『セツアンの善人』をめぐるエッセイ
出来事通信7号●1999年6月21日
★ここのところ前よりも傷つかなくなったと思う。他人に対して
無防備では無くなったのだ。疑ったり、信じなかったりする自分
がいる。楽にはなったが、根本のところで自分が変わっていって
いるのかもしれないと思う。
ブレヒト作の『セツアンの善人』を新国立劇場で観た。演出は
串田和美。松たか子や高橋克典が出演し、出演者の半数以上は外
国人だ。外国の役者が日本語のセリフをしゃべる。それで劇は進
む。
『セツアンの善人』のリアリティは善人のままでは生きていけ
なくなった娼婦シェン・テがそのために世間知を持った非情なシ
ュイ・タに変身せざるえなくなることだ(松たか子の二役)。1
940年にブレヒトが書いたこの作品は、ここで実に現代的だ。
劇は始まるともなく始まり、舞台は中国の四川(セツアン)。
娼婦シェン・テは善人を探しに天から降りてきた三人の神様から
もらったお金で煙草屋を始めるが、都市セツアンに住むどうしよ
うもない連中がたかる。失業者、ホームレス達がシェン・テにま
とわりつく。善人であるシェン・テは彼等を拒絶できない。そこ
で彼女が自らを守るために生み出し、変身するのが冷酷で他人を
切ることのできる従兄弟のシュイ・タなのだ。
串田和美の作り出す舞台は自在で、やわらかく弾むような空気
があって、観ている時、何かに触れているという気にさせてくれ
る。
シェン・テ/シュイ・タ役の松たか子はみずみずしく、線がし
なやかではっきりしている。無防備や無垢では生きていけないこ
の社会のなかで、ではどうしたらいいのだ、というのが劇の最後
にくる盛り上がりだが、この舞台の本当の中心はここにくるまで
の舞台の上の自在感、動き、はつらつさだ。それがとてもよくて、
観ていて楽しく、つき動かされる。串田和美は多分とても勘のい
い人なのだ。僕の今年の芝居のベストワンだ。
■『セツアンの善人』について最初に書いたものだと思う。「出来事通
信」はぼくが出している個人誌というか、個人紙ともいうもので、これ
を書いている7号は一編の詩と上のエッセイをB4の紙1枚に載せて作
っている。手作りだ。スペースがないので、詰めて書いている。行替え
はない。このホームページに載せるにあたって、少しは読みやすいよう
にしようと、行替えしていいところは行替えし、そこを1行あきにした。
そして1行の字数を短くした。それから「感のいい人」としていた言葉
を「勘のいい人」にした。
2004年6月13日