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ぺこ日記


2005年3月

2005/3/31(thu)
電話でいきなり「人生みじかいね」と。

今日、セナが吼えられたイヌです。家が建って1年たちますが、イヌはもっと新参者。しかも二階から吼える。友人の家の電話番号が変っていた。
そういえば、悪質ないたずら電話があると言ってたなぁ。
建築家のおにいさんに、訊ねた。
電話口に出てきた彼は、明るい声で「人生はみじかいね」といきなり言った。
はっとしたが、わたしは最近そんなことを考えていたので「そうですね」とあいづちを返してしまった。
「これから、なにか大きなことができるわけじゃないし」
それから、ちょっと椿や茶室の話をして(雑誌で茶室のことを掲載していたことがある)どんなことでも、一生懸命やってるとそれなりの世界にたどりつくいう話になった。
年齢の差はあるが、彼はいつもニ、三歩さきの人生を生きている。
20代から付き合って、会えば示唆に富む話をしてくれた。
ふっつりと会わなくなったのは、双方とも体をこわしたからだった。

今日は駅にいて、父が何度も車で送ってくれたことを思い出した。そうして、帽子をかぶった老人の姿を一瞬父と見まがった。人生はみじかい。「泣き女がいるから、男は泣けないんですよ。」電話を切るとき、そんな風に彼は言った。
家は今、母が泣き女をしている。だからわたしは泣かない。

2005/3/28(mon)
雨だ。しょうがない。

こういう神様もいたね。雨だ。犬の散歩が大変な日。しかし散歩にいかなければ、ご飯を食べない。口 からぽろぽろこぼす。
仕方ないから、公園まで行った。


雨の日はしょうがない。


昨日は、そごうの野草を当てにして、映画館に行った。「ハウルの動く城」。そりゃ、いいところもあったけど、あまり感動がなく。
倍賞美津子の声も、なんだかなー。


そして寄ったそごうには、黄色いカタクリやオキナグサ(輸入物)なんかがあって、品揃えがすごく変ってしまっていた。
で、サクラソウというより、プリムラ(ボタニカルアート)にある、首のながいのとツバキを一本。


あーあ、晴れてたら公園のツバキもすごく綺麗なのになー。
でも、なんだか一番暇してるのは、犬みたいだ。
さっきから、ぴったり横にはりついている。(爆)


雨なので、頼んだのですが。

目を疑った、駅前のこのポール「落花生」。ああん。ホームセンターに、もと「先生」と行った。いろいろ買い出す物があって、車がない。
助け舟に、やれやれと思った。


考えれば行きからヘンだった。予定の時間に来ない。「ミラーをぶつけられた。でも、絶対行くから・・・」いいやつだ。
なのにやっと来たと思ったら、柄谷行人とかポストモダンとか話し出した。
どんどん興奮する彼は、ヒトラーは優秀だと認めろとか、チャップリンが好色だとか。

わたしは抵抗した。
少なくとも、雨の憂鬱な日に話す話題ではない。
荷を積むと再び始まった。
わたしは「わたしの前で、買春の話はしないで頂戴」と言った。
彼の話を聞くのは、辛かった。攻撃的な決め付け。
いくら静止しても逃げられなかったので、わたしはとうとう交差点で車を降りた。
気付いた彼は、アクセルを踏んで去っていった。
まるで安っぽい青春ドラマみたいだった。
長い付き合いの、友人を無くすのは一瞬なのだろうか。
それにしても、彼は傲慢に思えるのだった。

2005/3/23(wed)
椿と犬とカラオケの日々

ユキツバキ、先日話をした梶勧(かじかん)さん。「ユキツバキは風でやられる」といっていました。わたしは、彼の作品なるつばきを2本も、持っていたのです。椿のお勉強をしていた。
たとえば乙女椿は、「本草図譜」(1829年)「椿伊呂波名寄色附」(1859年)のなかにでてくる。
刈込みに耐えるという特徴は、刈り込みをするとより美しいということだ。葉を間引くのもいい。
なんちって。


実は植え替えなんかをしていて、指がぼろぼろになった。

赤玉に指の油をとられて、初めてアカギレになった。

プランタン五個の芽はまだ出てこないし、コブシの種もうんでもなければすんでもない。(爆)
挿し木もたまってしまった。


なんで飼い主が、飼われなきゃならないのだ?

犬だってそうだ。
ずっとまつわりつかれている。

足の間から、首を出し餌をねだる。

立てば「散歩だぁ。わーぃ」という顔をして、左回り。

種もそうだ。

「早く植えてよ。」・・・・。


ああん。雨だ。犬の要求はトイレと決定。

やむなし。

出かければ、雨の中を喜び勇む。

わたしの憂鬱は、どうしてくれるんだ?(むかっミ☆)


犬に引きずり回されていたら、ケータイがなった。

「ヒロシですっ。」思い出した。約束してたのだ。カラオケでした。「やばっ」

2005/3/22(tue)
野草好き!

「そごう」のエントランスの椿です。このレースすごい。病院から帰って来るとき幸運にも「そごう」の春の山野草店がありました。毎年あるのですが、今年はオサバグサやイワカガミも加わっていました。初めて見るものを育てる勇気はないので、クレマチスとオキナグサを買ってきました。ここのオキナグサはとても色が綺麗なのです。山野草の育種をする技術は、とても大変だと思います。去年ヒマラヤの青いケシを送ってくださった野草園も、今年は規模が大きくなっていました。わたしは、その町の観光資源にしている「ササユリ」に今年は挑戦します。ここの主に、去年は土のことを教わりました。(HPも時々は、読んでくれているようです。)とにかく山野草のインサイダー取引はやめましょうね。さて昔の歌を見直そうみたいな時間は、ほそぼそと続いています。昨日、やっと「全日本フォークジャンボーリ2」なるCDが着きました。実はこれを、聴くのは初めてなのでした。出だしから「うぅ。」っとなったのです。とにかくいまどき、タンノイのスピーカーでこういうものを聴いてる人はかなり「パー」であります。



話がもうひとつ、飛びます。
図鑑を見ながら椿を検索していると、かなり昔(江戸くらい)の時代に多様な変り咲きのものがあります。あさがおもそうですが、江戸の職人の手わざはちょっとやそっとでは語れないでしょう。
そして先の、尋ね椿「石住」(いわずみ)です。
富山県庁に問い合わせ、今は流通していないが「ある」ことだけは確認できました。




ある・・・・ということは。

こののち、「石住」(いわずみ)の持ち主と話をすることができました。
椿展を開催するそうで、企画者側のようでした。
富山まで行けないぞ。

2005/3/21(mon)
彼岸には命が帰ってくる・・・・のかも。

近くの造園屋さんの、ハスです。電話をかける都度、母の喘息の様子がかんばしくない。
今日も会話ができないくらい、咳き込んでいたのでかけつけてしまった。
長すぎる発作だ。最近は喘息は気道が収縮するというより、常に炎症をおこしている状態と理解されてきたので処方も大分違ってきたという。
いずれにせよ、発作で傷ついた気道は、蘇生するのに半年くらいはかかる。その間は再発しやすいのだ。「点滴をしたら?」
「・・・・・」母も頑固だ。

すべもなく、線香もあげずに父の仏壇をおがんだ。
仏壇のある家と言うのは、なんとなくものものしい。その居心地には、まだ慣れられない。お彼岸なので、祖母の写真が入っていた。


裏に回って庭を見る。
先日はなかった野草の芽が、ぼちぼちでている。
諦めていたものも。
信じられない。かなり感動。

アンプ事件から立ち直れない。

アンプ事件から立ち直れないまま、日記をまとめ書きします。現存するアンプでちょっと聴いたりして、タンノイのスピーカーは良。

2005/3/20(sun)
蹴りだよ。蹴りっ。

長年の夢だったオーディオの買い替えをした。夢にまで見たタンノイのスピーカーを買ったのだ。
電話しまくってセットをし、ショパンとブラームスを右翼のような大音響で聴いています。
「をを!さすが」と言う以外ない。
Butである。
本当は中古アンプも、同じ店で買ったのだ。
届かないアンプを待ち焦がれ、その日電話で問い合わせたら「他の人が、タッチの差で買った。」
頭のなかが真っ白になった。
値段交渉も発送日の決定も、終わっていたのにこんなことってアリ?




大阪の商買人答えよ。あぁん?
わたしは関西人に、偏見を持っている。いかに千葉がダサくても、もう偏見だらけ。
こんな小さい日本で、こんなこと言ったらチリの立場がなくなったって「もう、イヤ。願い下げ。三行半」


蹴りっ!

2005/3/19(sat)
てんや、わんや。

これぞ二段咲き。寒椿の仲間は案外三倍体。自家受粉が多いのかな・・・・謎だらけ今や寒椿の大放出。さらに春に向かって稼動。モクレン、モモ。ああ、追いつかない。セナの通院とわたしの検診。
種まき植え付け、植え替え・・・産まれてはじめての農作業です。
もちろん為丸式、挿し木も始動。

そしてこのところ、ペットボトルを探しに夜間徘徊。もちろん為丸式挿し木法の普及もしています。
ツバキのある家ってお年寄りが多くて「写真撮らせて」っていうとおまけに枝をくれるのです。
挿し木は、もう何がなんだかわからない。(爆)りんご椿やセイロン茶もある筈。


いつか一斉開花するのかしらん?
世の中にたえて椿のなかりせば春の心はのどけからまし。
あはっ。

セナのスィッチ

セナは以前いた時よりも、甘えてくる。
寝ていてもトイレなどに行くため、わたしが歩くとピクッと耳が動き、スィッチが入ったように爪音をさせてやってくる。寂しがりやになっているのだ。

散歩が大好きで近所の家の犬に、呼応してなくことがあるが宅急便の配達などで吼えたことなど一度もない。
交差点で「よくなく犬」がセナを感知して、吼え始めたとき「あんまり吼えると脳みそが、少なくなっちゃうんだからね。吼えちゃ駄目だよ」と、言ったのを聞き取った学生風の若者一名が笑い出しました。
あんな人通りの多いとこで、片っ端からないていたら「おばか」だと思うよー。


色を変えます。

捜索中の「石住」(いわずみ)という椿、富山のお寺にあるらしい。秘蔵されてるのかも。

2005/3/18(fri)
タイサン朴の挿し木アゲイン

これは「大城冠」ついに咲きました?。"
ここ、三日ほど種まきにうつつを抜かし、重いプランターで腰を抜かしそうになり、植えたものを忘れちゃったり、犬に荒されながら挿し木をしたり。
椿は、今が最盛期でしょうか?
遅い椿はこれからですが、賑やかなのは今かも知れません。



さて、昨日の感動的な経験を書くことにします。
実は「出雲大社藪椿」という、小ぶりなとても綺麗な椿があります。オークションで落としたのですが、ごく気に入りました。
それで二本目を買うために、造園の業者さんを探して注文しました。ところが着いたのがピンクの花を持った木でした。これは・・・。
何事かと思い、業者さんにクレームをつけたのでした。電話に出たのは、たぶん奥さん。「あら、うちの社長がやったので、間違いはないと思ったんですけど」電話口で困っているのがわかります。


なぜかと言うと、この社長さんが「出雲大社藪椿」を世に出し命名した方だったのです。


とにかく、「帰宅したら連絡をします。」ということになりました。


なかなか掛かってこないなーと、思っていたころに電話が来ました。
社長の言うには梱包して光の当たらないところで、開花したのでピンクになったのではないか?というのです。

蕾がもう一個ついていたから、それが開いてもしも赤でなかったら、送りなおします。今のは差し上げますよ。椿の世界も、一期一会ですよ。

図鑑と毎日つきあってると、こんなこともある。

でもねー。産まれて初めてプロと「椿談義」をした。



明日は、コブシと椿の種を撒きます。犬は・・・多分のです。。
江戸椿はすごいとか、雪椿の美しさとか。流通・・・・これは大問題で、業者さんでも手に入らないものはいっぱいあるとか」
「われわれの方が余程、駄目になっているんです。」

そう彼は言った。そして「わからないのは教えてあげよう。写真でいいよ」とまで言ってくれたのでした。



明日は、コブシと椿の種を撒きます。犬は・・・多分

2005/3/16(wed)
セナが戻ってきた!

イギリスから、お家の方が(仕事ではなく)輸入した青いクロッカスだそうです。昨日は写真を撮って、そのご花の植え替えなんかをしていてすっごーく疲れました。やばいと思ったら案の定、今朝は喘息。
でも、母の喘息はもっとずーっとひどくて、セナの散歩が大変になってしまいました。父の形見みたいなものだけど、気の弱った母はついにわたしに託しました。
ばんざい!
母にありがとうの電話を入れると、今生の別れみたいに泣いている。


で、昨日くるはずのスピーカーが今日になった。搬入しやすいように、そとをかたずけるつもりが散らかったぁ。
種まきの時期、いいんだろうか?
肥料は多すぎ?
有楽の葉が黄色くなってるのは何故だろう?
ちょっと、泣きたい気持ちになりました。(笑)

*ご近所のおくさんと「夫婦別姓」の話をしました。会社などでもだんだん、認めるようになっている昨今。
生まれた時から付き合ってきた名前を変えるのって・・・・どうだろう?。男性なら絶対いやだっていいますね。
友人に別姓が多いので考えてしまった。本当に選べるといいんだよね。

2005/3/12(sat)
ああ、やだやだ・・・・。やなんだよ!

この椿の名前、わかりました。名前は「シダレボタン」加茂本阿弥の実生でした。しかし、加茂本阿弥は三倍体。種はできないはず。でも椿はできることがまれにあるとか。<BR>なんとも不思議ですが、種ができてこれになったといいます。1987年に命名されたそうです。今朝は起きたときに、夢を覚えていた。沖縄で韓流スターとめぐり合うのだが、テキにはすでに彼女がいたので、後ろ暗い思いをしながら英語のうまい友人にたのんでアドレスを訊く。「飛行機が行っちゃうよー」という状況なのに、みんなプールに入っている。起きたときに嫌な気分じゃないのは、もともとそんなスターには縁がないからです。(男ってさ、ハンサムなのは駄目よね。)


それから気になっていた植木鉢の摘花をやりだした。

種を持つと来年が大変そうなクリスマスローズの花を幾鉢か切って「あ、そうだ。」と思い、その花柄を、ソフィアローレンさんの家にあげに行った。それからひとしきり二人で音楽の話をして、映画の「レイ・チャールズ」や「スイング・ガールズ」やブルーノートの話もして、最後は社宅に住んでいたアルゼンチン生まれの女性が「タンゴはいいよー」と腰をふったの。

なんてことまで話し、ではピアソラがいい。「アディオス・ノニーノ」なんてお父さんとのお別れを歌ったものだけど。わたしは最近よく聞くのですと、告白。

まずい、家の門が開けっ放し(!)なのを思い出し急いで帰って、それから今年植えるべき種をひろげた。

採取したもの通販で買ったもの。レンゲまであって、いつ植えたらいいのかまったく見当もつかない。


すると電話が鳴って、レイの先生が来週会おうと言ってきた。

彼はどうしても、ポストモダンの柄谷行人の話がしたいらしいのだが、わたしはポスト・モダンの話を話すなんて、ぜんぜーん面白くないのだ。


そのようなことを言うと、「ぺこちゃんは、ああいうものも読めて話せると思っていたけど、やっぱり男の人の方が読むと思うから。(実はいっぱい余っているので・・・・)以前にわたしの家で会った友人に渡して欲しい。」・・・はぁ、さいですか。渡しましょう。

長い話に腰砕けになった、そしてわたしはせんべいを齧りながら、つばき図鑑を見る。そしてうつつに寝込んでしまった。起きて写真の整理をしたら、なんと4時。(爆)


それから、種を数えた。何十種類もある種。まずどこで拾ったかわからない椿。それは発芽は面白いというので、ビニール袋でやってみよう。一番大事な、クリンソウとマツモトセンノウの種は冷蔵庫のは駄目な様子。でも、まだチャンスがある。ヒマラヤのケシは絶対無理だし・・・・。

わたしは無駄遣いもしているし、花も育てられないし。ろくな女ではない。もう、そうなっちゃったんだから、責めても知らないよ。


こんなでも忙しい生活を、しているように思えるのはなぜだろう?

ああ、糖尿病の教室に行かなければ・・・・。これが今やばい。父譲りの大いなる遺産、療養はきつい。筈だ。
自分に叱咤できないねー。わたしは、駄目だー。

2005/3/10(thu)
喘息家族われらが愛すクレーの画

格子越し。今日、母に「父の遺髪はない?」と聞いたのだった。

「ないか・・・」と笑っていたら「あったけど、そんな気がまわらなかったわよ」と言われた。

「だって・・・・」こうなると、また泣くのだ。泣いたって仕方が無い。

そういうことを母は、ついにわたしに教えてくれなかった。

おかげで、この半生を力いっぱい泣いてきた。泣いてその時間を、やり過ごすのだ。

最近になって、泣いても仕方がないと知った。とても遅い。

そして思いいたったことがある。持病の喘息だ。


かつて吉本隆明さんが、出版していた「試行」という雑誌に「気管支喘息論」というのが掲載されたことがある。

川崎のお医者様が書かれたと記憶しているが、治療法ということでなくという断り書きのうえ、それは数回の連載にわたった。大変面白く読んだのに記憶には自信が無いが、子供が何かを欲しがって、何も与えないと泣きながら、最後に咳き込みだす。

そういうシンプルな喘息の型みたいのが、大人の場合もっと複雑な要素がからみあいながら発症する、というような話だったと理解している。(間違ってたら、ごめん)ちょっと単純化しすぎかも知れないが、わたしは、ああそうだな、きっとそうだな、と自分のことを思った。泣いてその時間を、やり過ごす方法というのは無為に近い。

自分で自分の感情をコントロールできないと言えばそれまでだが最近のニュースを見ていると、そういう感情の始末ができないんじゃないかと思うようなことによくぶつかる。


数年前、ある病院の喘息外来の、お手伝いをしたことがある。医師は大変熱心な人で、お子さんも喘息だった。

その熱心なお医者さんの時間外に、喘息についての学習を患者はする。一般的な理解なら自信はあるが、話していくとたくさんの疑問がでてくる。

たとえば喘息患者は空気が以前より綺麗になったのに増え続けていることや、イタリアのある島では島民全員が喘息だということなど。

資質や、環境にも還元できない要因。

感情の捌き方というのも、病気の一因たりえるのだろう。

文芸評論家であった磯田光一氏も喘息であった。そして喘息が出なかった時期があった。それは戦時中だったと記憶している。

もとより精神論を言うつもりはない。


喘息家族われらが愛すクレーの画一つ、さかさまに鳥囀(な)くけしき        塚本邦雄


*こんなことを書いているうちに遺髪のことを、忘れてしまった。        

2005/3/9(wed)
ひっぴーみたいな人たちだった。

好きなツバキ。

「日本のロックの創世期」にわたしは、いろんな体験をした。

昨日、思わず電話をした友人も「蓋を開ければ」共通の知人がいて、のちのち話がつながると「そうやったんだ!」という発見続きで愕然とした。
ことほどさように、ふつふつと記憶が蘇る。

「ねね、バンザイ党って知ってる?」

「知ってるよ」と失業中のI君。

「じゃ、い○ぱちって知ってる?」「うん」「あの人有名だったね。コンサートですぐ裸になった。」

「そそ、わしのところに居てん。昔の話や」」そうだった。

千葉のロック喫茶で会ったのだ。「食事する?」って聞いたら、「昨日の残りのカレーがある」と所帯じみた答えを彼は言ったのだ。

そのアパートが、I君の部屋だった。居候だったわけだ。


けれどわたしが、彼を知ったのは、アルバイトだった。○村工芸のアルバイトで、彼を探す奥さんの友人が「えーっ。知ってんの?子供が双子だから、大変だって奥さんが怒ってたよ。そう言っといて」

「・・・・・」彼はすでに消えていた。

大阪に行ったという話しだった。


けっきょく、い○ぱちさんは、そこここを泊まり歩いていたのだった。

やがて噂が入ってきた。恋人ができたというのだ。大阪出身のC大の友人が、その後の噂を持ってきた。

「子供ができてな。また双子やねん。」

2005/3/8(tue)
ソフィアローレンという猫の飼い主さんだった人

みごとなミモザ。ご近所のソフィアローレンという猫の飼い主さんだった人が、最近ケイナを初め練習しています。「はまべのうた」が吹けるようになったから、おいで。

行くとなんと「シチリア島の夕べの祈り」までマスターしていました。
「まだ初心者だから音がきつい。うまくなると暖かいソフトな音がでるの。」
そんなものなのか。

最近思うのですが、年をとると悲しいことが多くなります。父などは末っ子だったから、いっぱい悲しいことに出会っていたはずです。まぁ、そういうことでいっそのこと、あの世は楽しいと思ったほうが良かったのかも知れない。

彼女も最近、親戚の不幸があったということで「でもね、ぺこちゃん。棺に花を入れる時に、突然シチリア島の夕べの祈り・・・が流れたのよ。だからいっぱい泣いちゃった。そんなことって、あるのね。」
わたしは「あるんです」と答えた。

父もずっと意識がぼうっとして(モルヒネで)いたのに、なくなるとき、母の声を聞いたのだ。「お父さん、大きな息をして!」。すると父は複式呼吸をした。二日も意識がなく、酸素吸入をし努力呼吸をしていたあとにだ。
それが父の最期だったけど、徹夜で看ていたわたしには信じられないことだった。
友人の看護士に言わせると、「聴力が一番最後まで残るというけど、その酸素の量はすごいよ」
人の体が死への旅立ちを準備している時、わたしたちは意識についても体についても、あまりにも何も知らない。
それなのに、臓器移植なんかしちゃってる現実もあるのだ。

今日は暖かい春めいた日なので、こんなことを考えていました。

2005/3/7(mon)
話は続く・・・・・。

家の緋寒桜の芽です。書くことがないと、思ったらいきなりどっと出てきました。とにかく昨日の、日本のロックを見直そうみたいな日を過ごしたのが、そのきっかけらしい。古いのが結構頑張っているというのは嬉しい。「村八分」とか「はちみつぱい」とか「久保田麻琴と夕焼け楽団」、この世では符丁に近い名前。「誰が知ってるんだ?」と言われそうなのが、品切れがおおいけどやや現役。
大笑いしたのが高田渡のCD。A面の曲名が「ものもらい」で、B面に「中耳炎」ってあるのです。(爆)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001U1KY4/qid=1110122774/sr=1-4/ref=sr_1_0_4/250-5084626-9985842
http://www.kenroad.com/old.html 「左とん平 再入荷しました」プロデュース:ミッキー・カーティスなんてえのもあって。



さてえ。今、家には新聞が来ません。タイにいるはずなので、みんな断ったのです。しつっこい勧誘やさんは、ぴたっとこなくなりました。バンザイ!ゴミ売新聞なんか大嫌いなのです。でもタイ行きはウソじゃなかったのよー、と胸の中で叫んでおります。たとえもっといいところがあっても、絶対行ってやる!

2005/3/6(sun)
タイのシュリーマンに、なりたかったよ。

撮っていて、あれ?っと思った。これは「三猿」ではないか?特別、興味があるわけではないが、野次馬よろしく友人の坊主とメールでタイの仏像の意味を探っている。墓場はどこだ?とか釈尊が被っている帽子だとか。
釈尊は帽子(のようなもの)を被っているのは少ない。真言宗の本尊は被っている。いつから脱いだのか知らないけど、被っているのも普通なのだ。

そしてこの「三猿」陽明門のと同じ?!

そういえばインドのお寺で猿を大切に、しているところがあると「サル学の現在」で読んだ。庚申塚なんかとも繋がっているようだし。混沌と繋がっていくルーツ。小乗仏教も生臭くていいかな?ううむ。


日記、やめちゃおうかな?と思ったのですが、「あった方がいい」という方がいたので再開します。

差しさわりがあっても知らない。

アマゾンで以前買った大滝詠一のCDを聞きながら、あれもこれもと記憶のひだをたどっていたら、こんなのがでてるのかというものがいっぱいあった。
マイナーなはずのグループやDVDだが、なんと!過激な「頭脳警察」や「幻野祭」(成田空港建設反対の人々がやった、ロックコンサート)や中津川フォーク・ジャンボリーや遠藤賢治や、日本で初めて映像化されたあるいは音源化されたロックコンサートやフォーク・コンサートの類だ。
こんなのを引っ張っているとずるずるになると思いながら、ついつい、楽しくなってしまった。
リアルに聞いてはいなくとも、○○さんが漂着していたコンサートやXXさんがファンだったバンド。
かなり妄想に近いが、いろんな顔が思い出されてくる。

臨時収入があったので、2、3枚を買う。今度こそジミ・ヘンを買おうと思っていたのに、みんな売り切れだったからだ。
最近は、CDや本などで楽しむことが減ってる。
ちょっと景気付けに、怪しげなモノもいいだろう。頭脳警察は、警察なのにクスリで警察に追われていたはずだ。学校にも何度も現れた。カッコよかった。(笑)



とまれいろんなことがあったと、言える大人になっている自分が信じられない。
そういえば、図書館で読んだ村上龍で、同じ時期に同じような店に出入りしていたのを知ったのは、この十年だ。彼はま未だ、いろんなことをやっているのだ。

2005/3/5(sat)
ドリカムを聞きながらタイの写真を整理して。

大きなシャコ。揚げて食べるのです。3000円でお腹いっぱいたとえ何があっても、タイに行ってそのお金は会社が持った。30万円くらいの得なのだ。
「いいじゃない。」母が言った。心配してるより、帰ってきたほうが良いと言うのだ。
わたしはといえば、椿を見てゆける。


タイの植物は半日くらいしか、追いかけられなかったけれど、図鑑でわからないものがでてきた。unknown・・・まだ日本語になってないやつは絶対あるぞー。
タイ病(失礼、おやじった)ですが、インド人と話したときに、日本は火葬かと聞かれて、そうだと言ったらガッカリさせた。
彼らの中には、日本が仏教国だなんて認識はないようだった。
そんななかで、一番ガッカリしたことというのは、サラノキがラワンの仲間だったということを知ったことだ。
ラワン材。
これはショーゲキだと言っていい。
沙羅双樹が、ラワンだとー?みたいな気持ちで、写真を撮りそこなったことを後悔した。
種の管理が難しく、日本ではあまり見られない木だから。

ぼちぼち整理して行こうっ。
ドリカムは結構、よかったりするのだ。わはは。

黒崑崙などが咲くよ・・・・。

野焼きの煙です。タイの農耕は野焼きが基本です。体調は、検査が大分続きそうです。本日確定診断があったのは「糖尿病」。

さて、「おーまい ごっど!」の話はあまりしたくありません。なので、話題といえば、今日は退職する先生から電話があったことです。「そろそろ、ぺこちゃん行くんでしょ?だから・・・」「行かないの」「それなら近いうちにカラオケを・・・」失墜したわたしの運命は、無視されてしまいました。(´`)ゞ先生ってどうして、こう自分本位なのかなーと、たまに思う。


わたしは、「ふきのとうの佃煮」を持って、今日は母のもとで過ごしました。いや、セナと過ごしたかった。

でも、母は、ひとりで父の逆さ睫毛のことまで喋っていました。こういう時の母の話はすさまじい。止まらないのです。聞きながらうとうとして、先生から戴いた「写経」を思い出して仏壇にあげました。お習字では般若心経をやりますね。わたしも書いた覚えがあります。先生の家は代々、お習字の先生ですから療養中、毎日書いていたようです。

昨今わたしは、父に会いたくて仕方がないのですが、タイに持って行った父の形見はまだ自分で持っています。居心地がよさそうなところを発見したら、そこに忘れていこうかなと思っていたのですが。

お墓はまだ製作中、既存の石屋は寺に、バックマージンを出すようになっていたので、別な石屋に頼んでいます。30万円も違うらしい。


それから、近所の同級生の家などを散歩して覗き、新しい椿などを発掘していました。ヤブツバキは今が綺麗ですが、だんだん白や絞りなんかのバラエティのある椿が咲き出して来ました。黒崑崙などを、待っているのも楽しいけど、むしろセナを返してくれないかなーと様子を見てもいたのでした。

まとまらない頭です。(*¨) ポッ

2005/3/2(wed)
明日はでかけよう。うむぅ。

桜の開花予報がでました。各地の標準の桜があるわけですが、東京は靖国神社の桜です。インフルエンザでずっと寝込んでいたのですが、次第に欝的になってきました。
明日、晴れたらと思ったら、雪のようですね。(。_゜)〃

2005/3/1(tue)
まず、治すそうね

アネモネです。健康上の支障があり、タイ行きは当分中止となりました。



お餞別は、お見舞いとして理解し、返金はいたしかねます。



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