アーカイブ: 2010年8月

2010/08/29

Permalink 23:01:42, カテゴリ: Walking, views: 489 Japanese (JP)

暑い。

25日に開始したWalkingは、26日はお休み。27、28、29日は連続実行。

早めに夕飯を食べて、ちょっとお腹が落ち着くのを待って、8時~8時半頃から歩き始める。暑いし、日焼けがこわいので夜歩きです。3キロを35分くらいしか歩かない。もっと歩けそうな気がしますが、お風呂に入ると、どっと疲れが出るのがわかったので、涼しくなるまでは、このペースで。

昨夜は、お風呂に入って、お風呂の床やすのこを洗いましたが、途中で疲れていやになったほどなので、しばらくはこれ以上歩けないことを実感しました。情けない体力になったなぁ。

しかし、ボディーガードは講釈ばかり言うのでうるさい。腕を振る時ときどきぶつかる。でかい図体で。考えたあげく3歩下がって後ろを歩くことにしたら、「見えないのは危険だ。」と言うし。夜目にはまだ女性に見えるのかしらん?えへへへ♪明日は休みます。

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2010/08/28

Permalink 11:02:38, カテゴリ: Walking, views: 521 Japanese (JP)

病院へ。

昨日は朝の家事をかたずけてから、病院に。午前中の診療時間にどうやらすべりこみセーフ!胃カメラ検査と貧血検査の結果をつき合わせて、ドクターと今後の治療方針をきめるため。

「たいしたことではなくてよかったね。」とドクターのご意見。そうかこれはたいしたことではないのだなぁ。軽い貧血はあるけれど、増血剤を飲むほどではないとのこと。やれやれ。あとは薬を飲むこと。食生活に気をつけること。何度も言いますが、わたくしは暴飲暴食はしていない。

仕事は男社会で1人女性としてスタッフになったことはストレス。家においても夫の自宅滞在時間が長くなったこともストレス。家事は時間通りに規則正しく行われる。この繰り返しもストレス。

夫は俄然「Waiking」に張り切っている。陽が落ちたころから出発。遠回りして「中華料理」のお店で外食。(今日は夕食の支度を怠けることにしました。)それから、さらに歩いて石丸電気で、キーボードカバーを買う。イトーヨーカドーで明日の食材の調達。やっぱり最後は主婦業。

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2010/08/26

Permalink 00:13:11, カテゴリ: Walking, views: 628 Japanese (JP)

Walking1日目。

今夜はうつくしい満月。おおかみは吼えないけれど、夫ははりきっていました。「Walking」の本を改めて読み返していたらしい。頭は天に引っ張られているような状態にする(自然に背筋が伸びる。これってバレリーナの基本でもあるなぁ。)、両腕は後方に向かって振る。足は踵から地面につける。引きずらないように。いつもより少し早めに歩く。

そんなことで約30分。無理はこわい。
「気分はどうか?」と聞かれて「もうしわけないけど、心拍数が上がる。生あくびがでる。」すまぬ。。。

早めの夕食後(わたくしは食事を少なめにして。)1時間待ってから始めたのですが、結果はあまりよろしくない。徐々に慣れることを祈るのみ。

思いかえせば、両親の看護のために、自宅と実家との往復生活の時期には、毎晩1時間Walkingしていました。夕食の片付けの済んだあとで、Walkingをして、それから両親2人の入浴の世話。3人分入浴するようなもので、わたくしの両手は見るも無残にカサカサに荒れました。

自宅にいる時も夕食の後片付けの後にはWalkingしていたんだったなぁ。あの火事場のクソ力はどこに行ってしまったのでせう???

2010/08/24

Permalink 22:29:50, カテゴリ: Walking, views: 1830 Japanese (JP)

胃カメラ

今回はあまり愉快な話題ではないです。すみませぬ。しかしこれもわたくしの1部分ゆえお許しを。わたくしは胃カメラ検査は基本的には大嫌いです。

20年前(?)初めて胃カメラ検査を受けた時には、うがい型の喉の麻酔薬にむせてしまったので、看護婦さんの支持した時間より早く麻酔薬を吐き出してしまったのですが、検査には支障なし。結果も異常なし。しかし深夜に高熱を出しました。夫に病院に電話をかけてもらって指示を受ける。「今夜中に熱が下がらなかったら明朝病院へ。熱がおさまれば、それは喉の一時的な炎症ですので心配ありません。」熱は朝には下がりました。

10年前(?)2回目の胃カメラ検査は、喉の麻酔はスプレー式になっていましたが、これは薬の量が少なく、嘔吐感がひどく食道がカメラを受けつけない。一旦中止。検査技師は不機嫌。ほどなくして検査技師が再登場。「麻酔スプレーをもう1回して。」と看護婦さんに指示。スプレーのあとで「薬を飲み込んで。」という指示。この「飲み込んで。」という指示が1回目はなかった。それで検査はスムースに。結果異常なし。

19日、3回目の胃カメラ検査。これは今までの市民検診の流れで行ったものではなく、あきらかに自覚症状があってのこと。検査は拒否できないと覚悟しました。ドクターと看護婦さんに前回の麻酔の件を話して、「麻酔は多めに。」と手をあわせて(本気!)懇願。懇願叶って、看護婦さんは麻酔(今回はポンプ式なので霧状ではなく液状です。)2回。「飲み込んで。」という指示もきちんと出ました。検査技師がいらして、「念のため」とさらに麻酔薬を。「飲み込んで。」と1言。わたくしの「懇願」がかなって、検査は苦しまずできました。喉は麻酔のためひりひりしていましたが、熱はでませんでした。

しかし、結果は悪く出た。単なる夏バテではなかったようです。「胃全体の炎症がかなりひどい。潰瘍はなし。悪性ではない。」ほっとするけれど、これからの薬物治療でいつ治ることやら・・・。夜型の生活時間を改め、今まで1日2回の食事を少なめの3回に改め、消化のよいものをよく噛んで食べる。食事3回でないと、1日3回の食後の薬の服用ができないのです。

大食漢でもなく、大酒飲みでもないわたくしが何故こういうことになったのか?理由がわかりません。5月末、瀬戸内海旅行をしましたが、帰宅後に2日間発熱、雨ばかりにみまわれて寒かったせいだろうと思いました。とりあえず回復して、6月末に最後の仕事は終わった。もう今後仕事は絶対にしないだろうと思いますが、主婦業は死ぬまで終わらない。まぁこれだけの生活ですが「ストレス」たまりますが、これは誰にも理解できないことで。。。。その合間をぬって本を読み、詩を書いて、時々詩の集まりに出掛け、美術館、映画館に出掛け・・・・・・出掛けると疲れて・・・・・・。

この薬物治療が終わっても「ストレス」と「鬱」が抜けないとしたら、次は心療内科ですか?生きていることとはなんと多忙で話題が多いことでせう。退屈している暇がないようです。ああそうそう。3月~7月までは歯医者通いもありました。いろいろなドクターとは仲良し(^^)。。。

そしてついに夫が言い出しました。「週3回夕食後に散歩しよう。それは君の体が弱いからだ。散歩して体力をつけよう。」だって。夫は週3日くらいは仕事に出掛ける。わざわざ最寄り駅の隣の駅まで朝夕歩いているのです。元気ですね。ついでに会話も元気ですから、もともと弱い者には配慮がない。散歩中になにを言いだすやら・・・・・・。散歩は夫が仕事に行かない日の夜になりました。まずは明日の夜から。

1説によれば、もともとスポーツに縁のない人間には、鍛錬そのものが「ストレス」になるとか・・・そうならないように祈る。

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2010/08/15

Permalink 22:32:23, カテゴリ: 日記, views: 467 Japanese (JP)

父のこと。

終戦日妻子入れむと風呂洗ふ     秋元不死男

戦争末期、若い教師の父は「学徒兵」を送り出さねばならぬ立場だった。大方の教師は「お国のために命を捧げよ。」と教えたのかもしれない。しかし父は密かに「この戦争は負ける。無駄死にはするな。生きて帰ってこい。日本の復興には、君の若さが必要だ。」とそれぞれに伝言したという。若者や少年、そして教師まで招集されるということは、すでに末期症状だったということ。

貧しい戦後の暮らしのなかで、父は一言も嘆かず、家族を守ってくれた。しかし悪夢にうなされている父を母は何度も見たという。

次第に戦争の記憶が薄れていく頃から、母はわがままな母となっていったが、その母のわがままを受け入れている父が子供心に不思議でならなかった。「どうしてお父さんはお母さんのわがままを許しているの?」とたずねると「満州まで嫁いできてくれたのに、苦労かけたからなぁ。」と答える。「苦労したのはお母さんだけじゃないでしょ。お父さんだってもっと苦労したでしょう。」と反発しましたが、父はそれ以上は答えませんでした。

最期の数日、末期癌の父は「モルヒネ」のために、父がとりとめもなく語ったことは、戦争中の逃亡体験であったり、戦後帰国してから故郷へ帰る列車のなかの思い出だったように思う。父は戦争で生き残ったかもしれないが、結局最後は「戦争に殺されたのだ。」と思いました。

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2010/08/13

Permalink 01:08:44, カテゴリ: 日記, views: 435 Japanese (JP)

法師蝉

卓袱台におきて宿題法師蝉     足立和信

子供の頃に、法師蝉が鳴き出すといつも祖母は「秋が来たのねぇ。」とつぶやいていました。「まだ夏休みが残っているのに。」と思っていましたが、やり残しの宿題に自然と焦る気持にさせられました。祖母の作戦だったかもしれません(^^)。

ちなみに小学校3年の宿題で1番苦しめられたのは100種の植物採集でした。土手や田畑の周囲などを歩いて集めては、雑誌や新聞紙で「押し花あるいは押し草?」にしてほぼ100種集めましたが、その植物の名前がわかりません。母は先生に「無理な宿題では?」と連絡してくれて「名前はいいですよ。」ということになりました。先生だって100種の名前などわかるはずないわ。

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2010/08/11

Permalink 11:02:42, カテゴリ: 日記, views: 543 Japanese (JP)

DNA

昨日は息子一家の里帰り。わたくしは母であり姑であり祖母であるのだ。ゆうた君も2歳半になったので、駅で待ち合わせて「ららぽーと」で外ランチすることにしました。大人数の食事(昼食の大支度と朝の家事との同時進行は、結構きつい。)の支度を怠けたいわたくしでありました(^^)。

ランチの後で、「買い物したい。」と息子たちが言うので、夫とわたくしは子守りを引き受ける。外は暑いし時々雨なので「ららぽーと」の中を走りまわるゆうた君を追っかけまわしていた。ゆうた君はあんよしないで、いつでも走っているんだよ。乳母車まで預かっても、乗るわけないじゃん。

一同集合したところで、実家(←いつから子供に我が家がこう呼ばれるようになったのか?)へ。おやつタイムが済んでもゆうた君の実家内ランニングは終わらない。

夕方涼しくなったところで、近くの公園へ。
ゆうた君は大好きな電車を持って、すべり台に昇る。まず電車が滑り下りてくる。次にゆうた君が滑り下りてくる。この繰り返し。かつてこんな風景を見た記憶があるなぁ。あああ、そうだ。ぬいぐるみのクマを滑り下ろしてから滑り下りてきたのは、我が子だったなぁ・・・・・・しみじみ。

夜、疲れきってうとうとしながら、テレビを観ていたら、息子から電話。「また遊んでやってね。ありがと。」だって。自分が子育てをしている頃には「子供は毎日ガリバー旅行記を生きているようなものだ。」と思っていました。なつかしい。大人になる前に子供時代をたくさん楽しんで生きていてね。

2010/08/07

Permalink 20:11:12, カテゴリ: 日記, views: 504 Japanese (JP)

心療内科?

   

いつものように、やさしい笑顔の内科のドクターに診察を受ける。ただ睡眠薬をいただくだけなのですが、一応お話をしないとお薬が出ない。

それにしても。この猛暑。体がついてゆけず、薬を飲んで眠っていても4時間くらいしか眠れない。「お薬増やすことはできませんか?」とおたずねしましたら、「これ以上処方するには、内科ではできない。心療内科に行かなくちゃならないよ。どうする?」

「どうする?」と聞かれても。ここは分院、この猛暑のなか本院までいくのはしんどい。「今回はいつも通りでいいです。きっと、ただの歳のせいかもしれません。」と謙虚に申し上げれば、ドクターはさらりと「そうだね。」とおっしゃる。このやろめ!

それから薬局に行く。薬を頂く時に、これまたやさしい薬剤師さんが今の状態などを尋ねてくださり、また同じことをお話する。「一回だけでも心療内科に行かれてみたらどうでしょう?」とおっしゃる。

最近の精神不安定、睡眠不足、いろいろ考えてみれば、一回行ってみることもいいかもしれませんねぇ。特別深刻なことではない。人間生きていれば誰でも心身を病むんだよ。

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2010/08/06

Permalink 17:14:51, カテゴリ: 引用文, views: 712 Japanese (JP)

引用文ー31・無限の誤謬

科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬にひとつの終止符を打ってゆくことだ。

 (ブレヒト・ガリレイの生涯)

65年前の今日は広島が被爆した日です。

原爆投下は人間の歴史上最悪最大の戦争犯罪だということは分かり過ぎたことだが、なぜ65年も裁かれることはなかったのか?今更ながら「アメリカってなんだ?」と思う。

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2010/08/05

Permalink 18:03:48, カテゴリ: 日記, views: 961 Japanese (JP)

蝉・天声人語

2010年8月5日(木)付

 緑陰の濃い近所の公園で、蝉(せみ)たちの合唱がかまびすしい。鳴くから暑いのか、暑いから鳴くのか。入道雲が輝いて、その音量はいよいよ上がる。まさに風物詩で、蝉しぐれを聞かないと夏の気分がしないという向きも多かろう▼逆の人もおられよう。やかましいことを例えて蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)という。蝉も蛙(かえる)も、その合唱を妙音と愛(め)でるか、騒音と嫌うかは人によって分かれるようだ。ギリシャ生まれの小泉八雲は「音楽的に鳴くのもいるが、大多数は驚くほど騒々しい」と言いつつ、種類ごとに声を論評している▼クマゼミは騒音に属するらしい。ミシンを力いっぱい踏み回す音に似ていると文豪の耳は聞く。ヒグラシはお気に入りのようだ。あの「カナカナ」を、清澄で甘美とも思える音楽性がある、とほめている▼一番の歌い手にはツクツクボウシをあげた。あの抑揚のある声は、様々に人の言葉を連想させもする。やはり明治の文豪幸田露伴に〈空耳歟(か)うつくし湖(うみ)と蝉の鳴く〉の句があって、言われてみればそうも聞こえる。自在な連想に脱帽である▼声を限りに鳴く命はせいぜい2週間という。ご存じのようにメスは鳴かない。作家の北杜夫さんが随筆で、〈蝉の生涯は幸いなるかな/彼らは声なき妻を有すればなり〉という西洋の詩句をユーモラスに紹介していた。賛同の一票を投じる方もおられようか▼〈ふたたびは帰らじ蝉の穴深し〉阿波野青畝。その鳴きように夏を感じ、抜け殻を「空蝉(うつせみ)」と呼んではかなんだ日本人とは違い、西洋の一句はやはり、なかなかに人間くさい。

  *     *     *

北杜夫さんの「蝉の生涯は幸いなるかな/彼らは声なき妻を有すればなり」には笑いました。ごめん♪
クセナークスの詩の1節のようですが、この詩人の詳細はわかりません。

2010/08/02

Permalink 21:19:17, カテゴリ: 日記, views: 732 Japanese (JP)

山吹伝説

一昨日、いつものマーケットへの道すがら、偶然に撮影した濃紫色の4つの小さな木の実から、この伝説に辿り着くまで3日かかりました。

この実は花弁が4枚の「白山吹」の実(4つ)です。黄色の山吹の花弁は5枚で、実の数は5つです。そして4~5枚の花弁は「一重」です。

七重八重 花は咲けども 山吹の実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき
    (後拾遺和歌集・兼明親王)

つまり、「七重八重」の山吹には「実」がならないのです。

道灌が父を尋ねて越生の地に来た時に、突然のにわか雨に遭い、農家で蓑を借りようと立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され、意味がわからず立腹しました。

後でこの話を家臣にしたら、それは兼明親王の歌に掛けて、その家は貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。

この3日間でわたくしもお利口になりました♪

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こくりこ日記

高田昭子のb2evolution blogです。
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