Apr 27, 2008
映画館へ行く
映画館へ『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観に行く。シネマコンプレックスのなかの席のすくない上映館だったけれど、それでも席の半分くらいは埋まった。ゴールデンウィークだからか、主演のダニエル・デイ=ルイスがアカデミー主演男優賞を受賞したためか、などと考える。(満員になる映画というのは数少なくて、休日でもガラガラという映画が結構多い)
選んだのは正面、後方の席。ちょうど前ふたつの席が空いたまま。よく観えるな、いい席だなと喜んだが、映画がはじまるのを待っていたように、となりに座った男がメシを食べ始めた。それも正規の食事という感じで食べる。なかなか食べ終わらないので、「どこで食べているんだ。バカヤロウー」と怒鳴りそうになる。ムカツいたまま映画を観ていたら、どうも集中できない。
石油に生きる男(ダニエル・デイ=ルイス)と教会に生きる男の対立。抑制の効いた映像。と映画を追うが、むかーっとしているので、ダニエル・デイ=ルイスがいい演技をしているということがきちんと認識できたくらい。一時間くらいたってようやく映画に集中できるようになる。
アメリカでもこういう商業度の低い映画を作ることができるんだなと思った。見ごたえはあるが面白いという映画じゃない。
油田をみつけ、採掘し、富と力を得る男と信仰に生きる男が争う。世俗と信仰の争いという形だが、神のために生きる男もけっこう世俗的だ。教会の権力というものを意識しているし、名声も欲しい。やられたらやりかえす闘争心も秘めている。
ぼくはこの映画で、「欲望の新鮮さ」とでもいうものを観たかったのだと思う。それで映画館までやってきた。「欲望」が生じたら、見ないふりをしてはいけない。無かったかのように扱ってはいけないんだ。否定したいと思うことでも、「欲望」が生じたことを認めたうえで否定するべきなんだ。最近こんなことを考えている。
物語が進むにつれてダニエル・デイ=ルイスとその息子の関係にだんだんと映画の重みがかかってくる。そして端正で抑制されかっこよくもあるダニエル・デイ=ルイスの演技に一本調子というか、じぶんの型を守りすぎるため、映画と合ってないところが出てくるように思える。
後半、終わりに近づくにつれて、映画そのものがダニエル・デイ=ルイスの演技に依拠しすぎているところがあって、それがこの映画の完成度を弱めているんじゃないかと思う。しかし100点の映画なんて滅多にあるもんじゃないし、ハズレじゃない。それに今日は妙な野郎が居て、ついてなかった。次の映画はゴールデンウィークが終わってから観にこよう。それから忘れてはいけない。脚本・監督はポール・トーマス・アンダーソン。『マグノリア』を監督した人。音楽は映画とは関係なくとにかく音楽で観客を酔わせてしまおうという最近のというか、このところの傾向からまぬがれているけれども、それもぎりぎりのところ。もっと抑えてもよかった。映像はアカデミー撮影賞をとっていて、これはよし。
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