昨日、多摩美の卒業生の映画監督、坪田義史さんの監督作品『美代子阿佐ヶ谷気分』の試写を見た。「ガロ」の漫画家安部慎一の境涯が描かれていた。安部慎一は、昔「ガロ」を読んでいたわたしには名前をうっすらと覚えている程度の存在で、すっかり忘れていた。しかし、映画によれば、彼は苦闘の境涯を生き抜いて、今でも漫画を描いているということだった。その苦闘の物語は、映画では私小説的な漫画家として、漫画雑誌というメディアに存在を維持しようとして、特に、阿佐ヶ谷のアパートで同棲している女性の美代子との性的関係を、自らの作品のモデルにして突き詰めていき、やがて破綻してしまい、郷里帰って、精神を患い、美代子に養われて、宗教に入れ込んだりするが、美代子の力で精神を回復し、再び漫画を描くようになる、という話。70年代の表現者が時代を切り抜けて今も生きているというところに感動があった。
坪田義史は90年代後半の生まれ。メディアで育った世代が、メディアに絡み絡められて生き抜く者の姿を描いたというわけだ。坪田監督は、その破綻を描くところで、安部慎一が自分の作品の素材にするために、自分が同棲している美代子を目の前で友達に犯させ、それを眺めるという破廉恥な行動に走り、その罪悪感が彼を破滅に向かわせるというシーンを演出している。わたしは、そこには坪田義史のメディアに向けられた怒りと正義感が働いていると感じた。安部慎一は破滅に向かうが破滅しない。郷里の田川に帰って、安部慎一は美代子と結婚して病の床につくが、美代子は身体が弱っている慎一にセックスを強要して死に追いやるかに見える。しかしそれは美代子の究極の愛情と感じられる。その美代子の強烈な生活力と生命力に圧倒されて、慎一は逃げるように宗教にのめり込んで行って、再び表現する力を回復して漫画を描き始めているというわけだ。安部慎一が美代子の力で生きかえって表現する力を回復して行く過程は、70年代に彼が描いていた世界とはまるで正反対になっている。極貧のアパート生活でのエロチシズムはぎりぎりに生きていることの証だった。ところが、身体を張って夫の精神を回復させようとするエロチシズムは命がけの愛情と見受けられる。70年代から30年を経た違いだといえよう。人間関係が希薄になりつつある現在の意識の有り様に、濃密な身体関係をぶつけてくる作品だ。
坪田義史監督作品『美代子阿佐ヶ谷気分』
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