アーカイブ: 2006年10月

2006/10/31

Permalink 14:54:48, カテゴリ: 日記, views: 497 Japanese (JP)

秋の収穫

 二十九日の朝に、恒例の「新米」が届きました。送り主は農民詩人のY氏。今年は「さつまいも」のおまけつきです。これは埼玉のお米ですが、お米の美味しさは産地で決めるものではなく、作った方の経験と、天地との弛みない会話が作るものだと、いつも実感させられます。本当においしい。甘い。お料理やお漬物などと一緒に口に入れたくない、というほどにおいしいのです。幸せな秋です。

     新米やふとこめかみに触れてみる    昭子

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2006/10/26

Permalink 12:19:34, カテゴリ: 日記, views: 770 Japanese (JP)

かぼちゃな一日

昨日から秋晴れが戻ってきました。昨日のまぶしい空。。以下は昨日のこと。。

夕暮時、細い月が。。

夕方のマーケットの野菜売り場でみつけたかぼちゃ。本物のかぼちゃです。大きさは小さな林檎くらいです。去年は蜜柑くらいの大きさのものもがあったのに。これはちと大きい。ミニ蝋燭も飾りました。

    ハロウィンやガラスの靴がみつからず    昭子

2006/10/19

Permalink 22:26:34, カテゴリ: 日記, views: 591 Japanese (JP)

は。

   衰ひや歯に喰ひ当てし海苔の砂    芭蕉

 友達が歯医者通いにいそしんでいる。日頃の行いの結果だぜ、と思うけど、可哀想だから言わない(^^)。大分よくなったみたいだから、ちょっと安心だけど、ほっと思い出した、この句。元禄四年、芭蕉四十八歳の句である。

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2006/10/16

Permalink 15:29:11, カテゴリ: 日記, views: 605 Japanese (JP)

代理出産

   
   (レオノール・フィニ  「沐浴する女たち」)

 あまり書きたいテーマではないのですが、どうしても「関係ないわ。」という気持にもなれず、「ちょっと、なにか、おかしいのではないか?」ということを書いてみます。

 永い歴史のなかで女性は「跡取り」やら「お世継ぎ」やらを産むことを望まれてきました。さらに「嫁して三年子なきは去る。」という風習すらあって、子供を産めない女性は、その存在価値すら、認められていなかったのです。それはあたかも女性の肉体そのものが「性の歓び」のために存在するではなくて、「子産みの器」として存在していたかのようでした。
 また「女子の割礼」は、性の歓びに溺れることなく、従順な「子産みの器」となるようにという原始的な宗教観に基づくものでもあったでしょう。

 今、一人の女性タレントのアメリカにおける「代理出産」がマスコミをにぎわしています。これは「胎外受精」した卵子をほかの女性の胎内で育てていただくということです。ですからDNAの観点から見れば、「実子」であることには間違いないのです。マスコミが騒いだおかげで、また新たに、癌で子宮摘出をした娘のために、その母親が「代理出産」したというニュースが流れました。これからさらにこうしたニュースは増えていくでしょう。マスコミというものはそうしたものです。

 つまり「代理出産」の源にあるものは、れんめんと歴史のなかで続いてきた「女性の肉体は子産みの器」とう認識から一歩も出ていないということです。わたくしはそこに注目します。
 「実子」として認めてもらえないという法的な問題、倫理的な問題、さらに「代理出産」の規制がゆるやかになった場合には「いのちの売買」という深刻な社会的な問題すら出てくるでしょう。今はそれを「ケース・バイ・ケース」で医師と家族が判断するしかないという、あいまいな状況にしかないのです。そしてすでに行われた「代理出産」を裁く、確固たる法律もないのです。

 すでに「代理出産」で産まれてきてしまった子供にはなんの罪もないのです。それを望んだ女性を法的に「実母」と認めるべきです。同時にその女性は悔いることなく、堂々とその子供とともに生きて下さい。犯罪などでは「DNA鑑定」はかなり確固たる大きな最後の証拠として有効ですが、それが「代理出産」では生かされていないという大きな法的矛盾があるのですが。。。

 「代理出産」までしても子供を望む気持はわからないでもないですが、子供のいない人生がはたして不幸でしょうか?とも思います。そして、再度言います。女性の肉体は「子産みの器」ではありません。新しい産科医学の進歩は、実はこのような古めかしい女性を拘束してきた歴史の上に成り立っているという大きな「矛盾」を抱えているのだと思えてなりません。それを医学者と「代理出産」を望む女性に問うてみたいものです。

     秋の夜鶏舎のたまご温もらず     昭子

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2006/10/15

Permalink 21:51:02, カテゴリ: 日記, views: 483 Japanese (JP)

秋が少しづつ深まって。。

 今日は外に出たら、上着が一枚ほしいような肌寒さ、空は快晴。

 ほととぎす咲いていました。名前のわからない白い花も。。。わたくしが写真を撮っていると、小さなリュックサックを背負った、見知らぬ老婦人が声をかけて下さった。
 「お花を撮っていらっしゃるのですか?」
 「はい。」
 「わたしもここが好きで、散歩の時は必ず通ります。」
 「そうでしたか。わたしも。。。」
 「この白い花ね。摘むと祖母に叱られたものですよ。」
 「どうしてですか?」
 「さぁ。多分仏様にあげるお花かもしれませねぇ。」

 「あ。わたしは曼珠沙華を摘むと祖母に叱られました。」と言おうとしたら、「では、お楽しみ下さいね。」とおっしゃって、そのご婦人はスタスタと歩き出してしまいました。「摘むと叱られる花」っていろいろあるのですね。

     曼珠沙華かざして祖母の住む国へ      昭子

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2006/10/12

Permalink 23:41:32, カテゴリ: 日記, views: 567 Japanese (JP)

イメージ・トレーニング

 先日、今夏に還暦を迎えた友人と久しぶりに会った。「気分はどうか?」とたずねたら、イメージとしてはこの童謡が浮かんできてしまうと嘆いていた(^^)。その上、六十歳で完結したかった仕事が完結できず、その到達範囲を「六十代」と拡大させてしまったようだ。ガンバレ♪

  村の渡しの船頭さんは
  今年六十のおじいさん
  歳はとってもお舟をこぐときは
  元気いっぱい艪がしなる
  それ ギッチラギッチラギッチラコ~~♪

 ふうむ。わたくしは祖母を思い出す。多分わたくしが七歳くらいのころに、祖母は六十代にいたのだが、祖母いわく「人間はね。六十歳を過ぎると子供に還るのですよ。」「では、おばあちゃまは昭子よりも子供なの?」「そうですよ。だから可愛がってくださいね。」と祖母は微笑んだ。やさしい祖母だった。

 さてさて、どちらが哀しいのかな???

   胡桃割る小さき山河刻まれて     昭子

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2006/10/08

Permalink 13:40:54, カテゴリ: 日記, views: 575 Japanese (JP)

秋の一日

 台風が去って、昨日は風が強いが見事な秋空だった。今日も引き続き同じようです。

 しかし「釣瓶落とし」とはよく言ったもの。上の画像は図書館に入るまえに撮ったもの。その後にマーケットに立ち寄り、帰路にはすでにこんな空になっていた。椋鳥が塒に帰る途中です。

 そして深夜に撮った十六夜の月。もう日付はとっくに今日になっていました。。。

      望月や君との距離は測るまじ     昭子

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2006/10/02

Permalink 12:27:04, カテゴリ: 日記, views: 665 Japanese (JP)

秋桜

 雨降りが続いて、コスモスを観に行く予定が二日間も遅れて、九月二十八日に〈国立昭和記念公園〉の散歩がやっと実現しました。その日の空はこんな感じ。。。

 コスモス畑です。

紫式部。。。白式部(?)

     秋桜空への道が見える時    昭子

こくりこ日記

高田昭子のb2evolution blogです。
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