第十六回目 鮎川信夫の「深いふかい眠り」


深いふかい眠り

        鮎川信夫


   ......おやすみ
電燈をつけたまま
かれはベッドにもぐりこむ
本と煙草とウィスキーの瓶をかかえて

ぐっすりやすむには
充分な準備がいる
かれにとって眠りもひとつの儀式だから

寝床でウィスキーを飲み煙草をふかす
酩酊は何によらず悪い習慣だが
かかる読書法は良い趣味以外のなにものでもない
   ......ところで
神学は迷路である
かれにとってはとっくに抜け道がわかっている迷路である
これから壁のむこうに出かけなければならない

蛇が隠れたエデンの樹を一心に見つめる
もうろうとしたストイックな頭から
かれの手足がはなれ罪もまたはなれてゆく

   ......どのような光りも
たえまなく打ちよせる多彩な波にすぎないことがわかり
そのようにかれの赤い血も
やがて遠ざかってゆく波にすぎないことがわかる

かれの眠りは純潔の匂いがする
孤独な青年の体臭に
ニコチンとアルコールのまじったいい匂いがする

乱れたシーツのうえに
やすらかな寝息とかすかなぬくもりをのこして
かれの魂はエデンの樹の頂きからはてしなく落ちはじめる

   ......何処へ?
それは血や光りがかえってゆく水平線のない世界だ
誰もまだ夢のなかで
輝く太陽を見た男はいない

           『鮎川信夫全詩集 '45~'67』(荒地出版社刊)より


○この詩を含む『鮎川信夫全詩集 '45~'67』を初めて読んだのは17の時だ。ちょうどお酒や煙草や「大人」の世界に興味をもつ年頃で、そういう年頃の子供がこういう詩を発見して、「かかる読書法」に憧れてもしかたがなかったかもしれない。この作品、意味するところはかなり難解で、今でも納得いくように理解できたとはいえないところがある。けれどシチュエーションというか、視点が青年の内面にはいりこんだたり、霊魂のように外にぬけでて寝姿を描写したりする自在な言葉の流れには魔術的といいたいほどの魅力がある、と思う。若い頃にかけられた魔法がまだ解けていないだけなのかもしれないが、もういい年なので、一生醒めないかもしれない。鮎川信夫は、たしか自分は詩に酔えるから、お酒など必要ないという意味のことを言った詩人でもあった。




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