御祓(みそぎ)
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御祓(みそぎ)



 細かな雨の破線が降りそそぐなかを、つまり、おびただしい光の降りそそぎのなかを、綯われた真っ青な草の竜が行く。六月大祓えの真空に拡がる町角を、辻々を「蛇(ジャ)モ蚊モ出タケイ、日和ノ雨ケイ、出タケイ出タケイ、ワッショイワッショイ」1と、酔いながら叫びながら、ドーランを塗り、紅を差し、むらさきの鉢巻をした若衆と。一枚の奥津宮の御簾から出現し、旅人とその無、海という名の世界の外側へ去ってゆく一本のしたわしい光。高温の日にはビール工場から濃厚にただよってくるホップの臭いに包まれて、そのむこうにあるはずの、巨大クレーンや高速道路の橋脚や大冷凍庫群の入り組んだ構造物の果てにあるはずの、青い深い、海という名の欠落を、じつはこの世の誰も見たことがない。一本のしたわしい光がそのはげしい陰を縫って行く。ケガレを身に纏い、さんぜんと化粧(けわい)して、遊行して、追いかけて行く。夏に沿って、水に沿って。「不思議やな、篝火の燃えても影の暗くなるは」密かな河口の匂いがまた旅人を襲う。「篝してくらき鵜飼がうしろかな」2背後の壁が夜と同じ巨きさになる、あのnevermoreという、囁きの恐怖でもって世界の底に垂らされた錘鉛の影像を、君はイメージすることができるか。絶対の密かさのした、次から次とやって来る暗水の打ち寄せのうちに、夏はめまいとともに記録され、と同時に僧林という櫛によって濾過された風の文字へと翻る。「おほよそ世尊に密語あり、密行あり、密証あり。しかあるを、愚人おもはく、密は他人のしらず、みづからはしり、しれる人あり、しらざる人ありと、西天東地、古往今来、おもひいふは、いまだ仏道の参学あらざるなり。」そうではないとあの人は言うのだ。明晰な無時間のかがやきのなかでは「仏法の密語・密意・密行等は、この道理にあらず。人にあふ時節、まさに密語をきゝ、密語をとく。おのれをしるとき、密行をしるなり。いはんや仏祖よく上来の密語・密意を究弁す。しるべし、仏祖なる時節、まさに密語密行きほひ現成するなり」。世界の頂上に幽かにほとばしる真夏の雪中香から、密という現れの型をとって争って出来し、まざまざと示現しているものは、一つの花、十の花、千の花開きであり、いまここにいることがすなわち「天上の天花、天雨曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華および十方無尽国土の諸花は、みな雪裏梅花の眷属なり。梅花の恩徳分をうけて花開せるがゆゑに、百億花は梅花の眷属なり、小梅花と称ずべし。乃至空花・地花・三昧花等、ともに梅花の大少の眷属群花なり。花裡に百億国をなす、国土に開花せる、みなこの梅花の恩分なり。梅花の恩分のほかは、さらに一恩の雨露あらざるなり。命脈みな梅花よりなれるなり」3。そして、全身現成のほそい光の蛇身となりさかのぼった果てに出会う碧空の、その至純のさびしさの、「ふくかぜの中をうを飛(とぶ)御祓かな」4。

1生麦道念稲荷社ほかによる「蛇も蚊も祭」。
2蕪村書簡集より。句は士喬、詞は謡曲『鵜飼』による。
3道元『正法眼蔵』第四十五「密語」および第五十三「梅花」より。
4芭蕉貞享年間夏句。

ゆぎょう      二十号     2004・7月


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