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ぺこ日記


2004年10月

2004/10/29(fri)
とりあえず、とりあえず・・・・

いっぱいいっぱいの母親が、わたしの干した洗濯物の皺が多いとか、雨戸は6時に閉めろとか、ちょっとしたことで言いがかりをつけてくる。わたしは、わたしの服さえ置き場ができていない、自分の払った犠牲のことを考えるとこれ以上、許せない気がしてしまう。わたしは父の介護でいるのに、母の愚痴と母の法則に従わねばならない。なんという親子だ!わたしもきっとそうなる。気が強く・・・・可愛げのない。親子というのは恐ろしい!



今日もなにより優先して、父親の馬券を買う機械を一階に付け直した。父は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。

しかし母は父は二階に上がれるといった。30kちょっとしか体重もなく、肺活量もない父が階段をあがるのがリハビリだ、なんてことをいった。よく聞けば、父の椅子周りを掃除したかったのだ。


何かを父に尋ねると母が答える。母もさみしいんだと思うが、やさしくなれない。極力口をきかない。・・・・・こんな生活をしている。具体的に人を好きになるのは、難しい。どれだけ大事に育てられていても。

日記も進まない。なれるまで仕方がない。そう思っていよう。


犬の散歩は傑作だ。いままで年寄りの散歩だったからいつも、あまり遠くは行かなかったようだ。わたしになってちょっと遠出をしたら、便秘もよくなり階段なんかも、怖気上がらなくなった。止まったら抱きかかえておろすのだが、犬はこの時期イノコズチをたっぷりつけていている。そうだそうだ「野生を失っちゃいけない」
この不機嫌な日記。アップしちゃおう・・・。

2004/10/28(thu)
鉄腕アトム、セナの散歩、走り書き

今日はわたしの通院日。
タイでつかう薬、もしもの時(!)の医療機関を探すことが急務。少しずつ手順が遅れてきている。

元気を出すのに「鉄腕アトム」と思っていたら、
http://www2.odn.ne.jp/~ccs89380/ztv/tv01atom/TV01atom.htm
こんな古いのが出てきた。入江たか○は同じ病院に通っていたのに亡くなった。
こういうことを良く知っている人って、いるんだよねー。
桐○さん風味かな?わたしは、最近のアニメは、「わたしんち」「クレヨンしんちゃん」が気にいっている。サザエさん、アンパンマンは言わずもがな。
追いかけては見ないが、くつろげるのだ。
さて、セナである。便秘の疑いは、すこしずつ晴れてきたが、泣き虫は続いている。犬を支えに(子供が駄目だから)かたときも放さなかった父が、いきなり散歩も行かなくなったせいだろうか・・・。年をとると甘えんぼになるのだと思う。母がいなけりゃ一日中引き回してやるのに。(爆)



明日は、カラオケに4人で行く予定。「リストラーズ」みたいなもんだな。コーラスがやれそうだ。結構笑える。3人とも年上で石原裕次郎世代。スター錦野から一節太郎、サンタナ、ビートルズ、浅川マキからPPM。etc。
この世代は自己主張の強い世代だ。先生、失業者、シャチョー。生産的ではないが、無駄な存在ではない彼らは20代からの友達だ。

そして、帰宅。

病院,眼科(眼鏡作成)の用事を済ませて帰宅。
どっと疲れたところで、父の酸素の管をめぐって親子喧嘩。やるせなや。

追記

ホントに家出しそう(爆)
束縛してきた人だから、天敵です。が大人気ない。
時間を使えないとか、父母の生活に今の段階では巻き込まれるのは困るなあ。
偉そうなこと言っていいですよ。わたしは・・・・・・・(・_<)☆(>_・) どうせ駄目な奴さ。
部屋に引きこもり、自炊して・・・ふぅ。

二人とも生意気なんだね。

2004/10/26(tue)
日傘をさしてセナちゃんと、

家庭内に、酸素を供給する器具がはいった。
空気を分解し、酸素をつくる・・・・病院のようにポンプではない。そこがいいではないか。
喘息のたびに、入院してはマスクをしていたわたしには馴染みがあるが、こういう高い器具の貸与を、保険診療で請求できるなんてねー。
まぁ、その説明を聞いていて、母とやりあったので、腹立ちまぎれにセナと散歩にでた。

持った傘は日傘であった。

まことに人生花嫁御料
戻ってきたら笑えるようになっていた。
泣き虫セナの機嫌もなおっている。

介護保険の謎 低所得層のこと

ああ、今日は雨だったと書き忘れました。
高カロリー食品は、いちご、バニラ、コーヒーの3種類をそろえました。美味しそうではないなー。(笑)


あとは介護保険の申請です。車椅子やベッドの貸し出し、ヘルパーさんの派遣。家はお金持ちではないけど、父母ともに年金があるので、まだマシですが、いつも思うのは低所得層です。
申請に行ったら聞いてみましょう。
TVは連日、地震です。神戸の時よりはボlランティアが少なく、機動力も少ないと思う。

食事は同席しないのだ。

が、食事の時「あなたがキライ」いわれてびびった。
ベビーシッターがよく言われる「Ihate you!」のように理解した。
どうして言ったらいいのかなー。

2004/10/25(mon)
OK牧場

父の介護一日目を予定通りに終わらせた。
母もわたしをあてにするようになってきた。
朝の、セナの散歩。便秘のセナ(爆)午後にはしっかり出る。ちょっと長距離にしたら、マーキングでよろけた。うはは。

往診の医者が、わたしも母もかかっていたりする医者で安心。さらに、こちらの要望はすべてきいてくれた。
介護保険。ステロイドをぬいてこちらが思っていた食欲増進剤の投与。酸素器具の貸し出し、高カロリー食の開始。
以前の医者より、的確。
あとは車椅子などがいるかな?

まあ、本当にOK牧場だったよー。

2004/10/24(sun)
地震お見舞い。

昨夜の地震。
TVをつけていたら、かなりひどそう。
阪神、淡路大震災の時は火災がひどかったが、今回は不幸中の幸いで、火災はすくない。プロパンの故かも知れない。原発はひやっとしたが、ニュースによると危機管理といって、国会内に対策本部ができたそうだ、なにをしているのだろう?
個人的に言えば中井久夫氏の『1995年1月・神戸』という本は、危機管理のための貴重な記録として未だに一番有効なものである。



まったく日本は災害列島だ。
早く余震がおさまることを祈ります。

父の介護

本日、PCの移動などの引越しをした。
工事は26日。それまで電話回線。あは。
今日は家庭内引越しで、疲れました。父の介護を、これからやります。
湯上りの父の細くなった、体を見て母は泣き続けパンツも容易に履かせられない。父は父で履けない。
お願いだから・・・・と言いました。
とても神聖な気持ちに今はなっています。<いつまで続くかナ。
明日は第一回の、往診です。咳はでますが今の所痛みはないようなので、元気のでる点滴(ちうしゃではありません)ボトル一本みたいな感じでどうだろう?(爆)

以前仕事でワーカーをやっていたときに、介護問題で相談者と向かうと、人間関係の宿痾のようなものを感じていた。今はわたしがそういう立場だ。それを抱えていくのは辛いけど、母は弟のヨメさんが見てくれると言う・・・・。

母もわたしも父を愛しているから、見るのだ☆
養子であろうがヨメであろうが、他人であろうがね。
心を強くしよう。
誰も恨んだりしないように。そうなれるようにして欲しい。


2004/10/23(sat)
まぁ。ぶすだな(ё)v 麦草峠


前から運転をお願いしていたN君に来てもらい、早朝出発で麦草峠に向かった。彼は○ツモトキヨシの店長であまり時間が無い人なのだ。そして彼は松葉杖をついてきた。フットサルは過激だ。足はほぼいいのだというが。。。?
麦草峠は八ヶ岳の中で一番ひくい峠だ。その昔「ヒカリゴケ」があると言われていて、武田泰淳(こんな名前忘れてるかも。)に出てくるやつか?と4人で行って、見つからなかった。
そのあと白駒池で、ボートを借りたら意地悪な先輩に水をかけられた。
その後は友人が新車を買ったとき誘われて行ったら、彼の会社の人が居た。友人は善意で「見合いをさせた」とあとで判った。
ところで、その人とわたしは一回も言葉を交わさなかった。


今日は紅葉が目的だったけど、遅かった。紅葉は、もっと低いところに行ってしまっていた。
熊避けの鈴を持っている人が、結構いた。
二年前からこの時期の、新そばは恒例の土産になった。蕎麦の味がわからなかったのが、わかってしまった。
蕎麦の70%が、ロシア産だと最近知った。ロシアのそばの絵本を見たことがある。あまり面白くなかったが、ロシアはきっと土地が貧しいのだ。
*写真は白駒池のわたし。
まぁ。ぶすだな(ё)vちょっとハレンチ?

2004/10/22(fri)
おんぶおばけ

美容院でまた、はなちゃんの頭にしようとしたら、いまのはなちゃんは前髪をもっと短くしていて、わたしには出来ない頭になってしまった。
そこまで短いと美人じゃなくてはだめです。結局前のはなちゃんの頭を言ったら(グラビアが無かったのです。)前髪をあまり切ると、顔が丸く見えますよなんて言われて。

じゃ、母が似合ってるといった、こないだのは何だったんだ!でも短い髪はすぐ切らなくちゃならないから、一回くらいいいかと割り切った。安いんだもん。


台風ばかりきて、そのつどドキドキするが、一昨日は父のことで台風なのをすっかり忘れていた。

でも急性症状は、すぎればOKだから、いまは母もおちついている。


最近会わない、欝の先生はもうじき復職しそうだ。復帰直後は仕事がなくとも、行くだけで疲れるし、近所の人たちが病気を知っていても、復帰って事実があればみんな学習するよ。それは授業より大切なことだ・・・なんて話をした。とにかく「死なない」目標を守るといって彼は電話を切った。彼は占いも少し信じてる。奥さんが教員で占い好きなのだ。兄弟が二人東大で、彼が私立大学とかそういうプレッシャーもあったようだ。最初の頃、恐ろしいほどの競争心で、今の教育ってこうなんだ!?とわたしを驚かせるようなことは無くなった。校長になりたいとも言わなかった。


職場で友達を作るのは難しい。職場の関係は、おんぶおばけみたいにどんどん重くなって潰されちゃう。皇室の○子さまが「適応障害」と診断されたのもあって、いい時期だったよ。命と引き換えの仕事なんかないよ。

2004/10/21(thu)
ややこしいのこと。

人間のことはややこしい。ややこしくない人間はいないと尊敬する医師に教わった。だから花でも見てようと思った。シャワーを浴びたら、二度寝をしてしまった。

TVってつまんないなあ。それに最近のお笑いの人たちって下品だよナー。


そんなことを思いながら、友人のI嬢に父のことをちょっと相談した。
わたしの家は結構大変な家で、表向きはちゃんとしているように見えるが、貧乏神も、疫病神もいるのだ。

そこで相談すると、福祉の現場を持つ彼女は「そんなのフツーよ。」という。ああ、普通なんだ。これはほっとする言葉だ。ひとしきりお喋りをすると落ち着く。昔、上野千鶴子が書いていた「ミッドナイト・コール」みたいだ。


電話を切る前に、こないだの国会中継でのA議員の質問。生活保護、特養の老人ホーム、年金のの中で彼は、年金は「絶望的」だと言った。この絶望的という言葉が、国会になんと相応しかったかと話して切った。

2004/10/20(wed)
命の行方 ちょっと重い話


今日は疲れました。
階下で食事中だった父が、煮豆を喉につまらせたのでした。
嚥下障害はもともとあり、それがだんだんひどくなっていて、あんなに好きなお茶も飲まなくなってきていました。便通をつけるには、豆類がいいと母にいったことで作ってあげたのでしょう。母が慌ててわたしを呼んだときには、顔色がかわっていました。
まもなく、詰まったものは出てきましたが、父はその後あんなに嫌がっている病院に行く・・・といいました。

呼んだ救急車は、割りに早かったのに、なかなか出発しません。何度乗っても手早いと思ったことがない。
父の嚥下障害は脳梗塞から始まりましたが、咽喉になにかができている可能性もあるといいます。とても苦しそうで、水分もなかなか飲むのは大変そうなのです。
”治る見込みのない患者”は地域の病院で、介護保険と往診で末期を迎えろとばかりの医者には度々腹がたっていますが、点滴一本で脱水症状をやわらげ、肺炎予防の抗生物質にはらはらと涙を浮かべて、お礼をしている母をみるとなにもいえないのでした。
車椅子で、出かけることは可能でしょうか。
ちょっと考えてみよう!
ホスピスは外国と違って、少ないですね。家でというのが一番いい人ばかりではないと思うのですが。医者も患者も、国の路線にうかうか乗ってはいけないと思うだけど。
疲れたので、これで終わりです。

2004/10/19(tue)
タイ料理顛末

タイに行く練習で、タイ料理のコースを食べた。
辛いのはとても苦手だ。「辛いのばかりではないよ」とみんな口々に言うが、食べたかったエビも、カニも、口が開いたまま閉まらないくらい辛かった。ビーフンも、次のサラダも辛かった。わたしはとうとう、お店の人に頼んでペットボトルに一杯水を貰った。
世界の料理の半分近くは、食事が辛い。母はそういうことを思ったこともないのだ。カレーも未だに、兄弟ともに「甘口」だ。
タイ料理は、辛いのが好きならとても美味しいだろう。そう思った。
しかしわたしの場合それだけでは済まなかった


翌日からお尻がむずむずした。「ん?」と思った。埋めようとしていた記憶がまざまざと蘇りはじめる。
わたしは、去年、初めて「痔」だと思い、なけなしの勇気をだして医者に行った。でてきた若い医者には、顔から火がでて質問もできなかった。第一その結果は、便○であった。←こんな診断名があるのか。便○薬を貰って帰るときは、じつにいじましい気分であった。二度といくものか!
でも!今回はやばそうだ。本格的かもしれない。慌てて薬を買ってきた。二日目痛みが取れてきて、小康を得ているけど。


先日、東儀秀樹がタイのお菓子をつくっていて。お菓子はなかなか繊細で甘そうでした。東儀秀樹が教わったお菓子を作った時に感激して、教えたタイの女の人が涙ぐみました。その涙はとても初々しかった。
そういえば料理番組は、辛いのをやらないなぁ。

2004/10/18(mon)
風邪をひかないようにね。

父の体重がとても急速に減少しています。これは医者の予告どおりでも、それと向き合っている母は「つらい」と言って嘆きます。
父は、よく寝込むようになり、枕元で話すと、受け答えはしっかりしていて、手を握りながら「風邪をひかないようにね」などと言ってくれるのです。
この人は、心根が本当にやさしいないのだと思います。自分が倒れても、そう言ってくれるのだから。最近は本人の前で、泣いてしまうから、昨日は、東関道を「鉄腕アトム」を歌いながらうろつきました。一人暮らしをしていた自分をふりかえったり。本当にあの人は、尽きない思い出を残して行ってしまうのだろうか。


シオンの花がうまく撮れていなかった。昨日、蝶がとまっているのが撮れました。わたしは、あの人のよい娘であったか?そういう問いが頭の中をめぐります。

訂正

心根が本当にやさしいないのだと→やさしいのだと

2004/10/17(sun)
桜の花見

午前中から散歩に行くと柿ばかりが目についた。
快晴の空はまぶしいくらいで、動物の動きも多く目に付く。カラスは「たこー」となき犬は「よんっ!よん!よん。」と鳴く。(爆 本当にそう、聞こえたのです)

昨日は暗くて撮れなかったヤブマメに、再度挑戦。崖の途中だが一番下のが、なくなっていたので這い登って撮る。最近はちょっと無謀なことをしているかも?


とはいえ、目指すはジュウガツザクラ。最近、返り咲きとして報告されたりしていますが、4 月上旬と 10 から12 月の 2 回花がつく小ぶりの桜です。その桜が団地の中に何本もあることを、昨年発見したのです。名札が間違っていたので、うろたえましたが。桜って種類が多いのですね。
団地やマンションに住むと、殆ど庭弄りができません。団地の環境つくり、樹木の選定はとても、難しい仕事だと思います。でも、こっそりこんな桜をうえていると思うと、謎解きみたいで嬉しくなります。

そして、ちょっとした仕切りを作って、お年寄りが植え込みを作っているのも驚きです。この花たちが夏の暑さをのりきったのも、彼女たちの力です。水遣りはとても大変な作業ですから。

2004/10/16(sat)
最近、金歯を見なくなったなぁ。

散歩をしていて気がついた。「最近、金歯を見なくなった」どうしてだろう?
だんだんギモンになってきた。誰か知っていたら教えてほしい。


散歩では、柿、ザクロ、ピラカンサが鈴なりだ。ソレだけを見ていれば、餌はある。でも連日の熊の出現は、ただならぬものを感じる。
富山などにどんぐりを送る団体も出来たが、猟友会はみんな殺しちゃうように思える。113頭がすでに殺されているという。これって野鳥も餌に困るってことじゃないかしら?小動物もだけれど。


今日はいつもと違う、サラリーマン住宅風のところに行った。
するといきなり大きなケナフに出合った。
二階屋根に届くような、ケナフの姿は立派でした。
地球温暖化防止のシンボルとして、小学校などで教材とされている、あおい科の花。
最近は、紙すきなどもしているようだ。
突然、地道にこんなことをしている人がいると、戸惑うくらいのわたし。
写真はケナフの花です。

2004/10/15(fri)
きのこ三昧・・・・・・。

13日の日記で、ハツタケをプレゼントしてくれた方から、昨晩メールを戴きました。内容は「マツタケが採れちゃった」というようなものでした。今日はハツタケが届いています。またまたオーマイゴッド!です。買わなきゃいけないかしら?写真も添付してあります。食べたことないぞ。国産マツタケ!(以下、プロレス風絶叫)


昨日の晩御飯は、固焼きソバを買ってかえりました。周期的に食べたくなる中華やさんがあるのです。
それで、ふと思い出しました。
以前書いた、結婚のために「ご汁」を飲んだ友人です。彼が近くのC大より、少し離れたところに住んでいた時のことです。
いつもお金がないときに、通いつめていた「やきそば屋」があったのです。想像どおりのちいさな店です。だいぶ、通ったあと彼は言いました。「おじさん。本当のやきそばは、ソースなんか掛かっていないんだよ!」おじさんは、目をまんまるにしていたということでした。
彼にはタブーをやぶる癖がありました。もちろんそれは遠い昔のことですが。


やっと晴れました。
*写真はイシミカワです。

2004/10/14(thu)
あー。布団を干したい。

あー。布団を干したい。
今日も天気の様子をみていたら、晴れそうにない。曇り空のなかを借りたカメラ(ちょっと高級なのです)を持ってでかけました。めざすところは「イシミカワ」(タデ科)のある産廃場、この実はなんとも不思議できれいなのです。

途中で、踏切を越える。するとこういう風景にあった。
このおじさんはあさりを、剥いています。久しぶりに曇っているから、遠くまで採りに行けたようです。100グラム500円。潮干狩りで、繁盛した時代のつわものでしょう。
もう、こんな剥き身はどこでも売っていません。
おじさんはわたしが先日買ったのを覚えていて、写真、撮ってもいい?と聞くと「いいよ」と言って俯きました。
こういう風景に違和感がないのは私鉄駅前だからとか、もともと半農半漁だったからとかでしょう。
途中、夏にかき氷を食べたお店の前を通りましたが、それらしき人たちが車座になってビールを飲んでいました。
わたしがサラリーマン以外の人たちの、暮らしがわかっていないなーと思うのはこういうときです。


*明日は「イシミカワ」の写真をアップかな?             

2004/10/13(wed)
今年の秋

以前、きのこを買った人から、この間何度も電話がきている。ある時は「きのこが採れた」であり、「自然薯ができた」であり、「お父さんはどうですか?」なんてことだ。
原因は最初採れると思っていたハツタケの量が少なく、申し訳なく思っていたようで、今日は「お父さんに食べさせてください。一箱送ったからというものであった。
「只でいいから・・・気にしないでさ、お父さんに食べさせてください。」
患う父を思いやってそう言ってくださった。父は見るだけかもしれないが、家族でありがたく食べよう。


ところで、わたしは最近、本が読めない。こんなに読めないのは初めてだけれど、先日の黄昏カラオケ大会で原因がわかった。どんなに近づけても遠ざけても見えない、歌詞が一瞬ダブって見えたのだ。乱視だ。こんなじゃ見えるわけない。眼鏡を買わなくちゃ。
年をとるのはお金がかかる気がする。



写真は、先日見つけたオオオニバスです。10月から咲くだろうか、屋外なので心配です。

2004/10/12(tue)
ナショナリストだよ。


雨の合間に、カメラを持ってでかけました。
宛てもない。
今時咲いていそうな花が浮かばない。
線路際の草刈もされて、今年はとうとうガガイモともあわなかった。
もうじき菊つくりをしている家が、目立ち始めます。
秋の空気の中で凛と際立った菊は、なんともいえず綺麗です。
小菊の栽培は、とても残念ですが廃れています。かわりにあつものと呼ばれる菊が、咲き出します。
この菊の技術もなかなかで、年配の方の園芸になっていますが、先日聞いたら今やホルモン剤を使って背の高さなどを調整するんだそうです。江戸時代の技術だと思っていたら、えええっ!です。
でもこういうおじさんたちは、大好きです。
本当に魅入られていると言う感じがするのと、昔見た、菊人形を思い出すのです。


菊人形は谷津遊園という,今はララポートの近くにありました。わたしの家では、毎年行っていた気がします。そして、ここが私の初遊園地体験です。京成はバラ園でも有名ですね。
そういえば船橋ヘルスセンターも近くにありました。船橋ヘルスセンターのCMは、後で知ったことですが知人の広告代理店で作られことも思い出しました。


写真は昨年、さんざん椿の花でお世話になったお宅に貼ってあったポスターです。ヘラクレスオオカブトムシは、この夏16,000円もしていて複雑な気持ちになりましたが、昆虫もナショナリストでいたいなぁ。
なんて思いながら台風みやげのカリンをひろいました。


清水さんの好意で、今回から写真がアップできるようになりました。うれし〜ぃ。

2004/10/11(mon)
父の椅子。

退院直後に背筋が落ちるといけないので、背もたれの角度が直角に近いような椅子を買った。
ところで、その椅子で父が転んだ。
弟は楽なリクライニングの椅子を、買うことになった。
こんなことが、ちょっとしたトラブルになる。
寝込まなければ下の世話は、天と地ほどに違う。
わたしは診ることができず、いずれお嫁さんにそれらをお願いする。
だからたとえ父のは余命は限られていても、それは必要なのではないか?

毎日、お粥でウメボシ。
母の料理は手をつけてくれず、それが切ないと母が涙をこぼし、嗚咽する。
わたしは父の死の準備をしている。きわめて普通に、ソレをやっている。
母だけがあらがっているのかも知れない。

2004/10/10(sun)
お誕生日のこと。

為丸さんが発芽させてくれて、サガリバナを送ってくだすった。このかわいらしい芽は、「木だぞ!」と主張している。冬越しが大変そうだが、タイにいる間は母が見てくれるw


10月10日は、以前は体育の日だった。それにもまして思い出すのは、友人の誕生日が今日であることだ。特に彼は「体育の日」の方が恥ずかしかったといっていました。「元旦の子」と思われるのはわたしだって嫌だ。10月10日というけれどね・・・。人間の苦労はなかなか絶えない。
おまけに彼は親が美術家だったために、幼稚園に一人だけ丸いカバンを持っていかねばならなかった。一人だけ。理不尽だと思ったという。
すでに田舎の大学で、教授。悠々自適な日々にもそんなエピソードがあると思うと、密かに笑える。一昨年グッドデザイン賞を取った時も、連絡したら「儲からない、お金が出て行く賞だ」と言っていた。たかろうとしたのに、はなはだ残念であった。
誕生日なんて365分の1の確立で、あるから元旦、だってクリスマスだってあるのだ。かく言う私は12月25日で。

S氏お誕生日おめでとう!

2004/10/9(sat)
1ヶ月ぶりの歯医者だった。

台風を口実に休めるかと思ったら、だめだった。でも、今日は口内清掃の様子をみるだけ。でも30分以上口内も清掃してくれた。これは、後が気持ちがいい。歯がきゅきゅって言うようになる。
いちおう良好なので、12月から行く予定のタイの食事の練習をすべくを友人を誘って行った。
カニ、エビ、ハルサメ・・・・一口
サラダ少々。
鍋・・・これは美味しかった
チャーハンもよかった。
友人は、エビを食べカニを食べて悠然としている。
「ま、ぺこは行ったらやせるかもな」

痩せないけどね。おいしいんですよ。辛くなければ。六本木で高価なものを食べたよりおいしい。
辛味は克服できないなー。「チャーハンだけ食べていたらいいんだよ」(ぶっ。
ぼろぼろのいわれようで、ご馳走様をいい、友人に奢って、最近とみに衰えた父の気に入ってる粥を、安売りで20個買ってきた。と、たいやき。なつかしいと父は言ったが食べず。

2004/10/8(fri)
蓑虫の沈黙

今日も雨、明日も雨、明後日も台風で雨。
昨日の里に下りたアキアカネが、嘘のような不安定な天気が続きます。
昨日の写真をひっくり返して、帰化植物図鑑と睨めっこです。図鑑は書かれていることを、読むのも大切です。眼鏡が合わなくなっている。
とはいえこんなに、帰化植物があるとは驚きでした。絶望的に増えてる。

その昔苔の名前で、夫婦喧嘩をしている知人を見て「あら、まあ」と思ったけれど、これじゃあ夫婦喧嘩の種は、尽きなません。
今では、その知人は博物館勤務だと遠い噂に聞きました。
わたしも、少しはそんな粋がりがあって「それは違う」などと、言ってしまうことがあります。
でも所詮素人、日ごろからそんなに研鑽しているわけもなく「違う」という言葉が言えるのは案外少ないものです。


話は飛びますが、山のようにある植物エッセイに飽きて、わたしは薄田泣菫を読み直しましています。しかも「艸木虫魚」なんか。
「蓑虫が歌をうたわないのは、彼がほんとうの詩人だからだ。むかしの人もいったように、ほんとうに詩を知ることの深いものは、詩を作ろうとはしないものだ。声に出して歌うと、自分の内部が痩せることを知っているものは、唯沈黙を守っているより外には仕方がない。−だから蓑虫は黙っているのだ。」
詩人のみなさま、蓑虫にして、すみません。


こんなものを読んで、机の前にいると三時ころに出てくる蜘蛛がいて、遊んだりわたしは、結構虫好きになれそうです。


たそがれロック大会。

月曜日に約束をして、中年(!)どもが満を持して、カラオケに行き今帰ったところです。
今日はすごかった。
今だかつて、こんなに英語の歌が歌われたことはない。
外人とカラオケやったみたいです。
やや、酸欠でオヤスミです。

2004/10/7(thu)
今日も出かけて、

朝は出かける気はなかったのですが、くさくさして出かけました。というのはお友達から、ワンランク上のカメラを借りられたからです。
使い方に戸惑いましたが、やはり高いカメラはどこか違う。慣れればいいものが撮れそう・・・と言ってまた借りよう。



どこにいっても今は、イネ科が元気です。木の実はちょっと早いようで、準備中というところ。鳥たちは今のうちは、柿を啄ばんだり、ヒメリンゴ、いちじくなんてのも食べていました。家の次郎吉(めじろ)も一日おきに、りんごを食べています。
で、イネ科なんですが、昨日の蛇を思うと藪に入りたくないなーぁと、膾を吹いてしまいました。


そういう訳で今日は、近くの木を観察。まずは公園の周囲から。
しばらく行ったところで、声をかけられました。上品そうな奥さまです。「あの、あの木の名前を教えてください」女性から木の名を、訪ねられるのは初めてかもしれません。
かくいうわたしも苦手なのです。
その木は「センダン」でした。
見上げると秋の空にくっきり浮かぶ葉は、常緑緑よりは、薄いからです。
「センダン」です。と答えて「双葉よりもかんばし」のセンダンではありませんと慌てていいました。
春は薄紫の花が咲き、今は実が出来て一足はやく鳥たちの餌になる。とても便利な木です。それがなんと、三本もこの公園にはあります。
花の名前を聞かれるのは、カメラを肩から下げているからだろうと思います。でも、どうか木の名前は聞かないでください。


イネ科は今年も、パスするかも知れません。ネコジャラシだけで、5〜6種類あるようなんです。それというのも輸入穀類に、アキノエノコログサが生きたまま農家に届くなどとありました。
国内にはまた別のアキノエノコログサがある・・・という具合。雑種になったら、と思うとぞっとします。
弱い国産の草木が、好きなわたしは、植物ナショナリストでございます。

2004/10/6(wed)
晴れたぞーっ。

ようやく晴れましたね。
毎日のように、熊出現のニュース。今年は餌が不作だったのだと思います。四日間の雨でぐずぐずしていたのですが、やっと出かけました。
最近は一回出かけて一枚よい写真があれば、○なのですが不作です。
雨の被害は根ぐされなんかの心配もありますが、大切にしていたキレンゲショウマの蕾が、とうとう落ちてしまいました。


気をとりなおして、このあたりには珍しい「ちょっとだけ水のあるところ」に行ってみました。水田にもならなかっような、荒れている空き地です。
上手くいったら、タデ科のさわやかな花が撮れるかな?
淡い期待です。
雨が降ったので溝が増水していました。
ゆっくり歩いていくと、「あっ!」今年初めての蛇でした。30センチもなかったので、大丈夫でした。
目指すものはなくとぼとぼ帰ってくる時、秋の空がますます高くなっているのに気付きました。

2004/10/5(tue)
引き続いて、学ぶ。

私は、今でも「牧新日本野植物図鑑」を使っている。あとは平凡社の「日本の野生植物」だ。
実はI先生に「どのような図鑑を使っているのか?」を訊ねた。
わたしは「原色牧野植物図鑑」を一度買って、あげてしまったのだ。理由は画が汚い。
およそ学生のアルバイトで編集されたような本だ。出たばかりの時は、間違いもあって裏切られたような思いがした。
そんな本を現場で使っていたら、悲しい。どういう評価なのかと思った。
すぐに返事がきた。
「原色牧野は・・・,今後も,私も持ちたくない図鑑」だそうだ。
はっきり学者さんがそう思っているのは嬉しいことだ。
そして本当にありがたい気すらする。

2004/10/4(mon)
学ぶ人から与えられること。

T大の助教授の先生から、メールが来ていた。なかなかフィールドワークは雑務に追われてできないらしく、乗鞍岳でのセイヨウタンポポの調査などが、楽しかったというメールをもらった。セイヨウタンポポやヒメジョオン、抜かなければ頂上まで蔓延ってしまう。霧が峰でも結構わたし達は、抜いていたけれど車がはいると絶望的に増えるのだ。
幸いなことに立山のほうでは、車の乗り入れは禁止されているらしく、現状はまずまずらしい。
行ったことがないので、ぜひ行きたいという気持ちになる。
それにしても、このT助教授の感性は素晴らしいと思う。
「台風一過の今日は,肌寒く感じます。
明日からは10月ですが,秋の草花の美しい時 節ですね。この一年のいのち尽きる花々の輝きを存分に楽しみたいものです。」
牧野博士の文章も美しくて定評があるが、このような研究者がいると思うと、本当にうれしい。

2004/10/3(sun)
秋刀魚を煮る。

父・母と食事がすすまないので、今日は秋刀魚を圧力鍋で煮た。青い魚はいいのだ・・・・とは言うがこの人たちの食欲は、習慣だけでいまにも崩れそうだ。

2004/10/2(sat)
雲ひとつない。

寝坊の学生運転手。学生なんて今時は、おじさんおばさんの言うことを聞くわけないと思っていたら、そんなことはないのだ。w


雲ひとつない青空だった。小平の薬草園は素晴らしかった。小石川より管理されている。
都内の植物園は、すばらしい。・・・・・運転してくれたお誕生日のK君に感謝をしつつ、千葉を毒づきながら、眠りに入りました。

2004/10/1(fri)
小平薬草園

最近、近所に行くのもちょっと憂鬱。涼しくなったのにお出かけに、気が向かなかった。
家庭でいろいろあるからかも知れませんが、低空飛行。
で、頼んでおいたら親戚のKちゃんが、車で植物園に連れて行ってくれると言う。
何人でも同じなので、カメラマニア一名を誘う。
小平薬草園あたりが、どうかなあ。



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