Dec 24, 2021

イヴのケーキパーティ

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いろんな人が通るなあ。


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あれはドルフィンの二階に住んでるベスさんだ。
家に帰るところかな。


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クリスマスケーキください。
あ、いまさっき
売り切れました。
うーん。
じゃあ、他のケーキでいいわ。
苺のはいったのある?


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ベスは、クリスマスをかねて、
アンナたちの歓迎ケーキパーティを
計画したのだった。


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どれも美味しそーだねー
といっている。


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あれ、エトナがいないけど。


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写真撮りに行ったままだよ。
忘れてんじゃない?


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さっきベスさんが
ケーキの箱いくつもかかえて
帰って行ったよ。
あ、忘れてた。


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エトナが急いで戻ると、
パーティはもう終わりかけていた。

これとっておいたの。
!!


解説)
あちこちエピソードが
とんでますが、
それぞれの年末の
暮らしぶりということで。
Posted at 20:11 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Nov 24, 2021

なんやかや

g1

たまきはエトナが撮影した画像を
編集している。


g2

これベーカリーの前だね。


g3

マンスフィールドさんだ。


g4

どうもいまいちなんだなあ。
立体の感じはでてるよ。


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ロボット犬が
じゃれついている。


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何と腕が外れてしまった。


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こらこら。


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どうも騒々しい息子で。
僕のせいじゃないんだよ。
と隣で骸骨がいった。


g9

今日こそ遠出しようと思っていたのに
もう夜になったか。
最近は日が暮れるのがはやいなあ。


解説)
骸骨に着付けしていたら
腕が外れてしまったので、
そのままエピソードに。
Posted at 21:36 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Oct 24, 2021

モディリアーニのおいたち

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マンスフィールドさん。
モディリアーニのおいたちについて
教えてくれませんか。

そーね。
モディリアーニは1884年7月12日、
イタリアのトスカーナの地方都市
リヴォルノに住むユダヤ人家庭の
四人兄妹の末っ子として生まれたの。

育った家庭環境についても、
かなり詳しく分かっているんだけど、
十代のモディリアーニに即して言えば、
病弱で絵を描くことが好きだった子供が、
理解のある母親や親族の援助で
自分のめざす道をどんどん進んでいった。
そんな印象ね。

あっさりしてるんですね。


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「ロミティのアトリエでの写真」(1898-2000)

1898年(十四才)の8月、チフスに罹患し、
肺炎を併発する。このとき高熱の譫妄状態で、
突然、画家になりたいとの熱望を母に訴えた、
という「伝説」があった。

8月リヴォルノの美術学校ミケーリの画塾で学ぶ。
同時期の生徒だった八人の氏名も記録に残っている。
ロミティというのはそのうちの一人。

「日曜日には彼らはロミティのアトリエに
集まって裸婦の写生をするのが常だった。」
(ジャンヌ・モディリアニ「モディリアニ 人と神話」p49)


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「ググリエルモ・ミケーレの自画像」

ググリエルモ・ミケーレは、
画家ジョヴァンニ・ファットーリの弟子で、
後期マッキアイオリ派に属していた、と
伝記にある。

マッキアとは色斑の意味で、
フランスのバルビゾン派の影響を受ける、
とされる。自然主義的な風景画や農民画を
写実的に描いた。


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「湖の風景」(1891)

これはミケーレによる風景画。

十四才から、十六才の時期、
モディリアーニが、「画塾の課題のため、
ラファエロ前派に関するエッセイを書いた」
ということや、
ミケーリが、モディリアーニのことを、
「超人」と呼んでいた、といった話が
残っている。
これは当時モディリアーニ少年が
ニーチェに傾倒していたらしいことの、
証しになっているエピソードだ。

その早熟ぶりに驚かされるが、
「叔母ラウラの影響で、
ボードレール、ニーチェ、ベルグソン、
クロポトキン、オスカー・ワイルドや
ダヌンツィオ等を愛読する。とりわけ、
ロートレアモンに熱中する。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」年譜)
というこの時期の解説もある。

「モディリアーニは、われわれが今日知的雰囲気
と呼ぶような環境の中で、成長し、
それに対して常に郷愁を持っていた。」
(ジャンヌ・モディリアニ「モディリアニ 人と神話」p44)

「その友人で肖像画のモデルにもなった
ロシアの詩人、イリヤ・エレンブルグは、
「彼ほど詩を愛した画家はいない」として、
ダンテ、ヴィヨン、レオパルディ、
ボードレール、ランボーの詩句を
記憶して諳んじることができたと回想している。」
(島本英明「もっと知りたいモディリアーニ」p36)


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「カマイノの彫刻」

1901-02(十七才-十八才)肺結核にかかり、
転地療養。中部、南部イタリアを旅行する。
カプリ島、ナポリ、ローマ、
ミズリナ、フィレンツェ、ヴェネツアを
旅行する。ナポリ滞在中に、
ティノ・ディ・カマイノの墓碑彫刻に
感銘を受ける。


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「カマイノの彫刻」

「この時モディリアニは17歳、
美的印象の異常に強い年齢であった。
私の考えでは、この旅行で彼は、
はじめて偉大なイタリア派のある者の
影響を受けたのである。」
(ジャンヌ・モディリアニ「モディリアニ 人と神話」p58)

このナポリ旅行での教会巡りで、
ティノ・ディ・カマイノの発見が、
彼の彫刻家志望を決定づけた、
というのがジャンヌ・モデリアニの主張。

なるほどねー。


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「ジョヴァンニ・ファットーリ 自画像」(1884)

1902年(十八才)5月フィレンツェで美術学校
「スクオラ・イベテ・ディ・ヌード」に学び、
人体クラスに登録する。

「この学校では、老ファットーリが、
暖房の悪い見すぼらしい建物の中で、
若い人々を自分の周りに集めていた。
その若い人々は、末期マッキアイオリ派の
沈滞した空気を逃れて、大家の教えを
直接受けたいと欲していた人々だった。」
(ジャンヌ・モディリアニ「モディリアニ 人と神話」p58)

これまで習っていた先生の先生に
習い始めたってことだね。


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「藁積み」(1875)

これはファットーリの風景画だね。


1903年(十九才)ヴェネチアで国立美術研究所に入学。

「この学校に入るのに競争試験は不要だった
のである。他方、ヴェネチアにおける
モディリアニの友人たちが今日でも
覚えているように、彼はきちんと
講義に出席することをせず、カフェや
女郎屋でデッサンするのを好んでいたと
いうことは本当である。」
(ジャンヌ・モディリアニ「モディリアニ 人と神話」p58)

当時の友人の証言から、このころ、
「心霊主義とハシシュの快楽」を覚えたとされる。
「麻薬の使用を発見するには
パリまで行くのを要しなかった」
とジャンヌの評伝は伝えている(p65)。

この時期の作品がみつからないことについて、
モディリアニ自身が不満な自作を毀したせいだとする
説が根強くあったようで、ジャンヌは、
「これらの青年期の作品は所有者の不注意や
美術史家の無関心のために失われた」と
異をとなえている(p67)。

そして、
1906年(22才)の1月、モディリアーニは
パリに姿をあらわす。


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「ジャンヌ・モディリアーニ」(50才の頃)

今回は、主に
このジャンヌ・モディリアーニの
「モディリアニ 人と神話」という
著作からの引用が多かったんだけど、
この人はモディリアーニ夫妻の遺児。
両親の死後、モディリアーニ家に引き取られて
祖母(モディリアーニの母)や親族に
接して育ったから、父親の育った
家庭環境をそのまま実感できたし、
それまでにファン・ゴッホの
研究者としても実績のあった彼女は、
モディリアニの研究者として最適の人だった。

「モディリアニ 人と神話」は
母親の日記という当時の新資料を使って、
事実関係を究明したという意味でも
モディリアーニ研究の「基本文献の一つ」
とされる本なんだけど、
面白いのは、いかに作家の「伝説」が
つくられていくか、その心理が分析されている
ところかな。

解説)
今回は、まとめてみて、
モディリアーニの描いた絵を
ひとつも紹介していないのに
気がつきました。
Posted at 21:39 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Sep 24, 2021

通りをみにいく

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レイアはサラに影響されて、
公園にでかけるようだ。
サラは今日は
町の通りを散歩するといっている。


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サラがでかけたのは、
国道16号線の沿道。
ここは米軍基地の至近なので、
異国情緒が味わえる。


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看板が英語表記のお店が多い。


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さりげなく星条旗が
掲げてあったりする。


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駐車場にはプロペラ機が。


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自由の女神だ。


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おもしろいものないかな。


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ウィンドウのデザインも
洒落ていたりする。


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ここは地元では有名なお店。
ピザでも買って帰ろうかな、
とサラは思っている。


解説)
町にはYokota Air Baseがあり、
基地の脇を通る国道沿いには、
米兵とその家族向けの
お店の並んだ通りがあります。
ちょっと気分をかえて、と、
久しぶりに買い物次いでに
立ち寄って撮影してみました。
Posted at 21:46 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 24, 2021

ジョーの話

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照明が変わったので、
喧噪は一時しずまって、
みんなエルマの歓迎の言葉に聞き入っていた。


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隣席にいたドイツ軍の高官たちも、
似たような思いだったらしく、
ジャンたちを穏やかに見つめていた。


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ジャンは、しかたがないので、
立ち上がって、歓迎に感謝します。
と、短く述べて、
さあ、みなさん飲みましょう。
というと、おりよく、
ジュークボックスから音楽が流れ始め、
酒場には喧噪がもどったのだった。


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ちょっと長くなるかもしれないが、
これまでのいきさつを話そう。
といってジョー大尉は話しはじめた。

戦闘中にたまきがいなくなり、
その後、たまきたちに出会った
倉庫のような家に戻ってみたところ、
そこの様子はがらりと変わっていて、
リリスが一人で暮らしていたのだ、
とジョーはいった。


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エルマもまた、あの家でたまきたちに出会い、
のちにドイツ軍が村を占拠したとき、
あらためてたまきたちに尋問するため、
あの家を再訪して、リリスと知り合ったと言った。
あとで村民たちに聞くと、あの家は
村ができる前からある古い建物で、
そこで一人で暮らすリリスは
魔女に違いないという者もいたという。


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やがて村の周辺に怪物が出没するようになり、
停戦が成立して村が共同管理体制になったとき、
リリスは村の空き地だったこの場所に家を建て、
一階を酒場にして時々通ってくるようになった。
兵士や村人の手も借りず、
家や酒場があっというまに建ち上がったことから、
村はずれに住んでいるリリスが
魔女だという村民たちの古い噂が再燃した。


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そんなとき、リリスは、
実は別世界に住むジャンたちの力を借りて、
家や酒場を作ったのだと、
実際にジャンたちに会ってその存在を知っている
ジョーとエルマに打ち明けてくれたのだという。
ジョーもエルマも、どうやらリリスを信頼して、
彼女の言葉を信じ切っているらしいのが、
今回の歓迎ぶりからも窺えるのだった。

やがて、怪物への恐怖や不安が蔓延するにつれ、
魔女でもなんでも、あっという間に家を
立ててしまえるような不思議な力をもつ者がいて、
怪物から村を守ってくれるかもしれない。
という願望がしだいに村人の間に拡がっていき、
今ではリリスへの畏敬の念は兵士や村民たちに
共通するものになっているのだという。


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ジョーの話が一段落して気がつくと、
ジュークボックスからは、
いつしか気怠いバラードが流れていた。


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さらにひとしきり話がはずんで、時が流れ、
エトナは外の空気を吸ってみたいと言って、
席をたった。

エルマって、
ジルのアルバムでみたとおりのひとだった。
エルマのフィギアとはあまり似てないのに、
あの写真どうやって撮影したのかしら、
と、エトナはふと思った。


解説)
今回はジョーの話、というか、
その内容は、
リリスと彼ら住人たちとの関係を
ざっくりと明かすものでした。
こういう話をはじめると、
なかなかエピソードが進展しませんが、
そこはそれで。

酒場のカウンターのうえの3つのランタンは、
どれもガチャポンでゲットしたもので、
複数並べるとそれなりに豪華だなあと。
またジュークボックスは
以前ホビーオフでみつけた電池式のもので、
オンにすると、照明がつき、
ラジオが聞けるようになっています。
これでFMで音楽を流しながら
撮影作業をしていたのでした。
Posted at 21:41 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Jul 24, 2021

写真展の日の朝

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ナオミはペンギンの壁に
写真展のポスターを貼っている。
それ、いつからなの。
今日から。ドルフィンの二階で、
もうやってるよ。
ふーん、あとでみにいこう。


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ベーカリーの前に
シオンとキサラが郊外から到着した。


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今日は、ビストロは臨時休業。
オーナーのアルもすでに来ていて、
ベーカリーで朝食を食べている。


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ドルフィンの入り口には
写真展の案内看板が置かれていた。


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ここの二階が会場みたいね。
写真展なのに、このポスター、
Diorama展としか書いてないのね。
日付も場所も書いてなくて、
よっぽど急いでつくったのかしら。
とサラがいっている。
サラのバッグにはトカゲが入っているようだ。


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会場は洋間の壁にパネルを立ててつくられ、
展示写真用のスペースを増やすために、
簡単な間仕切りもつくられていた。


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手前のコーナーのソファには
大判の写真アルバムが置かれていて、
展示しきれなかった作品が
閲覧できるようになっている。


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奥のコーナーでは
夏木さんとジャンが、
午後からの
映写会の打ち合わせをしている。
タイトルは「ある村のはなし」
だね。


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そうこうするうちに
来場者もぼちぼち
増え始めた。
夏木さんはシオンから、
イベント企画久しぶりですねー、
といわれている。

解説)

ようやく写真展が開催できました。
あらためてジオラマの画像を撮影して、
プリントアウトしてパネルにする
という作業の手間がネックになっていましたが、
30年近く前の写真プリントを
ピンでとめることを思いついて(^_^)、
一気に作業が進展したのでした。
Posted at 22:07 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Jun 24, 2021

モモコと自転車

c1

ところでモモコ。
郊外に森林公園が開園したって知ってた?
ブランコや遊具もあって、
人工の滝が見所なんだって。
行ってみない?
すごく行ってみたいけど、
遠いんでしょう。


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ドルフィンの倉庫にある自転車借りればいいよ。
今私が乗ってるクロスバイクも借り物だし。

この町には自転車の数自体が少ないので、
みんな必要な時はドルフィンの倉庫から
借りて乗っているのだった。


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二人は精算をすませて、
ベーカリーのすぐ隣のドルフィンに行った。
レイアは、こういうのあります?
といって、ハンドルを握る仕種をしている。

リカちゃん自転車と旧式の自転車があるけど、
どっちにしますか?
とドルフィンのスタッフはいった。


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旧式のドイツ製自転車にしてもらい、
公園まで遊びに行きたいので、と言うと、
マスターが買い物籠を取り付けてくれた。

モモコはさっそく願い事がかなった気がして
おーわんだふる、とよろこんでいる。


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ベーカリーでバケットとカメロンパンと、
ワインを買って、いざ出発。


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古い自転車だけど、整備大丈夫だよね。
ライトがとれてますけど、大丈夫です。
レイアも一緒みたいだし。
などとドルフィンの面々が見送っている。


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郊外の道を。


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走る走る。


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もうすぐ公園だ。


解説)
今回の自転車は、
「自転車にのって」(2007年4月22日)が初登場。
ドラゴン社製で、第二次大戦時に
ドイツ軍が使った軍用自転車ということで、
あまり使う機会がなかったのですが、
今回は、この自転車に、プチサンプルの
「スーパーでおかいもの」(2006年6月発売)の
「9.レジでちょっと~」の買い物籠をつけて、
ママチャリ風にしてみたのでした。
Posted at 21:41 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

May 24, 2021

ベーカリーの変貌

a1

今日は月曜日なので、
ペンギンはブルマンデー。


a2

あ翠さん、この席いいですか。
うん。さっきまでいた人、
新発売のキムチパンの話をしたら、
すぐ買いに行くって行っちゃった。
え!じゃわたしも。


a3

レイアは急いでベーカリー前に
やってきた。


c5

黒板に告知されている。
店の前の様子がいつもと違うようだ。


b3

なんと大きな庇がつけられて、
テーブル席がつくられている。


c4

道路が拡張されたせいで、
お店の前にスペースができて、
ちょうどフレイムが
レストラン風にしたいって言い出して。
ちょうど雨の季節に入るまえに、
庇も完成して良かったね。
うん。タイミングだね。
うんうん。全てはタイミングだね。
そういえば、
この世でいちばん肝心なのは
すてきなタイミング♪
って、歌詞の歌があったね。
それは60年前の歌だね。
などと話している。


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話しているうちに、
お客さんもやってきた。


b6

キムチパン注文したっけ?
なんか辛そうで。
わたしはバケットでいいわ。

その頭どうしたの?
こういうの被ってみたかったので。
などと、
いろいろな会話が弾んでいる。


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アイスはどうぶつパンが
好きなのね。
うん、とくにこのカメぱん。


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ワインの搬入を手伝っていたドルフィンのスタッフと、
ニッキーが立ち話をしている。

ワインもだすんだ。
シェフのフレイムが、以前やってた
無国籍料理店みたいにしたいって、
いってたから、そのうち、
料理もメニューに入ると思うよ。
ワインは、キムチパンにあうかも。
試してみて(^_^)。


解説)
井戸のあった屋外スペースを以前の風景にもどして、
ベーカリーを簡易食堂風に改装しました。
今回新たにつくった小物といえば、
ペンギンとベーカリーに置いた、ちいさな黒板。
こういう黒板は以前工作したことがあるのですが、
十数年を経て、捜せどみつからないもののひとつ。
先日ダイソーで物色したところ、
ブラックボードステッカーなる商品をみつけました。
これはスチロールボードや板きれに貼るだけで、
そのままチョークで文字がかける黒板になるシート。
工作も簡単なので、
小さな黒板をほしい人にお勧めです(^_^)。
Posted at 21:55 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Apr 24, 2021

サラとSkypeと肉まん

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わたしの名前はサラ。
サラサラのサラよ。


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なんかひまなので、
パソコンでも。


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Skypeでたまきとおしゃべりしよう。


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連絡がとれたようだ。


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あ、ナオミもいるのね。
この前はお土産のアイス最中と、
赤いおべべ饅頭ありがとう。
みんな元気かな。


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みんな元気で本読んでるよ。
とたまきは言った。


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そのとき隣室からジェットが、
買いすぎたので、と言いながら、
おすそわけの肉まんをもって、
やってきた。

あ、来客みたいなので、
また連絡するね。


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うん、じゃまたね。

たまきはちらっと
肉まんがみえたので、
急に食べたくなった。


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ひねってあるのが肉まんだよ。
と言っている。


解説)
今回は、
これまで名前のなかったフィギアに、
サラという名前をつけました。
「サラサラのサラよ」
という言葉は、
タイトルは忘れましたが、
はるか昔に読んだ
大島弓子の漫画の中の
主人公のセリフでした。
いつかそれを使いたかった(^^;)。

Skypeの真似もやってみたかったことです。
途中で4人位参加した分割画像も
面白いかなとも思ったのですが、
すごく長くなりそうなわりに、ますます、
ストーリー性にかけるのが予想され(^^;)、
今回は一応最初の思いつきのままに。
Posted at 22:47 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Mar 24, 2021

今時のスタンドライト

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明かりが新しくなったね。


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明るいと、カツ丼も美味しそうに見える。


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ダイエット中なので、
ご飯をとりわけている。


解説)

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ダイソーで購入した卓上ライト。
グリーンオーナメント社の,
「スタンドライト USB/乾電池 両用」という、
そのままの製品名。
これで330円(税込み)と言う安さに驚いた。
明るさが3段階切り替えられる他、名前通り、
二電源タイプで、乾電池の他、USB接続もできる。
接続用コードも付属しているのだが、
この長さが、48センチ。


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私の環境だと、パソコンから分配器を経由して繋ぐと、
ぎりぎり、撮影セットの冷蔵庫の上に置ける距離なのだった。


l3

ぎりぎりセーフでしたが、
こんなかんじです(^^;)。
Posted at 23:11 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Feb 24, 2021

ガジュマルのある風景

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ガジュマルの鉢を移動して、
カバーをかぶせて屋外風景セットに利用する。


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さらに植え込みらしきものを周囲に配置して完成。


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隣に外観だけの家屋をひとつ設置する。
この窓とドアのついたボードは何度も使っているもので、
今回、壁面に模様入りのマスキングテープを貼り直した。


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ガジュマルの左手のスペースは、すこし広くなっている。
小さな階段を、今回制作した。
スチレンボードで形をつくり、グレイのアクリルでで着色。


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家屋の右手は、
そのままドルフィン工房の正面に面している。


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情景セットの全体。
背景は南向きの窓ガラス(^^;)。


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ここでフィギアが散歩したり


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花に水をやったりするのだった。



ガジュマルの鉢植えを生かした情景セットを
作ろうという思いつき。
広いスペースを作ると、何か出来事をおこしたくなるので、
ついついフィギアたちが群衆と化して、
踊ったりしたカオスの記憶がよみがえるのだった。
Posted at 22:21 in n/a | WriteBacks (0) | Edit
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