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2003年7月

2003/7/31(thu)
遅々として
仕事がすすまない。はやくやらなければいけない、それにナイポールも訳さなければならない。また、忙しくなる。どうして、いつもこうなのかな。予定を決めて、何かをやるということが全然出来ない性格だということをあらためて思い知る。
そんなもん、思い知ったて意味はないのだが。もうすこしやって寝よう。

2003/7/30(wed)
友あり
毛蟹をぶらさげてきた友と終日飲む。彼は今わが家で寝ている。
二人でニューヨークにも行った。ボルティモアにも。あそこはどこだっけ?ほれ、ポリスアカデミーの舞台になったところ、と友は酔いの廻った口調で言う。
そんなとこ行かなかったよ。エーットぼくも思い出せない。「地球を歩く」を本棚から探し出して、二人で行ったところが「アナポリス」であったことを確認する。
友曰く、だからなんとかポリスと覚えていたのか。

海軍の町、アメリカの草創期の首都だった町。

ぼくらも、アメリカも年を取った。

2003/7/28(mon)
7月も終わり
木村さん、お帰りなさい。長野はいかがでしたか?政治というものは、どうしてこう人々の生活から離れていくようなことばかり画策するのでしょうかね?

政治とは無縁に生きることは不可能でしょうが、たまには徹底して反あるいは非政治の側に逃避したくなります。

メルヘンから政治が生まれる、そういう場所を取り戻したいからです。

2003/7/24(thu)
国会
昔なつかしい「牛歩」でもなんでもいいから、イラク法案を廃案にしておくれ。

恥ずかしいことではない。野合でも何でもいいから、せめて市民の声の届く「権力」にしておくれ。

2003/7/22(tue)
夏期講習始る
今日から25日までの4日間、午前二時間の講習。偽善的だが、なるべく受験モードを表に出したくないので、「読む、とはどういうことか」などというタイトルで開講する。60名近い生徒たち。この三年間で皆顔見知りだし、自分の担任の子もいる。
今日やったのは、藤田省三の「精神史的考察」からの問題文。「理性なき合理化」というブロッホのテーゼでくくられると藤田が考える現代における理性の物象化の象徴としての「製品」について。

「ここでは人間の理性が組織規約という形の実体になって社会活動の全領域を官僚制化するだけではなく、生活必需品の全てにわたって製品という形の合理的物体となり全生活領域までをコンクリート化し終えたのである。ここでは、人間理性が人間の裡に在る場合にだけ保たれる理性固有の諸特徴は消失する。すなわち、〈未だ形を採らない〉豊かさ(それを原初の抽象性と呼んでもよいであろう)、〈これからどんな形態にでもなりうる〉という可能性(それは、弾力的な復元力と可塑的な変形力との両極にわたる拡がりと呼んでもよいであろう)、そういう可能的広さにおいて確保されている普遍性、非合理的感情に対しても洞察を通してそれと両立しさらに進んで結合することさえできる寛大さ、そういった固有の特徴が今や理性自体から奪い去られて、理性は一つの固体的形態に特殊化され、そのコンクリート化を通して〈物的装置〉と製品に包入されている。それは理性の閉門であり監禁である。」

自分で呼んでいて、ああ、この人は、理性をこういう形で捉えていたのだなあと感動する。行文によく見られる対句的な構成、「…しまった」を「…了った」と書く癖。どうでもいいことだが、この五月に死んだ政治思想家の文章を、自分の講習の皮切りに読みたかったのだ。

理性の閉門、監禁状態そのものである「受験勉強」という一時期をその根本において、もっと活性化できる工夫を自分なりに生徒と一緒に模索できることを希望しつつ。

2003/7/19(sat)

有働さん、きれいな引っ越し菫ありがとう。近所つきあいよろしくお願いします。時々酔っぱらって大声を上げるかも知れませんが、勘弁して下さい。でもお互い(少なくと小生には)今生では所有できない豪邸だから、どんなに叫んでも聞えないかも知れませんね。

2003/7/17(thu)
言葉と道
木村さんのタオについてのお話とてもおもしろかった。
サイクルという言葉がある。
それを言葉でしか言えない。
それが限界であり、
人間の地平である。
  
だからどうした?ということでは
絶対無い。

2003/7/15(tue)
アルジャジーラ
やっぱりBBCの映像だった。NHKがこんなものを取材して放送できるわけはないよ、と途中から思いながら見た。イラク戦争時のアルジャジーラ局そのものを戦争と同時に取材した蕃組はすごかった。
だってイギリス軍の捕虜や、死体の映像を映す、アルジヤジーラの放送を、BBCが取材するものだもの。
ジュネーブ条約のどこにも捕虜の映像を流すことを禁じるという規定はないと言い切ったアルジャジーラのスタッフの言葉に感動した。イラク軍の捕虜の映像は流れているではないか。
イラクに置いた支局がピンポイント爆破されたのは、この姿勢によるものだ。その犠牲になったジャーナリストはまぎれもない一人のにんげんでもあった。こういうあたりまえのことが見えなくなっているのはなぜか。
ブッシュもブレアも、あるいはぼくらも依然としてある種の差別意識から抜け出てないのではないか。
アラブとユダヤという付加価値がなにも見えなくしている。もちろん、西洋という名の巨大な付加価値のせいで。

それにしても、こういう自国の報道の姿勢を根本から問い返す番組をBBCが作ったというのは、捨てたものではない。

それをあえて報道したNHKにも心ある人たちがいるのだと、ということを信じたい。


2003/7/13(sun)
休刊日・休館日・休肝日
昨晩、ある会に遅く行った。もうすべてのメンバーはできあがっていて、「水ちゃん、逢いたかった」などと抱きつかれる始末。酔っていないぼくを見たのは初めてという女性は「理性的な水ちゃんを見ていると気持ちが悪くなると」言って立て続けにぼくに飲ませる。五十代の男に同年配の女性が一気のみを強いる図は珍しいよね。ということで、すぐにメンバーたちと同じ酩酊状態に30分ぐらいでなれるのがぼくの特技です。だから今日は急患日。

2003/7/12(sat)
チェルシーホテル
イーサン・ホーク監督の映画。ビデオ屋で借りてきて、見たのだが、なんと途中で耐えきれなくて、寝てしまった。こういうこともある。ニューヨークにある実在のこのホテルには、ディラン・トーマスはじめ、様々な有名な作家・詩人達が泊まったという。よくわからない映画で、実に退屈なもんだから、見ている最中に居眠りして、そして本格的に中止して寝ました。再度、見る価値がありますか?だれか教えて下さい。

2003/7/10(thu)
早退
休暇をとって
職場の仕事を家でやることにした
職場にいると吐き気がとまらない
昔の不登校児に戻ったぞ、万歳!
だんだん若くなってくるぞ
そのうち胎児に帰るぞ
だれとも話さない
内部にある腹とも話さない
内部にある心などとは、なお話さない
すべてから早退するぞ

2003/7/9(wed)
雨の腹の中で
考えたことも濡れている
チャリをこぐ、ぼくと風景が濡れている
通過した川の気色も見ることなく
その見ることなく、が濡れている
大きな視線も、小さい視線も濡れている
喉だけがかわいているような気がするのは
飲みすけ、だから?
だれか人を殺したくなる日だ
少年という日が
ぼくにもあった

2003/7/3(thu)
きみの詩
異なるバージョンのきみの詩を読み返して
改変の意図を探ろうと思ったが
やめた
どちらも
はるかな思い出が
たしかな歴史と出会い、そしてうしなわれてゆく
その気息に
ぼくも白髪の老人として
いまやないぼくを見ているのか
去りゆくその人を見ているのか
わからなくなってくる

2003/7/1(tue)
まだ
生きているよと、誰かに言ってみたくなる
雨の音は
遠くで
泣いている
きみのようだ
つないだのは
ぼく
という
ことば



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