Dec 31, 2006
Dec 26, 2006
「店の名がわからない」
樋口えみこさんの「ぺんてか」の「12月の作者紹介」に北爪満喜、田辺弓、大木勝弥、早瀬ミキオらと共に、とりあげられていて、ぼくは「店の名がわからない」という詩を書いています。力のはいった、ていねいな特集です。樋口えみこさん、ありがとうございました。
Dec 24, 2006
Dec 16, 2006
須永紀子の朗読
12月13日の夜、六本木にあるストライプハウスギャラリーに須永紀子さんの朗読を聴きに行った。18:30開場、19:00スタート。巡回朗読会と名打たれており、場所も代えながら多くの詩人が1日に1人という形で朗読をするらしく、この夜は須永さん。あとの予定者には高橋睦郎、白石かずこといった人たちが名を連ねていた。
司会者の「須永さんは、今日ひとりで1時間、この空間と時間を引き受けるのです!こういうことは須永さん初めてのことです!云々」の聴きに来たぼくたちも緊張するような前振りどうり、からだをビリビリさせている須永さんが出てきた。1人でやる朗読会、入場料は当日で2800円と安くない。集まった者は10人くらいだけど背負うものは大きい。
須永紀子という詩人がぼくにとって特別なものとなったのは、1995年に出た須永さんの詩集「何かひとつ新しいこと」(雨期編集部)を読んでからだ。この詩集はぼくにとってこの年のベストワンの詩集で、それから何年間かは須永さんの書いたもの、詩、散文をすべて読んだ。そのあとも発表された詩は必ず読んできた詩人で、ときに「ちがう」と思うこともあったが、詩の世界では自分とかなり近い人だと思ってきた。
しかし今年でた詩集「中空前夜」(書肆山田)の後の須永さんの書く詩に、詩との関係の仕方がぼくとはかなり違ってきているという思いを持った。この方向に行くんだなと思った。須永さんの最新の詩である「部分」32号に書いた「孤島」を読み、「別れはちかい」と思ったぼくは、この朗読会に行くことを「別れのあいさつ」に代えようと思った。ぼくにとって許せない方向だったからだ。
須永紀子という人は不器用なところのあるひとで、人前で話すことが向いている資質ではない。その須永さんがテーブルにペットボトル、何冊かの詩集、資料を置いて、緊張は伝わってくるが、落ち着いているといっていい態度で朗読し、しゃべる。充分に「しゃべり」になっている。「ああ、須永さんは新しい一歩を踏み出そうとしているんだな」と思った。この思いは最後までつづいた。照度の高い画廊の中で、須永さんの「1時間」が終わったとき、「別れのあいさつ」をしようという思いが消えていた。
「しゃべり」と朗読のあいだに「段差」がないこと、朗読はゆっくりとやさしすぎ、ぼくの好みでは、須永さんが朗読を始めたころの緊張でぴりぴりしていた朗読の方が好きであること、などあったが、あとは場数を踏んでいけばいいだけだと思う。
朗読会のあと、須永さんと山岸光人さんと3人で、駅にちかい喫茶店でコーヒーを飲むことになった。空腹を感じていたぼくはカルボナーラも注文した。詩を書いている人と、詩のみのおしゃべりをするのは久しぶりで楽しかった。話しているうちに「人それぞれの道ということでいいのかもしれない」という気持ちになったのだ。
Dec 10, 2006
「百事大吉」と「片側通行」
金井雄二の個人詩誌「独合点」87号を読む。今年5回目の発行とのこと。がんばるなあ。ゲストは金井裕美子。金井裕美子さんは隔月刊で出している高崎現代詩の会の会誌「Scramble」の編集者であり、やはり隔月刊の詩誌で、今年5月の時点で133号まで出している「東国」の会員であり、また詩と評論の誌である「Direction」の同人であり、ほかに青木幹枝との共同編集・発行で手作り新聞「青金新聞」を出している。主婦で、働いてもいるはずだから、すごい。このエネルギーはなんだ。
数年前に「百事大吉」と大書きした年賀状をくれて、ぼくには守り札のように思えて、部屋の壁に今も貼ってある。
金井裕美子さんの書いた詩のなかで、ぼくの好きな詩である「片側通行」を全行引用で紹介したい。いい詩です。この詩は群馬県文学賞を受賞している。
片側通行 金井裕美子
白と赤の旗を握りしめたまま
老いた男が叱られている
いくども頭を下げて
あやまって うなだれて
若くたくましい日に焼けた作業員の
荒らげた声をあびている
拡張工事中の道路わき
通行を止められたかたわらを
いく台もの車が通り抜けていく
叱られる理由(わけ)は
エアコンの送風音にまぎれてしまって
聞こえてはこないけれど
汗を拭うふりをして
上着のそでで巧みにぬぐった
言いようのなさはつつぬけだ
見ているのを
気づかれたらいけない思いがして
湿ったくろい盛土に目を逸らしたのだ
男たちの足元には
ねこじゃらしがゆれている
いつまでも止ってなんていられない
切りかわったばかりの青緑(あお)い三〇秒
ゆるされないかたわらで
やれることといったら
アクセルを踏みこむぐらいのことだ
*( )はルビです
Dec 07, 2006
Dec 06, 2006
仕事
今日は仕事関係の用事で都心に行った。朝、久しぶりに通勤ラッシュを経験した。混んでたなあ。そして予想していたよりも電車の進行に時間がかかって、冷や汗をかいた。朝の通勤時間帯はそうなんだよなあ。しっかり頭に入っていなかった。しかしなんとか間に合った。Dec 03, 2006
友人の一周忌
今日は去年亡くなった友人の一周忌。去年は、母の死顔を見て、数ヶ月後に友人の死顔を見ることになり、辛かった。友人が住み、今は息子さんが住んでいる家に故人ゆかりの人たちが集まった。 焼香のみのシンプルな形。息子さんの作った豚汁などをいただく。なごやかなくつろいだ時間を過ごす。
合掌。Aちゃん。安らかにお眠りください。
Nov 30, 2006
しぶとい風邪
風邪がなかなかぬけない。熱はなくなったと思うのだが、せきと痰がよく出る。就寝中のせきがつらい。食事はしっかりと取り、水をときどき、少しずつ飲むなど、いろいろできるかぎりの養生はしているのだが。Nov 26, 2006
冬
朝と夜は寒くなってきた。せきは相変わらずでるが、熱はなくなったようだ。あと少しというところ。
三井喬子さんの個人詩誌「部分」32号を読む。須永紀子さんが詩「孤島」を寄稿している。
変わろうとしている。変わろうとしているのがよく分かる。須永さんの詩を長く読んできた。知的上昇を相対化することを忘れないで欲しいと強く思う。これは<詩>にたいしての思いというよりも<人>にたいしての思いですね。須永さんの詩は<人>をくぐって出てくる。須永さんのなかにその意識があれば、思いがあれば、詩は知的修辞や技術へ舞いあがることを、中心にもつことを抑えると思う。
ひさしぶりに観たいという衝動をもった芝居があって、10:00から電話をして、つながらず、10数回目、15:40分ころ、これを最後にしようと思ってかけたのがつながって、チケットが手にはいりそうだ。これだけ苦労すると達成感があります。よかった。よかった。
Nov 23, 2006
Nov 16, 2006
「ただいま」
芦田みゆき、川口晴美、北爪満喜、杉澤加奈子、みずたさやこ、森ミキエのメンバーがペッパーズギャラリーで行っている展示、『「ただいま」~もうすぐ詩がはじまる』を見に行く。コンクリートの打ちっぱなしの小さなスペースにすっきりしたセンスのいい展示だった。この期間のギャラリーの全体の展示名は「ペッパーズ図書室」。他に個人で5人が参加している。
見終わったあと、少し散歩したが、暮れかかる街に歌舞伎座が浮かび上がっていた。
Nov 12, 2006
晴れ
晴れ。青いが雲がみえる。今までとはちがう空だ。宇梶剛士の「転んだら、どう起きる?」(大和書房)読み終わる。
きざみつけたいコトバあり。カバーを取って本棚にいれる。
喫茶店でカフェオレを飲みながら、藤沢周平の「冤罪」(新潮文庫)を読む。
そろそろ寒くなってきた。
Nov 08, 2006
秋晴れ
秋晴れ。まだ冬は来ない。喫茶店でカフェオレを飲みながら、藤沢周平の「冤罪」(新潮文庫)を読む。
「冤罪」(えんざい)は短編小説集で、第1篇目の「証拠人」は満足させてくれたが、3編目、4編目、5編目の初めにきたところで、藤沢周平の小説集としては、あまりいい出来ではないなと思ったが、それはそれとして、喫茶店でゆったりした時間をつくるために読む本としては、藤沢周平の小説以上のものはない。
文房具屋でプリンタ用のインクを買って帰る。
Nov 05, 2006
Nov 03, 2006
Oct 29, 2006
Oct 26, 2006
恋愛詩の名編
詩を書いているひとたちの中で、ぼくがいちばん天才的なものを感じているのが福島敦子さん。その福島さんが書いた恋愛詩の名編、「せいたかあわだちそう」。何回読んでも胸がキュンとなる。いくつかのインターネットの日記を愛読しているけれど、福島さんの日記もそのひとつ。福島さんの「日記の書き方」に影響を受けている。
リラックス
昨日の夜は、国立の「No Trunks」で早坂紗知+永田利樹+コスマス・カッツァのライブを聴く。吉祥寺の「サムタイム」で聴いたときよりずっとよかった。(特に1部が)。
「サムタイム」で聴いたときはプロの音だと思ったが、それ以上のものは感じなかった。
友人の相談事に応対しているうちにすっかり気が重くなってしまい、それがまだ抜けていなかったが、リラックスすることができた。
Oct 24, 2006
Oct 22, 2006
Oct 19, 2006
送信メールのトラブル
送信メールがトラブルを起こしていました。送信できたメールもあって、気づくのがおくれました。9月18日からだと思いますが、はっきりしません。礼を欠くこともあったと思いますが、以上のような理由でした。お許しください。
Oct 15, 2006
Oct 09, 2006
『透明人間』
昨日の夜、唐組の『透明人間』を観に行った。場所は井の頭公園の木もれ日原っぱ。すぐ横に三鷹の森ジブリ美術館がある。
当日券を買い、番号札をもらったあと、開場まで時間があるので歩いてみる。井の頭公園は思い出のある場所。森だね。
『透明人間』。例によって話のすじはよくたどれないが、めまぐるしい展開が楽しい。にぎやか。そして最後は少し胸に残る。
Oct 05, 2006
Oct 01, 2006
Sep 27, 2006
雨のち晴れ
朝、雨が降っていたが午後から晴れる。藤沢周平の「霜の朝」(新潮文庫)を読みながら、喫茶店でカフェオレを飲む。
部屋に戻って、中断していた宇梶剛士の「転んだら、どう起きる?」(大和書房)を読みすすめる。なるほどと思うところあり、心の実用書という感じ。
Sep 22, 2006
ゆったり
詩集の感想のハガキを近くの郵便ポストまで出しに行く。ポストの前のベンチで一服する。
空を見上げる。
そのときこんなにゆったりした気持ちになったのは久しぶりだと気づく。
長い長いあいだこんな気持ちにならなかった。
Sep 19, 2006
Sep 17, 2006
「ヒトラーの映画を観た」
「ヒトラーの映画を観た」という映画評を「エッセイ・批評」のなかに掲載しました。これは2001年の5月に発行した同人誌「Zwar」(ツヴァール)1号に書いたものです。
同人に須永紀子、駿河昌樹、関富士子、布村の4人。表紙デザインを桐田真輔さんにお願いするという形でスタートしましたが、1号で終わりました。
ぼくが観たのはアレクサンドル・ソクーロフの「モレク神」という映画で、8月から公開されて話題になっている「太陽」の監督です。「モレク神」ではヒトラーを取り上げて作っています。
Sep 09, 2006
Sep 03, 2006
Aug 30, 2006
整体メモ2
感じるだけではもうだめだ。やっていけない。足りないのだ。
考えることを加えることが必要だ。
考えて、選択するということが人生の醍醐味ともいえる。
そうすることではじめて生活を楽しむことが可能になるのだ。
Aug 27, 2006
文字化け・フォントキャッシュの破損と修復
「ノート」の本文が□の記号に変わったり、右上にあるボタンが数字になったりで、清水さんに問い合わせるがウイルスではないだろうということで、エンコードの選択をいろいろ変えてみるが直らない。検索して調べてttfCache/フォントキャッシュのファイルが破損していることが原因らしいことが分かり、このファイルを削除すれば自動的に修復するということなので、削除を繰り返すが直らない。
削除できない場合Safeモードで起動をかければ修復するとあるので、試みてようやく直ったところです。これとこれが参考になりました。
Aug 25, 2006
「ユナイテッド93」
「ユナイテッド93」(ポール・グリーングラス監督)。すごいもの観ちゃったなという感じ。9.11同時多発テロでハイジャックされた飛行機のひとつが「ユナイテッド93」=ユナイテッド航空の93便。事実にそって作ろうとしている映画。多分、ほぼこのとおりなのだろうと思う。
4人のアラブ系とおぼしき男たちにユナイテッド93便がハイジャックされる。乗客たちは何がなんだか分からず混乱するが、機内電話や携帯電話で家族と連絡をとるうちに、世界貿易センタービルや国防総省の建物に旅客機が突っ込んだことを知る。ユナイテッド93も同じ運命をたどろうとしていると判断した乗客たちは、自分たちの中に元パイロットと管制塔勤務の経験のある者がいることを確認し、操縦室や通路にいるハイジャック犯と戦おうとする。乗客の約半数がこの戦いに加わり、あと一歩のところで飛行機をハイジャック犯から奪い返すところまでいくが、操縦桿を犯人と奪い合う内にユナイテッド93は地上に激突してしまう。
日常に、非日常の論理と感情で入りこみ、多くの人を殺そうとしているのに、そのことが体験の外側にあるような犯人たちはひんぱんに神に祈りを捧げるが、いったい何の神だろうと思った。
最初から観客の感情をひっぱろうとする映画音楽以外に違和感を持たなかった。現実に起こったことの中身を知るような気持ちで、手に汗握って映画を観た。お薦めの一本です。
Aug 23, 2006
「紙屋悦子の青春」
黒木和雄監督の「紙屋悦子の青春」を観た。「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」よりもいい。静謐な映画だった。1988年の「TOMORROW/明日」よりあとでは一番の出来だと思う。
黒木和雄の最後の映画が想像していたよりもよい映画でしあわせだった。映画館のそこここで鼻をすすりあげる音が響いていたが、ぼくもこれでもう新作は観れないのだと思うとしんみりした。
Aug 19, 2006
Aug 17, 2006
Aug 13, 2006
日曜日
昨日の夜、NHK・教育テレビの<「戦争へのまなざし」映画作家 黒木和雄>を観た。黒木和雄のいろいろな表情を見ることができた。いろいろな思いをもった。とにかく遺作となった「紙屋悦子の青春」を観に行くことにしよう。
Aug 09, 2006
台風
台風の影響で朝から雨が降る。風がよく通って室温は30度を越えなかった。午後1時すぎから晴れそうな空になった。藤沢周平の「一茶」(文春文庫)読み終わる。
藤沢周平の小説を読んできて、初めて救いのない、癒しのない小説に出会った。「痩蛙まけるな一茶是にあり」で知られる俳人小林一茶を主人公にした物語で、江戸時代に俳句で身をたてようと思った者のそうとう暗い生涯が描かれる。
江戸時代、俳句で食べられる者は、弟子を極めて数多く作った者に限られていて、一茶はそうではなかった。一茶がどうやって「食べた」かといえば、「江戸の俳人」の看板で、地方の、俳句に関心を持つある程度の財産を持った者の所を訪ね歩き、何泊かの飯をいただき、運がよければ路銀を包んでもらえる、という旅をして食いつないでいく。そして何年かの寄食の旅をつづけた後、江戸に帰る。これを繰り返している。
食べられれば御の字という江戸時代であっても、愉快な飯の食い方じゃないし、年をとり、身体が衰えると行き倒れになったりする。こういう食べ方を一茶より先に「開発」した露光は誰にもみとられず死んでしまう。もちろんこんな暮らしをつづけても金は貯まらない。
一茶のやむをえないとはいえ、執着心の強さが最後まで書かれていて、癒しにはならないのだが、藤沢周平が何でこういう物語を書いたかといえば、やはり自分が小説を書いて、食べていた人間だからだろうと思う。現実を書きたかったんだろうな。
Aug 03, 2006
「弁慶のカーテンコール」
松本幸四郎の「弁慶のカーテンコール」(知恵の森文庫・光文社)、読み終わる。ほとんどを喫茶店で読んだ。ぼくにゆっくりとした時間をくれた本。
「とにかく信じ込んでそれを基礎にしてしまう力」というものが松本幸四郎の力なのだと思った。役者の筋肉、骨格がこの走法をつりあげ支えている。
印象に残った言葉は、
「舞台俳優は舞台の上が生きる場所ですから、舞台を降りたらもう抜け殻です。舞台の上でだ
け生きている人種が『俳優』だと思います。」
「しかし、僕は役者であるから、考える以上に肉体を使って舞台でこれを表現するしかな
い。」
「声が掛かれば、地方の公会堂やコンサートホールでも、僕は弁慶を演じる。」
Jul 30, 2006
Jul 27, 2006
「夏が過ぎるまで」
愛敬浩一の詩集「夏が過ぎるまで」(砂子屋書房)を読む。一度読み、もう一度読んでみた。
基本的に日常のスケッチを書こうという態度をとる。日々の出来事、自分の行動を切り取って書き進める。
簡潔でくっきりとした、よく削られている言葉。日常のひとコマが切り取られると心も一緒に浮かび上がってくる。よく削られているが字間のあいだが急いでいない詩の言葉。
「いつもの四つ角」「鹿の声」「断片 2」がお勧めです。
そのなかのひとつで、よく削られている言葉というこの詩集の特徴とは少しちがってくるが、散文形の「いつもの四つ角」を全行引用で紹介してみたい。佳作です。
いつもの四つ角 愛敬浩一
詩なんていつでもいくらでも書いてみせるすべては通勤の朝の道疲れ果てた帰
り道に転がっているそこから拾ってくるだけのことだただできれば昼間の最も
集中できる時間帯の二時間がほしい静かな部屋やや大きめの机があり禁煙では
なく飲み物付きで椅子はもちろん固めでできれば学校でよく使われている木製
のものがいい飛行機なんか飛んでいる様子が見えたりしたらなおいい大きな窓
じゃなけりゃいけないもっともあまりまぶしい席はいやだ暑い日はだめだな雪
をみながら書くのもいいかもしれないいやいややっぱり秋がいい過去の日のあ
れこれが思い出されて記憶が落ち葉のように窓の外を舞っているそこには詩が
あるはずだだが時間がない今日もいつもの四つ角の信号でつかまり左側の歩道
にはいつもの長身の中年男が歩いてくる彼と私はほぼ毎日すれ違うのだがつい
に出会うことはない
Jul 20, 2006
気温の低い日
夏にしては気温の低い日だった。「座頭市果たし状」をビデオで観る。1968年の映画。監督:安田公義。出演:勝新太郎、野川由美子、三木本賀代、待田京介。
美術は見事だし楽しんだが、勝新太郎の座頭市の技が超人的にすぎる。やはりビデオで観たシリーズ第1作の「座頭市物語」とはだいぶ趣きがちがう。スター勝新太郎の映画ということなんだろう。
Jul 13, 2006
木曜日
鈴木祥子の「Shoko Suzuki Best Collection」を聴く。繰り返し聴くことに耐えられるアルバム。正山千夏さんのウェブサイトから、このひとのウェブサイトに行って、愛についていい文章を書くひとがいるんだなあと驚いて、探し回ってみつけた1枚。
Jul 06, 2006
Jun 29, 2006
「或る夜の出来事」
「或る夜の出来事」をビデオで観る。監督フランク・キャプラ、脚本ロバート・リスキン。父親のもとから逃げ出した令嬢にクローデット・コルベール。彼女の乗りこんだバスで偶然知り合うことになる新聞記者にクラーク・ゲーブル。
よく出来ている。面白い。1934年の映画だけどテンポがいいし、コルベールとゲーブルの掛け合いが楽しくて、脚本は誰だろうと思った。
クローデット・コルベールがふたりの道中の最後の夜にクラーク・ゲーブルに求愛し、それにクラーク・ゲーブルが即座に応じないところからもたつくけれど、それまでは快調で楽しめる。
Jun 27, 2006
Jun 24, 2006
詩朗読ライブ
今日は仕事でした。詩の朗読の知らせをもらったので紹介します。
7月9日(日)午後4時
音楽茶屋 奏 (JR中央線・国立駅南口から徒歩5分)で
財部鳥子+FARM(福間健二・新井豊美・水島英己)
★イリンバ演奏 金山麻美
の詩の朗読を行います。
料金=出演者へのカンパ+オーダー
開店は午後3時半とのことです。
Jun 21, 2006
Jun 14, 2006
ライブに行く
昨日の夜、吉祥寺の「サムタイム」に早坂紗知+永田利樹+新澤健一郎+コスマス・カピッツァ=ミンガのライブを聴きに行く。とにかくストレス解消をしようと思って行ったのだけど、いい気持ちになりました。
Jun 08, 2006
「セロ弾きのゴーシュ」
いろいろ用事を済ませているうちに、午後3時になり、よく行く喫茶店でおいしいココアをいれてもらう。そのあと西荻窪の「かもめブックス」でやっているむかい晶子さんの「タコの絵の展覧会」を見にいく。今回も新作の「タコの絵本」があり、見ているうちに何故こんなにタコにこだわるのか聞いてみたくなるが、むかいさんは不在。感じのよい店主が「海のそばでむかいさんは育ったからではないでしょうかぁ~」と言う。ぼくがときどきタコを食べたくなるのも海のそばで育ったせいだろうか。
小さな店内を見ているうちに宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」をみつける。(画/小林敏也・パロル舎)。ぼくは「風の又三郎」が大好きで、「セロ弾きのゴーシュ」もいつか読んでみたいと思っていたので買う。むかいさんのポストカードを3枚買う。ポストカードのうちカエルが空を見上げている絵はお気に入りで、この絵には以前「井の中の蛙 大海を知らず されど青空を知る」というコトバとともにむかいさんのホームページに載っていた。感じのよいお店でした。
Jun 04, 2006
May 27, 2006
May 21, 2006
松本幸四郎
きのうの夜はテレビの「スマステ5」で松本幸四郎のしゃべりを聞くというか見る。長い話を的確にわかりやすく話す。役者であるということを選択したひとという印象をあらためて持つ。
陰影深い資質のひとだと思うが、役者であるということがこのひとの生に秩序をもたらしているのだと思う。
本棚に「幸四郎の見果てぬ夢」松本幸四郎/水落潔(毎日新聞社)という本があって、これはお気に入りの一冊です。
May 20, 2006
May 13, 2006
May 06, 2006
「青い影 緑の光」
北爪満喜の詩集「青い影 緑の光」(ふらんす堂)を読む。北爪満喜の特徴である書かれたものが動いているような不安定な文体。この詩集でもそうだ。
「青い影 緑の光」は「日々持ち歩いているデジタルカメラで撮った写真を起点にして書いた」と『あとがき』で説明されている。自分で撮った写真に触発されて詩を書いたのだという。あるいはそういうふうに詩を書きたかったのだという。
散文詩集といっていいと思う。支えがないまま歩いているような詩が26編。ほとんどの詩が見開きの2ページに収められている。
やわらかい海のような詩がある。重苦しい詩がある。一回性のことばの詩と練られたことばの詩がある。ひざから下はしっかりと地を踏んでいて、ひざから上が揺れ動いているような書き方だと思ったりする。
日々デジタルカメラを持ち歩いて撮る、という行為は北爪満喜の暮らしの中でどういう時間なのだろう。何故北爪満喜はそういうことを始めたのだろう。
「片手に持ったカメラの液晶画面にはさまざまな外が映って、手を動かすと手とともに液晶のなかで映像が揺れ、まるで光の水がカメラの中へ流れ込んでいるようだった。どこへ行くにも小さくて軽いデジタルカメラを持ち歩き、歩きながら、気持ちが揺れると撮っていった。そして家に帰って、夜、その日撮った映像をパソコンへ取り入れて、日付毎のファイルに整理するのだ。パソコンの画面に映像が現れると、私はなんだか光の水をカメラからパソコンへ注いで移し替えているような気持ちがした。」
『あとがき』から引用
「詩」が胎内で揺れている映像を見ているような気になるが、これは北爪満喜と「外」との関係のことなんだろう。
デジタルカメラを持って外を歩くことによって、今までとはちがう散歩ができるようになった。出会ったものをカメラに収めていくことによって、今までよりもっと余裕をもちながら、外にあるものと接することができるようになった、ということだと思う。
「青い影 緑の光」はその前の詩集「ARROWHOTEL」とおなじように北爪満喜という詩人の体質を強く感じさせる詩集である。北爪満喜という詩人の体質とは「思い」と「言葉」の接触面が狭い、少ないということだ。このことがこのひとの詩の速度を生み出す。
「青い影 緑の光」で北爪満喜は外を一周してきたように新しく吐く息を自分の資質のなかに通してみせた一冊、ということになるんだろうと思う。
Apr 29, 2006
青いレンズ
青いレンズで見るような朝の空をみたいと思ったが、灰色の空だった。朝食はカレーライス。
友人夫妻がローリング・ストーンズの3月24日の東京ドームの公演に行って、そのときのパンフレットを送ってくれた。
ライブの様子を手紙に書いてくれている。おれも行きたかった。
Apr 23, 2006
Apr 16, 2006
黒木和雄さん
ニュースで黒木和雄さんが亡くなられたことを知って驚く。「竜馬暗殺」は強烈だった。魅力的だった。「祭りの準備」「TOMORROW/明日」もよかった。
国立の公民館で「竜馬暗殺」の上映をしたとき、上映スタッフと一緒にお会いして話しを聞いたことがある。
ぼくの大好きだったヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」のことを持ち出したが、どちらかといえば辛い評価で、映画監督のなかでは黒澤明を高く評価していたように記憶している。
失業中のぼくに、「どうしている」と電話をくれたことがある。優しい人だった。
試写会に行ったとき、ぼくのようなものでも声をかけていい雰囲気があったが、どうしても声をかけることができなかった。
黒木さん、新作の「紙屋悦子の青春」が、すでにでき上がっているようですから、それを観にいくことにします。
Apr 08, 2006
Apr 02, 2006
夜桜
昨日の夜は友人たちと夜桜を楽しむ。帰ってきたら夜中の2時ちかくだった。3月の31日にミュージシャンの早坂紗知が国立のジャズの店 NO TRUNKSでライブをやっていたことを知る。このひとの日記をぼくは愛読していて、分かっていたら聴きに行っただろう。残念。
Apr 01, 2006
ひらがなの使い方
藤沢周平の「橋ものがたり」(新潮文庫)と角田光代の「おやすみ、こわい夢を見ないように」(新潮社)を読んでいて気づいたことは意外に読点(、)が多いこと。しかしスムースなこと。そしてあえて「ひらがな」を使うことが比較的多いこと。つまり「漢字変換」しないことがあること。ぼくのように文章・散文を書くときの緊張感が身についていない人間が、パソコンを使って文章を書きつづけていれば、漢字変換できるところは漢字変換してしまう癖が付くことに気づいた。
詩の場合は行分けであるということと短いということで、漢字にするか、ひらがなにするかは大きな意味をもつことになって、ほぼ絶対的な選び方になる。特にひらがなを選ぶ場合は力がはいる。このふたりの小説を読んでいて、小説の場合もそれにちかい選択があるのだと思った。
藤沢周平の小説は仕事が終わって疲れを癒そうとするとき読むことがあるが、角田光代の小説はそんなふうには読めない。怖いところのある作家で、いじめをする側のこころの動きを書ける人だ。
Mar 28, 2006
「オペラ座の怪人」
「オペラ座の怪人」をビデオで観る。ダークなミュージカル映画。夜の世界に住むオペラ座の怪人と昼の世界に住む富裕でハンサムな貴族の間で揺れ動く歌姫クリスティーヌ。
怪人は音楽を象徴する存在でもあって、歌うことに憑かれているクリスティーヌは怪人に強くひかれるのだが、幼なじみでもある若い貴族を選ぶ。こういう正統的な選択が夜の世界に住む醜い怪人の悲劇を際立たせる。
俗にしてドラマテックなテーマ音楽と奥行きのある美しい映像。「オペラ座」はひとつの世界なのだ。
ロングラン舞台の映画化だけあって、筋立てがしっかりしている。とにかく「今日はハズレなかった」と喜んだ。特に文句はありません。ひさびさにいい映画にあたって満足。
Mar 21, 2006
「キング・コング」オリジナル版
オリジナル版で1933年制作の「キング・コング」をビデオで観る。基本的に元気だ。映画のなかで遠慮なくタバコを吸う。つまり余計な配慮がない。
特撮は今みれば幼稚なものに観えてしまう。怪獣キング・コングはドングリまなこの愛敬のある顔で、ピーター・ジャクソン監督の2005年版の「キング・コング」を観たあとでは、恐怖心はもてない。オリジナル版ではけっこうスケベな怪獣でもある。
前半冒険映画、後半怪獣映画というところ。
魅力をふりまくのはキング・コングに追いかけられる美女、アマンダ・ダロウ役のフェイ・レイ。いけます。キング・コングと並ぶこの映画の主役だ。叫ぶだけではない。充分に演技もできる。
オリジナル版では一方的なキング・コングの美女にたいする執着として描かれているので、物語としての安定感はあるが、もはや、今の、この時代の影響を受けている観客としては、キング・コングに対する物質社会のエゴい欲望に後味の悪さをまったく感じないというわけにはいかなかった。
Mar 18, 2006
「大きな窓」
ポエトリージャパン/ブックスで詩集「大きな窓」(詩学社)を取り扱ってもらうことになりました。▼
船の上
雨
音
自転車を置いてきて
ドミニク・サンダ「初恋」
父の決意
天気
伊豆弓ヶ浜
小さなハードル
ラブ・レター
夜のはじまる街
雨の街
場所
雨の降る大通り
野口とすれちがう
台風がやってくる
今日は終わる
▲
以上17編が「大きな窓」に収められています。
リンクを貼った以外にも、インターネットで読めるものがかなりありますが、本という形で、あるいは雑誌という形、「紙で縦書き」というのが本来のものです。そのように作っています。
これを機会に読んでみてもらえたらと思います。
Mar 12, 2006
フォーレ 無言歌
小島きみ子さんの評論はむずかしくて、ぼくにはよく分からないのだけど、疲れたとき小島さんのサイトにいって「フォーレ 無言歌」を聴いています。ここには小島さんのやさしさがあるね。うん。
Mar 07, 2006
ミッドナイト・プレス
「詩の雑誌 ミッドナイト・プレス」の休刊のニュースにびっくり。さみしい思いがするけれども、新聞スタイルのものから、今の雑誌スタイルのものに変わったように、次ぎのジャンプがあるのだろう。
ぼくが初めて詩で原稿料をもらったのは、「詩の新聞 ミッドナイト・プレス」に「船」という詩を書いたときだった。とてもうれしかったのを覚えている。
角田光代の「おやすみ、こわい夢を見ないように」(新潮社)を買う。 本屋で雑誌か何かのエッセイを立ち読みしたときは、著者のかぼそいような、オーラを発光しない雰囲気とはギャップのある事務的な文章で、それきりになってしまったが、小説はちがうようだ。