昨年「詩の実質」を書いてから、詩集を貰った詩人に会って話しを聞いた。そのことを「曲腰徒歩新聞」の2005年11月29日に「詩の実質」の実践行動という記事に書きました。それから、少しだけ詩集が読めるようになってきた。実践結果として、「るしおる」60号に「詩の現前に向かって」を書いた。これも近いうちにアップします。
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わたしは詩について纏まった文章を書くことを避けてきた。自分が詩を読むことができない状態にいることを考えると面倒だったのですね。詩集を開くと、「これは詩だ」という意識が突き上げてきて、「詩は読んでも仕方ない」という気になり、読めなくなる、という状態なんです。そして、詩を書く人との付き合いも狭く限定してきた。そうして多分十年余り経ったのではないでしょうか。最近、書いた人の手を離れて印刷された詩は、まだ進んで読む気にはなれませんが、書いた人が目の前にいれば、何とか詩を読んで楽しむことができるようになった。また詩について話す機会があると読めるようになった。そうして、二ヶ月ほど前に、全く初めて詩を書いてみるという七、八人の人達を相手にした講座を持って、詩を「作品」として書くというより自分の内面を伝えるコミュニケーションの媒体として書いて、互いにどう読めるかを話し合う場を持ったとき、そこに言葉の詩的発想の原形を見たように思えて、楽しくなった。つまり、詩をメディアに投じて受け止めるというのではなく、詩を人と話をする中核に置いて、語り合う関係を作る機会をつくるものとしたとき、読む理由がはっきりしてきたということなのです。そのことを踏まえて、詩について考え文章を書いてみようかと思う。
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