女といふものはみな戦争が嫌ひなのです。
与謝野晶子(1878〜1942)は日露戦争の始まった1904年に、あの有名な「君死にたまふことなかれ」を雑誌「明星」に発表した。この詩への反論は勿論あった。上記のタイトルはその折の晶子の言葉の一つである。
オルレアンの少女「ジャンヌ・ダルク(1412〜1431)」は、イギリスとフランスの間に長く続いた「百年戦争(1337〜1453)」の終結期に「神の啓示を受けた者」として突然にシャルル王太子の前に現われる。しかし両国の利害争いに巧みに利用され、最後は「魔女」として火刑に処せられ、たった19年の生涯を閉じた。魔女であるか、神の啓示を受けた聖女であるか、という問いかけのために「処女性」について屈辱的な行為を受けることもあった。シャルルの載冠式は無事に終わり、少女ジャンヌ・ダルクはイギリスの捕虜となり幽閉されて、フランスから見放された。それからのジャンヌ・ダルクは、自らの神からの啓示の誤読に悩み、さまざまな宗教裁判における審問に混乱したまま、神への懺悔の機会もないままに火刑台に上った。それから永い時間を経て、ジャンヌ・ダルクには「聖女」という敬称が与えられる。彼女は「魔女」でも「聖女」でもないと思うけれどね。
どうやら「戦争」と「歴史」というものは、男たちのためにあるんだね。
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