(2011.7.3~)
12月11日 六義園
文京区本駒込にある六義園にいった。
六義園は川越藩主・柳沢吉保によって元禄15年に築園されたという大名庭園。
名称は「古今和歌集」の紀貫之の序文にある、
和歌の六つの基調を表す「六義(むくさ)」に由来し、
「和歌を詠うがままに庭園とし再現しようとしたもの」と、wikiにある。
作庭のモデルとなっているのは国の名勝に指定されている紀州の和歌浦で、
築山には妹山、背山、藤代峠など当地の地名がつけられている。
画像は園内で一番高い築山(標高35メートル)、藤代峠からの眺望。
画面右手は池の中央に浮かぶ中之島で、妹山背山がならんでいる。
キンクロハジロ。方向転換しているところ。
紅葉は陽光をあびると美しさがきわだつようだ。
作庭のモデルとされた和歌浦(旧名若の浦)は万葉集にもうたわれた古くからの景勝地で、
奈良・平安時代には天皇が好んで何度も行幸したこともあり、
都が近いこともあって、貴族文人に愛された場所だったらしい。
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ蘆辺をさして鶴鳴き渡る 山部赤人
典型的な洞窟石組(アーチ型)の蓬莱島。
鶴ではなくてカラスが鳴き渡っていた。
紅葉シーズンもあっというまにすぎていく。
ずいぶんと寒くなってきた。
12月4日 カブをたべる
スーパーでカブが目についたの買ってみた。
ポトフをつくる。
あまった葉の部分は刻んでごま油で炒めて。
ありあわせのシラスや鰹節をまぜてみた。
11月20日 さざんか
蜂つき。
11月13日 旧古河庭園
北区西ヶ原にある旧古河庭園にいった。
洋風庭園のバラの花壇。
石造りの洋館にはバラがよく似合う。
バラはちょうど見頃で、
しばし園内を散策して楽しんだ。
この旧古河庭園は、洋風庭園と日本庭園が併設されている。
日本庭園には、国内最大の奥の院型灯籠や、
枯山水の道具立てで石を滝にみたてた枯滝などもある。
これは武蔵野台地の起伏を利用してつくられた大滝。
日本庭園は中央の心字池を囲むようにつくられている。
洋館と洋風庭園は英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)の設計、
日本庭園は、小川治兵衛(1860-1933)によるもの。
この旧古河庭園は大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在といわれる。
11月6日 あかとんぼ
昭和記念公園でみかけた赤とんぼ。
10月30日 昭和記念公園
立川市にある昭和記念公園に行った。
コスモスはやや盛りをすぎていた。
園内の日本庭園の池。
茶が混じって木々が秋色を帯びはじめている。
日本庭園のまゆみ。
小さな滝のある渓流。
カメの形を模した小島。右の岩の上でカメが日光浴していた。
刈り入れを終えた畑。こんな田園風景も園内につくられている。
夕暮れ。木々のほのかな赤みが美しい。
10月16日 柿をくう
季節のものがおいしい。
10月10日 夢の島熱帯植物館
江東区新木場にある夢の島熱帯植物館に行った。
植物館はA,B,Cの三つのガラス張りのドームからなる。
入り口のAドームには滝や池があって熱帯の雰囲気を演出している。
ふしぎな植物の形。
しっとりとしたレモンイエローが目にも鮮やかだ。
カラフルなグラデーション。
造化の妙。
cCドームには、主に小笠原の植物が集められている。
これはタコノキ。
フィナーレを飾るマダガスカル産のオオギバショウ。
10月2日 横浜トリエンナーレ
商業施設やホールなどのある赤レンガ倉庫。
横浜市で三年に一度開催される現代美術の国際展覧会、
横浜トリエンナーレ2011に行った。
今回の主要会場のひとつ横浜美術館前に展示されている、
ウーゴ・ロンディノーネ(NY在住)の作品群。
ガラスに反射する光の効果が美しい。
それぞれ作者の異なる別作品です。
もうひとつの主要会場、日本郵船海岸通倉庫での展示作品。
遠目には雪の結晶のようにも見える写真だが、
近づくと図柄が銃器のパーツで構成されているのがわかる。
世界地図を模した砂絵のような模様のうえに、
様々な小物や人や動物のフィギアが配されている。
作者はリナ・バネルジー(ニューヨーク在住)
ふたつの画像は、同じ展示室を別角度から撮影したもの。
天井からやや幅のある極薄のテープが、間隔をおいて同じ向きに配列されている。
そのために、ある特定の角度からみると、テープのラインがみごとに視界から消失する。
今回とくに印象に残ったのは、日本郵船海岸通倉庫会場の三階で上映されていた、
クリスチャン・マークレー(ロンドン、ニューヨーク在住)の〈The Clock〉というビデオ作品だった。
これは新旧様々な商業映画のなかから時刻の表示されるショットを切り取って編集した作品で、
多彩な有名俳優や有名映画のショットがやつぎばやに切り替わるので、
それだけでも見ていて楽しいが、驚くべきことには、映画が放映されている現実の現在時刻と、
映像のなかにそのつど表示される時計の時刻がシンクロするように編集されているのだった。
会場で上映されるのはもちろん閉館時間までだが、案内の人に聞くと、
やはり作品全体の長さは24時間だというので、なるほどと納得したのだった。
夕暮れの汽車道。
9月25日 秋に
台風が去ってから、
ここ数日すっかり肌寒いくらいに。
今日は久しぶりに小学生将棋名人戦をみてしまった。
9月18日 夏のなごり
大きくなっていたゴーヤ。
9月11日 あさがお
今日は曇天。
9月4日 せみの声
もう9月。季節はたゆまず移っていく。
秋めいた庭でヤブランを撮影していると、
セミの声がひときわ甲高く。
8月28日 虫の音
今夜はひときは虫の音がリーリーと甲高い。
虫の音に意識がむいたとき、
ふっとサンタナのアルバム、キャラバンサライを思い出してしまった。
もう10年以上聞いていないと思うけれど、
同世代だと同じような経験をした人がいるかもしれない。
8月21日 暑さも峠を越したのかな
今朝は雨。
久しぶりの、湿り気を帯びたひんやりとした朝の空気が心地良い。
玄関前の狭い空き地に雑草が茂っている。
ここには毎年ケヤキの種子が舞い落ちて自然に芽をだすのだが、
周囲の建物やケヤキの大樹に遮られて日当たりが悪く、
夏前にはみんな枯れてしまうのが常だった。
ところが今年はこんな様子で、中にはすくすく育ったケヤキも混じっているようだ。
酷暑の続いたせいなのだろうか。
雨によろこぶ百日紅。
8月14日 島への小旅行
ぐんじ山展望台からの景観。
8月9日から11日まで、二泊三日の島旅行に清水鱗造さんといってきた。
この夏場の恒例の島旅行、今年で連続9年目になる。
訪問先をしらべてみると、新島に六回、式根島に四回、神津島に一度行っている。
今回行ったのは式根島で、二年ぶり5度目の訪問ということになる。
5度目とはいえ、これまで行ったことのなかった、島の西端にある、
観光スポット「唐人津城」や「隈の井」まで散策の足を伸ばしたのが、今回の旅行の新趣向となった。
「唐人津城」までは、こんなふうな起伏のある遊歩道を歩いて小一時間かかる。
途中暑くてかなりばてばて。
「唐人津城」は一見唐人の住んだ城跡を連想させるような地名だが、
「釣城」=良い釣り場の意味だという。この島には珍しく緑のない場所で、
火山岩や砂礫におおわれた荒涼とした土地がひろがっていた。
与謝野晶子記念碑の台座に埋め込まれている陶製プレート。
「波かよう門をもちたる岩ありぬ式根無人の嶋なりしかば」とある。
昭和13年に詠まれたという。
式根島は江戸時代には定住者がおらず、
明治21年に定住が行われて以降開発されたというので、
そうした歴史をふまえているようだ。
波通う門をもつ岩。
今回の旅行ではハイビスカスの花が特にめについた。
島を訪問したのが例年より数日遅かったので満開時にあたったのかも。
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今回投宿したのは、もはやなじみの感のある民宿「清水屋」。
快晴に恵まれ連日島を散策して海岸で泳いだり、温泉に入ったりしたが、
適度に切り上げてクーラーの効いた部屋でごろごろ午睡したりしていた。
宿というか島全体に若者や家族連れ、外国人観光客も目につき、
活気があったのが例年にはない感じで印象的だった。
夜中まで鱗造さんと話しこんでいて、隣室の外人さんから、
「うるさいから。ねむれないから。」と注意されてしまった。。
8月7日 ゆうだち
今日は買い物にでかけてで夕立にあい、
駅近くのダイソーにかけこんで、
105円のビニール傘をかった。
店には傘を買う人が何人も。。
7月31日 雨の夏祭り
今日は地域の夏祭り。お囃子の音色が崖下からひがな流れている。
「焼き鳥はあと五十本で販売終了になります」というアナウンスとか。
薄寒い季節が梅雨にもどったような天候で、
家の前の通りをビニールカバーをかけた御神輿が過ぎていった。
かけ声はいさましい。
7月24日 また暑くなるそうで。
ブラックベリーが実をつけていた。
黒くなってからが食べ頃。
だんだん和菓子の「鹿の子」に見えてくる。
7月17日 猛暑つづき
暑中お見舞い申し上げます。
このところ、一階の居間に布団を敷いて寝ている。
二階の寝室より涼しそうなので引っ越してみたのだった。
カーペットを敷いた板の間に薄い布団という状態なのだが、
気分がかわってこれがなかなか快適。
しっくりするのは子供の頃畳で育ったせいかもしれない。
7月10日 夏本番
関東地方は9日に梅雨明け。
関東では平年より12日ほどはやいという。
画像はコンロンカ(ハンカチの花)。
日盛りに撮影したところ日差しが強くて白とびに。
五時頃にあらためて撮影したのだったが、
やはりとんでしまっている(^^;。
7月3日 おりかえし
カランコエが無事に開花してうれしい。
自転車にのって道をいくと
瞬時に風景がうつりかわり
「今」が「過去」にすりかわる。
生とは際限なく頬にふれる、
「今」の受感でしかないことがよくわかる。
舗装路の先に小さくみえる自分の背中も、
「未来」ではなく「今」なのだと。
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