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ぺこ日記


2004年7月

2004/7/30(fri)
水島英巳さん、山之口貘賞受賞おめでとうございます

らもさんが亡くなって一週間になる。「今夜すべてのバーで」をわたしが読んでいた時、さる病院の精神科のアルコール外来の先生も読んでいて話題になった。医師は言った。きっと彼は治らない。・・・・・それを医師の予見だとしても、わたしは治っていく過程が見たかった。聡明ならもさんの。叶わなかったけれど。


昨日はDLの仕方を聞いていて、わざわざ友人がきてくれたのに最後はキーボードを投げられた。もちろん当たるようにではないけれど、DVにあったみたいな散々な気持ちだった。こういうことはわたしにとって、もちろん初めてなのだが、ものに当たる癖は、きっと治らないだろう。戦争を語り継ぐMLでも、昨日は散々な実態を読みくじけていたのに、さらに悲劇的な気持ちになった。情けない。


そういえば、わたしの病気も治らないのだ。とにかく8月は人の命が軽い月である。


遅くなりましたが水島英巳さん、山之口貘賞受賞おめでとうございます。

2004/7/29(thu)
元気が出ないときには・・・。

寝る!

夏ばてかもしれない、くだらないTVをつけっぱなしでぼうっとしている。夏ばてというのはあるが、夏ボケってのもあるだろう。やばいな。

実は寝るという方法を、散々使ってしまったので今朝は早起きしてしまったのだ。・・・・・なんか間抜け。

夏ボケ対策だったのに、返ってボケってしまった。
キャーキャー言う元気くらいないとなー。


悩みのひとつは、「霧が峰」をどうするかであった。勝手に悩んだのだが、この問題は解決がついた。尾瀬のように車を禁止するか、上高地のように入場制限するかだ。スポンサーは、評判の○菱(地名)同じ名のクーラーを出している)で全部木道にしてしまう。これ以外ない。頑迷に住んでいた山小屋のおじさんたちも、賛成するだろうし。(居なくなってしまった!けど)妄想三昧。これにて一件落着と思ったら少しほっとした。(爆)解決策があればいいのだ。


ネットの時間とTVの時間の流れはすさまじく違う。


「中高年のおじょーさん。」なんて言葉に泣きそうになりながら、TVを見てるのは、はなはだ不健康だなー。

2004/7/27(tue)
疲れた。2

霧が峰に行くのに軽井沢を抜けた。
軽井沢は別荘を持っている友人がいたりして、学生時代には秋とか、春先とかに来た。開発が進んでいるのだろうが、車は走り抜けた。予定の時間を大幅に過ぎてしまったからだ。

白樺湖を過ぎ、やっと目鼻が付いたのは夕方だった。もうその頃からおかしいと思ったのだ。
聞けば宿の人は、今年はニッコウキスゲが咲かないと言った。
そんなことがあるだろうか?
ある程度の環境破壊は、予測していたけれど、それは想像以上だった。歩いたのはたった1時間。でも、その道のひどいこと。道は狭いほど歩き安かったりするのに、ごろごろに広がっている。さらに広がりそうになっていて両脇のロープのおくまでごろごろしている。水がながれたのだ。わたしが見ていた頃の三倍くらいは、悠に広がっている。
一回、裸地になったらここは泥炭と石の貧しい土地になるしかない。そう注意していたのが、そのとおりになっている。



でも、でも、こんなの許せない!怒髪天を抜き、思ったことはもう一回来ようかな。
田中康夫知事、ガンバ!


らも話・・・。合掌

昨夜はお寿司を、食べた。それは近所の美味しいお寿司やさんだったので、すごく幸せになった。
帰宅してから、疲れて寝てばかりいたのに、昨日もやはり寝てしまった。
遠くで、「作家の中島らも・・・・脳挫傷」という言葉が聞こえた。あんっ?
「今夜すべてのバーで」のらもさん。?
起き上がったら、夜中の三時だ。TVのチャンネルを換え、ネットを・・・・あ!
 らもちゃんが、死んじゃった。



「今夜すべてのバーで」のらもさん。?
わたしはまた眠りに落ちてゆく。

2004/7/26(mon)
疲れた。1

当初の目的は嬬恋の、わたし所有になってしまった土地を見に行くことだった。
キャベツ畑のなかの分譲地はペンションになっている所もあったが、ぼうぼうで境もなく探すのにひどく時間がかかった。
道が少ないのに農道なので、道標がなく道を聞いてもわからなくなる。それにあんなにたくさんのキャベツを見たのは初めてだけど、キャベツに聞くわけにもいかない。
というわけでキャベツ畑の側道を、何度か往復したらP○○という看板がいくつか出てきた。「Pってなんだ?」同行したH氏が言う。「ペンションじゃない?」「PHは?」「ペーハーじゃないの?」とわたしがからかう。弟が「プチ・ホテル」じゃないかな?
そこに行って道を聞こう!看板の方に行く。
ペンションが6件ぐらい棟続きになっていた。悪夢だ。建物の風合いは違っても真ん中の庭は共同なのだ。(爆)こんな辺鄙なところに来るのは、いったいどういう人たちだろう?
ペンションの人に聞いてまた、戻る。着いたところは一応、昔の別荘地で、道は碁盤の目のようになっていて整地はされたことがあると判る。
わたしは土地にあまり興味はなく、事情があって買う羽目になったので、そこが山なら面白いな、というくらいの感心だった。結局そこは山ではなく、建物は30年くらい前の昔の便所みたいな廃家だった。周囲の区画も、みんな見捨てられている。確認と言っても藪の中に入るのは嫌だったので、道をぶらぶらしていたら、「クロマメノキ」(「アサマブドウ」)があった。ツマトリソウもあった。そしてベニバナイチヤクソウまであったのだ。開発される前はいいところだったんだろうな。
昔、小林秀雄の対談だったか、どんなひどい禿山でも、自分のものだと思うと違うというようなことが書いてあったが、そんなことはない。バブルの最大の犠牲者は今もって自然だと思う。北軽井沢と名乗り、世間の謗りを受けた、嬬恋はやはりキャベツが似合った。

2004/7/25(sun)
疲れているので、少しだけ。

残念な旅だった。
異常気象で、ニッコウキスゲは探さないとない。ペンションと、ホテルがたくさんあって、かつての面影はない。
肩から1時間ほど、歩いたが道幅は広くなっていて、その道の幅や多さに唖然とした。何千年もかけてできた、お花畑はいったん壊れたら復興しないのに、この土地に何があったのだろう。

わたしたちが計測した肩の一メートル四方が、もはやどこなのかわからない。歩けば遺跡散歩のよう。
ビーナスラインも大きな要素だけれど、オリンピックも大きな要素だけれど。
柵をしてしまえは良かったんだ。群生地もなくなっているのを見て、残念ですが柵をロープをと考えてしまいます。
とにかく、カルチャー・ショックでした。

2004/7/23(fri)
明日から一泊で、長野。

明日から一泊で、長野。
混みそうだなぁ。

アマゾンから「ボサノバ」のCDが届いて聴いているうちに、心地よく眠ってしまった。慌ててパッキング。ムヒとかビニールとか種入れ・・・・。行方不明になった登山靴。もう用がないと思うと寂しい。20代の終わり、ボーナスで買ったもので、はりこんだのだ。

「トトロ」を見ながら作業の残りは明日。
こういう時には、母に次郎吉を預けるので母は、もう「じろちゃん!」とか言っている。

2004/7/22(thu)
わかくて、偉そうなおまわりさん。

わたしは、涼しい朝に動いて、頭の血管が切れそうになったから、だからジョアン・ジルベルトをかけながら、寝ていました。宅急便みたいな声で「すみませーん」と言ったのは、若くて偉そうなおまわりさんでした。

「苦情がきたんですよ。」「道まででていたら、こまります。早急に置き場を考えてください。確認にも来ますから」
「苦情がきたんですよ。」「道まででていたら、こまります。早急に置き場を考えてください。確認にも来ますから」
わたしは、涼しい朝に動いて、頭の血管が切れそうになったから、だからジョアン・ジルベルトをかけながら、寝ていました。宅急便みたいな声で「すみませーん」と言ったのは、若くて偉そうなおまわりさんでした。

「苦情がきたんですよ。」「道まででていたら、こまります。早急に置き場を考えてください。確認にも来ますから」
「苦情がきたんですよ。」「道まででていたら、こまります。早急に置き場を考えてください。確認にも来ますから」

わたしも手詰まりで悩んでいたが、近所からの通報ってやだなー。お話しよう、出てきなさい!って気分です。
こういうのって、大抵女性なんだよね。

わたしも手詰まりで悩んでいたが、近所からの通報ってやだなー。お話しよう、出てきなさい!って気分です。
こういうのって、大抵女性なんだよね。

2004/7/21(wed)
暑くて外に出られない。家にいても眠れない。

実は、先日、早朝にC大に出かけた。
こだわってるのはホップの花柄だけど、行ったら葉がみんな焼けていて無残だった。やはり暑いから今年は通常のよりさらに見られないのだ。


農業を少しはやった、友人の「うちの女房は、いつもつけてるよ」と言う台詞に、なかなかに説得された。
だからわたしはこれが、「ものすごく効いて」「絶対に蚊をよせつけない」と勝手に決めていた。携帯蚊取り線香は、わたしをとにかく、強気にした。携帯蚊取り線香だぞぉ!。



結果は想像がつくと思う。ムヒを体のでているところに塗って。携帯蚊取り線香をお尻のポケットにつけて・・・・・・・しかしながらぜーんぜーん効きませんでした。シャッターを切ろうとする手にも、ムヒをつけようとする手にも6匹はやぶ蚊はすぐにたかりました。写真は撮っていないけどキントン雲みたいな発疹が60箇所はできてしまった。だから、今も湿布をしたりしてい。昔、弟が従兄弟とカブトムシを捕りに行って、ひどく蚊に刺されて帰ってきた。馬鹿だと思ったのは間違いで、夏休みの彼らは勇敢だったのです。こういう冒険は、昔の男の子たちの通過儀礼みたいですね。

日記とはいかなるものかという疑問、某サイトでだされていたような気がしました。わたしは、なんだかわからないもの書いてるよ〜。ごめんねえ。

2004/7/20(tue)
ヤマユリはまだ開花の期間

父は20年以上日記を書いています。最初の入院のとき、持っていったのは日記帳でした。すごいなーっ。
とにかく、日記を書くのは「大変な」時がありますね。
父は書かないと寝られないそうで、亡くなった叔母は、家計簿で計算が合わないと寝られなかったそうです。兄弟ってそんなものなのだろうか?


今日は暑かったですね。テレビを見ながら、だらだらとしていると一日が、あっという間に過ぎてしまいます。
でも40度で、外出はできません。夕方に、暑さの隙を見て水遣りをして、カメラを持って花屋に行きました。すると、小ぶりながら「ヤマユリ」があり、また買ってしまいました。
ここの花屋さんは、「ヒマラヤの青いケシ」を是非見たいと言っていたのですが、来られなくなった。それ以来、時々話をします。


ヤマユリはまだ開花の期間があります。わたしは今年は、何回かヤマユリを楽しめそうです。ラッキー。

2004/7/18(sun)
秩父事件があったので(?)ちょっと資質が違うのか?

秩父が好きです。
初めて川で泳いだのが、秩父だから。友人がいて、夏休み初めてのアケビ体験なんかをして、ちょっと野生に目覚めたところだから。



夜半にざっと驟雨があり、土の匂いが気持ちよかった。やっと雨です。
今日は、さぼろうとしたのですが、以前、ブックマークをしておいた秩父のサイトにはまってしまいました。金子兜太じゃないが「山の子」のHP。(おじさんだけど・・・)
それをつらつら見ていて、読書日記で松下竜一さんの文字につきあたりました。
ちょっと前に亡くなった方です。こういう若い方が亡くなると、世代間がぐっと詰まる感じ。みんなお盆に出ておいで!

http://www.kumagaya.or.jp/~yasutani/index.htm

2004/7/17(sat)
山百合のお茶

「ハツタケ予約できます。」
ネットできのこの、販売をしているところを見つけた。
ハツタケは20年くらい見ない気がする。
小さいときから父がキノコ狩りで、唯一採ってきたきのこ。家族がみんな好きで、お澄ましと混ぜご飯で食べたきのこ。
幼い私たちは、廊下に並べて歓声をあげ、おばやおじに分けることもあった。
松林にでるのだが、大きな松の木ではいけない。防砂林程度の木がいい。
しかし、もとっくにそういう場所はなくなって、九十九里の防砂林にさえ父は行ってがっかりするようになり、いつの間にかその習慣はなくなった。
家族が一番、幸福な頃だったように思える。
その後ハツタケは小笠原で見た。みんなでハツタケだと、いいながら食べなかった。八月末で、小笠原は早いのか?あるいはしょっちゅう出ているのか?


メールで予約をしたら、先方から電話がきた。
9月中旬には採れるから、と言われた。
「チチタケはどうか?」と聞かれ、食べたことはないけど傷から乳みたいな白い汁が出るのだよね。「そうそう」
あのきのこを刺して持って帰るので「チダケサシ」(チチタケ刺しの短縮形)という花がある。その花と同じ時期にでるのだ。ホタルブクロの頃に蛍がでるように。
ただ、乳がべったりとして日持ちはしないだろうと言うと「そうだ」と言った。それから、山菜の話になって「まかせてくれ!」といった。


先方は酔っていたのかもしれない。
山百合の話に及んだとき、「やまゆりは焼くとうまいよー」と言われ、こけた。(爆)山百合の栽培もしているようだ。「きんとんとか、揚げてもいい」・・・・はぁ。
「今、ないんですよ」と言うと「そうらしい。関西にも売った」と言った。
「乱獲しないでね」とやんわり言うと「しねえよ」と答え山百合の花びらのお茶は「うまい」ことを教わった。終わった花をティーバックに入れ、お湯を注ぐ。香りがたって甘いという。多分、ハーブティとしても認知されていないはずだ。

やってみよう。もしも、また切花が買えたら。

2004/7/16(fri)
アサガオのこと。

睡眠が乱れている。
早起きをして少し作業をしたいと思っているのだが、やっと起きて水をやって植え替えをしようとすると、猛烈な蚊に攻撃される。
そうこうしているうちに暑さがきて眠くなる。汗だらけになって、諦めると、もう眠れないでそのまま夜中へ。
これがパターンになっているようだ。
仕事をやめて、なんのためにも「早起き」や「残業」をしなくていいし、「嫌な思い」をしなくていいと思ったのはつかの間で、小鳥や植木で自縄自縛にしてしまった。(爆)
我が内なる「秋幸」(!)はひよわだった。
7/14の日記に、志賀直哉のことを書いて以来、昔の人はどうやって蚊から逃れたのだろうと思い始め「蚊帳」「ジョチュウギク」くらいしか浮かばない、自分の無知に驚いている。思えば昔は草ぼうぼうで、虫も蛇もそこいらにいっぱいいたのだ。そんなところで、恋を語ったり・・・・す、すごいねぇ。


わたしは、特別、志賀直哉が好きなのではないけれど「蚊」のために十年以上アサガオを植え続けている実直さはなんとなく好きだ。アサガオくらいで遊んでいる、年寄りというのも感じがいい。

あ、もしかしたら「清兵衛と瓢箪」の瓢箪は、自作の瓢箪からヒントを得たのかもしれない。

2004/7/15(thu)
リサイクル屋のYちゃんは。

前に、カメムシのことで書いた、リサイクル屋のYちゃんはその後、駆け落ちをした。
もと旦那から涙まじりの怒りの捜索電話が来て、彼女はいっぱい過去のある女性だったと知った。わたしは駆け落ちのダシにされていたのだった。
それなのに、実際の彼女は明るくきさくで愛嬌があり、ネットで小道具の売買をしたあとのお礼状なんかも立派なものだった。

彼女はちょっとアン・ルイスに似ていた。
そして彼女のリサイクル屋の客は、断然男性が多かった。
ウィッグをつけかえて、ゴスロリのファッションで彼女は外人客にも人気があった。
お店が終わる頃、わたしは出かけて、リサイクル商品の整理を手伝ったり、彼女とファッション・ショーをやったり、お茶を飲んだりした。


駆け落ちが落ち着いた頃、彼女から電話があってファストフードの店で会った。
元気そうだったが、話の内容は、双子がいるとか、×4とか、信じられない話だった。駆け落ちの相手は、知っているお客さんで、これには驚いた。その人と一緒に食事なんかをしたこともあったからだ。


わたしは、今でも彼女の飼い犬の「ティファニー」や行きつけの「おいしいすし屋」や「金持ちの古着物のお得意さん」や「アメリカのハスケルコレクター」は、どうしたんだろう?と思っている。


結局、騙されていたのだが、実害はさほどなかったし、ちょっとした夢を共有した気分で、そんな人たちやモノがあると思うのは、幸せな気分だった。
彼女の「お話」は、日常とすれすれでとても良かったのだ。
詐欺で騙される男は、こんな気分かもしれない。
つまり彼女こそ「悪女」だと思ったりしているのです。


今日からお祭りです。彼女が露天なんかしてないかしらん?



2004/7/14(wed)
4個も花が咲いた

今朝は早起きをしてしまった。
理由は、朝顔を見るためとしておく。(笑)朝でないと朝顔の花は見られない。子供の時は早起きしてたんだなぁ。
夕方から仕事の人が見られるのは、オシロイバナとかマツヨイグサなので、朝、夕見られる花が違うというのはすごいことだ。


三件分の朝顔の写真を見て、一番上品な印象だったのは、青い朝顔だった。家のは思ったとおりなのに、大きさで見劣りがした。これから咲く株もあるから、そちらに期待しよう。志賀直哉は民間療法のために、朝顔を植え続け、蚊に刺された時などに使ったという。ヨモギなんかも、そういう効果があるのだそうだ。


それともうひとつ良かったのは、一株だけの家の「オオボウシバナ」に4個も花が咲いたことだった。つゆくさの仲間だが、花が4cmもある。古い改良種だが、バランスもよく、改良に節度があると思える。
疲れて、結構来てますんで、また明日。

みずからを思いいださむ朝涼し かたつむり暗き緑に泳ぐ
                     山中 知恵子

2004/7/13(tue)
父帰る (爆

とうとう退院した。といっても短期入院ではあった。
実は通院しているうちから、父が頑固なこと。病院から逃げ出すかも知れないとか、周囲を見て気落ちするかもしれないなど、母は情報を医師に与えていたらしい。
父は、頑固だし威張っていたし、俗に言う「ええかっこしい」だから、初入院の時、わたしの顔を見て、いきなり泣きじゃくった時は本当に驚いた。わたしは初めて父の涙をみたのだった。

今回は三度目、さすがに抑えているようにみえるが、脳梗塞なんて感情失禁の病気だから、泣こうと怒ろうと仕方がない。


そんなこんなで、うがった言い方をすれば病院がわは「やっかい」だから早く家に戻そう、と思ったかもしれない。
最近の病院は、長くは入院させない。日帰りのオペもあるけど。昔の生命保険には、3日から一週間は、入院給付金の免責がある。実はここの数日が、桶狭間だったりするのだ。父には訪問看護が利用できるということもあるかも、知れない。


退院の手続きをするとき、病床で母が迎えに来るのを待ちながら父は「♪待てど、暮らせど、来ぬ人を♪」と歌っていて、母の顔を見た時「唄の意味がわかったよ」と笑って言ったのだそうだ。母は、この話を三回もした。



階下で、寝ているふたりも、セナも、今日はほんとうにみんなぐったりした。父は食事も通常に戻ったし、入浴もした。細くなった肩に子としてはちょっと切ないながら、ほっとして、梅雨明けのこの日を過ごしたのでした。

2004/7/12(mon)
イチ、ニー、サン

だだを捏ねて、軍隊のときのようにイチ、ニー、サン、と足踏みをして父は病院に戻った。
そういえば面会に行ったわたしが、帰る時には「敬礼」をする。退行をしているというより、多分そういう比喩で耐えているのだ。
入院当日は「耐えがたきを耐え・・・・・」と泣きそうな顔で言った。


わたしは、それから投票に行った。行く前に「投票に行った?」と友人に聞いた。早いうちに行ったよ」そっか。少し涼しくなって、カメラを持った。
父が事前投票をし、家は棄権者は誰もいなくなった。そしてみんなが、コイズミに怒っている。
会場は卒業した小学校だ。出ると白いホウセンカが、並んで咲いているのが見えた。夏の白は綺麗だ。いつもと違う道を帰ろう。何年も通っていない道より、更に新しい道を選んだ。閑静な住宅地の太陽に、セミの声が聞こえないほうが不思議なくらいだ。


気がつくと、家の墓のある寺の前に出た。以前は漱石の夢十夜にでてくるような寺で、怖かった。若かった父母は、寺で「絶対に転んではいけない」とわたしに言い聞かせた。それがマンションにぐるりを囲まれた。
墓場が晒されて、死んでいるみたいな感じだ。
ここまで来たのだから、ちょっと入ってみた。線香を買い忘れた。花もない。でも墓参りをする。わたしは三年に二回くらい、わけもなく墓にくるようになっている。へんだなー。

2004/7/11(sun)
家のご飯はおいしいね。

「やっぱり、家のご飯はおいしいね。」
そうは言っても残してしまう。でも、満足げに転寝をしている・・・と、セナも一緒に寝てしまう。
父は明日、病院に戻る。


「マジックをする友人」から電話があった。間違ったことを書いてしまったらしいので、いそぎ訂正をしたい。
天皇のマジック観覧のことで、天皇の御簾云々については永六輔が書いていたという。他にマジックを見て、喜んでいる天皇の写真などはマジックの雑誌にあったのだそうだ。
「誰か、そういう関係の人も見てるかも知れないから・・・」どきっとする言葉だ。と、いうワケ<。br>

暑くて外出もせず、選挙に行くのも大変だなぁ、と思っていた。
熱中症は死んじゃうんだなぁ。そんなのでは死にたくない。でもインドでは普通なのかと思ったら、「お宅のおばあちゃんもですか?」「うちもですよ」なんて日本の癌みたいに語られているのかもしれないと、ごろごろしながら思った。

2004/7/10(sat)
父の好きな高校野球

昔、読んだ向田邦子の「父の詫び状」は、どうだったかなあ?
数年前から、そんなことを思うようになった。それは父が肺がんで、すでに積極的な治療が出来ないこと。従って検査もしない、ということになってからじゃないか?。
何度も思い返すのだが、向田邦子の本は図書館の隅にあったくたくたな本しか浮かばず、あれではないと否定する。ついでに岸本加代子は向田の死でチャンスを失ったなあ、とか余計なことまで浮かんでは消え、またあれは、というふうになる。
年をとると記憶は、その引き出しの存在さえ忘れてしまうことがある。だから頭の中はいつも、何かを探している。一人だけでなく同年代の友人と一緒に「あれ?なんだっけ?」と探しているさまは、滑稽でもあるが切実である。


約、三年前に、医者から父が肺がんだということとともに、「あと半年だ」といわれた。この宣告は、辛かったが、本人は脳梗塞を二回も起こしたあとだったから、癌はわたしたちの頭では後回しになった。


経過観察ということになって。呼吸器科の通院もとぎれていた。影は大きくはなっていないと、一年目には言われ、自覚症状はなにもなく、半年どころかすでに二年たった。「藪医者でよかったね」なんて最近は言っていた。



神様は少しだけイジワルだと、癌で亡くなった上司が言っていた。
それは、本当かも知れない。彼女の手術も一旦は成功したかに見えた。が骨転移をした。父も予想される転移は、脊髄、脳、肝臓だといわれた。一般に肺がんは苦しむという。それは聞かなかったが、モルヒネも含めてどんどん出す。往診の体制もある。畳の上でというのが、主治医の意図であった。「苦しまずに・・・」とわたしは言った。それ以上何が言えただろう。



先日手品の友人に「ぺこが一番親不孝みたいだから、大事にしてやってください」といわれた。なにか、とてもありがたくやさしい言葉だった。

そういえば、父の好きな高校野球が始まる。近くで試合があれば、炎天下にひとり野球を見に行くような人で・・・・。

2004/7/9(fri)
水島さんの山之口獏賞の受賞のお祝いとともに。


水島英巳さん。
山之口獏賞の受賞、おめでとうございます。山之口獏は高校生の時読んで、大学で読んで忘れてしまった。(爆)本棚をひっくり返します。でも、わたしは、水島さんのファンであります。




マジックをする友人



マジックをする友人と、電話で話した。年を取っていくと、付き合いの長い友人ができるが、それも少ない。みんな地方に帰って、活躍してたり(ゑ!)する。
さしあたってT氏は、わたしには大切な友人で、出身が千葉だ。横浜なんかにもいたけれど、今はなんとなく近くに住んでいる。


彼はマージャンもやるが、マジシャンでもある。
学生の時、紀伊国屋ホールで公演し「C大にT氏あり」と関西まで噂がたったくらいなのだ。
学生時代は、母に見せてもらったこともある。感動して、母はとんかつをご馳走した。(爆)



先日、久しぶりに「マジック」の、面白い話を聞いた。
彼が、大学の奇術クラブで「奇術雑誌」を見ていたら、歴代の天皇がマジックを見た時のことが記事になっていた。
それによると、




明治天皇は御簾ごし。
大正天皇は御簾がない。
昭和天皇は直に見たという。
さらに、左右の手のどちらに入っているか?というようなマジックでは、天皇は「答えない」のだそうだ。
天皇は判断しない・・・・というのがその理由だったそうだ。
ふーん。
そんな、雑誌の存在すら知らないわたしは、悔しいような気になって、どさくさにまぎれて大正天皇アホ説の出所は、プロレタリア文学の「金魚」と言う小説からだと言った。
小説は、読んでいないが「座談会 明治・大正文学史」のようなものに出ていた。それはともあれ。
今日「あ!」と思ったのは、明治天皇の漢方の診察は、手首に糸をつないで脈を取るという話があって、昔、それを漢方医から聞いていたのを思い出したからだ。
もしかすると、マジックも診察も同じだったのかもしれないね。



*いっぱいあったこと。日記に書こうと思っていますが、小出しにします。今日は久しぶりにベッドに寝ます。
明日は父の外泊です。

2004/7/8(thu)
ペーパームーン

誰でも気に入って、何度も見る映画はあるだろうが、モノクロというのは多いだろうか?あったとしたら、幸福な体験をしたと言われるかもしれない。
映画はアメリカ映画しかもディズニー、わたしはそんな風に育った。青い色の象、ダンボが好きで、スカートを作って貰い、TVも映画もディズニーを見た。



大学になると、結構モノクロを見たかもしれない。当時はいい映画館があった。
わたしにとって特別だったもののひとつは「ペーパームーン」だった。あの軽妙な親子の「ペーパームーン」のテーマソングは、えも言われず、出だしくらいは覚えた。覚えるとノリがイイので何かのときに、口をついて出る。


いったい、わたしは父の病状で、こんなことを思い出すのか?
たったひとつ言いたいのは、もしも役者がライアン・オニールとテイタム・オニールが親子でなかったら、哀切な筋書きになったに違いないと、わたしは思う。

2004/7/7(wed)
まずは一息だ。

病院の母から電話が、あった。
肺の穴を塞いだ。樹脂をいれたらしい。順調に行けば、父は来週退院だという。やった!
まずは一息だ。
これからドクターと、予後の相談をしないといけない。母とわたしの都合が会わない。母はバトンを渡してくれない。後日聞きに行くしかないな・・・「大連旅行」の予算をたてよう。9月までなら、予算はでるそうだ。

2004/7/6(tue)
選挙

今日は、植木用品を買って病院に行く。
父のいる部屋は戦争経験者の部屋で、父だけが動ける。

戦争経験者同士の符丁のようなものを感じるが、生き残って運のイイヤツも病院で「投票」はできることになった。父は父の怒り。母は母の怒り。



カラオケ最終戦。

また、荷物を搬送する必要ができた。
そしてカラオケも、わたしが4連勝で全部支払い、財布が泣きそうです。(笑)
そんなことをぼやいたら、ぺこちゃん退職金あるじゃん。(ぶちっ*)
5回目は勝ちたいと言うから・・・・(実は半ば当てにしないで)今回は、父の見舞いに連れて行くことを条件にした。
件のカラオケ教師は最近なかなか、好調のように思う。休職期間がのびたからではないだろうか。
カラオケの合間に、彼は自分の書いた評論ようなものを読む。これは前回からの交換条件。わたしは、これを読まれるのが不快だ。
今日も柄谷や吉本、サルトルやバタイユやヘーゲル、ドルーズ・・・・・いっぱい出てきて最後に「ニーチェだ!」と彼は言った。(ぶちっ*)
「へえ、ニーチェ読んだんだ?」
「解説書を・・・」
「ぺこちゃん、何で吉本なんていうの?」
「言ってないよ。もう読まないし・・」
「あのね、吉本は終わってるんだよ」
「へ?」
「構造主義でポストモダンなんだ。」
「あのさ、この人よりこの人がすごい。みたいなの嫌いなんだよ。読んでもいない人を引き合いに出しても判らないよ」
顔色が変わった。「全否定するのか。ぺこちゃんとは、こういう話ができると思ったのに」「わたし馬鹿ですから」・・・・。


「しばらく、会わない方がいいね。」そう、遅れてきた田舎の天才は言った。
若いときの思い込みは、怖い。
わたしは5連勝の代金を払った。
(このカラオケ屋はなかなかで、ジャニスのサマー・タイムなんかも入っている。スザンヌ・ヴェガも)



父の見舞い。

昨日から、食欲が落ち始め、ちょっと気になる咳が出だした。
なんだか、このままではボケるぞ。うむぅ。

2004/7/5(mon)
父の誕生日

本日は父の誕生日。
退院時の服など、一応考えたけれど競馬資金にしました。
一番喜びそうだから(爆)

おやじ、また馬券買おうね。

昨日から植え替えをしていて、ぼーっとしてたり。
空梅雨のこの暑さはきつい。

ちょっとタグ実験!!

お誕生日おめでとう!!

2004/7/4(sun)
ブラ2

考えなしで、地植えにしてしまった「ホザキノナナカマド」「ヒカンザクラ」を鉢に移した。とても残酷なことだと思う。踏まれてるのも辛いだろうが、鉢のなかも辛い。

このまま夏かも知れない。
ヤマユリに出会えた年は、変な言い方だが「自分」がとぎれず明日という時間に渡っていけるゆける気がする。

深夜のクラッシック番組で、少し息を抜きました。でも、なんで深夜なのだ。
クルト・マズアも年をとりました。

2004/7/3(sat)
やはり、動転している。

母は、やらなきゃいけないことがいっぱいあって、ヒステリック。わたしも、弟にあたってしまった。

今日は父の病院から開放されて、病院、歯科へ行く。
手のかかる病人じゃないのに、「背中は母が拭く」とか母が新聞を運ぶとか、こういう拘りが随所にあって、わたしは、TVカードや飲み物を買うくらいしかない。
拘りは拘りで尊重したいけど。

植え替えは残っているけど、今日は種を収集。「マツモトセンノウ」「イセナデシコ」。

明日も病院をやすむ。弟が行くので。

訂正

病院→美容院です。

2004/7/2(fri)
目が潤みます。

毎日、父のお見舞いをしていました。不足のシャツやパジャマなど。
本人のお腹には、ビニールのチューブみたいのが刺さっています。そこから「体液」を抜いているのです。
昨日は、レントゲンで残りの、水(体液)を確認したようです。そこでチューブがちゃんと刺さっていないかもしれないということになって、今日どやどやと医者と看護が来ました。三人くらいでチューブを動かして・・・・「あ、いいかもな」と絆創膏の張替えですみました。でも週明けにもう一回精査をして、管を抜き、もう一回刺して抜く。
こう書くと説明できちゃいますが、事態はとんでもないことのようで、癌はあちこちに転移しているということでした。担当医は30代くらい。
病院は卒業した中学校、千葉公園の側なのでとても思い出があります。
余計な検査などしないで、家になるべく居させたい・・・と思っています。



今は本人の自覚と病識がないのが、幸い。
父は、母が来たときや愛犬「セナ」の話では、目が潤みます。

2004/7/1(thu)
ブルーのリボンを付けた家

昨日、今日と病院に行ったり来たり。
とまれ、本日は顔色も良くなり、体液2リットルを出すと、呼吸も楽になったという、食欲+。
5時間くらいくっついていたら、疲れた・・・というか午前中にこまごま動いたのがいけなかった?

セナが寂しがって、ずっと泣いていたと近所から苦情(?!)三匹の犬の里親をしているお宅に、なにかの時はよろしくと頼む。ブルーのリボンを家と一緒に付けた家。
母、疲れがたまっている様子。



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