Aug 31, 2007
Aug 30, 2007
Aug 26, 2007
夏休み
ぼくの夏休みは明日まで。今年は9連休の夏休みを取ることができた。この休みがなかったら、夏は越えられなかったかもしれない。ひどくバテた。熱帯夜がこたえた。金は欲しいが、しっかり休みを取っていった方がいい。エアコンも取り付けた方がいいかもしれない。考えてみよう。Aug 20, 2007
「酔いどれ詩人になるまえに」
『酔いどれ詩人になるまえに』(ベント・ハーメル監督)を観に行った。チャールズ・ブコウスキーの自伝小説の映画化だ。ブコウスキーは代表作『詩人と女たち』のなかで自分をモデルにした主人公にヘンリー・チナスキーという名を付けているが、この原作でもそうらしいし、当然映画でも「ヘンリー・チナスキー」という名になっている。
さて、この映画でチナスキーに扮するのはマット・ディロン。写真で観るブコウスキーは禿げたブオトコ風だから、マット・ディロンの端正な顔が合わないように思うが、ブコウスキーの感じはつかんでいる。
破片のような展望のない生活をする男チナスキーはいいかげんな仕事ぶりで、すぐクビになる。仕事に身がはいらない。女はすぐみつけるが、刹那的で、退廃的な関係にしかならない。チナスキーの視線は具体的な生活をとらえていない、興味がないのだ。チナスキーが見ているのは「大きな現実」なのだが、その扉が開かない。チナスキーは詩を、小説を書きつづけている。このことだけは止めない。「愛よりも社会的な成功が必要」な生活なのだ。
どうにも食えず親の家に寄るが、父親とケンカして追い出されたり、働きだした初日に、同じ建物のなかのバーで酒をくらって、クビになったり、チナスキーと同じように破滅的だが、相性のいい女ジャンと別れたり、こりゃもうどうにもならんなというとき、チナスキーが作品を送り続けている出版社から返事がくる。「4本は返却、1本は採用です」という編集者からの返事が。チナスキーに現実の扉が開かれたのだ。
マット・ディロンは、ちょっと違う感じがしつづけたが、ラストの場面でぴったり映画とはまる。エンディングの曲もよし。
Aug 16, 2007
暑い。
きのうの夜は熱帯夜で、部屋のなかはかなり蒸し暑かった。布団に寝ることができず、畳の上にじかに寝た。寝苦しいわりにはよく寝たと思ったのだが、今日の午前中にやった「ニンテンドーDSトレーニング」の脳年齢チェックでは68歳だった。やっぱり自覚する以上にこたえているんだ。寝不足感はないんだが。Aug 13, 2007
小阪修平さん
土曜日の毎日新聞の夕刊を読み返していたら、小阪修平さんの死亡記事が載っていて、びっくりした。おなじ街に住んでいた。つきあいというほどのものはなかったけれど、小阪さんの主宰するヘーゲルの研究会に2,3回行ったことがある。その後ぼくらがやる花見などに小阪さんが顔を出すことがあって、いろいろと話しをきかせてもらった。
80年代以降、ぼくはポストモダンの思想がどうしても好きになれなくて、思想や哲学からはなれていった。小阪修平の書いたものに出会ったのは90年代の初めだったと思うが、小阪修平は、「哲学・思想」をにらみつけて近づこうとしないぼくに、細い糸を投げてくれる思想家だった。
哲学のことをわかりやすく話してくれる人だったが、原則にこだわる人だった。ここ2年くらい話しらしい話しをすることはなかったが、最後まで原則の人だったろうと思う。今年の春か初夏のころ近所のスーパーマーケットであいさつをしたのが最後になった。心からご冥福をお祈りします。
Aug 12, 2007
小宮豊隆
小宮豊隆の『中村吉右衛門』を読む。これが新聞などで読む歌舞伎評の原型かと思った。言い切る。断定する。感じたことを思いきり言い切る。小宮豊隆が先生と呼んでいる夏目漱石から「徹頭徹尾緊張している」評論と言われたのもなるほどと思う。
小宮豊隆の使っている「芸術」という「価値」は明治にそびえ立っていた西欧から取ってきたものだが、歌舞伎を評論しようとする文章は自分の「感じ」から引っ張り出し、引き延ばし、日本語の思考によって組み立てようとしていて、オリジナルな日本の批評になっていると思う。