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2005年1月
2005/1/25(tue)
シルビア・プラス
大学、最後の講義の聴講。今日は前回のレトキの残りと、シルビア・プラスのThe Applicantという詩を読んだ。
プラスの生涯が映画になるらしい。この激しい女性の生き方を思いながら、その詩を読んだが、例によって予習は誤読ばかりが多い。しかし、なぜこんなに違う言語で書かれた詩は面白いのだろうか?先生含めてぼくら三名は熱中して、二時間も話した。帰りの電車に乗り遅れたけど、もう徹夜でもいいやという感じだった。
2005/1/21(fri)
4時半起床再び
うつらうつらしている間に、起きてみたら4時半だった。眠れないから、pcの前に座り、いろいろとページを見ていく。
でも金曜日までたどり着くとすこし安堵の気持が湧いてくる。明日は明後日はすくなくとも自分の時間ができるからだ。次第に世の中のことと疎遠になっていくような気がするが、最近はそれでいいと考えている。
2005/1/18(tue)
4時半起床
身を切るような寒さでもないな。仕事部屋の暖房をつけ、下で一杯のコーヒーを入れて戻る。
昨日は震災から10年目。当時神戸で被災した義父も今は東京の我が家に同居している。「戦争よりも怖かった」というのが10年前84歳で単身神戸で暮らしていた彼のそのときの言葉だった。
中越、スマトラ沖と立て続けに災害が起きると、日常というものの壊れやすさを考えずにはいられない。若いときは「破壊」の荒々しさにあこがれた、今はそんなものにあこがれずとも「破壊」は向こうからやってくる。
2005/1/12(wed)
連詩
なるものを開始したが、これはどういう旅になるのだろうか?
倉田兄に導かれて歌仙の旅に出たときとは違って不安感で一杯だ。
決まりもなにもない「現代詩」という枠組みの中で連俳に似た試みをやろうというのだから。
2005/1/10(mon)
現代詩不感症
鈴木志郎康さんのblogはおもしろいな。現代詩について語ったところはとくにわが意を得たりの感じがした。誰に向けて書いているのか、こういう意識をしっかりもって書いていこう。
昨日、ちょっとタグを使って見たら、下に見られるように醜くなってしまった。サイズの大きさが実感できなかったからだ。
「嘆きの時」たる現在にむかって、三人の詩人が声を発します。
2005/1/9(sun)
お知らせ
ポエトリー・リーディング
−−福間健二・新井豊美・水島英己
●2月11日 PM7時半
音楽茶屋「奏」(JR中央線国立駅南口旭通りへ徒歩5分、右側地下1階)
オーダー+出演者へのカンパ
042−574−1569
「嘆きの時」たる現在にむかって、三人の詩人が声を発します。
2005/1/8(sat)
うつろな、しかし充実した
日を送ったような気がする。うつろとはそこになにかがつまっていることだろう。なにもないというなにか。
福間健二と新井豊美でやる朗読会のための連詩の冒頭を書いた。A Time to Mournというのが、この連詩のタイトルめいたもので、ぼくが提案したもの。どこにいきつくともわからない旅のようなものをやろうじゃないか。光の射す明るい岸辺を目指して。
2005/1/6(thu)
書初め
のつもりで「詩」を書こうと思っているのだが、なかなか集中できない。でも今日は大体のマトリックスを描いてみよう。そうでなければいつまでも書けないぞ。
モチーフは「災害」。これをどのように自分の内部と関わらせることが可能か。あとネット上で知り合った友人がハート・クレインの膨大な「To Brooklyn Bridge」論をサイトで展開している、これもまとめて読まなければ。時間のあるうちに。
それと横浜の美術館で開催されているデュシャン展にも行きたいな。
2005/1/4(tue)
今日から
出勤と思うと、朝の6時前に眼が覚めた。昨晩は飲まなかったけど眠ることができた。リラックスしていれば大丈夫なのだろう。気分がのめりこむと眠れなくなる。「のめりこむ」とは気分が気分とだけ格闘しているような感じである。対象は何もないのに。
そんなに寒くもない。朝のさわやかさを感じる体と心を取り戻したようだ。
2005/1/3(mon)
謹賀新年
2005年か!随分生きてきたな。いよいよ晩年的生活に突入か。
志朗康さんは今年70歳になるという。それから比べたらまだまだかもしれないが、いずれにせよ日々を大切に生きるべきだな。率先して体を動かし、イヤイヤイヤというわけのわからぬ間投詞を少なくし、煙草と酒の吸引数をなるだけ減らし、…など。年頭の決意を書いておこう。
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