Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2017-07-20

ホタルがともれば、鷺草がとぶだろう

 七月十五日の土曜から十七日の三連休。といってもわたしは通常どおり、土曜日と月曜日は早朝バイト、日曜だけ休みなのだけれど、連れが三連休なのと、時期を考えて、土曜と日曜に出かけてきた。日曜のほうは次回に。今回は土曜の「せたがやホタル祭りとサギ草市」だけ。
 数年前にこの祭りを知ったが、行ったのは二回目。ボロ市などがひらかれるボロ市通り、世田谷代官屋敷周辺のお祭り。神社(上町天祖神社)のほうでサギ草市、縁日、物産展など、そして代官屋敷のほうで、ホタル観賞、敷地内にある郷土資料館で、サギソウにちなんだ季節展が開かれる。あとで知ったのだけれど、夜になると神社境内で盆踊りも行われるらしい。そういえば盆踊りのやぐらがしつらえてあったが…。
 ホタル観賞は夕方五時からなのだけれど、特設ドームが造られて、そこに潜っての鑑賞なので、辺りの明るさは気にならない。代官屋敷の庭の数か所に、板枠を網でふさいだなかにもホタルが放されていたので、暗くなったらきっと輝くのだろう。





 先を急いでしまった。ついたのは三時半ぐらいだったか。バスで行った。自転車でも行ける距離なのだが、自転車を停める場所があるかどうか記憶が微妙だったので。着いてみると、駐輪スペース、あるにはあったが、もう満車だった。去年も、この光景をみて、ああ自転車でこようと思えば来れるんだな、でも難しいかなと思ったことを思い出す。だから微妙…とぼんやりと思っていたのだなと、腑に落ちる。去年と今年が、つながったような。
 ホタル観賞が五時からと知っていて、すこし早くきたのは、サギ草市をみたり、縁日の屋台でちょっと飲食をしたり、古本市などが見たかったから。ただ三時半の段階では、なんとなく縁日がまだもりあがっていなかった。準備中というわけではなかったが、飲み食いしている人がほとんどいない。それで、ざっと見渡して、代官屋敷敷地内の郷土資料館へいった。郷土資料館は、祭りの両日は、午後九時まで開館しているそうだが、ホタル観賞が始まると、ドームに入るまでの列ができたりする関係で、ちょっと入りづらいイメージがあったので、今のうちに見学しておこうと思ったのだ。たしか野毛大塚古墳の出土品(とくに国の重要文化財指定)なども所蔵しているので、見れるのではと。
 これらは、おそらく企画展(螢とさぎ草伝説)の関係で、見れなかったが、見学してよかった。
 常設展の石器時代から古墳時代までの展示・解説にひかれるものがあった。わたしが住んでいる場所、行き来したところ、なじみのところが、遺跡であったこと、出土品が展示されていること。いつも何気なく自転車を走らせていた橋付近に、横穴墓があったことにも驚いた。玄室内の線刻画の、その素朴な人の形に、どこかクレーの絵を思った。
 そして縄文土器、土偶たち。土の感触のようなものが、形からみなぎっていた。ああ、わたしはこれを感じたかったのだと、それらをみながら思う。
 ところで、サギ草。今年はどうしたことか、あまり咲いていなかった。去年はもっと咲いているものが売られていたと思うのだが。
 世田谷とサギ草の関係もしった。縁があったのだ。「世田谷城主・吉良頼康の側室「常盤姫」が亡くなる時、日頃可愛がっていた白鷺の足に遺書を結び、実父の居城・奥沢城に放ちましたが、白鷺は途中で力尽き、落ちて死んでしまいました。この白鷺の想いが「サギ」のかたちの花となって辺り一面に咲いたと言う事です。」と、代官屋敷内のサギ草展示スペースに書いてあった。そのことがあって、世田谷区の花になったのだと。
 サギ草。亡父が好きで育てていた。ミズゴケにくるまれた苗を小学校経由で購入していたと思う。しくみはよくわからないのだけれど、いろんな植物の種や苗が載っているカタログのダイジェスト版みたいなものが学校から配布され、それをみて、植物を注文していたのだった。わたしの要望でハエトリソウやオジギソウなんかも。そのほか、コバンソウ、ノハラアザミによく似たドイツアザミが記憶に残っている。
 サギ草は蘭科。蘭の系統は、基本的に育てるのも花を咲かせるのが難しかったと思う。けれども父はサギ草を咲かせていた。ほんとうにサギが羽をひろげたような、この世のものとも思えない花だった。繊細すぎて、はかなすぎて。わたしはサギ草がすきだった。花をみるたび、花の名前をきくたび、父が咲かせた花を思い出す。平たい、青い化粧鉢に植わっていたっけ。
 世田谷区の花と知ったのは、だいぶ前だけれど、今住んでいるのも、生まれたのも世田谷なので、縁がある花なのだなとも思ったはずだ。
 「ホタル祭りとサギ草市」。開催されていると知って、ホタルにもむろん心ひかれたけれど、サギ草に、おもいがけずノスタルジーを覚えたのは、これらのことが積み重なってのことだったのだろう。
 そして、ホタル。
 ホタルは実は大人になってからみたものだ。子どものときにみた覚えがない。正確には大人ではないが、はじめて実際にみたのは十八歳ぐらい。観光地に母親たちと泊ったとき、偶然に。この旅行にはいやな想い出がある。いまだに消化できてないのかと我ながら驚いてしまうけれど、まだ感情的になってしまいそうなので、今はそのことにふれられない。ただ、それとは別に、ホタルが河原に飛んでいるのをみたのだ。ホタルは観光の目玉ということでもなく、宣伝されず、ひっそりと舞っていた。いや、ホタルがいることがほとんど当たり前だったので、宣伝することなど考えられなかったのかもしれない。蝶や蝉がいるように。ホタルをみたのは、いやな出来事の起きる前だった。だからこそ、ホタルの光だけは、無傷のまま残っているのかもしれない。よかった。あの出来事の後のことは、もはやまったく、どこを回ったのか、帰ったのかすらも覚えていないから。
 この箇所を書く前から、ホタルを見たのは十八歳ぐらいだったが、小学生の時ぐらいから、もっと身近に感じている気がしていた、それはなぜだろうと漠然と感じていたのだが、理由がわかった。本の題名は覚えていないのだけれど、児童図書のたぐいでホタルの一生についての本を読んだことがあったからだ。小学生の高学年だっただろう。ゲンジボタルは清流に、ヘイケボタルは田んぼや池など、比較的にごった場所にいる。幼虫は獰猛で、カワニナなどを捕食する。成虫になってからは、一週間から二週間位しか生きられない。そのあいだは水しか飲まない…、など今でも覚えている。
 文字で親しんだのが先だったのか、だからなんとなく、身近に思っていたのかと、言葉に特別の想いがある身としては、すこしうれしくなる。心の中で、ホタルはずっと点っていたのだ。
 さて会場。五時になると門の前でくす玉が割れる。そして特設ドームに順番で入ってゆく。中は仕切りがあって右側と左側、二列になっている。とりたてて考えるでもなく、真っ暗ななか左に入る。ほんの数メートルの暗がりの道だ。ホタルがかたまって、天井のほうにいた。ときおり、一匹二匹と、飛んで、かたまりを乱す。天井にいるからか、星のようだ。そして飛んでいるホタルは、流れ星のようで。
 暗がりを、あちこち飛んでいる…それが本来の見え方なのだろうけれど、十分だった。あのまたたきに、また会えたことは。人の列があるので、ほとんど立ち止まることなく、進んでゆく、そうしてすぐに出口になる。なので、もういちど並んで、今度は右側をみてみた。ホタルはさきほどとは別のところでかたまっていた。流れ星のように、一匹、二匹飛んで。この子たちはヘイケボタル。また心のなかで、頁がめくられていた。文字と実際が出逢っていたのだろう。光たちが呼応して。やわらかく、つつまれたような。
 こうして、ホタルもサギソウも、わたしと関係してくれるのだろう。またひとつ想い出が重なってゆく。
11:17:45 - umikyon - No comments

2017-07-10

今年も朝顔がまた…

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 今年も朝顔の季節になった。
 ところで、これを書こうとして、ファイルを開く時、履歴に“あまのかわ 文月七日に”とあって、なぜか驚いてしまった。あまりに時機を得ているというか、なにかたちが響き合って、時に参加しているというか。履歴にあった題名は、もちろん自分の書いた詩作品なのだけれど、なんだか思いがけなかったのだった。
 七月八日、七夕の翌日、入谷の朝顔市に行った。この日は土曜日、早朝バイトがあったので、午後になってしまったが。
 そう、朝顔をみるなら、朝の方がほんとうはいい。けれども朝から開催されているようだけれど、メインストリートの言問通りの歩行者天国は、八日だとお昼十二時から。ならまあ、いいかと思ったりもする。


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 朝顔。毎年、ベランダで育てている。一年草なので、種から。というよりも、前の年に咲いた朝顔、勝手におちた種が、翌年また発芽して…の繰り返しだった。だからわたしのなかでは一年草というよりも、ほとんど多年草の感じだった。
 それが、今年は発芽しなかった。なぜだろう。たぶん、こまめにしぼんだ花などを取り除いていたからだろう。ほどほどに、いつもみたいに、放っておけばよかったのだ。
 朝顔鉢。雑草しかはえていないが、隣のつる性の植物(名前を忘れてしまった)が、支柱につるを伸ばしているので、鉢をどこかにやることもできず、朝顔が生えていない状態のままの鉢を毎日、水やりの度に眺めていた、というか、目につくのがどこか淋しかった。
 そんな時、つれあいから「明治の朝顔」が子規庵などで販売されるらしいと教えられた。子規庵がある鶯谷と入谷は近い。ほぼ同じエリア。江戸・明治に盛んだった変化朝顔を復活させたものだとか。正岡子規も見たことがあるかもしれない朝顔…。欲しいと思った。そして朝顔市のときに行けば、それらもろもろ、子規庵と朝顔市、縁日、屋台、楽しめると思ったのだった。
 入谷駅で、降りて、鬼子母神(鬼の字の上に、ほんとうはテンがつかない)へ。朝顔のついたちいさなお守りを求めた。クリップもついていて、服などにもつけられる。けれど、後日譚になってしまうが、こうしてこれを書いているパソコンからすぐみえる場所に、クリップではさんで、小さな朝顔を、よすがにしている。
 ついたのが午後二時ぐらいだったし、最終日だったから、かなりの朝顔が売れていたし、お店によっては、完売のところがあった。わたしは何が好きなのか。青や赤に近い紫色で、花の中央から縁にかけて白が入る、陽白朝顔というものが好きらしい。種類の名前は最近知った。朝顔は色々育てたけれど、やっぱりあの白い筋の入った朝顔がいいなあと、ただ、徐々に思っていったのだった。
 言問通りからスカイツリーが見えた。前回来た時はおそらくまだスカイツリーがなかったはずだ。そんなに前に来たのだ。

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 朝顔に見当をつけつつ、屋台でお酒と食べ物を。お祭りだなあと思う。
 明治の朝顔をみに、鶯谷駅のほうへ。売っていたけれど、花が咲いていない、というか、しぼんでしまったのではなく、若干開花時期が遅いらしく、葉ばかりだったから、どんな花が咲くのかわからなかった。写真でもあれば、参考になったが、それもなかったから、残念ながら、買わないことにした。子規庵にも入りたかったのだけれど、閉館近い時間だったし、そうなると、朝顔市の方に、早く戻りくなった。あの陽白朝顔を、手に入れたい…。完売御礼の言葉たちがよぎった。明治の朝顔も、陽白朝顔も、両方手にすることができなかったら、なんのために朝顔市にきたか、わからなくなってしまうではないか。
 ちなみに完売御礼は、鬼子母神近く、入谷駅からすぐのところで目立った。鶯谷駅は、その端のほうだから、まだ結構残っている。よかった。見当をつけていたお店、子規庵のほうからくるとほぼ一番手前(つまり最端)に、陽白が残っていた。それでも残り二鉢ぐらいだったろう。急いで買った。やっと目的を果たすことが。
 いや、お祭り的な雰囲気も楽しめたから、それでも良かったのだけれど。それらふくめて、目的なのだろう。
 次の日の朝、おそるおそる、すこしどきどきしながら、もとめてきた朝顔を見てみた。二輪新しく咲いていた。うれしかった。こんなに好きだったのかと思う。しばらく、その花の咲き具合、蔓の伸び具合に、やきもきするだろう。思うように行かない、それが愛しくて。

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2017-06-28

ラベンダー色に継がれて




 今年も。ほぼ毎年のように出かけているのだけれど、埼玉県久喜市にラベンダーを見に行ってきた。久喜市菖蒲総合支所、役所付近にある。このあたりは市町村合併前は菖蒲町といったので、その名残が役所に、いや、久喜市菖蒲地区などの地名に残っている。
 そう、久喜市にはもうしわけないのだけれど、菖蒲町にラベンダーを見に行く、そういったほうが、なんとなく花たちにかこまれるようで、ここちよかったのだけれど。
 ラベンダーを…といっているが、この時期、いちおう祭りが開かれているのだ。「アヤメ・ラベンダーのブルーフェスティバル」(第二十三回)。二〇一七年の今年は六月四日〜六月二十五日まで。出店もあり、毎年にぎわっているが、今年は晴れていたからだろうか。例年よりも人が多かったと思う。そうだ、いつも梅雨の時期だから、あまり天気がよくなかったような気もする。今年は暑かった。



 二〇一四年に、ラベンダーたちの大部分が咲いている箇所が、調整池の拡張工事の関係で、なくなってしまった。代替地に、あらたに植わったラベンダーたち。まだ、株の大きさはかつでほどではなく、たよりなげではあるが、きれいに花を咲かせている。去年はどうだったのだろう。おぼえていない。いや、なんとなくそのことを思い出すと心がざわつく…。なんだかんだいってショックだったのだろう。まだ育成中で、おそらく咲いてもいなかったのではなかったか。それが、今年は少なくとも咲いている。こうしてあと何年かしたら、また新たに名所を彩るようにしてくれるのだろう。つがれてゆくこと。
 そのことにすこし心がなごんだ。そして前からあるラベンダー花壇へ。みわたすかぎりのラベンダー…というほどではないが、後ろの景色が田んぼなので、なんとなく借景のように、花が拡がってみえる。香りがひっそりと拡がっているのも、そのことを助けている。もっとも出店されたお店で売られているラベンダーのポプリとか、そうしたものの匂いもまじっているのかもしれないが、それはそれで。それもあわせての祭りだから。



 なくなったのはラベンダーばかりではない。調整池とラベンダーの間が湿地だったのだが、かつてはそこに菖蒲が植わっていた。板で道を作ってあるけるようになっていて、小さな池にはアメンボもいた。それらがまったくなくなってしまっていた。今は空地のようになっていて、名前をしらないオレンジ色の花が咲いている。去年もおそらくそうだったはずだが、なぜ気付かなかったのだろう。覆いかなにかしてあったのかもしれない。
 わたしは、基本的に花は好きで、名前も多く知っているほうだが、このオレンジの花は…、なんというか、あまり調べたくない。その花たちに罪はないのだけれど。そうはいっても、たぶん、ルドベキア。栽培種なのに野生化している、わりとよくみる花。

 早朝バイトから帰ってきて、食事を摂らずにきたので、出店でお弁当を買って食べた。ベンチにすわって。その時に、眼前に広がる景色をみて、気付いたのだった。あのあたりは菖蒲の花が…。手前には小さい株だけれど、咲いてくれているラベンダーたちの堤。もらったチラシには新ラベンダー堤とある。こうした変化もまた、体験してゆくこと、それが毎年ここに来ているということなのだろう。



 食事がすんでから、ラベンダーアイスを買って(少しラベンダー色、すこしラベンダーの香り)、ラベンダーをみてまわった。
 今年はラベンダーの蜜を吸うハナアブが多い。わたしは最初、ミツバチかと思ったが、実は虻。せわしなくラベンダーの花穂のまわりで動いているのが、どこか愛らしい。そのかわり、蝶があまりいないような気がした。ハナアブたちを見るのも、なんだかラベンダーとセットになって、風物詩的なものになっている。



 駐車場のむこうにもラベンダー花壇。ここも比較的あたらしいはずだ。苗たちの大きさがそういっている。あと何年かしたら、いや、年々、見ごたえのあるものになってゆくのだろう。ラベンダーは丈夫といえば丈夫だが、高温多湿には弱いため、関東で育てるには苦労があるにちがいない。それでも咲いてくれていることに、人の手がかかっていることに、温もりを覚えた。変わってゆくことがある。それは哀しいこともあるけれど、新たな出逢いでもあるだろう。そして変わらないこともあるのだった。



 駐車場の向こうのラベンダー花壇で、はじめてみるトンボをみた。最初、黒アゲハかと思った。黒い羽のトンボ。家に帰って調べてみると、どうもチョウトンボというらしい。あまりにぴったりすぎて、逆に拍子抜けするが、名前がわかって良かった。蝶のような大きな羽。羽の先が透明なところも、オニキスかなにかの宝石をおもわせ、目を引いた。今度から、あったら名前で呼べる。



 ここから数キロ離れたところに、菖蒲公園があると今更知った。昭和沼という、工業用水をたたえた沼を囲って整備された公園。ボート遊びや釣り、バーベキューなども楽しめるとか。工場にかこまれた、不思議な空間だった。すこしの森。この日は暑かったが、木々の中にはいると、それでも涼しい。木々をぬけると、比較的大きな沼だ。三十分間隔で沼の中央で噴水が吹きあがる。ちょうどあと五分で定時だったので、見学する。水の花火のようだと思う。





 家に帰って数日後。家のまわりの空地で、ルドベキアの花を見る。おそらくここ数年ずっとこの花も咲いていた筈だ。ほとんど雑草と化して。気付かなかった。そしてこの花になかばやつあたりをしてしまう。あの菖蒲の植わった湿地に、この花があることが、なんとなくショックだったので。あの菖蒲のかわりに、オレンジの生命力の強い花が跋扈している…。その様子に、今はもうない菖蒲たちを想ってしまうから。いや、ルドベキアにわるいではないか。けれども、もともとこの花の系統は好きではないのだ。コスモスとかのたぐいも。
 紫陽花が見事な色で咲いている。ホタルブクロはもう終わりだろう。こうしてつがれ、移ってゆく。まもなく梅雨もあけるだろう。


00:27:18 - umikyon - No comments

2017-06-05

あまのりょういきにて

 今日は早朝バイトの帰りに、その近くを通る用事があったので、自転車で湧水のある場所へ行ってみた。久しぶりだ。国分寺崖線。多摩川が長い時間をかけて削り取ってきた段丘で、斜面からは湧水が多くでており、緑も多く残されている。
 前に比べると水が少なくなったような気がするが、どうなのだろう。ホタル観賞のためのマナー等が書いてある看板が掲げられていた。ホタルが見れるのだろうか。この湧水の池のまわりには、入ることはできない。金網越しに見るだけだ。家に帰ってすこし調べたら、六月にゲンジホタルが見れるのだとか。
 道をはさんで、お不動さんがある。ここも湧水だという水が流れている。日本の名水とかに、いちおう名前が連なっているのだが、水を採ったりはできそうにない。けれども、このあたりは、ホタルが出るあの湧水の池と、かつてはこんもりとした、緑の繋がりが、水の連なりがあったのだろう。
 真夏に向けて、ますますうっそうと深まってゆく緑。けれどもなんとなく静けさを感じる。あの古墳や神域などで感じる厳粛さをたたえたような。ウグイスが鳴いた。そして多分カワセミの声も。ここは野川が近いのだけれど、たぶんその野川で巣をつくっているのだろう。それもふくめた静かな時間。

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 家に帰ってきて、午後に、また別の仕事へ。マンションの駐輪場の一角は、ちょっと前からドクダミ畑になっている。咲き始めの頃に写真を撮ろうと思っていたのだけれど、なんとなく撮らないままきて、今日、思い出して撮ったら、はやくも、もう枯れている花が。ドクダミはもっと、開花期が長いと思っていたからすこしショックだった。花の見ごろというのはあるのだ。
 その花を摘もうとは思わない。摘むとかなり臭いにおいがする。子どもの頃、草むしりをしていたのか、それとも、あいらしい白い花の様子にひかれて、摘みたくなったのか、おぼえていないけれど、ともかく、臭いに辟易した記憶がある。洗ってもなかなかとれなかった。けれども、やはり花は今でも、清楚なような優しさがあると思う。だから子どものわたしもきっと、摘みたくなったのだと、思っておこう。

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 中西進著『日本人の愛したことば』が面白かったので、引き続き同じ作者のもので『ひらがなで読めばわかる日本語』をゆっくり読んでいる。「死ぬ」と「しなゆ」(萎れる)がほとんど同じ言葉で、それよりも進んだ状態が「かれる」。これの古語は「かる」で、「枯る」「離る」。水分が亡くなり、魂がはなれた状態が、死だということ。
 「ひ」から出たことばとして、日、火。そして「ひじり」。漢字では「聖」だけれど、本来は「日知り」であったとか。太陽のでる「ひがし」もひに向かうからできた言葉だとか、霊魂も「ひ」といったとか、そこから「ひつぎ」という言葉が…。
 いちいち、たちどまってしまう。そして「かがやく」。「本来、「かがやく」は、「かげ」や「かげる」と同じ語に根ざしたことば」だという。かがやくは、明滅する。あかるくなったりくらくなったり。「このように、光と影が一対のものであることを古代人はよく認識し、そこから「かがやく」「かげ」ということばを生み出していったのです」。
 光と影のちかしさ。
 そして、今日は、「あめ」について読んだ。「天」「雨」「海」、もとはみんなおなじだったとか。「あめ」もしくは「あま」。海女というのもその名残。「古代の人は天も雨も、そして海までも全部、一つのものだと考えていましたが、「あめ」が示す原初のものは「天」だったのではないかと思います」。この「宇宙水」的な概念は、世界各国に見られたらしく、それにもひかれた。水のように青い高いところから、ときたま水がこぼれてくる。そうだ、天は水でできているのだ…。とふっと、思ってみたくなる。
 「空」は、天とはちがい、虚という意味だとあった。「頭上に広がる茫漠たる空間。(中略)自然に湧き上がる畏れ。そのような古代人の思いが「そら」ということばを生みました」。空耳、空言なども同類だという。
 「天の磐船」という言葉、というか乗り物がある。神様が乗る船だ。以前からなんとなく気にかかっていた言葉だった。この「あめ」を読んで、なにかがつながった。水の世界を行き来するから、船だったのだ。この本にも書いてあった。「(高天原という)「あめ」にいる神々は、どうやって地上に降りてくるかというと、「あめ(天)のいはふね(磐船)」に乗ってやって来ます。「いは」とは、石や岩という意味ではなく、立派な、頑丈なという意味。このように、乗り物が堅牢で立派な「あめのふね」であるのも、天が水域だからこそです」。
 勝手な連想をしてしまう。クフ王の太陽の船。エジプトのギザで発掘されたそれの、レプリカをどこかで見たことがある。その意味は議論がされているらしいが、王の魂を運ぶためという説もあるそうだ。どこに運ぶのか、やはり天に運ぶのではないだろうか。だから船なのでは…とちらっと思う。

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 バイトの途中で、ヒルガオが咲いているのを見かけた。もうそんな時期になったのか。ところでわたしはアサガオは、青が好きなのだが、それは桃色系は、このヒルガオの色だと思っているからではなかったか…と思ったりも。ヒルガオは子どもの頃から、なぜか親しみを覚えている花のひとつ。おおむねの夏、いつも、わたしの傍に、咲いていたような気がする。かわいた場所で。
 午後のバイトの終わりも、また別の湧水の近くだった。国分寺崖線沿いではあるのだけれど。後ろ髪ひかれながらも、今日は訪れなかった。野川にかかる橋を渡る。鴨が飛行していた。水をゆく鳥というイメージがあるので、飛んでいる鴨をみると、いつもすこし驚いてしまう。まるで天の鳥…。水をゆく鳥。とすこし無理やりつなげて、今日はこの辺で。

23:52:05 - umikyon - No comments

2017-05-25

気配が、風に乗って、やってきてくれるだろうか─五島美術館、野毛大塚古墳

 久しぶりに美術館へ行った。体調のせいとばかりは言えない。たしかにあまり体調がおもわしくないとき、出歩けないものだけれど、以前は、どちらかというと行きたいのに行けない、といった感じだったが、このごろは、もはや興味がない、というのに近いようだった。それでも、美術館に出かけたのは、回復してきたから、というのももちろんあるけれど、このまま美術館にゆかなくなってしまいそうな自分がいたので、それを払拭しようと思って、精神的にどこかで追いこんで…といった感じだった。
 なので、体の調子というより、精神的に遠くへ行くのは難しかった。それで決めたのは五島美術館。家から自転車で行ける近さだ。開催されている展覧会も「近代の日本画展」(二〇一七年五月十三日─六月十八日)、館蔵のものの展示とのことだが、普段のわたし、以前のわたしなら、行きたいなあと思えるものだった。それに五島美術館は、庭園も美しい。崖の上にあるのだが、斜面を利用して、緑深い静かな庭園を作っている。この時期は何が咲いているのだろうか。以前行ったとき、ヤブミョウガの白い花に惹かれたっけ…。それと出かけた理由がもうひとつ。ある雑誌で、野毛大塚古墳について、書くことになっているのだけれど、そこは五島美術館から、自転車で数キロのところにある。何回かこの古墳に行ったことはあるのだが、書くまえにもう一度、足を運んでおこうと思った…。
 わたしはどんなに美術館に行きたくなかったのだろう? ともかくこうやって美術展以外の要素で、外堀を埋めることで、出かける気持ちを奮い立たせたのだった。
 実は出かけてすぐに、また少し体調をくずしたので、これはちょっと経ってから書いている。暑かったのか、寒かったのか…。曇り空だったことは覚えているのだけれど、気温を覚えていない。今よりも暑くなかったのだろう。
 何回か自転車で出かけているのに、道を間違えたことも覚えている。いちおう地図をもってゆこうとしたのに、忘れてしまったので、あまりスマホを使いたくなかったが(あれを使うと自分で考えることをしなくなるから)、地図アプリを使ってなんとか辿りついたことも。
 かなりきつい坂をのぼったところに美術館はある。マンションなどを過ぎるといきなり、緑豊かな場所になる。静けさ。ここに来るといつもなぜか根津美術館を思い出す。あちらも庭園が見事だ。崖の上ではないのだが、どこか印象が似ている。五島美術館は、東京急行電鉄株式会社の元会長・五島慶太氏設立、根津美術館は、東武鉄道の社長などを務めた初代根津嘉一郎氏のコレクションを元に設立された美術館。そんな経緯もどこかしら、わたしのなかで響きあっているのだろうか。水琴窟があるのが根津美術館なのだが、つい、五島美術館でも、水琴窟の音が聴けるかしらと思ってしまう。



 さて展覧会。HPやチラシなどから。
「館蔵の近代日本画コレクションから、「花鳥画」を中心に、橋本雅邦、川端玉章、横山大観、川合玉堂、安田靫彦、前田青邨、川端龍子、金島桂華など、明治から昭和にかけての近代日本を代表する画家の作品約四〇点を選び展観します。館蔵の近代書跡と宇野雪村コレクションの文房具も同時公開。」
 日が経っていること、図録や絵ハガキなどよすがにするものがなかったこともあり、個々の作品について、今回はたちいって書くことをしないけれど、重い腰をあげて行ってよかった。元々好きな画家の奥村土牛、山口華楊の作品に出逢った。親しさのようなものが絵に感じられる。いや、この画家の絵をまえにした、わたしのいつもの感覚が、立ち現われたことに対する親密さ、というか。この画家の絵がすきなわたしとの再会が感じられたのだった。それはもちろん、画家の絵にひかれて、というのが第一なのだけれど。
 また、村上華岳(一八八八─一九三九年)の絵が、印象に残った。以前おそらくどこかで見たことがある画家だが、そのときは素通りしてしまったと思う。今回は《野鳥》のこわれそうなもろさ、《牡丹図》の血のような赤い花が、幽玄さと共存している不思議な均衡に心が残ったのだった。こんな状態のわたしなのに、こうして絵は語りかけてくれるのだ。気がつくと、すっかり、展覧会会場にいるわたしは、以前のわたしらしさを取り戻していた。



 そして庭園へ。イカリソウが咲いていた。なつかしい花だ。昔父が育てていた。ここにあったのは黄色、父の育てていたのは桃色のものだったが。庭園のすぐ脇を電車が通る。庭園の山と川を想起させる緑深い環境とはすこしそぐわない気もするが、不思議と気にならないのは、通っている電車がこの美術館所縁の東急のものだからだろうか。黄菖蒲が池のまわりで咲いている。うちの近くの公園でもやはり菖蒲の色が黄色い。菖蒲といえば、紫の印象が強いので、黄菖蒲をみるたび、ああ紫の一面に咲く菖蒲がみたいなあといつも思ってしまう。黄菖蒲にはもうしわけないのだが。




 たしか美術館を出たのが三時近かったと思う。野毛大塚古墳へ向かう。地図を前述のように忘れたので、今度は最初からスマホに頼ったのだけれど、思っていたよりも近いことに驚いた。歩いてもたかがしれている。ただ、地図アプリ、自転車という選択肢がないので、徒歩を選んで経路を調べるのだが、これだと自転車だとかなりきつい階段や、歩道橋と言うルートを教えることがある。今回も歩道橋を使ったルートを平然と教えてきたので、苦労した。回り道をしたり、裏道を使えば回避できたのだろうけれど、方向音痴なこともあって、もはやその道が探せない。もう古墳のある公園は見えている。しかたなく歩道橋を自転車で登る。ハンドルを握る手が、ほとんど万歳の状態になるまで、急な斜面にちょっとびっくりしたが、これもいい経験だろう。
 前回この古墳に来たのは、古墳まつりを開催しているときだったから、かなりギャップがあった。今回、今来ているのは、静かな公園だった。小学生の男の子たちが、古墳の上と下で鉄砲のようなものを使って遊んでいる。
 古墳については、今回は、触れないが、やはり原稿を書く前に来てよかったと思う。古墳の上に登って、埋葬施設の様子が図示いるのを確認する。そしてあたりを見渡す。あの低くなったあたりに多摩川が流れているはず。
 何か古い史跡などを訪れるたび、たいてい感じるのだが、どこか古墳のまわりは空気が違うような気がする。時の凝縮というか、神聖さというか。異質で厳かな気配が漂っているように感じられるのだ。そんなふうになにかが継がれてゆくのかもしれない。そのことに対する、つきせもしない敬意。それは、わたしのではなく、だれかたちの想いであるだろう。だれかたちの累々と継がれたなにかたちが、場所を聖なるものとして、累積してゆく。わたしはそのことに対して、厳かさを感じるのだ。
 午後四時過ぎ。帰りは歩道橋を通らず、地図アプリも使わず、なんとか帰れた。元々迷うのがおかしいぐらいに近いのだけれど、なんとなくうれしかった。絵たち、緑たち、古墳…、これらの声が、どこかでまた静かに発せられている、その感触を、またすこしでも確かめられたこととあわせて。彼らはいつも無言のまま、声を発している。わたしが心を開けばいいのだ。耳をすます努力をすること。風が変わった。

01:04:12 - umikyon - No comments

2017-05-15

想像、記憶すら、現実とは違う、けれど同じで (多摩動物公園)

 仕事をすこしした。書きもの仕事のほうだ。最近気に入って読んでいた本のことを中心にして散文を。
 そちらはそのうち掲載されるから、そのことについては書かない。ただ、書いている途中、あのわくわくするような、独特の世界が親しくやってきていたこと、それがうれしかった。いつも、そうなのだ、そうだったはず。なのになぜ……。体調のせいとばかりはいいたくない。
 ともかく、すこしずつ、何かたちを戻してゆこう。

 雨のなか、多摩動物公園に行ってきた。何年かぶりだが、じつは小学一年生の時に遠足で来たことがある。その時のことはあまり覚えていない。子どもだったからではなく、今でもその傾向があるのだけれど、基本的に団体行動が苦手で、団体だとほとんど景色やイベントを楽しめないからなのだ。ただ緑が多かった記憶があった。山の中のような。
 雨のなか、出かけたのはチーターの赤ちゃんが最近生まれて、公開中だというので。このところ、チーターの赤ちゃんの関係で、連日けっこう混んでいるらしいのだが、その日は、雨だから空いているだろうと思ったのだ。逆に雨だから公開中止になっているかもしれないとも思ったけれど、それでも、ユキヒョウもサーバルキャットも、象もキリンも虎も、そのほか、さまざまな出逢いがあるだろう。






 そうだ、雨はけっこうひどい降りで、この頃にしては寒かったが、やはり緑が深かった。雨のせいか人がすくない。静かだった。雨音以外しない。サイが室内のほうにいた。
 二〇一四年の五月、ちょうど今と同じ頃に、ここで、サイのことを書いている。
 〈日本経済新聞の二〇一四年五月十八日の連載コラム記事で、生物学者の福岡伸一氏が、アルブレヒト・デューラーのサイのデッサン、サイの木版画を挙げて綴っていた言葉が、心に響いた(「芸術と科学のあいだ」その十四「脱ぎ捨てられたサイの甲冑」)。
 一五一五年にインドからリスボンへ連れられてきたサイ。その噂をドイツでデューラーが聞き、伝聞を元に描いたもの。それは全身甲冑で覆われた、金属でできたような、恐竜のような力強いサイだった。この絵は以後、ヨーロッパでは広く流布され、なんと「二十世紀初頭まで教科書にもサイの図として掲載されていたという」。
 そうして。
 「のちに、動物園で実際にサイを観ることになったとき、人々はこう思うことだろう。実際のサイはなんてみすぼらしいのだろう。あの立派な甲冑はどこにいったのかと。甲冑はあなたの頭の中に脱ぎ捨てられているのである。」〉

 私はこのときに、でも現実のサイは素敵だ、そんなふうに書いた。〈それでも現実で生きる姿として、サイは、やはりカッコイイものだったのではないか。硬くて、けれども、どこか…さびしげで。だが、それが想像と現実の接点ではなかったか。現実のサイは素敵だ。〉
 現実と想像はちがう、あるいはそんなことをめぐって。けれども、この日、雨のなかで見たサイ。かつて見たことがあるはずなのに、それともまた違うことに驚いた。記憶のなかの姿よりも、もっと大きいのだ。
 大きくて、甲冑のような皮膚は、思ったよりもタプタプしていて、象の耳をすこし想起した。そして表情は、やはり記憶のなかのそれとほとんど同じだ。どこか哀しげで、さびしげで。想像したもの、記憶にあったもの、そしてこの日みたもの、すべてがどこか違うことに驚いた。特に自分の記憶の違いに。記憶という過去の像と、今の像ですら違うのだ。過去と今日は別物なのかもしれない。だが、こうしてそれぞれが少しずつ違うからこそ、いいのかもしれない、ともどこかで思う。それでも、おおむね、あのサイの目に感じたものは、同じだった。デューラーのサイ、かつてみたサイ、この日のサイ。違いつつもどこかで重なっている。それでいいのではないかと。




 チーターはやはり、雨のため赤ちゃんの展示はとりやめだったけれど、親なのか、そうでない子なのか、大人のチーターを放飼場のほうで見ることができた。これも現実が期待をうらぎった、ということだけれど、あまり残念ではなかった。尻尾の立派なユキヒョウもみれたし(尻尾でバランスをとるため、大きいんだとか)。そして、虎、象、鹿、雁たち、キリン、馬の蹄のたてる地響きが伝わってくる。
 出口近くに、昆虫館があった。あまり昆虫が得意ではないので、どうしようか迷ったが、連れが蜻蛉やバッタなら見たいというので、入った。蜻蛉はいなかったがバッタはいた。ナナフシが懐かしかった。枝や葉に擬態している虫。あれはどこで見たのか。たぶん図鑑とかでだったと思う。ほか、やはりちょっと苦手なコーナーもあったが、きてよかった。
 温室になっている昆虫生態館というのがあって、そこが蝶やバッタの楽園になっていた。暖かい室内、花の多い植物たちの間を、蝶が飛び、花の蜜を飲んでいる。バッタはわからなかったが、蝶の多さ。たしか一三〇〇匹ぐらいいたのだと思う。どこか異国にまぎれたような。こんなにたくさんの蝶、あざやかな羽、知らない模様の羽たちの蝶を見るのははじめてだった、壮観だった。
 わたしは小学生の時、蝶というか、アゲハの幼虫を育てていた。サンショウの葉っぱを食べさせ、さなぎになり、孵化するまで。孵化してからは、あまり生きられないというのもあって、また自然に帰していた。芋虫はかわいかった。だから蝶には、なんとなく懐かしみというか、親しみがあるのだった。
 この蝶たちが見れただけでも…。苦手だと敬遠したままでなくてよかった。これも想像と現実の違いだろう。違ってよかった。
 そして、スマホで写真をとったら、思いがけず、一枚だけ、よくとれた写真があったのだが、それもうれしい驚きだった。たぶんリュウキュウアサギマダラという蝶。思いがけず、というのは、いつも、どこか、詩的な裂けのような働きがある。



 そして真っ暗な別の部屋。お化け屋敷みたいで、わけがわからない。はいったことを後悔しそうになったが、天井が無数の小さな光がまたたいている。この暗さのなかでしかみることのできない貴重な光のつぶたち。グローワームの部屋とあった。あとで家に帰ってから調べたら、グローワームはホタル等も含めた発光する虫たちの総称で、ここで光っていたのは、ヒカリキノコバエというハエの仲間の幼虫だそうだ。光に寄ってくる虫をたべるらしい。
 未知のものは怖い。そう感じるのは防衛本能らしい。だが、こんな未知、こうして判った光は、やさしかった。
 出口付近のウォッチングセンターという、情報コーナーにも寄る。たしかここに、日本にはじめてやってきたパンダ、ランランとカンカンの剥製がいたと記憶していたので。ここでもまた、現実と期待が違った。なんと、貸し出されているらしく、いなかった。パンダが旅行鞄をもって去ってゆく姿の絵が後には残されていて、それが面白かった。剥製になったパンダは、こんなふうにあちこち、今でも旅をしているのだ。
 思っていたこと、空想していたこと、記憶。それと違うことが、こんなにも優しいこともある。それを判らせてくれた、静かな雨の一日だった。
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2017-05-05

鯉のぼりが、さかいめをおよぐだろうか

 またここをあけてしまった。そのあいだに桜は散って、もはや桜の樹。花が咲いていたことが遠い。青い葉が力強く茂っている。たとえば家からすぐのお寺にある桜がそうだ。
 早朝のバイトの行きこの桜のまえをほぼ通る。ひと月のあいだに、明るくなるのが早くなった。ちょっと前まで、出かける時間はまだ真っ暗で、早朝というよりは深夜だったが、今ではまさに早朝。けれども一年でいえば、それも数カ月だ。四月終わりから、八月終わりぐらいまでだったか。朝早くから明るいのがうれしい。そして夜が短いのも。
 けれども体調がもうひとつ。まあ、それはおいておこう。
 明るくなったからだろう。バイトに向かう道に、鯉のぼりがあるのに気付く。いや、空が明るいのと、時期的なことが重なっている。わたしは子どもの頃から、なぜか鯉のぼりがすきだった。家に男の子がいなかったから、無縁だったのだが、だからよけいなのかもしれない。鯉のぼりが泳いでいるのをみるのが好きだった。折り紙や、紙などで作ったりもしていた。今年もなんと作ってしまった。バイト先の受付に置くように。子どもなどが喜ぶというので、受付には、ハロウィン、クリスマスなど、ちょっとしたものを飾るので、それ用に。なつかしかった。ただ、今回はパソコンでダウンロードして、それを切って作ったのが、子どもの頃と変わった点といえば変わった点。





 これを書いている今日、スーパーで、折り紙をつかったカブトと鯉のぼりの作り方が書いてある紙がおいてあったので、もらってきた。そう、鯉のぼり、あんなに毎年のように作っていたのに、忘れてしまっているから。たぶん、それでももう今は作らないだろうし、この紙も、どこかに埋もれてしまうのだろうけれど。
 バイト先と家のあいだに、いくつ鯉のぼりがかかっているだろう。ふっと数えている。一軒、二軒、あるいは一匹、二匹。この自分の行為に、既視感をおぼえる。そうだ、こんなふうにして、出合うものたちを数えて遊んだっけ。子どもの頃だ。
 体調がわるくなったからか、この頃、めっきり人づきあいをしなくなった。元々それ気味ではあったが、ますます。そのせいか、あるいは年齢的なものがあるのか、そのぶん、すこしだけだが、子どもの頃の記憶がよくやってくるようになった。追体験しているといっていいか。あのころのいきいきとしたきらきらしたものはないのだが。
 家の近くの公園で、レンゲが咲いている。レンゲも好きだった。首飾りだか冠だかをつくった覚えもある。こちらも折り紙の鯉のぼりのように作り方を忘れてしまっているが。けれども好きだった記憶が、立ち上ってくる。それはおおむね優しい。
 だいぶ長く生きてしまった。還暦はまだまだ先だけれど、そんなふうに何かに還っていっているような気もする。

 最近、スマホを買い換えた。前のが調子が悪く、もはや電話すらできなくなっていたので、仕方なく。環境が変わることに、もはや恐怖心があるので、新しいスマホに色々と不信感があったのだが、数日で、快適さに気付いた。メモがとりやすい。まえのは文字入力すら、しにくかった。そのほか、いろいろ。こんなふうに、新しいことが、わたしにやってくる。そしてその度に古いことが、どうなるのだろう。消えてゆくのかもしれない。けれども、慣れ合ってゆくこともあるのだろう。スマホで、またガラケーのときのようにメモしていけたらいい。詩的なおもいつき、ことばを(前のスマホはできなかった。もしメモしたいと思ったら、それこそ紙をだして、だった。それはそれでいいのだが)。

 五月五日。レンゲが咲いている公園で、ちょっとした子どもの日のイベントがある。大道芸、折り紙、竹トンボ、木挽き体験、公園内の畑で作った蕎麦の販売。毎年というのではないが、気がつくと出かけている。明日もきっと出かけるだろう。そうして、今もまた、いつかにむけて、想い出をつみあげてゆくのだろう。子どものわたしと今のわたしが、出合いながら。
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2017-04-05

たとえば水に映った桜が。



 桜。ソメイヨシノ。
 またその季節がはじまった。まずは、家の近所だと川添いの一本。ほかのソメイヨシノに先駆けて満開になる…。ソメイヨシノに似ているけれど、もしかすると種類がちがうのかもしれない。先日、三月の終わりに上野の森にいったが、そのときも、まだソメイヨシノが一分か二分咲きぐらいだったなかで、一本だけ、よく似た桜が、ほぼ満開で咲いていた。うろおぼえだがエドヒガンとあったと思う。ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配で生まれたというから、たぶん、ソメイヨシノに先駆けて咲いているのは、それであったと思う。
 ソメイヨシノは単一の樹のクローンから拡がった桜なので、近くにあるのであれば、ほぼ開花時期が同じだそうだ。そのことも、すこし怖いぐらいだ。すべて同じという沢山。





 桜たち。けれども、まだ、先駆けて咲くそれらだけでは信じられない。いや、開花宣言したあとでも、今年の花たちは、ゆっくりだった。寒かったからだろう。これを書いている四月三日の段階でも、まだ家の近くでは、満開とは言えなかった。東京の満開は、四月二日だったそうなのだけれど。
 クローンでも、違うのだろうか。今年はいつになく、そんなことを思う。満開といっていた四月二日、すこしだけ近所の桜をみたが、まだほとんど咲いていない…と思ったが、それでも少し咲いているところもあった。陽射しの量とか、そんな違いなのだろう。けれども、今年はいつにもまして、その差が多いような気がしたのだった。そして三日の月曜、晴れていたので、午後になって、桜を見に行った。いつもの桜だ。コンクリート護岸された、すこしドブの臭いがする川沿い、仙川の桜並木へ。
 そこへゆく前にも、桜をみたが、まだ五分咲きぐらいだったとおもう。だから、わたしとしては前夜祭的な意識があった。満開の前の、狂騒前の、ぎりぎりの狂想。満開前の、待ち望む気持ち、すこし物足りない気持ち、けれども、散ってゆく、終わりに向かう花よりも、まだ、淋しさがなくて、華やぎがあって。
 おなじ桜のはずなのに。この橋からみるそれは、まだ四分咲きぐらいだろうか。見た眼には三分咲き位に見える。けれども、数十メートル咲きの橋近くの桜は八分咲きぐらい、ほぼ満開のあのざわめきを宿している。陽射しのせいだからか。今年の桜はゆっくりと花開く。ゆっくりだからこそ、違いが目立つのかもしれない。けれども、クローンたちに、差が生じているのだと、考えるのは楽しい。勝手な夢想なのだけれど。彼らは個々、ちがう花にゆっくりとなってゆくのだ。



 四日の火曜。また仙川に桜をみにゆく。一日でだいぶ咲いたようだ。けれどもまだ満開ではない。早いところで八分か九分咲きぐらい。まだつぼみのめだつ五分咲きぐらいのところもある。
 だが、四日のほうが、桜に浸かっているかんじがあった。酔ったような、すこしぼうっとしたような、むせるような。花にかこまれて。そうだ、この感じだ。
 今年は、すこしだけ、例年とかわったことをしてみた。いつもは自転車でずっと、仙川をいったりきたりしているのだけれど、自転車を近くの駐輪場において、歩いてまわってみた。ゆっくりとまわる感じ。写真を撮るのにはこのほうがいい。けれども、慣れのせいなのか。じつは自転車をとりに、というか、帰るつもりで自転車置き場にいってから、またもういちど桜をみにきて、やはり、こちらのほうがしっくりするなと思った。いや、両方経験したらいいのだろう。自転車のスピード(桜を眺めている人も歩いているし、そんなに出しているわけではないのだけれど)、この速度が、開花してからすぐに散ってしまう桜にあっているような気がした。早いことは早いが、車ほどではない速さ。だって、昨日と比べても、まだ満開にはなっていないもの。それと高さ。身長よりもほんの少しだけ高いところからみる景色がまた別の桜の側面をみるようだった。だからどちらも経験してよかったと思った。
 四日は、三時間ぐらい桜をみて回っていた。家の近所なのに、旅行をしているのだと思った。非日常だから、そうなのだろう。仙川、そして野川沿いの公園の桜、お寺の桜。
 ところで仙川でも野川でも、桜は水に枝を伸ばしていた。水に向かう桜。自分が水が好きだから、桜もそうなのかと勝手に思っていた。いや、それとは少し違う。自分が水を求めているので、枝を水に向けるその姿を、いとしく思っていたというべきか。



 桜が水に向かう。水辺に植わった桜は、ほぼ一様に。だから河の両岸に植わった桜たちは美しくみえたものだった。桜たちが天に咲き、地という水にも、映った姿で、その花を倍にふやして、橋からみれば、四方、天地左右、前も後ろも、すべてが桜につつまれる。だからこその狂騒だった。もう少し仙川を上流のほうへいっても、いったん桜がとだえるけれど、また桜だらけの公園にゆける。ただ、今年はもう、この狂乱、この桜につつまれただけでも、いいような気がしたので、ゆかなかった。
 水に向かう桜。これは陽射しを求めてなのだそうだ。明るさを求めて。そのことでもまた、わたしは勝手なことを思ってしまう。たとえば水に映る月にひかれる自分と、その姿を重ねてしまうのだ。水に映る月にひかれる者は古来から多い。この場合は水に映る太陽のほうが近いのかもしれないけれど。手に届きそうで届かないものたち、幻影たち。けれども、たとえば桜は、おそらく水に映った光によって、何かを実際に受け取っているのだろう。そして水に映った桜によって、わたしもまた。それが届いた、ということになるのかもしれない。
 四日の夜にこれを書いていたが、零時を回って、今は五日。午後から仕事があるので、五日の午前中に、少しだけ仙川の桜を見ることができるだろう。おそらくそれが最後だ。どんな出逢い、逢瀬になるだろう。



01:14:48 - umikyon - No comments

2017-03-20

善と悪のあわいで、さくことがにぎわって。(越生梅林、オリエント急行殺人事件)



 前回、ここを書いてから、どんな春を感じただろうか。ちいさい春はたくさんあった。メジロの声をきいたこと。タンポポを見たこと、雪柳が滝のように咲いていたこと。そして大きな春というわけではないけれど、毎年のようにいっている越生の梅林に梅をみにいった。六分咲きくらいだろうか。このぐらいがちょうどいい。満開すぎの、かれた花がちらほらみえるのは、どこかさびしい。春休みがまだもうすこしあるかのような。まだ学校にいかなくていい、もう少し休みにくるまっていられる。そんなことに少し似て。
 啓蟄もとっくにすぎて、もう春を感じていいころだ。だが寒さのせいか、まだいまいち実感できていない。このもやもやもまた。そんななかでみた梅たちは、したしげで、けれどもやはりうつくしかった。それをみているわたしが、まえにもみたなあと思うことで、かつてのわたしを二重に映す。それが梅との再会であり、かつてのわたしとの再会でもあった。
 梅の足もとに福寿草が咲いている。そうだ、お正月に縁起物として売られているこの花は、実は今頃が見ごろなのだ、そう、いつも思い出させてくれる、春のやさしい黄色だった。ヒメオドリコソウが咲き、オオイヌノフグリが空色の小さな花をつけて。
 うねうねと無骨な幹と繊細な白い花たち。桜よりも先に春をしずかにつたえてくれる花たち。ひくい枝が空とわたしたちの橋渡しをしてくれるような満開。みあげれば、雲よりも近い白さがある。
 でかけた日は晴れていた。あたたかくちょうどよい日だった。梅干しを買う。これもきたとき恒例になっている。家で梅干しを頂くたびに、思い出す、というほどでもないけれど。こんなことも非日常が日常と接している、ということなのだろう。







 『オリエント急行殺人事件』(アガサ・クリスティ原作、一九七四年)を観た。好きな映画だった。はじめてみたのはテレビでだった。たぶん日曜洋画劇場とかだとおもう。わたしは中学生だった。映画の魅力にとりつかれていた頃だ。出演者のイングリット・バーグマン、『カサブランカ』(一九四二年)や、もっと年代が下っても『追想』(一九五六年)でみたよりも、だいぶ年齢が上になっていたのを、すこし悲しく思った記憶があった。リアルタイムでみているわけではなかった、私にとってのリアルな時間は、『カサブランカ』、『誰が為に鐘は鳴る』(一九四三年)、『ガス燈』(一九四四年)などのバーグマンだった。それが先だったから。同じく出演者のジャクリーン・ビセットは、テレビの『チャーリーズ・エンジェル』が先だった。その他、ショーン・コネリー、ローレン・バコール、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、マイケル・ヨーク……、きいたことのある懐かしい人たちばかり。
 いや、大好きな映画だったが、この映画について語ろうと思ったわけではない。なぜなら語ろうとすれば、ストーリーに触れなければいけないから。それではなにかが損なわれてしまう。ネタバレてきなことをしたくないのだ。だから映画の周辺で。そう、観ていて、もう数十年ぶりに観たのだけれど、泣いたシーンが、中学生のときとまったく同じ個所だったことに、どこか喜びのようなものを感じたのだ。「彼らは事件さえなかったら、義理の親子としてここにいたはずだ…」たとえばそんなようなことを心のなかでつぶやく。それは中学の時も、今もおなじ言葉だった。呪文のように、その言葉が涙をさそったのだった。
 ところで、オリエント急行。箱根のラリック美術館にそのサロンカーが、カフェとして展示されている。ラリックが室内装飾を担当しているからだ。わたしはまだ外からしかみたことがないのだけれど、ガラスパネルだけは、別の場所、ラリック展か何かで展示しているのをみたことがある。浮き彫りになった葡萄と裸体の女神たち。明るい、みずみずしい、生の謳歌。ラリックを好きになったのは、中学生よりももっと後だったから、はじめて映画をみたときは、装飾のことなどは、豪華だなあ、繊細だなあ、ぐらいは思ったかもしれないけれど、割と流していたと思う。
 いま少し調べたら、映画で使われた客車の中は、撮影用に独自に作ったものなのだとか。だが、今回『オリエント急行殺人事件』を観ていたら、おそらく複製なのだろうけれど、ラリックの装飾パネルが映っていて、おもわずみとれてしまった。これが今と中学生の時と、違う点だと思った。これが時間が経っているということなのだろう、と。けれどもこの違い、悪くはなかった。

 ここまで書いて、すこし風邪などでここを離れていた。その間に考えたこと。『オリエント急行殺人事件』が、中学生のわたしに魅力的だったのは、たぶん、善と悪に完全な区切りがないということを教えてくれたからではなかったか。犯人は殺人を犯したということで悪なのかもしれないが、彼らは善でもあった。また殺された被害者はどちらかというと悪であった。だからといって殺されていいのかという観点に立つと善でもあるかもしれない。いわば被害者という善。事件を解決するポアロも、謎解きで突き止めた答えだけが彼にとっての善で、ほかはその次なのが、粋だった(このあたりのニュアンスは映画をみていないとわかりづらいかもしれないが、ネタバレをしたくないので…すみません)。
 中学生のわたしは、もっと世界は勧善懲悪的に成り立っていると思っていた。もっと単純に、善と悪はわかたれているのだと。それを哀しみをつたえてくれることで壊してくれたのが、『オリエント急行殺人事件』だったのだろう。

 すこし離れていたあいだに、だいぶ春らしくなってきた。陽射しがちがう。まだ寒いけれど、陽だまりがどこかやさしい。スミレ、ハナニラ、ムラサキダイコン、ヒヤシンス、ユキヤナギたちも咲いている。あの芽鱗たち、猫の毛みたいなふくらみたちも、その皮を割り、咲きだした。モクレン、コブシたち。それにも思わず手をのばし、ふれて。
 このところ、『日本人の愛したことば』(中西進)を読んでいる。図書館で借りたのだが、手もとに置きたくなって、今、注文中。そこに、こんなことばがあった。
〈幸せは昔、「さきわい」といいました。体の中に花が咲くということです。〉春にどこか心がさわぐのは、こんなことでもあったかと思う。


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2017-02-25

小さい春



 冬が苦手だ。昔からそうだったが、特に意識するようになったのは、以前、もうだいぶ前だが、うつ病にかかっていた頃だっただろう。冬の日光量の少なさが、あの病には多分に影響するらしい。それが特に如実に感じられた頃。日光量に左右されるなんて植物みたいだと、何となく思っていた。冬の陽射しの遠さが、たしかに身体から何かをうばってゆくような心持がしたものだった。はやく春になればいい。
 あいかわらず冬が苦手だが、以前に比べると冬の良さを探そうとしている節があるかもしれない。花も少ない。だが一月になれば水仙が咲く。今の季節は梅や木瓜。あと、ネコヤナギみたいに、葉や花の元になる芽を毛で守っている木たちが目につく。芽鱗というそうだ。毛皮を着た芽たちが、冬の寒さを耐えている姿がけなげだ。種類はわからないけれど、おそらく木蓮の仲間なのだろう。モクレン、コブシ、そしてもちろんネコヤナギ。やわらかそうな毛に、おもわず触りたくなる。実際、なんどか触った。温かいものを感じる。そして一月には、もう沈丁花の蕾を発見した。咲けば、匂いでわかる。まだ固そうだが、これが咲けば、春といっていい。蕾を見るだけで待ち望む気持ちが再確認されると共に、忘れていた匂いが、感じられそうだった。



 わたしはずっと三月の啓蟄の頃が、春の始まりだと思っていた。というより、その頃なら、もはや春といっていいだろうと。それ以前は、まだ春だと信じられないでいた。どんなに暖かくても、どうせまた冬のような寒さに戻るのだろう、そんな不信感を持っていたと思う。三月に入ったら、もう春といっていい、安心して、陽射しを浴びていい。
 だが、この春、ようやく三月という枷をとってもいいんじゃないかと思うようになった。積年来積み重なったものが、そんなふうに何かを氷解させてくれたのかもしれない。三月までまたずとも、二月に、もう春が。
 今年になって、最初にそれに気付き、はっとしたのは、立春をすぎた頃だった。更地なのだろう、空地にホトケノザが咲いていたのを見た。こんな時期から咲くのかと、見たことが信じられなかった。けれども春を感じられてうれしかった。立春を春といっていいのか。いや、まだだ。
 それから少しして、いや、徐々に。晴れるとたまに間違えたように暖かい陽気になることがある。天気予報でも、今日は四月の陽気だといっている。それはいつもの陽気ではないということだ、例外的に暖かいということだ、まだ信じられない…、けれどもそんな陽気のときに、近くの公園を通り、人工の小さな用水路を見る。春の小川のようだと思ってしまう。水はつめたいのだろうけれど、春らしく温もっているのではないかと思ってしまう。それほど、ひざしが水をやさしく輝かせているのだ。ちらめいて、冬のころより、だいぶ明るくて。




 二月のなかば、家のベランダに、一瞬、メジロが舞い降りた。緑色の姿にウグイスかと思ったのだが、メジロだった。ベランダの下、一階の芝生に木瓜が咲いている。そのあたりに止まった。梅にウグイス、のような姿だ。赤い花に緑の体が春らしくて合っている。
 そのすぐあと、こんどはベランダに雀がきていた。ベランダに置いてある鉢植えに、本来植えた覚えのない草が生えている、特にハコベ。それをついばんでいたのだった。
 そして数日後。木瓜が咲いているあたりをベランダから眺める。雀たちが芝生でなにかをついばんでいる、メジロはみえない。けれども四十雀が、どこか高い空で、鳴いているのが聞こえる。ああ、四十雀の微妙に遠い鳴く声を聞くと、いつも早い春を感じたなと思い出すのだった。
 そんなふうに、二月から春が感じられることが少しうれしかった。いや、もしかすると一月から感じていたかもしれない。年賀状の挨拶で、迎春と言うではないか…。
 ホトケノザは、二月半ばの段階で、うちのマンションの一階あたりで咲いていた。いや、咲いているのを見つけた。おなじ敷地内でも、ちょっとした日当たりの関係だろう、まだ葉はあったが、咲いていない群生もあったのだけれど。ああ、ホトケノザはわたしにとって、春告草のひとつなのだなと、ぼんやりと思う。なんという晴れた日なのか。ちかくの公園のあの用水路でも、きっとぬるんだ水をたたえているだろう。
 いつだって、もっと春を、ありのままに感じたらいいのだ。



 このごろ、これが現実でなくて良かった…と思えるような夢をみることが続けてあった。覚えているのでは二つ。
 一つは、都心で飲んでいて、終電を逃してしまった。歩いてなんとか家に帰ろうとするのだけれど、様々な障害があって、なかなかたどりつけない。だいぶ時間が経って家にスマホで電話をするのだが、なぜもっと早く連絡しなかったのかと冷たい態度で問い詰められる。やましいことはないのだが、答えられない。なんだか面倒になってしまったのだ。このニュアンスがつたわるかどうか。その理由を伝える手間が面倒だった、というよりも、おそらくそれを判ってもらえないんじゃないかという気持ち。あるいは、それらのやりとりを瞬時にシミュレーションしている自分がいて、延々とつづくその不毛さに、うんざりしてしまっているという感じ。
 都心には、様々な罠があった。魑魅魍魎が潜んでいた。あやしいネオン街の迷路、誘惑のような小箱(多分、麻薬のようなものが入ったそれへの誘い)、恋愛遊戯。わたしは夜から逃れた場所、朝のなかを歩いていた。真昼の高速道路のようなところだった。わたしの潔白にふさわしい真昼、けれども高速道路を歩くという、間違えた行為。それがおそらくわたしの立ち位置にふさわしいものだったろう。だから、電話をかけた相手に、強気でいられなかったのだ。
 それは朝方に見た夢だった。目を覚ましてだったか、覚ます前だったか、つくづく夢でよかったと安堵した。
 そして、昨日。なぜだったのか、母がわたしの大切にしているものたちをねこそぎ持ち去っていった。母がいうには半分。半分だけ、自分がもっているほうが、今後の事を考えたらいいのだと。半分といったけれど、無残に欠損した場所が浮かび上がる。ごっそりと、蔵書のたぐい、美しいガラクタたちの、わたしなりにこしらえた配置の崩壊、概ねの傷のような穴。それは非日常に限ったことではなく、日常にも関係していた。わたしが着る服、いつも使っている化粧品など。なぜ、アイシャドウすら、もっていったのか、理解に苦しんだ。夢の中で、なくなったものたちで、特に愛着のあるガラクタたちと似たものが、おそろしく安い値段で売られているのを、ネットかなにかで見た。またこれを買えばいいのだろうか…。けれども、それでは何かがちがう。その物のもっていた思い出がない。売っているものは似ているけれど別物だ…。そんなことを想っていた。それもこれも、目を覚ます寸前だった。この時も、ああ、夢で良かったと思った、おそらく声にすら出して。
 葬式の夢を見るように、予行演習しているのだろうか。いや、予行演習というより、今とちがって、こうだったら、どうなのか、そうしたニュアンスのほうが強いような気がする。さっきも、うたたねでなにかの夢をみていた。なにか言葉に関することだった。これが夢で良かった…。それがなんであったのか。
 ちょっと前の新聞の文芸欄で『中島敦全集1』(ちくま文庫)が取り上げられていた。手元にその新聞がないので、もはや詳細は覚えていないのだけれど、その中の『光と風と夢』の記述が美しいといったことだった。ともかくそれがきっかけで、図書館で『中島敦全集1』を借りて、今も読んでいる。ここに入っている『山月記』等はずいぶん前に読んだ記憶があったから。
 たぶん、この全集と夢は関係しているのだと思う。どこがなのか、具体的にはわからない。『山月記』的な内容がだと思うのだが…。詩人になりそこね、虎になってしまった男。この話は、そればかりではないけれど、悔いもそこに流れている。こんな風にしなければ、詩人になれたかもしれない……。耳のいたい話でもある。
 また、『狐憑』も短編だがインパクトがあった。これは今回はじめて読んだ作品だと思う。ホメロスの時代よりももっと以前、憑きものがついたという、ある部族の男は、実は詩人だった。想像力溢れた、お話しを語る男だった。彼は最後に、憑き物がなくなり、物語ることも出来なくなった。その末路は悲惨だ。「斯うして一人の詩人が喰はれて了つたことを、誰も知らない。」
 また夢をみた。めずらしく亡くなった父に怒られている。もう数十年、夢で会える父はいつも優しかったのに。朝起きて、その日一日中、落ち込んでいたのは、そのせいだったのだろうか。その日は春一番が吹いていた。いつもならもっとうかれる筈なのに。沈丁花が香っている。暖かさにもう開いたのだろうか。まだ二月だというのに。菜の花が咲いているのも見つけた。スミレ、パンジー。クリスマスローズも。クリスマスに咲くのだろうか。咲いているのを見かけるのは、いつも春になってからのような気がするのだが。調べたい気持もあったが、クリスマスという名前をもった花が春に咲いているのをみるのも謎めいているようで、このままでもよいような気もした。こんなに春は陽射しが明るく、暖かだったのだろうか。明日からまた寒くなるらしいのだけれど。
 こんなふうに、暖かくても、心が晴れない日もあるのだろう。逆に寒くても、心が上向きになる日もあるのだろう。もっと春になれば、特に。ここまで書いて、また数日。風が強い。春一番から数えて、もう何番になるのだろう。雨上がりの晴れの午後に、沈丁花がしっとりと香っている。きのせいだろうか、ホトケノザが色を濃くしているようだった。桃色から赤紫へ。猫たちを多くみたような気がしたのは、猫の恋と関係あるのだろうか。日が伸びてきた。きりがない。またぞろ、それでもさわがしい季節がはじまろうとしていてくれるのだ。


00:28:33 - umikyon - No comments

2017-02-10

冷たさのなかに温もるガラスが永遠を─ガラス絵展(府中市美術館)

 府中市美術館の「ガラス絵──幻惑の200年史」展に行ってきた(二〇一六年十二月二三日─二〇一七年二月二六日)。
 府中市美術館は、春の江戸絵画まつりと称する催しがほぼ毎年、三月から五月位にかけて開催されていて、ここ何年かは、たいていそれ目当てに出かけているので、基本一年に一回以上赴いていることになる。ちなみに今年の江戸絵画まつりは、残念ながら、私の苦手な画家の展覧会なので、行く予定がない。それもあって、かわりにこの展覧会に行こうと思ったというのもある。府中市美術館は好きな美術館の部類に属するから。
 ガラス絵は、去年二〇一六年の「春の江戸絵画まつり ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」展(二〇一六年三月十二日─五月八日)で観た記憶がある。
 そのまえにガラス絵とは何か。ちょうどHPやチラシなどの展覧会の案内に載っていたので引用する。
「 透明なガラス板に絵を描き、反対の面からガラスを通して鑑賞する、ガラス絵。古くは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、中国を経て、日本へは江戸時代中期に伝わりました。
 それから、およそ200年。新奇な素材の輝きと色彩が人々の眼を驚かせ、幕末明治期には異国風景や浮世絵風のガラス絵が盛んに描かれました。大正・昭和初期には、小出楢重、長谷川利行という二人の洋画家がガラス絵に魅了されて自身の芸術の重要な一部とし、戦後も藤田嗣治、川上澄生、芹沢げ陝桂ゆきといった多彩な作家たちが取り組んでいます。
 透明なガラス面を通して見える、絵具そのものの艶やかな色の世界。通常の絵画と絵の具を重ねる順番を逆転させる、緻密な計算と技巧。そして、装飾を凝らした「額」と相まって生まれる、きらびやかな存在感。本展では海を渡って日本に伝えられた海外のガラス絵から、近代以降の多様な作品までの約130点によって、見るものを幻惑し続けるガラス絵の魅力と歴史を紹介します。」




 
 「ファンタスティック」展では、おそらく長崎で作られたであろう風景画とも風俗画ともいえないガラス絵に興をおぼえたものだった。冷たいようなガラスの質感は、異国的なものに思えただろう。日本にこれまでなかったような素材だ。だからだろうか、まさしくエキゾティックでファンタスティックなもの、異国情緒と幻想をもたらしてくれるものだった。そしてどこか懐かしいような。
 ちなみに今回の「ガラス絵」展のほうには、「ファンタスティック」展でもあったものとして、中国製のガラス絵《青服を着た中国婦人図》《広東港内の景》(ともに浜松市美術館蔵、十八世紀〜十九世紀)が、展示されていた。



 けれども、すこし先を急ぎ過ぎたようだ。また戻って。
 多分、私が惹かれたガラス絵は、江戸期に作られたものだったろう。なんとなくそれが判っていたので、江戸から明治、現代までに渡る今回の展覧会は、あまり期待していなかった。けれども、出かけたのはどうしてなのか。瑣末な事情が重なって。もちろん、先に書いたように、今年の江戸絵画まつりは行かないと決めていたので、そのかわりでもあったけれど。
 今回は車で。連れていってもらった。それまでは独りで自転車でだったが、まだ二月は、自転車はすこし寒い。家から十数キロあるので…。それはささいな言い訳だ。冬は苦手だ。はやく春になればいい。春の暖かさが、温もりのように感じられる。暦の上ではもう春だけれど。
 展覧会は、さて、思ったとおりに、江戸時代のものにやはり心に残った。それと意外だったが藤田嗣治の《思い出》(一九五二年、個人蔵)。君代夫人との私的な思い出を年代順に描いた小品。絵日記を閉じ込めたような。ガラス絵には思い出がよく似合う。
 全体的にいって、やはり、それほど惹かれる作品というものはなかった。けれども、個々に、どれが、というわけではないのに、ガラス絵というだけで惹かれてしまうのはなぜなのだろう。だから、個々に心残した作品というのがほとんどないのに、なぜかいい展覧会だったという印象を持ってしまう。ほかの展覧会だったら、たぶんがっかりしたりするだろうに。
 ガラスに惹かれるのかもしれない。そう、それが、この展覧会に出かけようとおもった最大の理由だろう。ギヤマン、ビイドロ、ステンドグラス、幻灯機、ルネ・ラリックのガラスの女神たち、ガレのランプ、ビー玉、おはじき。わたしにとってガラスはノスタルジーであり、幻想であり、異国であり、それらすべての代名詞となっているのかもしれない。ガラスの小函を思い浮かべる。ステンドグラスで出来た。それは少しだけ凸凹している。厚みがあって。両手で持つ、というよりも両の手のひらをガラスにぴったりと密着させる。最初はつめたいだろう。けれども、だんだんと温もりが感じられるようになる。ガラスの函のなかには、永遠が入っている。それが幻想であり、異国だった。幻たちとのつかのまの、永遠につながる交流なのだ。
 そんな冷たいような温もりが、展覧会にならんだ作品たちから感じられた。だからこそ、心にやさしかったのだ。
 そうしてガラスが懐かしさを感じさせるのはなぜなのだろう。まだなんとなくしかわからない。けれども、ガラスというと、人肌のようなものを想起する。そして人肌と懐かしさが結びつく。ぬくもりは懐かしいものだから。ガラスの冷たさのむこうに、ガラス絵の温もりが宿っている。ガラス絵は内側から描くから。
 そういえば、展覧会のサブタイトルも“幻惑の200年史”だった。幻想として惑わせるもの、誘うもの。手招きするような、冷たさがやさしい。
 企画展の展示室を出ると、ちょっとした遊び場がいつもある。いつもならスタンプなどで絵ハガキが作れたりする。今回は栞サイズの厚手のセロファンに、輪郭だけの招き猫が描かれていて、それに裏から自由に色をつけて、ガラス絵っぽいものを作るというものだった。猫は《ガラス絵をはめた小町水看板》のなかにいるもの(チラシにも小判のように部分として載っている)。
 作ってみたが、こうした行為も楽しい、ゆかしいものだ。
 ところで、チラシ。てらてらした光沢がある紙でできていて(なんという紙なのか判らないのだけれど)、ガラス絵っぽい感じが出ている。何かステンドグラス風にコラージュされているのも素敵だと思った。
 ミュージアムショップでは、図録は買わなかったが、先に挙げた中国製のガラス絵《青服を着た中国婦人図》の絵ハガキと、この展覧会ではない、二〇一五年の「動物絵画の250年」展(二〇一五年三月六日〜五月六日で、心に残った司馬江漢《猫と蝶図》のA5判のクリアーファイルを購入した。
 三毛猫が空をゆくアオスジアゲハを夢見るような眼差しで見上げている。わたしはこの絵が好きだったのだ。ちなみに今回、司馬江漢の作品も展示があるというので、ガラス絵なのかしらと楽しみにしていたのだが、冊本だった。西洋絵画の手法を独学で学んだ画家だから、ガラス絵も製作したらしいのだが、現存しないとキャプションにあった。
 だが、クリアーファイル。買ったときは気付かなかったが、今こうして手もとにおいて眺めると、なんだかガラス絵につうじるような気がしてしまう。片面は《猫と蝶図》に忠実だが、もう片面。猫のみあげる空が、ぽっかりと丸い穴みたいに透けて、なかにさし入れたものがみえるようになっている。ガラスの窓みたいだ。それはあの場で買って帰ってくるのにふさわしいもののように思えだ。すきな美術館で、すきな作品を。そして、今回の展覧会を彷彿とさせるクリアーファイルというのは。



 帰りに車だと美術館から数キロのところ、おなじ府中市にある武蔵府中熊野神社古墳というところを訪ねる。飛鳥時代、七世紀の中頃に築造された上円下方墳。
 こうした場所におとずれると、なにかしら静かな異質さを感じる気がする。あたりの空気がおごそかになる。とけこんでいながら、異質さをたたえている。そこだけ神聖になるからか。日が傾いてきていた。西日をすこしあびて、はじめて訪れたそこは、よけいに静けさをたたえていた。しだれた枝は、桜だろうか。まだつぼみすら見えない。はやく春になればいい。暖かさが温かさだ。


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2017-01-30

よそよそしさを、ぬけたら、白濁として、やさしい今で

 また少しここをあけてしまった(もはやいいわけはしないことにする)。
 このあいだに、「特別展 火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館 二〇一六年十二月十日─二〇一七年二月五日)に出かけてきた。この博物館は、以前、山種美術館にいったときに、あるいていけるところにあると知ったので、帰りに出かけたことがあった。山種美術館は恵比寿駅から行くが、國學院大學博物館だけ行くなら渋谷駅が最寄り。
 山種美術館は好きな美術館だが、今回はとくに行きたいとは思わなかったので、國學院のほうだけ、なので渋谷から行くことにする。
 通勤で使っていないので、電車にめったに乗らない生活を続けている。これを書くのも、実は日が経ってからなので、もはやうろおぼえなのだが、たしかこの時、電車に乗り間違えたような気がする。この頃、電車に乗るたびに、なにかしら、こういうことがある。進行方向を間違えたり、同じホームから出る別の電車に乗ったり、乗り過ごしたり。その度に、もう長いこと通勤で使っていたはずなのになと、ぼんやりと思う。それだけ離れてしまったのだと。
 渋谷駅にでるのもさらに久しぶりだった。一年とか数年とかかもしれない。いまだに、というか、なぜか渋谷には慣れないでいる。小さい頃から、それなりになじみがあった場所のはずなのに。東横のれん街、バスターミナル、そのころよく行き来していた父方の親戚の家へ行くときに寄っていたと思う。それにわたし自身、渋谷からバスで三つ位の所に、一時期住んでいたことがあった。なのに、なぜか馴染みがない。同じような街であるはずの新宿は、もっと馴染みがあるのになと思う。小さい頃住んでいた場所から、電車一本で出れた最初の都会。その記憶もあって、新宿にあるということで、選んだ勤め先(もちろんそれだけではなかったけれど)。今や新宿もめったに行かない、遠い場所にはなっているけれど、こちらは少なくともよそよそしい感じはない。
 そう、渋谷にはよそよそしさを感じてしまうのだ。なぜかは判らない。たとえばほかの駅、街ならどうだろうか。池袋も埼玉や板橋区に住んでいたころはなじみのある駅だ。こちらは懐かしさはあまり感じないが、よそよそしさはない。ちなみに池袋は、どこかわたしの中では日常に属しているようだ。日々のなかで行きすぎた街。感動はないが馴染みのある街。
 上野はどうだろう。もっぱら美術館しかいっていないので、よくわからない。わからないが、それなりに思い出がある。不忍池、上野動物園、にぎやかすぎるお花見、アメ横の雑多な賑わい。周辺の地理的な状況になじみはないけれど、やはりそれなりにゆかしい場所だ。基本的に非日常に属している…。
 新宿は日常と非日常に属していただろう。子どもの頃の思い出がもはや非日常、通勤で使っていたのが日常で。おなじような渋谷だけがなぜかよそよそしく感じられるのか。近くの麻布や六本木、白金は、ゆかしく感じられるのに。
 渋谷駅についた。駅をずっと工事していることもあって、出口が迷路のようだ。よけいわけがわからない。とりあえず渋谷警察署があるほうの出口(たぶん東口)へ向かう。この工事中のバスターミナルが、かつてのわたしが使っていたはずのものなのに。ふと二〇一一年の東日本大震災の時のことを思い出す。当時は新宿で勤めていて、そこで地震にあった。電車もバスも止まっていたので、結局、現在の家のあるところまで歩いて帰った。新宿がなじみだとはいえ、方向音痴なこともあり、新宿から家まで、どうやって歩いていいかわからなかった。渋谷から家までなら、バスを使って行き来したことがあるから、なんとかわかる。遠回りかもしれなかったが、まず新宿から渋谷へ(こちらもうろおぼえだが、基本的に明治通りをまっすぐいけばつくはずだったし、実際着いた)。ここからバスの走っていたであろう道をみつけるのも不安だったが、三軒茶屋方面へ行く大きな道を探せばよかった。それにしても、なんと、文明の利器にたよった生活をしているのか、今更ながら驚いた記憶があった。なじみがある街と街をむすぶ道すらよくわからないなんて。携帯電話もつかえないまま、ほとんど電池が切れそうになっていた。




 わたしは思いつくまま、なにを書いているのか。もう少し。渋谷駅でまず國學院へむかうはずの道をさがすだけで、一苦労だったが、その渋谷駅で、では、二〇一一年のように、家に帰るはずの道はさがすことができるのか、ふと思ったのだ。もはや、それすら、不確かになっていた。あの当時は、渋谷に出ることはあまりなかったにせよ、少なくとも電車は毎日乗っていたので、いろんなことが、もう少し身近だったはずだ。みたところ、今向かっている出口までの道にはなさそうだった。今のわたしが、渋谷駅から家まで歩いて帰れるだろうか。距離的なことではなく(たしか十何キロ、二十キロなかったはず)、道がよそよそしそうなのが不安だった。その道をさがせないのではないか…。

 そんなことを考えながら歩いていたら、いきなり渋谷警察署が向こうに見えた。ああ、あそこだ。あの通りをゆけば、國學院へつくはずだった。ちなみに帰りに、家へ歩いて帰れるルートは見つけられた。探せたことが、なぜか拍子抜けするようで、さびしかった。
 そして渋谷警察署。この近くにかつてよく行ったジャズ・バーがあった。今はもうない。連れて行ってくれた男も亡くなってしまった。たしかこのビルの地下を降りたはずだ。この瞬間だけ、渋谷はよそよそしい態度を変えてくれた。お店の名前も忘れてしまったというのに、なつかしさが風のようにそよいだ。

 さて、本題なのかどうか、國學院大學博物館へ。縄文時代、土器、土偶は好きなので、結構楽しみにしていたのだ。だが、何故なのか。実はあまり感動しなかった。わたしの心持のせいかもしれない。特に火焔型土器が好きだったから、この展示は、もっと感動してよいはずだったのに。企画展や、常設も一部を除いて写真撮影OKだったから、とりあえず写真を撮っておいた。後の為に。なぜなら、写真を見ながら、こうして書けば、もしかするとその場ではわからなかった、感動のようなものがやってくるだろうか、そう思ったから。けれども、不思議と浮かんでこない。不思議に思ったのは、それでもその場で見た土偶に関しては、何かしら感じ入るものがあったのだった。なのに写真にはいっているそれは、感動云々よりも、すこし怖いような感じがした。かけらとなった土偶たちが並んでいるのだけれど、その姿がどこかまがまがしいようだった。その場でみたときは、もっと穏やかさをたたえていたのだけれど。
 この博物館は無料だ。無料でこれだけのものがみれるのは、やはりありがたいことだ。常設の考古学展示も見ごたえがある。そうだ、たしかこのとき、土偶とともに、黒曜石の石器の展示に心ひかれたのだった。あの黒光りする輝きに、道具をとおりこした神秘を感じたのだった。それは美との共存ということかもしれない。ちなみにこの常設には、糸魚川の翡翠も展示されている。勾玉で、後ろからライトで照らしてくれているので、その輝きがよくわかる。透けてみえるそれは澄んだ川の、日なたの色彩のようだ。あるいは草原をわたる風と光のようだ。前に見に来たときも、この翡翠の勾玉に心を残したものだった。またあえた、という思い。
 ところで、図版カタログ。なんとアンケートに答えると、プレゼントしてくれるものの一つになっていた。アンケートをして、手に入れる。帰りの電車などで開いて読んだが、学術的な資料としての意味合いが強いようだ。
 帰りの話になったので、そのまま外に出ようか。お正月に久しぶりにシェリー酒を飲んだ。かつては好きでよく飲んでいたのだ。それでまた、なにかに灯が点った。アブサンなどのアニス系のお酒やグラッパなどが飲みたくなった。緑色の薬草臭の強いシャルトリューズもいい。アルコール度数が強くて甘いリキュール系のお酒。ちびりちびりとだ。こうして机にむかっている、そのお供に。
 渋谷のデパートでそれらを見て帰ろうと思った。東横のれん街で。なつかしい筈の場所だ。小さいころ、よく来ていた…。けれどもあいかわらず、よそよそしい。よそよそしいを通り越して、殆どはじめてくる場所のようだった。それでもお酒売り場へ。残念ながらというか、あのよそよそしさに合って、というべきか。みごとに欲しいものがなかった。 電車へ。京王井の頭線だ。ここから下北沢乗換で、小田急線へ。小田急線の豪徳寺は、わたしの出生の土地。車窓から、そのあたりを眺めた。たしか、ここ…。もはやよそよそしさは感じられない。さっきからずっと。そして自宅最寄駅へ到着。この駅前のスーパーで、実は先のお酒の一部が売られていたのを確認済みだった。そこではなく、このスーパーの系列のお酒専門店(ワインがメインのようだったが)へ足を運ぶ。アブサン、ぺルノー、シャルトリューズなどのお酒、グラッパやマール(どちらも葡萄のしぼりかすを蒸留してつくったお酒)が売られていた。ありがたい、贅沢なことだと思う。最寄駅でこんなものたちに出逢えるなんて。アブサンはアニス系のリキュール。十九世紀フランスの芸術家たちに愛好されたこともある。ヴェルレーヌ、ロートレック、ゴッホ。ミュシャがポスターを描いたこともあった。なかに入っていたニガヨモギに幻覚作用があるとかで、長らく製造が禁止されていたこともあったが、現在は売られている。
 この来歴が好きだったということもあっただろう。以前はよく飲んでいた。ただ甘くて飲みやすい割に、アルコール度数が高いので(四〇度前後)、書きながら飲むのには向かない。すぐに酔っぱらってしまうから。それもあってすっかりご無沙汰していたのだけれど。
 たぶんあの頃に帰りたいというより、あの頃のような気持ちで、書くことをしたくなったのだと思う。そのために、大事なオブジェとして。
 なやんだ末、ウゾ12を買った。こちらはギリシャのお酒。ブランデーにアニスを浸したリキュールだそうだ。もともとワインが好きなので、ブランデーというだけで、親近感を感じてしまう(ブランデーは白ワインを蒸留させて作ったもの)。ニガヨモギは含まれていないが、以前、おいしいと思って飲んだ記憶がある。それにアブサンやペルノに比べて安い。ただアブサンやペルノに比べると、香りのふくよかさが足りない気もしたが…。
 買う時、ひさしぶり感がうれしかった。いつかのようだったからか。贅沢だと思った。よそよそしさは、こんなことでふっきれるのだ。お酒を買うことが日常から非日常になっていた。それが今住んでいる所の近くで。そのことが日常にさしこまれた非日常としてわたしを後押しするようだった。こんな風に日常のなかで、非日常を経験すること。非日常を根として継続させること。それこそが書くという行為ではなかったか。
 たぶん、おおざっぱにいえば、わたしが縄文にひかれるのは、これらのこととも関係しているだろう。日常が今よりももっと非日常と連結していた時代。火焔型土器のあの使いにくい形は、まさにそうではないか。けれども、なんと美しいのか。
 ウゾ12。これを書いている今日、はじめて開けて飲んだ。びっくりした。なるほど記憶のとおり強いお酒だが、それよりもずっと香りがよかった。草たちが口のなかで、ほとばしるようだった。豊かだった。甘さがやさしい手招きで。よそよそしさがまったくない。うけいれてくれる味だった。かつて、こんなにおいしいと思って飲んでいたのだろうか。たぶん、今のほうが。
 実は正月に飲んだシェリー酒は、今飲んだら、いまいちだった。だからなおさら。シェリー酒はもはや私にとってよそよそしいお酒になってしまったようだ。きっと味覚も変わるのだ。けれども変わらないこともあるのだろう。或いは変わっても連綿と続くことがあるのだろう。それをウゾ12は教えてくれた。このおいしさは、今ならではだ。多分。かつてを引きこみながら、今のわたしがそう感じている。この場所で。ここはきっと、よそよそしくならないだろう。離れてもきっと。ショットグラス一杯だけで、けっこう酔いが回ってきた。けれどもしばらく、このお酒をのむのが楽しみだ。
 ちなみにアニス系のリキュールは、水を含むと白濁する。ストレートで飲むから、あまりそれにお目にかかったことはないのだけれど、冷凍庫で冷やしていたら、すこしだけ白濁していた。まるで思い出たちが今日に混ざるような度合いで。こんなふうに日々を過ごせたら、そう思わせる塩梅だった。いまは澄んだお酒だが。口に含むときっと白濁が。それはあまたを含んでの濁りなのだ。よそよそしさがやさしい響きだ。
01:53:52 - umikyon - No comments

2017-01-01

初日の出(謹賀新年)

 

今年も初日の出の写真を家のベランダから撮る。もう元旦の恒例行事になっている。
大晦日まで仕事だったせいか、年末は年が暮れるのがほんとうに駆け足だった。忙しかったのは、おせちなどの関係だったので、年末や新年の感触を味わっていたといえばいえるのだけれど、それはなんというか、仕事の範疇のことで、どこかわたしとは関わりがうすいような事柄だった。わたしが関わっているのだけれど、わたしが年末を味わうということからは離れている。




 大晦日に、仕事から帰ってきてから、大掃除、そして新年のための料理をつくった。これでようやく年末を感じ始めた。半日ぐらいだ。駆け足にもなるだろう。それでも、そんなことで、ようやく年末を感じるのだ。
 もっとも、年越し蕎麦を食べて、疲れていたのか、すぐに居間で寝てしまって、起きたらもう午前一時近く。除夜の鐘のつきはじめを聞かずに新年を迎えてしまい、そのことがすこしショックだった。
 自分の部屋に戻る。わたしの部屋からは除夜の鐘が聞こえる。まだ撞いているのだと、うれしくなった。鐘の音を聞きながら眠った。
 そして、この初日の出。スマホのアラームをセットする。去年も同じ時間にセットしていて、その痕跡が残っているのが、恒例行事なのだなと、おだやかな気持ちになった。
 初日の出の時間は六時五十分ぐらいだけれど、空が明るくなるのは存外早い。目ざましが鳴る前の六時二十分に少し様子を見に行ったら、もう東の空はすこし明るかった、赤かった。晴れているので、そのことにほっとする。



 そして六時三十分過ぎぐらいからベランダへ。毎年、みにきて写真を撮っているのに、いまいち、どこから出るのか、わかっていない。そのことがおかしくて苦笑する。どのあたりから出るのだっけ。位置を記憶をたどりながら予想する、そこに期待感のようなものがまじって、なんだかうれしい。
 西の方角には富士山。こちらもほんのり赤く染まっている。



 東の地平線あたりがますます明るくなってきた。けれどもまだ、どこから出るのか、ピンポイントではわからない。明るさの真ん中ぐらいなのだろうけれど、障害物もあるので、予測ができないのだ。あと数分。日の出の時刻は過ぎた。もう間もなくだ。出てからの数分は短い。あっというまに空にのぼってしまうから。
 でてきた太陽は、初日の出は、わたしが思っていたよりも左寄りだった。予想がはずれたことに、新鮮な喜びを感じる。今年もみれたなという少しの感慨とともに。





 初日の出が地平線すれすれにあるとき、太陽の形がまだ隠れているそのぎりぎりの時間だけ、かろうじて裸眼でみることができる。あとはもう目がまぶしい。スマホごしに太陽を見て、しばらく写真を撮るが、それも実は、もう逆光になってしまいつつあり、写真としてはいまいちになってしまっている。けれどもあと数分。のぼりゆく太陽に後ろ髪をひかれて。
 鳥がとおりすぎる。写真におさめることはできなかったが、鴨たちもみた。雁が音、初雁、。言葉がよぎる。今年も言葉がこんなふうに彼らとともにありますように。だったらいい。


09:11:00 - umikyon - No comments

2016-12-25

負から慌ただしく逃れたら、年の瀬の声が

 ぼうっとしていたら、もう年末。毎年十二月の中旬ぐらいまではほぼ年の瀬の実感がない。ただ日が落ちるのが早くなったなと思うぐらい。わたしが出かける朝は朝といってもほぼ真夜中。朝五時前。星と満月過ぎの月が見えるばかり。
 中旬をすぎてもまだ、あまり実感がないけれど、クリスマスにむけて街が賑わいをいよいよ増すような気がする。ケーキ、オードブル、プレゼント、イルミネーション、ポインセチア、クリスマスリース。これらがすこしずつ装いに加速度を増してゆく、そのなかで、すこしだけ、私の心もようやく年の瀬を感じてゆくのだろう。
 イブを過ぎたら、街はとたんに年末になる。正月の準備であわただしく賑わいをみせてゆく。実感がいきなりやってくる。そんな風に毎年、暮れてゆく。






 そんな微妙に年の瀬を感じつつある、十二月の下旬、いよいよ、両国にあるすみだ北斎美術館に行ってきた。今年平成二十八年十一月二十二日オープン。北斎美術館が出来ると知ったのは、いつだったろう。おそらく北斎を好きになってからすぐだ。オープンするまで、何年も楽しみにしていたものだった。開館当日に行きたいとまで思っていたと思う。
 そうだ、まだ暑い時期の、オープン前に美術館の外観まで見に行ったではなかったか。北斎生誕地近くにある、所縁も深いはずの美術館。それが何故だろう。実は間際になって、あまり行きたい気がしなくなってきた。その頃、さかんに美術館や北斎を紹介したり、特集する雑誌などが出てきていて、そのなかから、二冊ほど買ったことがあった。たぶん、その記事たちで、なにかを感じとったのだと思う。なにか負の部分を。基本的に紹介記事なので、いいことしか書いていなかったのだけれど。
 その負の部分とはなにか。行ってきた後の今もぼんやりとしかわからない。もちろん北斎に対する私のほとんど愛情に似た想いに変わりはない。だからこそ、負の部分を感じつつも重い腰をあげたのだが。ともかく、なにか美とは関わりのない、気配が漂っていたことに、ほとんどしずかな暗さすらおぼえてしまった。正体はわからない、けれども、なにかすこしの哀しみが漂っていた。
 実は、この文章も書くのに二の足を踏んでしまっていた。正体がわからないからではなく、大好きな北斎にまつわる、いや、北斎の絵と関わりがないものたちの放つ負に触れることをしたくなかったのだと思う。北斎には美のなかでのみ輝いていてほしい。あるいはわたしが北斎について書くことは、共鳴であったり驚愕であったり、肌がふれあうような美との接点だけにしたかった。それ以外のどんなことも…。
 いや、それではあまりに、美術館にたいして、扱いがよろしくないのではないだろうか。いいところもおそらくあった。第一、なにが悪いともわからないのだ。あまりに近代的すぎる豪奢な内装、外装に? デジタル化がすすんだ、温もりが感じられない説明に? 常設での、展示をそこねる、足元を走る青い、うるさい照明に? 真贋が危ぶまれている収蔵作品たちに? 区の名所の宣伝のためと化した展示に? 負のものたちをあげればきりがない。それらがもっと、闇を抱えていること、開館に対して、住民を含めた、あちこちからの反対、税金のむだづかい、それらを知ったのは美術館に出かけた後だったが(それも、知ろうとしてではなく、いつものようにここを書くにあたって何気に検索したら、すぐにそれらがヒットしたのだ)、そんなことも含んでいたのだと、ぼんやりと思う。
 そう、さっきから、この負の正体がわからないから、結局北斎のことを書かないでいる。それでも彼の作品にたいしては、いつものように、しみてくるものがあったのだ。ああ、これがみれて、これが感じられて良かったと思える出逢いがあったのだ。
 わたしは今、あるはざまでゆれている。作品に対して、いつものように感想を書き留めてみたいのだが、それを止めておきたいという思いも、ついぞわきあがってしまう。あの美術館に所蔵されているものにたいして、感想を書くということは、あの美術館の存在を認めてしまうことになるのでは…。そこまで、あそこに対して、こちらからも負の感情のようなものを抱えているのかと、文章にして気付き、すこし苦笑してしまう。
 展示を見てまわっているときから、頭によぎっていたのは、信州小布施の北斎館だった。ああ、あそこに以前、出かけていて本当に良かったと。あちらの北斎館はすくなくとも北斎に対する愛がそこかしこに感じられた。晩年の四年を門下の高井鴻山に招かれ、小布施で過ごしたという縁による美術館。晩年のほんの一時期だ。街おこしにしても、北斎、そして高井鴻山に対する愛着と敬意が感じられた。それがやわらかく町を包んでいた。あの気配のすがすがしさのなかで、あまたの肉筆画たちに出逢えたのは、ほんとうに幸せだった。たいして、すみだ北斎美術館のある墨田区は、生涯転居を繰り返した北斎が、そのほとんどを過ごした場所ではあるのだが…。
 あの負に対して、哀しみが漂うと感じられた理由はわかった。それは負のせいで、この先、この美術館で、北斎をみにいこうと思えないだろう、そのことにたいするものだった。大好きな北斎との仲をさくもの、それがわたしにとっての負でもあった。こうした考えは間違いかもしれないが、もうあそこで飾られた北斎は見に行く気になれない。北斎に会いに行く大切な機会が減ったことに対する哀しみだった。北斎がいつでも見れると楽しみにしていたのだが。

 日が暮れるのが早くなった。展覧会についたのが三時近かったか。美術館のある両国に行くには、総武線で新宿から千葉方面に向かうのだが、その度、車窓から皇居のお堀たちを見るのが楽しみだった。市ヶ谷、お茶の水あたり。けれども、車窓から見た水がどこか汚かった。ゴミが浮いている。こんなに汚かったかしら。夏の暑いさなかの真緑の藻でいっぱいの水を思い出す。あれだってきれいとはいえなかったけれど、こんなには。けれども渡ってきた鳥たちなのだろうか、鴨のたぐいが増えている。そのことでよしとした。心がなごんだ。と思ったら隅田川だ。わたった先に両国がある。ゆたかな水量をたたえた、冬の川だ。
 そして美術館からの帰り、というか、美術館を出たらもう暗かった。夜のなか、また総武線、車窓から隅田川、お堀たちを。考えればすぐわかるというのに、あまりにも昼間と景色が変わっているのに、うれしいような驚きがあった。夜の灯のなかで、隅田川は大川と呼ばれたかつてを想わせた。なぜだろう。単純に水量の多さが、大きさを連想させたからだろう。夜の中で、辺り一面に黒い流れを這わせてみえた。それは湾になった海のようだった。実際、隅田川は海に近い。あの黒く発光するような水の向こうに、江戸が流れていったのだろうか。あのあたりに北斎はいるのかもしれない。わたしは、河口の方角を食い入るようにみた。にじんだ岸の灯たちがまなうらにやさしい傷跡のように点滅する。
 つぎに皇居のお堀たちが線路と平行してみえはじめた。昼とうってかわって、水はやさしい、きれいさをにじむ鏡となる。ああ、こんな夜の水を親しく感じていたのだったなと思いだす。これだけでもよかったではなかったか。
 日が暮れるのが早くなった。美術館を出たのが五時近くだったと思う。家の最寄駅についたのが六時ぐらいだったか。最寄駅だというのに、この駅に来るのもひさしぶりだった。近くにいるついでに、駅ビル内にある書店をのぞいたり、クリスマスグッズたちを見て回ったりする。家についたのはもう七時だった。日没の四時台から、まだそんなに経っていないような気がしたけれど、もうこんな時間かと、不思議になる。こんなふうに年も暮れるのだろう。クリスマス…と思っていたら、もう晦日の声でにぎやかで、あわただしくって。
 もうそれでも冬至はすぎたのだ。これから、また一日一日、日が長くなってゆく。
 美術館に行った翌日の夕暮れ。家の窓から夕陽に染まる富士が見えた。これも北斎の赤富士(《富嶽三十六景 凱風快晴》)かしら。そんなことを想ったかどうか。
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2016-12-15

言葉が爪のように蝶のように─デトロイト美術館展、川端康成「片腕」

 またすこしここをあけてしまった。すこしなのに、ずいぶんたっているような気がする。前に書いたのは円山応挙か。それすら遠く感じられる。
 この期間、ほとんど言葉と接しなかった。言葉をつづらないと、ものごとたちが希薄なままでいるようでもある。まるで言葉をおぼえた時から、記憶がはじまるように? そう、わたしには二歳半ぐらいから記憶がある。言葉という道具があってはじめて、記憶にできるのだ。ぬりえでもするみたいに。現実もまた、ことばによって色づくのだろうか。
 図書館で、このごろ、歴史小説ばかり借りていた。子どもの頃、歴史は人がつくる本当の物語だと思っていた、あの偉人伝ばかり読んでいた頃のことを思い出したかったというのも、すこしはあるかもしれない。歴史小説にでてくる日本語が、もしかして、このごろ喋られたり、書かれている小説のものより、美しいかもしれないと思っていたかもしれない。そしてすこしの逃げ。読みやすいのだ。没頭しやすい。けれども、何日か前、図書館で。つぎの本を借りようと思ったときだ。歴史小説的なものをめくってみたが、何故か拒否反応がおきてしまった。いまの作家のものを読んでみようと思ったが、会話の多い文体が気にかかってしまう。そしてまたもや久世光彦だ。わたしに日本語の美しさを再確認させてくれた彼だ。『美の死』という書評を集めたものを、最近知って(二〇〇一年に出たもの)、こちらは図書館で借りたのではなく、購入したのだけれど、それをぱらぱらと読んでいたら、川端康成の「片腕」「眠れる美女」の事が書いてあった。〈「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝に置いた。〉(「片腕」)
 これらは新潮文庫などでは『眠れる美女』として、一緒に所収されている。わたしはこの本を持っている。ずいぶん前に読んだはずだ。けれども見当たらない。いや、ある場所は大方判っているのだけれど、出すのがかなり困難なところにあるのだ。それはともかく、なぜかほとんど読んだ記憶がない。
 そうだ、図書館で、歴史小説をさがすことに虚しさをおぼえていたとき、家でふとめくった『美の死』のこと、川端康成のことを思い出した。わたしはかつて川端康成の小説が好きだったはずだ。図書館で『眠れる美女』を見つける。頁をひらくと緻密なことばたちが誘うようだ。匂いようだ。なぜ、わたしはこんな言葉たちから、離れようとしたのだろうか。
 これと、川端康成の『川のある下町の話』を借りる。こちらは多分、本当に読んでいないと思う。結局、歴史小説的なものから、ここに戻ってきてしまうのだ。なぜ遠回りしたのだろう。言葉と離れたかったのかもしれない。離れて、また言葉を大切に思うことができますように。どこかでそう願っていたのかもしれない。
 それではまるで、はずした「片腕」のようではないか…。はずした腕の娘は、片腕でどうしたのだろう。なくして、はじめて気付くなにかがあったのではないか。この物語は男と片腕の物語なのだけれど。





 そうして、『眠れる美女』を読んでいたとき。まるでこれが呼び水になったように、「デトロイト美術館展」(二〇一六年十月七日─二〇一七年一月二十一日、上野の森美術館)の招待券を思いがけず入手した。「大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち モネ ルノワール ゴッホ セザンヌ マティス ピカソ」と副題がある。
 実はこのごろ、この手の名画たち、もういいかなという気持ちがあった。なんとなく、食傷気味になっていたのだ。だから、もうしわけないけれど、行く気はなかった。いや、開催していることを実は知らなかった。けれども、ちょうどわたしのなかの何かが動こうとしているとき、手にはいった鑑賞券だった。これがきっかけで、また想像の世界へ向かおうとすることができるかもしれない。そんなことを想ったか。届いたのが月曜日だった。翌火曜日は、昼の仕事がないので、一番美術館に行きやすいということもあった。これも行けということかもしれない。ただ、招待券に「月曜、火曜に限り全作品写真撮影可能」とあるのが、すこし気にかかった。デトロイト美術館で、撮影可能ということで、それにならってのことらしい。撮影可能だと、観て感じることに集中できない。撮ったことで区切りをつけてしまう心がうまれてしまう。録画した映画などをなかなか見ないように。けれども写真撮影可能なら、カタログを買ったり、絵葉書を買わないでもすむという利点もある。それに撮影可能という展覧会に、あまり遭遇したことがないので、試してみたいという思いもあった。逡巡したけれど、行くことにする。
 上野もひさしぶり。上野には、美術館がいくつも存在するが、上野の森美術館は、そのなかでもあまりなじみがない。
 景色は冬、というより紅葉や黄葉が盛りをすぎ、まだ葉をかろうじて残している、冬だけれど晩秋を感じさせる季節の招き。その日は、曇りだった。冬の寒さも、ほかの季節よりも遠い太陽も苦手だ。だからなおさら晴れ間を恋しくおもった。せめて晴れてくれたなら。
 さて、美術館。展覧会会場へ。
 「一八八五年の創立以来、自動車業界の有力者らの資金援助を通じて、世界屈指のコレクションを誇る美術館として成長したデトロイト美術館。しかし、二〇一三年にはデトロイト市の財政破綻に伴い、所蔵品の売却という危機に直面します。その時、美術館を守るために立ち上ったのは、国内外の支援者とデトロイト市民たちでした。危機を乗り越え、コレクションの中核を成す選りすぐりの傑作、全五二点が上野に集結。モダンアートの目覚めから、今へとつながる西洋絵画の潮流を一望できる貴重な展覧会をお見逃しなく。
」 (チラシなどから)。




 写真撮影可能ということや、ルノワールやゴッホ、モネなど有名どころというか、彼らの展示があるものは、たいてい混んでいるので、覚悟していったのだが、それほどのことはなく、そのことは良かった。ちょうどいい混み具合。最初のごあいさつ、メッセージなどから写真を撮っている。なるほど、こうした文章もあとで参考にするには必要かもしれない。
 写真撮影のことだけ、先に書いてしまう。やはり観ることに集中できなかったが、行く前に考えていたよりも悪くなかった。一番の理由は会場が静かだということ。わたしはこのごろ平日に展覧会に行くことが多いが、平日は混雑は土日ほどではないが、印象として、観客たちのおしゃべりが土日よりも気にかかることが多い。ともかく年配の人たちが会話しながら観ているのによく出くわすのだ。それが、今回はほとんどなかった。観光地でのように、人々はほとんどがカメラに眼の前のものたちを捉えることに多くの関心をしめている。だからおしゃべりが少ないのだろう。おまけに写真を撮るときに、前を横切るのをためらったり、会釈したり、そうした礼儀のようなものが、暗黙の了解としてあって、そのことも心地よいものだった。ほんとうにまるで観光地…。かれらはほとんどが静かにカメラに収めている。わたしも含めて。そのことに奇妙な連帯感をもったりもするのだ。
 あるいは慣れの問題なのかもしれない。景勝地などで写真を撮るのは、もはやあまり気にならない。景色と対峙するのに集中できない…とは思わない。いや、じつはかつてはそう思っていたのだが、今では両立しているのかどうか、どちらも中途半端かもしれないが、わたしのなかでは折り合いがついている。美術館で展示作品を…ということも、機会を重ねれば。
 順番が逆になってしまっているが、展覧会自体…。写真撮影のことがあってか、実はわたし個人としてはいまいちだった。わりと好きなはずのゴッホ、セザンヌ、モネ、ちょっとした友人のように勝手に思っているルノワール(作品をみるたび、知人に会ったようなほっとしたものをいつも感じるのだ)をみても、いつもならわきおこる温かい共鳴のようなものが浮かび上がってこなかった。とくにモネは、食傷気味だと思ってもいても、それでも出合えば、いつも何かしら、感じるものがあったはずなのに、さわやかな風がふいていたはずなのに。
 けれども。オディロン・ルドン《心に浮かぶ蝶》(一九一〇─一二年、油彩・カンヴァス)。キャプションも写真に撮ったので引用させて頂く。
「赤みを帯びたオレンジの背景の中に蝶が描かれる。題名にもある通り、描かれているのは現実の蝶ではなく心の中の蝶である。蝶はギリシャ語で「精神」を意味し、キリスト教的な価値観では生命、死、復活を象徴し、二十世紀の初めには象徴的に魂を暗示するもの、時として死後肉体を離れる魂を擬人化したものとも見なされた」



 作品をルドンのものと知る前に、なんとなく予想ができた。それはほとんど救いのように、居場所として手招きしていた。ここでなら、何かが共有できるのだと、ここでなら、風が行き交うのだと。思いこみかもしれないが、これらの蝶、そして赤い背景は、血脈をもった幻だった。いや、現実と幻想の境を行き来する、それは言葉の化身のようでもあった。借りてきた若い娘の片腕、そのはかなげな爪。〈脆く小さい貝殻や薄く小さい花びらよりも、この爪の方が透き通るように見える。そしてなによりも、悲劇の露と思える。娘は日ごと夜ごと、女の悲劇の美をみがくことに丹精をこめて来た。それが私の孤独にしみる。私の孤独が娘の爪にしたたって、悲劇の露とするのかもしれない。〉(川端康成「片腕」)。
 たとえば、そんな爪のような蝶だった。心と現実を行き来する、わたしとあなたを行き来する、言葉のような蝶だった。
 これを見ただけでもよかった。見れただけでも。その後も展示は続いたが、カンディンスキー、マティス、ピカソ。もともとあまり引っ掛かることがなかった画家たちの作品だったこともあり、ほとんど感慨なく、みて回り、出口へ。
 ところで、出品リストは入口でもらったが、本展覧会のチラシをここで入手することが出来なかった。上野の森の、違う美術館にいけば手にはいるかもと思う。いや、手に入らなくとも、ミュージアムショップを覗くだけでも楽しいではないか。森を横切り、東京都美術館、国立西洋美術館へ。特に国立西洋美術館は、世界遺産に登録されてから、はじめて行ったと思う(二〇一六年七月に正式登録されているというから、そうなのだろう)。もともと好きな美術館なので、世界遺産登録は、個人的にすこし複雑だったが、これで客足が増えれば、きっといいことなのだろう。常設展示の松方コレクションが大好きだったのだ。いまでもほとんど安らぎとして、大切に感じている。だが、そのことで世界遺産登録になったわけではない、「ル・コルビュジエの建築作品」として登録されている。それがひっかかっているのだ。
 ちなみに、ここでようやくデトロイト美術館展のチラシを入手することができた。ミュージアムショップを覗き、モネやゴッホの絵葉書を見る。これらの作品は、好きだと思ったものだった。作品をみたときに通った風を思い出す。モネの睡蓮、そしてゴッホの薔薇。
 美術館の庭にロダンの彫刻群。イチョウの黄葉のもとに《考える人》がいる。秋のなかで(実際は冬なのだろうが)、その姿はよく似合った。



 おおむね、おだやかな、風のなかで。日が暮れるのが早くなった。帰りの電車に乗ったときはまだ明るかったが、駅の最寄駅についたら真っ暗だった。うたたねしたり、『眠れる美女』をめくったりしているうちに。
 改札を出ると、外は雨もすこし降ってきたが、気になるほどではない。時刻はまだ午後五時前だ。雨と曇りの間で、昼と夜の間で。また言葉は腕を差し出してくれるだろうか。いや、私がその腕を求めるだろうか。
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