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ぺこ日記


2004年9月

2004/9/30(thu)
台風がようやくいなくなったよ。

被災地のみなさま。
お見舞い申し上げます。

さて、本日はいやいや通院日。担当医がかわって、タイで許可される薬に、変更していくという第一歩。どういう先生か結構不安でした。変わったのは若い女医さんですが、大分、ひいた感じ。「私たちにできないことって、たくさんあるでしょう?」早くも牽制です。

それはともかく、わたしはこの病院が結構気に入っていて、どこに霊安室があるか、どこにフズリナの化石があるかまでわかっているのです。(えへん)そして混んでいたので2階の、結構開いてることの多い椅子で待つことにしました。実は親の問題を介して、バックドロップをくらい、昨日は泣いていた。
そんなこともあってそこの2階のソファーに座っているうちに横に寝てしまいました。


すると「ダイジョブですか?大丈夫ですか?」と遠くからの声がしました。「ん?」起きたら看護婦さんでした。「ダイジョウブです」といってもしつこく聞かれて・・・・・。なんと、そこはああ、産婦人科の前の椅子でした。ああ。


薬物のいくつかは副作用があります。太るというのもそのひとつ。
インフォームド・コンセントってそんなに確立してないのよん。これは本当に悩みます。


帰りは今年一番の
快晴。久しぶりにやったカラオケの「ひこうき雲」が浮かびました。

2004/9/29(wed)
母の熱がさがりました。

ほっとしました。
気は強いが、もう体はそんなに強くありません。
介護保険とか、考えてもいかなくちゃいけないね。

2004/9/27(mon)
コロッケ、ギョウザ

父の食欲のないのに、コロッケを作ろうということになった。とは言え食べるという保障はない。
食べ切れなかったおかずが、結構たまっているのだ。
とりあえず、ヴィダインゼリーをサプリのように使ってはいる。
喉の詰まる感じ・・・咽喉に転移したのか・・・。

今日は父の好きなコロッケを!

2004/9/26(sun)
突然、涼しい日がきた。

そうなるだろうと思っていたら、やっぱり突然涼しくなった。夜中に気がつくと、毛布を引っ張り出していた。
秋の虫の声が少しだけ聞こえる。

わたしはちょっと親のことを考え、また眠る。家族をひたすら支えてきた父と母のことを、夢に織り込むような眠りだ。これからそういう夢をいっぱい見よう。
できれば一生見ていたい。

2004/9/25(sat)
つりふねそう顛末記

以前、遺伝子の調査で、カタバミ類の採取を依頼されて、学生とごちゃごちゃしたことがあった。
わたしは自分で、調査の時は、手数料や、交通費を「実費」あるいは無料であることをきちんと書くべきだという常識を持っている。
彼に聞いたら誰にも、そういうものは払っていないと書いてきた。調査は厳格さが要求されるのに、恐ろしくバカだ。「みんながいい人」だというのだ。
そして彼がいうのに、つりふねそうの種を要求するのは恐ろしく図図しいという。
とにかく彼の対応はめちゃくちゃで論旨もいい加減で、側にいたら三沢に頼んで、蹴り飛ばしてやりたいような奴だった。気味が悪いほど粘着的だった。ストーカーみたいで本当にぞっとした。
学生はメール開示は犯罪だと、脅してきたがわたしは、悩んだあげく、彼の研究室の指導教官にメールを送った。


そしてわたしは、実に運が良よかった。いい先生だった。以降は友人の薦めもあって、問題をその先生にみんな預けてしまった。返ってきたメールは良心的で、感動した。


しばらくして、「あの先生結果を言ってくるかなー」と写真を撮りながら友人と噂をした。するとまた丁寧なメールが届いた。染色体の調査をしているらしいが、最近は性染色体を持つものがある・・・・・・という。そしてわからないものがあったら、お教えしますと。

2004/9/24(fri)
両親が、倒れた。

両親が、倒れた。
母は風邪かもしれないが高熱で、自律神経失調症のような不定愁訴が続いていた。
父は食の細さで、そうそう歩けなくなった。
犬の散歩もままならない。

父の指示で、家族を招集した。
わたしたち子供も、そっとしていて困ったら助けるように、心の準備をしていた。
だが9月頃に、わたしはタイに行く必要ができた。年末か年始に行って三年の予定が入った。
わたしの介護の期間はとても短くなってしまう。
そんな要素が重なって、二世帯が家に入ることになった。

「わたしのものを全部出せばいいだけね」弟がうなずく。「部屋も、本も明け渡すのね」「・・・・・」


全集をもう読むこともなく、引越しのつど泣き別れた本も、記憶のかなたなのに、ちょっとだけ執着した。
親の命と引き換えに出来るものなんて、子供くらいのもんだろう。


「子供より親が大事と思いたい。」先月つぶやいていた。
「100人乗っても大丈夫」に片付けるしかない。

2004/9/22(wed)
ユリノキ抄

立て続く台風で、北大のポプラ並木も10本以上倒れたらしい。老木になり一時は撤去の噂まであったものだ。
90年だというからすごい。
都内などは東京大空襲で多くの木を失っているから、都心部での老木は稀有だというこということになろう。


近所では今年は、ユリノキが伐採された。
最初、気がつかなかったのだが、去年発見した木だ。惜しむらくは、花の時期を過ぎてさく果になっていた。秋から、春まで何度も見守った。


一体、庭にユリノキを植えるなんていう斬新さは、今では考えられないがユリノキとしか思えない。
無住らしかったので、破れた垣根から入っていった。(犯罪ですね)


すると近所の人が出てきた。管理人だという。
失礼をわびながら、「いい木ですね」とユリの木を褒めると、「え?これ?もう伐るんだよ。こんなのしょうがない。大きくなるばかりさ」
伐採の話を聞こうとも思わなかったので、ふい撃ちをくらった。

もったいないからいろいろ話したが、「伐る」は、決定済みで他の銀杏などもいづれ切るということだったから、ちょっと憎らしくなって、「大切にしてもらった庭ですね。」と嫌味のつもりで言った。


庭から想像すると主はおばあさんだろうと思う。
ミヤコワスレ、ヤマブキ、サンショ、ツツジ、脇にジャガイモ、柵には山茶花、これは男性の庭ではない。


多分、そのおばあさんが弱って施設にいくか、誰かと同居したのだ。
花の並び方も奥は高めの木となっているし、見識のある上品なおばあさんが想像された。
管理人は「いい木なのか」と繰り返す。いい木の意味が高価なのかということだ。値踏みをするように、しつこく「伐る」と脅迫的にいうから、せめて花が咲いてからと言った。管理人は花が咲くのかと聞くから・・・・花の時期を教えた。咲いたって見えないはずだ。こういう目には。
そうして、この春はみごとに咲いた。ああ、伐られていないと思って日をすごした。


数週間たって、梢が見えないので行ってみたら、息子さんらしき人が来て、伐っていった。いわく「ユリノキなんてみんな気がつかないでしょう?」わたしに当たるように言う。60歳のユリノキ(ハンテンボク)は、あんなさわやかな色なのに、いらだった彼は、(わたしの)名前くらいは言えと詰め寄りそうに不機嫌だった。

2004/9/21(tue)
「大発見」だったよ。

ちょっと前の映画で「羊たちの沈黙」というサスペンス映画があった。
女性を殺害しその皮を剥ぐという猟奇事件の、捜査に行き詰まったFBIの女性主人公が、獄中の元精神科医の殺人鬼、ハンニバル・レクターに、会いに行く。
ハンニバルは結局脱獄するのだが、次作目は「ハンニバル・レクター」というタイトルで、公開された。



ストーリはネタばれになるので、ここでは書かないが、一作目の映画に「蛾」が出てくる。映画の中でハンニバルは、アジアに生息し蜂蜜で育てている蛾だと説明する。

この蛾は、胸部が人の顔に見えるため「人面蛾」「骸骨蛾」death's head moth's'と呼ばれるらしい。



ここまで書くと実も蓋も無いけれど、あの蛾の名前がわかったのは今年なのだ。学名はAcherontiastyx cradthisというらしい。ずっと気にしていたものがわかるのは、「大発見」である。
日本名はメンガタスズメ(面形天蛾)と言うそうだ。
「羊たちの沈黙」を書いた、トマス ハリスの面目躍如というか、こういうこだわりを発見するのは楽しい。


どこかで蝶マニアも映画を見ているに違いない。
http://www.biopix.dk/Photo.asp?PhotoId=3479&Text=1

*顔がすっきり出るのは、あまりないような気がする。来年は出会えるかな?

2004/9/20(mon)
順延にした、誕生日。お寿司とケーキ。

子供みたいだけど、二つともそそこそこ美味しいし、値段も・・ぶは。
朝からあまり食欲がなかった父が、ゆっくり食べ始めた。嚥下障害(飲み下し)が、また増えているので、お茶好きがさらに飲むようになってる。母は喜んで食べる。同じく誕生日の弟はこられない。

母は疲れている。それだけは判る。
そして私たちが何かをすると、気疲れするのだ。
その気持ちを考えてわたし達はおろおろする。
母まで倒れないように。

ちょっと泣きそうな誕生会。
それぞれに美味しかったようで、父はお寿司を半分もたべた。

*買ってしまった浅間の土地の、噴火の説明会があるらしい。驚いた。

2004/9/18(sat)
虫の声だけ鏡花三昧に

隠遁をしているので、友達が来ると嬉しい。話すと楽しい。かなり。
そんなところへ、kさんの「うまおい」の写真がきた。二人で「おお、すいっちょだ!」という。
とりあえずネットで音を聞いて、こんな澄んだ音、普通は聞こえないと思った。
kさんの家の周囲は、まだ自然があるんだ。
昔の画などを見ると書かれているのは、「キリギリス」より「ウマオイ」の方が多いかもしれない。
ウマオイの方が風情があるように見える。
スズムシは江戸の昔には神田のあたりで、虫かごをつくり、鈴虫をはじめ、次々秋の虫たちを売るとたいそう人気になったそうで「虫屋」という家業があったそうだ。
みんな耳がさえていたのだ。いくら風流を言って見ても、筧の音すらも気づかないのは、よそ事ではない。


今でも家業途絶えても地下鉄なんかには「鈴虫」がいたりする。江戸の痕跡だと思うと、ちょっと感心したりする。谷中あたりの駅である。
「江戸の音」田中優子氏は個人的にはお勧めだが、図書館には「江戸曼荼羅」みたいなCD付きの重そうな本があってとうとう一回も聞けなかった。
今は虫屋というと、蝶などの昆虫ファンのものとなってしまっている。

とまれ、今日はスト突入のTVニュースを見ました。みんなスト賛成派だが、後始末のきつさなんかを考えていて、私だけがお気楽者のようです。深夜にわたしは古田さんの涙をみて「・・・・」でした。


さて、こんな時間に起きているのは、わたしの睡眠のリズムがおかしいからです。寝るのをあきらめてこの間引っ張り出した、前川佐美雄の句集で「くしゃくしゃの頭を早も撫でつけよこころのうちもくしゃくしゃなれば」なんてのを見つけて、喜んでいます。



またまた、付記

この記事は17日分です。ごめんなさい。
田中優子さん「江戸の想像力」も名著です。
今よりずっと耳の時代だったようです。

2004/9/16(thu)
銃的社会はキレやすい。

目が見えない。全治一週間だといわれました。
左目だけを頼りに早朝の光で、何かを撮ろうとして外に出ました。
「見えない・・」眼帯ってうっとおしいな。
昨日の夜一生懸命、冷やさないからだと、支配型の母が言います。


夜はTV東京で「ボウリング フォー コロンバイン」噂のマイケル・ムーア監督のを見ました。地上波で、これはエライ。
12CHを見直しました。視聴率はこれなら上がってよい。お宝番組ばかりは、ちょっとアレ。
映画は銃社会の告発のような内容。6歳の子供のシューティング、生活保護を打ち切られ、銃弾をつくる会社で働く母親。もろもろ。書ききれない。
でも、ムーア監督と被弾した高校生が、銃の玉を売らないで欲しいとモールに申し込それが、かなったというエピソードが入っている。
社会的な背景は、いろいろあるようだが(全米銃協会とかの動きや、ブッシュが銃の保持を引き続け認めようとしていること、地方の方が所持率が高いなど・・・。
でも、わたしはそろそろ、アメリカのことも問題にしようよと、ムーア監督がが言っている気がしました。


ドキュメンタリーはすごいよね。

2004/9/15(wed)
目病み女

今日は母と弟の誕生日です。
でも、今日はしないで日曜日に変更しました。
祝日じゃなくとも記憶していたというので、予定をしてほしいというと、ふたりとも「うふふ」みたいな顔でした。
母親と息子が、同じ誕生日っていうのは珍しいのでしょうか?
いつも「あら?」と言われます。
昔、同じ誕生日の人と付き合っていて、いつもそのことに違和感を持っていたわたしは、とてもバカだと思いますけど(笑)


今日は出かけなかった、昨日朝起きたら突然「ものもらい」風のものが右目に出来「いえもんさま〜」(お茶じゃない)と言わなくてはいけないような様相になっていました。
昨夜は冷やして寝たが、朝になったら寝相のためか保冷剤はちりぢりになっていました。
寝てても目が冷やせる、ものがあったら結構売れないでしょうか?


2004/9/4(sat)
うーん。観察が足りない。

昨日、撮った写真は情けなかったゾ。
夏が終わったのにぐーたら。
無理してやるこたーないんだけど。

去年に引き続き冬は殆ど何もなくて、真夏になるとインパチエンスでいっぱいになる家に行った。盛り上がるように咲いている。写真はとらない。綺麗綺麗じゃ不満だ。花の先生の家に行く。さすが・・・の花はあったが犬に吼えられた。ここの犬はちと苦手。帰りは線路沿いのカンナやキクイモやセンニンソウ・ヒメリンゴ・へクソカズラ、etc.を見ながら帰った。白い藤が清冽だった。

事件がひとつ。
嫌いだった近所の花屋が、店をたたみそうだ。この家は犬を散歩にも行かせず、すごく臭くしていた。なつっこい犬なのに。それとメキシコ産の2メートルもあるダリアを栽培していたから、もしかしたら枯らすかもしれない。
店はやめても、駅前に4F建ての酒屋もやっているから困りはしない。通販、ホーム・センターの勢いに負けた。そんなことだ。熱心ではなかった。それも理由だと思う。
あ、あたしも最近熱心じゃないかも(爆)

色が・・・・変えます。

真っ黒になっちゃた。

訂正

>白い藤が清冽だった。

これは萩の間違いです。

2004/9/14(tue)
採る喜び。

午前中に、ハツタケを買った「気の良い人」から電話がありました。
「あのー、シシタケって知ってますか。お父さんのような人がこっちでは食べるんですが」
「あ、コウタケの・・・。」「そうです。食べたことありますか?」「あります。」「どうですか?」
「父は食べたことのないものを、食べません。」父の病状を先だって話したばかりだった。親切な人だ。
コウタケもハツタケと同じく、松の木のそばを好み味は少し落ちる。
この二種類の植生で、家の山が見えるような気持ちになってしまった。
癌はキノコと縁があるようで、アガリクスからサルノコシカケまで、一応の薬効があるものもあるらしい。
しかし父はやはりハツタケを待っているので、ハツタケ希望で、電話を切った。「急いで採らなくちゃナ」と言う声が耳に残った。


きのこはあまり判らないのだが、園芸学部の学生ときのこ採りを何回かした。雑多なきのこを食べて思ったことは、「栽培きのこはおいしい」という事だった。
それでも、きのこ鍋は出汁がいっぱいで、初めてだからとっても感動したけど。
採る喜びはもとより言うことはないが。


2004/9/13(mon)
長い付き合いの友人

_| ̄|〇、今三歩目です。(爆)


先週はすごくばたばたした週でした。
父のお薬問題なんかがあったからかな?
換金してもらいたいような薬の山でした。


以前の富山大の学生さんには、「趣味の園芸」をバカにするな。真摯になりなさいというメールをで一喝。牧野先生だってキャリアじゃなかったんだから。


それでもういいかあと、ほのぼのして、「さあっ、日記だ」そう思ったんですが、季節はいきなりやってきて、オミナエシをとおり越し、ヒガンバナやハギや、そんなものがわいわい状態。
鑑定するのもあって、いまは宿題のようになっています。ダメージは左後頭部打撲・・・くらいです。でも、日記を書くのがいやで、他のHPに書き込みしてたら結構、楽しいHPがありました。なんでよそのHPには書き込みできるのか?これはすごく謎ですが



昨日、1年ぶりみたいに富山に住む友人から電話がありました。この人は例の結婚を認めてもらうのに」「ご汁」を飲んだ人で、昨日はお酒を飲んでいたと思う。(爆)
本当にここしばらくは連絡もなく、ちょっと寂しい感じだった。だから、声を聞いたらもう嬉しくて、仲のいい別の友人にメールを送った。
彼が、やぎさん郵便でも連絡はとろうと言っていたと。
すると今朝メールがきた。
やぎさんよりも早く。
どちらも、ここからは遠いから、ネットが活躍するというわけ。嬉しいネットだ。
わたしは、じつに単純な人間である。
長い付き合いの友人は、もうできないなどを思うのだ。

*ご汁報告、富山にもあった。検索で千葉にもあった。


2004/9/12(sun)
夏ばてだぞ・・・・。

寝てばかり、水分は取るけど夏ばて。

2004/9/7(tue)
情熱的茸ご飯

「ごめーんください。ごめんください。ペリカン便ですが・・・。」
昨晩遅かったので、うつらうつらしていて起きた。ぼうっとした頭で「ハツタケだ!」と思った。
8月中に注文しといたハツタケを送ったと昨日、電話で知らせてくれた。この人は大分気のいい人みたいでメールのあと、必ず電話が来る。メールを送ったから、写真を見てくれ!と最初はヤマユリの写真をおくってくれた。よよとばかりの立派なヤマユリで驚いた。「うちの山のです。」「食べるとおいしいんだ〜」「ぅ」。わたしは、百合金団は食べたことがない。しかし、たしかに肉声のほうが、説得力がある。(爆)


さて件のハツタケだが、おそろしく丁寧に梱包されてきた。父が採りに行っても、帰ってくるまでに傷から「ロクショウ」というものがでて、青くなるのがこのきのこの最も大きな特徴だが、葉にくるんでいたので傷が少ない。先月これを頼もうか?と言った時、父は「なつかしいなー」と言った。10年以上採っていたから、子供にとっても恒例で父は、「仕事を早めに切り上げちゃった」こともあるそうだ。
きのこを持って帰ると、廊下にならべる。ひとつひとつ綺麗に、とても貴重だと言わんばかりに。本当に日本人はきのこ好きだ。
そういうわけで家の「きのこご飯」はハツタケゴハンから始まった。そして、みんながきのこご飯が好き。


満足した頃電話がきた。お礼のメールは出したのに。
お酒飲んでないかな〜。何度か思った。

続・ハツタケ

初めに食べられるきのこ・・くらいの意味でハツタケだが、おじさんは薀蓄ながいなー。

2004/9/10(fri)
母の涙・わたしのギモンσ(^^;)

ちょっと出架にサンドイッチを買って、「もう帰るよ」と電話した。母が電話の中で泣いている。
急いで帰った。
咳止めの薬がないという。出ていることになっていたがない。主治医に電話をしたが、連絡はとれない。
父は忘れていたらしい。「なるべく自分で」というのが仇になった。
でも、父は「この薬は苦いからな・・・」とのこしている。
母は思いつめてすぐ頭の中がいっぱいになる。

こんなふうでも二人でやれるうちは二人で・・・・と、時々夫婦のいい姿を見つつ、後始末のおいらはなんなの?と思う日でした。
病名を知らないと知ってるのとでは、逼迫感がこんなに違います。

2004/9/6(mon)
今日は、書けない。眠いから

オリンピックの時の日の丸がいやだった。やっと終わったら災害のニュース。
アメリカからの手紙。明日書きます。

女性も男も、辛いんだ。

もう、十数年になる付き合いの、アメリカ人の友人からメールが来た。「華氏9・11を見てねー。」という要旨だった。
わたしは英語ができない。でも、彼女がセカンド・ハネムーンで日本に来た時も、言葉は「通じていた。」俳優学校から身に着けた(と思う)特異な才能が彼女にあって、通じたのだとおもう。それは多分言葉のキーを落とす、みたいなことだろう。とにかく、その時の来日で彼女の、シングル・マザー時代は終わった。セカンド・マリッジだったから。


その後、もう一度彼女は来た。NHKの仕事だったと思う。
それは丁度、母の癌の時だったので宿泊は、遠慮してもらったが、台風とともに彼女は来たのだった。そして、その翌日が9・11だった。
ご主人はNYCに残ってる。わたしは、慌ててチャットに入った。チャットはひどかった。何の助けにもならなかった。
そして、今は父が癌。
英文が殆どかけないので無理に友人に、メールを書いてもらって映画は「いくよ。絶対に」と約束して見に行った。


帰ってきて、7行ぐらいのメールを送った。すぐに返事がきた。反ブッシュで頑張っているけど、ブッシュの再選が怖いと思っている。


これまで、時々のメールと電話で、なんでこんなにも気が会っちゃうんだろう。不思議だけれど初めて会った時から、気があったのだ。人は何を媒介(言葉ではない)にするかで変わって行く。例えば反中絶法案がひどいと思うという態度など。わたしと彼女は同類だったのだ。


下駄はアメリカでは違法じゃないからと、NYCを下駄で走る。ガイジン。(爆)



ところで、アメリカに行った友人は、みんなアメリカは楽だと言う。わたしもそう思う。日本は、楽でない何かがいっぱいあるのだ。女性には。あ、男もかな。

2004/9/3(fri)
歩きすぎたみたいだ。

9月の声を聞くとほっとする。
ほっとして、またカメラを持った。暑いので、また保冷剤を首にまいた。帽子をかぶるともう(爆)

アサガオは咲いていても実ができはじめ、実といえばそこここに秋の実の準備が見える。
昨日、寝る前に「?」と思った。トケイソウをアップしていて、実は見たことないなーと思った。
パッション・フルーツに似てるのかなー。それを確かめるために、近くの家のは切られたので、思いきっていつもより遠くに出た。うはは、トケイソウの実はあった。運良くでくわすのが、不思議だ。
実3cmくらいで、楕円形で白っぽい。「ふーん。初めてだ」ちょっとふかふかしている。明日ナイフで切ってみようと思った。



最近、人ははいくつになっても初めてのことって多いんだと思う。
セネカではないが、何もしないでいるのには長い、何ごとかをするのには短い「人生」がなんとなく、迫ってくる感じだ。
父や、母の生きかたがなんとなく見えてしまう感じがするからか。(晩夏にこんな寂しい話題は、やめよう。)


さてさて、今日は宮沢賢治のコンサートだった。今まで、林光、こんにゃく座で聞いたものはあるが、大菩薩峠の歌やらロックンロールやカノンやハチャトウリアン風の賢治は、初めてだ。
会社では聞くなと書いたので、会社の帰りに友人が聞きに来たのだ。かなり笑ったというと失礼かもしれないが、盛り上がって宗教の話になり、千葉の誕生寺は日蓮が生まれたところなのになぜ日蓮宗かなんてギモンが解けた。そしてクワガタの寿命が3年で、カブトムシは1年。そういうことを、今更のように聞く。セミのことしか言わないのは、浅学な証拠だ(笑)
ああ、ちょっと疲れたな。歩きすぎたみたいだ。

2004/9/2(thu)
厚子さん。おはよう!! 

厚子さん。
最近、家で人気の低温殺菌牛乳の、名前だ。「厚子さん」はおいしい。「なくなると厚子さんは?」とやりだす。アイスコーヒーのミルクはかならず厚子さんだ。


さて、昨日は病院にも行き主治医がかわると聞いて、懸案をかかえるわたしはしばらく、挫けていた。食べに行こうと行った○世のロブスターはまずく、それもしばらく胸につかえていた。そんな思いをして帰ってきたところに、学生からのメールがきていた。「ツリフネソウですが、先日植物研究者の集まりに参加した際に聞いてみましたが、やはり、先に述べたように、県内の分布は山間部に限られ、そのほかの分布は確認されていないとのことでした。そして、趣味目的の採集にはこれ以上協力できませんのでご了承ください。まずはこんなことよりも、末期ガンの患者さんのことだけを考えた方が賢明と思います。種子は手元に届き次第、連絡、郵送致します。」これ以上って一回も採取してないじゃん。わたしが、あなたのためにムラサキカタバミを採取したのだ。ああ、もうどこの学会だ?
それから富山県の例規集を、昨日は見た。探してみたが見つけられなかった。学問を語るならその、根拠をいうべきだ。誰さんが言ったから・・・・というのはいけない。学問をしているなら、根拠規定までちゃんと書くべきだ。田中康夫知事だってちゃんと書いてきたぞ。しかも、「趣味の園芸をしているのではありません」と趣味の人をこきおろしている。そしてあげく末期がんの父親のことを、見てやれと、ぶちっ。ぶちっ。
わたしの学生時代の友人や、院にのこった人、果ては教授になっている人までざっと思い出し、こんなやついないと思った。
いったい「趣味の園芸」のどこが悪いのか?大学生のどこが偉いのか?。答えてもらいたい。」以上。


さて朗報として、これも言っておきたい。東京精神医療人権センター・東京地業研なるものがある。わたしは小娘の時から(爆)応援している人たちだ。ここは広く、精神病の患者さん達の不当な隔離、梗塞をなくすべく運動してきた。そこでの第二回病院訪問調査が始まるのだ。
わたしは、調査にはいけないが、数十年にわたって医療の現場を見ながら、こういう調査をしているところはないと思っている。そしてこの結果が患者さんにとっての、病院選択の指標になる。医者、患者、看護師、PSW、弁護士彼らが手弁当で調査をする。わたしは、こういう優しい人々の中にもいて、世間を見ているのだ。
珍しく硬いページでございます。



じゃ、厚子さん。おはよう!! 


梗塞→拘束

いつもすみません。

精神医療に興味のある方へ。

HPがあります。
http://www.arinomama.net

2004/9/1(wed)
いひひ、9月だ!

子供だったら、最悪の日9月1日。大人でも防災の日。か・・・。



小学校の時、父に買ってもらった漱石に「二百十日」という作品があったと思う。
もとより台風のことなのだが、内容は阿蘇山に登る落語風な小説だった。
落語風から入ったのが、いけなかったのかも知れない。わたしは、同時に「文鳥」とか小学生にはおよそ向かない本を読んでいたのだ。なにしろ文庫本万歳!だったのだ。文庫本は大人のしるしぃ。いぇぃ!
「猫」は父が好きだった。なかの渾名を取って、二人で内緒の会話をする、それはふたりの中ではブームになった。


そんなことはどこでもあるのかも知れない。Kちゃんの家では「大菩薩峠」を三代に渡って読んだそうで、家でばあちゃんも「あれ!○○みたいなことを言わないでおくれ!」なんて言っていたそうだ。このインテリの京都にいる婆ちゃんは、ホントにケチだったよ。徒然草どおりだ、彼女は言い切った。わたしは徒然草を読んでてよかったと、ひそかに思った。
大菩薩峠はわたしは読み通せず、ものすごーい家だな。と思ったが。

少しだけ読みかかった大菩薩峠は、三田村 鳶魚 が愛情をもって文句を言っていた。
ちょっとだけしか読んでいないけど。

とにかく中里介山は、立派な人だったらしい。
大菩薩峠も大逆事件に怒って書いたらしい。
この頃の時代の人々の歴史は、面白いそうだけど、わたしは詳しくない。
こんなことを書いたのは羽村で生まれたこの人に憧れた、宮沢賢治が「大菩薩峠」の歌をつくっているからだ。

http://www.ihatov.cc/song/bosatsu.htm
なまで聞いたことはないけど、今日はたまたま発見!!

賢治は又三郎を二百十日くらいから始めてる。台風のお題二台。と無理にまとめました。


付記

会社で「歌」は開かないように・・。



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