方の記事を拝見して、思い立ってその方(ハンドルネームを「初恋天使」さんとおっしゃる(^^;)にメールでお尋ねしてみた。

 嬉しいことに初恋天使さんからは折り返しお返事をいただき、その結果、水星社版の「みんなのうた」シリーズ記載の「トム・ピリビ」の歌詞は、すでに現「トム・ピリビ」のものになっていることがわかったのだったが、そのうえで、初恋天使さんは、ご所蔵のLP「みんなの歌」(キングレコード・1964年版)のレコードジャケットから、収録されているダークダックスの歌った「トム・ピリビ」の歌詞を書き抜いて、探し物はこれではないですかと、ご親切にも転記してくださったのだった。拝見するとこれが、探し求めていた元「トム・ピリビ」に間違いなく、大いに喜んで胸のつかえがおりたような気分を味わったのだが、ともあれ以下にその歌詞をさらに転記して紹介させてもらいます。


トンピリビ トンピリビ
トンピリビ トンピリビ
トンピリビはふたつ
おうちを持っている
エコースにひとつ モンテグロにも
トンピリビは2そう
おふねをもっている
世界じゅうのたから さがしにゆく
しあわせなトンピリビ
大金持ちのトンピリビ
ぼくもおとなになったら
トンピリビのようになりたいな
トンピリビ トンピリビ
トンピリビ トンピリビ

トンピリビは2わの
オームをかっている
赤いオームと 青いオーム
2わのオームは頭がよくて
アラビア語もシナ語も
なんでもしゃべる

しあわせなトンピリビ
何でもしっているトンピリビ
ぼくもおとなになったら
トンピリビのようになりたいな
トンピリビ トンピリビ
トンピリビ トンピリビ


 これまでの探索の経緯を考えあわせると、この歌詞からいろんな思いが浮かぶ。最初にまず、そもそも探索をはじめた2月8日の日記の冒頭にかいた、「トンピリビ」というタイトルの思いこみのことだ。この歌詞が放映時にテレビでもテロップで流されていたとしたら、私が曲のタイトルを「トム・ピリビ」ならぬ「トンピリビ」だと思いこんでいたこともうなずける(^^;。それから、私が記憶していた二番の歌詞が、 「頭がよくて」を「頭がいいので」と覚えていた個所をのぞいて、ほぼ正確だったということだ。ただし一番の歌詞は、上記の歌詞を読んでもまったくといっていいほど記憶によみがえってこない。そして2月8日の日記では「私の記憶では、トム・ピリビが嘘つき(ほらふき)だったということは、その部分の歌詞をそっくり忘れていたので、そういわれればそうだったかもしれない、と、あいまいなままなのだった。」と書いたが、これは、そもそも、トム・ピリビが嘘つき(ほらふき)だという歌詞がでてくる3番が、この元「トム・ピリビ」には、なかったのだということで、説明がつく(^^)。

 こういったことは、私個人の記憶にまつわることだが、初恋天使さんのメールから、この元「トム・ピリビ」の歌詞がなんと、ダークダックスの作詞によるものだということもご教示いただいた。これは今までの推察に変更を加えるものだ。以下にまとめると、


1960年、フランスでシャンソンとして「トム・ピリビ」の原曲が完成発売される。
1961年、NHKの番組「みんなのうた」でダークダックス作詞(改訳詞)「トム・ピリビ」(元「トム・ピリビ」)がダークダックスの歌で放映される。
1965年、NHKの番組「みんなのうた」で水野汀子作詞(改訳詞)小林秀雄編曲の「トム・ピリビ」(現「トム・ピリビ」)が、ペギー葉山の歌で放映される。
(65年前後に水星社版「みんなの歌」シリーズや、日本放送協会版「みんなのうた」シリーズ(楽譜入り)があいついで出版されるが、「トム・ピリビ」の歌詞に関しては、現「トム・ピリビ」が採録されており、この段階以降、元「トム・ピリビ」は譜面化されていない(と思われる)。現在元「トム・ピリビ」の歌詞が確認できるのは、上記のキングレコードから発売された1964年版のLP「みんなの歌」に収録されている「トム・ピリビ」であり、これはジャケットに記載されているものである。これに初恋天使さんの「ダークダックス版が楽譜で存在したのかは確認できておりません。」という情報を書きそえておこう。)

 ダークダックス版の「トム・ピリビ」の歌詞はそれだけみると、懐かしさは別にして、ああこういう歌詞だったのか、ということですんでしまうところだが、これまでのよこみち探索の蓄積があるから、いろいろ面白いことがわかる。たとえば、一番の歌詞にでてくる、エコース(ecorce、フランス語でスコットランドの意)という聞き慣れない地名も、モンテネグロという地名も、原曲のシャンソンの歌詞をそのままにうつしているのだなあとか、3番をけずったのは、ことさら原曲のシャンソンのようにトム・ピリビが嘘つき(ほらふき)ということを言わなくても、このうたが子供向けの面白い曲として成立すると考えたからだろうなあ、といったことだ。さて、この作詞(改訳詞)をしたのは、ダークダックスの4人のメンバーのうちの誰なのだろう。げたさんだろうか、ぞうさんだろうか、などとちょっと考えてみるが、もちろんそこまでの探索はしないことにする(^^;。

 初恋天使さんからは、「トム・ピリビ」の曲をピアノで演奏したファイルも送っていただいた。クイックタイムで聴けるので、さしつかえない状況にいる方は、声をあわせて歌ってみるのも楽しいと思う(ただその際、演奏には上記の歌詞の「トンピリビ、トンピリビ、トンピリビ、トンピリビ」のリフレインの部分は入っていないので無視してください)。






3月14日 良寛さんの漢詩を探したこと


Ryokan

Without a jot of ambition left
  I let my nature flow
  where it will.
There are ten days of rice
   in my bag.
   and by the hearth,
  a bundle of fire wood.

Who prattles of illusion
 or nirvana?
Forgetting the equal dusts of
   name and fortune,
  Listening to the night rain
  on the root of my hut,
I sit at ease,
 both legs stretched out.


 良寛さんってどんな人だっけ。インドにしばらく行っていた人から、滞在先で知ったという上の良寛の漢詩の英訳を筆写した紙片を示されたのは随分前のこと。原詩はどんな詩なのか調べてみようということになって、その場では宿題ということにしたのだったが、あれやこれやでずっと手つかずにいたのを、先週くらいから腰をあげて調べはじめた。手がかりは一応詩の最後の行の、両足を伸ばしている、というような表現だ。

 いくつかの解説書や評伝を読んでもなかなか引用詩に該当するものがみつからず、結局最後に辿り着いたのが東郷豊治編著『良寛全集』(上下二巻・東京創元社)。漢詩が収録されている上巻を、詩の末尾に注目しながらぱらぱら繙いてみつけたのが、以下の詩だ。同書から読み下し文、解釈個所も併せて引用させていただいた。


 雙  夜  何  誰  炉  嚢  騰  生  
 脚  雨  知  問  辺  中  々  涯  
 等  草  名  迷  一  三  任  懶  
 間  庵  利  悟  束  升  天  立  
 伸  裡  塵  跡  薪  米  真  身  
 

生涯 身を立てるに懶(ものう)く
騰々(とうとう) 天真に任(まか)す
嚢中(のうちゅう) 三升(さんじょう)の米
炉辺(ろへん) 一束(いっそく)の薪(たきぎ)
誰か問わん 迷悟(めいご)の跡
何ぞ知らん 名利(みょうり)の塵(じん)
夜雨(やう) 草庵の裡(うち)
雙脚(そうきゃく) 等間(とうかん)に伸(の)ぶ


生まれてこのかた立身出世のことに気がどうも進まず、
天然自然のままにまかせ、うとうとと過ごしている。
嚢の中には米が三升、炉の側には薪一束という暮らしだ。
迷いだの悟りだのがどうだとも問わず、
名誉だの利得だのという煩いも知らぬ。
雨の降る夜は庵室のなかで、
気まま気ずいに両脚を伸ばしている。
(東郷豊治編著『良寛全集』(東京創元社)より)


 「生涯 身を立てるに懶(ものう)く」、というのが、なんだか自分の資質を実感をこめていいあてているようで、いい表現だと思う(^^)。気持ちよさそうに伸ばした両足は、きっと日頃の托鉢行脚の疲労から解放されて休らいでいるのだろうなあ、などとも想像される。英訳では、「米三升」が、ten days of riceとなっているのが、工夫されているところだろう(^^;。

 ところで、ネットで調べると「全国良寛会 公式ホームページ」の中にある、 「良寛書籍ご案内」というページには、良寛関連の書籍がずらりとリストアップされている。この中では監修Sanford Goldstein 訳者水口志計夫・北嶋藤郷『良寛:短歌・俳句選[日英対照]Ryokan: Selected TANKA/HAIKU』(考古堂・2000年刊)と、加藤僖一著 Sanford Goldstein、北嶋藤郷訳『Ryokan's Calligraphy 良寛遺墨の精粋』(考古堂・97年刊)という本が、良寛詩の英訳本として紹介されている。冒頭の英訳詩がこれらの本からのものかどうかは定かではないけれど、歴史やその普及ぶりを考えると、良寛さんの漢詩は、これまでにも多々英訳で紹介されているのではないだろうか、とは思ったことだった。






3月7日 紅茶の茶葉の舞い踊りのことなど


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 先日、といってももう何週間か前のことだが、NHKテレビで参加タレントが「がってんがってん」とボタンを押す番組を見ていて、いたく感動した。それは美味しい紅茶のいれかたをスタッフがいろいろ調査研究して紹介するという企画だったのだが、何に感動したのかというと、ふだん何気なく行っている紅茶のいれかたひとつとっても、その背後に一定の美味しさに到達するための仕組みのようなものがあって、その合理的な説明ができるというようなことなのだが、その解説の過程には実用的かつ謎解きの楽しみがあって、ちょっとした幸福な気分にひたれたということであったと思う。

 紅茶を入れるときに使う水は新鮮な軟水がよくて、沸かし加減はぐらぐら湯が煮えて表面が波立っているような温度(95度)がよくて、茶葉をいれるポットは一度暖めておいた丸味を帯びたものがいい。ポットに熱湯をそそいでから、だいたい3分程度待って、これをカップにそそぎいれるといい、という。

 いってみると紅茶の美味しいいれかたとは大体そういうことで、習慣や経験でなんとなくそういうことをやっている人はいると思うが、その背後にどんな仕組みが働いているのかを理解している人は案外少ないと思う(知っている人には退屈かもしれないが以下に要約)。

 紅茶が美味しいと感じるのは、茶葉に含まれているうまみ成分((テアフラビンとテアルビジンというタンニン)が、湯のなかに溶け出してそれを味わえるからだというが、少量だと薄いと感じるし、多量だと苦みやえぐみとして感じられる。そのちょうど程良い加減を出すというのが、美味しくいれるコツということになる。

 ここで面白いのが、暖められて湯にとけだすタンニンの成分が水より重いということだ。茶葉自体がポットの底に重なって沈んでいると熱湯をいれても湯に接した部分からしか成分は溶け出さないし、溶け出しても沈殿したままになるはずだ。

 ところが不思議というか、95度の熱湯だと、茶葉に気泡(水中の酸素)が付着して、ちょうど茶葉と水が同じ重さになったとき茶葉を浮遊させやがて水面に押し上げる。これを「ジャンピング」というらしい。さらに95度だと湯の中に対流が起こっていて茶葉は浮いたり沈んだりする(丸いポットがいいのは対流をスムースに起こさせるため)。こうしてタンニン成分は万遍なく湯の中にとけだす。80度の湯では茶葉は浮きっぱなしになり、99度では沈みっぱなしになるというのも面白い。あくまで95度が適温だというのだ。

 こういったことを、上の文章などよりずっとわかりやすく解説紹介していたのが、その番組だった。番組を見てからずいぶん立つが、さっき思い立って試してみて、なかなか美味しい紅茶を飲んだのだった。自然の中には、紅茶の茶葉も舞い踊りも紅茶の味というのも、そのままの形では存在しない。自分の養分をだしきって舞い踊る茶葉と、茶葉が舞い踊ることができる環境をみつけだしてその味を愛して楽しんできた人間との関係は、なにか他のイメージへと類推を誘うようなところがある。


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 茶葉の舞い踊りの様子をみるため丸くないガラス容器を使って撮影してみたが、よく見えてない(^^;。。






2月29日 2月のデジカメ写真

 1月25日の日記に「最近のデジカメ写真」というのを載せてから、ほぼひと月たった。今回は、あれ以降に撮影した写真のストックから、いくつか載せてみたい。


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 この画像はデータを見ると2月10日に撮影したもの。場所は近所のファミレス裏の駐車場の隅で、たまに通る道から見て花が咲いているのに感動したらしい。


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 これは温室栽培の「霧島つつじ」だという。まだ寒い時期にこういう鉢を部屋に飾っておくと、季節感がおかしくなりそうだが、鮮やかな彩りは目に楽しい。


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 これは東銀座の裏道で撮影。煙草の自動販売機を探していて目にとまった。「天國本社」というのが面白かったのだが、この会社、正式名は「銀座 天國」といい、創業1885年という老舗の天ぷら屋さんなのだった。


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 これは今日撮影したもの。先週からライブカメラ実験室というのをやっているが、どういう撮影環境かを紹介してみた。右にあるのがパソコン用のSONYのビデオカメラでかなり古いもの。長い首のようなものの先にカメラレンズがついたユニークな形をしている。このカメラレンズの向きを変えたり設置場所を近辺に移動したりして、ガラス戸の外の風景なども映している。QQの籠の上に置いてあるのは照明用の電球のソケット器具で、100Wの電球がつくようになっている。これをつけないと日中もほの暗くて、夜には部屋の照明だけでは画像がぐっと暗くなってしまうので、たまにつける。






2月22日 ライブカメラ実験室のこと

 このところ、やっとMacのosXになじんできて、いろいろ遊んでいるのだが、os付属のiMovieとかiDVDという画像編集ソフトを楽しむためには、できればビデオやテレビ、DVD、ビデオカメラなどの外部機器の情報をFireWireという規格でパソコンにとりこめる環境が必要なので、その名もFireWireTVtunerというそのまんまの名前のTVチューナーを買ってしまった。これでなんとテレビ番組の録画予約もネットに番組表を掲載しているサイトにアクセスして設定できるようになった。そういうと未来のデジタルライフのようで便利そうに聞こえるかもしれないが、これはテレビ番組のデータをパソコンに直接取り込んでしまうことなので、メモリが心配だったり事後処理がめんどうだ。たしかに古いベータ方式のビデオカセットに撮りだめしてあった映画やテレビ番組などを取り込んで編集したり、パソコンにスーパードライブが組み込んであればそれらをCD-RやDVD-Rに焼いたりすることはできるのだが、ちょっとやってみて感じたのは、これはひたすら時間を消費する作業だなということだった。短い動画を切り張りしたり音楽を付けたりして編集するのは面白いが、長時間のテレビ番組やビデオの映画を録画したり、DVDに焼くというようなことは、やはり専用機でやったほうがずっと楽なのだ(^^;。一見便利そうな多目的ホールというのは、実は無目的ホールだと喝破したのは何という人だったか忘れたが、そういうことがちょっと頭をかすめもしたのだった。

 しかしこのTVチューナーの使い道として、FireWireの出力端子のない古いビデオカメラとパソコンを仲介するということもできる。そういうことを考えていたら、ちょうど雑誌にライブカメラ用のソフト「EvoCam」の紹介記事がのっていたので、ネットからダウンロードして設定してみた。というのがこれまでの経緯で、そのとりあえずの成果が、トップページからリンクした「ライブカメラ実験室」というコーナーに表示してみた画像だ。

 ところで、一応コーナーまでつくってみたけれど、残念ながら使用しているパソコンを常時接続してライブカメラの専用機にしておける環境じゃないので、あくまで実験ということで、稼働は当方の都合で不定期になります。画像は九官鳥のQQの入っている籠を写しているだけで、ほとんど変わり映えがしないと思うけれど(^^;、上にある小皿に放し飼いにしているセキセイインコのてんまるが餌を食べに舞い降りてくるのが写ることもあると思う。あと餌を替えるひとの手とか(^^;。。。






2月15日 「トム・ピリビ」の探求その後

1.あらたな謎

 前回「トム・ピリビ」の歌詞が思い出せない、と書いたら、嬉しいことに灰皿町の倉田良成さんが、楽譜から歌詞をメールに転記して送ってくださった。その楽譜は、倉田さんの奥さんが、音楽教室の講師をしていたときに使われていたものだという。ここでは探求の目的上、以下に全文掲載してみる。


「トム ピリビ」

1.
トムピリビは二軒おうちをもっている
お城のように大きなおうち
トムピリビは二隻お船をもっている
たからを探しにでかける船
(リフレイン)
しあわせなトムピリビ
なんでもできる素敵なひと
なかよしになりたい
大金持ちのトムピリビ

2.
トムピリビは二羽のおうむを飼っている
なんでも知ってるおしゃべりおうむ
一羽は赤で 一羽は緑
魔法の国の魔法の鳥
(リフレイン)

3.
だれもが好きなトムピリビには
ひとつのわるいくせがある
トムピリビのくせは嘘をつくくせ
おうちも船もつくりごと

おおぼらふきのトムピリビ
だけどとってもおひとよし
なかよしになりたい
素敵なひと トムピリビ


 これで積年の疑問が氷解して、一件落着かと思ったのだが、読んでみると、この歌詞、私が完全に記憶していると思いこんでいた二番の歌詞の内容と語句が微妙に違っている。改めて記憶どうりにその歌詞を再現してみると、


2.
トムピリビは二羽のオウムを飼っている
青いオウムと赤いオウム
二羽のオウムは頭がいいので
アラビア語もシナ語もなんでもしゃべる
(リフレイン) 幸せなトム・ピリビ
なんでも知っているトム・ピリビ
僕も大人になったなら
トム・ピリビのようになりたいな


 この差異はなんなのだろうか。私が勝手に歌詞をつくりかえて覚え込んでいたのだろうか。それにしては、アラビア語とかシナ語という言葉は、子供が自分でつくり変えられるような言葉ではないように思う(そうしたとすると、私は相当へんな子供だったということになる(^^;)。そこで考えられるのは、「トム・ピリビ」という曲は、もともと、私が覚えたような歌詞で放送されていて、それがいつからか、倉田さんが送ってくれた楽譜の歌詞のように、改変されたのではないか、という疑問だ。この疑問を裏付ける証拠として、出典を記録しなかったのだが、ネットの中のさる掲示板に書かれていたどなたかの書き込みがある。

「トムピリピはなんでも持っている幸せな 大金持ちで、「ぼくもおとなになったら、トムピリピのようになりたいな」で 終わっています。 」

 ごらんのように、この人の知っている「トム・ピリビ」の歌詞にも私の記憶の歌詞と同様に、「ぼくもおとなになったら、トムピリピのようになりたいな」というフレーズがでてくる。そして、このフレーズは、倉田さんの楽譜の歌詞にはでてこない。ということから類推して、元「トム・ピリビ」の歌詞がやはり存在して、それが、いつからか、現「トム・ピリビ」になったということが、十分考えられそうなのだった。


2.幻のトム・ピリビを求めて

 「トム・ピリビ」という曲は、もともとフランスのシャンソンで、それも1960年に発表された曲だ(この曲については後述)。それが、たぶん発売後まもなく日本で、水野汀子氏によって子供向けの歌詞に翻訳され、小林秀雄氏によって編曲されて、翌61年4月からはじまったNHK「みんなのうた」の中で、その年の6月に放映された。これが最初で、歌ったのは男性4人のダークダックスというコーラスグループ。評判がよかったらしく、65年の8月には、女性歌手ペギー葉山の歌で、二度目の放映がされている。私が聴いて覚えていたのは、たぶんこの最初のほうで、改変は、すでにこの二度目の放送のときに行われていたのではないか。

 これはまた推測にすぎないのだが、たとえば、「トム・ピリビ」の歌詞を覚えているという灰皿町の清水鱗造さん(私より少し年長)にメールでお尋ねしたところ、「歌詞に国名が出てきたという記憶がない」といわれたことも手がかりになるような気がする。つまり、60年代の前半に、NHKの「みんなのうた」で、「トム・ピリビ」を聞いた、という記憶をもつ世代のひとでも、その内実は61年か64年のどちらかの放映を聞いて覚えているということで、覚えている歌詞の内容が違うとすれば、その二回の放映内容がすでに違っていたということの説明になるように思えるからだ。早々に歌詞の改変が行われた理由として、「シナ語」(シナ)という言葉が、NHKの放送コードにひっかかったのではないか、というのは、今のところの私の推測なのだが、どうも推測に推測を重ねるような話で、その幻の元「トム・ピリビ」の歌詞を見ないことには、正確なところはわからない、というのが実情なのだった。

 ちなみに、後日図書館で調べたところ子供向けのうたの曲集に「トム・ピリビ」の楽譜を掲載したものがあった。その歌詞は倉田さんから送っていただいたものと同じで、このことからも類推できるように「トム・ピリビ」の楽譜はいろんな子供むけのうたの本に採録されているようなのだが、たぶん現在目にしたり入手できるテキストは、ほとんどすべて改変後のものだと思う(例外として、出版時期はウェブで検索しても不明なのだが、水星社『 NHKみんなのうた楽譜集(2)』を参照すれば、古い歌詞が掲載されている可能性が大いにあるし(横浜図書館所蔵まではつきとめた(^^;)、60年代前半に発売されたらしいNHKのみんなのうたを収録したLP(ダークダックスが歌っているもの)にかろうじて残っているということはわかっている)。しかし、二番の歌詞だけ比べてみても、私は元「トム・ピリビ」のほうが優れていると思う。この改変で、元「トム・ピリビ」は、ほんのわずかな世代の記憶の中にしか残らず、その再現(出版)も暗黙のうちに慣習的に禁じられているような幻の歌詞ということになってしまったのだと思うと、ちょっとした感慨もなきにしもあらず。


3.もうひとつの「トム・ピリビ」

 トム・ピリビの原曲がフランスのシャンソンで、その歌詞(原詩)が掲載してあるサイトに前回リンクをつけておいたのだが、そのフランス語の歌詞と、現「トム・ピリビ」の歌詞を比較するとどんな違いがあるのだろう、ということを、詩人でル・クレジオの小説『黄金の魚』の翻訳者でもある村野美優さんにお尋ねしたところ、嬉しいことに、「試訳」として原詩をざっと訳してくださったのでここで紹介したい。


Tom Pillibi

Tom Pillibi a deux cha^teaux - le premier en E´cosse
Tom Pillibi a deux cha^teaux - l'autre au Monte´ne´gro
Il a aussi deux grands vaisseaux qui vont au bout du monde
Chercher des ors et des coraux et les plus beaux joyaux

トム・ピリビは二つお城を持っている− 一つはスコットランドに
   − もう一つはモンテ・ネグロに
かれは二つの大きな船も持っていて、それは世界の果てまで行くの
金とサンゴと世界一すばらしい宝石をさがすために


Il a d'la chance, Tom Pillibi
Et moi je pense que je suis son amie
Il est si riche que je l'envie
Il est si riche - sacre´ Tom Pillibi

かれは運がいい、トム・ピリビ
だからわたしはかれの恋人だと思うの
かれはとってもお金持ち、だからわたしはかれが羨ましい
かれはとってもお金持ち、すてきなトム・ピリビ


Tom Pillibi a deux secrets qu'il ne livre a` personne
Tom Pillibi a deux secrets - moi seule, je les connais
La fille du roi lui sourit et l'atten dans sa chambre
La fille du roi lui sourit et la berge`re aussi

トム・ピリビは二つの秘密を持っていて、それをだれにも教えない
トム・ピリビは二つの秘密を持っている− わたしだけがそれを知ってる
王様の娘はかれに微笑み、かれをじぶんの部屋で待ってる
王様の娘はかれに微笑む、羊飼いの娘も微笑む


Il a d'la chance, Tom Pillibi
Et moi je pense que je suis son amie
Quelle bonne e´toile veille sur lui?
Quelle bonne e´toile? - Sacre´ Tom Pillibi

かれは運がいい、トム・ピリビ
だからわたしはかれの恋人だとおもうの
どんな幸運の星がかれを見守っている?
どんな幸運の星が?− すてきなトム・ピリビ


Tom Pillibi n'a qu'un de´faut, le mal n'est pas bien grave
Tom Pillibi n'a qu'un de´faut, le mal n'est pas bien gros
Il est charmant, il a bon coeur, il est plein de vaillance
Il est charmant, il a bon coeur, mais il est si menteur

トム・ピリビには一つしか欠点がない、悪はあまりたいしたことじゃない
トム・ピリビには一つしか欠点がない、悪はあまり大きな問題じゃない
かれは魅力的、かれは優しい、かれはとっても雄々しい
かれは魅力的、かれは優しい、でもかれは嘘つきだから


Que rien n'existe de tout cela
Mais je m'en fiche quand je suis dans ses bras
Car je suis reine du grand pays
Ou` il m'entrai^ne - sacre´ Tom Pillibi

いまの話はみーんな嘘っぱち
でも、かれの腕のなかにいれば、そんなのはどうでもいいこと
なぜなら、わたしは大国の王妃
そこにかれはわたしを連れていくの− すてきなトム・ピリビ


 さてさて、ここで、今回最初に引用した日本版(子供向け版)「トム・ピリビ」の歌詞と村野さんの試訳とを比較してみると、面白いことがいろいろわかると思うので、是非楽しんでいただきたい(^^)。まず最初の驚きは、この歌が、女性の恋心をうたった歌だったということだ。

 スコットランドと東欧にふたつのお城を持ち、二艘の大きな船を所有していて、宝探しに熱中している大金持ちのトム・ピリビ。王様の娘にも羊飼いの娘にも愛されてもてもて男のトム・ピリビ。また、私だけが知っているふたつの秘密をもっているという謎めいた男トム・ピリビ。しかもその謎が、ひとつだけの彼の欠点である「悪」に関わることが暗示されていて、ちょっとこの男は実は詐欺師とか泥棒のたぐいではないかとも想像させるが、そういったトム・ピリビについてのリアルで暗示的な説明が、最後にどこまで嘘か本当かわからないような言い方でごまかされてしまうという複雑で、魅力的な(^^;内容になっている。

 基本的には、平気で嘘をついて他の女にも手をだして私につれない恋人のことを、そんな男だけれど愛しているんだ、という女性の側からうたった「女心」のうた、ということができると思うが、ここでいわれている「嘘つき」のトム・ピリビがかって私に吹聴したらしい冗談めいた嘘の規模の大きさと、私だけにうち明けたらしい個人的なふたつの秘密ということが、この二人の関係のドラマチックな奥行きをスポットライトのように照らしだしていて、いかにも人生を感じさせるシャンソンらしいシャンソンの詞という感じになっていると思う。

 たとえば、ちょうどこの曲が発表された1960年には、日本では「逢えなくなって初めて知った海より深い恋心」という出だしの松尾和子の「再会」(吉田正作曲・佐伯孝夫作詞)が発売されてヒットしたが、その二番の出だしに「みんなは悪い人だというが私にゃいつもいい人だった」というところがある。「再会」では「私」の恋人は監獄に入っているのだが、そういう悪い男を好きになってしまう女心の味わいが奇しくも同年に日本とフランスで発売された大衆歌謡で一致しているのは面白い。

 好きな曲なので、ちょっと思わず横道に逸れてしまったが(^^;、この原詩の女の恋心という意味をすっかりぬいて、トム・ピリビは嘘つき(大洞吹き)だけど、おひとよしで私はすきで、なかよしになりたい、というちょっと変わり者の愛すべき大人(おじさん)に対する子供の親近感をうたったような内容に仕上げたのが、改訳詞だといっていいと思う。そしてこの親密感は、元「トム・ピリビ」では、「ぼくも大人になったならトム・ピリビのようになりたいな」というように、憧れの気分としてうたわれていた。そこも改変されてしまったので、違ったニュアンスの内容になってしまったのだが、私のように、当時、利口な青いオウムと赤いオウムを飼って悠々自適に暮らす羨ましい大人のおじさん、というイメージを受け取った子供もいたことを思うと、現「トム・ピリビ」は、仲良くなりたいだけで、そんな人に自分もなりたいという強い願望からは一歩後退している(^^)。したがって子供に与える詩のインパクトもそれだけ薄くなってしまっていると思う。


 おまけの情報。「トム・ピリビ」は、70年春に出版された『デラックス・マー ガレット』に「トムピリピにあった?」というタイトルで、矢代まさこ氏によって漫画化されているという。「みんなのうた」で流されたこの曲が、当時いかに一部の子供世代に浸透していたかを示す例だと思う。また、ネットでは、「トム・ピリビ」を近年、「おかあさんといっしょ」の中でだんご三兄弟がうたっていたという情報もあった。それを聞いて育った世代ももう大人になっているのかもしれない。

 シャンソンの「Tom Pillibi 」は、1960年にJacqueline Boyerが歌ったのが最初で、1963年にはJacques Aylestockが歌っている。最初のジャクリーヌ・ボワイエの歌がヒットしたようで、彼女の代表曲のひとつになっているようだ。後日、「シャンソンの名曲大事典」「シャンソン大全集」(ともに東芝EMI)といったシャンソンを集めたCD全集に、収録されているというのを知った。また、ジャクリーヌ・ボワイエは、シャンソンを通した日仏文化交流イベント「名古屋巴里祭」に、第4代シャンソン大使として来日したということでもあるから、シャンソン好きの方はよくご存じの歌手なのかもしれない。

 最後に、シャンソンの「Tom Pillibi 」と「ほらふき男爵」の関連については、このTom Pillibi という人名が60年当時に一般フランス社会で「ほらふき男」として象徴的な意味をもっていたかどうかも含め、いまだ推測の域をでないで、探索中。もしかしたら、トム・ピリビ=ほらふき男爵説は、ネット情報によくある根拠のはっきりしないただの「噂」だったかもしれない。村野さんの試訳で「Tom Pillibi 」が恋の歌だったとわかったので、そういう線も濃厚になってきた感じがするが、この結びつき自体は面白くて捨てがたいところもあるので、もうすこし探索中です。






2月8日 「トム・ピリビ」の探求

 「トム・ピリビ」というのは、子供のころNHKテレビの「みんなのうた」で聞き覚えた曲だ。このタイトルを私は「とんぴりび」だと最近まで思いこんでいた。自分ではもちろんごくたまにだが、きっかけがあると思い出すうたで、これまで同年配の友人などに聞いても覚えている人がいなかった(もっとも尋ねるような機会はほとんどなかったのだが)。以前ネットで面白半分に「とんぴりび」で検索してみたこともあったが、見つからなかった。それがこの前、灰皿町のぺこさんにメールで聞いてみたら覚えているというので嬉しくなったついでに、もう一度この歌のことを本格的に探求してみようという気になったのだった。

 まず今回は「みんなのうた」の過去データをしらべてみた。そこで曲のタイトルが「トム・ピリビ」だということが判明して軽いショック。しかし、歌詞は著作権に触れるようでネットにはのっていない。出だしの部分「トム・ピリビは二軒おうちをもっていた」というところだけが、掲載されているサイトがあった。私は二番の歌詞を全部覚えているが、それ以外はまったく記憶になかったので、これも貴重な収穫だった。二番の歌詞はここでは書かないが、言葉をかえると、トム・ピリビはアラビア語とシナ語を話す赤と青の二羽のオウムを飼っている幸せものだ、というような内容だ。

 さらに「トム・ピリビ」を検索してみていろんなことがわかったが、まずこの原曲は、フランスのシャンソンで、「恋は水色」や「マンチェスターとリヴァプール」などのヒットメーカー、アンドレ・ポポの作曲だということがわかった。これはなるほど、あのあか抜けた旋律の背景にはそういう事情があったかという面白い発見だった。

ここで「トム・ピリビ」を選ぶと旋律が聴けます。

 さらにさらに、この歌詞は「ほらふき男爵」のことをうたったものだという記述にであって驚いた。

 こういうふうに書いていくと延々と続くので、まとめてしまうと、「ほらふき男爵」というのは『ほらふき男爵の冒険』の主人公で、もとはルドルフ・ラリッヒ・ ラスぺという人物が、1784年に(匿名で)書いて出版した本があり、それに他の人物の旅行記などがしだいに付け加わえられて成立していったもののようで(ビュルガー著、1786年初版『ミュンヒハウゼン男爵の奇想天外な水路陸路の旅と遠征,愉快な物語』が正式といわれる)、この一連の著作が評判になり、以後類書なども沢山出版されて、たぶん西欧文化圏では、大人も子供も知っている空想物語の中の有名人物になっていったというような文化的な下地があって、このシャンソンも書かれたのだと思われる。トム・ピリビ(TOM PILLIBI)はフランスでの「ほらふき男爵」の愛称なのではないだろうか(推測)。

 ということで、「トム・ピリビ」のうたを探求して、その歴史文化的背景(^^;まで想像してみたのだが、肝心の歌詞がわからない。そもそも私の記憶では、トム・ピリビが嘘つき(ほらふき)だったということは、その部分の歌詞をそっくり忘れていたので、そういわれればそうだったかもしれない、と、あいまいなままなのだった。こうなると、あとはNHKのみんなのうたのバックナンバーの歌詞を収録した本を調べるということしかないかもしれない、というところが今のところの結論なのだが、フランス語の歌詞ならこのサイトにのっているようなので、堪能な方は翻訳してみるのも面白いと思う(もちろんその結果を教えていただけるとうれしい(^^;)。

 ほかにわかったこと(おまけ)。『ほらふき男爵の冒険』は「バロン」というタイトルで映画化もされている。「バロン」(1988年 イギリス=西ドイツ 監督 テリー・ギリアム 出演 ジョン・ネビル、エリック・アイドル、ユマ・サーマン)




2月1日 デジタルドラッグ、その後

 マックのOS10.3"Panther"に付属している音楽再生用のアプリケーション「iTunes」には、音楽の再生中にモニタに万華鏡のような動画像を映し出せる「visualizer」というおまけのような機能がついていて、このサイケデリックなライトショーが見られる「iTunes」というソフトのことを、小説家の山川健一氏が『希望のマッキントッシュ』という本の中で「デジタルドラッグ」と呼んでいたことは、1月18日の日記で紹介した。
 百聞は一見にしかずということで、その画像をデジカメのムービー機能を使って撮影してみたのが、以下の動画(クイックタイムで見られる拡張子がMOV形式の動画ファイル)だ。(1).(2)はPowerBookからわりと大きいテレビモニタに線をつないで表示したのを、ズームで撮影したもの。曲はクラプトンの「レイラ」。


(1)

(2)

 撮影した周りの環境はというと、こういう感じになっている。


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 次の(3)(4)は、正面からひいて撮影してみたもので、曲はショパンのピアノ協奏曲1番の出だしのところが流れている。


(3)

(4)

 私は別にマックの宣伝マンではないが、これだけでも「iTunes」の「visualizer」の画像が斬新で意外性に富んだ視覚的な刺激に満ちているのが伝わるのではないだろうか。昨日の土曜日には、このA4サイズのパソコンを背中にしょってユニテに行き、店の隅のボックスで灰皿町の清水鱗造さん、足立和夫さん、ときに店主の木嶋さんも交えて呑みながら楽しんだ。たまにこういうことができる遊び場があるのも嬉しい。


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1月25日 最近のデジカメ写真

 デジカメをよく持ち歩いていて、気分が乗ったとき撮影する。これはホームページに毎週一枚なにかの画像をアップするという習慣も関係しているのだが、最近ではホームページの方には食べ物の画像をシリーズのように載せているので、普通のスナップ画像が何枚かたまってきた。とりとめもないものだけれど、その幾つかを掲載してみる。

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 これは居間の風景。去年の暮れに貰った花の柔らかな白がなんともきれいで、ペットの鳥たちや亀に加えて撮影したかったのだと思うが、逆光になってしまっている。


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 JR拝島駅のホームから撮影した画像。満月が大きくくっきりみえたのが撮影したくなったきっかけだったと思う。停車中の西武新宿線と青梅線の電車の車両の色もぴかぴかしているようで、なんということもないが心弾むような雰囲気の夕暮れだった。


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 これは西新宿のユニテ至近の歩道橋の上から撮影したもの。ひかりものにひかれる癖があるというか、きっかけは単純に中央のビルの装飾的なネオンサインが面白いと思ったからだった。別の日にこのビルの前を通ったとき見たら、カラオケの専門店のようだった。


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 二階の窓から西に見える富士山を撮った画像。同じようなものを何度も撮っていると思うが、このときはたぶん寝起きでやはり寒々しい木立や冬場は近づいて見える富士山の姿に感動している(^^;。






1月18日 机上のデジタルドラッグ

 むかしむかし「わたしはまっかなリンゴですぅ〜」という歌があったが、マックユーザーのことをさす(「一種マイノリティを蔑んだ用語で」)「マッカー」という言葉があるというのを、山川健一『希望のマッキントッシュ』という本で教えられた。パソコンは未だにマックのことしかしらない私もそういう意味で立派なマッカーの部類なのだろうが、この本を読んだ影響で、去年の秋に発売されたos10.3"Panther"をとうとう買ってしまった。そして普段たまにしか使っていないpowerbookG4をめでたくアップデートしたのが昨日のこと。それにしても、この『希望のマッキントッシュ』という本、マックユーザーには罪な本というべきか、この新osやマックのアプリケーションのことが、実に魅力的に書いてある。たとえばマックにはiTunesという音楽再生用のアプリケーションがあるのだが、これは「デジタルドラッグそのものだよ」などと書いてある(^^;。

「iTunesで音楽を再生し、visualizerのボタンをクリックすれば、音と連動したライトショーをモニタに映し出すことができる。光が誕生し、渦を巻きあるいは跳ね回り、リアルタイムで変成しつづけやがて消えていく。無数のビジュアルが生まれては消え、さらに無数の光が誕生し続ける。
 音楽と連動してビジュアルを提供するアプリケーションはこれまでにも存在し、そんなスクリーンセーバーも存在したが、iTunesのvisualizerはあんなものではない。ハッシシやLSDが与える幻覚に限りなく近く、ビッグバンと呼ばれる宇宙創生期や生命の根幹に関わるミクロの世界を感じさせる。4.0になってからのvisualizerはさらにパワーアップしていて、すごいよ。
 何時間もフルスクリーンで、visualizerをオンにしてピンク・フロイドやディープ・フォレスト、ポリス、「ゼノギアス」や「クロノクロス」といったゲームのサントラ盤を聴いていると、自分が誰で、ここはどこなのかということが曖昧になっていく。
 つまり、ナチュラル・ハイになっているのだ。」(山川健一『希望のマッキントッシュ』より)

 こういう格調たかい(^^;熱っぽい文章を読むと、マッカーならずとも、なにはともあれ騙されたと思ってiTunesを使ってみたくなるだろうと思う。で、じっさいどうだったか(^^;。ふむ。さっそくエリック・クラプトンのCDオーシャンブルーバードをiTunesに入れてみて、visualizerのボタンをクリックしてみた。そして、これは、聞きしにまさる、としばし絶句。たしかにこれを「デジタルドラッグ」というのも大袈裟ではないかもしれない。たとえば部屋を暗くしてモニタのフルスクリーンでこの映像をみながら音量をあげて音楽を聞く。これを何時間も続けたらどうなるか。いつかやってみるかなあ。ピンク・フロイドのアトムハートマザーあたりでやると。。。

 これは何に似ているのか、と考えると、万華鏡の世界に似ているといえば一般的だと思うが、年配のひとなら70年代のロックコンサートの会場などでよくバックに映写されていた音楽と連動するようなサイケデリック模様のライトショーを連想するかもしれない。あれを格段に精密にしたという感じなのだ。たぶんそういうのをたっぷり経験しているロック世代の山川氏が、「visualizerは、コンピューターってものが、遂に人間を超えた世界を描いてみせたと言えなくもないのさ。」といってしまう気分は、わからないでもない。ところで山川氏はちゃんとこういうことも書いているので、その個所も引用しておこう。

「iTunesのvisualizerって、別になくてもいいものだよね。大学のコンピューターの授業で「パソコン」の「壁紙」を変える必要がないのと同じことだよ。でもマックってさ、こういう下らないことに使うのがいちばん似合っているのかもしれないよ。」




1月11日 机上の遊びあれこれ

 昨年末からこの一月にかけて、NHKの衛星放送で小津安二郎監督の映画(フィルムが残っているもの全作品)を放映していて、楽しんでいる。10数年前にビデオ化されている作品のほとんどをまとめて見た記憶があるが、今回の特集でははじめてのテレビ放映作品というのも多い。戦前のサイレント映画や、近在のビデオショップにはなさそうな作品など、番組表をチェックして、それらを姪に頼んでDVDに録画してもらっているのだが、それがだんだんたまってきた。ということで、昨夜からパソコンの画像処理ソフトを駆使してDVDのパッケージのラベルつくりなどを楽しんでいる。

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 これは撮りたてというか、作業中の机上の写真。DVDの表紙の柄は、なんといっても小津映画おなじみのキャンバス地で、というふうにしてみた。これはネットのフリー素材をおいてあるサイトからもらってきたパターンをもとにつくって、映画タイトルをそのうえに重ねてある。キャンバス地の模様は、実際はあまりうまくプリントできずに、つぶつぶの羅列みたいになってしまったのだが、写真ではよくわからないと思う(^^;。裏側に映画のデータをいれた。こちらは、やはりネットのしかるべきサイトから作品情報をコピーして、プリントアウトした紙を切り張りして制作。ちょっとしたコレクションができそうだ。

 上に掲載した写真の右下にあるリップスティックみたいなものは、小さな万華鏡だ。この万華鏡は、筒のなかに模様の素材になるようなチップが仕込んであるというのでなく、尖端に丸い透明のガラス玉がついた素通しの望遠鏡みたいなつくりになっている。机のうえの小型スピーカーのうえに置いて窓の外に向かせ、デジカメでのぞきこむように写してみたのが次の画像。

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 レンズの位置がいいかげんで、その結果、外の風景と対比できるような、なんとも玄妙な画像がとれてしまったのだった。




1月4日 年賀状や年賀メールのことなど

 去年の暮れから年賀メールや年賀状につけるサルのイラストを描こうと思って何度か試みたが、どうも思うような絵が描けない(サルは難しい(^^;)。けっきょくのところ、ネットで日本猿の写真を掲載しているサイトから写真を拝借してきて、ちょっと加工して以下のような画像をつくって年賀メールに添付させてもらった。年末に清水さんの「うろこ新聞」にのせてもらった酔っ払いのサンタクロースのクリスマスカードと同工異曲なのだが、どうもこういうイメージになってしまう。画像ではよくわからないが、サルの傍にあるのは「福生まれ」という地元の地酒だ。

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 ところで、年賀状を率先してだすという習慣がない(もちろん、いただいた賀状に返礼の賀状をお出しするということは習慣にしている)。要するにずぼらなのだが、今年はそのずぼらさにみがきがかかって、年賀状をいただいても、その方のメールアドレスが判明している場合、賀状メールで返信ご挨拶にかえさせていただいた。問題はメールアドレスがわからない、もしくはその方がメールアドレスをお持ちでない(かもしれない)場合だ。この場合当然年賀状で返信ご挨拶を申し上げることになるのだが、そこにやはりサルのイラストを描きたいのだが、うまくかけない。ということで苦肉の作(というより、いかにも安易で申し訳ないが)でこういう葉書をつくってプリンターで印刷してお出しした。

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 姪いわく、なんだかよくわからない。宇宙人みたい。ふむ。いかにもそうは見えないが、右下に巻いてるのはたこ足ではなくて、しっぽなのだよ。ということで、
今年もどうぞよろしくお願いします。