Feb 28, 2008

「父と娘の往復書簡」

 「オール讀物」3月号で、松本幸四郎と松たか子の「父と娘の往復書簡」が終わった。

 2006年の5月号から始まったが、買ったのが2冊だけで、そのあいだずっと本屋で立ち読みしつづけてきた。本になったら買おうと思うが、毎月本屋で立ち読みするほどいい読み方はできないと思う。

 娘の松たか子が父の松本幸四郎に手紙を書き、次の号で松本幸四郎が娘の松たか子にまた手紙を書くというかたちだった。

 3月号の松たか子の手紙が最後になったが、このなかで結婚した相手のことを書いたところで感動した。たいした人だと思う。

 長くつづいた往復書簡の文章そのものとしては松本幸四郎のほうが印象がつよくて、どの号かは忘れたが、松本幸四郎は日本でいちばん美しい文章を書くひとだと思ったことがある。

 相手にあてた手紙を読んで、次の月にその返事を読むという立ち読みにじつに向いたものだったが、終わってしまった。ちょっとさみしい気持ちがする。
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Feb 24, 2008

日曜日

 晴れ。洗濯をする。風が強い。

 川上未映子の『わたくし率 イン 歯―、 または世界』を読んでいる。作家川上未映子の「助走」に位置する作品だと思う。

 散文詩から小説へと渡っていくところをまのあたりにすることができる。これだけ読者に負荷をかけるものが売れているのは面白い。(ぼくが買ったのは第3刷)。
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Feb 21, 2008

「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)プラス(6)プラス(7)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。

 よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。

   「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。

 アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。

 『哀しい予感』は父と母が死んだあとの物語だったが、『アルゼンチンババア』は母が死んだあとの物語だ。よしもとばななはこういう話を書きつづけているひとなんだろうか。読みすすめていると、どちらの小説からも甘いような胸の痛みが立ちのぼってくる。「終わったあとの話」だからだ。

 よしもとばななの魅力は文体にあると思う。詩をかんじさせる文体だ。『アルゼンチンババア』にはあたたかいものが流れている。文体が、『哀しい予感』のときよりも切れと厚みがある。

 父が住みこんでしまったアルゼンチンババアの住むアルゼンチンビルは異様な建物で、街から浮きあがってしまう廃屋のようなところなのだ。庭には「古代のソテツみたいなもの」、「柿の木」、「枯れたセイタカアワダチソウ」、「木みたいに幹が太くなったアロエ」などが植えられ、「バラ」も咲いていて、読んでいると色あざやかな童話の絵本をひらいていくような気になる。この境界を越えるとちがう世界にはいっていくのだ。

 父は母が死んだあとの時間をこのアルゼンチンビルですごし、よみがえってくる力をもらっているようだ。「みつこ」も別世界のようなこの場所で、アルゼンチンババアと父と三人ですごす時間をもつうちに、母が死んだことの痛みをしっかりと感じとれるようになる。痛みをしっかりと感じることができるのなら、それが一番いいことなのだ。そうすることによって忘れることができ、次にすすむことができる。

 アルゼンチンビルでアルゼンチンババアと父は愛しあい、理解しあう。「みつこ」も父という存在をあらためて見つめ直すのだ。アルゼンチンビルからは高い青い空が見えた。緑の世界が見わたせる。なつかしさに息がつまりそうになる日々が思い出せた。好きなだけ。

 アルゼンチンババアはあっさりと死んでしまう。唐突のような気もするが、とにかく死んでしまうのだ。父とのあいだの子を産んだあと体調がもどらずに死んでしまうのだ。生命力の象徴のようなアルゼンチンババアがなぜやせた女なのだろうと思っていたが、これでわかった。丈夫な人ではなかったのだ。

 そして父はアルゼンチンババア亡きあと「アルゼンチンジジイ」となって幼いわが子をそだてながらアルゼンチンビルに暮らしつづける。古く汚れていて暖かいアルゼンチンババアそのもののような場所で。

 小説の終わりの「みつこ」とアルゼンチンババアの場面は読んでいるものをとおくまで引っ張っていく。じっさいに底のない高い空をみているような気になった。

 この小説のみじかさには特別の意味はなかった。よしもとばななは短く書きたかったのだろうと思うしかない。

 本のうしろにカバーの絵を描いている奈良美智の絵が15ページにわたって付いていた。付いていることにちょっと驚いたけど最初の四枚がこの小説のイメージにぴったりだと思う。
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Feb 20, 2008

「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)プラス(6)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。

 よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。

   「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。

 アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。

 『哀しい予感』は父と母が死んだあとの物語だったが、『アルゼンチンババア』は母が死んだあとの物語だ。よしもとばななはこういう話を書きつづけているひとなんだろうか。読みすすめていると、どちらの小説からも甘いような胸の痛みが立ちのぼってくる。「終わったあとの話」だからだ。

 よしもとばななの魅力は文体にあると思う。詩をかんじさせる文体だ。『アルゼンチンババア』にはあたたかいものが流れている。文体が、『哀しい予感』のときよりも切れと厚みがある。

 父が住みこんでしまったアルゼンチンババアの住むアルゼンチンビルは異様な建物で、街から浮きあがってしまう廃屋のようなところなのだ。庭には「古代のソテツみたいなもの」、「柿の木」、「枯れたセイタカアワダチソウ」、「木みたいに幹が太くなったアロエ」などが植えられ、「バラ」も咲いていて、読んでいると色あざやかな童話の絵本をひらいていくような気になる。この境界を越えるとちがう世界にはいっていくのだ。

 父は母が死んだあとの時間をこのアルゼンチンビルですごし、よみがえってくる力をもらっているようだ。「みつこ」も別世界のようなこの場所で、アルゼンチンババアと父と三人ですごす時間をもつうちに、母が死んだことの痛みをしっかりと感じとれるようになる。痛みをしっかりと感じることができるのなら、それが一番いいことなのだ。そうすることによって忘れることができ、次にすすむことができる。

 アルゼンチンビルでアルゼンチンババアと父は愛しあい、理解しあう。「みつこ」も父という存在をあらためて見つめ直すのだ。アルゼンチンビルからは高い青い空が見えた。緑の世界が見わたせる。なつかしさに息がつまりそうになる日々が思い出せた。好きなだけ。

 アルゼンチンババアはあっさりと死んでしまう。唐突のような気もするが、とにかく死んでしまうのだ。父とのあいだの子を産んだあと体調がもどらずに死んでしまうのだ。生命力の象徴のようなアルゼンチンババアがなぜやせた女なのだろうと思っていたが、これでわかった。丈夫な人ではなかったのだ。
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Feb 19, 2008

「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)プラス(5)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。

 よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。

   「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。

 アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。

 『哀しい予感』は父と母が死んだあとの物語だったが、『アルゼンチンババア』は母が死んだあとの物語だ。よしもとばななはこういう話を書きつづけているひとなんだろうか。読みすすめていると、どちらの小説からも甘いような胸の痛みが立ちのぼってくる。「終わったあとの話」だからだ。

 よしもとばななの魅力は文体にあると思う。詩をかんじさせる文体だ。『アルゼンチンババア』にはあたたかいものが流れている。文体が、『哀しい予感』のときよりも切れと厚みがある。

 父が住みこんでしまったアルゼンチンババアの住むアルゼンチンビルは異様な建物で、街から浮きあがってしまう廃屋のようなところなのだ。庭には「古代のソテツみたいなもの」、「柿の木」、「枯れたセイタカアワダチソウ」、「木みたいに幹が太くなったアロエ」などが植えられ、「バラ」も咲いていて、読んでいると色あざやかな童話の絵本をひらいていくような気になる。この境界を越えるとちがう世界にはいっていくのだ。

 父は母が死んだあとの時間をこのアルゼンチンビルですごし、よみがえってくる力をもらっているようだ。「みつこ」も別世界のようなこの場所で、アルゼンチンババアと父と三人ですごす時間をもつうちに、母が死んだことの痛みをしっかりと感じとれるようになる。痛みをしっかりと感じることができるのなら、それが一番いいことなのだ。そうすることによって忘れることができ、次にすすむことができる。
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Feb 18, 2008

「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)プラス(3)プラス(4)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。

 よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。

   「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。

 アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。

 『哀しい予感』は父と母が死んだあとの物語だったが、『アルゼンチンババア』は母が死んだあとの物語だ。よしもとばななはこういう話を書きつづけているひとなんだろうか。読みすすめていると、どちらの小説からも甘いような胸の痛みが立ちのぼってくる。「終わったあとの話」だからだ。

 よしもとばななの魅力は文体にあると思う。詩をかんじさせる文体だ。『アルゼンチンババア』にはあたたかいものが流れている。文体が、『哀しい予感』のときよりも切れと厚みがある。

 父が住みこんでしまったアルゼンチンババアの住むアルゼンチンビルは異様な建物で、街から浮きあがってしまう廃屋のようなところなのだ。庭には「古代のソテツみたいなもの」、「柿の木」、「枯れたセイタカアワダチソウ」、「木みたいに幹が太くなったアロエ」などが植えられ、「バラ」も咲いていて、読んでいると色あざやかな童話の絵本をひらいていくような気になる。この境界を越えるとちがう世界にはいっていくのだ。
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Feb 17, 2008

「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)プラス(3)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。

 よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。

   「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。

 アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。

 『哀しい予感』は父と母が死んだあとの物語だったが、『アルゼンチンババア』は母が死んだあとの物語だ。よしもとばななはこういう話を書きつづけているひとなんだろうか。読みすすめていると、どちらの小説からも甘いような胸の痛みが立ちのぼってくる。「終わったあとの話」だからだ。

 よしもとばななの魅力は文体にあると思う。詩をかんじさせる文体だ。『アルゼンチンババア』にはあたたかいものが流れている。文体が、『哀しい予感』のときよりも切れと厚みがある。
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Feb 16, 2008

「アルゼンチンババア」(1)プラス(2)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。

 よしもとばななはタイトルをつけるのがうまい人だ。『アルゼンチンババア』というタイトルはインパクトがあって、印象的で興味をそそる。

   「母親が死んだ時、私の平凡だった世界は消えた。」という一行で『アルゼンチンババア』は始まる。それを語る「ひとりっ子の私」が主人公だ。

 アルゼンチンババアというのは同じ街のビルに住んでいるアルゼンチンからやってきた派手なおばさんのことだ。日本人なのかハーフなのかよくわからない女だ。母が死んだあと父親はこのアルゼンチンババアの住むビルへと引っ越してしまうのだ。
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Feb 15, 2008

「アルゼンチンババア」(1)

 古本屋でよしもとばななの文庫本を二冊買った。『アルゼンチンババア』と『なんくるない』。『アルゼンチンババア』から読んでみようと思う。この短さに意味があるかもしれないと思うからだ。

 よしもとばななの公式サイトの著作本一覧の小説(単行本)のところをプリントアウトして調べてみる。単行本『アルゼンチンババア』は2002年に刊行されている。『なんくるない』は2004年に刊行された小説。『哀しい予感』は1988年に刊行されたものだ。まちがってはいけない。
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Feb 13, 2008

「チャーリー・チャップリン」

 岩崎昶(いわさき・あきら)の『チャーリー・チャップリン』をよむ。

 チャップリンの『自伝』をたたき台にし、映画を年代順においかけながらチャーリー・チャップリンというひとをよく引き出している。

 1903年生まれとある岩崎昶という人をまったく知らなかった。映画評論家とあるので、長く映画評論をしていた人だと思うが気がつかなかった。

 この本は古本屋で買った。本のあちこちにボールペンで線を引いているため120円となっていた。

 尼崎市で古書店「街の草」をいとなむ加納成治さんが送ってくれた「COTO」(編集・発行安田有、センナヨウコ)15号をよむ。

 加納成治の「浮浪」第3回。底辺のおとこたちの世界。浮浪する男と古本屋の店主。二段組みで3ページ。もうすこしまとめて加納成治の小説をよみたかった。元々はもっと多いページ数をとる原稿だったのではないかと推察する。

 ほか築山登美夫の詩をひさしぶりに読んだ。「だから、だから、」「聖女よ、」二編書いている。  
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Feb 09, 2008

吉祥寺へ

 吉祥寺MANDA-LA2へユウジオニキ+鈴木祥子+勝井祐二+POP鈴木のライブを聴きにいく。楽しかった。元気をもらいました。(とくに第一部が)。
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Feb 08, 2008

金曜日

 晴れ。洗濯をして、掃除をする。

 アルゼンチンババアはあっさりと死んでしまう。丈夫な人じゃなかったんだな。それでやせていたわけだ。というかそれも理由のひとつなんだろう。よく読まないといけない。
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Feb 07, 2008

木曜日

 『アルゼンチンババア』を読んでいて、不思議におもったのはアルゼンチンババアがやせた女性ということだ。この小説のなかでアルゼンチンババアのもつ生命力というのは大きな柱になっている。とすれば当然アルゼンチンババアは太めのからだであっていいと思う。しかし主人公の「みつこ」が抱きしめたアルゼンチンババアは「服の中には細い、骨張った体の感触があった。」とよしもとばななは書いている。アルゼンチンババアはやせた女なのだ。なぜだろう。よしもとばなながやせた女性にあこがれていて、それが無意識にでてしまったのだろうか。それともよしもとばななの母親がやせた女性でそれが投影されているのだろうか。まあ、よく読めばわかることかもしれない。
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Feb 06, 2008

水曜日

 曇り。東京の最高予想温度は5℃。

 洗濯をする。

 テレビでクリントン対オバマの民主党候補指名争いのニュースを見る。

 ここのところ一番関心のあるニュースがクリントン対オバマで、テレビ、新聞、インターネットとこのニュースを追いかけている。リアルなゲームのようで、興味をそそる。
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Feb 03, 2008

雪の日

 朝起きると雪がつもっていた。新聞が未配達だったので、販売店に電話をして持ってきてもらう。

 寒いとからだも心もちぢんでしまうが、雪の日というのはまたからだが違う働きをするそうだ。からだにとって雪の日というのはわるい日というわけではないらしい。
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May 2008
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