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ぺこ日記


2005年1月

2005/1/31(mon)
セナ、入院!

明後日、元気に帰っておいで!!
朝の散歩ではいつもの通り。お昼のご飯をあげようとしたら、失禁に気付いた。そして嘔吐。歩けない。歩かないでいいよ。セナ!

急いで、病院に電話をする。わたしの足がない。送迎ができるかを聞く。OKだ。ほっとする。「歩くな!セナ!」腰がたたない。メトロノームの尻尾を振らないでいいから。


病院から電話。「人手がなく迎えに行けない。」涙がでる。友人に電話。事情を話す。タクシーはどうだろう?一刻も早くっていう時に、動物病院の医者っていうのは、なんて危機感がないのだろう・・・・。


腎臓の病気。三日間入院、持続点滴。送ってくれた友達のお姉さん、迎えにきてくれた弟ありがとう。セナは頑張ります。祈ってください。

2005/1/30(sun)
ルソーとマラソン侍

青いほうの花は、ツルニチニチソウ。ジャンジャック・ルソーが好きだったということで有名な花です。もうひとつは「ニオイカントウ」。香りがよくウインターヘリオトロープともいわれ、フキに似ています。椿の世界は、深いとみんなが口をそろえて言う。まあそうだけど案外その深さが面白く、都から椿の一枝、ないしは苗などを必死で運ぶ侍の姿なんかを想像して面白がっている。

昔、大井の映画館で「マラソン侍」というかなり古い映画を見た。侍が嫁を獲得するのに、マラソンで決着をつけるという話だったが、その雨の降るスクリーンでコマ落としのように駆ける侍の姿を思い浮かべてしまった。

映画の世界も深い。


今日はパスポート用の、写真を撮りに行った。

安いのでいいのだが、駅のインスタント写真の機械がかたずけられてしまっていたので、その先にある写真屋に行ったのだ。

昨日、髪の毛は切ったが、化粧もなにもないフツーのおばさんで、面倒だなあと行きつつ写真屋に着いたら目が覚めた。驚いた!なんでかというと。


「バスト補正」という写真の修正が、
堂々と値段もついて見本になっていたのだ。



証明書ね。そりゃあ、美人に撮れていれば文句はないが、ありえない。そのありえなさが「証明なのだ」と思っているわたしは
ならば、せめて胸を……という発想にはたどり着けない。


あのさ、就職用につけ何につけ証明写真の修正っていけないんじゃないのーというより、最近は欧米のヒトなんかより胸が大きい人がTVに出て、男の子達ときゃーきゃーやってるのを見るのって恥ずかしいのよ。


証明写真の世界の深さを思い知った一日でした。


附・「マラソン侍」という日本酒があるようです。

2005/1/28(fri)
サギ話。

多分、ベスラーというおばちゃんが描いたアイリスです。1600年代の園芸用の花って、案外背は低かったかも知れません。ゴイサギの動画を撮ったが、ゴイサギが動かない。動画にするためには、動いているところをなんとか撮りたい。

今日撮ったゴイサギの動画を桐田さんにアップしてもらう時に、メールで「詐欺が横行している」のが話題になった。


ここに書いたかどうか記憶がないので、一応書くがわたしも去年、詐欺にあった。オークションでデジタル・ビデオを落札し、入金したのにモノが来ないという単純なものだ。

評価蘭に被害者の、いろんな書き込みがあり、それは被害者名簿になってやっと警察が動き出した。9月から被害が出ていたらしい。わたしはヤフーに問い合わせた。

(ヤフーは、警察に届けてください・・・・それだけの回答であった。)その時点で、被害相当額は数百万になっていたはずだ。被害者名簿の作者は偉かった。わたしも電話をかけてみたりはしたのだが、評価欄に留守という記載をするのみにとどまった。
それから・・・・。ややこしいのは嫌だと思っていたら、千葉の警察から電話があった。犯人が捕まったので、被害届けを出してもらいたいというものであった。被害届けは犯人の住むところから捜索しているので、順次だしていくことになっていたのだ。
「はい」と言って、どうせ戻らないし、一日かけてあれこれ聞かれるのはヤだし。泣き寝入りすることにした。



つまりこういう詐欺の話になったのだが、最近の偽札事件などと絡んだのだ。鷺には罪はない。古い話になるけれど岩井克人の「ベニスの商人の資本論」は、ニセ金についてふれて、株券や商品券や、図書券・・・・・そういうものもニセ金なのに、お金の形をしていると厳しい・・・と書いていた。それだけのことでわたしは「ほう」と感心したのだった。


来週は、健康診断に行かなくてはならない。パスポートの写真やあれこれ、気が重い。バリウムなんかを飲むのだ。

2005/1/24(mon)
サギだ!

ゴイサギ。初めて見ました。
風邪なのに、犬の散歩は3回行く。
これがきつい。
午後になって暖かそうな時間に、ちょっと長めに散歩をした。
散歩と言っても実は「偵察」なのであって、どこの花が咲きそうだとか、あと何日くらいだろうとかそんなことを見ている。
犬の目的は、まずは排泄だ。老いた犬は人が歩くのに優しい。側溝や、階段や、排水溝まで避けながら歩いているのでスピードが遅い。
リードをひく時にそれを意識してやると、とても穏やかな歩行になる。


今日はゆったりと、今までと違う方向に行った。暫く行っていないからだ。
鯉が放してある河沿いの道に出る。とろとろ歩いていたら、
向かいの家の木にナニかいるのを発見した。
「なんだろう?」シャッターを切る。
「ん?」
「・・・・・」犬も立ち止まる。
写真では見たことがある。「さぎ?」
大急ぎで帰ってきて検索した。
「ゴイサギ」だ。
初めて見た。
家の周りでも環境がよければ、こんな新鮮な経験ができるのだ。
風邪でも、いい一日だったと思えるのだ。

2005/1/22(sat)
激しい風邪になってしまった。

こぶしの蕾が膨らんできました運転免許の更新に行かねば。そう、ずっと思っていたが、今日がぎりぎりである。
乗らない免許、ゴールド・カードを更新するのは、ひたすらIDのため。警察はすごく稼いでいると思う。
弟に送られ風邪で美容院にもいかず、ぼろぼろで写真を撮った。おばちゃんである。キキキリンに似てる気がした。(ごめんなさい)


手続きをすまして、講習に行く時、前をふさぐように「おばさん」が来て、「交通安全協会に入ってくださいっ!」と言われた。


咄嗟に「入りませんっ!」と言った。
おばさんが、睨んだ。
お化粧をしたキレイなおばさん。わたしは交通安全協会が、当然のように入会金を取っているのを横目に、30分の講習を受けた。
風邪はどんどんひどくなってきた。
罰金が30万・・・懲役?
こういうのはどんどん変えられていくけど、誰が決めるんだ?正しいので誰も反対できないから、羊のようになっているわたしたち。
熱は、確実にあがっていった。


父がなにかを言っているような気がした。交通安全協会について、話した記憶がある。「入らなくてもいいんだな」「そうだよ」そんな会話だ。父は去年、癌が発症するまで運転をしていた。車が好きな人だった。
そんなことを考えたら、泣きそうになった。父は自分の大事な犬を、わたしが泣かないように置いていったのかもしれない。
犬を頼るようにして、部屋にはいり床について「犬は連れて行かないで!」と再び父に頼んだ。なんども父にわたしが頼んでいることだ。


眠っていた。今、NHKで憲法9条の論議をしている。老いた加藤周一の姿を見ている。戦争世代が減ったら、こんな論議がでてくる。
あるMLで、ガンジーの話題がでた。何万人もの人が無抵抗で、インドの独立を勝ちとった。わたしたちはこの先見性に学ばなければいけないのだ。

2005/1/21(fri)
どっかのバカボン。

思い出のある公園君がそこで晴れ晴れしく、就任演説をすることが


気にくわない。 こんな時間に好きな椿の花ををアップして、そしてあんな小心な、子供のような男の言う、正義や自由という凶器のような言葉を、わたしは聞いている<b>ばかやろ!


でも、昼は犬と転げまわり迷子になり、腫瘍のアル、歯の抜けた、白内障の、耳の遠い、わたしの愛犬に、わたしはお芋をふかし一緒に食べ、あなたの何倍も素晴らしい人生を感じています。

2005/1/18(tue)
いろいろあった。でも不機嫌なんだ。

ツバキの原種を買った。枝を貰って挿し木にした。
そしてツバキの苗を取った。まだ実が付いている、一年生。本によると付いている実は適当に切っちゃった方が、満遍なく根が生えるそうだ。
そんな小さいのと、挿し木を入れたら軽く100本はあるだろうねー。これでもセーブをしていたつもりが、こんなになっちゃって自分でもやりすぎだって今日、初めて思った。いや、重みを感じた。

それに冷蔵庫の種。うーん。隣のお皿にはオケラの種。


一体わたしは、なにがしたいんだ。一日4回も犬の散歩してつかれて、それでも、お寿司なんか上げちゃって、豆腐はみんなあげちゃうし。
こいつはプリンスだ納豆の好きなプリンスだ。
年を取った生き物つ付き合うのはいい。大事な、時間を共有できる。秘密も共有できるし。


今日は天保年間からあった、ツバキに会えた。珍しく木登りをしている子を見た。元気っていいよね。(ぶつぶつ9

2005/1/15(sat)
まあ雨の日はヤだね。

フランス革命の頃のバラの絵描き、ルドゥテの描いた百合昔で言えば成人式。昨日は、着物姿を久しぶりにみた。
今日みたいに雨だったら大変なことだ。で、散歩が嫌だなーと思い、ドギビスを割って両手に隠して、セナにどっちにあるかを決めさせる。
「こっち」と鼻先でさした方には大抵ビスケットがある。両方に入っている時もあるが、鼻先をを交互に動かしたリして案外「ヤル」のだ。
このドギビスはほのかに甘い。そして激しく固い。
先日、これを買うとき、レジにもう一匹の犬がいて吼えあった。とっさにわたしは「どうして、あんたたちはアメリカと日本みたいに仲良くやれないの?」と言ってしまった。


こんな雨降りの日に散歩してるのは、小さい犬。小学生のように黄色い、レインコートを着ていたりすると、ああ、黄色いレインコートはいいなぁ。
洋服を着せない主義でもレインコートはいいと思う。



今日は買って届いた椿もあってわたしは嬉しく、家族からは非難ごうごう。でも、まあ雨の日はヤだね。


タグを失敗してしまいました。

そうそう直していただくのもひどいので、まあこんなやつだと了解ください。
また本日、チェロキーの薔薇の記述を読んだ方からメールがきました。「ごぼうの花」を咲かせた話です。
のちほど。

2005/1/14(fri)
いろいろたまっている。(´`)ゞ

サミュエル・カーティス『ツバキ属のモノグラフ』1819年。1788年にはカーティスの『ボタニカル・マガジン』で紹介されているが・・・新しい主治医と気があわない。免許の更新。社会保険事務所に。パスポート。ぅぅ。
母のもふくめて事務処理がたまっている。おまけに母は喘息の発作をおこし通院後寝込んでしまった。
父の月命日。母はまだ、泣く。
仏壇から線香を取り去った。

セナは白内障が深刻になってきた。見えないので壁伝いのように歩いているが、自転車ののスタンドにぶつかり、自転車が転倒。もろに倒れた自転車に挟まれてしまった。
こちらも気をつけて歩いているし、セナも気をつけているのだが、こういうのは初めて。

帰宅後、気を取り直し久々にボタニカル・アートを整理。細かい年代は、さておき江戸時代にはここまで品種ができてたということ。万葉の頃からと、考えるとすごいなぁ。

2005/1/12(wed)
雪のないブリザードみたいな日でした。

ヤブツバキ三種類あるビスケットで犬のの一番好きな「ドギビス」が切れて5日目。ペット屋に行ったら、注文でしかなかった。どうやら、人気商品らしい。木曜にくるといっても、わからないし、可愛そうだから、ついに風邪薬飲んで、ユンケル飲んで出かけました。でもまっすぐに行かないのが、この二人。ついつい椿を見に行って、犬がもうヤダっていうまでつき合わせます。
「ヤブツバキ」はもうなかなか探すのが大変になりました。
2箇所もなくなっちゃったから。

やむなく遠いのですが、お寺の崖の切り立ったところを思い出しいきました。お寺はかまわないところがいいんですね。
とても綺麗で大きな木が風で、たゆたい、花も本当に新鮮でした。暫くお付き合いしよ!約束。と明日もここに通うつもり。


さて写真です。驚くほど黒い写真がいっぱいありました。
椿なんて平凡かもしれないけど、やっぱ難しい。
(マニュアルならできるんだろうけど・・・・。)
でもこの冬また、椿を追いかけます。挿し木や買ったりも含むけど。今20鉢。最後に買うのが伊予侘助になりそうです。
タイへの、カウントダウンが始まりました。

明日から夏服を出す。
人の運命ってわかんないよね。
絶対他力も、絶対自力もできません。

2005/1/11(tue)
マックホルツ彗星

マックホルツ彗星。上が昴です。喪中につきの、葉書の手配がむちゃくちゃで年賀状がぽつぽつ着ていた。
今朝は、「お詫びに今ちょうど昴の横を通過している彗星(マックホルツ彗星)の写真を送ります。肉眼ではちと無理ですが双眼鏡があればばっちり見えてます。」というメールが来た。
すっごーく嬉しい。学生の時、賢治の銀河ステーションのアルビレオをみんなで見ていて、近所の人が何事かとでてきたことがある。星は本当に青と赤の二重星で、回ってはいないけれど実にくっきり見えた。
土星や月を見るより、当然感動的だった。
しかもその望遠鏡は、彼のお手製だったのだ!

2005/1/10(mon)
過激な植物園を夢見る

寒桜今年は、昨年より飲料が少ないのでボルビックのボトルが少ない。
挿し木に足りないペットボトル。前回使った残りも使い、この連休中なら燃えないゴミ捨て場にあるだろうと推理。駅や、コンビニのゴミ箱もあさって20本くらいになった。大収穫だぞ!セナがいると不審に思われない・・・はは。


ところで、セナの食欲不振は、ぜんぜん治らない。相変わらず豆腐ばかり食べているので、究極のグルメ料理「カンガルー肉ドッグフードの納豆和え」を作った。ドッグ・フードの匂いが嫌なのではないかという推理だ。
すると完食!
うるるである。多分、ドッグフードはクロレラ臭いのだ。


お陰でご機嫌に、ペットボトルに焼き穴をつけた。ドライバーを加熱しぷすぷす。そしてだんだんに肩が痛み出した。コンドロイチンかなぁ?
あ、小石川植物園に行きました。もっとマニアックな植物園も作ろう!「バナナ・ワニ園」みたいのでもいいから・・。

2005/1/9(sun)
アコンカグア・・・・・・南米は行きたいなー。

マゼラン海峡・・・・すごいなー犬の腹具合が悪いので、いつもより早い早朝散歩。
星空がくっきり見えた。
北斗星、北斗七星、大好きなしし座。
昔、重度障害をもつ友人が、一人暮らしをしていて、肺炎でなくなった。
「施設は嫌だ」彼には友人と、明晰な頭と、行動力があった。小学校も行ってないのにPCでゲームを作る。
それは、なんと「障害者自立ゲーム」という名前だった。
学生運動の人たちなどが気楽にローテーションをこわし、集会にひきまわす。彼にはそれが敵だった。


肺炎で亡くなった時、息子を普通学級に入学させようと運動中の、金井○○君のおかあさんもいらっしゃった。
体調をひどくこわしていたわたしは、やっとの思いで行ったが、来た人たちの顔をまったく覚えていない。
帰る時に見上げると天頂近くに、しし座があった。以来、しし座は彼の思い出とともにある。もちろん賢治の歌も。


それから、やっと犬がうんちをして、わたしの体がすっかり冷え切った頃。「ぐんぐんぐると」「炭酸少年」(最近発売された飲料も名前です。)と言いながら小走りに帰ってきた。
あれ?これ7音じゃないか?もしかしたら、「すごろく」(じゃんけんをして、勝ったら進む)の「グリコ」なんていうのも3音や7音になっていたのかも!)


昨日、造園業者の方に、つい調子にのって、燐造さんのご子息の写真の話をした。すると返信で「南米は若いころアコンカグアの1000メートルの一枚岩にあこがれて、目指したことがありました。ドイツ隊に先を越されて、悔しい思いをして諦めた思い出があります。」だって。アコンカグアって南米最高峰だよー。6962メートル。人生観がかわるかもです。
http://www2c.biglobe.ne.jp/~latin/aconcagua/acn_index.htm

まとまらない。三大話です。燐造さん、写真お借りしました。

2005/1/8(sat)
大航海時代のすごさ、

シロヤブツバキ。実は、昨日わたしは友人に「もしも転んでカメラ壊しちゃったら、どうする?」と電話していた。「別に、仕方がないじゃん」がその答えで、その一時間後にわたしは転んでいた。
「普段、そんなこと言わないのに、びっくりした」「わたしも」予知能力者か?
弟は「そういうことは言わないほうがいいよ。神様は意地悪だから」という。神様か。


さて燐造さんの息子さんが撮った写真が掲示板に載った。
マゼラン海峡、パタゴニアからの写真だ。さっそく、「このきなんのき」に出したら「仰るようにメギ科に賛成。なぜこの地に目木(Berberis)仲間が多い?日本のメギに先立って欧州に紹介され、むろんポルトガルかスペイン人がもたらしたのでしょう。」
うう。ダイナミックだ。
そういえば、去年は喜望峰にプロテアや ピンクッションがあるとわくわくしていた。こういうものが世界中に伝播したことを、考えるだけでじっとしていられない。
大航海時代はすごい。
でも、それより前の鄭和のバラの話もすごかったなぁ。

で、椿は、宇閉直弓(ウエノアタイノユミ)という人が、意外にも白花ツバキを献上した記録が最古。日本書紀に出ているらしい。
1689年ドイツに紹介され、1700年代にイギリスに渡り大ブームに。国内でも歴史は長いが、江戸時代には一重の椿はほとんど作られなかったという。
ドイツの椿業者は10万本も生産して、大金持ちになったらしいし、1778年カーティスの『ボタニカル・マガジン』に図入りで紹介され、ますます有名になって、椿姫までができた。
アメリカはこのあとです。
花の歴史と言うか図鑑の歴史と言うか、そういうものはいつも、アメリカが最後っぽい。歴史からいえば、そうなのだ。
外国の植物の名を同定するのは難しい・・・。

2005/1/6(thu)
犬より人間の方が、ベジタリアン・・・・ある闘争(爆)

馬場さんはメロンが好きでした。でも、高価なので「大福」とファンには答えていたそうです。セナはここに来てから、格段に食べ物の種類が増えた。そして傾向も変っている。
普段のカンガルーの肉の餌。これはセナを脳梗塞から立ち直らせた、高価な貴重な餌だ(と母や弟は言っている)そこにわたしはビスケットを二種類増やした。おやつ用にしても、害があるとは思えないダイエット・フードだ。
しかしセナはだんだん贅沢になってきていた。わたしのあげてしまう、パンやお煎餅、ケーキなどなども。
そうして彼は、美食家になっていった。さらに昨日、わたしにシチューの肉を貰った。
それが原因とはいわないものの、今日はいつものご飯をたべない。セナの頭の中は、甘いものと本物の肉、大福、チョコなど初めての食べ物で占められているだろう。
仕方がない、おやつを持たず餌を持って出かけよう。おやつを要求したら餌をあげよう。


これが最悪の決断だった。出始めからセナはぐずぐずしていた。いつもと方角が違うからと思っていたら、リードの引っ張り合いが多くなった。お互いに逆を向いている。おやつを要求する時には、彼の顔はあほ面だった。しつこく要求し、いくらおやつをあげても食べない。
この時の彼の状況を、わたしは考えるべきだった。ハンストなのだ。気も立つし、意地にもなる。なのにわたしはお腹を減らさせれば食べると思い、散歩をし続けようとした。
次第に彼は、早足になった。帰ろうとしてなのかも知れない。わたしはその早足のために、公園でカメラを下げたままリードを引っ張られて転んだ。顔をすって膝を打って、カメラが飛び眼鏡が曲がった。
それから、わたしはよろよろ立ち上がり、セナと帰ろうとした。見ていたお婆さんが起こそうともせずに、「大丈夫ですか?」ばかりを言っている。「セナいつもの餌食べろ!」携帯で弟に連絡したが風邪で、こられなかった。


どうやら家に帰って、大急ぎでおやつをあげる。
付いて回るな。パンをあげる。いつもの餌を口の中に無理やり突っ込んだら、全部ぼたぼたこぼした。食べたふりだってできるのだ。なんって奴だ。
でも、わたしは叱れないで、今は犬のビスケットにシチューのソースを塗って食べさせている。頬が痛い。犬は喋らない。妄想との闘いではないが、喋らない犬との闘いもかなり辛いです。


大福つながりで、古い写真をアップした。馬場さんは大福が好きだった。わたしは日本プロレスが好きでした。

2005/1/5(wed)
弟は、大福救命救急士です。

風が強い日。気がついたら「野菊の歌」を歌っていた。セナがいると、どんな時でも散歩は欠かせない。
散歩はトイレでもあるし・・・。動きたくないなと思っていても、やむをえないのだ。
しかし二人でいると、食べることばかりだ。セナは偏食になって、ビスケットとお豆腐ばかり欲しがる。父が育てたわけだから、わたしとセナは兄弟みたいなものだ。だから食べることに弱いのかも知れない。


朝、熱っぽくてへたれていたら、昨夜のうちに弟が「大福」をドアのところに置いていってくれた。ラッキー。
今日のご飯は大福だ!しかも、ここの大福は千葉で一番ウマイのだ。
風邪薬を飲んで、セナと遊び寝てしまう。2時くらいに起きて散歩。短時間だが散歩が出来た。えらいなー。
セナの視線から、踏切がどう見えるか写真を撮ったけど失敗。そして、セナの白内障が、随分進行していて側溝に落ちた。
かわいそうなので大福をあげ、二人で食べた。
気がついたら六個も食べていた!!

元気が出てきたので、日記を書いている。弟に感謝。

2005/1/4(tue)
天使が降り立ったような返事

寒牡丹。こういう技術には憧れます。昨日のちょろちょろ散歩で、おおきなサボテンやキミノバンジロウが斬られていて、わたしは過激に怒っていた。
弟はすでにして仕事なので、友人にごねた。「誰か運転手〜。バイト代だすから」「いつ?」「あしただよ」「そんな無理だよ。小石川植物園は休みだよ。」「じゃ、御苑」「そーんなぁ。」
「電話してみてよ。Kちゃん」わたしがあまりしつこく言うので、友人はKちゃんに電話するしかなくなった。


「いいよ。」天使が降り立ったような素晴らしい返事だ。
なので誕生祝いをしてあげるとわたしは言った。車が空いていたので、御苑から深大寺植物園に目的地は変った。駐車場もある。ドッグランもあった。しょぼい新年の始まりが、明るいものになった。
が、お誕生会の最中に悪寒がはしった・・・・・。

2005/1/3(mon)
初めてのハーゲンダッツやチョコやケーキ、シュークリーム

獅子に齧られる!舞のなかで、この獅子は橙を食べ、みかんの皮をだしました。お正月ではないから、おめでたくない。
でも、セナはお正月のようにオヤツざんまいだ。
ついにオヤツが少なくなったので補給にペット屋さんに行きました。でもそこはお休みだったから、京葉線のほうまではるばる行った。
団地の人々と古い住民の体験が、本当に違うなーと思うのはスーパーのイベントが多いこと。子供がいるからなんだよね。で、こんなのを見てきました。


獅子舞ですが、舞が終わったあと子供の頭を齧る。泣き叫ぶ子供、喜ぶ母親。こんな活気がいいなぁ・・・とおばさんは思いました。
セナはドッグフードを食べるまで、兵糧攻め。18歳の抵抗をしている(爆)

2005/1/2(sun)
初夢は見なかった。

今年見つけた侘助。純白ではないので、もしかしたらベトナムの黄色い原種椿を交配させているかなと疑ってています。名前がわかったら教えてください。いつもツバキの写真を撮らせて戴いているお家へ、挨拶に行った。プリントアウトした写真と紅茶を持って行った。来年はもう、見られない。
散歩がてら寄って、そんな話をした。散々失礼もしたので、お詫びと新年のご挨拶が出来ない旨を言った。
それから犬を散歩で、ぞろぞろ初詣の人たちにあった。動いていないと、風邪引きのようになる。寝坊ができなくなっているので最近はちょっと変だ。


毎年、新年には父が「高島易○」を買っていて、みんなの運勢を見るのが習慣だった。わたしにはその場だけの楽しみだが、父母は信じていたのだろうか?
不景気だと、心理や占いのようなものが流行る。出版業界でも、そういうことを言うそうだ。わたしは東洋のものは漢方は納得しても、易、占いは苦手だ。
ものごとに迷うなら占いより苦手なジャンケンで決める方がいいと思うくらいだ。
そういえば以前いた職場の管理職が、占いで人事を決めていたというのがあったらしい。
年頭から変なことを思い出した。

2005/1/1(sat)
未亡人たちは話し泣くのだ。

雪が降った。そして晴れた。毎年、恒例になっているのは、「行く寺来る寺」?っていうことで、佐○から除夜の鐘の出前がある。
携帯になってから、鐘の音は大きくなり村人がみんな突くので、朝方までみんなで集っている。
電話では知っている何人かの檀家さんや、風来坊が出てついでに「遊びにおいでよ」とか「こんのか?」と言う。
酒盛りの最中だったりもするが、今年はアメリカのSOHOに住んでいる知人の絵描きさんが遊びに来ていた。十数年ぶりだ。彼については、自称絵描きだと思ってたわたしは、たかをくくっていて、ある日中央公論のなかで、彼の画を見て驚いた。気取らない彼の話は面白かった。


というわけで開ければ、世間は正月で、家は喪中。
でも集まって、すきやきなどを食べた。
そしてやはり母の涙は尽きない。毎年「おめでとう!」を言って乾杯をした父がいない、去年はいたのにと泣く。セナは母を覚えている!そんなことでも泣き出す。母は過去の中に佇んで泣いている。そこから出るのに二年かかったとか、三年だとか未亡人たちは話し泣くのだ。
泣くのは癒しだ。一緒に泣いてくれた奥さんは忘れない。
それでいて母は後悔でいっぱいの日々なのだ。誰かが「もういいよ」と言ってくれる時まで。


泣いているのを慰めて、父とセナが散歩した道を通った。ノーリードで放せるたった一つの公園の、セナを見失った。
呼んでも耳が聞こえないので、見つからない。散歩の人に聞いてやっと見つかった。
何でそんなになったかと言うと、公園の椿が太郎冠者だったからだ。公園に太郎冠者なんてすごいと興奮してしまったのだ。


でも、本当は父がいなくてさみしかったから、セナとそんな道を歩いたのだった。



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