夏期講習始る 今日から25日までの4日間、午前二時間の講習。偽善的だが、なるべく受験モードを表に出したくないので、「読む、とはどういうことか」などというタイトルで開講する。60名近い生徒たち。この三年間で皆顔見知りだし、自分の担任の子もいる。 今日やったのは、藤田省三の「精神史的考察」からの問題文。「理性なき合理化」というブロッホのテーゼでくくられると藤田が考える現代における理性の物象化の象徴としての「製品」について。
「ここでは人間の理性が組織規約という形の実体になって社会活動の全領域を官僚制化するだけではなく、生活必需品の全てにわたって製品という形の合理的物体となり全生活領域までをコンクリート化し終えたのである。ここでは、人間理性が人間の裡に在る場合にだけ保たれる理性固有の諸特徴は消失する。すなわち、〈未だ形を採らない〉豊かさ(それを原初の抽象性と呼んでもよいであろう)、〈これからどんな形態にでもなりうる〉という可能性(それは、弾力的な復元力と可塑的な変形力との両極にわたる拡がりと呼んでもよいであろう)、そういう可能的広さにおいて確保されている普遍性、非合理的感情に対しても洞察を通してそれと両立しさらに進んで結合することさえできる寛大さ、そういった固有の特徴が今や理性自体から奪い去られて、理性は一つの固体的形態に特殊化され、そのコンクリート化を通して〈物的装置〉と製品に包入されている。それは理性の閉門であり監禁である。」
自分で呼んでいて、ああ、この人は、理性をこういう形で捉えていたのだなあと感動する。行文によく見られる対句的な構成、「…しまった」を「…了った」と書く癖。どうでもいいことだが、この五月に死んだ政治思想家の文章を、自分の講習の皮切りに読みたかったのだ。
理性の閉門、監禁状態そのものである「受験勉強」という一時期をその根本において、もっと活性化できる工夫を自分なりに生徒と一緒に模索できることを希望しつつ。
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