Dec 16, 2006

須永紀子の朗読

 12月13日の夜、六本木にあるストライプハウスギャラリーに須永紀子さんの朗読を聴きに行った。

 18:30開場、19:00スタート。巡回朗読会と名打たれており、場所も代えながら多くの詩人が1日に1人という形で朗読をするらしく、この夜は須永さん。あとの予定者には高橋睦郎、白石かずこといった人たちが名を連ねていた。

 司会者の「須永さんは、今日ひとりで1時間、この空間と時間を引き受けるのです!こういうことは須永さん初めてのことです!云々」の聴きに来たぼくたちも緊張するような前振りどうり、からだをビリビリさせている須永さんが出てきた。1人でやる朗読会、入場料は当日で2800円と安くない。集まった者は10人くらいだけど背負うものは大きい。

 須永紀子という詩人がぼくにとって特別なものとなったのは、1995年に出た須永さんの詩集「何かひとつ新しいこと」(雨期編集部)を読んでからだ。この詩集はぼくにとってこの年のベストワンの詩集で、それから何年間かは須永さんの書いたもの、詩、散文をすべて読んだ。そのあとも発表された詩は必ず読んできた詩人で、ときに「ちがう」と思うこともあったが、詩の世界では自分とかなり近い人だと思ってきた。

 しかし今年でた詩集「中空前夜」(書肆山田)の後の須永さんの書く詩に、詩との関係の仕方がぼくとはかなり違ってきているという思いを持った。この方向に行くんだなと思った。須永さんの最新の詩である「部分」32号に書いた「孤島」を読み、「別れはちかい」と思ったぼくは、この朗読会に行くことを「別れのあいさつ」に代えようと思った。ぼくにとって許せない方向だったからだ。

 須永紀子という人は不器用なところのあるひとで、人前で話すことが向いている資質ではない。その須永さんがテーブルにペットボトル、何冊かの詩集、資料を置いて、緊張は伝わってくるが、落ち着いているといっていい態度で朗読し、しゃべる。充分に「しゃべり」になっている。「ああ、須永さんは新しい一歩を踏み出そうとしているんだな」と思った。この思いは最後までつづいた。照度の高い画廊の中で、須永さんの「1時間」が終わったとき、「別れのあいさつ」をしようという思いが消えていた。

 「しゃべり」と朗読のあいだに「段差」がないこと、朗読はゆっくりとやさしすぎ、ぼくの好みでは、須永さんが朗読を始めたころの緊張でぴりぴりしていた朗読の方が好きであること、などあったが、あとは場数を踏んでいけばいいだけだと思う。

 朗読会のあと、須永さんと山岸光人さんと3人で、駅にちかい喫茶店でコーヒーを飲むことになった。空腹を感じていたぼくはカルボナーラも注文した。詩を書いている人と、詩のみのおしゃべりをするのは久しぶりで楽しかった。話しているうちに「人それぞれの道ということでいいのかもしれない」という気持ちになったのだ。
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