
百敷やふるき軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり 順徳院
わが宮の軒端は古びて
しのぶ草が茂っている
輝いていたあの日々
栄光はいつかは亡びるもの
なお忍ぶのか
* * *
百首完了いたしました。励ましてくださった方々に感謝いたします。
では、よいお年をお迎えくださいませ。

人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は 後鳥羽院
歴史は繰り返されて
ひとはなお茨の道を歩むのか
うつくしく詠いたい
その言葉を絶えることなくすすぎたい
風よ この歌を届けてください

風そよぐならの小川の夕暮は御禊ぞ夏のしるしなりけり 従二位家隆
まだ秋はきてはいないのです
夕方の御手洗川の岸辺には
身をすすぐひとがいて
木漏れ日のなかで
水の飛沫は輝いている
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ
権中納言定家
藻塩を焼き
わずかな塩を得るいにしえびとの知恵
夕凪のふかい静けさよ
もう わたくしたちのさみしさは
焼べる時を待つだけでいい

(Photo by Garakutabako)
花さそふあらしの庭の雪ならでふり行くものは我身なりけり 入道前太政大臣
春の嵐に花が散る
雪のように降るといえばいいのだろうか?
降る 古る ふるふるふる
春のおわり
ひとのいのちも音もなくふる
おほけなく浮世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖 前大僧正慈円
住み初めた僧坊で思う
墨染の袖を翼に変え
憂き心に浮力をつけて
世に苦しむ民たちを
救うことができようか
みよしのの山の秋風さ夜ふけて故里さむく衣うつなり 参議雅経秋
吉野山から吹きおりる秋風に
里の寒さは厳しい
風の音のまにまに聴こえる
砧打つ音
女たちの夜なべ仕事ではないか
世の中はつねにもがもななぎさ漕ぐあまの小舟の綱手かなしも 鎌倉右大臣
綱手舟が帰ってくる
漁夫たちの呼ぶ声
浜のものたちの応える声
愛しいものたちよ
この繰り返しが永遠であればよいのだが・・・・・・
わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らねかはくまもなし 二条院讃岐
潮位の変化でさえ見えぬ
無数の石が隠されてある
渇くこと 乾くことはないのか
沖の石よ わが袖の涙よ
ならば海ほどの涙で泣きつくせよ
きりぎりすなくや霜夜のさ筵に衣かたしきひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣
霜ふる夜
さむしろとただ一枚の衣が
わたくしのからだをあたためる
瀕死の虫たちよ
どうぞ あの方を呼び戻してください。
見せばやなをじまの蜑の袖だにもぬれにぞぬれし色は変らず 殷富門院大輔
雄島の海
漁夫たちの袖は潮に濡れても
色褪せることはない
わたくしの袖は
涙の色に染まりましたが。
玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
尻尾のついた魂の
行く末などを案じてはならない。
わたくしはあなたの代わりに
あなたはわたくしの代わりに
ふいに死を受け取る時がくる。
難波江のあしのかりねのひと夜ゆえ身をつくしてや恋ひわたるべき
皇嘉門院別当
蘆の刈根 蘆の一節(ひとよ)
あなたとわたくしの仮寝の一夜
この思い出を
これからの永い日々の
澪標として・・・・・・

村雨の露もまだひぬ真木の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師
通り雨に濡れた真木の葉
その夢の滴がしたたる
根方より這いのぼる霧と夕闇
滴の輝きは淡くかすんで
秋夜のなかにかくされる

なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな 西行法師
繰り返された幾万の夜
まなざしをむければ
月はしずかに輝くだけでした
ひとびとの思ひを
ただ映しながら

夜もすがら物思ふ比は明けやらで閨のひまさへつれなかりけり 俊恵法師
繰り返される浅い夢
哀しみと歓びとの
ひとり遊びのあやとり
闇は満ちるばかり
わたくしの朝はまだ明けない

ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき 藤原清輔朝臣
どのような記憶も
「いま」を生きる
わたくしの形見のようなもの
厳しい冬が過ぎれば
小さな傷を負ったほどの春もくる

世の中よ道こそなけれおもひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成
喉元にひしめく言葉
現し世の哀しみ
深い霧のなかに
閉じこめられた山の奥
鳴く鹿の紅い喉元を思ふ

思ひわびさてもいのちはあるものを憂きにたへぬは涙なりけり 道因法師
思ふ人ありても
思ひは届かず
老いた身をただ存(ながら)へて
るいるい るいるい
尽きることがない・・・・・・
ほととぎす鳴きつるかたを眺むればただ有明の月ぞのこれる
後徳大寺左大臣
てっぺんかけたか ほっちょんかけたか
昼も夜も鳥の声がする
夜の木立を見上げても姿はみえない
明るい月だけが
わたくしに付いてくる

長からむ心もしらず黒髪のみだれてけさはものをこそ思へ 待賢門院堀河
寝乱れた黒髪
心も乱れる
ひとの心のうつろいやすさ
満ちていた夜
引いてゆく朝の潮

秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔
秋の風は空を吹きわたり
雲と月のひかりをまどわせて
確かなものなどなにもない
月光のさやけさよ
せめて言の葉にとどまれ

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守 源兼昌
関守の粗末な小屋の夜が明けて
須磨の浦から淡路島へとわたってゆく千鳥の群れ
朝な夕なに
寂しい耳には
千鳥の鳴き声が干満を繰り返している
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞおもふ 崇徳院
二筋の川は
やがてどこかで出会い
激しい一筋の川となるのでしょう
浅瀬のささやき 岩うつ水音
水の祷りがやがて音楽となる時まで
和田の原こぎ出てみれば久堅の雲居にまがふ奥津白波
法性寺入道前関白太政大臣
大海原の蒼 大空の蒼
いざ舟を漕ぎださむ
沖の白波 空の白雲
その境界に惑い
忘我の世界にまぎれこむ

契りおきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり 藤原基俊
葉の上の露のはかなさ
約束の道の遠い距離
それでも秋はうつくしく深まる
わたくしの息子は
まぼろしの旅をするばかり
* * *
ただ頼めしめぢが原のさしも草われ世の中にあらむ限りは
法性寺入道前関白太政大臣

憂かりける人を初瀬の山おろしはげしかれとは 祈らぬものを 源俊頼朝臣
小初瀬ノ山ノ麓ニ、ヨキノ天神ト申す宮居アリ
恋ヲ祈るト申しシ也
あたたかな風をお願いしたはず
山颪を願ってはおりませぬが
神様のお耳はいかがいたしましたか?

(Photo by KIRI)
高砂の尾上の桜咲にけり外山の霞たたずもあらなむ 前中納言匡房
曇りガラスの窓辺に
桜のゆれている気配がする
あなたが見えない
わたくしの喉元にたたずむ言葉たちには
霞がかかっているような・・・・・・
音にきくたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ
祐子内親王家紀伊
寂しい歌からはじまる
我が袖を
高師の浜のあだ波に濡らしてしまうように
涙で濡らすこともないように
こころの密栓を閉じる歌からはじまる

夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く 大納言経信
東の窓辺から西の窓辺へ
風が音もなく流れてゆく
貧しいこの家のに前には
稲葉の息使いが絶えず聴こえている
色のない風が吹き渡ってゆく夕暮れ

さびしさに宿を立ち出て眺むればいづくも同じ 秋の夕暮 良暹法師
雪崩れるこころに耐えかねて
庵の西向きの窓を明ければ
そこは秋の夕暮れ
繰りかえされる季節の哀しみの
影が少しづつ濃くなってゆく
*「ぜん」の漢字が表示できません。すみませぬ。
「追記」
リベルさんから「暹」の漢字の表示を頂きましたので書き直しできました。
いつもいつもありがとうございます。

(Photo by Denden)
嵐ふく三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり 能因法師
はなやぎの時を散らして 流して
竜田の川を色どる
最後の赤い一葉消えて
あたりはしんとしています
時の流れる音だけがして

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 三条院
夜のなかに立ちつくすと
束の間も 永遠も望むべくもなく
このいのちひとつが
恋しきもの
空に満月 音もなくあれ

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ 周防内侍
あなたのあたたかな腕に
このちいさな脳髄をあずけて
春の一夜が明ける
それはただのまぼろし
噂ばかりが生き生きとして・・・・・・

もろともに哀と思へ山桜花よりほかに知る人もなし 大僧正行尊
晩春の山奥
思いがけない出会いの花よ
わたくしは永い孤独な旅をしている
ひととき共に
互いを慰めようか

(Photo by Denden)
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなん名こそ惜しけれ 相模
ひとを恋ひ
なみだのパレットに溢れる色たち
わたくしの袖に咲きみつる花々
呼びかわした名前
哀しみは朽ちることなく

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 中納言定頼
朝霧はきれぎれに消えてゆく
そこから立ちあらわれる浅瀬のかがやき
立ちあがるたくさんの網代木
いきいきと水に漱がれながら
今日も立っている

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅
言葉に絹の翼を
思ひに虹の足を
ただ願うばかり
掟に閉ざされた愛
別れの挨拶すらないままに
夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
真夜中には鳴かぬ鶏を
空音をさせる謀りごとありて
暁を待たずに帰られた方よ
夢のなかでは
逢坂の関まで越えていらっしゃると?

古への奈良の都の八重桜けふ九重ににほひむるかな 伊勢大輔
旧都奈良から届きし桜は
幾重にも閉ざされた宮中に
今年もあでやかに咲いています
花は誇りたかく
変わることなく匂いたちて
大江山いく野の道の遠ければまだふみも 見ず天の橋立 小式部内侍
美しい少女 口とく詠む
母上は大江山にはまだ着かず
いく野あたりでしょうか?
まぼろしの文は届くのでしょうか?
いいえ 母上にはなにも・・・・・・
やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門
夜更けの窓辺で待っていました
この月が使者であったなら
めぐる思いを託すこともできましょう
明け方の窓辺に届いたものは
一枚の落ち葉でした
ありま山いなの篠原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位
歌枕 有馬山の猪名野は稲野か
あなたのお心のように
風が吹きわたる篠原
風音を聴く度に
わたくしはあなたを想ふ

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
たった一夜
あなたのお顔を見るために
あかるい月を一つください
雲よ
どうか月をかくさないで
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな 和泉式部
一体どなたに届けましょうか
この想いを
間もなくこの世を去る身には
思ひ出はあふれるばかり
心とからだは消え入るばかり

滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
大納言藤原公任
過去から聴こえる水音
途絶えることのないまぼろしの流れ
連連 漣漣
水源の名をたずね 遡れ
名こその滝よ

忘れじのゆくすえまではかたければ今日を限りの命ともがな 儀同三司母
秋の一日だけを生きて
うつろいやすきひとの約束
「忘れじ」の言の葉を
永久のものといたしましょう
哀しみが訪れる前に

嘆きつつひとり寝る夜の明るまはいかに久しきものとかは知る 右大将道綱母
闇のなかに揺れる天秤
愛の重さ
寂しさはかげろうのように重さがない
傾いたまま
空は白みはじめる

明けぬれば暮るるものとはしりながらなほうらめしき朝ぼらけかな
藤原道信朝臣
時を留めるすべはなく
逢える夜を待ち
朝ぼらけには別れを告げ
後朝の使いを出して
また夜を待つのみ

胎児いま魚の時代冬の月 山田真砂年
月満ちる夜に
神々の呼ぶ声が届くとき
魚は暗い海のふちから
素裸のままで大気の浜へあがってきた
そしてけものの声で答えるのだった
かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじなもゆる思ひを 藤原実方朝臣
さしも草が燃えるように
ひとはひとを想う
朝焼け 夕焼け 季節はうつろう
わたくしの想いはたたずむ
小さな火のように

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなとおもひけるかな 藤原義孝
あなたに逢える望み
叶えば死すら恐れないおろかさ
逢えた後には生きたいと思うおろかさ
たった二十年のいのちでした
極楽浄土から還ることもなく
みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消つつ物をこそおもへ 大中臣義能宣
厨の薄闇のなか
母上はひっそりとおっしゃいました。
「絶やさずに焚きなさい。」
火の想いを知りそめた娘は
うなずきつつ粗朶を焼べる。

風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物をおもふ此かな 源重之
頬を打つ風の激しさ
岩打つ波は音をたてて砕け
岩にはかすかな侵蝕
痛みはあるのだろうか
砕けるほどの思い 比べようもない

八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 恵慶法師
八重葎に覆われた廃屋では
吹きぬける風に遠い夢の時間が交錯する
生者と死者が酌み交わす宴
しずかな歌垣
やがて月がのぼってくる
由良のとを渡る舟人かぢを絶え行衛も知らぬ恋の道かな 曽禰好忠
由良の瀬戸で
櫂を失くした舟人よ
ゆらゆらゆら
舟はどこへゆくのやら
しるべのない恋のゆらめき

哀れともいふべき人はおもほえで身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公
一人この世に生まれ
いたづらに生きた日々
ひび割れた思い出は風に
わたくしのいのちは
ひとつの死に抱かれるのみ

逢ふことの絶えてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし 中納言朝忠
ひとの出会いは
光りと影
歓びと哀しみ
はなやぎと孤独
それでもひとはめぐりあう

逢ひみての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠
嵐の去った午後
冷たいガラス窓に額をつけて
後朝の使いを待っている
それは少しづつ温度をあげて
静かな炎になろうとしてる

(Photo by KIRI)
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは 清原元輔
歌枕 末の松山
神のおわします社を
波が越せることができましょうか?
涙とともに交わした約束を
なきものとできましょうか?

(Photo by Garakutabako)
恋すてふ我名はまだき立にけり人しれずこそ思ひそめしか 壬生忠見
しずかな秋風が立つ
わたくしの心にかくされた思いが
世俗の音楽のように流れだす
もう止めようもないこと
まだ無音のままであれと願ったのだが・・・・・・

しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで 平兼盛
しのんでいたはずなのに
のぞかれてしまった恋
無為(ぶい)に生きる日々に
恋情はかくす手立てもなく
どうしたのかとたずねられ・・・・・・
* * *
アクロスティックです(^^)。

(Photo by KIRI)
浅茅生の小野のしのはら忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき 参議等
茅がゆれるさみしさ
篠竹のざわめき
哀しみはなだめられるのか
ひとへの恋しさが
ふつふつと音をたてている

(Photo by Denden)
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな 右近
「忘れない」という誓い
「神」にかけたというひとは
いつかは重い罰を受けることでしょう
忘れられたわたくしよりも
その苦しみはいかばかりか

(Photo by Garakutabako)
白露に 解酲子殿
延喜御時哥めしければ
白露に風のふきしく秋のゝはつらぬきとめぬ玉ぞちりける 文屋朝康
暑さはなかなか去ることをしないが、風の匂いなど、もう
盛夏のものではない。サイフを握りしめて買い物に出る。ふ
だんは部屋に引き籠もっている、一周一時間の、これが男の
まいにちの労働だ。町に出るには大きな踏切を越えてゆく。
フルセットにもなると合計六本の列車の通過を待たねばなら
ない。時間がもったいないときには大踏切の上をまたぐ横断
歩道橋を渡る。歩道橋にはなぜか決まって、半ば乾燥しかけ
た盛大な開花みたいな嘔吐の跡や、近くに競輪場があるせい
か、車券や湿った新聞などが散乱していて、それを避けつつ
向こう側の町に下りる。まず中華料理屋へ入って、モヤシソ
バ六八〇円を食い、千円を出しておつり三二〇円を受け取る。
その足でコンビニエンスストアへ行き、宅配便を元払いで出
す。六四〇円なのでまた千円を出し、三六〇円を受け取る。
これで硬貨は六八〇円。内訳は、百円玉六枚と五〇円玉一枚
と十円玉三枚。これで硬貨一〇枚。細かい硬貨はできるだけ
減らしたい。夕食の材料を買いにスーパーマーケットに入る。
卵小一七八円と中華麺九八円とプレンヨーグルト一八八円、
それに豚バラスライス一〇〇グラム一八四円と隠元一九八円、
トマト一盛り三〇〇円、それに名水もやし三八円を籠の中に
入れ、レジに並ぶ。合計一一八四円。千円と二〇〇円を出し
てつりをもらうと一六円、これで細かい硬貨は四九六円とな
り、かえって増えてくるので何とかしなければならない。一
〇〇円玉四枚、五十円玉一枚、十円玉四枚、五円玉一枚、一
円玉一枚。また跨線橋を越え、住宅街のほうに戻って、ベー
カリー「ビオレ」で発芽玄米食パン一斤を買い、二三一円を
出し、二六五円とすることで、この硬貨一一枚を一挙に五枚
に減らす。それから隣の鮮魚「魚徳」に寄り、かんぱちのサ
ク七六〇円を求め、また千円を出してそれに細かい硬貨二六
〇円を足して渡し、五〇〇円玉を得ると、なんと硬貨はその
五〇〇円玉と五円玉一枚まで減る。そこから秋風に吹かれつ
つ広い勾配を徐々に上って生協に寄る。ふと足りないものが
あるのを思い出したからだ。公園の脇の生協の扉を開け、猫
にやる鶏ささみのパックを手に取る。二〇八円。ついでに生
協林檎ジュースを籠に入れ、レジにまた並ぶ。鶏ささみと林
檎ジュースの値段が打ち出される。林檎ジュース二九八円。
合わせて五〇六円。男はあることに気づくがもう引き返せな
い。千円を渡した男の手に四九四円の硬貨の重さがざらりと
移される。サイフに残る五〇五円と合わせ、九九九円。五〇
〇円玉一枚、百円玉四枚、五十円玉一枚、十円玉四枚、五円
玉一枚、一円玉四枚の、合わせて一五枚の硬貨のフルセット
が、玉ぞちりける。もう買うものは何もないのだ。
* * *
この詩の凄さに圧倒されました(^^)。
掲載は「リタ」に先をこされてしまいましたが。。。
http://www.t-net.ne.jp/~kirita/kurata/kurata84.html
今回のみ特別にお願いして、お借りしました。
お楽しみくださいませ。

(Photo by KIRI)
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるをくものいづくに月やどるらむ 清原深養父
短い夏の夜
月は天をめぐりきることができるのだろうか
明ける空に追われて
あの山陰にかくれる暇もなく
雲の陰にいるのではないか

(Photo by Garakutabako)
人はいさ心もしらず故郷は花ぞむかしの香ににほひける 紀貫之
ひとのこころは移ろうもの
嘆くことはない
わたくしたちのこころは
律儀に繰り返される季節の開花に
ざわめかずにはいられない
コスモスを離れし蝶に谿深し 水原秋桜子
地上に揺れる秋桜に蜜を求め
そこより飛翔する一頭の蝶
微細な出来事の幽し音
深き谿にひしめく音たち
天よ耳をすませよ
* * *
しばらく「詩の歳時記」はお休みしていましたが、某所で素敵な句に出会いましたので、気まぐれに再開してみました。こんな風にして「365句」に辿り着ければ、幸福な道のりになるかもしれませんね。

誰をかも知る人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに 藤原興風
地上への永い滞在時間を赦されて
松は高砂に在す
ひとのいのちははかなきもの
ひとり生き残された寂しさ
かの見知らぬ樹に告げようか

久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ 紀友則
あまたのひとの心を託されて
花びらは風に散ってゆく
かろやかに ゆっくりと
やわらかな光のなか
ちいさな影を描きながら
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり 春道列樹
山を降りる川の流れに
紅葉のたまり
あれは柵(しがらみ)のせいではない
風がおし留めているのだろう
ひとのこころの熾火のような・・・・・・

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪 坂上是則
月がくだけて
微小な欠片となって
一夜を絶え間なく降りつづいたのか
朝の窓辺に
明るい淡雪

有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑
淡いあけがたの月よ
こひびととの一夜の記憶は
いつまでも消えかねている
去っていかれた方の
背を照らしていたひかりに似て

心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせるしら菊のはな 凡河内躬恒
凍てつく朝の庭
まぶしい純白のうたげ 初霜 白菊
触れることをためらう
わたくしの冷えた手には
冬の訪問者の手が重なっていました

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば 源宗于朝臣
ひととひとは離(か)れる
樹々は枯れる
冬の山里には
風が音をたてる
淡い陽が遠くから届くようだった

みかのはらわきて流るる泉河いつみきとてか恋しかるらむ 中納言兼輔
瓶の原には
いにしえの人が埋めた酒甕のあたりに
うつくしい泉が湧いていると伝え聞きました
川の透明な力
一つの願いは溢れるばかり

小倉山峯のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ 貞信公
うつくしい小倉山のもみぢよ
貴いお方があなたに遭いにきます
どうか どうか
色あせることなく
幾たびも 幾たびも

名にしおはば相坂山のさねかずら人にしられでくるよしもがな 三条右大臣
手紙にさ寝かずら添えておくる
こひびとよ この想いがおわかりですか
秋の夜
樹肌にはさ寝かずらが這いのぼり
紅の実を灯すことでしょう
*三条右大臣=藤原定方

此たびはぬさもとりあへず手向山紅葉のにしき神のまにまに 菅家
峠の神よ 許してほしい
上皇の御旅のお供ゆえのこと
幣の用意さえならず
この美しい紅葉を
あなたの御心に捧げます
http://urano.org/kankou/toudaiji/todaiji6.htm
* 菅家=菅原道真

(Photo by Garakutabako)
月みれば千々にものこそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど 大江千里
この月を見ているあまたの人々よ
白楽天よ
哀しみが空を深く染めて
月がさらに冴えわたるとき
うたは時を超えて届けられる

吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ 文屋康秀
むべなるかな
象形文字の哀しさよ
山と風が「嵐」となり
それは「荒らし」となり
その行方は計り知れない

今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな 素性法師
長月花のつぶやき
待つことは
時のあいまいなはかりごとではないか
開花から散るまでよりもながく
夜明けに残る月のようにはかない

わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王
難波の海に並ぶ澪標
そこを辿って
あなたに逢いにゆきましょう
乱れる思いに
迷うことのないように

難波がたみじかきあしのふしのまもあはでこの世を過してよとや 伊勢
水辺の蘆の節のように
すこしづつ似ている薄闇の空室で
ひとはそれぞれの眠りにおちる
空室を積み重ねて
蘆は夜の空にのぼりつめてゆく

(Photo by Rinzou)
住の江の岸に寄る波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣
海には夢の路があるのでしょうか
わたくしは
あなたの夢のなかに
ひっそりと
溶けてゆく方法を考えています
ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣
一枚の絵画に川が激しく流る
紅葉が絶え間なく散り
浮びつつ 沈みつつ
またたくまに川は赤く染めあげられる
饒舌な絵画 わたくしのはるかな沈黙

立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む 中納言行平
二度と逢えない別れ
あるいはふたたび逢える別れ
待つひとがいるというなら
この大樹に記しておこう
ひとつの名前を

君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ 光考天皇
朝の野で露にぬれた若草を摘む
かすかに聴こえる樹の芽吹きの音
風花舞う野末には花の目覚め
あなたに逢える歓びを
伝えるすべは まだまだ足りない
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに 河原左大臣
忍石か 模樹石か
あるいは忍草の色なのか
陸奥の信夫にあるという薄物の文様のように
あなたに出会って乱れたこころ
これだけは遊興ではない

つくばねの峯より落るみなの川こひぞつもりて淵となるぬる 陽成院
峰より落ちてゆく男川 女川
ふたつの川筋は
歌垣の坩堝をのがれ
激しい流れは淵を保ちながら
いつかひとつの流れとなるのでしょう

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ 僧正遍昭
五節の舞姫の美しさを
天女に喩えるなら
天の風に頼もうか
どうか天女の階段を
雲で隠してほしいものだと
わだのはら八十島かけて漕ぎいでぬと人にはつげよあまのつりぶね 参議篁
見知らぬ遠い島へむけて船出します
この伝言は海人に託しました
約束などこの世にはありませぬ
ふたたびあなたのもとへ
この澪を辿って帰る願いがあるだけです

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸
旅立つ者は旅立てよ
還る者は還ろう
別れる者は別れよ
国境の駅にはひとの影が交錯する
それにしても静かだ
花の色はうつりりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに 小野小町
わたくしは夢のなかに生かされました
そうして物語のなかに老いました
死はどこから訪れるのでしょう
花一輪ほどのいのち
ただ水をもとめてまいりましょう

わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師
鹿の鳴く声が
しずかに聴こえてくる
ここがどこなのか
おわかりにはなりますまい
都を捨てた者の庵ゆえ

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿部仲麿
この異郷と遠い産土のあわいには
おおきな海が揺れています
その海をやすやすと越えて
天の月はしずかにめぐり続ける
やがてわたくしのいのちがここに果てるとも

鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける 中納言家持
かの国の星物語
織姫と彦星の掛け橋となった鳥は
一夜の真闇を背負い
霜に覆われた橋を渡る
胸のなか 白く寒い

奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき 猿丸大夫
秋の森では
咽喉が熱るほどに鹿が鳴く
しだいに夕焼けはひろがって
赫の風景画は
夜の闇のなかに眠る

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ 山部赤人
田子の浦に佇み
なだらかな山裾を辿って見上げれば
白妙の雪が景色をおぼろにする
このはなのさくやひめは御座すか
いはながひめは何処に

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麿
山鳥は飛ぶ
わたくしは翼をもっていない
山鳥の尾はながい
わたくしには尾もありません
横たわるわたくしはなだらかな稜線でした

春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇
春の日々は足早に過ぎて
樹々の緑が深い山々
あなたは思い出して下さいますか?
記憶の樹の枝に
掛けたままの一枚の霧の衣を
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ 天智天皇
秋の旅の一夜
眠るひとの頬にかすかな風が揺れて
夢のなかからひとすじの涙がこぼれてくる
窓辺には雨の音がして
この世に生れた理由は思い出せない
* * *
「詩の歳時記」再構成はとりあえずお休みのままと致します。
この百人一首の我流詩訳は、三年前からこっそり続けていたものですが、約半数以上に達しましたので、これでしばらく遊ぶことと致します。年内でけりをつけますので、またまたお目汚しでしょうが、ご容赦くださいませ(^^)。。。

百日草百日の花怠らず 遠藤梧逸
定められたいのちの時間
神々の配慮
ただ無口に生きてゆきましょう
星の微細な欠片ほどのわたくしが
ただいとほしい
* * *
この自己流の歳時記は昨年八月から始めました。一年間続けることを目標にして、わたくしは花や草木や風景などに出会いながら、その気分に合わせて毎日では無理ですから、目標を二百句と定めた次第です。とりあえず七月末をもって、その目標は達成できました。しかし最終に近づいたころには「三六五句を目指していらっしゃいますか?」というご質問を受けまして深く反省いたしました。
暦に合わせて、きちんと用意してから始めるべきでした。そうでなければ「俳句」に対して失礼な行為ではなかったかと。。。さて、これをきちんと俳句暦にやり直すには、さらに最低一年はかかるでしょう。目下疲れ果てた弱い脳みそで考慮中です。来年の元旦までにきめることと致しませう。長らくお目汚しにお付合い下さいました方々に深くお礼申し上げます。
さてさて、まずは夏休みです。二十九日より不在です。
(Photo by K/H)
わたしくに浮力ありてふ蓮の花 高田昭子
夏の午後
まどろみのなかで
花にうまれた夢をみた
目覚めれば
水輪のような時間に包囲される
咲き満ちて天のかんざし百日紅 阿部みどり女
天の神様が
かんざしをお望みならば
百日の紅を生きませう
なめらかな木肌を
風が流れてゆく日々に

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
ぐう ちょき ぱあ
わずかな選択肢から
わたくしは幸福な蛍に生まれました
野川のほとり 猫につかまって
「にがい。」と言われるまでの運命でしたが

山桃の日陰と知らで通りけり 前田普羅
夏の午後
木陰づたいに歩いてゆく
うつむいて歩く癖が直らない
山桃の赤い実が落ちていた
見上げた樹の向こうにまぶしい空

ひと一人ゐて緑陰の入りがたき 飯島晴子
こちらに背を向けて
木陰のベンチにすわるひと
わたくしは初めの言葉がさがせない
耳には「悲歌」
風の音

(Photo by Denden)
朝の虹消えて一ト雨半夏生 酒井黙禅
生まれる時が早すぎたのか
それとも・・・・・・
花ともいえず
葉ともいえず
ひっそりと雨後に揺れるもの

梅雨晴れや黄瀬戸にしみる信濃酒 高田昭子
雨の音がやむ夜
黄瀬戸の片口に
揺れる銀色の酒
呑みほしてみようか
一編の詩に幸あれと

学ならずもんじゃ焼いてる梅雨の路地 小沢信男
一人ではなにもできないのね
二人になれば 二つの自我
どうにもならない
梅雨の路地
行き暮れる

海原に銀漢の尾の触れてゐむ 西村和子
かつて詩人は書いた
虹の足が降りたった地と・・・・・・
海は気づいているだろうか
銀漢の尾が潮に濡れていることを
溺れる星たちを

七夕の竹青天を乱し伐る 原裕
鬱蒼とした藪 星祭りの竹を伐る
倒された一本の竹が
青天を乱しながら
どうと地上に身を投げる
わずかに星の欠片を纏って

幾度か同じ蜘蛛ゐる夜は淋し 本田あふひ
昨夜窓辺にいた蜘蛛は
今夜はキッチンの天井の暗がりにいる
この夏の同居者となるのか
かそけき足音
手を止めて聴いていた
三日発車窓に白き夏の星 高田昭子
線路の先は透きとおる
そこから拡がる夜空を走る
星の遮断機
月の湖
陽が輝く朝の駅へ
* * *
わたくしの誕生日記念に

蓮の花開かんとして茎動く 滝沢伊代次
かすかな痛み 夏の夜の開花
茎は花をささげ持ち
水の浮力が神の掌となり
しずかに水輪が揺れ
一音の楽器を鳴らす

(Photo by KIRI)
十薬は群れて地の星自閉癖 鍵和田秞子
夕闇の道端に灯る星の花
かすかに匂う薬草
今年もまた出会えたね
明日から一人旅にでる
君にだけ伝えてゆく

(Photo by Garakutabako)
昏れんとし幹の途中の蝸牛 桂信子
あなたは途方にくれている
はらはら 雨が降る
はらはら あなたのことが気にかかる
日暮れは近い
傘さしかけて 離れられない

花葵雨中に夢の像(かたち)見て 藤田湘子
雨期の空の下
わたくしは窓辺で頬杖をついている
花葵は立ったまま夢をみている
花そのものが
夢の像だと気づかずに

黒き赤き桑の実散らし風騒ぐ 堀古蝶
六月の風が騒ぐ
桑の実は
それぞれの重さで
それぞれの成熟の時間を生きる
風が時間を急がせることはできない

(Photo by KIRI)
星割れて天道虫の離陸せり 稲畑廣太郎
ちいさきもの 着地の幽き音
離陸の音は星の割れる時に聴こえる?
はるかな音
身じろぎもせずに耳をすます
二人ぼっちだね

白百合や銀の秤が吾子の手に 中村草田男
真白きいのち
香りたかいちいさなものよ
銀の秤は誰から授かったのか
この貧しい母のもとに
産まれおちたというのに

姫女苑しろじろ暮れて道とほき 伊東月草
夕闇の道を歩いている
川面の漣は過去の時間へ寄せてゆく
川辺の白い花も過去に向かって揺れている
温い風をゆっくり切り裂きながら
我が身を入れ 背後で閉じる

未央柳雨に散りしよ旅装解く 矢野黙史
季節はめぐりくる
ひとの旅立ちを見送る
わたくしはここに残る
解けない思いは堆積する
雨したたる るるるるる

かるの水尾ひろがりて傘重くなる 村沢夏風
かるがもが水輪のなかにいるのか
あるいは水輪を生むのか
しずかな水面に際限もなく広がる
雨が降る
水面は乱れて 傘は重くなる

蜜蜂は蕊粉にむせて飛び立たむ 高田昭子
蜜蜂は仕事をしらない
蕊粉にまみれて
異性の花へ移り飛ぶ
おまえの糧は甘いのか
むせるほどに

両の手は翼の名残青嵐 掛井広通
大きく育った欅よ
あなたのすべての枝は
空に差し入れられています
風吹く日には翼になり
おだやかな日には空を抱く

蜜蜂は光と消えつ影と生れ 林 翔
捉えられない実像は
影から生まれて
うつくしい像をつくる
雨あがり
まだ翅は重たいのでせうか

夏の川一日を一日として流る 高田昭子
真上にある陽が
西の山陰にかくれようとする時まで
あの川辺を歩いたのはいつだったのか
小さな夏の旅
ふたたびの旅はない

産土の神に差し出す児の重さ 高田昭子
海と山のある町
児を抱いて
紫陽花の咲く神への階段を登る
振り返れば見えるでしょう
いつかその小さな足で立つ産土

バラ散るや己がくづれし音の中 中村汀女
薔薇が音もなく散る
わたくしの内部で
なにかが音をたてて崩れていった
その音は誰にも聴こえない
途絶えることなく季節は更新される

あぢさゐの花より懈(たゆ)くみごもりぬ 篠原鳳作
花は重さに耐えて咲く
ひともまたいのちの重さに
ひとすくいの祝福
雨に洗われた空がみえる
なにかを愛しすぎたのだろうか

うきうきとキリンの洗濯惑いかな 高田昭子
雨季 雨期
憂き 愛き 浮き
青いキリンは惑う
これは肉体の洗濯か
洗濯日和とはいえない午後に

(Photo by KIRI)
飛ぶ翅ををさめてよりの天道虫 稲畑汀子
飛翔をやめてより
ひかる球体となる
雨粒の重さ
ひかりの熱さ
無口なちいさきものよ

噴水の頂の水落ちてこず 長谷川櫂
引力の法則
噴水の頂上は脱出成功できたのだろうか
水の幻想の外では
烏が水浴びをしているではないか
ああ たくさんの人間の見上げる視線のなか

立葵洪水はわが死後に来よ 齋藤慎爾
幾筋もの川に沿って
生きついできたこのいのち
わが死は洪水のごとくあれ
夏に直立する花よ
ただ美しくさざめいて在れ

(Photo by KIRI)
青梅が闇にびっしり泣く櫻児 西東三鬼
夏の夜
青梅がしずかに重みを増してゆく
櫻児の泣き声が聴こえる
汗をかいているいのち
生まれたことは哀しみではない

山河また一年経たり田を植うる 相馬遷子
百年前も
百年後もそうであろうか
寡黙に一年を繰り返した
我が背中に陽を負って
田植えする
* 百年後の見知らぬ男わが田打つ 齋藤美規

蓮いま開く気に充つ無音界 加藤さぶろ
水底に根をあずけ
水面に葉をうかべ
蓮は今開かむとす
開花の音を聴きのがすまいと
世界は息をつめる

(Photo by libell)
母の留守陽があたためる浮き巣かな 高田昭子
母鳥は
今日の糧をさがしています
五月のひかりが水面をあたため
浮き巣のちいさな卵たちは
まどろんでいました

厨にも水鳴る喜雨の音の中 谷野予志
蛇口から流れる水がわずかに細くなる
闇のなかに張りめぐらされた水路のどこかを
見知らぬひとが開いている
濡れた女たちの手
遠いむかしから・・・・・・

綿毛いざ飛ばむ初夏の風を待つ 高田昭子
風がうながすのか
綿毛の意志か
風の旅がはじまる
わたくしの背中の
翼の痕跡がかすかに痛い

ひなげしの花びらたたむ真似ばかり 阿波野青畝
わたくしは病むひとと別れてきたばかり
台風が近づいている
病院の庭には
薄紙のような花びらが風に揺れている
悲しみをしずかにたたむ

初夏のわれに飽かなき人あはれ 永田耕衣
遠い土地から
夜更けに届くひとの声
初夏に生まれ 初夏に出会ったひと
声は闇のなかでやさしい風となり
やがて還ってくる

紙魚ならば棲みても見たき一書あり 能村登四郎
隠される
埋もれる
包まれる
すべてが愛の行為だとしたら
わたくしたちは終わりのない一冊の物語

(Photo by Yukuko)
藤房の盛り上らむとしては垂れ 鷹羽狩行
この重いいのちの房
わたくしたちは咲いてしまった
微風のなかで戸惑うばかり
天のまぼろしの糸
あやつりの花となって

夜はさらに森のふくらみ椎の花 檜紀代
夜の森をぬけて 朝のひかりのなか
からだの奥から椎の花が匂いたつので
両膝をそろえて座している
「今日」という神からのささやかな分け前
「昨日」という思い出

(Photp by Garakutabako)
蛇いちご魂二三箇色づきぬ 河原枇杷男
たましい・・・・・・
このなつかしきものよ
わたくしたちのいのちの汀
ちいさな会話のように
共に照らしあえるのだろうか

初夏の地震(なゐ)鈴の音止みて小事とす 高田昭子
鈴の音は
誰もこない家のドアーで
ふいにはげしく鳴りだす
揺れる地上
遠いあなたも揺れているのですね

(Photo by KIRI)
深山石楠花この世かの世の遠い空 岸秋渓子
花が空の色を染めかえる時間
わたくしたちの意識は
空を彷徨うばかり
深山路に佇むあなたの背後に
この世かの世の境目が消えた

(Photo by KIRI)
脱ぎ捨ててひとふし見せよ竹の皮 蕪村
季節を脱ぐ
初夏の緑を真っすぐに立てよ
天を目ざせよ
積み上げよ
真っ白な円筒の闇を

乱好む太刀にあらずと飾りけり 阿波野青畝
幼子の薄闇と光りの視界には
今なにが見えているのか
太刀など知るよしもない子に
戦乱の時代の武具を飾る
その矛盾のなかで大声で泣いてみよ

子は父を選べず風の端午なり 土田恒平
幼い手が作った鯉のぼりが
乗り換え駅の天井を覆いつくしている
この五月もここをくぐりぬけて
どこへ行こうとしているのか
この世あの世に在るものたちよ

(Photo by KIRI)
晩鐘は鈴蘭の野を出でず消ゆ 齋藤玄
高い塔の上から晩鐘の音が聴こえる
暮れなずむ初夏の空気がかすかに震える
鈴蘭の野のむこうにある
小さな家の窓辺に
祈りの時間は伝わったのだろうか

(Photo by KIRI)
関守へ抜け道細し韮の花 熊本ふみ
ここには関守石が一つあります
ここから先はわたくしは行けません
あなたが一人で抜ける細道です
白い花の咲く関所
通行手形は一枚です。

(Photo by KIRI)
行者みちと杣みちは別著莪の花 杉岡せん城
ここからは道がわかれています
あなたは行者みちへ
わたくしは杣みちを歩いてゆきます
もう一度会える時の標として
この花に別れの言葉を告げましょう

百年後の見知らぬ男わが田打つ 齊藤美規
胸のうちにひろがる田園は
一面の白詰草が拡がっている
摘み草の少女が時折あらわれて
女王の冠を置いてゆく
繰り返された百年の時間の祈り

(Photo by Kitami)
万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村草田男
木々の若葉が揺れ
ひかりのなかで日ごとに空に拡がる
やわらかな歯茎がむずがゆい
微熱が真新しい歯を押しあげる
春 はじまる

《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ 辻征夫
銃口の先端に蝶が翅を休めている
ソノ光景ヲ想像シテミタマエ
キミハソレデモ銃ヲカマエラレルカ?
韃靼ノ兵スラドヨメイタ
ソノ光景ヲ永遠ニ記憶シタマエ

風船切れる少年無重力になる 上甲平谷
風船消ゆ空の渚にこゑのこし 石原八束
幼い手から逃れた風船を
追いかけていった少年は
空の渚を永遠に泳いでいる
戻ってこない子供を待ちながら
母はちいさな井戸になる

(Photo by KIRI)
径に出し筍二つ如何にせん 高浜虚子
筍の親竹遠くはえにけり 村上鬼城
地の闇は深く広く
根は屋敷裏に休むことなく拡がる
やわらかな土を押し上げて
やがて幼い児が地上にあらわれる
竹取の翁の多忙な春

(Photo by Kitami)
竹落葉神仏習合うまゐして 高田昭子
やすらかな笑み
かわいた竹落葉の音に抱かれ
その眠りのなかに入りたい
わたくしたちは孤独に慣れすぎた
取り戻すものがあったのではないか

燦々と日裏日表風若葉 原コウ子
あたたかい春のひかりが
大欅の若葉の眠りを覚ます
目覚めてから知った葉裏の影
老いた樹はつぶやく
「美しいあの影にも耐えておくれ」

木瓜咲くや漱石拙を守るべく 夏目漱石
ちいさな花に託された言葉
「稚拙なままであれ。」と。
生きることに慣れることはできない
言葉への道のりはあまりにも遠い
死者との対話が続く

女身仏に春剥落のつづきをり 細見綾子
晩春の縁側に端座する
うつくしい祖母よ
あなたは静かに春を脱ぎ
夏も秋も身のうちから送り出して
無傷の冬になろうとしておられます
*「女身仏」=「にょしんぶつ」

(Photo by Kitami)
菜の花に招かれ小さく小さくなる 伊豆三郷
春の道草
いつまでも帰らないひとは
晴れた空に包囲されてしまった
あるいは菜の花の蔭で
ちいさなひとになったのだろうか

春の闇幼きおそれふと復る 中村草田男
ひかりのなかで遊び疲れた児は
深い眠りのなかに揺れていた
夜更け 一つの窓が開いて
小さな風が吹くと
ひっそりと闇のなかに目覚める児がいる

胎内の闇隠しをりチューリップ 高田昭子
視界がふいに明るくなる
地平線までを埋め尽くす花よ
あなたの頽れる姿は見ずに去ろう
花びらにかこまれた小宇宙の
そのあたたかさを想いながら

菫程な小さき人に生れたし 夏目漱石
花を踏まずに歩けるか
試されながら野を歩く
ガリバーの哀しみが
胸のなかで滝になる
花たちよ わたくしを捕えて

たんぽぽをぽんたたといふ童いて 高田昭子
「おじいちゃん かたちゅむり」
童の言葉に翁は腰を落す
おおきな肩の上にひろがる春の空
「ぽんたた いっぱい」
翁は野花を踏まないように歩いてゆく

(Photo by K.T)
赤ん坊のどこもやわらか花辛夷 滝沢文枝
生れ生れ
あやういちさきいのちよ
五本の指の握力
乳を吸う強い唇
白い花の祝福

(Photo by KIRI)
浮雲の影あまた過ぎ木瓜ひらく 水原秋桜子
雲が風にうながされ
姿を変えながら流れてゆく
地上に描かれた影も
時のようにめぐり
開花の季節を伝えてゆく

(Photo by Garakutabako)
遅れ咲きいまの落花に加はらず 山口誓子
花の時間は同じではなく
ひとの時間も同じにはなれない
時の微細なぶれのなか
すべてがやさしく
風の時間になってゆく

(Photo by Denden)
妹よ来よこゝの土筆は摘まで置く 高浜虚子
妹よ 北の国に春がめぐってきた
母のような土筆が
輝いている故郷だ
誰も摘み取ることのできない
無名の生を寡黙に生きている母だ

(Photo by K.T)
菫かな白寿の母を生みたるは 上野まさい
春の野辺にたたずむと
母のからだは透きとおるようだ
その足元から影がひっそりとのびてきて
わたくしの足元に届いている
そこに咲いていた菫

(Photo by KIRI)
まなぶたのいくたび冷えて桜守 神尾久美子
花冷えの夜
桜守は樹の根方でまぶたを閉じる
夢のなかでは花散らしの風雨はなく
しずかな時がめぐっている
冷えたまぶたにはひとひらの花びら

(Photo by KIRI)
少年の髪白みゆく櫻狩 齋藤慎爾
さくらの森へ行ったまま
少年は帰ってこなかった
髪に霜をいただいた男が
折れた弓矢を抱えて
しずかに森の出口に腰を下ろしている

(Photo by K.T)
野遊びの傷舐めて血の甘かりし 中村苑子
思い出を摘みに行ったまま
あのひとはまだ戻らない
過去形の棘に刺されて
指先から甘い血を流しながら
どこまで行ったのでしょうか

(Photo by Garakutabako)
見えかくれ居て花こぼす目白かな 茨木和生
こぼれてくるのは花びらではない
あれは小さな一輪です
隠れているのね めじろ
花の蜜を吸って
花を首から落して 飛び去るのね

桜咲く前より紅気立ちこめて 山口誓子
春のしずかな序章
温みはじめた大地から
裸樹が紅色の樹液をしずかに吸い上げる
まもなく咲く
むずがゆい大気が大きく息をした

朧夜や不在が座する椅子二つ 高田昭子
待つことに倦む
愛することに傷を負う
朧の夜に 空席二つ
花を置く
まぼろしの少女が絵本を開く

(Photo by Garakutabako)
落椿まぬがれ難く影添いぬ 田島隆
われらはどこから来てどこへゆくのか?
光りはいのちを育み
時間はいのちを食む
花の血がしたたる時
そこにちいさな影が生まれる

春の午後素直な水車まわるまわる 高田昭子
雪解けの水が流れを急がせて
川面はうすい湯気をたてている
山里の小屋は誰もいない
水車がまわる
水は空をちいさくめぐる

(Photo by Garakutabako)
臘梅や地軸ゆっくりきしむ音 田島隆
地上の時間を告げるものは
開花だろうか
地軸のめぐりか
花が咲くたびに
地軸はかすかに急ぐようだった

(Photo by Tetsuo Shimizu)
はくれんのとどく二階の子のうまゐ 小原俊一
春のひかりのなか
二階の窓辺の高さまで
父の植えた白木蓮が育ちました
幼子のうまゐを
見守る樹となりました。

(Photo by KIRI)
馬酔木咲き歳月戻す雨の中 古館曹人
馬酔木の花が今年も咲きました
した した した 雨が降る
はた はた ゆら ゆら はたた 花が揺れる
「死者の書」のページが開かれる
二上山の麓 当麻寺の伝説がよみがえるとき

(Photo by KIRI)
沈丁の香をのせて風素直なる 嶋田一歩
風はひとをかをりの在り処に誘う
ひとはあたたかな風に
素直に身をまかせる
季節は約束を違えずに訪れる
生きていることへの祈りに似て

ちちははを送りしのちの春の児よ 高田昭子
いのちは引き継がれました
わたくしたちはその紲のどこにいるのか?
春のあけぼの 産声が聴こえる
ちいさなもののかがやき
ちちははよ これは地上のできごとです。

野に出でよ仮想家族に花筵 高田昭子
ひとはやさし
花はうつくし
草は萌える
一枚の写真
春の一日
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 杉田久女
花疲れのからだから
帯を解く 紐を解く
こころは解けない
華やいでいた真昼の花野
いまは夜
月朧湖心に龍を釣りに行く つぶやく堂やんま
釣り上げた龍は
湖心から空の裏側へ
愛したひとは神かくし
名残の裏にかくれているのですか
朧は深くなるばかり
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
鞦韆は空に吸い込まれてゆく
そして空を脱いで戻ってくる
ひとの想いの振り幅は定めがたく
すでに愛は漕ぎだされました
ただ 奪うために・・・・・・

糸電話ほどの小さな春を待つ 佐藤鬼房
今日の午後に吹く風は
電話の糸をふるわせています
くぐもる声は誰ですか?
ちいさな花のなかの
もっとちいさな蕊の質問

野遊びや少女はいつも母の役 高田昭子
「ごはんの時間ですよ」
母の口調そっくりに少女は少年を呼ぶ
少年は捕虫網を担いで 茣蓙に戻る
葉っぱの上には花びらのごはん
少女の膝に 食むことのない人形が・・・・・・

(Photo by Tetsuo?)
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家 芭蕉
春の小家には幼い少女が似合う
やがてそこは雛の家になる
小さな手に余る雛道具
母が一つづつ並べてゆく
やがて草の枢が温い息をはく
*枢=とぼそ

行く春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉
旅立ったのちのこの草の戸は
やがては雛の家ともなろうか
歳月は過客
人も鳥も魚も 涙して送る
旅人は川を渡り 行く秋までの旅へ
* * *
歳時記によって、「なみだ」は「涙」または「泪」の表記に分かれています。
またこの句は「奥の細道」の最終部にある「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と対応しているのではないか?とも思われます。

(Photo by KIRI)
野遊びの二人は雨の裔ならむ 河原枇杷男
わたくしたちは
天から落とされた雨の子供です
白詰草を野原に散らし
まぼろしのアリスを迷わせ
一日の物語をしましょう

こころ捨つ二日続きの春疾風 高田昭子
姿の見えにくい情念を
春疾風が激しく揺らす
一日目 姿を表す
二日目 それをかき消していった
あたたかな春はまだ来ない

時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎
時計屋さんは時計を売らずに
迷い道を売っています
時計の針を眠らせたり 走らせたり・・・・・・
ドアーを開けて街に出れば
ひとの波に等しく時間がながれている
春の風邪まぶたのうらに蝶無数 伊藤凍魚
小さなくさめ
微熱のまぶたを閉じる
うるむ夢の闇のなかには
無数のフェアリーが舞う
熱い闇が咽喉元に訪れるまえに

(Photo by KIRI)
落ちざまに水こぼしけり花椿 芭蕉
水の重さ
花の重さ
やわらかな土の上に
どっと落ちる
濡れた枝は戸惑うばかり

呂律まだ整はぬ子にリラ咲ける 福永耕二
はじめに母音ありき
次に「か行音」へひろがって
幼子は言葉の原始から歩きはじめる
らりるれろ
「リラ、咲いた。」

(Photo by Denden)
春浅し空また月をそだてそめ 久保田万太郎
雪解けの川が歌う
タラノキが芽吹く
土が温い息をはいた
昼の月が見える
世界がわずかにふくらむ春

ふらここや空の何処まで明日と言ふ つつみ眞乃
空に足を差し入れ 引き抜いて
時には空が子供の足をつかまえて
誰もいない鞦韆だけが地上に戻ってきます
いなくなった子供を捜して
幾度空を見上げたことでしょう……

春眠やあざやかすぎし夢の彩 稲垣きくの
闇に舞う蛍
紅葉の乱舞
雪野の満月
果てしない花野
夜更けにひとの名を呼んだ

(Photo by KIRI)
安寝するひとの鼓動や椿落つ 高田昭子
左の耳で
闇の静けさに
落ちる花の音を聴きました
限られたいのち
あたたかな鼓動は右の耳に

百の時計百の遺志以て鳴る寒夜 清水昶
野の舟はまだ漂い続けているのか
うつくしい少女はまだ目覚めないままか
時間は遅れることもなく
急ぐこともなく
やがて男の内に遺志の音を鳴らす

(Photo by KIRI)
はだら雪季語のあわいに降りしきる 高田昭子
季語の領土の境目に
雪 霙 雨 どうとあふれる
変わりやすい空の色
やがて約束が一つ果たされる
それは春の日だろうか

(Photo by Garakutabako)
雪あかり窓あかり触る夜更けかな 高田昭子
夜の窓をあけると
冷気と暖気とが
とまどいながら入れ替わる
雪の庭のなだらかな静寂に
窓あかりが交錯する

(Photo by Garakutabako)
勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
「勇気」の意味は呑み込んでほしい
「地の塩」はさらに沈黙の奥へと貯えよ
・・・・・・「勇気」とは生き残ること
いつか言えるその日まで
真白な梅よ 咲き続けよ

(Photo by Garakutabako)
蝋梅や神の仕事はつばらかに 高田昭子
磨硝子の空に
蝋梅はしずかに咲いている
空の沈黙はさらに深く
花は微かな灯かりとなって
夜の空に灯される

(Photo by Garakutabako)
白光を蕊に灯して梅昏れぬ 加藤耕子
一輪の梅のなかに点火される蕊
そして花は昏れる
闇のなかで
微熱の蕊の
ひそやかな寝息

(Photo by KIRI)
はるの雪産着のやうに田の真昼 小宅容義
春の雪に蔽われた
静かな田は夢見ている
ほとばしる水
早苗の活着
まぶしい反射光

(Photo by KIRI)
水仙や束ねし花のそむきあひ 中村汀女
「わたしを束ねないで」 *
花一輪ごとの意志
比べようのないもの
小首をかしげた花の視線
空と地のあわいに揺れている
* 新川和江の詩より。

(Photo by KIRI)
山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ 加藤楸邨
昼も夜も
花びらはこぼれつづける
根方を花の色に染めあげて
眠りのなかにも
花びらはしずかに迷いこむ

(Photo by KIRI)
夫人の手ひらひら暖炉ともさるる 藤田湘子
夜の森の家
そこだけが明るんでいる
渇いた白樺の枝をくべる優しい手
炎は踊る はじける
いつか還る方のために
豆食うて鬼も追はずに遊びけり 富田木歩
我がうちに棲む鬼ならば
しずかに眠っているがいい
この地上に赦された滞在時間
豆粒ほどのわたくしには
言葉にたわむれているひとときにすぎぬ

春近し時計の下に眠るかな 細見綾子
冬のおわり
夜の底に身を横たえると
聴こえてくるかすかな音
あれは冬と春の時の番兵が
ひっそりと交代する足音

(Photo by Shimirin)
雪片のつれ立ちてくる深空かな 高野素十
幾重にも折りたたまれた深空には
たくさんの使者が隠されている
初めての雪の使者
一片づつ地上に足音もたてずに降りて
丹念に地上を明るませてゆく
しぐるゝや駅に西口東口 安住敦
ささやかな約束が
果たされることにさえ
神のやさしい配慮の気配がある
たとえ冷たい雨の駅でも
人込みのなかにあなたをみつけるとき

寒卵われを生みたるものに母 鷹羽狩行
幼い少女が弟に言いました。
「ママは卵を二個持っていました。」
「それで、わたしと弟が産まれました。」
「白い卵はわたし。赤い卵は弟でした。」
それから二人は朝のハムエッグを啄ばんで・・・・・・
* * * * *
これはフィクションではありません(^^)。

はじめての雪闇に降り闇にやむ 野沢節子
初雪は
眠りのなかに降りしきり
夜更けに静かに仕事を終える
淡いひかりのように
音もたてずに

(Photo by Garakutabako)
蝉氷ひねもす天の傷写す 高田昭子
凍てる朝 暮れる夕べ
池の鏡は写しつづける
木枯らしがつけた
天の擦過傷を
ひとが生きる危うさまでも

(Photo by Hiroe)
青天に飼われて淋し木菟の耳 原 石鼎
耳鳴りのみみずくは
空の声を聴いている
そこを住処として
どれほどの時間が過ぎたことか
まだ果てを見たことはない

空腹の冬のポストの影ながく 高田昭子
たくさんの一年の思いの文を
寡黙に呑みこんで
無事に送りとどけました
木枯らしのなか
今はカサコソと・・・・・・しずか。

凍空に太陽三個死は一個 阪口涯子
厳寒の灰色の空には
三個の太陽が見える
二個になり 一個になり
やがて人間一個の死がやってくるのだろうか
いいえ 生きている 生きている

(Photo by Fumie)
霜柱この土をわが墳墓とす 加藤楸邨
冬の朝毎に
やわらかな土に眠っていた水は
小さな氷の柱となる
そこに眠り続けるいのちの
輝く化身となって

寒星や神の算盤ただひそか 中村草田男
夜空では
静かな神の計らいは
休むことはない
地上の死者を迎えるため
あるいは使者を地上に送るために

末の児に目くばせをして読む歌留多 吉田花宰相
「まだふみもみずあまのはしだて」
うつくしい平仮名文字の取り札をみつめています
おじいさまはゆっくりと「大江山いく野の道の」
それから「遠ければ」から「まだ」へと詠んで・・・・・・
五歳の少女が胸高鳴らせながら触れた初めての札

(Photo by Garakutabako)
雪霏々とわれをうづむるわが睡 石田波郷
雪は降ってくるのではないのです
絶え間なく 音もなく
地上に降りてくるのです
まよいつつ
あなたの深い睡りの縁に

焚火かなし消えんとすれば育てられ 高浜虚子
火を育てる。
手をかざしながら呟いてみる
これは孤独な心の仕事ではないか
かつて秋の空から柿を盗んだ人の手が
ここになかったとしたら・・・・・・

雪よ木の耳に蔵はれている聲よ 河原枇杷男
世界の音を消しながら雪がふる
木に耳があるのなら
そこに世界の音がかくされているのなら
わたくしたちの耳は
木に寄り添うのでしょう。

水鳥の余せる水の広さかな 蓬田紀枝子
途方に暮れながら大空の旅をして
わたくしは束の間ここにいます
身にあまる水面の広さに
慣れないまま
また飛びたつ季節が訪れる
初夢のあひふれし手の醒めて冷ゆ 野沢節子
木洩れ日がゆれる大樹のしたで
あなたとわたくしは語り合い
あたたかな手はゆるやかに結ばれていた
夢の扉にはかならず出口がある
戻り口をさがすことはできない

命継ぐ深息しては去年今年 石田波郷
ちちははは黄泉の国に
ちいさなひとはあたらしく産まれる
わたくしたちはいつでも
いのちの序章なのでしょう
生きてゆきましょう。
* * *
わたしの誕生を司った天使が言った
喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも。
(ウイリアム・ブレイク・・・中野孝次訳)
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