Dec 31, 2007
「哀しい予感」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)プラス(6)プラス(7)
よしもとばななの『哀しい予感』を買った。彼女のいちばん新しい小説を読もうとして本屋へいったが、置いてなくつぎに新しいだろうくらいに思って選んだのが『哀しい予感』だった。『哀しい予感』の前によしもとばななの小説を買って読んだのはかなり前で、それは『パラダイス』という小説だと思いこんでいた。しかしよしもとばななのホームページを見ると、『パラダイス』という単行本はなくてそれは『ハネムーン』という小説だったかもしれない。とにかくその小説はあまりよくなかったのだ。それからよしもとばななの小説を読まなくなった。
美しい、詩集を読んでいるような思いになる小説。短距離の文体がくりかえされて、ずっと読みつづけることができない。休みが必要になる。童話を読んでいるようだと思った。「窓」というコトバがよくでてくる。これはよしもとばななの資質なんだろう。
家族の世界の物語。父が母が、姉が、叔母が、弟がと入り混じってなんだかよく分からなくなる。家族が目いっぱい広がる。家族が世界だ。
底にながれていたのは父と母が死んだあとの家族の物語ということになるんだろうか。弥生(やよい)と哲生(てつお)の恋がはじまり、恋の物語なんだねと思ったが、そのわりにはつたわってくる温度がひくいなと思っていた。章を一つ読むと、休みが必要になるのは章の独立性が強いことと、「父と母の死」が物語の終わりにやってきて、それが物語の「解決」になることに気づいていたせいだろうか。気がとても重たくなることがあった。
最後、恐山(おそれざん)にやってくる叔母と姪。しかしほんとうは姉と妹なのだ。これにはわけがあるのだが、ここがとても不思議だな。弟も弟であって弟ではない。ここがよしもとばななのオリジナルなんだろうか。相当変わった人だ。家族が血のつながりのない者もふくみだしてひろがっていく。
父と母の死は物語を完了させるためにはやってこない。残された者が「父と母の死」への思いから、その景色のなかから自分たちのこと、自分のことへとゆっくり視線を変えていく姿が描かれる。ぽっんとしたしかし通いあった姉と妹との会話があり、「希望」が見え、「再生」へとつながっていく。二人が、姉と妹がたたずんで空と湖をみている。ひくかった温度があがっていく。すこしずつ。それは静かなほんのりとした暖かさのある風景で、ぼくはほっとしたのだ。
Dec 30, 2007
「哀しい予感」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)プラス(6)
よしもとばななの『哀しい予感』を買った。彼女のいちばん新しい小説を読もうとして本屋へいったが、置いてなくつぎに新しいだろうくらいに思って選んだのが『哀しい予感』だった。『哀しい予感』の前によしもとばななの小説を買って読んだのはかなり前で、それは『パラダイス』という小説だと思いこんでいた。しかしよしもとばななのホームページを見ると、『パラダイス』という単行本はなくてそれは『ハネムーン』という小説だったかもしれない。とにかくその小説はあまりよくなかったのだ。それからよしもとばななの小説を読まなくなった。
美しい、詩集を読んでいるような思いになる小説。短距離の文体がくりかえされて、ずっと読みつづけることができない。休みが必要になる。童話を読んでいるようだと思った。「窓」というコトバがよくでてくる。これはよしもとばななの資質なんだろう。
家族の世界の物語。父が母が、姉が、叔母が、弟がと入り混じってなんだかよく分からなくなる。家族が目いっぱい広がる。家族が世界だ。
底にながれていたのは父と母が死んだあとの家族の物語ということになるんだろうか。弥生(やよい)と哲生(てつお)の恋がはじまり、恋の物語なんだねと思ったが、そのわりにはつたわってくる温度がひくいなと思っていた。章を一つ読むと、休みが必要になるのは章の独立性が強いことと、「父と母の死」が物語の終わりにやってきて、それが物語の「解決」になることに気づいていたせいだろうか。気がとても重たくなることがあった。
最後、恐山(おそれざん)にやってくる叔母と姪。しかしほんとうは姉と妹なのだ。これにはわけがあるのだが、ここがとても不思議だな。弟も弟であって弟ではない。ここがよしもとばななのオリジナルなんだろうか。相当変わった人だ。家族が血のつながりのない者もふくみだしてひろがっていく。
*(5)を若干訂正しました。
Dec 29, 2007
「哀しい予感」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)
よしもとばななの『哀しい予感』を買った。彼女のいちばん新しい小説を読もうとして本屋へいったが、置いてなくつぎに新しいだろうくらいに思って選んだのが『哀しい予感』だった。『哀しい予感』の前によしもとばななの小説を買って読んだのはかなり前で、それは『パラダイス』という小説だと思いこんでいた。しかしよしもとばななのホームページを見ると、『パラダイス』という単行本はなくてそれは『ハネムーン』という小説だったかもしれない。とにかくその小説はあまりよくなかったのだ。それからよしもとばななの小説を読まなくなった。
美しい、詩集を読んでいるような思いになる小説。短距離の文体がくりかえされて、ずっと読みつづけることができない。休みが必要になる。童話を読んでいるようだと思った。「窓」というコトバがよくでてくる。これはよしもとばななの資質なんだろう。
家族の世界の物語。父が母が、姉が、叔母が、弟がと入り混じってなんだかよく分からなくなる。家族が目いっぱい広がる。家族が世界だ。
底にながれていたのは父と母が死んだあとの家族の物語ということになるんだろうか。弥生(やよい)と哲生(てつお)の恋がはじまり、恋の物語なんだねと思ったが、そのわりにはつたわってくる温度がひくいなと思っていた。章を一つ読むと、休みが必要になるのは章の独立性が強いことと、「父と母の死」が正面に物語の終わりにやってきて、それが物語の「解決」になることに気づいていたせいだろうか。気がとても重たくなることがあった。
Dec 28, 2007
「哀しい予感」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)
よしもとばななの『哀しい予感』を買った。彼女のいちばん新しい小説を読もうとして本屋へいったが、置いてなくつぎに新しいだろうくらいに思って選んだのが『哀しい予感』だった。『哀しい予感』の前によしもとばななの小説を買って読んだのはかなり前で、それは『パラダイス』という小説だと思いこんでいた。しかしよしもとばななのホームページを見ると、『パラダイス』という単行本はなくてそれは『ハネムーン』という小説だったかもしれない。とにかくその小説はあまりよくなかったのだ。それからよしもとばななの小説を読まなくなった。
美しい、詩集を読んでいるような思いになる小説。短距離の文体がくりかえされて、ずっと読みつづけることができない。休みが必要になる。童話を読んでいるようだと思った。「窓」というコトバがよくでてくる。これはよしもとばななの資質なんだろう。
家族の世界の物語。父が母が、姉が、叔母が、弟がと入り混じってなんだかよく分からなくなる。家族が目いっぱい広がる。家族が世界だ。
Dec 26, 2007
「哀しい予感」(1)プラス(2)プラス(3)
よしもとばななの『哀しい予感』を買った。彼女のいちばん新しい小説を読もうとして本屋へいったが、置いてなくつぎに新しいだろうくらいに思って選んだのが『哀しい予感』だった。『哀しい予感』の前によしもとばななの小説を買って読んだのはかなり前で、それは『パラダイス』という小説だと思いこんでいた。しかしよしもとばななのホームページを見ると、『パラダイス』という単行本はなくてそれは『ハネムーン』という小説だったかもしれない。とにかくその小説はあまりよくなかったのだ。それからよしもとばななの小説を読まなくなった。
美しい、詩集を読んでいるような思いになる小説。短距離の文体がくりかえされて、ずっと読みつづけることができない。休みが必要になる。童話を読んでいるようだと思った。「窓」というコトバがよくでてくる。これはよしもとばななの資質なんだろう。
Dec 25, 2007
「哀しい予感」(1)プラス(2)
よしもとばななの『哀しい予感』を買った。彼女のいちばん新しい小説を読もうとして本屋へいったが、置いてなくつぎに新しいだろうくらいに思って選んだのが『哀しい予感』だった。『哀しい予感』の前によしもとばななの小説を買って読んだのはかなり前で、それは『パラダイス』という小説だと思いこんでいた。しかしよしもとばななのホームページを見ると、『パラダイス』という単行本はなくてそれは『ハネムーン』という小説だったかもしれない。とにかくその小説はあまりよくなかったのだ。それからよしもとばななの小説を読まなくなった。
Dec 24, 2007
Dec 23, 2007
日曜日
朝、7時20分頃起きる。寒い。北側になるトイレや風呂場の窓が結露している。ガスストーブを点ける。テレビをつけ、玄関のポストから新聞をぬく。朝食はたまごかけご飯と納豆ご飯をそれぞれ茶碗に半分ずつ食べる。
晴れる。
Dec 21, 2007
Dec 20, 2007
木曜日
晴れ。洗濯をする。よしもとばななの『哀しい予感』を読む。小説に洋数字をつかっている。藤沢周平は会話の文章を「だった」とするが、よしもとばななは「だった。」と書く。「窓」というコトバがよく出てくる。
喫茶店では読めない。じぶんの部屋か電車の中で読んでいる。あたたかいものが流れているけれども、本全体の持つ温度はひくい。それは涼しさなのか冷たいものなのかまだ分からない。
Dec 18, 2007
火曜日
非常によい天気。晴れ。日光が部屋の中に差し込んでくる。年賀状のあて名書きほぼ終わる。
布団を干し、掃除をする。北側の窓がかなり結露する。
昼は豆腐、ネギ、ブナシメジ、エビ入りつみれ、にぼしを煮て食べる。
Dec 16, 2007
日曜日
晴れ。風がつよい。洗濯をする。ダイニングキッチンの角のホコリを雑巾でとる。このへんのホコリは掃除機では取りきれない。年賀状のあて名書きをはじめる。
喫茶店にいって文庫本をよむ。藤沢周平の小説は読んでしまったので、エッセイ集『小説の周辺』をよむ。藤沢周平の文章は読んでいて、安心するが、さすがに小説を読むふうにはいかない。エッセイをつづけて読むと山をつづけて越えているようで、エネルギーがいる。
そのあと古本屋へいき、ふつうの本屋へいく。外はまっくら。寒い。冬のさむさだ。
Dec 12, 2007
水曜日
晴れ。洗濯をする。ものもらいができたので、ドラッグストアにいき抗菌用の目薬を買う。一回使いきりタイプのものを買った。
年賀状の文面がひらめかないので、あいさつ文のほかは、
よい年にしたいと思います
よい年でありますように
の二行でとりあえずいくことにする。けっこういいような気がしてくる。それといつもなら「2008年 元旦」とするところを「平成二十年 元旦」としてみる。平成二十年というのはカタチがいいのだ。
『チャップリン自伝―若き日々』(中野好夫・訳)読み終わる。面白かった。文章がうまいのでゴーストライターが書いたのかと思ったが、チャップリンは映画の脚本を書いていたから、自分でも書けるわけだ。こども時代の貧乏体験はハンパじゃなく、この体験がチャップリンの映画に影響をあたえているのがわかる。
チャールズ・ブコウスキーの『ありきたりの狂気の物語』(青野聡・訳)読み終わる。短編集でけっこう駄作、凡作がはいっていてブコウスキーでいいのはエッセイふう自伝小説だけじゃないかと思ったりする。おなじ青野聡訳の短編集『町でいちばんの美女』よりおちる。
喫茶店にいき、文庫本をよむ。
Dec 09, 2007
Dec 06, 2007
木曜日
晴れ。洗濯する。喫茶店に行って、文庫本をよむ。そのあと古本屋にいき、ふつうの本屋へいく。
吉本ばななの『哀しい予感』を買う。いちばんあたらしい小説を読んでみたかったが、置いてなかった。
一行も読んでないので、まったくの勘だが、藤沢周平のまったく読者のために書いた小説とはちがうような気がする。よしもとばなな公式サイトの日記を読んでいると、職業としての作家ということを強く意識しているので、エンターテイメントということなのかとも思うが、やっぱり「文学」ということなんだろうと思う。まあ、読んでみないとわからない。
NHKの『風の果て』最終回を観る。何回かまえの佐藤浩市のふけ役にはいったときの演技はよかった。『スキヤキ・ウエスタン|ジャンゴ』のときはピンとこなかったが、このときはうまい役者だなあと思った。
『風の果て』は藤沢周平の原作ということで気にはなっていたが、映像のくらさに腰がひけて、第一回か第二回くらいまでは観ていない。一度観てみたら藤沢周平の温かさが劇のなかに流れていて、それから観るようになった。友との葛藤(かっとう)が劇の軸になっている。藤沢周平の小説にはめずらしい出世する男が主人公。いいテレビドラマだったと思う。
Dec 04, 2007
Dec 02, 2007
映画館へ
仕事のストレスがたまったので、予定を変更して映画館へ『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観に行く。満点ではないが満足した。昭和30年代の日本はいまよりも金のなさに切実に苦しむ人は多かっただろうが、いまほど荒廃した人間が多くなかったことは確かで、そのことがいわばセーフティーネットになっていただろう。
映画での終わり近くにおきた笑い声に共同のなごやかさというものがあって、それはこの映画以外では聞いたことのないものだった。ほぼ満員。
Nov 29, 2007
木曜日
曇り。洗濯をする。今日はトイレの掃除をしようと思う。読んでいるのは、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』(伊藤典夫・訳)。これも古本市で買ったもの。
いまのところ特につよい印象はない。書き出しの自分の、書こうとしている本の、話しからいつのまにかストーリーの中にはいっている巧みさと、ドレスデンなどの体験が強烈すぎて、ストレートに戦争体験を書けなくて、「過去」「現在」「未来」を往復するようなスタイルにしているのだろうかと思ったくらい。
『雨期』50号記念のアンケートを書く。あたえられたテーマは「わたしの転機」。書く内容は決めた。どこまで書こうか考えながら書く。締切いっぱいまでかかりそうだ。
Nov 24, 2007
「歌右衛門伝説」
つづいて50円で買った渡辺保の『歌右衛門伝説』を読む。歌舞伎役者中村歌右衛門の舞台のうえの一生が書かれている。歌右衛門というひとは舞台ウラのたちまわり、舞台ウラの政治に長(た)けたひとのようで、ここを読んだ時ゲンナリしたが、「歌右衛門の政治」についてはそれほど展開しない。歌舞伎という伝統のなかで、「近代」をかかえこんだ一人の女形の光と影が語られる。
歌舞伎のなかに近代的な心理主義の方法を取り入れた中村歌右衛門が、舞台人生の晩年になって心理主義をこえる「ハラの芸」にたどりつくまでが、歌舞伎の歴史、歌舞伎界の人間模様をはさみながら描かれる。歌右衛門というひとは渡辺保によれば、社会というものを、戦後の日本の社会の移り変わりというものを、とてもよく見ていた人のようだ。歌舞伎に生のすべての情熱をそそぎこみながら、社会のなかの歌舞伎という視点をもよく維持しえていた人のようだ。
舞台の情景、動作を徹底的に書きこんでいく記述は圧倒的で、メモを取っているにしても、よく覚えていられるもんだと思う。少年のときから歌舞伎を観ていて、同じ芝居を同じ役者でなんども観ているからこそ書ける描写だと思う。踊りや演技のために動くからだから意味を読み取り、意味をつくりあげる眼がすごい。どうしても書きたい一冊だったのだ。通(つう)の世界にひきこまれる思いをしたこともあったが、そういう本じゃない。気安く読めそうなタイトルの本を買ったつもりだったのだが、じぶんの思い込みにすぎないかもしれないものを堂々と書き込んでいくところを読んですごいと思い、のめりこんで読んだ。
Nov 18, 2007
「中村勘三郎楽屋ばなし」
古本市で買った関容子の『中村勘三郎楽屋ばなし』、30円だったけど面白い。この中村勘三郎は今の勘三郎ではなく、先代の中村勘三郎。読んでいて非常に魅力的な気さくな人だなと思う。肌合いはちがうが兄の中村吉右衛門が小宮豊隆と対談しているときの面白さと似ているところがある。読んでいて思うのは、歌舞伎というのは芝居全体を受け取るというよりも役者が演じたある場面の演技をほめたり、けなしたりするのが劇評のようなもんなのだろうか。全体を観るのではなく、あそこはよかったとか悪かったとか、そんなふうに芝居を観ていたんだろうか。今の観客はそんなふうに歌舞伎を観ることができるのだろうか。今は全体を観てしまう、観ることのなかに批評するということが自然にふくまれているんじゃないかと思うが。
ぼくが唯一観た歌舞伎というのはたしか日生劇場で『夢の仲蔵』という松本幸四郎と市川染五郎がでていた芝居だけで、第一部にくらべて第二部はなんか観客にサービスしているような芝居だなというのが強い印象で、あれはいま思うと第一部は「観る観客」のため、第二部が「楽しむ観客」のためというような対応の仕方をしていたんだろうか。ちょっと向きを変えるというふうに。いつか歌舞伎座で芝居を観てみたい。
Nov 12, 2007
品川へ
*このノートは11月11日に書きました。鈴木祥子(すずき・しょうこ)のライブを聴きに行くためにおそろしく遠回りして会場のステラボールへ行く。(独立した建物と思っていたら、そうではなく品川プリンスホテル群の建物のなかの一つの会場という場所だった。実にわかりにくい会場だ)
小さなライブハウスに行くことが多いので、大きいホールは久しぶりだった。1階、2階とも満員。鈴木祥子のレコードというのはどういう理由からか、レコード店にいってもまずないので、人気があるのかないのか、有名なのか有名でないのか分からなかったが、動員力ある。
鈴木祥子のホームページに載っていた文章が抜群によくて(その文章らは今は載せてないようだ)、興味をもって、レコード店をさがしまわってようやく『Shoko Suzuki Best Collection』 というアルバムを手に入れて聴いた。これがよかった。
観客の年齢層は幅広い。親子連れも目につく。男の客の方が多いようだ。
5時45分くらいからスタート。幕開けは鈴木祥子がドラムをたたきながら歌う。キュートですこしハスキーな声が魅力的。かっこいい。よくしゃべり、よく歌う元気な女のひと。気ままな展開がいい。アンコールが1時間くらいあって3時間。楽しかった。いちばん新しいはずのオリジナルアルバム『鈴木祥子』を買う。
まっすぐ帰る。すっかり腹がへってY 駅を降りてすぐにあるコンビニでおでん5コ、肉まん一つを買う。部屋に帰ってすぐ食べる。10時半になる。風呂に入るのはやめにする。
Nov 08, 2007
「生まれて」を読みながら思ったこと (1)プラス(2)
樋口えみこさんに初めて会ったのは去年の12月で、年末孤独症に悩むぼくが樋口さんに忘年会をやろうと言いつのって会ったのだと思う。もうひとりJ さんという人がくるはずだったが、現れず、樋口さんとふたりで忘年会をやることになった。樋口えみこという人のイメージは『キテ。』という個人誌に樋口さん自身で描いている自分のスケッチ、髪はボサボサでこたつに入り、ちゃんちゃんこを着てみかんを食べ、みかんの皮がそばに転がっている絵でぼくの中ではできあがっており、非女性的なまったく遠慮せずに言いたいことを言う女の人だと思っていた。
しかし待ち合わせの新宿駅にあらわれた樋口さんはピンクのコートを着た美しいすらりとした大人のおんなという感じでぼくはかなりまごついたのだ。
この『生まれて』という詩集には21編の詩。樋口えみこはこの中でピンクのコートを着た自分を選び取っているといえる。その立ち位置から書かれている詩、詩行がもっとも多い。本音やせつなさはピンクのコートを着たあなたから多く出てきている。ぼくには手ごわい相手だ。
『生まれて』には強烈な詩が多いが、ひとりフラフラと屋上にあがって歌う「キテ」がいい詩だと思う。
キテ
ある日、
道ばたに眠る人の
独り言の中にそっと潜む
懐かしいヒトの調べ
ヒトは
鳴き方を忘れそう
ポケットに
手をさしこんで
人込みの中でときどき
確かめてみる
かすかな
その音色
強くつかむと
指が切れる
切なくて
あったかい
泥のように
いやされる
毒を秘め
ひょうひょうと流れる
風の軽さで
子どもの頃の
水の気持ちの
一瞬を
よみがえらせて
濁っていく私の心を
そわそわと
揺する
頼るものなく
張られた網を
平気なフリで
渡っていくのが見える
落ちても
ヒトのままでいる
強いあなただ
その声、
ただれた傷口に
甘く染み
ビルの屋上で
ふと
空の青さに
目をとめさせるもの
美しい
ヒトの鳴き声よ
キテ
*全行引用
この『生まれて』という詩集のなかには自分と向き合っているときには出てこない詩行がある。そこにひっかかった。樋口えみこはこの詩集全体としてはピンクのコートを着たまま書いている。ぼくはそのことに違和感をもつ。
だけれども『生まれて』は詩を書かない人、ふだん詩を読まない人がページを開いたときに、目とこころをとめさせ、詩の中にひっぱりこんでいく力を持っているかもしれない。
詩集を読みすすめながら、これは何だろうと思いつつ、樋口えみこの生きてきたこと。体験してきたこと。母への憎しみを持ったこだわり、妹との葛藤、出会った男たちとの性愛とわかれ、たしかに見てしまった悲しみがつたわってくるのだ。
Nov 03, 2007
街の祭り
街は天下市というのをやっていて、大通りの両側には出店がづらり、途中にある一橋大学は学園祭をやっていて、そのなかの古本市で古本を買った。単行本2冊、文庫本2冊、手提げ用の袋10円で計170円。安い。古本屋さんごめんなさいという感じ。喫茶店で藤沢周平の「『風雪の檻』獄医立花登手控え2」を読む。これは本屋ではみつからず、古本屋で買った。あと3冊くらいで藤沢周平の文庫本は読み切ることになる。代わりになりそうな作家はいないから、また繰り返し読むことになりそうだ。
藤沢周平は生きているときからよく読まれていた作家だが、自分が死んだあと自分の小説がこれほど世の中から必要とされるとは想像していなかったと思う。藤沢周平の小説でなければ出てこない「ほっ」がある。
Oct 28, 2007
「生まれて」を読みながら思ったこと (1)
樋口えみこさんに初めて会ったのは去年の12月で、年末孤独症に悩むぼくが樋口さんに忘年会をやろうと言いつのって会ったのだと思う。もうひとりJ さんという人がくるはずだったが、現れず、樋口さんとふたりで忘年会をやることになった。樋口えみこという人のイメージは『キテ。』という個人誌に樋口さん自身で描いている自分のスケッチ、髪はボサボサでこたつに入り、ちゃんちゃんこを着てみかんを食べ、みかんの皮がそばに転がっている絵でぼくの中ではできあがっており、非女性的なまったく遠慮せずに言いたいことを言う女の人だと思っていた。
しかし待ち合わせの新宿駅にあらわれた樋口さんはピンクのコートを着た美しいすらりとした大人のおんなという感じでぼくはかなりまごついたのだ。
Oct 25, 2007
木曜日
今日、ちょうど休みの日にNHKでレッドソックス対ロッキーズの試合をやっていたので観る。途中でまだ試合をやっているのに中継が終わってしまったが、レッドソックスの大量リードで勝負はついたようだった。洗濯、掃除をして、喫茶店にいき、文庫本を読んだ。帰ってきてから樋口えみこさんの詩集『生まれて』を読む。
Oct 21, 2007
長田典子朗読会
きのうの夜はストライプハウスギャラリーでおこなわれた長田典子さんの朗読を聴きにいった。9月10日発行の長田さんの個人詩誌「KO.KO.DAYS」(ここでいず)2号には長田さんの詩「モスコーミュール~赤い色は伸びて広がる~」が載っているが、ざっと数えたら135行ある。散文詩のかたちでだ。8ぺージにわたって文字でびっしりになっている。これの原型の90行ほどを長田さんは2,3時間で一気に書いたと聞いて驚く。詩のスタイルはそれぞれの体質からきているともいえるのだが、それでもなんというパワーだろう。
Oct 19, 2007
「人類以外」
硬骨のひと長尾高弘の手作り詩集『人類以外』を読む。15編。文字が小さすぎるが、表紙をのぞいて5ページに15編入れるためにはやむをえなかったということか。過剰さを切りすてた日常的でシンプルな言葉が物語とユーモアを生みだす。言葉にまったくロマンチズムがない。それが長尾高弘の個性。
Oct 12, 2007
Oct 08, 2007
新宿
新宿の「新宿眼科画廊」でおこなわれた『もーあしび』第10号発刊記念朗読会「秋の隠れ家~白い箱~」を聴きにいく。「秋の隠れ家~白い箱~」というのはこの不思議な名前の画廊のひとに与える印象のことをいってるのだと思う。五十嵐倫子のみずみずしさ、北爪満喜のスライドで映した写真のたたずまい、辻和人が登坂倫子と組んだ演劇的な朗読、白鳥信也の自在さが印象的。
Oct 01, 2007
昨日
昨日の夜、吉祥寺のマンダラ2にオニキユウジのライブを聴きにいった。オニキユウジ+5人で、メンバーのひとりである正山千夏さんの歌声を聴いてみたいと思った。第1部、第2部と別れていて、第2部でルー・リードらのいたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム「Velvet Underground And Nico」のA面すべてをカバーするという試みをする。一曲いいのがあった。このメンバーが集まるならいつかまた聴きに来てもいいなと思った。
Sep 26, 2007
Sep 21, 2007
金曜日
吉本隆明の『よせやぃ。』を買う。『HERO』観に行く。テンポはテレビとおなじ。画質がちがっている。俳優の演技も演出もテレビとおなじで、画質だけがちがっている。そのことが何んとも不思議な感じで、映画にあじわいと奥行を生みだす。安定感は受け取った。けれども終盤の物語の展開はいまひとつ。
Sep 20, 2007
サーバーの故障
18日から、このブログがちゃんと見れなかったようですが、灰皿町のホームページ群を主宰する清水鱗造さんの所のサーバーの不調が原因のようです。回復したようです。清水さん、御苦労さまでした。Sep 16, 2007
日曜日
ストレスがたまっているので『HERO』がいいだろうと思い出かけたが、途中で『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』のほうがスカッとするんじゃないかと考え、『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』を観る。三池崇史のものは初めて観たと思うが、こういう映画をつくるのか、面白い人がいるもんだなあと半ばまでスカッと観ていたが、特別残酷なシーンはいくら荒唐無稽でも湿気がでてくるのでその分希望通りとはいかなかった。
Sep 12, 2007
Sep 08, 2007
金井雄二の朗読会
昨日、仕事の都合で夕方まで自宅待機をしたあと、東京駅の八重洲口から歩いて10分くらいの所にある「ギャルリー東京ユマニテ」に「ポエトリーヴォイスサーキット・金井雄二の朗読」を聴きにいった。場所はちいさな画廊。でてきた金井雄二は「管理職詩人」だった。目の配り、顔の表情がそうなのだ。朗読会のアタマのころの「しゃべり」も職場で部下に、こんなふうに「説明」をしているんだろうなという風だった。
そして1時間朗読したあと、金井雄二の顔は「詩を書きつづけることを決めている男の顔」になったのだ。目が柔らかくなっている。この変化がいちばん強い印象だ。
声を観客に、なにかに向けて放ちつづけることはものすごいエネルギーの放出なのだと思った。あるいはものすごいストレスの発散なのだ。
金井雄二は図書館で働いていて、こどもを対象とした朗読をやることもあると聞いていたから、この日の朗読も、朗読の経験をしっかりしているんだなと思わせるもので、詩人自身でおこなう朗読の魅力のひとつが「発する人と声との距離がはなれきらない」ところにあるとすれば、慣れすぎていると思ったくらいだ。
朗読会のあと、飲み会があって、金井雄二さん、長田典子さん、野木京子さん、金井さんのあたらしい詩集の表紙の絵を描いている矢野静明さん、鈍行列車さん、そしてポエトリーヴォイスサーキット(巡回朗読会)のプロデューサーの天童大人さんらと飲んだ。詩にかかわっている人たちとしゃべることができて楽しい時間になった。
Sep 05, 2007
Aug 31, 2007
Aug 30, 2007
Aug 26, 2007
夏休み
ぼくの夏休みは明日まで。今年は9連休の夏休みを取ることができた。この休みがなかったら、夏は越えられなかったかもしれない。ひどくバテた。熱帯夜がこたえた。金は欲しいが、しっかり休みを取っていった方がいい。エアコンも取り付けた方がいいかもしれない。考えてみよう。Aug 20, 2007
「酔いどれ詩人になるまえに」
『酔いどれ詩人になるまえに』(ベント・ハーメル監督)を観に行った。チャールズ・ブコウスキーの自伝小説の映画化だ。ブコウスキーは代表作『詩人と女たち』のなかで自分をモデルにした主人公にヘンリー・チナスキーという名を付けているが、この原作でもそうらしいし、当然映画でも「ヘンリー・チナスキー」という名になっている。
さて、この映画でチナスキーに扮するのはマット・ディロン。写真で観るブコウスキーは禿げたブオトコ風だから、マット・ディロンの端正な顔が合わないように思うが、ブコウスキーの感じはつかんでいる。
破片のような展望のない生活をする男チナスキーはいいかげんな仕事ぶりで、すぐクビになる。仕事に身がはいらない。女はすぐみつけるが、刹那的で、退廃的な関係にしかならない。チナスキーの視線は具体的な生活をとらえていない、興味がないのだ。チナスキーが見ているのは「大きな現実」なのだが、その扉が開かない。チナスキーは詩を、小説を書きつづけている。このことだけは止めない。「愛よりも社会的な成功が必要」な生活なのだ。
どうにも食えず親の家に寄るが、父親とケンカして追い出されたり、働きだした初日に、同じ建物のなかのバーで酒をくらって、クビになったり、チナスキーと同じように破滅的だが、相性のいい女ジャンと別れたり、こりゃもうどうにもならんなというとき、チナスキーが作品を送り続けている出版社から返事がくる。「4本は返却、1本は採用です」という編集者からの返事が。チナスキーに現実の扉が開かれたのだ。
マット・ディロンは、ちょっと違う感じがしつづけたが、ラストの場面でぴったり映画とはまる。エンディングの曲もよし。
Aug 16, 2007
暑い。
きのうの夜は熱帯夜で、部屋のなかはかなり蒸し暑かった。布団に寝ることができず、畳の上にじかに寝た。寝苦しいわりにはよく寝たと思ったのだが、今日の午前中にやった「ニンテンドーDSトレーニング」の脳年齢チェックでは68歳だった。やっぱり自覚する以上にこたえているんだ。寝不足感はないんだが。Aug 13, 2007
小阪修平さん
土曜日の毎日新聞の夕刊を読み返していたら、小阪修平さんの死亡記事が載っていて、びっくりした。おなじ街に住んでいた。つきあいというほどのものはなかったけれど、小阪さんの主宰するヘーゲルの研究会に2,3回行ったことがある。その後ぼくらがやる花見などに小阪さんが顔を出すことがあって、いろいろと話しをきかせてもらった。
80年代以降、ぼくはポストモダンの思想がどうしても好きになれなくて、思想や哲学からはなれていった。小阪修平の書いたものに出会ったのは90年代の初めだったと思うが、小阪修平は、「哲学・思想」をにらみつけて近づこうとしないぼくに、細い糸を投げてくれる思想家だった。
哲学のことをわかりやすく話してくれる人だったが、原則にこだわる人だった。ここ2年くらい話しらしい話しをすることはなかったが、最後まで原則の人だったろうと思う。今年の春か初夏のころ近所のスーパーマーケットであいさつをしたのが最後になった。心からご冥福をお祈りします。
Aug 12, 2007
小宮豊隆
小宮豊隆の『中村吉右衛門』を読む。これが新聞などで読む歌舞伎評の原型かと思った。言い切る。断定する。感じたことを思いきり言い切る。小宮豊隆が先生と呼んでいる夏目漱石から「徹頭徹尾緊張している」評論と言われたのもなるほどと思う。
小宮豊隆の使っている「芸術」という「価値」は明治にそびえ立っていた西欧から取ってきたものだが、歌舞伎を評論しようとする文章は自分の「感じ」から引っ張り出し、引き延ばし、日本語の思考によって組み立てようとしていて、オリジナルな日本の批評になっていると思う。
Aug 08, 2007
三宅章代
三宅章代さんの写真はよく見ていたが、5月から「font sonotoka」という写真とことばのブログ(だか何だかぼくはよく分らないのですが)を始めていることに気づいた。これがいい。三宅章代というひとがどういう人なのかよく分かる。写真だけでは分らなかったのです。Aug 02, 2007
Jul 29, 2007
Jul 26, 2007
ニンテンドーDSライト
気分転換できるものを手元に置いておこうと思い、ニンテンドーDSライトを買う。ソフトは「脳を鍛える大人のDSトレーニング」。音読するのがいちばん気分転換になる。ということで詩の朗読も始めた。Jul 17, 2007
Jul 15, 2007
Jul 14, 2007
Jul 13, 2007
Jul 11, 2007
Jul 05, 2007
入浴法
今日は整体の先生に教えてもらった入浴法で風呂にはいった。からだも気持ちもすっきりした。そして汗がよく出た。今までは、とにかくからだをリラックスさせようとして、ぬるま湯で、長くはいるようにしていたが、どうもからだが緩みすぎているのではないかという感じがして、先生に聞いてみた。38℃のお湯を胸の半ばまでの水位で30分間はいっていたが、汗をほとんどかいていなかったことに今日気づいた。
Jul 01, 2007
平井弘之
平井弘之の詩集『小さな顎のオンナたち』を読む。32編の詩。平井弘之自身の与えるイメージよりも骨太の詩を書く。中間的な軽めのリズムが安定感をつくる。ぼくのいちばん気に入った「赤と青のマント」を全行引用で紹介したい。
赤と青のマント
パン屋で働いたことがある
口笛を吹きながら
調理パンを売るのが好きだった
出勤のとき昼食を買ってゆくOLのひとりに
青と赤のマントを着せていた
それは一九七三年の絹のマントで
パンを買ってくれるたびに
口笛で『You’re So Vain*』を
彼女のために奏でるのだ
あと一回買いにきたら
ジャズ喫茶「KISS」に誘おうと思っていた
もちろん彼女を誘えもせず
あと一回あと一回と朝は過ぎた
腰を捻らせて口をとがらせて
ウォンチューウォンチューと吹くのだが
マスターは売り場にあらわれ
厨房へ小麦粉を運べと指図したあとに
唾を飛ばすなと云ったのだった
*『You’re So Vain』邦題「うつろな愛」(唄Carly Simon)
(2006年6月 ミッドナイト・プレス刊)
Jun 24, 2007
「小さな顎のオンナたち」
平井弘之の詩集「小さな顎のオンナたち」を読み始める。鈴木祥子のライブに行こうと思い、チケットを買いに行くが、駅ビルにあったチケットを扱う店がなくなっていて買えなかった。家に帰ってパソコンで申し込もうとしたが、もう売り切れだった。会場が青山のライブハウスとなっていて、東京に住んでいながら、どうもあの辺りに行くのは腰がひけるなと思いつつ、買うことに決めたんだが残念。
Jun 21, 2007
Jun 17, 2007
「明るむ石の糸」
小島数子の詩集「明るむ石の糸」を読み始める。小島さんのこれまでの詩のイメージとちがい、硬く、倫理的で、思想的な詩を書きだしたのだなと思った。
2編目の「明りになることを行く者」は大きな詩で、全体を把握するのに、読むことを何度か試みなければならなかった。何日もかかった。ぼくは詩がこういう硬さを含むのは基本的によいことだと思う。
Jun 11, 2007
三回忌
母の三回忌が終わって、帰京する。天台宗の広い、すみずみまで手入れのいきとどいた庭を持つ寺で、お坊さんにお経をあげてもらい、そのあと母の墓のある丘に行って、お坊さんが墓のそばでお経をあげているなか、集まった者すべてがひとりひとり、線香をあげ母の墓に手を合せて、祈る。位牌を田舎の家の母の仏壇に収め、集まった者で海の見える料理屋へ行き、食事する。入院しているときか、母が「海が見たい」と言ったらしく、妹が母の写真をもってきており、海の見える方向に母の写真を立てて、食事した。瀬戸内海を遊覧船が走り、とんびが飛び、海はすこし青く、波はゆるやかだった。
Jun 08, 2007
整体に行く
整体をやりに先生の家に行って帰ってきた。先生のお母さんが亡くなられて、一週間も経っていないので、心苦しかったが、「いつも通りやります」と言ってくれたので、行った。道場に置いてある御骨に手を合わせる。2時間半、汗がよく出た。
Jun 03, 2007
May 27, 2007
May 25, 2007
「日本映画300」
古本屋で買った佐藤忠男の「日本映画300」が面白い。1910年の「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助主演・牧野省三監督の「忠臣蔵」から始まって、今、1975年の小林正樹監督の「化石」まで読みすすめているところだが、すべての映画評が文庫本サイズの見開き2ページに収められ、テンポよく読める。
1930年生まれの佐藤忠男は戦争中、少年飛行兵に入隊している。戦争、敗戦、敗戦後の社会を体験してきたわけで、ずっと読んでいると、佐藤忠男の戦後史についてのエッセイを読んでいるような気持ちになる。
佐藤忠男という映画評論家の名前はかなり前から知っていたが、こんなに気持ちを乗せた、いい映画評論を書く人だとは知らなかった。日本映画の生き字引のような人で、今井正にシンパシィを感じていること、黒木和雄の「竜馬暗殺」はあんまり好きじゃないんだなと分かったりするが、これは貴重なすぐれた映画についての一冊だと思う。
日本映画のなかから300本の映画を選んでいるが、この300本はフィルム、ビデオで観ることができるものから選んでいると、「はじめに」で説明している。佐藤忠男が「とにかくこれらの映画を見てほしい」と思うからで、その映画への思いがつたわってくる映画評集だ。1995年朝日文庫から出版されている。
May 19, 2007
「真贋(しんがん)」の印象
吉本隆明の「真贋」を読んだ印象は、「細かい言い方」をしているということだ。この印象が強い。吉本隆明のイメージというのは、全体像を一気に、断定的に語るというものだったが、ここでは「細かい言い方」をしている。そのことに目がいった。
May 14, 2007
『国立の空の下で嵐のキッス』
12日の夜、早川義夫+HONZIのライブ『国立の空の下で嵐のキッス』を見に行った。午後8時くらいに始まって10時半まで。最後まで早川義夫の力が脱けず、充実していた。HONZI(ホンジ)と呼ばれるのは30代半ばのいつも毛糸の帽子をかぶっている女の人。バイオリンを弾くひと。休憩時間に、ライブをやった地球屋のせまい階段ですれちがったが、ギョロ目がすわっていて怖い感じがする。しかし、おそらく怖い人ではない。1曲だけ歌った「みんな夢の中」はとてもすてきだった。HONZIを見たのは3回目くらいだが、初めてHONZIという人が、そのバイオリンと歌とが、刻印された。