歩行に関する仮説的なノート 一九七〇〜一九七一 目次前頁(歩行に関する仮説的なノート 一九七〇〜一九七一 目次) 次頁(第一のノート(歩行への限定))
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 風景……。すなわち自身が措かれた場、その色調、形姿、光り、匂い、音響、それらが無制限に、全く任意の方向へと拡がりもはやおのれ自体ではいられなくなるような、ある極めて個性的な〈総体〉……風景は、受感されたその場その時に通常〈感興〉(サンサシオン)と称せられるところのある種の像をむすぶものではないだろう。時差。というよりも、より包括的な構造であらわれるような単なる異差の、単なる普遍性があるだけだ。風景……。だが、かかることがらの細密な透視図を引くのは止めにしよう。わたしはそのとき、そこに、そのようにあった……のみだ。

 対象はつねにわたしから滑りゆく、時間としても、空間としても、いなその全体。そして心象とはわたしから最も唐突に滑りゆくある特殊なものそのものを謂う。たとえばいまはげしい寒色系の心象が不意に、握られた果実の截面のようにしたたる。それがすなわちそのまま〈あの時〉にほかならず、他のかたちでは存しようがないことに、ただしく対象の対象である所以がある。過去も現在も、触れることのできない堅固な虚数のごときもの……わたしは解くことも不可能ならば受感することもかなわぬ一定の不能さのただなかに措かれていた。かくてわたしは夕暮から夜にわたる時刻を不思議な熱意に駈られながら歩んだのであった。


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