Nov 29, 2007
木曜日
曇り。洗濯をする。今日はトイレの掃除をしようと思う。読んでいるのは、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』(伊藤典夫・訳)。これも古本市で買ったもの。
いまのところ特につよい印象はない。書き出しの自分の、書こうとしている本の、話しからいつのまにかストーリーの中にはいっている巧みさと、ドレスデンなどの体験が強烈すぎて、ストレートに戦争体験を書けなくて、「過去」「現在」「未来」を往復するようなスタイルにしているのだろうかと思ったくらい。
『雨期』50号記念のアンケートを書く。あたえられたテーマは「わたしの転機」。書く内容は決めた。どこまで書こうか考えながら書く。締切いっぱいまでかかりそうだ。
Nov 24, 2007
「歌右衛門伝説」
つづいて50円で買った渡辺保の『歌右衛門伝説』を読む。歌舞伎役者中村歌右衛門の舞台のうえの一生が書かれている。歌右衛門というひとは舞台ウラのたちまわり、舞台ウラの政治に長(た)けたひとのようで、ここを読んだ時ゲンナリしたが、「歌右衛門の政治」についてはそれほど展開しない。歌舞伎という伝統のなかで、「近代」をかかえこんだ一人の女形の光と影が語られる。
歌舞伎のなかに近代的な心理主義の方法を取り入れた中村歌右衛門が、舞台人生の晩年になって心理主義をこえる「ハラの芸」にたどりつくまでが、歌舞伎の歴史、歌舞伎界の人間模様をはさみながら描かれる。歌右衛門というひとは渡辺保によれば、社会というものを、戦後の日本の社会の移り変わりというものを、とてもよく見ていた人のようだ。歌舞伎に生のすべての情熱をそそぎこみながら、社会のなかの歌舞伎という視点をもよく維持しえていた人のようだ。
舞台の情景、動作を徹底的に書きこんでいく記述は圧倒的で、メモを取っているにしても、よく覚えていられるもんだと思う。少年のときから歌舞伎を観ていて、同じ芝居を同じ役者でなんども観ているからこそ書ける描写だと思う。踊りや演技のために動くからだから意味を読み取り、意味をつくりあげる眼がすごい。どうしても書きたい一冊だったのだ。通(つう)の世界にひきこまれる思いをしたこともあったが、そういう本じゃない。気安く読めそうなタイトルの本を買ったつもりだったのだが、じぶんの思い込みにすぎないかもしれないものを堂々と書き込んでいくところを読んですごいと思い、のめりこんで読んだ。
Nov 18, 2007
「中村勘三郎楽屋ばなし」
古本市で買った関容子の『中村勘三郎楽屋ばなし』、30円だったけど面白い。この中村勘三郎は今の勘三郎ではなく、先代の中村勘三郎。読んでいて非常に魅力的な気さくな人だなと思う。肌合いはちがうが兄の中村吉右衛門が小宮豊隆と対談しているときの面白さと似ているところがある。読んでいて思うのは、歌舞伎というのは芝居全体を受け取るというよりも役者が演じたある場面の演技をほめたり、けなしたりするのが劇評のようなもんなのだろうか。全体を観るのではなく、あそこはよかったとか悪かったとか、そんなふうに芝居を観ていたんだろうか。今の観客はそんなふうに歌舞伎を観ることができるのだろうか。今は全体を観てしまう、観ることのなかに批評するということが自然にふくまれているんじゃないかと思うが。
ぼくが唯一観た歌舞伎というのはたしか日生劇場で『夢の仲蔵』という松本幸四郎と市川染五郎がでていた芝居だけで、第一部にくらべて第二部はなんか観客にサービスしているような芝居だなというのが強い印象で、あれはいま思うと第一部は「観る観客」のため、第二部が「楽しむ観客」のためというような対応の仕方をしていたんだろうか。ちょっと向きを変えるというふうに。いつか歌舞伎座で芝居を観てみたい。
Nov 12, 2007
品川へ
*このノートは11月11日に書きました。鈴木祥子(すずき・しょうこ)のライブを聴きに行くためにおそろしく遠回りして会場のステラボールへ行く。(独立した建物と思っていたら、そうではなく品川プリンスホテル群の建物のなかの一つの会場という場所だった。実にわかりにくい会場だ)
小さなライブハウスに行くことが多いので、大きいホールは久しぶりだった。1階、2階とも満員。鈴木祥子のレコードというのはどういう理由からか、レコード店にいってもまずないので、人気があるのかないのか、有名なのか有名でないのか分からなかったが、動員力ある。
鈴木祥子のホームページに載っていた文章が抜群によくて(その文章らは今は載せてないようだ)、興味をもって、レコード店をさがしまわってようやく『Shoko Suzuki Best Collection』 というアルバムを手に入れて聴いた。これがよかった。
観客の年齢層は幅広い。親子連れも目につく。男の客の方が多いようだ。
5時45分くらいからスタート。幕開けは鈴木祥子がドラムをたたきながら歌う。キュートですこしハスキーな声が魅力的。かっこいい。よくしゃべり、よく歌う元気な女のひと。気ままな展開がいい。アンコールが1時間くらいあって3時間。楽しかった。いちばん新しいはずのオリジナルアルバム『鈴木祥子』を買う。
まっすぐ帰る。すっかり腹がへってY 駅を降りてすぐにあるコンビニでおでん5コ、肉まん一つを買う。部屋に帰ってすぐ食べる。10時半になる。風呂に入るのはやめにする。
Nov 08, 2007
「生まれて」を読みながら思ったこと (1)プラス(2)
樋口えみこさんに初めて会ったのは去年の12月で、年末孤独症に悩むぼくが樋口さんに忘年会をやろうと言いつのって会ったのだと思う。もうひとりJ さんという人がくるはずだったが、現れず、樋口さんとふたりで忘年会をやることになった。樋口えみこという人のイメージは『キテ。』という個人誌に樋口さん自身で描いている自分のスケッチ、髪はボサボサでこたつに入り、ちゃんちゃんこを着てみかんを食べ、みかんの皮がそばに転がっている絵でぼくの中ではできあがっており、非女性的なまったく遠慮せずに言いたいことを言う女の人だと思っていた。
しかし待ち合わせの新宿駅にあらわれた樋口さんはピンクのコートを着た美しいすらりとした大人のおんなという感じでぼくはかなりまごついたのだ。
この『生まれて』という詩集には21編の詩。樋口えみこはこの中でピンクのコートを着た自分を選び取っているといえる。その立ち位置から書かれている詩、詩行がもっとも多い。本音やせつなさはピンクのコートを着たあなたから多く出てきている。ぼくには手ごわい相手だ。
『生まれて』には強烈な詩が多いが、ひとりフラフラと屋上にあがって歌う「キテ」がいい詩だと思う。
キテ
ある日、
道ばたに眠る人の
独り言の中にそっと潜む
懐かしいヒトの調べ
ヒトは
鳴き方を忘れそう
ポケットに
手をさしこんで
人込みの中でときどき
確かめてみる
かすかな
その音色
強くつかむと
指が切れる
切なくて
あったかい
泥のように
いやされる
毒を秘め
ひょうひょうと流れる
風の軽さで
子どもの頃の
水の気持ちの
一瞬を
よみがえらせて
濁っていく私の心を
そわそわと
揺する
頼るものなく
張られた網を
平気なフリで
渡っていくのが見える
落ちても
ヒトのままでいる
強いあなただ
その声、
ただれた傷口に
甘く染み
ビルの屋上で
ふと
空の青さに
目をとめさせるもの
美しい
ヒトの鳴き声よ
キテ
*全行引用
この『生まれて』という詩集のなかには自分と向き合っているときには出てこない詩行がある。そこにひっかかった。樋口えみこはこの詩集全体としてはピンクのコートを着たまま書いている。ぼくはそのことに違和感をもつ。
だけれども『生まれて』は詩を書かない人、ふだん詩を読まない人がページを開いたときに、目とこころをとめさせ、詩の中にひっぱりこんでいく力を持っているかもしれない。
詩集を読みすすめながら、これは何だろうと思いつつ、樋口えみこの生きてきたこと。体験してきたこと。母への憎しみを持ったこだわり、妹との葛藤、出会った男たちとの性愛とわかれ、たしかに見てしまった悲しみがつたわってくるのだ。
Nov 03, 2007
街の祭り
街は天下市というのをやっていて、大通りの両側には出店がづらり、途中にある一橋大学は学園祭をやっていて、そのなかの古本市で古本を買った。単行本2冊、文庫本2冊、手提げ用の袋10円で計170円。安い。古本屋さんごめんなさいという感じ。喫茶店で藤沢周平の「『風雪の檻』獄医立花登手控え2」を読む。これは本屋ではみつからず、古本屋で買った。あと3冊くらいで藤沢周平の文庫本は読み切ることになる。代わりになりそうな作家はいないから、また繰り返し読むことになりそうだ。
藤沢周平は生きているときからよく読まれていた作家だが、自分が死んだあと自分の小説がこれほど世の中から必要とされるとは想像していなかったと思う。藤沢周平の小説でなければ出てこない「ほっ」がある。