May 13, 2008
火曜日
曇り空、小雨がふる。気温は低い。児玉幸多の書いた中公文庫『日本の歴史・元禄時代』読みおわる。この時代を書いたものとしては、ぼくが読んだうちでは一番くわしかった。文章にも勢いがあった。
四代将軍家綱、松平伊豆守、酒井忠清、阿倍忠秋、堀田政俊、熊沢蕃山らの名がでてくるので、白土三平の『カムイ伝・第二部』を思い出した。『カムイ伝』、もう描かないんだろうな。
May 10, 2008
May 06, 2008
小松順子の絵
きのう、ギャラリー山口に小松順子さんの絵を観にいった。小松さんは詩人の福島敦子さんのリンクからみつけた人で、ブログを読んでいるうちに面白い人だなあと思うようになった。
小松さんの絵に関心をもつようになったのは、小松さんのホームページでその絵を見たことと、ブログを読むうちに、表現をする人間なら誰でも苦しむこと、つまり心と体に合わせて作品を作るのではなく、向こうにある作品に合わせた心と体をもとうとする、日常生活を営むうえできしみをもたらすこのことを、苦しみながらも、あきらめずにやってきた人のように思えたからだ。
銀座にあるビルの階段をおりると地下1階に小さな画廊があり、ほぼ正面奥に蓮(ハス)の大きめの絵がかかっている。9作品のうち7つが蓮の絵で、小松さんの画家としての個性が一番よくでているのが、正面奥のこの絵だ。
緑の蓮の葉が絵のほとんどを占めている。蓮の下の水も広がっている。一本だけピンクがかった蓮の花が立つ。この蓮の花は閉じているのだ。
植物のもつ生命力が観る者にせまってくるというのではない。絵にはじかれて入っていけないというのでもない。蓮の生命の静かなたたずまいがそこにある、という印象だ。
画廊を出て、近くのドトールコーヒーで、窓からみえる通りを歩く人たちをながめながら、小松さんの絵のことを考えた。はじかない、せまってもこないあの蓮の絵はなんだろう。それで小松さんがニューヨークで個展を開いたときのパンフレットをなんとなく見ていたら載っていた。
「“生と死”は私たち人間にとって永遠の謎です。/私は、生きることと死ぬことは、同じひとつの命のふたつの側面だと思っています。/このふたつを切り離すことはできません。」
小松さんが書いた文章の中のここのところで、あの蓮の絵が分かったと思った。
May 05, 2008
月曜日
曇り。むし暑い。NHKテレビの「おはよう日本」でやった日本人大リーガーの特集をみる。松井秀、松坂、福留、藪、野茂のことなど。桑田真澄が解説していた。
松坂、松井秀の活躍に興味がある。藪にもがんばって欲しい。野茂はどうなるんだ。
開幕直後、巨人が負け続けたせいか、今年は日本の野球への関心がもどった。10年ぶりくらいにテレビの野球中継を見ている。どこのチームのファンかと問われれば、ぼくは巨人です。
父が浅草の生まれのひとで、巨人ファンだったんだろうな、その影響で小さい頃銭湯に連れていってもらったとき、ぼくは必ず長嶋の背番号だった「3」のげた箱をめざしていた記憶がある。
『妃(きさき)』14号を読む。
田中庸介の詩「武蔵野」を読む。声調がかわっている。詩のなかに書かれている実生活上の変化は本当のようだ。
そして実にひさしぶりに早坂類の詩を読んだ。もう詩をふくめて書くのをやめたのかと思っていたが、ぼくが気づかなかっただけで、プロフィールを読むとあちこちで活躍中のようだ。
May 04, 2008
日曜日
曇り。しかし晴れ間もみえる。朝食はバナナと牛乳とお菓子。
フジテレビでやっていた『ボクらの時代』を観る。岩松了、中村獅童、荒川良々(よしよし)の三人が旅館かどこかで食べながら、飲みながらの座談会。楽しくて、面白くて、いい感じだった。岩松了という人はふところの深い感じがするな。
カーテンの洗濯をする。
よしもとばななの『体は全部知っている』を読む。
『体は全部知っている』は短編集。それもみじかい短編集のようなので、一編を一気に読むことにしている。
「西日」は3編めの小説。女と男の話。スピードがある。読む者に昂揚感をあたえるスピードをもった一編。