Feb 19, 2008
「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)
古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。
よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。
「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。
アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。
『哀しい予感』は父と母が死んだあとの物語だったが、『アルゼンチンババア』は母が死んだあとの物語だ。よしもとばななはこういう話を書きつづけているひとなんだろうか。読みすすめていると、どちらの小説からも甘いような胸の痛みが立ちのぼってくる。「終わったあとの話」だからだ。
よしもとばななの魅力は文体にあると思う。詩をかんじさせる文体だ。『アルゼンチンババア』にはあたたかいものが流れている。文体が、『哀しい予感』のときよりも切れと厚みがある。
父が住みこんでしまったアルゼンチンババアの住むアルゼンチンビルは異様な建物で、街から浮きあがってしまう廃屋のようなところなのだ。庭には「古代のソテツみたいなもの」、「柿の木」、「枯れたセイタカアワダチソウ」、「木みたいに幹が太くなったアロエ」などが植えられ、「バラ」も咲いていて、読んでいると色あざやかな童話の絵本をひらいていくような気になる。この境界を越えるとちがう世界にはいっていくのだ。
父は母が死んだあとの時間をこのアルゼンチンビルですごし、よみがえってくる力をもらっているようだ。「みつこ」も別世界のようなこの場所で、アルゼンチンババアと父と三人ですごす時間をもつうちに、母が死んだことの痛みをしっかりと感じとれるようになる。痛みをしっかりと感じることができるのなら、それが一番いいことなのだ。そうすることによって忘れることができ、次にすすむことができる。
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