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ぺこ日記


2004年6月

2004/6/30(wed)
父の入院。

本日入院となりました。

入院で

父が肺がんのため、入院になりました。
両親は二人で時々泣き顔。肺にたまった水が、本日だけで2リットルもありました。
セナは寂しげ。
帰ってくると母も寂しげ。

2004/6/29(tue)
アサガオの種5粒のココロ

「突然のご連絡大変申し訳ありません」とメールが来た。


「以前に鮮明な模様の青紫条斑点絞朝顔 5 粒を出品していた○○と申します。・・・略・・・・、違う花が咲いているのではないかと気になり連絡致しました。」
「エッ?そうなの?」先方になにかそういう苦情がきたらしい。

わたしは「わたしの家では撒くのが遅く、まだ花を咲くにいたっておりません。もしも違う色でも、結構です。とりどりを楽しみますので」と模範解答のようなメールを送った。こんな連絡をくれるなんて、誠実さに頭がさがる。5粒のアサガオの種だ・・・。


最近オークションは、結構高いし品物にムラがありすぎ、特に園芸は山採りなどと堂々と書いている人も居るし、やだなの気分だったのです。「業者がいいなあ。」わたしは呟いたばかりでした。
けれども、こういう素人が居るのもネットならではなんですね。
やっぱり人間の、究極的な問題は人だ・・・・と知ったようなことを呟き、汗だくになりながら、植え替えをしている。こういう自分は初めてだとしみじみ思いました。「枯木灘」の秋幸みたい。わはは。


先月、同期だった友人に連絡をすると「飲みにこない?」という。
「最近、園芸をやってるのよ」「あのへんな帽子被って百姓やってるの?」「そうそう」そんなことを言って断ったが、あの帽子はまだ遠慮している。(爆)
キャディさんと同じという人もいるけど、あの「赤ちゃんが被るような大人の帽子」の名前はなんと言うのか。流行があるのか、いつ頃誕生したのか、かなりな謎だ。・・・・・実用性は絶対にあるのだ。あなどれない。


帽子(農業用)とありました。
http://shop.goo.ne.jp/store/use_it/gds/00077/00.jsp
うむ。


「うむ」の続き(爆)

欝の先生と会った。
来るときの電話で、帽子の話をしたらジョイフルホンダで、買うんでしょう?と説得され、買ってしまいました(爆)400円でした。奥様も使っているそうです。
その後のカラオケは、また勝ってしまいました。
思ったより元気っぽく自称「メランコリーズ」のカラオケ大会も終わりました。「死にたくなったら、電話する」と約束して・・・。

追伸。セナが散髪をしたので、蚊が出ると母が騒いでいます。病院に薬あるよね。

2004/6/28(mon)
続・セナよ。そしてもろもろ。

トリマーさんが、セナを引き取りに来た。



父は二階で涙ぐんでいる。
母は帰ってきたら食べさせる豆腐を、冷蔵庫に入れて冷やしている。
抵抗もせず、知らないヒトについて行ったセナはいじらしいが、飼い主は・・・・・。狂気の沙汰とでも言おうか。



ところで弱っていた次郎吉は、大分いいようで止まり木から、ずり落ちることはなくなったようだ。
りんごもちゃんと食べるので、ちょっと安心している。


牧野邸や小石川植物園でで撮った写真を、整理していて「ナタマメ」にぶつかった。ネットでは殆どが白いけれども、わたしの撮ったのはピンクだ。最近のわたしは図鑑をなかなか見ない。ネットでピンクのをやっと見つけたら、マメは福神漬けに入っているという。へえ。



あ、電話だ!続きは後ほど。


続き。

話は福神漬けである。
たった今検索をしたら確かに「ナタマメ」とあった。確かにマメの鞘を縦に切ったようなものが入っていて「これはなんだろう?」と思ったことはあったが、それが「ナタマメ」とは・・・・。ほほー。
http://www.kyuchan.co.jp/lineup/fukujin/fukujin.html




電話は、かの先生であった。
話し合いをした時に、奥さんは「不服申し立てをしたい」ようだった。本人は動揺してしまい、「気が重くなり、死にたくなって」しまった。
彼は、若い頃から強気の女性が好きだったが、奥さんもそういう人らしい。
わたしは結婚式に出席していたことすら、忘れていたのだ。


それでもとにかく、そんなリスクを背負ったら、誰だって気が重くなる。不服申し立てが出来るくらいなら、余裕で働くくらいのエネルギーがあるということじゃないだろうか。
この件はわたしは、全面撤退もアリだと思っているのだ。
まあ、最後は、二人のいつものパターンで「俺は禿のうえに、被せておいた歯も駄目になった」
「わたしだってデブだよ」。
と、二人とも居直れないコンプレックスを言う。
明日、わたしは彼に会うことになった。





記録しておこう。

今日行われた、イラク暫定政府への主権移譲。選挙の予想、ニュースが伝わるたびにいらいらしていました。今日から、自衛隊も国連軍なのだそうです。「軍」。

2004/6/27(sun)
セナよ!

大きな出来事を書くのは大変だ。
牧野記念植物庭園や小石川植物園に行けたのは、実に嬉しいことで近年にないヒットだったけれど、それは後の話にしよう。とにかく、日常を平凡に、過ごすことは大変なのだ。


今日は家の犬の毛が、毛玉になったりして面倒が見切れず、母がギブアップした。わたしは嬉々としてトリマーに連絡をとった。
シェルティで高齢、先日は脳梗塞で半身麻痺になりかけ通院していた17歳の犬で、耳も遠くなり、目も白内障、この夏は余程面倒をみないと心配だが、母は一刻でも離れていたらかわいそうだと今までトリマーに行くことすらさせなかった。父は父でこうなったらと、異常なほど可愛がり、知らないうちに一日三食にしていた。もう、知らないッ!これが本音だったのだ。


動物をヒトにたとえる「動物番組」、大抵のヒトがかぶれるTV番組に、わたしが本気で謝罪してもらいたいものだと思うのは、こういう時だ。犬は偉い。犬はさみしい。犬はかわいそう。忠実だ。そういう感情移入はまったく「よけいなお世話」だろう。そういう混同が出来るヒトはゾウリムシにも感情移入できるに違いない。
ゾウリムシは寂しく、孤独で、子育ても大変で・・・・まぁ、どうでもいいけど。



つまり、わたしは犬(動物)とヒトとを混同するなと言いたいのだ。むかしわたしが動物図鑑を買ったとき、その「余計なお世話」のないものを選ぶのに本当に苦労をした。結果は外国の人が書いたものになったが、15年以上経っても動物、牧畜も含めて、その種類や大きさや人間との対比などがきちんと書いてあり、実に良い図鑑だと思っている。(農業指導員が、関心していたくらいだ)
とにかく動物の世界には峻厳たる自然のルールが、人間のおつむで足りないほどあるのだよ。



さて「セナよ」である。思い立ったが吉日。予約は明日にして貰った。
ちょっと怪しげなトリマーさんだが(見てみないと、見積もりができないなどと言う)この夏を凌ぐために顔は残して丸刈りにして貰う。体力がなくなって、皮膚病になったことがあるのだから、それが一番だ。以前、母にその病気がうつって(!)医者に行ったそうだ。だから室内には入れたくない。



でも、これが問題。
つまり、飼っている犬には感情移入をしているから、家の中に入れて欲しいということ、懇願してしまうのです。犬は可愛い。ヨネ。

2004/6/26(sat)
牧野博士の笑顔に会った<うるるん風に。

牧野記念庭園・故牧野富太郎博士の居宅跡。在練馬区に行って参りました。以前から行きたいと思いながら、行けなかったところです規模も、小さく展示も小規模ですが、写真や描かれた画に生前の姿が浮かぶようでした。
妄想のような(笑)。

申し訳ありませんが、疲れたのでまた。

*唐突ですが、わたしは「ゲットォー」「○○ゲット」とか言う言葉が嫌いです。いい大人がというか、中年が情けないと思ってしまいます。(小言幸兵衛 爆)

2004/6/25(fri)
疾中報告

病気の先生から、連絡があった。
教育委員会の復職審査会(?)みたいな会議で、休職期間が延長されたという。主治医は復職OKの診断書をだしていた。
休職が処分である以上、正当な理由がなくてはいけない。
その説明が今日、あるという。夫婦で「出頭する」のだそうだ。
そういう話で一昨日、会ったのだが、わたしは、ついでにこの日記をプリントアウトしていった。勝手に書いていて、ちょっと申し訳ない気がしていたからだ。



プリントを受け取るとまず、彼は、誤字を指摘した。(爆)「ここ、違ってるぞ」とファスト・フードの店で大きな声で言った。「エラソー」だった。でも書いているものはOKで、今後も書いていいよと彼は言った。「実名は出てないしね。」そしてもう一回読むから、とプリント・アウトしたものを持って帰った。(「わたしは生徒じゃないぞ!」密かに叫んだ。)


だが今でも毎日スケジュールを埋めないと、居ても立ってもいられない彼の状態というのは、とても心配だ。
「そうしないと、良からぬ考えが浮かぶから、家にじっとしていられない。」彼の、自殺企図は一度や二度ではない。そういうことで言えば今回の教育委員会の決定は、理由はどうあれ、彼にとっていいことかも知れないとも思える。「死にたい病」だったと彼は言う。過去形で語るところに、かろうじて救いがあるが、とにかく彼は目下、下山中なのだ。


わたしの敬愛してやまない精神科医、中井久夫先生も書いていたように、病気は登山と一緒で、下山の方が遭難しやすい、なぜなら麓がとても近く見えるから。わたしは、加速は楽にできても減速は難しいのだと、あわせて言った。


彼は荒れる学校で教頭になった頃から、具合が悪くなったようだ。よく新聞にでていた学校に居たのだった。



2004/6/24(thu)
真夏のヴァケーション♪

夏に旅行を予定している。
わたしは、嬬恋に土地を買った(!)が、一回も見ていない。
これには深い事情があるから今は書かない。とにかくその土地(キャベツ畑かも知れない)を見がてら、霧が峰に行く予定にした。
霧が峰は学生のときにバイトをしたところだ。
それから年に一回ペースで行っていたが、途中から戸隠になってしまったから、今はどうなっているのか知らない。
予約をするにあたって、体力がないのでなるべく歩かないところにしようとした。
地図を見て驚いた。
なんと、「そこは入ってはいけない」と叫んだところに、ホテルやペンションがぞろぞろ出来ている。当時のわたしたちは市の教育委員会で雇われていたが、その後観光課がのさばったのか。とにかく、わたしは仰天した。



車山肩の裸地の調査も、入会権の問題も、どうなったのだろう?あのクマガイソウに、初めて出会ったところ。その、そばにあった哲学書のならぶ不思議な小屋はどうなったんだろう?
車山には宿などなかった。だからトイレに苦労した。みやげもの屋によくトイレを借りた。頂上付近のイブキジャコウソウは、もう駄目だろうな。
「ハイヒールで行ける高層湿原」これが、最悪のイメージだったが、すでにそうかもしれない。
だいたいなんで、こんなところでフランス料理を食べにゃーいかんのだ。知人のNY在の「やっちゃん」に言わせれば、「何がグルメだ。戦時中なにを食ってきたんだ。」NYで、日本のTV局などにグルメ・レストランを聞かれていた彼は怒る。同感だ。
タバコのフィルター一本捨てない、そしてそれを籠を背負って拾って歩いた優秀な監視員の日々。等高線みたいな肌焼け。みんなで作った佃煮だらけのお弁当。サングラスをしていたら、プレイボーイ誌に「霧が峰にはガラの悪い監視員がいる」と書かれたことなどなど。毎日変わる花への、いちいちの感動はわたしを癒し変えた。世界観が変わったと言っていい。



そういえば、長野に行くことで知り合った気骨のあるおじさまたちも、減っている。神田の「ひょ○ろく」や、御茶ノ水の「○高」も閉店したはずだ。○渓堂も、本が減っていた。そんな世代交代とともに、オリンピックがあったのだ。
きっとそれが、こんなにしちゃったのだ。



また、嫌がらせをされている田中康夫先生、めげないで規制してね。わたしは応援しますよ。

2004/6/23(wed)
メジロも丸顔

梅雨明け宣言をして、後日また入梅宣言をしてもいいかも知れない?
なにしろむちゃくちゃ暑い。
ここのところ飼っているメジロの具合が変だ。止まり木に移る時に、ズルッとこけたりする。貰ったメジロだが、こうなったら「犯罪者」になってもいいから日本野鳥の会に相談しようかと思ったり、近所の医者を検索したりしていた。
彼(彼女・・・)は次郎吉と呼ばれて、人気者だ。母は「じろうちゃん」と呼び、窓際を指示するときに「じろうちゃんの方」なんて言うのだ。わたしの部屋も「じろうちゃんの部屋」といいかねない感じだ。


さて、次郎吉は食欲はある。甘いもの好きなので、蜂蜜には何回でも反応し食べる。甘すぎると水を飲んだりさえする。
そういうと、食欲があるのでは病気ではないのじゃないか?と母が言った。
「換羽(トヤ)ではないか?」
なるほど次郎吉の尻尾の羽は、まだ出ていない。だから、幼鳥に見えるくらいに可愛いのだ。慌ててネットで調べると、パプア・ニューギニアの鳥なんていう中に、トヤという項があった。
トヤはなかなか鳥にとっては大変らしい。特に老鳥には。

わたしは、これまで大分、勘違いをしてきたのかも知れない。
今年の春に判ったことは、次郎吉がメスであることだった。それは囀りを通して判ったのだが、今回は高齢かもしれないという疑惑に至った。



様子を見よう。
いつもいる場所はネコが来ていたので、窓を閉め切ってしまったが、それもよくないのかもしれない。今日は場所を移し吊るすようにした。
メジロの丸顔に、びっくり目は可愛い。

2004/6/22(tue)
暑くて散漫・・・・(e)vぺこ

仕事をやめて大分たったが、もとの同僚にちょっと電話をしたら、なんだか違う気がして寂しかった。「お元気で」という結びも、好意というより・・・・違う世界ですよ。と言われたみたいだ。わたしは彼女の旦那にも、嫌われていたことを思い出した。一度もあってはいないのに。
そんなわけで口直しに、一番お世話になって、一番頼みにしているI女子に電話をした。「ひさしぶり!」と明るい声が聞こえた。話をすると「そんなものよ、だって働いている時だってそうだったじゃない。」と言われた。いぢめがとても多い職場だった。それはさながらヒステリーのようだった。管理職は全く破廉恥な男だった。脂ぎった横柄な男。
思い出すのはやめよう。



そとは台風の雨。昨日ツルを巻きつけたアサガオは大丈夫かな?今年は迷ったけど、キキョウ咲きはやめて、ムラサキの普通のアサガオにした。小学校での、オジギソウの観察はいただけないが、アサガオの種を植えるのは正解だ。発芽率も高いし、芽も大きくて楽だから。
「ケシの実のようだ」とは小さいものの例えだがケシより小さい種はいくらもある。そんな小さなものに発芽や成長というシステムが埋め込まれてる。種というのはなんと不思議な存在だろう。



雨音を聞きながら、うつらうつら寝てしまった。
本日は「台風一過」快晴です・・・・・シャワーを浴びアトピーと、チャドクガの薬を塗る。「カユドメリン」「アレルギール」わたしは、薬にこんなふざけた名前をつけてはいけないと常々思っている。いったいどういう了見なのかと一度聞いてみたい。社長が「カユドメリン」でいいと言ったのだろうか?
薬の脇には、種がある。ニワゼキショウ、クリスマスローズ、スミレ、メコノプシス。そして、その隣には一個100円で買った、アリスのキャラクターが並んでいる。帽子屋、芋虫、白い騎士、フラミンゴなどだ。わたしは最近アリスにはまっている。金子國男のアリスが滝口修造に記憶の中で結びつく。
詩を読んでいたころに、額に入れておいたアリスは誰の画だったのか。記憶というものは恐ろしくはやく遠のくものでもある。



昨日まで半分黒くなっていた、ハスの葉が取れてしまった。さわるとグニュっとした。もしかすると原因はジュンサイかもしれない。ここのところ、わたしはハスよりジュンサイの花を可愛がっていた。最近になってハスの生えるようなところには、ジュンサイは生えないのだとはたと気が付いた。植物はいつだって成長する用意をしているように、枯れる用意もしてるのだ。適応というふるいにかけられて。
そういうことに、今年は「したたか」打ちのめされているのに、衰弱の信号を受け止めきれず枯らしてしまう。
だが一方で、為丸方式の挿し木のウツギやフヨウなどの、素晴らしい成長が救いになっている。
明日はペット・ボトルから鉢に移し替えよう。
何年後かの夏にきっと見事な花を咲かせるだろうから。

2004/6/21(mon)
オオガハスの側を通って

気圧のせいで眠れないで、朝方眠りについたので起きたのはお昼でした。ええっ!と思ったことは、台風が通り過ぎていないこと。起きたときに、無事であったと思ったのが、また今日も薬のお世話にならないといけない。やだなー。
起きたときに気づいたものは、もうひとつありました。頭の痛みです。わたしは昨日、タクシーに乗るとき頭を激しくぶつけました。動けないほどだったのに、運転手は何も言わない。ハンドルを握ったまま、微動だにしないで待っているのです。
痛みと怒りで、「乗車拒否」しようと思ったくらいです。なんで我慢して乗らなきゃいけないのか・・・・。


その昔わたしは、タクシーの運転手さんを怒鳴ったことがあります。
お年寄りを老人ホームに送って行く時、彼女のわずかな荷物を乗せることを拒んだ、そのタクシーの運転手さんを怒鳴ったのです。
「驚いた」そう言って関心したのは庶務を担当するおじさんでした。わたしは怒るのはうまくないのですが。



痛い頭を冷やして、ぼうっとTVを見ていると「ヨン様」ブームがただならぬことが報道されていました。彼らの体つきはがっしりしていて、それだけで好感は持てるけれど、ギャラリーがすごい。この「ザ・ベスト」という番組を見るのは、有田芳生さんと、湯川れいこさんがが出ていること、その分ちょっと「社会派」っぽく言いたいことを一回くらい代弁してくれるということです。たとえば今日はレイプ100回のゼネコン社員を、もっと重罪にせよといいました。○稲田のレイプ事件の時「自分たちの欲望にプライドを持てよ」と言った山本普也 にも「おっ!」と思いましたが、もしもこの手の犯罪がもっと、重罪ならこの国の性に対する倫理意識もかわるのではないかと思うのです。


閑話休題。



梅雨というか(今日は台風だけれど)花の端境期の今は、中南米、アフリカ原産の花がすごく多くなってきています。昨年の真夏に元気だったのは中南米、アフリカ原産の花だけで、驚きました。今年は昔の人は、何を見ていたのかと思って観察しています。するとショウブやアオイ、ナデシコ、オイランソウ、キキョウ、ホタルブクロ、キョウチクトウなど案外あるのです。
オオガハスの側を通って、昔わたし達を病院に連れていった母は、公園のそういうものを見ていたのかも知れません。
子供には日向も日陰も関係ないのに「こっちを歩くと楽だよ」と、日陰を歩くことを、教えてくれた母の言葉は未だに忘れられません。真夏の通院。ほんとうにわたし達はよく、病気をしたのでした。嗚呼。

2004/6/20(sun)
さしあたって父の日

今日は父の日でした。
わたしも、父の日のお小使いをあげました。
二回の脳梗塞を経験し、点滴をしながら鬼の涙を浮かべていた父ですが、今は小康を得ています。
耳が遠く、他人の話がわからなくても、野球や囲碁なんかはしっかりわかります。競馬だってやるのです。耳が遠いということは、とかく周囲が困惑することの方が多いかも知れません。でも、彼は高価な補聴器をしない(爆)。
後遺症のせいからかも知れませんが、父はお誕生日も敬老の日も、とても素直に楽しみにしていることがわかります。
飲めば友人の前で忠臣蔵の堀部安兵衛の、長せりふをとうとうと語りだす父でなくなったのは残念ですが、最近は友人にわたしが「俺が靖国神社に行くのに反対した」と繰り返し言うようになりました。目は笑っているのですけれど。
わたしはしっかり者の母と、ちょっとハンパな父のもとで育ったのだと感じています。



さて、今日のわたしは父の日もそこそこに、ネムの花をとりに行きました。昨日、夕方の光の中で撮ったのが気に入らなかった。それは少ししんなりしていたから。
そしてハスもネムも揺れると、この世のものではないような姿になりますよね。
梅雨空の中で揺れる、この花たちがわたしは好きです。ネムの花は、近所のマンションの3階から撮っています。ロケーションはばっちり。ピークは今。・・・・なのに。もうっ!

2004/6/19(sat)
世界は広いぞ ココロは広いか?

無添加食品の雑誌を出しているS通信の編集長から、パンフレットと一緒にお手紙を貰った。
彼女とは仕事で出会って以来つかず離れず、時には泊めてもらったりして、悠に10年を超える付き合いになった。
S通信は本郷にある女だけの出版社で、とても小さく経営状態はずーっと厳しい。でも、手紙はS社の社展をやるというので、そのご招待でした。
「世界は広いぞ、心は広いか?」と題されたテーマは男性の家庭科教師、名取弘文(ナトセン)さんがつぶやいたもの・・・かな?。




見ると本橋成一さんのイラクの写真や、ビデオの公開などもあるようです。チェルノブイリに行った画家さんとも、久しく会っていません。そしてなにより本橋成一さんは『イラクの小さな橋を渡って』の写真を撮った方で、坂本龍一と仕事もしてる。素晴らしい!




でも、わたしは、この暑さのなか池袋まで行く気力も体力もありません。
以前は、酒も飲んでわいわいやっていたのです。情けない。
手紙の中には「保健所」の前に捨てられていたネコを、彼女が飼ってくれていること。そして「ワガママオババ」になっていると書いてありました。


ああ、会いたい。




「世界は広いぞ ココロは広いか?」


於:ギャラリー・ルポリエの40日間


6月16日〜7月26日 12:00〜19:00  火曜休廊


イベントは午後5時からだそうです。


あ、忘れた。

会場は西武デパート方面。


会場直通電話03-3988-6050
東京都豊島区南池袋1−21−7 池袋画壮ビル6F
ギャラリー・ルポリエ

でした。

2004/6/18(fri)
カメムシ

カメムシつながりで、思い出したことがあります。



今はもうなくなったリサイクル・ショップで、わたしは店長なる女性と仲がよくなりました。彼女は当時、いわゆるチバリーヒルズの一つ前の駅から通勤して来ていました。
ある時、とんでもない!目にあったと嘆くので、聞いてみると、昨日は電車の中で携帯をがんがんかける学生、パンみたいなのをずっと食べている人、男が女のメイクをしているカップル・・・・というのに同時にあった。「シンジラレナイ!」のよ。
そしてむっとして電車を降り、バスを待っている時に、突然「お前なんかカメムシだ!」子供に叫ばれた・・・・・。



「カメムシって言われちゃうとさ」なさけない笑顔で、店長のYちゃんは言います。「カメムシってさ・・・・」

わたしは内心、彼女が田辺聖子が好きな人で、よかったとつくづく思いました。。




*今日も歩きすぎて疲れているので、日記はさぼります。
(^●_●^)

2004/6/17(thu)
頑張りたくない♪

♪シアワセになりたいけど〜頑張りたくない♪
清志郎はいい。頑張ると病気になる。しかも丈夫だと自認している人ほど、傷は深い。
病気の先生が復職するにあたって、面接があるという。四人の精神科医が判断し、その後家族も面接するということだった。
医者なんか何人居ても、たかだか1時間や2時間の面接で何がわかるのか。うまくいかなかった時に、遺漏がなかったと言い訳するだけのものだろう。本人が気が重いのは当然ですね。ということで、お察しの通り、いささか荒れ気味であります。



昨晩、残業を断ってメコノプシスを見に来た友人が、田植えの話をして行きました。今時の子供が田植えを経験するというのは、まれなことですが、彼は息子を連れて田植え体験をしに行ったそうです。田植えはなかなか面白かったようで。
そして、暫くして彼の息子はニュースで、天皇の田植えを見て言ったそうです。「なぜ、長靴を履いているのか」と。(爆)
それから稲などの言葉に敏感になったようで、「いなぞう」と繰り返し言い出した。
新渡戸稲造のことなのだが「いなぞう」という響きがおもしろかったようだ。なるほど。


話は突然、カメムシになります。幸運なことに、わたしはカメムシの臭さを知らない。それゆえにカメムシ=綺麗と反応してしまいます。でも今年はカメムシが、お気に入りのマユミの木にびっしり。さすがに気味が悪くなりました。お隣ではダンゴムシがいっぱいで大変だと言っていました。



なんだかわからないけど友人と話した昨日の結論は、「今年はカメムシが多い。」でした。疲れていてごめんなさい。


2004/6/16(wed)
当世学生気質

ヒマラヤのケシは、花びらが怪しくなった。まだ蕾に微かな望みを託している。しかしこの二日の暑さはダメージを与えていると思う。



今日はT大が管理する水槽に「タヌキモ」を見つけてから、是非とも開花が見たいので、見当をつけて、タクシーで行ってしまった。だるいのは夏風邪なのだろうと思う。T大の薬草園は、ヤマアイなどの下草を刈られ、いつもと様相が変って来ている、移転に向けて、しっかり準備をしているのだ。
先週、写真を撮っていたら先生らしき人物がきて「お世話になります」というと「可愛がってください」としきりに言っていた。薬草園なんてないのだから、是非残してもらいたいと言うと僕もそう思うのだけど、上がわかってくれないというようなことをぶつぶつ言っていた。
管理のおじさん約二名も、ちょっとふてくされ気味だ。首になるかも知れないと思っているのだ。


まず何より水槽の方に行くと、暑い中、学生二人が作業中だった。水槽を入れ替えているのだそうだ。気が散るだろうと思い、邪魔をしないように他を先にまわることにした。
狙いはホップの写真だ。去年も撮れなかったのだ。聞くと、寒くないので殆ど咲かないと言う。ここでは、管理人の二人が一番の観察者だ。
カタバミを探したが時間がないので、水槽に戻った。
休憩で学生がひとりタバコを吸っていた。わたしの顔を見ると、照れくさいようにタバコを捨てる仕草をした。戻ってきたのを歓迎しているようだった。もう一人はずっと離れたところにいる。もしかしたら気まずくなっていたのかも知れない。


水槽に行くと、タヌキモ(実際は、イヌタヌキモであったが)は咲いていた。彼にこれは「タヌキモ」か?と聞くと自分はわからないと言う。さては、新米らしい。
それでも、印旛沼や手賀沼が綺麗だったらとか、図鑑は安いとか、レッドデーターのことや土を買う園芸のこととか、水槽の土は休耕田のものだとか、最初に彼が撮ったのはショウジョウトンボだとか・・・・・小一時間は話をした。学生とこんな話題で話すのは数十年ぶりだ。新鮮な彼の情熱が伝わってきて、わたしはお腹がいっぱいになった。
「帰ります」と言うと、はにかんだ笑顔で「また、来てください」と言ってくれたのが嬉しかった。最近の学生もまんざらじゃないと思った。

2004/6/15(tue)
ケシからカタバミへ

昨日、メコノプシスを送って頂いた業者さんから、丁寧なメールを頂いた。そして今、実験中の栽培法がうまくいったら、一緒に来年チャレンジしないかとお誘いがあった。ありがたいことである。
実はケシ栽培の「心的外傷」(爆)から、わたしはまだ立ち直っていない。来年までには立ち直る予定だ。本日も見学者が来ている。



<b>今日はカタバミの話。
カタバミと言っても、ピンクの花が咲くイモカタバミとムラサキカタバミの話だ。両者はかなり似ている。これを採取して欲しいという依頼があったのは先週だ。
わたしの「植物園」のサイトを見た、T大の生物学研究室から依頼されたのだ。そこが全国から採取してるというイモカタバミとムラサキカタバミの違いは、「共に花色は薄紫から濃い赤紫色ですが、葯(おしべの先)が黄色のものがイモカタバミ、白色のものがムラサキカタバミ」だ。そして研究のテーマは染色体。これがおもしろい。



「日本に生えているムラサキカタバミは、染色体が28(2n)本のものしかないといわれていました。ところが私たちの調査の結果、28本のものの他に、14本のものがあることがわかりました。そこで、28本と14本の個体がどのように分布しているのかを調査すると共に、外見上の違いも見いだそうとしています。またイモカタバミでもムラサキカタバミと同じように、染色体数に2つのタイプがあるのではないかと思い、同様の調査をしています。」というのだ。


サンプルは、少し送った。
家の周囲にあったものは、株が分かれたようでムラサキカタバミだった。イモカタバミはすごく、大きいので驚いた(「植物園」参照)わたしは、ムラサキカタバミを知って、長じてからイモカタバミを覚えた。図鑑で見るとイモカタバミは1967年に帰化とある。遊んでいてあんなに大きなイモは見なかったのは当然だ。


図鑑というものが形状の違いを基本にしていることは、言わずもがなだが、同じようなものを遺伝子レベルで分別すると、図鑑では追いつけないよう複雑な「生」のメカニズムが働いているらしい。
そういうことがたまにニュースになると、本当に驚く。
たとえば「タンポポ戦争」と言われていたものが、殆ど混血のタンポポになったというようなニュースだ。
こういうニュースになるというのは、大変な実証の積み上げがあるのだろう。遺伝子には明るいわけではないものの、わたしはわくわくしている。

2004/6/14(mon)
天上の宝物。


うだうだして、寝ちゃうとかぼーっと過ごすとか、そういう我儘は大好きで、そのうえ、上天気なのに、胸の奥がぜーぜー言ってると、横になっているしかない。ベッドに寝ながらTVを見まくり、うつらうつらし・・・・・人間はちょっと休業です。



されど「ヒマラヤの青いケシ」をこのまま散らすわけにはいかない。撮影は必死です。わたしが本で見たメコノプシス は非常に背が高く、毛深く、大型でした。そして霧の雫をたたえながらしっかり立っていました。その雑誌では見開き2ページをとっていて、印刷の色は悪かったけど、やはりこの世に青いケシがあったのだと確信するには十分でした。

・・・・それから、青いケシの花は見ることがなくなりました。多分、青いケシの写真は当時、○日新聞にしかなかったのだと思います。ヒマラヤで写真を撮るなんて、機材を運ぶだけでも狂気の沙汰ですもんね。種を持ってきた人たちの苦労や栽培記録。たいへんだ!
さて、目の前のメコノシプスは一生懸命育てた、親元を離れた子供のように(実際そうなのですが)小ぶりで儚げです。
わたしはあの冊子で見た大きな霧の中のメコノシプスを、思い出しながらヒマラヤへの更なる妄想をかきたてるのです。

2004/6/13(sun)
続・青いケシ

意気が上がらない週末で、昨日はTVで漫画などを見ていました。花の植え替えをしなくてはと思うと、寝たふりをしたくなるのです。そういえば、なんだか眠りがち。



今日も少しだけチャットをし、小津の映画をDVDに落としていたら、眠ってしまいました。そして小津がサボテンを小道具に入れ、遊郭のセットを作っている夢を見ました。(爆)映画は杉村春子が4番バッターだと思うと、本当にそう思える。東山千恵子もいいし、高峰秀子もすごいし、小津の映画には女優がたくさん出てきます。




宅急便で青いケシが届きました。18時に着くということで、カウント・ダウンしていたら18時10分に到着。なんというタイミングだろう。ベルの音で飛び起きました。
「青いねー」と母。
青いのです。空の色のように。(ヒマラヤの空はどんななのだろう?)
わたしは、しがない想像力の持ち主なので、「世界の植物」に出ていた写真より小さめのメコノプシスを見て、呆然としました。
そして今もしています。



夕方撮ったので、写真に色が綺麗に出ません。明日、また挑戦します。というわけで、今日の分だけHPにアップしました。

2004/6/12(sat)
青いケシ

メコノプシスというが、青いケシというのは何種類かある。青いケシの存在を知ったのはいつだろう。とにかく、朝○新聞社で出していた「世界の植物」で写真を見たのだ。霧のなかで咲いている、思ったより背の高い、そして毛深いしっかりとしたケシであった。
以来、数学の解けない問題のように、頭の奥で考えている・・・・・そして時々思い出すような存在になった。報道が増えたのは、やはり花博からだったんだろう。北海道で栽培に成功した。霧が峰で見られるなどと噂を聞いた。



オークションにも出品されだした。高い。
が、・・・・・・1株買った。真夏はクーラーをつけっぱなしで、やってみよう。苦手な志を持った。買ったあと「栽培の仕方」を読むと「やめなさい」とあった。「お経をよみなさい」とも。
そう書かれると買ってしまったのだから、意地を張りたくなった。25℃以上にしない・・・・・・・厳守した。(プロジェクトX風に)メコノプシスは育っていった。蕾まで持った。
ネットで見ると同じくらいに買って、栽培中のHPがあった。株立ちも大きいし蕾もあるという。
同じだ。頑張れ〜。蕾はしばらく順調に育ったが、途中でピタッと止まった。そこが限界だった。
メコノプシスは暑さという環境の激変で(多分)枯れて溶けてしまった。クーラーと外気の往復で適応不能になったのかもしれない。栽培の知識もなさすぎた。お経はこういう時に使うのだ。
かのHPの栽培日記も止まっていた。

最近、親切な業者さんとめぐり合った。やりとりしているうちに、メコノプシスのことを訊ねてみた。今年はできがいいと言う。譲ってもらえる。おお!
「切花感覚なら見られますよ」という言葉に、枯らしてしまった罪悪感のようなものもほどけた。
やっぱり、見たいよね〜。やおら元気になった。家にくると「ほんとう?」なんて疑っていた友人も「このさい、見たいよね」と口を揃える。
みんなヒマラヤには行きそうもないから、見たいのだ。
今朝、花の写真が送られて来た。

2004/6/11(fri)
通販せいかつ

アサガオの種も撒き、キキョウの種も撒いた。キキョウはやっと芽がでてきたけど、今年の秋には間に合いそうもない。昨年、「溥傑さん」の家で見た、ヤエザキキキョウが欲しくなった。植木も苗も種もネットで間に合わせてきたから、まずネット販売を見る。そんな風変わりなものは、野草のお店でも見ない。キキョウは剪定しないし・・・・・ううむ。
中断していたら、メールが来た。丁寧にさがしてくれているという。「ヤエザキキキョウを探すのが、こんなに大変だとは思いませんでした」と書いてあった。(プロジェクトX風に)
返事を書くと、また丁寧なメールが来た。何回かのやりとりの結論はこうだ。
自分の店で提供できればいいが、できそうもない。ついては○キイ種苗の夏・秋号の冊子にヤエザキキキョウがあるので、そこで買ったらよい。
わたしは、ひとまず資料を請求してみることにした。
昨日帰ったら、冊子が来ていた。確かにヤエザキキキョウとある。お礼のメールを送って、ついでにそこの町に住んでいる友人を知っていますか?と聞いた。暫くして「知っている」という答がきた。
「知っている。」言葉に詰まった。お互いに絶句したのかも知れない。



わたしは何が言いたかったんだろう。

2004/6/10(thu)
二百三高地・・・・・。

今日は、通院の日。薬を貰いに行ったのだが、またもや運転手つきである。健気な弟がいるとたすかる。w



実は昨日の夕方、カッコーの声を聞いた。それも大きな声だった。カメラを持って姿を探していると、声を聞きつけたおじさんが、上を向きながら角を曲がってあらわれた。
二人で上を見上げながら、少しねばったが「どこかのが、逃げたんだな」という言葉に納得した。



家には目白がいる。去年、貰ったものだ。インコやカナリアは飼った事があるが、和鳥は初めてだった。おそるおそる餌をやる。練り餌は、初めて・・・・父が、大丈夫か?と見に来た。動きを見て弟がすごいと言った。目白は籠のなかで何度も宙返りをする。


父はおじいちゃんが生きていた頃は、目白やウグイスの品評会や、啼き声の競争があって、練り餌の葉っぱを採りに行かされたようだ。「おみくじ」を持ってくる鳥もあったという。
和鳥は、おもしろい。



真夜中にNHKで203高地の特集をやった。歴史は苦手だが百間の「旅順入場式」を思い出した。百間が快哉を叫んだというやつだ。ヘアースタイルでも二百三高地というものがあったくらい、戦意は高揚していたらしいが、わたしは小鳥で借金をしていたという百間の方がいい。




早起きして撮った大賀ハス、佳境になるまで通います。乞うご期待!!

2004/6/9(wed)
浜木綿が咲いてる。

今日は、またホームセンター。友人の先生だ。困る頃に電話をしてきて、園芸用品の運搬をしてくれる。(笑)カラオケに付き合うのと交換なのだが、前回からルールが変わった。これまでは料金をほぼ交代に払っていたが、彼の配慮で今回から「勝った方が払う」こととなった。「しめた!」と思ったのだった。
彼の十八番は、プレスリーの「Love Me With All Your Heart 」だ。これが100点も出したことがある自信の歌一曲。最初わたしは英語はずるいと言っていたが、覚えてしまったので今やOK。どうせ、いつも負ける。10年ぶりくらいに会ったのだが、彼はかなり負けず嫌いだった。そしてこの数回で判ったことだが、わたしは満更でもない点数をだす。(爆)それでも、数回しかやっていないのだから負けてちょうどいいのだ、と思っていた。今日は「慕情」や007のテーマと彼は頑張る。


・・・・ 勝ってしまった。判ったこと、わたしはたまにとんでもない点数をだす。(爆)結局、彼の思いやりで返り討ちに会った。もう。 罰ゲームはなしで、彼はそそくさと整体に行った。その後は夕飯を作って奥さんを待つ。今や、彼は「主夫」になった。(鈴木 光司よ、おじさん達は結構偉いのだ。威張ってはいけない。)


帰宅して、カメラを持って外出した。暗いのでフラッシュかも知れない。今年初のハマユウを撮るのだ。 「♪浜木綿が咲いてるところを見ると〜♪」井上陽水・ジェラシー。練習中です。

2004/6/7(mon)
驟雨・・・・落雷

落雷でPCが「ピキッ」といった。
音はとても近かった。
PCが繋がらない。ルーターを調べプラグを点検し、大分経ってからISDNがダウンしたとわかった。そしてNTTには、電話が繋がらない。窓から首を出したら隣の奥さんが「うちは電話が駄目なの」と話していた。「・・・・・」
わたしはPCとカメラの依存症だ。同じようにNTTに一刻も早く連絡をと、思っている人がいっぱいいるのだ。現場は大変だと思いつつ、理不尽な怒りのやり場がないので寝てしまった。最近、わたしは挫けると寝るようになった。一人暮らしのとき、こういう生活の仕方をしていたらさぞや楽だったろう。
6時過ぎにようやくNTTに繋がる。明日、午後に来るそうだ。ひえ〜〜。そんなッ!



まだいい方なのかも知れないと思ったのは、とっさに友人の家の近くに雷が落ちた時の話を聞いていたからだ。関西の友人が、田舎の一集落みたいに何件か家を建てて住んでいるところがある、そこの近くに雷が落ちた。開発で住宅街はかなり迫ってきているというが、野猿が出るようなところだそうだ。遊びにおいでと誘われても、行ったことはないのでなんとも説明できないが、そこからある日電話がかかって来た。「ぺこちゃん。パソコンに雷が落ちた。ファックスも駄目になってしもーた。近所もそんな状態や。電信柱がないから落ちたんや。電気会社は保障してくれんか?」わたしは、唖然とした。なぜなら、買って一ヶ月もたっていないパソコンだから。わたしは、詳しそうな友人にも聞いてみた。保障はされないだろう、共通の意見だった。不安定な仕事をぎりぎりやって、買ったはずなのに。



こんなことを書いていたら思い出し、久しぶりに「雷落ちたよ。」と電話をした。「ぺこは元気そうやん。ササユリって知ってるか?今、咲いてるんよ」と元気な声が聞こえた。

2004/6/6(sun)
怪しい来客簿のこと。

色川武大が夢にでる。一度だけではない。昨日も出てきた。「怪しい来客簿」のせいだ。この本はすごい。

よく行くホームセンターの途中の、陸橋下に住み着いたホームレスの人がいる。話したことがあるので、彼はわたしに悪意は持っていないと思う。
ネコが4匹、犬が一匹、サボテン、こまごまの荷物。寒い冬を乗り切って、ようやく安住の地という感じは否めない。昨日のようにサボテンに花が咲いていて、それがちょっと「怪しい」(間違っていたらごめんなさい)と思っても、動物達は飢えていないようだし、斟酌するつもりはない。「ちょっと臭う」ことが、彼にとってまずい立場にならなきゃいいけど・・・・と思う。


わたしは、こういう「怪しい人」には、随分会ってきた。つまりわたしの来客簿も、繁盛していたのだ。身体を壊したお相撲さん。覗きの本を書いて身を立てた人。歩道橋下に女性用下着を隠していた人。末端肥大症の落ちこぼれプロレスラー。酒で身を滅ぼした落語家、ヒロポン中毒の「舎弟」のいる的屋のおっちゃん。都知事選にでた糖尿病の右翼。火事をだした結婚式場の司会。金粉ショーで体が参っちゃった夫婦。まだまだある。怪しい来客簿ではなく、いけない来客簿になっちゃうくらいだ。
危ないこともあったことはあったけれど、つまるところ彼らは悪い人間じゃない。韓国の女性と二重結婚してたり、愛人の女性が妊娠したからといって捨ててしまう男や、覚醒剤で稼いでいる人間の方がよっぽど悪いし、自分の生活にすぐに短絡させる嫉妬深い市民意識や、「ホームレスだから」と相手を見下す意識も怖い。
とまれ、ホームレスの存在を知って、わたしの無意識の「怪しい来客簿」が疼きだした。だから夢を見るのだ。
もうひとつのきっかけは、TVで更正施設の取材を報道していて「おや?」と思ったことだ。ホームレスの人たちが入った、そこの施設では入所者同士でお互いに褒めあうというのだ。「すごい」と思った。そういうココロはすごい結果を生むだろう。その体験は彼らにとって決定的に少ないだろう。最近のわたしは、こんなことを反芻してい、それを「怪しい来客簿」とよんでいる。



今朝は、雨で、とうとう入梅だ。
大賀ハスはまたしても空振りだった。それでもハスの葉がなびいている風景は、実に気持ちがいい。帰ってくると昨日、母のために値切って買ったキョウガノコが、雨に濡れて心なし喜んでいるように見えた。

2004/6/5(sat)
Mallie said anyway Bouken, 藪の中。

昨日は、大賀ハスのことを書こうと予定していたのに、千葉公園では咲いておらず拍子抜け。徒歩で写真を撮りながら帰ってきた。それは実は大変な重労働なのであって、結果を言えば暑い陽射しと、藪の中をうろうろしたということにつきる。藪なんて今時ない筈でも、わたしは今年二回も藪に迷い込んでいる。一回目はキリの満開の花をみつけたとき。そして今回はアメリカキササゲ。塀越に見えたこの樹は、キリに形が似ていた。しかし色も時期も違う。だから冒険になった。一回目の藪は、高圧線の下の工事中の迂回路、今回はグラウンドの周囲だった。こんなに茂っていなければ、藪は楽しいはずだ。しかし、出てくる出てくる真夏の功し、ヤブカラシ、アレチハナガサ、ススキ、クズは言うにおよばず。道もないところをサンダルで歩き、もし蛇でもでたら・・・という思いが頭を何度もよぎる。



ここまで書いて寝てしまいました。
まぁ上記のような目にあいながらも、写真を撮っています。日に焼けてすごいぞー。それでは、もう一度おやすみなさい。明日こそ大賀ハスです。

2004/6/3(thu)
アトピー友達。

ネットで知り合った友人(会った事は無いが)に、PCの解らないことはよく教えてもらった。ネット歴30年くらいの人で、仕事もソフトを組んだりしているらしい。大変、親切にしていただいているが、忙しいらしく最近はチャットもままならないらしい。ところが先日、少しばかり時間ができて近況を伝え合うことができた。
その時の話題がアトピーだった。わたしはチャドクガの抗体反応で、まだ凄まじく四肢が腫れ、痒くなることがある。アレルギーのせいだと思うけれど、その知人もアトピーなのだ。「いい薬がみつかった」と彼は言った。オークションのURLを見るとアトピーの治療薬がでている。評価ではクレームも無いし、試しに使ったらステロイドの痕も消えてきたという。しかし一個8000円・・・・・・。
すると彼は「今回は、送る。気に入ったら買えばよい。」と言って送ってくれた。本当にありがたい人なのです。



今日、最近はつとに見たくないニュースを流していたら、アレフがアトピーのクスリを8000円で売り、薬事法違反で逮捕されたという。もしやである。(ネットでは園芸のジャンルで、まだ売っている。)ニュースというようなドラマには収まりのいい形があって、たいてい生身の人間はでてこない。しかし、こういうドラマがあのニュースには含まれているかも知れない。くそっ!



*大賀ハスの話は明日にします。

2004/6/2(wed)
おお、化け文字がなくなっている。

書きはじめてから記入する側に、化け文字がでていたのだけれど今日は無くなってすっきりです。またまた感謝。


いつも出かけるとお散歩中のワンコがいて、大抵一枚や二枚の写真を撮るのですが、今日はシェルティ三匹と黒ラブ二匹、それに子犬と子猫。みんなきゃあきゃあものでしたが、黒ラブの飼い主は、「今度飼うかも知れない。大変ですか?」の問いに「まず一年は家の中ががたがたになります。散歩は大変です」。ちょっと苦渋の表情で言いました。(爆)そっかぁ。引きずられている姿を思うと辛いなぁ。セナ(自宅の老犬)に思いっきり散歩させられた日のことを思ってびびりました。


植木鉢が足りなくなって、忙しくて誰も車で運んでくれないから、また休職中の先生を呼びつけた。(爆)聞けば彼は脅迫的に用事を作り、忙しくしているのだった。やばいなぁ。ゆったりしなきゃ意味がないのに。反省。

2004/6/1(tue)
やったぜ、きんちゃん!

起きたら昨日の天気は嘘のようです。薄ら寒い。寒い寒いと思って小さくなってTVを見ていました。うとうととしたら、少し元気がでてきて「きんちゃん」に頼まれた、ハマヒルガオを採りに行く気になりました。14号のグリーン・ベルトです。
そこはもともと潮干狩りをするような海だったので、ハマヒルガオなんてなかった。埋め立てられてずっとしてから、着生したようなのです。
そしてそのへんの海は、むかし林芙美子なども遊んだ海です。その頃の旅館の「海賓閣」は有名で、今も史跡になっています。

わたしが出かける時の最近の服装はカメラ、電池、ペットボトル2本、プラスティックバッグ、種入れ。今日はシャベルも必要です。ハマヒルガオの種を、見たことのない「きんちゃん」とわたし。つるを追いかけても根元に根のないハマヒルガオ。今日はじっくりと歩いて捜してみました。すると、ありました!尖がった種は結実していないようですが、根も掘り起こすことができました。やったぞ。きんちゃん!

カメラは不思議です。新しいカメラを無くして、修理に出した古いカメラは戻ってきても動きが不安なときがあります。でも最近は撮りたいものを「撮った」という感覚があります。イラクで亡くなった二人のジャーナリストも、たくさんの「撮った」があったのだろうと、陸橋から遠い曇り空を見て桁違いな想像をしました。





間違えました。

海寶閣→海氣館でした。



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