2013/04/04

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渡辺洋詩集『向日 歌う言葉』(書肆山田2010年刊)の感想

 この感想を書く切っ掛けは、まず3月30日の午後に渡辺洋さんとわたしを入れて6人でビールをに飲みながら(わたしはノンアルコール)料理を食べている時、詩を巡る四方山話が進んで、渡辺さんの詩集『向日 歌う言葉』が3度読んだけどどうもよく理解できなかったというわたしの発言になったのです。
 そして、翌日の3月31日に渡辺洋さんはtwitterで、「ぼくの詩集『向日 歌う言葉』は、ぼくが生きているという事実が伝わってこない、3回読んだけど理解できないと、鈴木志郎康さんに面と向かって言われたことは、ここに書いておきましょう。つまり、そのくらいシビアなところもある飲み会なのよ。」とつぶやいて、更に
「こういう詩、こういう詩を書く人間がいるということが、志郎康さんの想像力の外のことになってしまったのかもしれませんね。」とつぶやいたんですね。
 そこで、わたしはもう一度ちゃんと読んでみようという気になったのです。そして最初の「向日」を引用して、そこに使われている「世界」という言葉になじみが無いとツイートすると、渡辺さんから
 「自分でする説明が正しいものかどうかは分かりませんが、全体に鬱病からの社会復帰というのが、ベースにあると思います。『思います』って自分で言うのも変ですが。」
 という返事がありました。わたしはこの返事で詩集を理解する切っ掛けを得たように思い、再度詩集を読み直して感想を書くに到ったのです。
 
 詩集『向日 歌う言葉』の詩を読んでいくと、詩の作者が感じて意識して考えていることと、わたしが日頃感じ考えているとはかなり違うというように思えてきました。この現実で生活している作者はこの現実を生きにくいと感じて絶望して、自分が生き生きと出来る世界を求めているように思えるのですが、現在のわたしにはそういう思いはありません。でも、これらの詩篇を更に何度か読み返すと、自分のそういうのほほんとした生活態度でいいのかなあとちょっと気がかりになりました。
 さて、この詩集の作者は、吹いてくる方向も定まらないビル風のように吹き付けてくる自分にそぐわない言葉に曝されていて、孤独に「さわやかな投石のような言葉をさがす」、また「言葉の瓦礫にうずもれているぼくを呼び起こして青空に放り出す言葉をさがす」ことが問題なのですが、なかなかそういう言葉が見つからないが、「ぼくは朝を待つ言葉で話がしたい」、つまり希望に満ちた言葉を語り合いたいということなんですね。そういう「場所」に辿り着こうとしている、その苦悩が前半の「向日」というタイトルの6篇の詩では語られていると受け止めました。
 ところで、「ビル風のように吹き付けてくる自分にそぐわない言葉」とか「ぼく」が「うずもれている」「瓦礫の言葉」というのは現実のどういう言葉なのか、作者に取っては自明のこととして具体的は示されていませんが、察するところでは、資本の流れに乗って書かれ語られ、権威付けられて、人々の心を眠らせるメディアの言葉ということになるように思われます。というのは、前半の「向日」詩篇では作者の苦悩が語られているが、「歌う言葉」のパートに置かれた10篇の詩は、いわば「瓦礫の言葉」が「ビル風のように吹き付ける」現実に対して、自分の意志で現実に立ち向かって発信しようという思いとそういう表現を実現している人たちに寄せる思いを語っているからですね。
 「歌う言葉」のパートの最初の「春のように」という詩では、

  自分のことばかり話そうとしていた季節から
  きみの話を聞きながら少しずつ抜け出していきたい
  誰かに聞いてほしいと思いつづけていた話もわすれて
  自分でも思い出すことすらなかった話をはじめられたら

というように、自分を取り戻して現実に向かって発言して行こうという気持ちを語っている。また「本を読む」という詩では、反政府的な言語活動をしているトルコの作家に思いを寄せて、

  トルコの作家オルハソ・パムク
  彼の小説『雪』の英訳をインターネットで買う
  日本の地上の本屋が
  金儲けやストレス解消のための
  一〇〇円ショップになってしまった時代
  言葉の向こうにいるのほ数字になってしまった人間

  雪に閉じ込められた
  原理主義と民族対立にゆれるトルコの一地方を
  反政府的言動からドイツに亡命していた詩人が訪れる
  新聞に依頼された取材を口実に
  都市では失われた故国らしさを残す街で
  同級生だった女性に会うために
  そして自分の詩を取り戻すために

という闘う姿勢を見せるような気持ちを語っています。
 「歌う言葉」の後に置かれた「私は断固として闘います」という尊敬する「T先生」に寄せる思いを語った「向日7」からの三編の「向日」は、つつましく密やかに現実に向かって行こうとする気持ちが語れれていると受け止められます。この詩集の最後には、
 
  あたらしいシャッツのように
  はじめてのラジオのように
  私たちを分けへだてる
  ちいさな怒りをとかすスープのように
  一行でも世界を書き直そう
  心に風をあててなびかせていこう
  
と書かれて終わっています。
 二,三度読んで掴み損ねていた渡辺洋さんの『向日 歌う言葉』を何とかわたしなりに読みこなして見ました。渡辺洋さんのtwitterのつぶやきを見ていると、反原発のデモに行かれたり、原発事故の被害状況を訴えるツイートや朝鮮人の対する暴言デモに反対するツイートをしきりにリツイートしていたりして、社会運動に感心を持って参加しているように見受けられます。そうした現実の社会と向き合った時の「一行でも世界を書き直そう」とする詩の言葉がどういうものになるのか、今後の渡辺洋さんの詩を見ていきたいと思います。

永続的リンク

2010/08/31

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須永紀子詩集『空の庭、時の径』感想

須永紀子詩集『空の庭、時の径』感想

 須永紀子詩集『空の庭、時の径』がわたしの手元に送られてきたのは三月か四月、最初に読んでからもうひと月余りの日が過ぎて六月になってしまった。これまでに数回読み返して、感想を書こうと思いながら思いや考えが纏まらないでなかなか書くことができなかった。先日、渡辺洋さんのブログ「f451日記 by 渡辺洋」でこの『空の庭、時の径』の感想を読んで、渡辺さんの感想にコメントして、その自分のコメントから感想が纏められるような気になって、書き始めている。
 贈られた須永紀子詩集『空の庭、時の径』を一読して、想像力が掻き立てられる言葉で独特の世界が語られたいい詩集だと思った。ところが読み終えて、その詩集の内容を思い返してみようとすると、いいなあと思った言葉が幾つもあったはずなのに、ばらばらと手からこぼれてしまうようで、掴み難く、取り付きにくいという思いになるのだった。渡辺洋さんもその感想の始めのところで
 「3回読んでうまく読み取ることができず、自分の無力感への苛立ちもあって、須永さんも『いかにも現代詩』の高踏な世界へ行ってしまったのかと腹を立てたりして中断していた。」
と書いている。取り付きにくいと感じたのはわたしだけではなかったのだ。しかし、語られている言葉に魅力があり、最初の詩で〈世界とはどこか〉という問いかけていることなどから、ことばの印象を受け止めるだけで通り過ごしてしまうことができない。そこで、わたしなりに感じたところを辿ってこの詩集を掴まえてみようと思う。
 詩集『空の庭、時の径』は、四編ずつ三つに分けれれた十二編の詩とあとがきが収録されたいる。詩は一部を除いて行分けで書かれていて、一行一行を読んで行く分にはイメージが掻き立てられたり、眼を開かれたりするのに、詩全体を掴もうとするとすると、幼い頃の記憶が語られている「夏の旅」以外は、掴めなくなってしまう。何が語られているのだろうという思いが残るのだ。
 この辺りのことを、先ず最初の詩「囲続地にて」に当たって考えてみることにする。全編を引用する。

<世界とはどこか>
高く囲われた土地、そこに入っていくための
おそらくは形式的な問が
頭上から降りてくる
<世界とは地球、世界とは地球上にあるすべての国>
──そうではない。
そうではなく
もし正解というものがあるとしたら
一語ではないし一つでもないだろう
<地球上の、ヒトが生きて、暮らしている場所>

ゲートが開かれ
閉じられたときにはもう
風景にまぎれてしまっている
午後の陽ざし、ハコヤナギ、揺れる草
世界が動画のように動きだし
そのなかを半実体になってはこばれる
動こうとする意志と身体にずれがあり
近づいてくる平野と森がある
野ネズミの速さでヒトがあらわれ
話しかける前に消えてしまう

図版のような夜が来て
静まりかえった集落
一日を終える家々の
水をつかう音、皿の触れあう音、火の燃える音
ヒトの暮らしに感度を上げる
立ち耳を残して
終熄する身体

夜が明けたらわたしは森に入っていくだろう
鳥が鳴き花は匂い羽音は近づくが
実物を目にすることはなく
ヒトの姿をとらえることもないだろう
この世界の仕組みが解けはじめる
<世界とはどこか>

果てまでたどりついたとき
語ることばをわたしは得るだろう
ことばの要らない日々を過ごすことが
ことばを忘れることにつながってゆかないように
目に映るものを記憶するため
わたしはわたしの内部で声をあげる
ことばを組み立て筋を通し
語るべき時が来るのを待つことが
歩くことと同時になされる

 この詩をわたしなりに辿って見る。詩全体では、高く囲まれた土地に、そこに入るための質問に答えて、その中に入って、そこで遭遇して体験したことが語られている、と受け止めることができる。一連目には囲繞地に入るための儀式としての質問と答えが書かれている。二連目にはゲートが開いて、そこに入って「半実体」になって意志と身体がずれながら、平野と森の中を運ばれて、「野ネズミの速さで」現れた「ヒト」に遭遇したが「話しかける前に消えて」しまったこと、三連目にはそこで夜になって、静かな集落の人々の生活の「水をつかう音、皿の触れあう音、火の燃える音」など聞いて、「ヒトの暮らし」に敏感になって聞き耳を立てているうちに、身体感覚が失われてしまったことが語られれ、四連目になって、聴覚だけの存在になり、やがて夜が開けたら、森に入って行って鳥の鳴く声を聞き、花に集まる虫の羽音を聞くことになるだろうが、それらの生き物の実体を目にすることもなく、ヒトに遭うこともないだろうが、音でできている「この世界の仕組みが解けはじめ」て、改めて<世界とはどこか>と問うことになるのだと思う作者が現れる。五連目には、この囲繞地の「果てまでたどりついたとき」に、この詩の作者である「わたし」が考えたこととして、自分が「語ることば」を得て、ことばを忘れないために、「日に映るものを記憶するため、わたしはわたしの内部で声をあげ」、「ことばを組み立て筋を通し、語るべき時が来るのを待つことが、歩くことと同時になされる」ということが語られている。
 この詩は、全体で作中の「わたし」が<世界とはどこか>という質問に答えて、囲繞地に入って体験したことからことばについて考えるに到ったことが語られていると受け止めることができる。「半実体になってはこばれる」とか、「野ネズミの速さでヒトがあらわれ」とか、「図版のような夜」とか、「この世界の仕組みが解けはじめる」など、分からないところもあるが、書かれたことばに従って辿ることはできた。ところが、そこに入るためには、<世界とはどこか>という「頭上から降りてくる」「おそらくは形式的な問」に答えなくてはならない「高く囲われた土地」とは何か、つまり「囲繞地」というのは何かと思った途端に、この詩は手から滑り落ちそうになり、持ち直そうといろいろと考えることになる。
 先ず、「そこに入っていくためのおそらくは形式的な問」は、「頭上から降りてくる」わけだが、それは囲繞地の管理者がゲートの上の方から発した問いかけなのだろうか。「おそらくは」ということばに引っかかる。作者は問いかけを直接耳で聞いているはずなのに、何故推測しているのだろう。この詩は作者の体験のように書かれているが、実は体験してないのではないかという疑問が残る。囲繞地のようなところがあったとしたら、そこに入るためには、「おそらくは形式的な」問いかけがあるに違いない、という作者の考えを元に、この詩は書かれることになった、というふうに考えられる。つまり、「囲繞地」は作者が「世界」と向き合う場所として創造されたところなのだ。従って、問いに対する回答によって、作者の世界と向き合う仕方を限定する必要がある。
 
 <世界とは地球、世界とは地球上にあるすべての国>
──そうではない。
そうではなく
もし正解というものがあるとしたら
一語ではないし一つでもないだろう
<地球上の、ヒトが生きて、暮らしている場所>
 
 世界を地球上の国として捉えるのではなく、「ヒトが生きて、暮らしている場所」という人の営みに視点を置いて捉えるというわけだ。この世界の定義づけによって「囲繞地」のゲートは開かれ、作者は中に入ることができた。そこで、囲繞地に入った作者は歩行する者と同様にことばを使う者になったということが語られたのがこの詩であり、またこの詩を冒頭に置いた詩集全体が作者自身の詩人としての存在を語っているのだと思える。
 わたしは、詩集を手にして読み始めて、この詩集自体がこの詩のこの世界の定義で始まっているのを読んで驚いたのだった。世界と向き合って、こんな風に明解に語るっていいな、と思った。もしかしたら、須永紀子は詩人としての思想を語ろうとしているのかもしれないという思いが浮かんできた。「囲繞地」は国家に関心を持つのではなく、人の命や生き方に関心を持って入るべき場所で、そこでことばを獲得して、「ことばを組み立て筋を通し、語るべき時が来るのを待つ」場所なのだと理解できた。
 詩人が自分の詩を書く場について語っている詩なのだと受け止めて、どうやら、手から滑り落ちかけた詩を持ち直すことはできた。しかし、それでこの詩が掴めたとは思えない。二連目には、ゲートが開いて、中に入って体験したしたことが語られている。囲繞地には、午後の陽が差し、ハコヤナギや草が風に揺れ、平野と森があり、人は忙しいのか「野ネズミの速さ」で現れて、話しかける暇もなく素早く立ち去って行く。その世界の風景はアニメ映画のように動いていて、自分の「動こうとする意志と身体」がずれてしまって、「そのなかを半実体になってはこばれる」ように感じられる。
 囲繞地の中には樹木などの自然が開けているいるようだが、人は何故か忙しく動き、自分も意志に反して速く運ばれる。この「速さ」と「半実体」ということが呑み込めないまま読み進める。
 三連目では囲繞地が夜になった時のことが語れれている。夜は「図版のように」やって来て、「静まりかえった集落」では、「一日を終える家々の水をつかう音、皿の触れあう音、火の燃える音」が聞こえてくる。囲繞地で夜を迎えた詩人は、人の暮らしの音を聞いて、一層「ヒトの暮らしに」敏感になり、聞き耳を立てているうちに身体感覚を失う。
 四連目と五連目では、聴覚によれば世界は音なのだと、「この世界の仕組みが解けはじめ」、その夜の闇の中で思い描いた朝の情景と、この囲繞地での体験によって得られるあろう結果として、ことばのあり方が語られている。つまり、この二連は、夜の音からことばへと考えを巡らせた詩人の頭の中に生起したこと語られているわけである。
 五連目の後半には、囲繞地の果てまで行けば得られるであろう思われる考えが述べれている。先ずことばを得て、ことば必要としない日々にあっても忘れないように、「目に映るものを記憶するため、わたしはわたしの内部で声をあげ」、更に「ことばを組み立て筋を通し、語るべき時が来るのを待つことが、歩くことと同時になされる」という「考え」を得るというのだ。人は生活する上で、何をするにも歩くわけだが、そういう生活の一環として、見たものをことばにして、そのことばによって自分の内部の声として、組み立て直して、語る時がくるのを待つということが語られ、これは取りも直さずことばによる表現を持つ者になるということ以外ではない。この五連目の後半は、「人が生きている暮らしを内部の声としてことばで語るところにこの世界はあるのだ」という詩人自身の思想の宣言とも言えよう。
 こんな風に読んでみると、この詩は詩人の文学的思想の宣言で、詩集の序文とも受け止められるが、それでこの詩集をがっちりと掴めたかというと、まだ心許ないところがある。それは、わざわざ詩の題名を「囲繞地にて」として、儀式的な問答をしなければ入れない隔離されている場所を設定して、そこでの体験を語るという仕方で自分の思想を述べているわけだが、その「囲繞地とは何か」という問いが残っているということだ。
 「囲繞地にて」という詩は作者の囲繞地での体験ように語られているが、作者の日常生活の地平にある現実の体験とは思えない。この詩のことばには現実的なリアリティが感じられず、むしろ思惟のリアリティが強く感じさせられる。この囲繞地は作者が頭の中で考え出した「土地」であり、その昼と夜の体験は虚構として書かれていて、その夜に周りのものが見えなくなって、音だけが聞こえるようになった後に語られている四連目と五連目の「わたしの考え」は、この詩を書き進めている現実の作者の脳髄に去来した意識として語られていると言えよう。囲繞地が虚構だということは、この詩集全体を読む上で大切なことなのだ。この詩集では、「囲繞地にて」の他に、「星の下で」「谷を渡って」「旧市街」「遠い庭」「孤島」など場所または土地の空間を表すことばが詩の題名として使われているが、それらが虚構として詩集の題名の「空の庭」に収斂しているいえる。つまり、この詩集は虚構として考え出された場所または土地の空間の疑似体験とそこで得た考えを語るという仕方で書かれているといえる。この詩集が読んでいて手から滑り落ち行くような感じになるのは、語られていることが作者の創造した虚構と、それに交わる作者の主観なので、読者として作者と共に現実を媒介して手にできるものを見つけるのに戸惑ってしまうからといえよう。平たくいえば、作者に取って極々当たり前の意味合いのことが読者にはそうでないということが多く語られているわけだ。現代詩を読み慣れている読者には、「囲繞地にて」と来れば、それが文学的なタームとして虚構だということは当たり前のこととして受け止められるのだろうが、後に出てくる「旧市街」となると、現実のことか虚構のことか曖昧になってくる。そこが面白いといえばいえるのかも知れない。「囲繞地」は作者がことばに真摯に向き合って考えを引き出してくる場所であり、その場所は儀式的な問答があって入れるような隔絶されてなくてはならない。作者はそういう場所が欲しいと思い、「囲繞地にて」と格好良く決めたというわけであろう。
 場所または土地を虚構して、そこでことばを引き出してくるというのはどういうことなのだろうか。詩集の「あとがき」に書いてあることを手掛かりにもう少し考えてみることにする。「あとがき」は次のように書き始められている。
 
 「現実を生きながら、わたしたちは内部世界を生きています。それぞれが持っているもう一つの世界、それは小さな庭のようなものかもしれません。時を移動してその小さな空間に出かけ、遠くを眺めたりものを思ったりする。二つの世界を行き来することで、わたしたちは毎日をやっていくことができるのではないかと思います。詩もまたその頻繁な往復のなかで生まれます。」
 
 須永紀子さんにとっては、「わたしたち」という作者と読者を含めた現実に生活する者は「現実」に生きながら、同時に「内部世界」を生きていて、個々の人は現実の「世界」と内部の「世界」の二つの「世界」を持っているということだ。その内部世界は、「それは小さな庭のようなものかもしれません。時を移動してその小さな空間に出かけ、遠くを眺めたりものを思ったりする」というわけで、この考えが詩集の題名「空の庭、時の径」になっている。そして「詩もまたその頻繁な往復のなかで生まれます」と語っている。「囲繞地にて」の第五連がこの辺の事情を語っているものと思われる。作者によれば、詩はその二つの世界の頻繁な往復のなかで生まれてくる。つまり詩は現実と内部世界との往復の場ということになる。詩が「往復の場」ということになれば、詩に使われることばは現実のものを表すことばと内部世界を表すことばが混在することになる。そのことばの意味合いは、現実のものを表すことばが内部の意味合いを持ったり、また逆に内部のものを表すことばが現実のものの意味合いを持ったりすることになるであろう。この詩集は掴み難く、取り付きにくいが、詩を書くことの深みを語り得ているのは、このことばのあり方によると思う。
 一先ずこれで区切りつけることにしよう。

 さて、今日は七月九日だ。丁度ひと月の間、詩集『空の庭、時の径』についてあれこれ考えて来たというわけだ。と言っても、四六時中この詩集のこと考えている訳ではない。一日の大半はベッドでテレビを見ている。ニュースと新作や再放送のテレビドラマを追いかけて、参議院選の報道と力士たちの野球賭博の報道と刑事物の虚構の映像を見て、それにサッカーのワールドカップの試合も夜中に目を覚まして結構見た。一日に二時間ほど、疲れない程度で、パソコンに向かってメールやmixiをチェックした後にこの文章を書いてきた。食事してトイレに行って汗の下着を換えるというわたしの生活の現実の中に、テレビの映像が伝える現実と並んでこの詩集のことばがあった。
 参議院選の報道では管首相が言った「消費税」ということばが各党の党首たちのことばを支配してしまった。力士の野球賭博の報道では「相撲協会の危機」が語られるところとなった。サッカーのW杯では日本の代表選手たちが賞賛されるところとなった。欲望とか希望とかが語られている。一方では別に、幾つもの刑事物のドラマでは絶えず事物とことばが照合されて犯人となる人物の動機が割り出されて納得させられて安堵することになるのだった。そして美貌や老化防止や自動車販売のCMの欲望を掻き立てる同じ映像を何度も見ていると、不安にさえなってくるのだった。こういうわたしが日常的に触れている現実のテレビに流れることばの中に詩集『空の庭、時の径』を置いてみると、詩集のことばは意味の働き方では全く違うものである筈なのに、通じるところがあると受け止められるのだった。須永紀子さんという詩を書く人が自身のことばを書く根拠を語ろうとしている。そこにはことばに対する欲望が現れた現実があると思えた。
 テレビニュースを見ていたら、流山市の市政では、住民の数を増やすために、子育て世代の要望に応えて、森を作るということで、公園を作り、マンション建設の際にはなるべく多くの樹木を植えるように指導しているということであった。子供たちと過ごせる森が若い母親たちの自然と調和した幸福感を求める欲望の一つなのだ。わたしは、このニュースを見て、突然、『空の庭、時の径』の中にトウカエデやシイやハルニレやハコヤナギやユリの木などの樹木の名前が出てくるのを思いだした。これらは幹が太く高く成長して葉を茂らせている樹木だ。森の中で子供たちを遊ばせるという若い母親の幸福感が須永さんの詩に通じていると思えた。詩集の三つ目の詩「星の下で」には、人が生まれて立つようになると自然と人間との関係が始まり、更にことばを覚えて本を読むようになり、やがて超越的な存在を知るところとなる、ということが語られていると思うが、その二連目に、
 
 扉がひらかれて
 温かな陽ざしの下
 爪先を横切っていく虫たち
 立ち止まるわたしを囲む
 トウカエデ、シイ、ハルニレ
 
と書かれている。幼子の詩人は外に出ると温かな陽ざしの中で丈高い樹木に囲まれている。ここに登場する樹木の名は詩人の自然に触れている幸福感を求める欲望を語ることば以外ではないのではないだろうか。わたしはこの思い付きから、須永さんの「詩もまたその(二つの世界の)頻繁な往復のなかで生まれます」と言う。その「頻繁な往復」の動機はことばによっていろいろな場面での幸福感を求める欲望の実現だと言えないだろうかと思った。須永さんは「二つの世界を行き来することで、わたしたちは毎日をやっていくことができる」と言うのだから。ここまで来て、ようやく詩集『空の庭、時の径』の全体を掴めるような気がしてきた。

 『空の庭、時の径』に収録された詩は十二編で、一応四編ずつ三つのパートに分けられている。先ず第一のパートは、「囲繞地にて」「夏の旅」「星の下で」「谷を渡って」の四編だ。
 「囲繞地にて」では自分にとっての詩を書くことの意味合いが語られている。この詩は、「〈世界はどこか〉」という問いで始まる。わたしはこのことばを読んで驚いたのだった。このことばを書くのには勇気が要ると思った。こんなことを書いたら自分が何者かと問われてしまうからだ。問いを書いた作者自身が世界に向かって曝されてしまうと思う。それを敢えて書いたということで、詩を書く自身が何者かを問い質していこうとしていると思えた。そして自ら「〈地球上の、ヒトが生きて、暮らしている場所〉」と答えている。そこで開かれた囲繞地に入っても、ヒトの暮らしには音でしか触れることが出来ないが、その音によって世界の仕組みを解けば、世界はことばで成り立っているということになる。そして、歩行のようにことばを使って、内面を語る時がくるのを待つ、という宣言で終わる。ことばによって「内部の声」を求めるという欲望が語られている。
 「夏の旅」では、詩人が八歳の時に外房の海辺近くの叔母の家に家族と一緒に行った夏の旅の記憶を、週刊誌や冷凍みかんやチョコレート色の列車、それに母親の姿などを具体的に語ることで、その時、自分と母親の違いを意識して孤独を感じるあたりから自意識が生まれてきたことが語られている。その具体的なことばの語り口という点で詩集の抽象的な語り口の他の詩と印象が違っている。そしてこの詩には詩集全体のモチーフになっている「ことば」に関することは何も書かれていない。しかし、「囲繞地にて」の次にこの詩が置かれているということは、その記憶が詩人が詩を書く出発点になったことが語られていると考えられる。実際、WebのMixiで、野村尚志さんがこの詩について書いた日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1466700202&owner_id=926928)に、須永さんは
 
 「詩集のなかでこれだけ異質なのですが、どうしても入れたいと思いました。自我が芽生えたのは8歳の夏で、親が自分を守ってくれる絶対的な存在ではないことや孤独というものを知ったと思います。ここからわたしの詩がはじまったような気がしています。」
 
とコメントしている。「詩集のなかでこれだけ異質なのですが、どうしても入れたいと思いました」というこの異質は他の詩が虚構の体験を語る作品なのに対して、「夏の旅」は現実の具体的な体験を語っていうというところで異質なのであり、そして「どうしても入れたいと思った」のは「ここからわたしの詩がはじまったような気がした」からだということなのだ。つまり、この詩には、詩集全体のモチーフになっている「ことば」に関することは何も書かれていないが、そのモチーフが現実で生活する作者自身から生まれたものであるという基点を示しているといえよう。この詩から最初のパートの三つの詩はことばについての詩人の境涯を概括して語っていると受け止められる。
 「夏の旅」に続く「星の下で」では、人が生まれて一人で立って歩くようになって始まる世界との関係性が、農家の幼児を喩えにして抽象的に語られ、「谷を渡って」では人の成長がハイキングの行程を喩えにして語られているようだ。この二つの詩は須永さんの詩がことばに向かう欲望の実現として書かれていることを端的に示している。「星の下で」は「生まれて間もない足で/地面を踏みしめたとき/世界に高さが加わった」と書き始められ、継いで「積み上げられた干し草/窓の外の三日月」と情景が設定され、「彼方でスイッチが入り/見られる者のなった」と、農家の家の中で立ち歩きができるようになった幼児に対する作者の視線が語られて、この詩のテーマとなる人と世界との関係が語り出される。須永さんは詩集に付された経歴によれば東京生まれだから、窓の外に三日月が見える農家の干し草の脇で一人歩きし始めた幼児というのは、彼女自身ではなく、虚構された人物といえる。しかし二連目以降ではこの幼児が「わたし」となって、家の外に出て自然に触れ、三連目では収穫物のない飢えを体験して、四連目ではことばを覚えて本を読むようになり、世界のと関係性を一層深く考えるようになると語られている。虚構の体験を自分のものにする、それが作者の欲望の実現としてのこの詩の、またこの詩集の特色といえるだろう。
 ところで、「スイッチ」というは何のスイッチなのだろうか。このスイッチについてはいろいろと考えてしまった。先ず「彼方でスイッチが入り/見られる者のなった」と語られ、「ことばを覚え/スイッチについてわたしは/考えるようになるだろう」と語られる。最初は歩き始めた子が「関係意識を持つ」ということが「スイッチが入る」ということかと思った。しかしそれだと「彼方で」が分からない。そこで詩のことばに即して考えると、「彼方で」は「干し草」や「窓の外の三日月」から離れたところということで、次元を異にした作者の頭の中のことだと考えた。つまり歩き始めたばかりの幼児は作者に「見られる者」なったというわけだ。スイッチは作者の頭を虚構に切り替えるということと考えた。「あとがき」の「二つの世界を行き来する」スイッチというわけだ。
 
ことばを覚え
スイッチについてわたしは
考えることになるだろう
見る着であり見られる者として記す
そのように書かれた本を
くりかえし読み
やがて気づくだろう
もう一つの眼に照らされていた
日々のことなど
 
 分かったような気持になるが、この四連目を読むと、「もう一つの眼に照らされていた」とあって、この「もう一つの眼」って誰の眼なのだろうかという疑問が出てくる。この眼は何か超越的な存在者の眼という印象もあるように思える。
 次の「谷を渡って」は新緑の浅い谷と木々が高くそびえる深い谷の二つの谷を一泊して渡り歩いたハイキングの体験のように書かれているが、一連目の最後の行の「ジオラマの夜が来る」とか、二連目の「絶望的な飢えに突きあげられ」とか、三連目の「少し賢い主体になって/この谷を渡る」などという詩句を読むと、この詩が現実的な体験を語ったものではなく、まさに作者のことばに向けられた欲望の実現として、これまでの詩人の詩作の境涯を語るものとして書かれていると思える。若い頃は軽い気持で楽しく詩を書いていたが、詩の世界を見渡せるようなところで、辿るべき道も分からなくなり、詩を書きたい気持があるのに、ことばに対して絶望的になり、書いたことばに痛みを感じながら、一層深い詩の世界に踏み込み、ことばを書く主体として賢くなって詩作を続けているということなのであろう。
 これで最初のパートが終わって次に現在書き続けている詩人自身の詩作を検証するパートに移ることになる。
 
 二番目のパートは「旧市街Ⅰ」「旧市街Ⅱ」「旧市街Ⅲ」「遠い庭」の四編の詩からなっている。これら詩はいずれも非日常的な状況を虚構して、そこに自分を置いて確かめようとしているように思われる。向きになっているような身構えが感じられる。そのために、突き放して、ちょっと飛躍して読んでみると、これらの詩に共通して流れている気分は、「これは自分の身の上を歌ったいわゆる演歌だなあ」と感じられてしまうところがある。
 三つの詩のタイトルに「旧市街」ということばが使われている。「旧市街」は嘗て市民が行き来して、歴史があるが、今はもう限られた人々しか足を踏み入れない地域という場所だ。その場所でのこととして、「旧市街Ⅰ」では、老朽化して使われなくなった旧庁舎の、ひび割れたリノリュームの床の集会室で先生の話を聞いたことが語られる。先生の「〈考えること、考え続けることが大切です〉」ということばを耳にして、窓の外の鳥と樹木を見て、「鳥は使者であり、樹木が歴史であるとしたら/そう考える〈わたし〉とは何か」と考える。「鳥は使者」とは死者の魂ということだろうか。そして「樹木が歴史」とは時間の流れということだろうか。自分が認められた存在かどうかということで不安になり、先生が自分の名を呼んでくれたら自分の存在に確信を持てるのに、と思う。そしてその先生の「〈鍛えることです〉」ということばを胸のしまって、非日常に生きる自分を自覚する。この先生のことばを記憶に留めて生きるようになるということを、「透明な筐にしまう」と語っているのが、わたしはいいなあと思った。自動モードが設定された別の生き物になり、「鳥の飛び方やことばについて/考える筐になってゆく」というわけである。
 二番目の「旧市街Ⅱ」では、「旧市街」は空襲か地震で建物が崩壊して瓦礫が堆積する地域となっていて、その崩壊して瓦礫に埋まった工場の地下で、新しい街を夢見て過ごした夜の、狂おしいほどの活字に対する思いが語られる。「賢い猫」の話を仲間に聞いて貰えないで、暗闇の中で本を開いて活字に思いを込める。そして翌朝、侵入者を待ち受けるというのだ。体験のように語られているが、わたしは詩人が遭遇した現実の体験ではなく、虚構の体験と受け止める。語られているのは印刷されたことばが、瓦礫の地下で一夜を過ごすような過酷な状況で希望の拠り所となったこと、そしてその体験によって平安な日常が反転して、現実を「仮想の日常を生きるわたしの上を/今日も透明な厄災が通過する」という意識で受け止めるようになったというのであろう。つまり、この詩には詩のことばの位置づけが語られていると受け止める。それは兎も角、「賢い猫の長い話」というのはどんな話なのだろう。
 三番目の「旧市街Ⅲ」では、「旧市街」はちぎられた写真が貼り合わされたように修復され、「安息の旧市街」になっている。そこで、
 
 薄く老いた影が
 共同墓地を横切り
 古い友人たちとすれ違い
 セント・ジェームズ病院の一室で
 誕生日を迎える
 
というのだ。そしてその影が純粋無垢な魂を持つ人々が住む辺境をめざして歩み始めるということだ。まあ、癒しの気分と希望を歌った詩というわけであろう。「セント・ジェームズ病院」は詩集全体の中で唯一の固有名詞だ。Webで調べたら、「アメリカのフォークソングだが、ルーツはイギリスのフォークソングにある」ということで、ルイ・アームストロングが歌う「セント・ジェームス病院」の歌詞が書いてあった。病院のベッドで死んだ愛人に会いに行って、自分がどれほど彼女を愛していたかという思いを歌っている。須永さんの詩の中のこの固有名詞の意味合いは、詩人の趣向とこの愛の歌を共有した世代的な連帯感を語っているものと思う。
 そして次に「遠い庭」と題された詩だ。番号が付いた四連の詩だが、一読しただけでは意味が取りにくい、まあ難解な詩だ。わたしなりに詩行を辿ってみると、第一連は、百年も噛み砕かれなかった種子が発芽したとでもいえるような、百年の間起こらなかったことが今起こった、この九月の庭には、タチアオイが騒々しく咲き、コンクリートの壁に生えている蔦が憂えている。庭の「地面から剥がれるように/次々に起きあがる背中が/廃屋に消えていくとき」、その真昼の庭は「吐かれる息のほかに」音を立てるものもなく静まりかえっている、と読める。幻想的なシーンが虚構として書かれている、と受け止める。タチアオイが騒々しく咲き、コンクリートの壁に生えている蔦が憂えているという「騒々しい」と「憂える」は、幾つもの背中が地面から起きあがるという異常なことが起こった庭を前にしての作者の心のあり方だろうか。「地面から剥がれるように/次々に起きあがる背中が/廃屋に消えていくとき」というイメージは強烈な印象を与えるが、この詩を読んだだけでは「起きあがる背中」が何者か分からない。まあ、とにかく九月にそんなことが起こったのだ。
 ところで、先に引用した野村尚志さんのMixiの日記につけられた須永さんのコメントには、次のように書かれている。
 
 「これはあまり声を大にしないほうがよいように思っているのですけれど、「9.11」をイメージして書いたものです。〈、〉は解体された文字をあらわしています。自分で解いてしまうのもどうかと思いますが、何かのヒントになれば幸いです。」

 そうか、2001年の「同時多発テロ」を切っ掛けに書かれた詩だったのか、と思うと、第一連は「航空機の激突で炎上するワールドトレードセンタービル」の映像をテレビなどで見た後に詩人が想ったことばイメージだったのだと納得させられる。最初の三行の「百年の咀嚼からこぼれた/〈時〉の種子が/発芽する九月の庭」というのが、アラブとアメリカ合衆国との関係から発生した事件を示唆しているものと読める。だが、事件のそのものを語っているわけではない。あのような衝撃的な事件が発生した背景には関係の歴史があったというその時間というものが詩人に「〈時〉の種子が発芽する」というイメージを与えたのだろう。「九月」は事件の起こった九月と詩人の心の揺らめきの現在と受け止める。関係が露わになる時が来ると、地面に折り重なって埋もれていた背中が剥がれるように次々に起きあがり廃屋に消えるというイメージへと展開する。新たな自覚時が始まるということだろうか。意識の中に埋もれていたことが自覚されるが、それはもう後ろ向きのものとして捨て去られ、その後に「吐かれる息のほかに/音を立てるもののない真昼」の静寂がが残る、つまりため息と共に時間が止まるというわけである。
 第一連で歴史的時間の結末を自覚して、第二連では個人の時間を問うということになっているようだ。多数の人の中の一人ということで、「たとえば」ということばで始まる。そして「置き忘れられた鞄をめぐる/個人的な物語」と個人のあり方がことばの集積として設定される。しかし個人的な物語は読み飛ばされ、そのことばの集積の「文字の/部分〈、〉が/たえまなく降る/灰」となって降り積もるというわけ。個人としての存在が、貿易センタービルが崩壊して、辺り一帯に拡がっていく粉塵のイメージに重ねられ、意味を持つ文字でなく、意味のない「読点」の集積に還元されている。その「灰の庭」では、二ヶ月経った十一月に亡霊たちが古い家の扉を叩き、そこに生えている草木が時間を背負った「私」というわけである。個人の時間は歴史的事件にあっては誰からも認められない空しい時間と自覚されたようだ。
 第三連では、第一連で事件が起こった当初の九月に語られた歴史的時間の意味合いに対して、また第二連で二ヶ月後の十一月に語られた個人の時間を対して、更に三ヶ月経った二月の詩人の心に残る9-11事件のイメージによって時間が無化される心象風景が語られている。テレビの映像を見て心に残ったイメージが、五ヶ月経った二月になって、約束したしたかのように心の中に広がり、鮮明になる。「落下するガラスと靴/ときどき靴の片方が/上空で消息を絶ち/その一瞬を目撃する」と、そこは帰化植物の牧草オーチャードグラスが拡がっていて、時間が止まっている。人が消える一瞬のイメージが歴史と個人の両方の時間というものを消滅させるという思いが語られていると受け止められる。
 第四連は第二連を受けて、無意味な読点だけが降り積もった「無彩の庭」を目の前にしたある意味では詩人の決意が語られている。色がないということでは、「夜明けのゼブラゾーン/切り取りの点線/クレーの〈天使〉とボナールの〈少女〉」が思い浮かべられるが、それらは「白に抱かれた黒の/柔らかい映像」として人の心を落ち着かせ、希望を持たせてくれる。白に対して黒は輪郭をなしてものの存在を表す。そういう働きをするということは「善きものを数える歩哨」であるということで、詩人である「私自身」はそういう存在であらねばならない、というわけである。
 「遠い庭」をわたしになりに辿ってみたが、実はこんなストーリーをつける必要は全くなく、「9-11」の事件の映像を目にした須永さんの内部に去来した、「地面から剥がれるように/次々に起きあがる背中が/廃屋に消えていくとき」とか、「文字の/部分〈、〉が/たえまなく降る/灰の庭」とか、「落下するガラスと靴/ときどき靴の片方が/上空で消息を絶ち/その一瞬を目撃する」とか、「夜明けのゼブラゾーン/切り取りの点線/クレーの〈天使〉とボナールの〈少女〉」とかということばのイメージの集積として受け止めればいいのだとも思える。
 
 さてと、この文章を書き始めてから二ヶ月経って、ようやく三番目のパートに入る。「孤島」「刺草の夜」「記憶の書」「伝言」の四編からなっているこのパートは、須永紀子自身の、あるいはこの詩集の詩を書いたことの本質を自ら語っているように感じられる。
 「孤島」というタイトルだが、島のことは語られていない。「新明解国語辞典」を引くと「孤島」は「大陸や他の島から隔絶されて、海上にただ一つある島」と書かれている。この詩ではその孤絶した存在の喩えとして使われている。その孤絶した存在は「わらし」という詩人自身というわけだ。第一連で秋の空を覆う鳥の群れに入ろうとして入れないで「落下する一羽。/それがわたしだ」と自分の孤立を宣言する。そして第二連でわたしは川を流れる鳥の死骸をハコヤナギの一枝で引き寄せて観察して、瞼とくちばしに過去と未来を読みと撮ろうとして、「なにものかに取りつくとき/実体は深く死んでいる」と結論する。この深く死んでいる実体というのが、ちょっと分かりにくい。第三連で「降下と上昇をくりかえし/一気の老いたわたしが」病院のベッドで死んで魂が自分の身体から離れていくのが語られている。第四連では、「わたし」は墓の中で青空が見える高窓から「遠い波音を受信する」ということが語られる。
 第三連で「一気の老いたわたしが/戻っていく第三病棟」とあるので、「第三病棟」をWebで検索したら、さだまさし作詞の「第三病棟」が出て来た。その歌詞では入院している僕の部屋の真向かいの部屋に入院していた子どもが退院したのか亡くなったのかいなくなってしまった寂しさが歌われている。この入院していた子どもがいなくなってしまったという話は、「旧市街Ⅲ」の「セント/ジェームズ病院の一室で」に呼応しているよう思える。いずれも死んだ子どもの魂の蘇生が歌として歌われている。須永さんがルイ・アームストロングやさだましを意識していたかどうかは分からないが、孤絶の果てに音波となった死者の声を聞くということが詩の原点になっているという考えがあるように思える。
 次の「刺草の夜」は「孤島」とは違った趣の詩だ。タイトルの「刺草」は刺草=シソウ=思想=詩想ということだろうか。最初に「国境の空にひしめく/飢えた〈ことば〉の欠片が/やってくる者の来歴を掠めとり/あらすじと名乗ってゲートを越え/異国の女を生きる」という五行があって、アステリスクの後に、一人の女であるわたしが、母音だけで会話する老いた男と、善い草が生えている緑の原をめざして、刺のある草を刈り続けて、最後に全身が刺で覆われて共に一つ墓に葬られる、という話が三つの連に分けられて語られている。最初の五行の「ことばの欠片が国境のゲートを越えて異国の女を生きる」ということは、詩集の最初の詩「囲繞地にて」に呼応して、詩人自身がことばの本質を問う物語を想い、そこに身を投じることを語っているのだと受け止められる。
 物語の最初の連では、耕すのに困難な土地を耕しながら、その土地のことばを知らないわたしが、母音だけで老いた男と会話して理解されたことが語られている。その土地の者に問われると、わたしはことばを知らないから、母音だけを発音すると、それが了解とも拒否とも取られることを知る。そして「身体の変化を歓び」、「歓びは〈ア〉あるいは〈オ〉の長音となって/閉ざされた野を渡り/老いた男の耳にとどく/野に生まれ育った男には/〈ア〉も〈オ〉も〈ことば〉であったので」、「男の貧しい語彙で解されることになった」というのである。
 若い男でなく老いた男が登場してくるところに、男女の身体的関係を越えた人間関係が設定されていると受け止められる。その関係の上でコミュニケーションがことばの母音だけでなされるという。いわば心理的な複雑な感情ではなく身体の叫びで受け止め合う関係ということだろう。土地を耕す厳しい労働と体感と叫び、それを受け止めてくれる老いた男の存在、それらのことを虚構したということで、この話に象徴的な意味合いが生まれてくる。次の連で、その刺の「触れれば焼けるような痛み」とその草を刈り続ける目標とが語られている。「かたくなな野の果て/善良な草が生えているのだという/眼前の風景が変わるまで/わたしは刈ることを止めない/男は無言でついてくる」というのだ。そして作者は、老いた男とわたしが遠い将来に慈雨に潤った土地に辿り着いて、そこで共に同じ墓に葬られることを予測する。
 次に再びアステリスクがあって、異国の女を生きた末にわたしは老いた男と共に誉め讃えられる存在になっているように歌われている。
 
 朝の無慈悲な光
 全身をおおう細かな刺
 老いた男、刈る女
 叫ぼうとするわたしの口から
 〈ア〉という音が漏れる
 
 宗教的な修行を終えた後という印象だ。老いた男と共に刺のある草を刈り続けるということが、刺草=シソウ=思想=詩想ということの連想に照らしてみると、詩を書くということは希望を持って初志を貫く行動と考えているように受け止められる。
 「刺草の夜」でその行動が語られて後に、「記憶の書」では書物について語られる。一読したところでは、先生から貰った一冊の「黒い表紙の本」について語られているように読めるが、これも記憶に残る書物というものとして作られた虚構で、作者にとっての「書かれたことば」の本質を語っていると考えられる。その本は「ひらくたびに」、そこに印刷されたことばが置き換えられていく。<光>という物理的な事象を表すことばが、<生命>という抽象的なことばに、更に<ロゴス>という観念に置き換えられて行き、複数の声になって神の言葉に近づいていくというのだ。
 学齢が過ぎても読み書きができなかった人物と設定された詩人は、この本をくれた先生から身近なのものの絵を描いて文字を学び、文字から身近に無いものの存在を知り、文字が読めるようになると、先生の本を次々に読んで、砂漠や森や聖堂の写真を見て、世界を知りたいという気持が膨らみ、村を出たいと思って、村を出ることになる。十五歳で村を出るとき、先生は一冊の小さな本をくれる。本を所有する歓びに、船の底や街の隅で毎夜理解できなくても読みあさったという。
 この「一冊の小さな本」は聖書を思わせるところがある。そこに書かれている喩えの意味が詩人の「わたし」の心に働きかけて、平安から絶望に、また満足感から飢餓感に変えるだったが、これまでそうして興奮するときには、先生の〈知ること、そして思うこと〉という一つの声だけを聞いてきた。しかし、その先生も夕日がゆっくりと沈むように数年前に亡くなたということだ。
 そして三十年経った現在、この本は、背文字がかすれ、赤い傍線が引かれ、ページがめくれあがっているけども、「永遠に褪せることのない/これは特別な本なのだと」として、書棚の一番左に置かれているというのである。詩人はこの繰り返し読まれ記憶に残る「黒い表紙の本」を語ることによって「書かれることば」の理想を示したと受け止めることができる。
 詩集の最後の「伝言」は、三連の詩で、一連目で「手擦れのある黒い本」のことが語られ、二連目で「鳴らない鍵盤を持つピアノ」ことが語られ、三連目で「今もわたしはこの部屋に居て/紙上の湖水地方を旅し/狂ったピアノで/憂国のポロネーズを弾いています」と自分自身のことを語って、締め括られる。黒い本には、「後れてきた男たちが丘に並び/木のことば、石のことば、風のことばで/去った者を呼び戻す/よく似た四つの物語」が書かれていて、ページに折り目をつけて、「その差異を求めて」繰り返し読んだために、「契約の在処を隠す/鶉色のしみ」がついてしまったというのだ。そして、わたしの傍らにあるピアノには「Cでははじまる作曲家の楽譜」が置かれていて、そこには「〈ゆっくり〉〈激しく〉」という「先生の書き込んだ文字が/半世紀を経てなお/鋭い声を放っ」ているという。わたしはそうした「遺されたものに/もの以上の意味を求めて/行き暮れる」人間だというわけである。そして最後に「紙上の湖水地方を旅し/狂ったピアノで/憂国のポロネーズを弾いています」と感情を盛り上げて終わっている。Mixiの野村さんの日記に書かれた須永さんのコメントには、
 
 「自分にとってほんとうに大切なものは何かと考えたら、本と音楽だと思いました。」
 
 と書かれている。その本と音楽が先生の伝言として詩人の心に生きているというわけだ。
 ところで、「憂国のポロネーズ」は「Cでははじまる作曲家」をショパンと受け止めると、詩人が日常的な現実と内面の乖離の生きている心情の持ち主として、何となく分かる気がするが、「後れてきた男たちが丘に並び/木のことば、石のことば、風のことばで/去った者を呼び戻す/よく似た四つの物語」という美しい情景をイメージさせる物語と、ここにいきなり出てくる「契約」が何の契約なのか分からなかった。
 
 六月から須永紀子さんの詩集『空の庭、時の径』とつき合って、病気のために長くパソコンに向かっていられないので、一日に一時間か二時間考えたり感じたりしたしたことを書きつづるという仕方で、八月三十一日の今日までに20000字余りのことばを書いて来た。そして須永さんの「現実を生きながら、わたしたちは内部世界を生きています。(中略)詩もまたその頻繁な往復のなかで生まれます」ということが、その詩に即して外側から少しは分かったという気になっている。「内部世界」というのが、「先生」から受け取ったことばに支えられて、ことばによって虚構を創造して、それを体験するということで生きる。それはことばに対する欲望を育み実現するというころで、その痕跡として生まれたことばを書き綴ったのが詩だというわけだ。つまり、ことばで虚構を創造するに留まらないで、それを体験するところから得ることばが詩だというわけである。そして最後に、本を読むということは、心を豊かにし、精神を高めて、人生の困難を生き抜いて行くことというところで、その読書で得たことばの草原でおもっきり身体を動かして遊び、そのことばの透明な湖水で泳いで喜ぶということがあるのですね、と呟くことができた。
 

2009/08/27

Permalink 17:25:19, カテゴリ: memo, views: 4905 Japanese (JP)

森ミキエ詩集『沿線植物』の感想

 森ミキエ詩集『沿線植物』は、勤めと家庭を持つ四十代の女性が、日常生活の中で失われがちな自意識を詩を書くことによって保とうとして書かれたものと思われる26編の詩を収めた109頁の詩集で、その内の11編が行分けで書かれ、10編が散文で書かれている。読み終えて、もう一度各作品を振り返ってみると、行分け詩と散文詩に書き分けられたのは、内容に共通する違いがあることに気がついた。行分けの詩は、現実の場面に作者が立ち会っていて、そこで幻覚か幻覚に近い感じを持ったことが、行を分けてリズムをつけて語られているのに対して、散文で書かれた詩は、作者の頭の中で終始する妄想や妄想になっていく現実
 が語られることが多いように思えた。いずれにしろ、四十代の女性が日常生活の中で生命感を得て生きる力にするために、自分の中に浮かんだ幻覚や幻想を言葉で書き表すことによって詩というものを成立させているわけである。現在、詩という表現が機能している一つのあり方をここに見ることができよう。
 最初の詩は、「午後の図書室」という行分けの詩で、「ひらいた本のページをよぎる鳥影の速さ/中空に消える血の速さ」と書き始められて、何気なく手にした知らない横文字の古い本の中に、「黒抜きになって すわっている二羽のうさぎのうしろ姿」を見つけるが、もう一度見ようとするともう見つからなくなる。また空白のページに出会い、空白を一つの表現と思ったりする。心がざわめき、ざわめきは駅前広場の情景に続き、そこで若い自分が「どうぞ わが家へ ようこそ わが家へ」と書かれたビラを配っている。わが家って何処だろう、と思う。捨てられたビラは風に飛ばされる。幻覚だった。本を閉じ、また開くが、もう空白のページは見つからない。何故自分がここに来たのかも忘れいる。そして詩の最後は「ガラス越しの晴天/さがしものが はじまる」で終わる。
 この詩は、森ミキエさんの詩のあり方を諷喩として語っていると受け止めることができる。図書室は言葉のある場所、そこで解らない文字で書かれた古い本を手にする、つまり難解な詩の本を手にする、その本の中に「すわっている二羽のうさぎのうしろ姿」の絵を見つける、何の喩えか不明だが、小動物の姿として心が癒されるイメージ、次に空白のページに自分の家に人を誘うビラ配りする若い自分の幻覚をみる、自分への関心を求める、そしてさがしものを始める、つまり言葉を探して詩を書く、ということ、というふうに解釈できる。書き手としては、こんな意味合いを追って書いたのではなく、内心で感じている不安と緊張を、言葉が産み出すイメージにして追って書き進んだと思われる。
 読む方は意味を求めたくなるが、書く方は、意味よりも言葉が呼び出すイメージを追って、ある意味ではイメージを辿る旅をするように、またある意味ではイメージのぶつかり合いが生む緊張感を内心で楽しみながら、自分自身の姿に衣装を合わせて鏡に映してみるようにセルフイメージを作って行くようだ。
 詩集の三番目の詩「薔薇の地形」は、自分の頭の中に湧き起こった妄想を言葉にして語るのを楽しみながら、イメージがもたらす緊張感を乗り越えるようにして書かれた散文詩の力作だと云えよう。
 この詩は、「夜、口中にバラの花が宿る」という一行で始まる。この口の中のバラの花が開いていくという妄想と、海岸線を娘と辿る間に娘がどんどん成長して手の届かない存在になっていくという妄想が、交互にカットバックする構成で書かれている。口の中のバラの蕾を舌でなぞっていくと花びらが開く、そしてそれが男の舌先だと気づき、男はくの字に体を曲げて眠っていて、その足元に妊娠した娘が蹲っていて、私は二十歳の娘と同じくらいに若く、娘に隠れて男にキスをする、男は私たちを置き去りにする。そして口中のバラは花が開き、朽ちても、口から抜けないので、深呼吸しながら、服を脱ぎ、耳を剥ぎ眼球を取り、骨盤を弛め、体が軽くなり、浮かぶかと思うほど楽になる。
 一方、娘と私の方の妄想は、「私の踵は硬く罅割れて皮が剥けて痛いから、五歳になった娘を杖のようにして寄りかかって、歩いていく」と娘を分身のように感じているが、娘は私を置き去りにしたり駆け戻ったりしているうちに、迷路に入って、行く道を娘が嘘ついているのかと疑うようになり、娘の成長を感じる。そこで、男とのシーンに重なって、身重の娘は私を背負って急勾配を登り駆け下りて、必死に出産のための場所を求める。崩れる崖の縁で、娘は私を放置して行ってしまうが、這うように進んで、娘の足首を掴むと、ふくらはぎは鬱血して、赤い花びらがはらはらと霧の底に落ちていく。私はもう放置されたままでいることにすると、「口中でバラがの花がひらく」とバラに重なる。
 心の中に働く「女性性」と「母性」の葛藤が、言葉で具体的なイメージを探りながら語られていると言えることなのかも知れない。自分の身体の一部のように思っていた娘が、自分を離れて、自分に嘘をつき、男と関係を持ち身籠もってしまい、生むために自分を危ないところに放置して立ち去ってしまう。そこでバラが開き、身が軽くなるという、つまり、女性の自分が性的な縛りから解放されたという自覚を持つに到ったということなのかも知れない。
 「薔薇の地形」の次の現実の母娘関係を妄想のように語った散文詩「布の話」には、母親である自分には手に負えなくなった娘が女性としての存在と受け止めるに到ることが語られている。「私」は、「環状に結ばれたレールを一日に何周もする」、つまりJR山手線に乗ってぐるぐる何度も廻っている。一方では「私の十三歳の娘はリリアンばかりしている」、つまり「誰とも話さず家にこもって編み機を回し続け」家中のセーターなどを解いて、それでリリアン編みの紐を作り続けているのだ。引きこもり娘と母親、この母娘関係にある「私」は電車の中で外国人の赤いターバンに出会い、綿の花を摘む手や、また糸繰り車を回す手を想像し、自分の家にあるあらゆる布製の着るものを想像し、そこに電車の車輪の回転、山手線の周回、娘の編み機の回転、想像の糸繰り車の回転と、布を織るための回転と心理の回転がが重なる。異常な母娘関係が単に語られているだけでなく、「私」の想念が女性が手がける布の記憶へと伸びていくのだ。そしてその想念が女性という者の存在のあり方に至ったとき、娘の女性としての成長を感じるというわけである。
 詩集『沿線植物』の詩は、現実の身を置いている作者が、そこで感じたり、心に浮かんでくる幻覚や妄想を、それを楽しみながら、一面では道具として、自身の女性という存在のあり方を掘り下げて行く場になっていると言えよう。「シャワー」という詩では、「あなたの歌う声が聞こえなくなったから/そうだ、私は未亡人になろう」と喪服を着て外に出て、過去を忘れ、解放された気分を味わうというものだが、女の人ってそういうものかと、男性とは違った束縛感を持って生きているのを感じさせられた。詩集『沿線植物』は自分を見つめて生活している人の姿が感じられて読み応えがあった。

永続的リンク

2009/08/10

Permalink 21:54:23, カテゴリ: memo, views: 2168 Japanese (JP)

五十嵐倫子詩集『色トリドリの夜』の感想

 若い独身女性の生活と真情が、自分の生きる方向性を予感するところまで、工夫した言葉遣いで語られている十九編の詩を収めた103頁の詩集。生活と真情を語るといっても単に思いを述べるというのでなく、生活していて出会った場面や情景の中に自分を置いて、人々の姿や物事や事柄に比喩的な意味合いを重ねて、自分の真情をうきぼりにして、読者に手渡す。
 最初の詩「いつも一緒」では、朝、パパと手を繋いで坂道をスキップして歩いていく幼稚園児、犬と一緒に散歩する老人、そして「私」は一人でヘッドフォンから流れる音楽と一緒だと語って、それぞれの姿と比べて、自分が現在置かれている自立しているがちょと寂しい人生の位置と気持を感じさせるように語りを展開している。
 二番目の詩「タイムカード」では打刻に向かって走り追いかけるが、それがそのまま競争社会の生活態度や思いの持ち方の比喩になる。三番目の「ファンデーション」では化粧室で開いたファンデーションが砕けてしまったという小さな事件で、ファンデーションで自分を新しくするかどうかの問題が浮上してくる。「ココロとカラダ」では、夕飯を食べに行った定食屋でいろいろ人たちの間を通り抜けて「窓側のカウンターへ/お一人様の/特等席」に座って、窓ガラスの外の通過する人や車を見ているうちに、食べた料理の肉も野菜も通り過ぎてしまい、ココロが遊離して、カラダはその器になって空の器のままで電車の終点まで行って、ココロを呼び戻したと語られている。読者として敢えて言えば、大衆社会に生きて自分の人生をどう生きればよいかを、語られる言葉の裏側で探していると言える。
 十三番目の詩「ゆらゆらの日」には、空に引かれた飛行機雲を見て、突然不安に襲われた時、孤独な時間を過ごすことで、自分の手で言葉を掴んだということが語られている。勤めを休んで、部屋に引きこもって詩集を読んでいると、その言葉が水のように部屋を充たして、自分がゆらゆらと浮き上がり、管理されたプールで泳いでいる想像に身を任せて、監視員の制止を破って飛び込み泳ぎ切ると、足が立たないが、このまま外にも自由に泳いでいけるという気になれる。水から上がると、その手のひらに言葉が残っていた。と語られている。言葉を生きることを見つけたというわけだ。
 詩集の題名になっている「色トリドリの夜」という言葉が出てくる詩「振替乗車」は、勤めの帰りに乗っていた電車が急に不通になって別の路線の電車に振替乗車することになり、どの路線を取ればいいか、損得を勘案していろいろと考える、その路線を電車の色で語る詩なのだが、最後に「振替」ということを自分の人生のことに振り替えて語り終わる。「振り返られた私は/好きな色で塗り替えていく/黒く光る道を/緑でぬろう (稲穂がいざなう/青でぬろう (出航だ!/一歩踏み出せば/つま先から色が広がっていく//色トリドリの夜//いいえ、私は振り替えられていない/誰にも頼らずにこうして歩いている/塗り替えられたその先へ/私が歩いていく」
 「あとがき」に一節に、次のように書かれている。
 「詩は私の中から浮かんできた言葉に耳を傾けながら書いてきましたが、どこかで過去のワタシから変わりたいという思いが芽生えてきていたのでしょう。どんなに暗い夜でも、一歩踏み出せば色トリドリの道がひらけるのだと、詩の中で気づけたから、またここから新しい旅に出てゆけそうです。」
 この「新しい旅」というのは、準備中の「Poem & Reading Cafe 中庭ノ空」のことだと思う。五十嵐倫子さんからは、以前から、詩集が置いてあって、朗読会などを開ける「ポエカフェ」を開きたいという話を聞いていた。彼女のmixiの日記には、コーヒーや料理や経営の講習を受けに行ったりしたことや、店を開く場所を探していろいろな街を歩いたりしていることが書かれている。ということは、五十嵐さんの「ここから新しい旅」というのは、詩を書くだけでなく、詩を書く人が集まってきて詩集を読んだり朗読したりする場所を実現するということなのだろう。それは、詩が多様化した時代に、「色トリドリの」詩を一つのところに集まって受容できる現実の場所を持つということだ。詩を書く者が集まるところは同人誌だが、五十嵐さんは詩を読む人たちが集まる「ポエカフェ」を作ろうというわけだ。確かに、色トリドリの道がひらける「新しい旅」の始まりだ。詩を書くことから、詩の現実的な空間を拓く旅だ。「Poem & Reading Cafe 中庭ノ空」の開設と新たな詩の展開を期待する。

永続的リンク

2009/07/28

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「第6回萩原朔太郎賞受賞者展覧会 鈴木志郎康」に行った短い感想

 7月25日に多摩美の卒業生たちと、その中の一人が運転する車で前橋文学館の展覧会場を訪れた。午後3時頃から2時間ほど会場を巡って、来館者の人の質問に応えたり、担当の小林さんと話をしたりした。
 
 会場は1階と3階に分かれていて、1階の会場の入り口に、わたしの写真と「受賞者展」に寄せた文章のパネルがあった。入り口付近にわたしが作った詩のプログラムを実行するパソコンが置かれて、キーを押すだけで操作できるようになっていた。黒い壁には魚眼写真が掛けられて展示され、モニターが壁に設置されて映像作品が流され、中央のガラスケースに3台の16ミリカメラとフィルムなどが飾られていた。ここには詩に関するものはなかったから、映像作家の個展に見える。
 
 わたしが行ったとき、丁度学芸員の小林さんの説明会があった日で、この会場に入ったとき、その来館者たちと小林さんが降りてきて、わたしは質問に応えることになった。一人の女性が、愛読書としてゲーテやランボーの本と一緒に、庄野潤三の「夕べの雲」があったがどういうことですか、と問われた。1970年代入って日常的な詩を書くようになることと関係があると応えた。
 
 それからエレベータで3階の展示室に行った。壁に年代順に「年譜」と「インタビュー」と「詩」が大きなパネルに印刷されて貼られていて、ガラスのケースに同人誌や原稿や詩集や大きく伸ばした写真が所狭しと飾られていた。パネルの文字情報が圧倒的な印象を与えるので、言葉の濃密な空間が実現されていると感じた。一カ所に「徒歩新聞」を手にとって見ることが出来るコーナーが設けてあった。
 
 パネルの文字情報は「図録」に掲載されているものだったので、既に「図録」を読んでいたわたしはちらっと見ただけで、ガラスのケースの陳列物の同人誌や詩集を見た。ケースの中に飾られているということで、自分との間に距離が生まれているのを感じた。7月26日付けの「日経新聞」にも書いたが、それらの物の実在感が、現実のわたしの不在をまざまざと感じさせられた。わたし自身の不在に迫られるということだった。
 
 つまり、既に抽象的な存在になった「鈴木志郎康という詩人」のデータがそこにあるということだった。現実に生きている生活者としてのわたしはそこにいない。ざっと見れば、高校生の頃から詩を書いて、沢山の詩集を出した詩人というイメージを、また丁寧にパネルを読めば、大学を出て、NHKに勤めて、大学の教員になって、その間にいろいろな詩を書いて、受賞して功をなした詩人というイメージを得るだろう。若干わたしの詩を読んでいる人だと、友人とやっていた多分余り知られていないちり紙で作った「中央公論!」というパロディや、「ビックリハウス・スーパー」に掲載した新聞のパロディを見て、面白がることも出来るだろう。
 
 一巡した後、担当の小林さんと話して、入館者が少ないということを聞いた。わたしのことを知ろうと思っている人などいるとは思えないから、それも無理のないことだと思う。しかし、「詩」とか「詩人」というもの、または「表現を続けて来た者」ということに興味があるならば、20世紀後半の日本で詩を書いてきた人間の有り様を考える切っ掛けにはなると思う。そういう視点を背景に持って見に来れば、何か参考なるだろうと期待するところです。

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