投稿の詳細: 愛を生ききる台詞 ─清水邦夫の戯曲について

2007/05/06

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愛を生ききる台詞

 ─清水邦夫の戯曲について

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 清水邦夫の戯曲について書いてみたいと思う。この春、清水さんは多摩美の映像演劇学科を定年で辞められる。昨年、わたしは同じ学科を定年になって辞めた。わたしは清水邦夫とは十年間一緒に教員をしていたが、その間、幾つかの公演は招待されて見に行ったが、彼の戯曲を読んだことがなかった。ところが、昨年の春、清水邦夫の処女作『署名人』のサイスタジオでの公演を見て驚かされた。
 『署名人』は一九五八年、清水邦夫二十二歳の時の作品だ。二十二歳で、反安保闘争が盛り上がりを見せた時代に、これを書いたのかという驚きだった。当時、わたしも清水邦夫と同じ早稲田大学の学生だったが、一年上級にいた筈の彼の存在を知らなかった。わたしは反安保闘争のクラス討議を何度も開いていたが、60年の国会乱入などの過激な闘争にはついて行けなくなって、自分なりの勝手な理屈をつけてデモにも行かなくなっていた。あれから五十年近く経った昨年出会った『署名人』は、そうした時代意識の状況のあり方を、政治主義と生活重視の立場とに分けてくっきりと描き出していると見た。それが驚きだった。当時わたしはそこまではっきりとした意識を持てなかった。そして、清水邦夫さんにお願いして、未来社版『清水邦夫 著名人 未来劇場N0.91』のテキストを戴いただいて読み返して、若い清水邦夫の才能と自分の生き方で生きるという主張を改めて感じたのだった。遅ればせながらの清水邦夫の戯曲との出会いだった。
 この際、清水邦夫という劇作家のイメージをしっかりと掴むために、出来るだけ沢山の作品を読もう思ったが、わたしは頂いた『署名人』と『清水邦夫全仕事1992 〜2000』と「署名人/ぼくらは生まれ変わった木の葉のように/楽屋」が収録された『早川演劇文庫』しか持っていなかった。それでインターネットの古本屋を探して『狂人なおもて往生をとぐ』は入手できたが、ほとんどの作品が網羅されているはずの『清水邦夫全仕事1958 〜1980』と『清水邦夫全仕事1981 〜1991』は手に入れることが出来なかった。友人の助言でわたしが住んでいる渋谷区の図書館を探したら、あって、幸いわたし以外に予約する者がいなかったので、貸し出し延長と再貸し出しで一ヶ月半以上借りることが出来た。そして、「清水邦夫著作リスト」というWeb サイトに掲載されている「年表」や「著作リスト」を頼りに作品を読み始めたのだった。この文章を書いている現在までに、毎日一つか二つの作品を読み進めて、五十余りの全作品の内の三十五作品の戯曲を読んだ。
 今の、わたしの心の中には、清水邦夫の懐かしい風が吹いているという感じだ。その風というのは、戯曲に登場する人物たちが話す言葉だ。わたしは、舞台で上演されるものではなく、言葉で書かれたものとして清水邦夫の戯曲を読んだのだった。読むということでわたしが見たのは、女優俳優の身体ではなく印刷された活字だ。その活字の連なりが清水邦夫が書いた人物の台詞として、わたしの頭の中に空間を広げ、感情の風を吹かせるというわけである。先走って言ってしまうと、そこには愛の烈風が吹いているが、それが懐かしいのだ。
 

[続き:]

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 戯曲を読むということは、書物のページの上に印刷された活字を辿って、台詞と僅かのト書きを頼りに登場してくる人物たちを知り、彼らの感情の起伏に従って関係の変化を辿っていくということになるが、先ずは登場人物が名前か性別か年齢か職業かで指示され、それらの人物の登場する場面が示唆されるので、読者は概念としての舞台を想定することになる。つまり、劇という様式の枠の中に置いて読むのだ。戯曲を上演することを前提に読むのであれば、登場人物や台詞を生かすために、その様式のあり方を具体的に実現することを考えながら読むに違いない。劇作家は、演出家と向き合って、実現される舞台を目指して、人物の台詞を書くものと思う。台詞で成立する舞台は、台詞がなければ成立しない。しかし、舞台が成立しなければ、また台詞も成立しないのだ。従って、劇作家は、台本を書くという段階では、台詞を書くだけだが、その台詞が舞台を成立させることができるかどうかというところに力を入れることになると思う。特に、舞台そのものをそれまでにない新しい独創的なものしようと意図すれば、書く段階では台詞しかない台詞を書くことに自分を生かすことになるだろう。
 清水邦夫自身、戯曲を書く時の演出家との関係について、次のようなエピソードを語っている。
 
 「『真情あふるる軽薄さ』では、忘れ難い挿話がある。蟻川に、初演出用の戯曲をたのまれた時、つい思いつきで、「長い行列の芝居を書きたいんだけど、そんなもの舞台にのるかな。一人の若者がやってきて整然と並んでいる行列にからみ、罵倒する話なんだけど」というと、彼は間もなく(次の日だったような気がするが)舞台の模型と行列用の人形を沢山作って、わたしの前に現われた。そして若者が行列にからむ様々なシーンを想定し、それを人形を使って具合的に説明してくれた。」(『清水邦夫全仕事1958 〜1981』上巻、「磨り硝子ごしの風景Ⅰ」)
 
 ここに語られている演出家蜷川幸雄は劇作家清水邦夫にとってまたとない心強い存在だった思われる。既に書かれ上演された『真情あふるる軽薄さ』を戯曲として読むと、この劇は、「青年」という役の人物が、何かの切符を買うためにいろいろな人々が行列を作って並んでいるという同じ場面で、その並んだ人々に言いがかりをつけて挑発したり、一人の女と露骨で自分本位な愛を語ったりと、始めから終わりまでほとんど一人で勝手に自分の考えや思いをしゃべりまくる舞台として成立している。劇作家の清水邦夫は、当時の時代状況と蜷川幸雄という演出家に支えられて、思いのままに台詞を書きまくることが出来たのだと思う。
 一九六九年という『真情あふるる軽薄さ』が初演された当時の、全共闘運動が盛り上がった時代を考えれば、ここでの劇作家の「思い」は個人の思いに留まることなく、社会に対して意識的に行動しようとしている多くの人々に共有される「思い」だったと言えよう。行列を場面とするこの劇は、社会の構造を象徴していて、いろいろな人が並ぶ行列は、「大衆」であり、「体制に順応した人々」であり、「青年」は彼らの存在に「言葉」で反抗するが、彼らにたぶらかされ、「秩序」の番人である警備員に殴り殺されてしまう者であって、青年のヒロイックな言葉は、社会に立ち向かっていると意識する者たちの感情を揺さぶるものであった。
 演出の蜷川幸雄は上演当時の劇場内の有様を次のように書いている。
 
 「芝居が終わり客席の電気がつくと、観客は客席もまた機動隊によって包囲されているのを発見した。客席は席を立つことができなくなり、重苦しい空気が劇場を支配した。やがて勇気のある観客が立ち上がると、取り囲んだ機動隊員に体当りをくらわした。劇場のあちこちで乱闘が起った。ある夜は、客席でインターナショナルが歌われ、ある夜は、客席でジグザグデモが行われた。観客は現実の街の状況と、劇を混同していた。いや、混同したがっていたのかもしれない。」(蜷川幸雄著『千のナイフ、千の目』「騒乱の新宿時代」)
 
 この劇の大成功は、劇作家清水邦夫にとっては大いなる興奮であり大変な喜びだったろうと思う。公演は九月十日から二十二日までだったということだから、その興奮と喜びが十日続いたことになる。この蜷川幸雄の文章には、清水邦夫が台本を書いている時の姿が書かれている。
 
 「稽古開始が近づいたある日、ぼくと清水邦夫は台本改訂のために千鳥ヶ淵にある外人相手の娼婦がたむろする小さなホテルに泊まった。清水は例によって黙って机に向かっていた。ぼくはなにもすることがなかった。いつしか眠り込んだらしい。夜中、なにやら人の声がするので目を覚ますと、
 『ああ、駄目だ、駄目だ!』
 と清水邦夫が、頭をボカボカ撲りながら部屋の中を走り廻っていた。ぼくはびっくりして、声をだすこともできずに息を殺していた。やがて清水は静かになり、再び机に向って書き始めた。ぼくは朝まで寝たふりをしていた。こうして『真情あふるる軽薄さ』の決定稿は出来上った。」(同書)
 
 劇作家が台詞の執筆に全身を打ち込んでいる姿が、蜷川幸雄の記憶に鮮明に残ったのだ。そのようにして書かれた芝居が観客からも受けた。自分の書いた台詞が役者を動かしたばかりでなく、観客を揺り動かして、更にマスメディアを通して社会に広がって行くのを、清水邦夫は目の当たりにした筈だ。『真情あふるる軽薄さ』の公演について、「朝日人物事典」には「若ものたちの圧倒的な支持をうけて、アートシアター新宿文化劇場の夜間の演劇公演に一時代を画した」とあり、「新潮日本文学辞典」には「社会から疎外された現代青年像を痛切に描いて、小劇場演劇の旗手と目された」と書かれている。この作品の公演によって清水邦夫は自身を劇作家として確立した。その体験は清水邦夫にとって大きな意味を持つものであって、『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』や、『ぼくらが非情の大河をくだる時』、そして年を経て『タンゴ・冬の終わりに』へ、更に『なぜか青春時代』などのその後の劇作に引き継がれて行っているように思えた。
 戯曲には、劇作家を含めた生々しい現実があるのだ。しかし、上演の舞台も見ず、戯曲の成立の事情も知らずに戯曲を読むという時、読者の目の前にあるのは書物という活字で印刷された言葉の集積だけである。だが、その言葉は、劇という様式にはめ込まれていて、そのことによって、わたしには異様な光彩を放つものに感じられたのだった。と同時に、清水邦夫という劇作家の「資質」と言えるようなことが見えてきたように思えた。
 
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 清水邦夫の戯曲を読んで、わたしに見えたものは、意外に劇作家自身の、敢えて言って「人生」ということだった。清水邦夫は二十二歳の時から近年に至るまで、ほとんど毎年絶え間なく戯曲を書き続けてきた。それらの戯曲を、初期の作品から読んでくると、年を経るに従っての変化が見えてくる。その変化に、若い時の、中年になっての、そして熟年になっての、それぞれの年代の考え方や感情が見えるように思えた。もうちょっと言い換えると、戯曲の登場人物たちの感性や考え方や環境などの設定に、また戯曲の構成の仕方に、更にまた台詞の書き方に、清水邦夫の個人の生き方が見えてくるように思えた。劇の舞台として、清水邦夫が生まれた日本海沿岸の都市が多く選ばれているとか、劇の中に登場する青年という存在とか、兄弟という関係とか、父親の存在とか、そういうことが清水邦夫自身を語っているように思えるところがあるのだ。しかし、清水邦夫の戯曲が実現した演劇は個人演劇ではない。「小劇場演劇の旗手と目された」と言われ、多くの役者やスタッフ、それに観客を巻き込んで実現された演劇なのだ。清水邦夫の戯曲には、劇作家の個人性と演劇の共同性が重なっている。ここは微妙なところだとも思った。ここに清水邦夫の戯曲の時代性があるとも思えた。
 清水邦夫の戯曲の全部の三分の二を読んでみて、一九八八年を除いて毎年作品を書き、多い年には、一九八五年など四つの作品を書いている、その多作に先ずは驚かされた。そしてその作品の様相が少しずつ変わっていくのが見られた。一つ一つに作品が独自な姿をしているので、くっきりとは分けられないが、わたしには大きく三つの時期に分けることができるように受けとめられた。
 第一の時期は、一九五八年に書かれた処女作『署名人』から、一九七六年の『夜よ おれを叫びと逆毛で充す 青春の夜よ』までで、主役が概ね青年で、言い方としてふさわしくないが、その青年が社会と家族に向かって立ち、生き方を模索することが劇の中で扱われている。また精神病患者や記憶喪失者がそのままの姿で登場する。この時期には、舞台空間を解体して、演劇の新たな表現様式を構築しようとする非常に挑戦的な試みもなされている。
 二番目の時期は、一九七七年の『楽屋』から、一九八九年の『恋愛小説のように』までの時期というように思える。この時期の作品の特徴は役者が主役になるものが多く、また父親という存在が扱われる作品も現れ、記憶ということも扱われる。精神病や記憶喪失も扱われるが、それがモチーフということではなく、妙ないい方になるが、台詞の意味に裏表を持たせた「方法として」で扱われているといえよう。この時期から、日本海沿岸の都市という舞台設定も多くなる。役者が主役になるということから、台詞に古典的な戯曲やいろいろな詩集からの引用が使われるようになる。
 三番目の時期は、一九九〇年に書かれた坂本龍馬の姉を主役にした『弟よ』以後の作品ということになる。一九九一年の詩人で彫刻家の高村光太郎・智恵子夫妻を扱った『哄笑』、一九九六年の歌人の會津八一とその愛人を扱った『わたしの夢は舞う』、一九九八年に書いた作家のヘミングウェイの晩年を扱った『リターン?海へ』など、伝記に基づきながら、清水邦夫の手法で独特の精神的な空間を生み出す作品が書かれる。『哄笑』や『わたしの夢は舞う』などの時代を遡った作品では、清水邦夫にとっての「昭和」という時代の深みが描かれている。そして、更に後の作品になると、人間が生きる瞬間は他者に対して自分を演じる瞬間だというような結論に向くような作品『草の駅』や『破れた魂に侵入』が書かれる。
 
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 愛を生ききる台詞35清水邦夫という劇作家は、初期の頃は、その時の社会的状況に置かれた若者の生きている姿を内面から描こうとしている。『署名人』は時代を明治に取ったために抽象化された描き方になっているが、生きる目標として、個人に犠牲を強いる政治主義と、生きることを享受する生活者を対立させて、主人公は生活者の立場を選んで、同房の志士たちの政治主義に殺される。「署名人」というのは、政治には何の関心も持たない男が政府の要人を攻撃する論文を書いた志士に、論文の書き手としての名前だけを貸してお金を貰い、代わりに監獄で数年過ごして、その後その金で豪遊して生活を楽しむという者のことだ。この「署名人」を商売にしている「井崎」という人物の台詞を拾ってみると、
 
 要人暗殺に失敗した同房の志士に黙っているのをなじられ答えて、「ご冗談を。あっしは口から先に生れてきたような男でやしてね。唯ひどく用心深い性質たちなんで。へっへっへ(これから度々出てくる彼独特の卑屈な笑い)それに柄になく人見知りをするんでやすよ。しかし一刻も二刻も黙りこくっているてえと、脳天がずきずき痛んできやがる。」
 
 もう一人の志士に暗殺をどう思うかと問われて、
 「いいか悪いかは別としてあっしは小さい時から虫一匹、蛙一匹も殺せねえ気の優しい男でしてね。そこが女共に好かれるところかも知れやせんが。あっしは血の色が大嫌いなんで。」「野良犬一匹殺した事がありやしたがね。あっしの仲間の餓鬼に食いつきやがったんで。旦那方のおっしゃる正義ってやつのために殺ったんでやすが、それから半年というものは、まんじり眠ったことはねえ。」
 
 志士が、私利私欲で立憲運動を圧迫している大臣、参議を暗殺するのは正義だと説いて、脱獄計画に加わるか、加わらなければ殺す、と言われて、
 「きっと隙を見て獄吏を殺すに違いねえ。多分声の出ねえよう締めるんでやしょう。そいつだけは御免蒙りてえね。あっしは眼の前で人間が殺されるのを見るのは、何たって御免蒙りてえ。たとえあのいまいましい牢番にしてもね。あっしはおやじの死目にもわざと会うのを避けたし、これからおふくろや兄弟の死目にも会わねえつもりなんだ。人間が死ぬところを見るのだけは御免だ。実際それだけは厭なんで。本当に厭なんでさ。」
 
 この劇では、庭の大欅に昇ってしまった典獄閣下寵愛の猫を下ろすことできない獄吏たちの大騒ぎが、牢獄の外で展開していて、井崎は獄吏と取引して、下ろし方を教えるが、それは大欅を切るということで、猫の命を大切に思う井崎からすれば当然のことだが、獄吏や志士たちから失笑を買う。そして、猫が木から落ちて死んだと聞いて、
 「駄目だ! 駄目だよ! 俺や蝋燭の火が消えるのだって厭なんだ。恐いんだ! 何の罪もねえ俺を何がこんな所へ閉じ込めやがったんだ。(中略)やっぱりあっしは先に死ぬべきで。イの一番に殺されるべきでやす……。それであっしは満足というもんで。旦那方はあっしの屍を乗り越えて進んでくだせえ。」
と志士たちに殺されることを受け入れる。

清水邦夫の劇作家としての出発点で書かれたこれらの台詞に表されている、生きているすべての命を第一として、生を全うすることを望む考え方は、後年に至るまでの作品に一貫してあるように思う。生きるということ、そこに清水邦夫の原点がある。特に、初期の作品に登場する「青年」たちは、生きようとする気持ちは強いが、希望が持てず、結局何らかの形で滅ぼされるか、滅びてしまうのだ。
 二作目の『朝に死す』では、青年は仲間を裏切って、追われて、足を撃たれた女とコンクリートの壁沿いに逃げてきて、女の話を聞いて生きる希望を持ったところで、朝方、撃たれて死んでしまう。『明日そこに花を挿そうよ』は、引き揚げ者住宅に住む人たちの話で、酔っぱらいの捨て鉢な父親とより良く生きるために貯金をして大学行こうとしている長兄の対立が軸になっている。『逆光線ゲーム』は、戦時中に中国で生体解剖をした医者が開業する医院の家族に青年が絡む話。『あの日たち』は「忘却と時間についての抒情的仮説」と副題がついているが、九州の炭坑で落盤事故に遭い記憶を失った人たちが、記憶回復のリハビリをやっている「メンタル・リハビリテーション・センター」での複雑な夫婦関係の話。この劇では、失われた記憶を回復する過程で、語られていたこととは全く違った事実が出てくるとか、演じてそう思わせていくとか、「生きている」と言うことを原点にしたときの、台詞の持つ意味合いの重層性が試みられている。
 これらの初期の作品で、清水邦夫は「引き揚げ者」「生体解剖」「落盤事故」といった社会的な問題の中に個人の生きている姿を求めていたように思える。個人の生きている姿を演劇として舞台に持ってくると、台詞によって人間関係を作り出していくことになるのではないだろうか。そこでの対立関係は、「生き生きと生きている」と「死んだような姿で生きている」ということになる。そこで、「青年」と「行列」という対立構造の中の、絶望的な反抗が『真情あふるる軽薄さ』に書かれた。また同時に、絶望から反転した妄想を、台詞の持つ意味合いの重層性によって突き詰めていって、登場人物たちが二重の役柄を演じる『狂人なおもて往生をとぐ』が書かれることになったと考えられる。
 
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 清水邦夫の戯曲を読んでいて、よく人が死んだり殺されたりするなあ、と感慨を持った。それも多くの場合、死が起こりやすい戦場とか事故現場ではなく、ありふれた日常的な生活空間の中で殺されたり死んだりするのだ。舞台の上では台詞の遣り取りで感情が高ぶってきた結果として、劇的なシーンとして見る者の心に強く訴えるのであろうが、活字で台詞を読み進めているわたしには、特殊な意味での「消去」と感じられたのだった。死んだ人物は台詞を言わなくなる。つまり、人物の死はその人物の台詞の終わりということになる。台詞が途切れて、状況が一変する。そこからまた別の展開となることもあるが、消去された人物が主役であれば劇はそこで終了するわけだ。
 『真情あふるる軽薄さ』は主役の青年の死によって終わる。青年一人の饒舌で成り立っている劇なのだから、青年が消去されれば台詞が続かなくなる。台詞の終わりだ。ところで、この青年の死は消去の仕方としては錯綜した仕掛けになっている。先ず青年は、今まで彼の味方をしていた中年男に裏切られて、怒りを爆発させ、持っていたマシンガンで行列の人々を撃ち殺す。反抗していた対象の消去を計る。しかし、これでは反抗する青年は安っぽいヒーローになってしまう。そこで、これをゲームとして行列を甦らせる。中年男も死んだマネしているのを見て、青年は死んだマネなら自分の方が上手だと、女に自分を撃たせて、死の迫真の演技をやってみせる。死んだマネは死ではない。中年男はこれを許さないで、警備員に青年を殴り殺させる。権力の執行で青年は消去される。つまり、権力によって台詞を奪われるのだ。
 ここには、劇の中のゲームと劇そのものとの、位相が違う二つの死がある。つまり、二つの消去の仕方が使われているわけである。青年は、死んだマネという主観的な自己否定をするが、更に本当に殺されて客観的に否定され、主観的にも客観的にも二重に消去されたのだ。
 青年が警備員に殺された後、女が「あたし達は生きたマネより死んだマネの方がうまいのよ、……生きたマネより死んだマネ……生きたマネより死んだマネ……」という台詞を言った後、「突如、ホリゾント幕が切り落される。世界が一変した。光空か闇か、灰色に鈍く光る無数の楯か、それとも地平線にかすむ遙かなる道か」とト書きに書かれている。ここには、舞台で客観的な現実とされた演劇的空間も、主観的な世界での出来事として否定して、現実世界に繋げて行こうとする劇作家の意志が感じられる。舞台での二重の消去は、消去された者を現実に甦らせる手続きだったといえよう。初期の劇作では、清水邦夫が自分が書く台詞を現実と向き合わせていたことが伺える。
 
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 『狂人なおもて往生をとぐ』は読んでいて、その台詞の遣り取りにスリルを感じさせられる作品だった。読み始めでは、妙な売春宿の話かと思っているうちに、それが精神病の息子の一人が抱く幻想を、両親と姉弟が演じて、その息子のリハビリテーションをしているのだということが判る。教育行政学の大学教授の書斎が売春宿のサロンということになっていて、精神病の息子はオーナーで、母親はママさんで姉が売春婦、そして父親は母親の客で弟は姉の客ということになっている。この部屋では、日常的には売春婦と客という関係で会話がなされ、現実の家族関係は、その売春婦と客が演じる「家族ごっこ」というゲームになり、それぞれが「ごっこ」の中の役を演じているということになる。つまり、家庭が性を軸に転倒した世界が実現されている。そこでは、精神病の息子の出が語る台詞の意味合いに従って、それぞれが語る台詞も家族関係に対する批判となり、隠されていて見えない「性」を露出させる。
 この倒錯的に生きている家族に、弟敬二の婚約者の正常な意識のめぐみが、夫となる人の家族に会いたいとやって来て、この「家族ごっこ」に巻き込まれ、その倒錯が正常な女性の心を痛めつけることになる。そして更に、未来の結婚生活が語られるところから、更に虚構が積み重なれて、倒錯の上に倒錯が重なり、この大学教授の家庭崩壊の元になった事件が露出してくるのだ。
 兄出の言葉はめぐみをたびたび傷つけるが、彼女はゲームの中に引き込まれていく。そして、弟が彼女と結婚するのなら、
 
 「きみの中にある輝かしい家庭の未来図を披露してくれ。いやいやそんなオーバーなものでなくていい。ごくささやかな事。具体的にかつイメージ豊かに。どんな所に住む?アパートか?」
 
 と挑発する。この出の挑発に乗って、敬二とめぐみの現実の結婚生活の未来図が「ごっこ」として語られることになるが、その家庭での役割がまた改めて決められる。つまり、売春宿の「家族ごっこ」上に「未来の家庭ごっこ」が重ねられる。弟は当然未来の家庭では父親である。母のはなが長女役をやり、父の善一郎が長男役をやると言い出す。その未来の家族が揃って過ごしている夜という設定になる。
 そして、未来のこととして語られる筈の「ある夜のひととき」が、実はこの家族にとって忘れることが出来ない過去の「ある夜」の再現となるのだ。父親を演じる敬二が紅茶を持ってくる。
 
 「めぐみ さあ、呑みましょう。(呑む)どうしたの、お母さま、お父さま、お二人とも喉が渇いてらっしゃるんでしょう。
  善一郎、はな、仕方なく紅茶を口許へ持っていく。と、はな、恐怖におののいたように、紅茶カップを投げ出す。
はな (激しい苦痛にも似た鳴咽)
めぐみ お母さま……
愛子 (はなを凝視)そうよ、最初に苦しみ出したのは長女。
善一郎 (紅茶カップをテーブルに投げ出し、ソファにがっくり寄りかかる)
愛子 次に苦しみ出したのは長男。
敬二 (盆に投げ出して慟哭)
愛子 その次はパパ……そのあとはママ。
めぐみ 一体どういう事?
出 説明してくれ。何が起ったんだ。
愛子 (カップをかかげ)ストリキニーネ入りの紅茶。毒薬入りの紅茶。一家心中でござーい。
出 一家心中だって?
愛子 そうよ。可愛いからこそわが子は道連れ。
出 (笑い出す)こいつはいい。一家心中。すばらしいアイデアだ。一家水入らずの果てに一家心中。だから言ったろ。一家水いらずは危険だ。きみ達の悪い癖だって。俺の忠告を聞いていればこんなことにならなかったのに。世界で最も哀れな日本国民を救え!日本は今でも子どもを殺す習慣がある……
めぐみ 恥知らず! (敬二に)怒らないの、あたし達の未来が一家心中だって言ってるのよ。
出 黙れ。恥知らずはきみ達の方だ。なんの権利があって子どもを殺した。理由を言え!
めぐみ ほら、これだから。
敬二 違うんだ。違う。一家心中は未遂だったんだ。」

 劇全体から見た場面の設定ということでは、実際に毒を入れた父親が毒入り紅茶を飲まされた長男を演じて、いささかあくどい遊びになっているが、それが鋭い切り込みを入れることになっている。この場面で、家族たちは激情に襲われて、息子の出は正常に戻ったかのように父善一郎をかばい、父を愛しているという。そこで父親は救われるが、この「ごっこ」芝居で、自分の未来が否定されたと受け止めためぐみは敬二との婚約を破棄してしまう。
 この場面の台詞の遣り取りには、二つの意味合いが重なり交錯している。過去のことを知らない「めぐみ」と、めぐみ達の未来図と思っている「出」に取っては、他の家族達が意地悪く「一家心中」劇を演じていると受け止めているが、「敬二」「愛子」「善一郎」「はな」たちには忌まわしい過去の再現である。そして、観客にとっては虚構に虚構を重ねたところにいわば「真実」が見えるということになる。ここでの虚構の重ね方は、先ず「大学教授の家庭」というベースの上に、精神異常の長男の「幻想の売春宿」が重なり、更にその上に常連客の「家族ごっこ」があって、この場面の「次男と婚約者の未来図」が重なって四重になっている。そしてそこで述べられる台詞の意味合いが横と縦に交錯するという仕掛けになっている。この台詞の意味を交錯させて「愛」を語り出す仕掛けこそ、清水邦夫の戯曲を特徴づけるものと言えよう。
 
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 『狂人なおもて往生をとぐ』を書いたことによって、清水邦夫は台詞の言葉に多重な意味合いを持たせることで、舞台上に現実の再現ではない、独特の緊張感を生み出す方法を実現した。そして、またその後の劇作で取り扱う鉱脈を掘り当てたのではないかと思う。『狂人なおもて往生をとぐ』では、虚構の重なり使って、「家族」というものを「狂気」のフィルターに掛けて解きほぐして、親子の「愛情」というものを析出させることが出来た。その翌年に書かれた『あなた自身のためのレッスン』では、「記憶喪失」というフィルターを掛けて、虚構を重ねた意味の亀裂から「兄妹相姦」という禁じられた「愛情」が析出されてくる。
 『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』は、朝廷からの独立国の建設を目指した平将門の一味が朝廷の軍勢に追いつめられて、次々に影武者を立てて、裏切り者を処分して生き残りを計るという話だが、将門は気が狂っていて、自分自身が自分である将門を成敗するために追い求め、自分の影武者を斬り殺していき、永遠に自分が自分を追い求めるという筋立てになっている。一見、この劇は戦乱に生きる武将の話に見えるが、実は男女間の愛情の話といえるように思う。敵を欺くために影武者を立てるのだが、実は将門の妻の桔梗が自分の愛情の対象として、狂った将門に代わる強い男を求めてのことであり、二重人格となった将門は、将門としては冷たい肌の桔梗を愛しているが、将門を追う男としては温かい獣の肌の盲目のゆき女を愛している。また、将門を生き延びさせるための芝居を打ってきた家来の三郎は、実は桔梗を愛していて、将門を誘惑したゆき女は、実は兄の三郎を愛し、最後に三郎に殺される、というように愛情関係が錯綜している。その彼ら彼女らが述べる愛と恨みの言葉がイメージをかき立てる比喩を使った感情のこもった台詞で書かれている。敗者が生き延びようとするときの愛情関係のあり方は、後の平家の残党を扱った作品『愛の森』でも描かれている。清水邦夫の作品では常に「愛」が描かれるが、どちらかというとやや後ずさりした仕方で生きていく人々の姿として描かれるという印象がある。それが愛の強さを感じさせる。愛情の問題は、それ以後に続く作品によって、男女、親子、兄弟のこととして扱われるが、ややゆがんだ形で枠を超えたところにまで及ぶ仕組みとして扱われるようになる。家族が絶対的な枠組みでなくなったところで、愛に歪みが生じるのは避けられないのかもしれない。
 
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 翻ってみると、台詞の仕掛けこそが、人を「生きている」という原点で輝かせ、そこに「愛情」を析出させる、それが演劇なのだという思いにさせられる。『楽屋』はそういう思いをそのまま実現したような作品だ。チェーホフの『かもめ』のニーナ役を巡って、現在演じている女優と、プロンプターをしていたが精神病になってしまった若い女優と、舞台で演じる機会がなく、プロンプターで終わってしまった二人の女優の亡霊たちが、ニーナ役に対するそれぞれの思いの強さを述べ合い、争い、演じてみせるというのが、この作品の内容で、女優魂の凄まじさと、一途なだけに滑稽で哀れなところが描かれている。女優にとっては、舞台で台詞を言って自分を輝かせることが生きるということだ。プロンプターはその女優の輝きを支える役割だろう。プロンプターだけで生涯を終えてしまって、自分が輝く機会を持てなかったことの口惜しさが亡霊女優たちの台詞からにじみ出てくる。精神を病んだ若い女優は、ニーナ役の女優にニーナ役を返してくれと迫り、怒った女優にビール瓶で殴られて倒れるが、彼女も亡霊になって楽屋に戻ってくる。そして、三人の亡霊で今度は『三人姉妹』を演じ始めて、「生きましょうよ」の新しい生活に向かって出発するオーリガの台詞を述べるところで終わる。
 『楽屋』の最初の台詞は、楽屋の主の女優が「わたしは……かもめ、いいえ、そうじゃない、わたしは女優。」と『かもめ』のニーナの台詞だ。それは、ニーナがかつての恋人と別れて立ち去るときの、二年間の辛苦の末に芸術は忍耐力だと悟ったことを、自分が女優として自覚したことを語る台詞だ。女優の亡霊たちも、精神を病んだ若い女優も、ニーナの台詞の好きなところを暗唱して自己陶酔する。『楽屋』が収録されている「ハヤカワ演劇文庫」の岩淵剛の解説によると、『楽屋』は清水邦夫の作品のうちで「たぶん一番多く上演されている戯曲だろう」ということだ。わたしには、清水邦夫の台詞の言葉の意味合いの引用という重層化によって、ニーナの言葉が独立して、演じる女優自身の言葉と受け止められることになって、『かもめ』のニーナを演じる以上に自分を表現しているように思えるからではないかと思える。この作品にはシェイクスピアの『マクベス』と三好十郎の『斬られの仙太』も女優の亡霊たちの台詞として使われている。『マクベス』のところなど、戦前生まれの女優の亡霊は戦前の翻訳の台詞で暗唱し、戦後生まれは戦後訳の台詞で暗唱する。ここが笑いを誘うように書かれていて面白いのだ。幾つかの戯曲の台詞を笑ったり感心したりして読んだり聞いたりすることができる作品なのだ。というふうに考えていたら、実際に舞台上で演じる女優さんたちの姿を見ているのではなく、読んでいるだけなので、この作品の主役は実は「台詞そのもの」なのではないか思えてきた。作者は、現実の女優たちの意地と思い入れ思い込みを目の当りにして、そこにモチーフを置いているが、女優たちの心理は実は背景であって、彼女たちが生きているのは自分が声に出す台詞であり、彼女たちにとって作品そのものなどどうでもいいことなのだ。先ず台詞の言葉ありきで、俳優女優はその言葉に生死を握られているということなのだ。この『楽屋』を書いたということは、清水邦夫にとっては台詞の重みという点で、決定的なことだったと思える。
 
 8
 『楽屋』を書いた後の戯曲を読んだ印象では、劇作家の清水邦夫はまさに「演劇」というものにどっぷりと身を沈めていくように感じられた。「演劇」というのは常に舞台の現在なのだ。その現在に「記憶」を呼び込み、「演じる者」を二重に演じさせるという構造の中で、台詞の意味を重層化させるという手続きを使って「愛の姿」を析出させる、というのが、これ以後の清水邦夫の戯曲の世界と言えば言えるように思える。
 『タンゴ・冬の終わりに』は台詞が俳優の生死を支配するということを如実に示した作品と言えないだろうか。この作品では、肉体と精神がぼろぼろに崩れていく俳優の記憶の中で、刻み込まれた養成所の卒業公演でやった芝居の台詞と、引退公演でやった『オセロ』の終幕と、それに続く舞台挨拶とが生き続けていて、その卒業公演の台詞が彼に生気を取り戻させたかに見えるが、『オセロ』の終幕と重なって、若い女優の首を絞めて殺してしまい、身を滅ぼすことになるのだ。台詞が恐ろしい力を発揮した悲劇という感じだ。
 『タンゴ・冬の終わりに』の主役の俳優清村盛は、足が思うように動かなくなって東京での舞台を引退して、実家の日本海沿いの町の閉館間近の映画館に戻って、女優だった妻のぎんの世話を受けている。舞台への思いは絶ち難いが、復帰は望むべくもなく、精神に狂いが生じて、舞台で活躍した頃の記憶を失っている。ぎんは盛の記憶を復活させようと、彼の名前を使って、かつて愛しあった若い女優の水尾を手紙で呼び寄せる。だが、実は今回の手紙もかつての恋愛もぎんの差し金だったと判る。盛は水尾の記憶を失っていて、水尾を初めて会った女優志願の女と思って、話し始める。水尾は自分と愛しあった盛の気持ちが本当のものだったかを確かめようと、自分たちの恋愛を細かく語る。盛はその相手を別の男だと思って聞いているが、水尾が、盛に取って忘れられない自分の卒制公演の時の台詞を口にすると混乱する。
 その台詞は
 
 「ごきげんよう……これより死におもむくぼく、そしてぼくら仲間から最後の別れをいいます……ぼくらは今日という日まで理想に忠実でした。しかし傷ついた肉体がぼくらの数々の行動をくじき……ここで最後の時を待っています。いまはとても静かな気持です。自分でも信じられないくらいおだやかでやさしい気分にあふれて……それというのも今朝収容所の外から聞えてきたタンゴの調べのせいかも知れません。夢のようでした。まるで夢の底から聞えてくるようでした……
      タンゴ、なりひびく……
 ほんとに、こんな日に、こんな場所で、ぼくらの革命と自由をうたうタンゴを聞けるなんて……ぼくには見えてきます、厚い壁を通していろいろな風景が……朝の白い路上……風に花のようにとばされていく新聞紙……祭りのあとに消しわすれたイルミネーション……小学校のかしいだ水のみ場……その水のみ場で鎖つきのコップで水をのむ夏の少年たち……そしてあれは誰だろう、あの人影……そうだ、彼等だ……昔、ぼくを愛を生ききる台詞39愛してくれた……昔ぼくに真実の、熱い声援と拍手をおくってくれた……
 
 ……ぼくは踊ります、いまから、この厚い、孤独の壁をつき破って、あの仲間たちとパートナーを組んで……さあ、ぼくの手をつかんで……早く、きみたち、ぼくの手を……」
 
 というもので、盛に取っては自分が生きた真実なのだ。その真実を突きつけ、現実に戻そうとする水尾を突き飛ばして気を失わせる。この台詞は作品の中に三回出てくる。最初は、始めの方で盛自身が自分を励ますために口にする。二度目は、水尾が自分に対する盛の愛の真実性を確かめるために、三度目は、かつての盛の愛が真実だったということが水尾に判り、盛もその水尾を受け止めて二人でタンゴを踊り、水尾を現在の彼女の夫の連に渡す、というところで、盛と水尾の二人が口にする。俳優として誕生したときに盛を輝かせた一つの台詞が、心の真実を運ぶ役割をして、そこに愛を復活させるのだ。しかし、この愛を復活させた真実は同時に悲劇を生んでしまう。盛が子どもの時の孔雀の剥製を盗んだというトラウマの幻想に逃げ込んだときに、盛が手にして、孔雀の剥製だと思いこんでいるボロ切れを、水尾はそれがボロ切れだという真実を盛に突きつけたために、突然、引退公演の『オセロ』のデスデモーナを扼殺する場面を演じているつもりになった盛に首を絞め殺されてしまう。そして、先の台詞の最後の部分を、「こんな日に、こんな場所で、タンゴを聞けるなんて……わたしをとりまく厚い壁をつき破って、わたしのあなたと手を組んで……」と言い換えて、幻想の相手と踊り始じめるというところで、ぎんの語りに代わって幕が閉じる。盛は現実を拒否して妄想に逃げ込んだという悲劇だ。
 別の芝居の一節の台詞が隠喩的に使われているというふうに言える。盛が水尾の首を絞めるところでは、「見苦しいぞ、もがくな、デスデモーナ……」の短い台詞一つで、真実を見誤ったオセロの悲劇が重なってくる。刑場での死を前にした革命の闘士の台詞は、役柄の青春と盛という俳優の青春が重なり、更に劇作家清水邦夫自身の青春も重なっていると思われる。この戯曲の舞台設定は廃館を間近に控えた「北国シネマ」という映画館だ。作者は劇の始めと終わりに幻の観客たちを登場させている。映画館の賑わいには人々の夢が生きていた。それが台詞の中の「ぼくらの革命と自由をうたう」という言葉と連携して、作者の青春の時代が語られている。この作品は一九八四年に書かれて、映画館の夢とか「革命と自由」を口にするとかいうことは記憶の中のことになったと語っているわけである。作品自体が比喩的に時代を語っていると言えよう。
 
 9
 台詞を隠喩的に使うという点で、『冬の馬』は面白く読めた。使われているのは映画『エデンの東』の台詞だ。腹違いの兄弟が『エデンの東』の中の父と子の会話を芝居ごっこで演じてみる、というより窓から覗いている隣人に演じてみせて、実際の関係とは違う関係と思いこませるというのだ。腹違いの兄弟の兄が父で、弟が子ということになると、母と兄が夫婦ということになる。あり得ないけどあり得るという愛情関係を生じさせるというのが、実はこの戯曲のモチーフと言える。作品では、兄の実の父親が老いらくの恋で、兄と同い年の女性と結婚したので、同じ歳で義理の母と子という関係になった。そして兄はカリエスを患って父の家にいたので彼女が世話をしたりして、遠いようで近いような感情を抱いていて、それから数十年経っての話が舞台で展開する。
 「冬の馬」というのは、戦時中、木曽地方で馬を徴用に取られた農家の人が気落ちしていたが、馬小屋に馬がいるように思って、幻の馬の世話を始めたら生きる気力を取り戻したという話の「幻の馬」のことだ。作品は、母は父と銀時計の注文製造の店を開いていたが、父が死んだ後、父の仕事机を父が生きていたときの侭にして、「冬の馬」のようにあたかも父がその席にいるようにしてきたというわけで、その不在の存在を軸に家族の互いの愛情の持ち方が見えないように変わっていくところを描いている。父が存在していれば、母と兄との間には恋愛感情は起こりえないし、起こっても否定されるべきものになる。しかし、父がいなければ、もともと他人なのだから、恋愛感情が生まれてもおかしくない。この兄弟が『エデンの東』の台詞を使って父と子を演じるのは、この微妙な関係の可能性を譬喩的に暗示しているわけである。兄はたまたま映画好きであることから、興に乗って演じるが、そこに譬喩が生まれてしまったわけだし、見てしまった隣の人は誤解して虚構の家族関係を信じてしまうことになる。その虚構の家族関係を母、兄、弟、弟の前妻の四人が、家族団欒という形で演じるというのがこの劇の展開で、最後に母と兄は淡く明言できない愛情を抱くに至っているように感じられる。こうした不在を絡めた微妙な愛情関係が描かれるというところに、清水邦夫の戯曲の魅力があると言える。『なぜか青春時代』では、街頭闘争という青春の記憶と不在の詩人が、年を隔てた二人の女性を結ぶ淡い愛情が描かれている。
 
 10
 一九九〇年を過ぎて書かれた『哄笑─智恵子、ゼームス坂病院にて』と『わたしの夢は舞う─會津八一博士の恋』と『リターン─海へ…ヘミングウエイ幻想』の三つの伝記を扱った作品はどれも面白かった。わたしにしてみれば知っているようで知らない人たちなのだった。『哄笑』と『わたしの夢は舞う』は時代と人物を絡めて、それぞれの愛情の形が鮮明に描かれていた。特に『哄笑』で智恵子に向かって光太郎が別人として「よく知っている光太郎」を説明する台詞は、おかしいと同時に、なかなか気持ちが伝わらないということで哀れさも感じさせられるのだった。『リターン─海へ』は、ヘミングウエイって、こんなに独り言を言い続けていた人なのかと思いながらも、母親のコンプレックスと闘い、自己を追求するその台詞の力に圧倒された。台詞が人物を生み出しているのだ。台詞っていうのは、人に向かっていう言葉なのだ。それも、常に人物としての相手と観客に向かっての二重の意味合いを持っている。その観客という他人に向かって発せられるというとこころで、台詞を口にする人の心を沸き立たせ、その人を輝かせる。「いのちのダイヤル」という電話相談室を扱った作品『破れた魂に侵入─Life Line─』の自殺してしまった女性相談員の振る舞いについて、その夫が語るところで、
 
 「(ぐるっと室内に視線をめぐらせて)ここでは、彼女、まるで舞台のスポットを浴びたヒロインのようにふるまった……電話を手にした彼女はがらりと変身する……ある時はやさしく、ある時は火のように激しく相談者の心に迫っていく……かと思えば、とつぜん相手の心に猫のように寄りそい、吐息を吹きかけるようにささやく……とにかく、場合によっては、相手にたいして、母にもなれば、姉にもなり、更には妹のようにもなり……そして、時には恋人のようにもなる……おれはいつも、名女優の演技を見るような思いで、なかば唖然として眺めていた……」
 
 という台詞がある。ここには「名女優」と書かれているが、女性相談員には書かれた台詞はない。彼女はアドリブで台本を作っているわけで、まさに即興で台詞を書く劇作家ということであろう。次に「彼女はきっと、電話の向こうの闇を、本気で愛していたんだと思います」という同僚の女性の言葉が返ってくる。清水邦夫が台詞を書いているときの自分を語っているのかと思えてくる。劇作家も劇場の観客が潜んでいる闇を愛し、闇に向かって言葉を書き続けるということなのだろう。
 
                      2007・2・27
      「多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科2007年報
       清水邦夫教授退職記念特集」に掲載
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