Aug 20, 2007
「酔いどれ詩人になるまえに」
『酔いどれ詩人になるまえに』(ベント・ハーメル監督)を観に行った。チャールズ・ブコウスキーの自伝小説の映画化だ。ブコウスキーは代表作『詩人と女たち』のなかで自分をモデルにした主人公にヘンリー・チナスキーという名を付けているが、この原作でもそうらしいし、当然映画でも「ヘンリー・チナスキー」という名になっている。
さて、この映画でチナスキーに扮するのはマット・ディロン。写真で観るブコウスキーは禿げたブオトコ風だから、マット・ディロンの端正な顔が合わないように思うが、ブコウスキーの感じはつかんでいる。
破片のような展望のない生活をする男チナスキーはいいかげんな仕事ぶりで、すぐクビになる。仕事に身がはいらない。女はすぐみつけるが、刹那的で、退廃的な関係にしかならない。チナスキーの視線は具体的な生活をとらえていない、興味がないのだ。チナスキーが見ているのは「大きな現実」なのだが、その扉が開かない。チナスキーは詩を、小説を書きつづけている。このことだけは止めない。「愛よりも社会的な成功が必要」な生活なのだ。
どうにも食えず親の家に寄るが、父親とケンカして追い出されたり、働きだした初日に、同じ建物のなかのバーで酒をくらって、クビになったり、チナスキーと同じように破滅的だが、相性のいい女ジャンと別れたり、こりゃもうどうにもならんなというとき、チナスキーが作品を送り続けている出版社から返事がくる。「4本は返却、1本は採用です」という編集者からの返事が。チナスキーに現実の扉が開かれたのだ。
マット・ディロンは、ちょっと違う感じがしつづけたが、ラストの場面でぴったり映画とはまる。エンディングの曲もよし。
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