入院記1
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入院記1



2002年
1月25日(金)
診断
腺ガン 原発・直径4cm
    リンパ・直径5cm
    3期aの肺ガン
2か月入院 治療→外科へ 全部で3か月


1月28日(月)
10:30入院
血圧134−104 体温36.7度C 採血(5本?)
昼食/五目飯 夕食/ウナギ蒲焼き 18:30過ぎ由利帰る。
梁医師より喫煙許可 金2360円
治療の具合にもよるが、外泊・外出は可か。1階の食堂、夜のガラス窓に室内の壁が映って、終わらない黄昏のように見える。そこで3度、由利の食事とお茶に付き合う。今夜、酒なしで眠れるかやや不安。睡眠導入剤を増やしたくはないが……。


1月29日(火)快晴
6:00、起床の「妙なる音楽」で目が覚める。おおむね眠れたよう。5階のヤニ場(喫煙室)で一服、病室に帰るといつのまにか眠ってしまう。アケビの花とアケビの実の夢。朝食は高野豆腐の含め煮と味付け海苔、サラダ、エノキの味噌汁。洗面所の水栓が自動式なので使いにくいことおびただしい。デイルームで。快晴の空の西に富士山が見える。
血圧152−98 体温37.1度C 心電図は午後。

 梅屋敷
きさらぎに来向ふ光あはくしてこの街の西に不二のみね見ゆ
この棟にやさしき檻は張られゐぬ囚はれたりと思ふことなく
やがて来る治療のむごさ思ふなくまたおだしくも時は流るゝ

午後、放射線治療について、さまざま。明後日から始まるらしい。若い看護婦(カヤノという)が来て「診断を聞いてどうでしたか」等問いながら鼻をすする。あまり良い気分ではない。……放射線病棟に行ったが。巨大な施設、ダス・シュロスという感じ。

涙声の若きナースより目を逸らす生に倦みたる人のごとくに
 山口瞳「行きつけの店」読後
粋人をつひに知りえず葉月行く山口瞳は死にゝけるかな

昼食/ハンバーガー、チーズサンド、牛乳、オレンジ。

 午後五時の街に流れる音楽
入相の歌は流れてこの房(へや)はつひにとゞまる旅舎ならなくに
しかすがに家帰りたき時を堪へ帰らばさらにいづち還らむ

夕食/金目鯛塩焼き、ナマス、カボチャ煮付け、トウモロコシ、清し汁にはユバ。ナマス、カボチャは苦手だが、平らげる。食後、放射線病棟で知り合ったカコガワ氏(60歳)と話す。治療の詳細を聞くことができる。

どことなくましらめきたる眼光のこの老にして死にゆらぎたり
吾の年を四十八とは聞きて言ふまだ若きかなまだ早きかな
 蕪村書簡集
夜半亭読めばつねある愚老無為京師の春はうたた明るく


1月30日(水)快晴
6:00起床、採血。朝食/キャベツとハムのソテー、煮豆、フリカケ、モヤシの味噌汁、バナナ。煮豆は残す。昼食キャンセル。

ひむがしに窓ひらけたる病棟は日の出の色に濡れにけるかも
ボルヴィック家居のをりと変はるなく間なく時なくわれをうるほす
けざやかに今日の朝刊披くかな朝影深き喫茶室にて

血圧150−102 体温36.8度C

治療方針
抗ガン剤2クール、コバルト20回。
腫瘍50%以下→手術
無変化→コバルト追加
増悪→抗ガン剤+コバルト
明日(1/31)コバルト(9:30)
        抗ガン剤点滴(2種)4時間
明後日(2/1)コバルト
        点滴追加処置
        患部生検(胸に針を刺すそうな)

外泊できるかどうか、微妙。酒、よろしとのこと。
夕食/白身魚マリネ、豚汁、おひたし。特に記ス事アラズ。

1月31日(土)快晴
6:00起床。比較的よく眠れたようだ。デイルームの窓からまた富士山が見えている。ヤニ場ののち、熱いお茶2杯。朝食/ロール(コッペ?)パン、サラダ(マヨネーズ)、チーズ2粒、ジャム。牛乳。しようがないからジャムをつけてパンを食う。
蕪村書簡「篝してくらき鵜飼がうしろかな」註・謡曲「鵜飼」中「不思議やな、篝火の燃えても影の暗くなるは」。句は士喬とある。

快晴のひかりつづきていましわれにコバルト照射は始まらむとする

9:30、コバルト照射第1回終る。

血圧162−102 体温36.8度C

10:30、抗ガン剤点滴開始。3時間で終了予定。

 抗ガン剤点滴
手首より薬液徐々に入りしかばいかなる機序の動かむとする

とまれ治療は現実に始まった。20:20現在、未だ体調に変化なし。ただし、明日以降のことはわからない。吐き気止めを(特効薬といえるもの)をもらっているのが多少気休めになるが。
晩、タバコを吸っているかと、デイルームで問われ、諾、と答えるとみなさんの強力なヒンシュクを買う。ただし、多分に情緒的な。「コレハ私ノ生キ方ダカラ止メマセン」と宣言する。個人的な哲学には立ち入ってほしくない。嘘も(この狭い世界では)つきとおせないので、こう答えたが、あまり面白い場面ではなかった。生きること、治療をするのは(治療することは同じでも)、あなたがたではない。主治医にだって、治療上の断煙(一生吸わないこと)なら従うが、その哲学まで押しつけられるのはごめんである。
曙光。土曜日のレントゲンに異状がなければ、外泊可能とのこと。

日野さん来る。三人で夕食。持ちたきものはげに、ものくるる友、クスシ。レントゲン写真を見てもらって、お見舞いまでもらってしまった。曰く、教科書に出てくるような肺癌だと。


2月1日(金)晴れ
5:00起床。寝ていられないのでしようがない。点灯までテレビをつけて眺める。6:00、ヤニ場。帰ってデイルームで熱い茶。カーテンを開け東の空が徐々に明けてゆくのを見ている。6:30、採血2本。ナースはヘタッピー、卓の上に血を零す。

 きさらぎ朔
病棟の窓ゆ東を眺むれば春はあけぼのきさらぎの空

コバルト照射2回目終了(ウラ側カラ)。15:30の経皮生検まで何もナシ。由利が来るのは16:00頃。

同室の老は寝間着をたくしあげ蛇腹のごとき傷を見せしも
同室の老は毒言つのりつつ昼はうつつに鼾かきける

血圧158−108 体温36.7度C

朝食/納豆、一夜漬、玉葱の味噌汁。
昼食/パン、クリームシチュー他。
夕食/キャンセル。下階のレストランにて(予定)。

 経皮生検を待ちながら・狂歌 東邦・梁先生
あづまがたわが国手なる梁医師は胸のうつばりはやとらせたまへ
俎板の鯉めきて見るさうじみに麻酔霊験あらたかにあれ

必要なもの
薬(東邦病院・清和病院・中村医院)
ノート・辞書(電子)・文房具
(仕事用)メガネ・下着・靴下


2月2日(土)晴れ
眠剤を多めにとったので朝までぐっすりと眠れる。起床7:30か。レントゲンの結果で外泊許可か否かがこれから決まる。

血圧114−74 体温37.0度C

外泊許可される。


2月4日(月)曇りのち晴れ
外泊より帰る(「帰る」といういい方はあまりしたくないが)。案外疲れていない。

外泊にあくがれいづるこころかなまた旅舎に魂を横たへるべく

採血結果:骨髄の造血能力が少し落ちているとのこと。白血球はむしろ増加に転じている。

昼食/ホウレンソウパン、サラダ、チキンソテー、味うすし。

血圧124−70 体温37.3度C

この先に治療のつらさ来ることを医師は閑かなる病室で告ぐ
抗ガンの薬を入れし五日へて造血作用やや落つと聞く
たっぷりと抗ガン剤は入ると聞くわが体格のうたてきか否か
心身のやや異和なるを覚ゆらむ投与ののちの五日へぬれば
 19:00由利帰る
夕されば家路をたどる吾妹子の闇路の姿まなかひにたつ
家にあればひたにうれしき吾妹子とえにはしきやしをりもありしを

夕食/炊き込み御飯、揚げ出し豆腐、貝の味噌汁、キュウリ、ワカメ。

身内の怯懦の魂に眼をこらすガン病棟に週をへぬれば
高くもつこころさすがに萎えるをりさねさし相模の海見たきかな
つひに還る否かへるには早きとぞ見えぬいさかひのゆかしくもある


2月5日(火)曇り
5:45起床。割合よく眠れたようだ。夜中に(起きて)長大な小水。東の空が朝焼けしている。天気は下降気味とのこと。

うまいして針のごときを覚ゆらむやや悪夢とはいはばいふべく

朝食/キンピラ、海苔、大根おろしにシラス少し、アゲとワカメとニラの味噌汁。

9:30、コバルト照射の後、放射線科の診察あり。とくに記すことはないが、影響は、照射開始後、2週間くらいで現れるそう。

血圧138−84 体温37.1度C 体重66.45kg

14:00由利帰る。15:00、やや疲労感出来か。早川氏、清水鱗造、竹本氏などから電話ありとのこと。見舞いたいと。いずれにせよ、来週以降になるだろう。奥田研修医の診察、未だなし。彼の顔、ちょっとカフカに似ている。
入院生活は、当然束縛は種々に存在するが、それほどの息苦しさは感じないように工夫されている。ほぼ20年前の、あの精神病院での生活とは雲泥である。もっとも、死に至る病の者を、ああも苛酷にもてなすはずもないか。
昼食のあと、由利と下のレストランでコーヒーとチーズケーキをとったが、しみじみとうまい。酒に希望が持てなくなってきているのだろうか?

 窓外
午後にして街は奇体な光さし雨降りだしぬと見舞客言へり
コバルトを朝照射せばひと日をはる後はすなはち仮死をふるまふ
体温はやや高くしてうつうつとひと日はゆかば楽しくをあらな
倦怠はやがてあらはれ身のうちにコバルト深くとどきけるかな
友くればいかにこころのうれしからむさはれこの世のいかに愛しからむ

梁医師の診察あり。16:00ごろ。このまま大丈夫なのではないか、と。それにしても彼はいつも、どうしてあんなに嬉しそうな顔をしているのだろう?
17:00少し前、高島俊男「漢字と日本人」読了。

いつとなくぬばたまの夜近づけば安ら家居をしのに思ほゆ
家にあらば壁に背もたれあふむきて思はむことを思ひつくさむ
家にあらば吾妹子のけはひしるくしていかにほだしの愛(を)しくありけむ
われと妻の手馴れの家具にかこまれて雨を聴くのも心澄むものを

18:50、体温37.2度C

1月までの治療費/141050円。内、差額ベッド代20000円。


2月6日(水)雨のち曇り(なかなか晴れない)のち晴れ
0:00と3:00に目が覚めたほか、よく眠れた。部屋の明かりがなかなかつかないので閉口する。

 和田彰の夢を見る
長き夜の夢のあひまにわが見てし狂せる和田があひに来しかも

朝食/牛乳は抜いてもらう。パン、サラダ、ジャム。自販機のリンゴジュース。
10:00頃になり、疲労・倦怠感一入、外出はやめる。明日採血。

体温36.8度C 血圧132−86 脈拍78

入院患者の入れ替えで病室が騒がしく、昼間はあまり書くことができない。15:00、由利帰る。週末の外泊はできそうだ。
教授回診あり。梁先生、(その際)日野さんから手紙をもらったと一言。S医大講師というのは存外キクものなのか。午後に入って疲労感から回復する。天候のせいか?

高みより音楽のごと日は降りていっせいに街は濡れふるへたり
軽微なる嘘とまことを織り交ぜつ同室の老は問診にこたふ

夕食はサバ(?)のピカタ、汁なし。食後、苦しいので30分ほど仰臥している。昼食後のティラミスのタタリ。小泉武夫「発酵食品礼賛」読み始める。20:00過ぎ、早々に外泊許可おりる。奥田は案外いいやつだ。


2月7日(木)晴れ
6:00起床。夜中に必ずいっぺん目を覚ますが、おおむね、眠れている。起床後、すぐ採血。朝、便通あり。B1で缶コーヒーを買う。

 ヤニ場で話しかけられる
生き急ぐわが少年を思ふかな末期患者と対話しをれば
病室に匂ひはうたてたちこめて朝飯を食む生まぎれなし
アヴェ・マリア怪異におぼゆこころあり宗教音楽鋭(と)くいとへれば
晴れるとも降るともなくて光にじむ春の中なるこの街の空

梁先生の診察、白血球に異状なし(採血の結果)。外泊オーケー。奥田研修医診察、特に変わりなし。午前中、ついに検温来ず。と書いているうちに来る。血圧126−80 体温37.2度C

人生は寂しき祭りに似てゐると夏際敏生に語りしもあり
にんげんの一期は夢かしかあるに何を醒むるとわきていひけむ

同室のカミヤ氏の容体急変する。肺炎になったらしい。二、三日前まで退院のことをナースと話していたのに。
食後、腹部にいつもの膨満感。20:00すこし前、便通あり。


2月8日(金)
6:00起床。夜は寝覚めがち。デイルームで茶を飲んでいると、みるみるうちに夜が明けてゆく。中天に有明。

 今日は外泊
ひむがしは葡萄のいろに明けゆきて空のさなかに残る繊月

体温36.3度C(自宅で)


2月9日(土)
9:45 体温37.1度C


2月10日(日)
8:45 体温36.95度C


2月11日(月)
13:50 体温37.1度C


2月12日(火)
8:40 体温36.7度C(食前)
14:30(病院で) 血圧128−84 体温37.7度C

トイメンの騒がしい見舞客、やっと帰る。ヒトがいる病室で、大勢で、大きな声で、ああだこうだ。

人生のおほかたのことひとしきりののしりあひてやがて帰れり

病院に帰ってから。採血、コバルト、レントゲン。午後に放射線外来。閑中忙。
放射線外来で診察。まずデータからいって問題は出ていない、まったく異状なしというわけでもないけれど、と。Tという若い医師はいつもこんな調子。
奥田医師の診察。熱が高いので抗生剤投与とのこと。熱の出具合によってコバルト休むかも。白血球3200。熱と咳とが関係があるという話。梁先生も診察。少し緊張した面持ち。奥田医師、後、レントゲン写真を持って来室。病院の評価として、患部は確実に縮小していると。(前の写真を持ってきて比較し)コンパスを持って指し示す。

 夕ぐれ
ガン腫瘍縮小すとふ報告を聞きて身放くる東京の空

夕食のあと、また朝と同じ鼻血。身体が汗をかいて上気している。血小板関係で異状はないとのことだが、不愉快。10分ほどで止まる。

20:15 体温37.6度C


2月13日(水)晴れ
6:00起床。デイルームで茶とテレビ。清水、銀。部屋に帰って体温を測る。37.12度Cと下がる。

旬日を経てやコバルトとどくらむ咽喉に砂漠の火を感ずれば

9:00に由利に電話、今日は母来ずとのこと。駿河さんより郵便物アリ、と。字でわかるので。名前、住所のスタンプはないらしい。

駿河なる宇津の山辺のうつつにもほのか便りのとどくなるらむ

放射線治療室からの連絡がわるくて、30分ほど搬送車を待たされる。若干の疲労、熱が出てきたかもしれない。

血圧136−82 体温37.1度C

昼食はパンとメンチカツ。挟んで食うと咽喉が灼けつくようにしみる。とうとう来た。
K社H氏に電話する。仕事を断る。できるわけがない。「索」の校正程度だったらやるけれど。
「発酵食品礼賛」読了。15:00由利帰る。
夕方、奥田医師の指摘を受け、足首を見てみるとかなりむくんでいる。クルブシが埋没している。彼は心(臓)機能のことが気にかかっているようだ。いずれ、いろいろなことが現れてくる時期ということなのだろう。食事のとき、歯の痛いのには閉口。食後、歯を磨くと、かなり血が出てそれで少し楽になる。

酔中にうた書きしるす悪癖を自由と呼びしとほき冬日

20:40、体温37.12度C。


2月14日(木)晴れ、風強し
6:00起床。ぐっすりと眠れた。起きてすぐ採血、なかなか採れないらしい。

人生に水のごときもしるしおかぬはかなきわざを歌といふめり
東国はわが郷党と思ふべし不二のかんばせ今朝もまた見る

朝食。歯の痛み改善。いまのところ、さして非道い思いをせずにものを呑み下せている。

11:00 血圧130−78 体温37.0度C

昼食、つけ麺、最悪。イモの甘煮そっくり残す。

京浜の昼たかく行く千切れ雲いかなる海に雨となるらむ
いとどしくソルトレイクの凍て空に亡国めきて振れる日の丸

(9.11に関して)映像だけがふんだんに流れ、見ている者は、世界中にだれもいなかった。/駿河昌樹

百代の過客は行きぬ病室に隣る廊下もまた道にして

白血球4000
19:00由利帰る。明日外泊。日野氏来る。本(わが詩集)を買ってもらう。「逝きし世の面影」(渡辺京二著)もらう。晩飯を少なめにとり、レストランでコーヒーとケーキ(モンブラン)。途中、トイレに行って脱糞するも、ものすごく酒臭い。宿便と謂うべきや。


2月15日(金)
6:00起床。夜中にトイレに起きたほかはほぼ熟睡。
6:50 体温36.9度C
10:00 血圧120−80 体温36.7度C
16:00自宅 体温36.5度C


2月16日(土)
9:00 体温36.5度C(食後)

二、三日前から髪の毛抜けはじめる。これは、いたしかたない。無理に抜いてはいけないらしい。
校正をまかされた坂井さんの詩集に誤植を発見してしまった。「パンドラの箱」が「バンドラの箱」になっている。三校をとれば絶対発見できたはずだが。坂井さんがあとがきで倉田の名前を挙げているだけに恥ずかしい。


2月17日(日)
8:00 体温36.8度C(食前)
13:45  36.7度C(食後)
18:30  36.65度C(食前)

治癒と不治と夜の思ひはゆらぎたれどこころは生の側にありけり
おほいなる壁のごときがふたがりてきさらぎ尽にその果てを見る
ほのあをの紙に見慣れし文字の来て駿河は霊のことを語らず

ベッドではなく、床暖房のうえにじかに横になっていると楽だ。健康なときなら5分もそうしていられないだろうが、今は30分も眼をあけて、あおむけになっている。


2月18日(月)晴れ 帰院
血圧132−80 体温37.3度C(10:30)
採血。

昼食後より、2時間ほどうつらうつら。14:30、梁先生診察、すべての経過が順調だと言う。

白血球10000 体重65.65kg 血中酸素濃度97

 夢三首
病みてより見し夜の夢は殊なるか深き森羅をひとりさまよふ
絶対にこのことだめとひそやかにかつ森厳に誰そわれに告ぐ
息継ぎをけっしてしてはならぬ海に息継ぎしたるわれ過てり

20:00 体温37.12度C
氷枕を断る。この程度では要らない。19:00由利帰る。


2月19日(火)晴れ
7:20 体温36.9度C

6:00起床、灯がなかなか点かない。やや熟睡か。ヤニ場のあと地下の自販機でミルクティー。あれほどバカにした甘いものが……。

病棟の窓ゆさしくる朝光(あさかげ)にあらゆるものはきらめきて見えず
水先のごとくあと従きてわれ行かん点滴棒によろぼへる影に
新聞をいつかいとへる心つきぬ記事を幽かにあだごとと見れば
 ニッポン、チャチャチャ
バビロンと同じき秤は傾きぬひとつの国の亡びんとして

朝食後、薬を飲んだとき、一緒に飲んだ水が気管に入って猛烈にむせる。ちがう患者の担当ナースが心配して背中をさすってくれる。
8:30になってもまだ部屋の電灯が点かない。どうなっているのか。9:00に家に電話。明日、母が来るそう。コバルト(治療室への)搬送、いつもと違う道を通る。ちょっとしたドライブ(?)。道すがら、薬局だらけ。トイメンの若い患者、退院。オクサンから粗品(梅昆布茶)をもらう。いろんな意味で、ヨカッタ。

10:00 血圧134−72 体温36.7度C 血中酸素濃度98
11:45 「蕪村書簡集」読了。
14:00 由利帰る。「がん ある『完全治癒』の記録」半分。
16:30 竹本氏、のぞみ女、来る。ヨモヤマバナシ1時間、下のレストランで。

 喫煙室で納得できないこと
動きえぬ篤き患者に末期者はおのが苦患を言ひおほせける
人ならぬ人の生をや腐(くた)すべきたとひ死の淵たたへたりとも

19:45 体温37.12度C

携帯のほそき口よりつのりゆく吾妹子の声聞かば春雨


2月20日(水)晴れ
6:30起床。やや寝過ごす。窓の西に富士山が見える。メニューを見る。大甘の味付けのやわらかいきんぴらか。
9:00、コバルトの機械の調子が悪いらしい。待たされる。早朝は熱採りに来ず。身の回りのあらゆる空間に、髪・脱け毛。

9:50 血圧106−72 体温36.6度C 血中酸素濃度98

10:30、ヘルパーさんのはからいで(評価のための)胸部レントゲン、午前中に終わらせることができる。結果は……? コバルトは確実に午後にずれ込む。今日中にできればいいが。一日の遅延でも快しとしない。

ビルの陰は風吹くごとにきらめきて光の春とたが言ひそめし

11:00、婦長が来て、金曜日に非−差額ベッドに移れるとのこと。由利にこのことを電話、ヨカッタ。

 昼食はスパゲッティミートソース
おはなしにならぬパスタの味をもて検査待つ間の昼は過ぎゆく

アンソニー・J・サティラロ著「がん ある『完全治癒』の記録」読了。読み物として面白かった。17:00

17:15。レントゲンの結果(評価)。梁先生の所見。劇的に小さくなっているわけではないが、確実に縮小している。少なくとも、輪郭がぼやけて、最初に撮ったものから比べると、見違えるようだ、とのこと。あとで奥田医師が説明に来るそう。


2月21日(木)晴れ
5:55起床、眠るのに倦んだ、という感じ。デイルームで。シモカワ老が退院するらしい。すると私がその病室へ行く、ということか。
7:00、デイルームの3老と話の輪、そのあとヤニ場へ行く。非常に対照的、陽と陰という感じ。

10:20 血圧108−80 体温36.9度C 血中酸素濃度98
12:30 奥田医師より外泊許可。白血球11000

昼食、珍しくうまく感じる。余勢を駆って売店で菓子、地下で無糖コーヒー。至福の時。


2月22日(金)薄曇りのち晴れ
7:00起床。いつのまにか寝過ごす。
体温36.7度C 血圧114−68 血中酸素濃度98−99


2月23日(土)晴れ
8:30 体温36.7度C


2月24日(日)曇りのち晴れ
8:30 体温36.7度C

ただひとり林檎を欲りて食らひたる昼のさなかをわれ黙(もだ)したり
醒めやすき昼寝の夢のうつろひて斧の柄朽ちるごとき須臾なる
 川の向こうが東京
家居にて入相の歌またも聞く川の向ふは夕靄にして
甘きものいつし欲りたる身となるか思へば酔ひも一瞬の火箭


2月25日(月)晴れ
8:30 体温36.6度C

帰院(11:00)。今日から部屋替わる(正確には22日から)。すなわち5407から5417へ。この7が変わらないのが何故か気に入っている。

北へ向く窓にひろがる東京の空はけぶりておほいなるかな
北に見る窓ゆつらなる街並みは海よりほかの光射すなし

11:40 体温36.9度C 血圧132−70 採血2本

脱け毛、ひととおり収まる。非僧非俗の破戒坊主みたいなアタマ。そういえば「索」に田中由人が書いた有厳の話は面白かった。

「ポルテ」とふはかなき菓子をあがなひて舌に甘きもはしきやしかな
くだものにほとほと飢ゑし時ふれば苺三十むさぼりにけり
 北の窓から見えるのは南に向く光
コバルトを待つ間凭るる北窓(ほくさう)にやよひに近き光ふりつむ
激痛も嘔吐もなくて胸に吊るるこのガン腫瘍もだせるは何ぞ

14:50、梁先生診察。28日のCTの結果によって治療方針が決まるが、それを知らせるのは週明けになる。抗ガン剤投与も週明け。詳しい日時(由利も呼ぶので)は後刻。今週も外泊ができそう(帰院したばかりだが)。

診察も採血もなき午後深み伽藍のごとき空に坐しゐる
末期なる老は痛みに呻くゆゑ明日転院の明るみへ去る
見知りゐる喫煙室はうたてきか不治と治癒との人し隣れば
高層のラウンジにして吾妹子とこの東京の空を見しあり

17:00、奥田医師が治療方針(説明)の日時を告げる。由利と話した結果、3/4(月)15:00となる。白血球9600。
19:00、由利帰る。(彼女が)肘の痛みで医者に行ったところ、テニスエルボーという診断。ピアノ弾きの職業病のようなもの。いままで無理をさせたようだ。薬どっさり、だそう。

 岡井隆のこと、ふと
戦後派も団塊の群れもいちやうに明るき淵へなだれたる何故
手燭もてひらく未来を信ぜずと歎かふひとも召人の栄
この人の深く抱ける絶望のうたたかろきに似たるあやふさ
かつてなき時代など疾うにありえぬと明き亡びの顔がほを見ゆ
精神の健康をいふさらばあれ奇怪なまでに陰影(かげ)のなきかほ


2月26日(火)曇り
6:30起床。朝の音楽が鳴ってもどうしても起きられず、30分ほどウトウト。天候のせいか? 熟睡はしたようだ。

9:50 体温36.9度C 血圧124−80 血中酸素濃度98
病院で体温を測るとなぜか高め。

朝食後、1時間ほど横になる。トイレに入っている間、梁先生入室の気配、その後コバルト治療等で午前中の診察を逃す。

大空は春のけはひにくもりはてたれ沈丁の香を知るといふ
 昼食はソース焼きそば-狂歌
おはなしにならぬ三度のめしを食へどまたも因果に腹は減る也

14:20、由利帰る。14:00ごろ、カコガワ氏戻る。同室となる。
15:20、隣のベッドの患者の家族から草餅をもらう。晩飯が食えるだろうか。彼ら、尾張のほうの言葉をしゃべる。隣の老人、とめどなく、しゃべるしゃべる。相手にしていた縁者が帰ったあと、彼女のことを「おしゃべりなやつだ…」とつぶやいている。

仕事場に修羅のごとくにたち交じる昨(きそ)の世すべてかすみけぶらふ
老人をはつかいとへる心おぼゆ傍若無人はなべて若きか
うなゐ子のごと見まく欲りわがしたる東京タワーこよひ見えざる

17:30、奥田医師の診察と説明。3/4、治療方針説明、3/5に直ちに抗ガン剤投与の可能性ありと。午前10時ごろから開始。
18:00、ケーキ(モンブラン)と草餅で満腹状態。これ以上入れるとアブナイので夕食をキャンセル。みんなデイルームで食事をとらないので、部屋中がもの食い、すする音、匂い。
19:30〜20:00、デイルームで老人連と小集会。退院者多し。小腹空く。ペンのインクが出にくい。


2月27日(水)晴れのち曇り
6:05起床。看護婦よりボールペンを借りる。ヤニ場で、切実にブレクファストのコーヒーに飢える。あとではダメだ。この朝一番のコーヒーというのがポイントなのだ。

彼方より日はほのぼのと明けそめてむら雲のふちくれなゐに染む
明け空に影ただならね東京は鴉の御宇となりにけるかも

8:00、空、かき曇ってくる。きのうの夕食を抜いたので朝食はガツガツと食う。パンに卵、パスタサラダ、小チーズ、まあまあ。
9:00、家に電話。平塚さんがお見舞いに来る由。奥村が来たがって(会いたがって)居るが逡巡している。電話して、来るように言うつもり。
9:30、コバルト、レントゲン一挙にすます。外は雨がパラつく。

春の塵おきまどはせる舗装路を見えぬ空より濡らす春雨

血圧142−88 体温36.8度C 血中酸素濃度?
このナース(カヤノ)、血圧の測り方がおかしいのでは? 上腕を痛いくらいに締め上げるのだ。この数値は絶対に変。(担当ナースでもないのに)治療のことをあれこれ聞くのも差し出た行為ではないか?

明けの夢にわれにすがれと声のしてただひた哭きに眼ぞ濡れて覚む
現象に意志のごときはなきあらんか不思議の夢のさやにつづけば

ためし書き。5階の売店でボールペンを買う(12:00)。ヤニ場に怪しい男。外来者らしいのに1時間前にもいた。じっとガラス越しに外を窺っている。
12:50、晴れてくる。
14:40、梁先生、レントゲン写真を持って入室。腫瘍は、ほぼ半分になっており、手術の方向で外科医師と話すとのこと。来週火曜(3/5)抗ガン剤第2回直ちに投与。タバコはやめようね。治療効果顕著と言明。

如月の尽日をもてけむり断てば三十年の紫紺たなびく
病巣は半ばになると医師のかざす胸部写真は北窓に透く
ガン腫瘍半ばになると聞きてよりあかず眺むる東京の空

17:00、平塚さんお見舞い。歌仙の冊子出来上がる。すごい装幀。私の「通信文」だけで36ページもある。旦那さんに感謝。レストランで一緒に(由利も)食事。お見舞いまでもらいカタジケナイ。


2月28日(木)雨
6:15起床。採血。痛いと危惧していたのは杞憂に終わる。1本だけしか採らなかったようだが大丈夫だろうか。まだこのナースに全幅の信頼をおいているわけではない。

音もなくやよひに近き雨降れば街はほのかな朝影となる
裸身をコバルト室にさらしたればBGMは鳴る「TENDERLY」

コバルト20回終了、1クールおわる。9:30。この後照射するかどうかはCTの結果次第。部屋に帰ってきて、カコガワ氏に励まされる。

10:30 血圧138−86 体温36.7度C 血中酸素濃度98

梁先生診察。採血した血に問題なし。外泊は奥田医師と相談。
12:50、携帯電話に充電。13:40、充電終了。
13:30、背中のカブレを引っ掻く。ピリピリとするので、ナースに消毒してもらう。コバルトのせいかどうか不明。
15:00、CT撮影終了。丁か半か。

つぎつぎに退院しゆく多かれどわれに流謫の春はけぶらふ

 19:00、由利帰る
梅屋敷のひかりさびしき街中を春雨に濡れ妻かへらむか
 カコガワ氏、胃に転移あらんか
さびさびと転移宣告する医師の「私的に」とふ若さかな
 月曜日、治療方針開示
CTの出す真相を懼るれど逃るかたなくまなかひに見む
よき人は帰らずといふフランクルの言葉は深くこの夜に沈む
かなしみてつばさの櫂の深沈とこの夜を行くあまつかりがね


3月1日(金)曇り
6:30起床。パッとしない天気でなかなか起きられない。


3月2日(土)曇り
体温36.6度C


3月4日(月)晴れ
体温36.6度C(家で)
14:00病院 体温37.2度C 血中酸素濃度97
        血圧140−86 採血2本
        体重65.3kg
19:55 体温37.4度C 白血球7800

手術の方向でいくかどうか、すべては明日夕方。まだキマラナイ。


3月5日(火)曇り
覚醒は7:30、起床8:00と、ヤニがないと極端に遅い。予定は、9:00放射線外来、その後、2回目抗ガン剤点滴。

10:45 血圧138−88 体温36.6度C 血中酸素濃度97

11:15 点滴開始
14:50 投与終了

抗ガンの液点滴も二度なればむしろこの後に来む時を虞る
手術とは希望とも言ひ換ふべしやこの夕ぐれにそのことを聞く
なかなかに晴れ間のささぬ三月のたゆた心をいづち遣るらん
なかぞらにしるき鴉の遊弋を吉凶となく追ふまなこあり
いつとなく日は暮れゆくか大空のかたへ茜のさす雲のありて
彼は胃にわれはリンパに転移との世間話のやうに嘆かふ
根治なき病なりせば老は時をわれは若きを深くみつむる
この夕べさやに聞くべき実態の告知は闘争宣言となるか
紫煙なく夕食も来ぬこの夕べ心をどこに打ちて過ぐさむ
デイルームの夕餉はかなき膳に載す鰊ははらに子をもたりけり

梁先生、説明。問題はリンパ(節転移)。神経や血管と癒着しているので、取りきるとしたら大規模な手術となる。そこまでの手術は現状では現実的ではない(外科医の意見)。ひらいてみて取れるだけ取る。ひらいてみて案外全部取れることもある。抗ガン剤入れて増悪の可能性もアタマの隅に入れよ。大変むずかしいことだが手術の方向で内科的な措置をしてゆくのでガンバロウ。


3月6日(水)曇り(雨?)のち霽れてくる
6:50起床。夜中は輾転反側、なかなか眠れず。夜中に雨が降ったらしい。一夜明けて、体の内側に何ら別状なし。朝食後、(吐き気止めの)薬を飲むのを忘れないこと。

 明ければ、雨
大空はしとどのこゑもなく暗く明くれば雨の梅屋敷かな

10:00過ぎ、担当ナースの遠藤さんが、きのうの梁先生の話を聞きに来る。ざっと話す。冴えない顔を見せたと思うが、彼女に知っておいてもらうのは必要なことだ。

10:40 血圧122−78 体温36.5度C 血中酸素濃度98

点滴の(ために固定した)針を早めに抜いてもらうように言う。5分後、即ち抜いてもらう。

 五月を懐う三首
何ゆゑに五月の思ひ身にたぎつ木の下愛(かな)しその花水木
遠く近く葉むらを透かし陽のさせばいかに五月の空愛(を)しからむ
生と死のもともかげ濃きはつなつの五月半ばにわれは生(あ)れにき

昼すぎて空はろばろと霽れゆけば弥生はあはき日の下の街
つねに死と向きあふとしもなけれどもナースらの耳死にさときかな


3月7日(木)晴れ
6:00覚醒、6:30採血--だが8:00近くまでベッドでうつらうつら。

10:50 血圧128−82 体温36.9度C 血中酸素濃度98 体重64.7kg


3月11日(月)晴れ
病院で
体温36.5度C 血圧118−80 血中酸素濃度97 白血球4200


3月12日(火)晴れ
6:00前に覚醒も、8:00近くまでベッドでグズグズ。

大空は春のあはさに満つれども煉獄に似しそのあはき影
ベッドよりサドルに懸けるきびすまで思考は奪ふ春の距離かな

11:00 血圧128−88 体温37.1度C 血中酸素濃度97

 午後5時の鐘を聞く
泰西画の夢みるやうな夕景のなほ慕はしきにせものの空
 昨夕、長谷川来る
金くれてわれら老いぬと独りごちて長谷川はさむき春宵を帰る

18:50 体温37.1度C


3月13日(水)晴れ
7:30起床。窓から富士山が見える快晴。部屋にチューブを外せない重病人が2人いるので、ナースが夜中じゅう入れ替わり立ち替わり出入りして寝つけない。朝までつづく。

体温37.0度C 血圧136−88 血中酸素濃度98

15:00、平塚さん、新間さん、落合さんお見舞い。下のレストランで2時間ほどペチャクチャ。けっこう疲れていない。


3月14日(木)晴れ
6:30頃、採血に来たので覚醒。以後朝食まで半睡。

病巣はあきらけくして世の人とわれのさかひをなす河のあり
夢に見る最期の食はたけなはの昼めしどきの定食の膳
凋落とにぎはひの影交へつつ商店街は続く冥府へ

10:30 血圧112−78 体温36.9度C 血中酸素濃度98 白血球3600 CRP12.8

20日(水)に竹本氏、のぞみ・青木両女史、お見舞いとのこと。

体温36.65度C(15:45、自宅で)


3月16日(土)
体温36.1度C


3月18日(月)晴れ
14:30帰院。血圧136−84 体温37.0度C 血中酸素濃度98
採血。今週のスケジュールについて訊く。担当は遠藤さんなので安心感がある。ボルヴィック足りなめ。

採血の結果、白血球が少ないらしい(2600)。すなわち注射をする。水曜外泊は無理か。


3月19日(火)晴れ
7:30起床。すぐに朝食。

11:05 血圧120−74 体温37.0度C 血中酸素濃度98 体重65.9kg(上着なし)


3月20日(水)晴れ
7:00起床。その前に採血。レントゲンの予定。
注射前 白血球4500
15:00 血圧130−80 体温37.3度C 血中酸素濃度98


3月21(木)曇り
帰院。
19:00 血圧130−80 体温36.8度C 血中酸素濃度96


3月22日(金)曇り
6:30ごろ、モウロウとして採血。朝食を挟み、9:00過ぎまでウトウト。由利の電話呼び出しで覚醒。

10:40 血圧132−88 体温36.5度C 血中酸素濃度98 白血球9000

 外泊のために帰宅する途中、花を見て
いつとしもなくこの春は迅くしてこころは花に後れぬるかな
奥村といつし酒酌む約をせむ花と知りせば疾く行くものを
(吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる春にもあるかな−西行−)


3月25日(月)
自宅で 体温36.1度C 体重65.5kg
14:50病院で 血圧124−86 体温37度C 血中酸素濃度98


3月26日(火)曇りのち雨
11:00 血圧132−82 体温36.5度C 血中酸素濃度97

午後CT、肺機能検査。16:30過ぎ、H、O両氏来る。D(雑誌名)とお見舞い1万5000円。K社・H氏名義で。
奥田医師よりCTの映像。半分ほどリンパの腫瘍が縮小している。抗ガン剤は充分に効いたといえるのではないか? あとは外科医とのカンファ(レンス)がどうなるか、だ。
19:30、カミヤ氏舞い戻るに出くわす。シェ・マリオの高級フランス菓子をもらう。じきに退院とのことだが--。吃驚。


3月27日(水)雨、風も
6:45起床。久しぶりにデイルームでお茶。夢に今駒泰成氏が出てきて、秀れた詩を書く。夢の中で涙ぐむ。

14:30 脈94 血中酸素濃度97 体温36.7度C 血圧132−76
15:00検査、肺血流SPECT。午前中はレントゲン2枚。
17:30、雨のち晴れ。燦然たる夕映え。

奥田、梁医師説明。
手術4月2日(火)
評価(所見)
原発(部)とリンパ周辺、ケズル。顕微鏡による検査の結果如何では化学療法追加。
外科医(担当)執刀医未定。最初に外科医と会って話をするのはいつ?→3月28日
病棟
転科→3月28日(病棟・病室はママで) 転棟は?→3月29日


(註・3月29日より3月31日まで外泊)


3月31日(日)曇り
帰院。
10:00 血圧116−84 体温37.2度C

やよひ尽そらの彼方にOPEを終へいとしき街にまたも帰らん
これほどに鶴見の街が恋ほしとはわが荒魂の奥ぞゆかしき
街並みは鶴見の空につづくらむ家居のあたりとくかぎろへば
吾妹子の待つ谷戸のあたり魂は飛び夕餉の支度いそぐならむか

17:00、田中夫妻お見舞い。19:30過ぎまで、由利を交え、雑談。晩、雷雨。


4月1日(月)晴れ
手術前日。大河原先生と高橋氏、来週お見舞いとのこと。

11:00 血圧114−74 体温36.7度C
朝、採血。担当ナース、シノハラ上手。麻酔科外来の医師によると手術は明日の朝一番(8:00〜?)。


(註・術日の4月2日より4月4日までICUほかにて安静状態)


4月5日(金)晴れ
体温36.6度C 血圧120−76くらい 血中酸素濃度98
便通あり。

 4/2手術終える。肺4分の1切除
鉄構の暗く入り組む作業場に春の溶接ひらめきやまず
OPEを終へ剪りとられ去る肺ひとつ春暁の濤見ぬ海に騒ぐ
またも夜をきらめきふるへつつきたる機影孤独に羽田へ沈む
夜は夜とてつね春風に沈むめりかなしきまでに恋ほし鶴見は
かくやくと丹沢を背に影は冴ゆ池上でらの堂のいらかは

20:00 体温36.5度C 血圧136−80くらい 血中酸素濃度97
20:30 残りの便通あり。


4月6日(土)晴れ
6:00 体温36.8度C 血圧130−80
夜中着けていた管、コードの類を一切取ってもらう。夜、寝返りを打つせいか、朝、いつも胸に痛みがある。今日、脇腹のドレーン取れるそう。
10:00ドレーン取れる。体の軽さ・痛さ、見違えるよう。

 立呑み「やぎちゃん」を想う
やぎちゃんの灯は春風になぶられてこよひも酒は熱くあらむか
われのゐぬ如月弥生いつのまに鶴見は春のさびしさにある
 狂歌--鶴見駅東口天狗で労務者風
われに出す酒はなしとかそれならばあれなる天狗店長を出せ!

13:30 体温36.8度C 血圧124−70 血中酸素濃度98
バストバンド、痛みが取れたので外す。脈拍、速めとか。


4月7日(日)雨のち曇り、たちまち晴れ
11:30 血圧124−84 体温36.5度C 血中酸素濃度98
午後シャンプー。

朝夕の抗生剤と、今日限りで点滴針取れるそう。これで全部の付属物がなくなることになる。便通自由自在。


4月8日(月)曇りのち晴れ
検尿、レントゲン、採血、みな午前中で終わる。水曜日以降の眠剤、処方してもらうことに。

体重66.05kg
15:30 血圧120−86 体温36.4度C 脈拍84


4月9日(火)晴れのち曇り
ゆうべ、笹本医師が寝るぎりぎり前に来て、退院のことを訊いたら「今週末」との答え。

厳冬の三月にわたる籠りへて青めざましき退院のころ
東京はたなびく雲にかすみしを青葉若葉の時は来にけり
生きもせず死にもせで見る新緑のにはかに近き退院は来ぬ

10:30 血圧138−86 体温36.5度C 脈拍90 体重67.05kg
バストバンド返却。大河原先生、高橋氏来訪。
退院日、金曜のCTを経て、土曜に決定。(本当?)


4月10日(水)曇り
7:00 血中酸素濃度98
午前9時よりレントゲン検査あり。現在11:20。朝以来、全くほっぽらかし。退屈。血圧もとりにこない。担当交替のアイサツもなし。

15:00〜17:00、坂井さん、母、平塚さん、続けざまに来訪。


4月11日(木)曇りときどき雨
7:00 血中酸素濃度98
今日、検査の類、予定一切なし。


4月12日(金)雨
今日、検査ややたて込む。採血、抜糸、レントゲン、CT等。CTはメシ抜き。採尿も。明日退院。

10:40(寝たままで) 血圧100−50 体温36.6度C 脈拍84
バッコウというのか、抜糸行う。レントゲン、採血、採尿済ます。14:30過ぎ、CT済ます。

体重65.75kg


4月13日(土)曇りのち晴れ
今日、退院。計76日。

胸の内の腫瘍はもだすそれゆゑに命をののくままの退院


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