Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-06-16

水の箱根の境目 ─大平台温泉、箱根湯本、ラリック

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 四月末にとある事情で箱根に行ってきたことがあった。楽しくはあったけれど、個人のわがままを通しにくい旅でもあったので、六月にまた行くことにした。
 東京から近い温泉街ということもあり、何回か来ている。小学校の修学旅行も伊豆箱根だったような。もしかして一番来ている温泉地かもしれない。芦ノ湖、塔ノ沢、仙石原……。これらは泊まったことがあるので、今迄あまりなじみのない場所、大平台に宿を取った。
 ここは箱根玄関口の湯本からそれほど離れていない。湯本は車で通っていると、お土産屋さんなどが立ち並んで楽しげだったから、ぜひ散策してみたかったので、それで選んだということもある。
 そう、家から、また車で。天気は雨の予報だったが、曇っている。わたしが海が好きなので、連れ合いが海沿いを走ってくれた。西湘バイパス。海が近くなってきたなあと気配でわかったが海が見えない。だが、突然見えた。曇り空で海の色もどんよりしていたが、そのうちに晴れて蒼さを増してきた。空と海は繋がっているのだ。
 あれはなんだったのかしら、サービスエリア? 昔のドライブインみたいなところに立ち寄る。時間は一〇時近く。昼食にはまだ早かったが、この日のこれからの予定を考え、食べることにした。箱根でお蕎麦かなあと思っていたのに、湘南のしらすをつかった海鮮丼。うれしい番狂わせだった。目の前には晴れ間の下で波打つ海がある。

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 海から離れると、もうほとんどすぐに箱根の玄関口。山のイメージなのに、海が存外近い。知っていることなのだが、来るたびにそのことを実感する、というか。
 箱根湯本駅あたりの賑わいを車でまずは横目で見て、山道をのぼる感じで強羅のほうへ。標高差はあまりないのだが、強羅あたりで三〇〇何メートルか、道沿いの緑が、麓よりも新緑に近いような気がする。わたしが普段、家の近くでみる緑は、もはや新緑を通り越して、しっかりとした緑になりつつある。気のせいだろうか。けれども、四月末に箱根に来たときも、もうすこし山の上のほうだったが、まだ葉桜ではあったけれど、桜が見られたりしたから、あながち印象に間違いはないのかもしれない。ほんのすこし季節がゆるやかにやってきている。
 強羅には、箱根美術館目当てで行った。ここは焼き物を中心とした美術館で、縄文時代から江戸時代までの日本陶磁器を常設展示している。さらに苔庭のある庭園が見応えがあるとのこと。
 苔庭と縄文土器にひかれて、来てみようと思ったのだった。
 展示作品については、予想どおりだった。どうも焼き物には、触手がのびない。ただ縄文土器を箱根の緑のなかで見たかった。縄文土器は二点の展示があり、二つともわたしの好きな時代、縄文中期のものだった。塑像がいちばん力強い時代。とくに新潟県出土の火焔土器。ここでこんなほぼ完全な状態で、しかもかなり大きめのものに出会えるなんて。
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 ほかに千葉県出土の古墳時代の兎型埴輪などに目がいった。小さな耳、大きな足の兎。
 庭園は、思ったよりも起伏があって、それが山間なのだなと今更ながら思わされた。平地ではない、ましてや高原でもない、山の中腹の美術館(庭園)。湧水なのか、清冽な水が流れ、下草のように生えた苔が新緑っぽい緑で、目にしみる。

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 この強羅でゆっくりと昼食をして……と思っていたのだけれど、先に触れたとおり、もう食べてしまったので、予定よりも時間が空いてしまった。美術館から近い、強羅公園へ行くことにする。通りかかったことはあるけれど、なかに入るのははじめて。バラ園が見頃で、噴水のある池、熱帯植物園、クラフト工房での体験など。こちらもやはり段差を活かした公園だった。植物園的な公園は、なんとなく平地で見るものだと思っていたので、訪れたときも、場所がどこにあるのかわからなかったぐらい。とても近いところにあったのに、だたっぴろい空間が拡がっていると思い込んでいたので、見過ごしてしまったのだ。
 色とりどりのバラ、企画展的なスペースで、アジサイたちが並んでいた。バラのアイスをいただく。食べられるバラが添えられていた。食べてみても、ほとんどバラは感じられない。バラのつぼみごと食べるのだが、なんだか葉っぱを食べているみたい。かすかにバラっぽい香りがあとからすこし口の中にひろがった。
 なんにせよ、植物園の散策はそれでも心地よい、大きなナンヨウスギ。家にある珪化木はこの木の化石なので愛着がある。おもわず見上げる。

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 箱根美術館、強羅公園で遊んでいるうち、宿のチェックインの時間が近づいてきた。この宿はありがたいことにチェックインの時間が午後一時とだいぶ早いのだ。
 宿に向かう。箱根の山をすこし下りる、湯本方面に戻る感じだ。
 大平台の宿。諸事情で窓からの景色が道路沿いであまり望めないという部屋だったが、緑のなかで、道路の向こうに、箱根登山電車が通るのがみえた。二両か三両編成。意外に楽しい。
 近くに姫の水という湧水がある。飲料することができ、汲んでもよいとのことなので、ちいさなペットボトルをもって、早速いってみた。大名の姫君たちも飲んだという。宿をでてすぐにゴボゴボと音がしていた。豆腐屋さんも近くに数軒ある。水がいいということなのだろう。ゴボゴボという音に近づいてゆくと、小さな噴水のように、姫の水はあった。民家の敷地内なので、静かに噴水の下にペットボトルをもってゆく。水がとても冷たい。持った手や腕がいたい。

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 大平台は、小さな温泉街だ。勾配のある山あいの細道に、民家と保養所、豆腐屋さんに雑貨屋さん、スナックなどがある、あまり観光地観光地していない。庭なのか、道端なのか、判別しにくい場所に、最近では園芸店などでしか見たことのない、ミヤマオダマキ、ヤマボウシ、シモツケソウなどが、咲いている。山野草のように、ユキノシタ、ドクダミ、ヤマアジサイ、勝手に生えたのか、庭で育てているのかわからない。
 旅館などもおそらくあるのだろうが、来る途中や、近くには保養所ばかりだった。泊まった宿も保養所の一つだが、一般客も受け入れている。こんなふうに、観光地であってそうでない、野に咲く花と庭の花、なにかどちらでもあってどちらでもない、そんな雰囲気たちがやさしいところだ。
 ちなみに姫の水。あとで宿で飲んだけれど、飲みやすいが、おいしいのかわからなかった。けれども、飲んでいるうち、おいしいことに気づいた。
 ちなみに、この場所に来たことがないと思っていたが、植物たちにまみれた登山鉄道の線路を見て、二十年近く前に来たことがあったのではなかったかとふと思った。
 あの頃はたしかもう少し、ペンション風の宿が何軒かあったような……、泊まったのは、その一つだった。かつては、なんということのない景色だと思ったはずだが、今見るそれは、どこかやさしい。生活と旅が混在している。温泉地に人々の生活の跡が見える。土産物屋すらない、ちいさな温泉地。
 泉の水を汲んで、宿の冷蔵庫のなかに入れたのち、ここから箱根登山鉄道で二駅の箱根湯本へ。連れ合いは基本車で移動することが多いので、箱根登山鉄道に乗るのは初めてだという。
 たまたまもうすぐなくなってしまうという古い車両に乗ることが出来た。重厚というか、しっかりした内装だ。単線ということもあり、脇に迫ってくる緑たちが狭い。アジサイが蕾といったところか、もう半月もすると、アジサイだらけになるのだろう。緑たち、山たち、トンネル、スイッチバック。ゴトンゴトンと電車が降りてゆく。

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 箱根湯本駅についた。すぐにお土産屋さんや飲食店などの並ぶ商店街が続くので、そのあたりを散策。見るだけで楽しい(あとですこし買ったけれど)。
 商店街を塔ノ沢のほうへ歩き、平行して流れる左手の早川、さらにその奥の早川へ合流する前の須雲川のほうへ。この川沿いに滝通りがあり、温泉宿がたちならぶ。その宿の一角に滝があるというので、寄ってみたかったのだ。宿の敷地内ということなので、敷居が高いかしらと思ったけれど、一般客も気軽に入ることができた。すぐに飛烟の滝、さらに奥に玉簾の滝、二つもあった。敷居は低かったが、こちらの気のもちようなのだろう。なにか部外者が見にきているような気がしてしまって、あまり滝たちを感じることができなかった。そういえば湯本から強羅へ向かう道沿いにも蛙の滝というのを、車からみたなあと思い出す。
 けれども、須雲川。早川は車などで通るときに少しみたことがあったが、はじめての川。どちらの川も、綺麗な流れだが、はじめての川というのは、なんとなくそれだけで、新鮮だ。豊かな水量と澄んだ水が心地よい。温泉街の川といった雰囲気もある。あちこちから湧水がでていたり、注いでいる。姫の水を思い出す。やはり水が豊かなのだ。そういえば訪れた滝のほうでも、水を汲めるらしかったが、容器をもってきていなかったのでしなかった。そのかわり、手ですこし掬って飲んでみた。姫の水のほうが冷たかったなあと思う。

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 そんなこんなで遊んでいるうちに四時近くになった。湯本の商店街で、連れは和菓子と海産物を、わたしはここからほどちかい曽我で採れた梅干しを買って、また箱根登山電車で宿に戻る。六時から夕食なので、その前に温泉へ。大浴場と露天風呂。まだ明るいので、露天風呂から山の緑を見ることが出来た。箱根の湯は身体にやさしい。温泉のなかには、効き過ぎて身体に不調がおこることもあるのだが、箱根や伊豆の温泉はわたしの身体に合っているようだ。いつまでも湯冷めせず、身体がつるつるとする。ゆっくりとつかる。贅沢だなあと思う。
 この後、食事、そして疲れたのか、もう寝てしまって、一日が終わる。長い一日だった。翌日は早朝バイトでもう身体がその時刻になると目が覚めるようになってしまっているので、三時には…。まだ暗い。スマホで少し原稿などを書く。そのうち、まだ明るくはなかったが、鳥たちの声がにぎやかになってきた。まだ日が明けきらない山の中、暗い、それでも朝の気配がそんなことで感じられる、ウグイスの声がしてきた。夜から朝へぬけるように。
 四時を回って、五時過ぎ。もうすっかり朝の明るさ。またお風呂に入りに行った。

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 この日は一日雨。仙石原のほうに登って、箱根ラリック美術館へ。四月に来たときに企画展として「サラ・ベルナールの世界展」(二〇一九年三月二十八日─六月三十日)を開催してる知ったので。箱根ラリック美術館は、もう何回か来たことがある。ルネ・ラリック(一八六〇─一九四三)の宝飾品、香水瓶、ガラス製品、家具などが、美しく展示されている。ラリックのオパールの耀きをもつガラスの女神たち(シレーヌ、バッコスの巫女)が大好きだった。花や虫たち、鳥たちをモチーフにしたガラス作品、ジャポニズムの影響をうけた彼の作品も。
 ただ、この頃はもう、あまりそちらのほうにわたしの関心があまり行っていないのだが、ラリックはそのなかでも、いまだに見たくなる作家の一人、といえる。
 それに、企画展だ。四月にみかけたポスターは、ミュシャの描いたサラ・ベルナールをメインにしたものだった。ミュシャもさんざん見てきた。そしてサラ・ベルナール。演技しているところを見たことはもちろん、残念ながらないけれど、惹かれる存在なのだ。十九世紀末から二十世紀にかけて活躍したフランスの舞台女優、サラ・ベルナール(一八四四─一九二三)。ミュシャが売れるきっかけを作った人物でもある。わたしはむかし、あの十九世紀末というものが好きだった。文学も美術も。それもあってラリック、ミュシャ、サラ・ベルナールなどに関心があるのだ。
 サラ・ベルナールは、若手のジュエリーデザイナーだったルネ・ラリックを見いだした人物でもあるとのことで、ミュシャがデザインした百合の冠を、ラリックが制作していて(一八九五年)、その展示もあった。

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 先を急いでしまった。美術館は緑深い中にある。雨に濡れた緑のなかに小さな水の流れがあった。作られたものではない、自然の流れなのだろう。庭園になっていて、そこの散策も可能みたいだったが、雨のために、今回は遠慮した。外にクラシックカーがあり、そのカーマスコットが、オパールセングラスのラリック作品。ぜいたくな車のアクセサリーだ。
 常設展は、ひさしぶりのラリックたちで、再会したようでうれしかった。感動というよりしずかな刺激。植物たち、鳥たちのモチーフに、彼を好きだったのは、彼のこうした自然への目の向けかたによることもあったのだろうと、今更ながら思う。
 美術館の窓から庭園が見えた。モネの庭のような太鼓橋と睡蓮の咲く池。ラリックの作品たちにもよく合っている。雨に濡れて緑がしっとりと色づいている。

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 ラリックが内装を手がけたオリエント急行。このサロンカーが美術館に展示されている。予約制のカフェで、美術館とは別料金。映画『オリエント急行殺人事件』も好きだったから、つねづねこの中も入ってみたいと思っていたのだが、今回は、時間の関係もあって、入ることがかなわなかった。
 芦ノ湖のほうに行き、箱根神社へ。以前、芦ノ湖遊覧などをしたときに、湖面からせり出すように建っている赤い鳥居が気になっていた、その神社だった。
 箱根神社、九頭龍神社。狛犬が苔を着込んでいるようで、心にしみた。九頭龍神社の龍神水舎の龍たちにも。九つの頭の龍たちが口から水を出している。 「九頭龍神甘露の霊水 箱根神社の龍神水」とあった。こういういいかたは不謹慎かもしれないが、龍たちがけなげに見えた。手で掬って、水を頂く。また水だ。最後は龍神様。冷たかった。

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 例の芦ノ湖湖畔の鳥居へ。もう何十年も前から、一度来てみたかったところだった。というか、芦ノ湖で船に乗っているときは、ここに来ることが出来るなんて、思ってもみなかった。湖上から眺めることができるだけで、きっと行くことができない場所なのだと、どこかで思い込んでいたのだった。
 そんな場所に、来ることが……。境目というのは、案外、近いところにあるのかもしれない、行けそうにない場所は、こんなふうに行くことが。
 そしてせり出した鳥居、ぎりぎりまで、歩いてみた。芦ノ湖の水も意外に綺麗だ。周りは雨で視界はよくはなかったけれど。芦ノ湖に遊覧船が通った。雨脚が強くなってきた。

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 そのあとにもう一つ観光スポットを巡って帰路についた。箱根湯本のちょうど裏側の道、箱根新道を通る。滝通りよりも、さらに一つ奥だ。寄木細工の店などが並んでいる。寄木細工のからくり箱などが、どうも自分のなかでは当たり前のものになっているのはどうしてなのか。多分、子どもの頃に、家にあったからだろう。木のそれぞれの色合いの違いを利用した模様が精密な木の製品。とくに開けるのが難しいからくりの小箱が、なんというか、親しみをこして、大切な宝物となっている。といっても今、手元にあるわけではないのだが。
 旅の最後に、寄木細工の店や工房などの痕跡を見ることができて、良かったなあと思う。また西湘バイパス、雨の海を遠くに眺める。雨と空と海で、もはやそれらが曖昧だ。
 考えてみたら、箱根は神奈川県で、うちの隣の県だ、近いのだ。海が見えなくなり、しばらくして、多摩川を渡れば、うちはもうすぐ。
 どこにも寄らず、家に帰った。まだ雨。残っていたもので晩ご飯をすませる。連れ合いの買った海産物をつまみにお酒を頂く。姫の水を飲む。やはり美味しい。雨はまだ降っている。肌がつるつる。盛り沢山の水の旅だった。
08:36:22 - umikyon - No comments

2019-05-22

川の近くの小高い緑に思いを寄せる横浜歴史博物館

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 そういえば最近、博物館的な施設に行ってないなあと、少しパソコンで調べたら、横浜歴史博物館を見つけた。企画展は「君も今日から考古学者! 横浜発掘物語2019」(2019年4月6日─6月2日)というもの。子どもむけのものだったが、好きな縄文時代も扱っていて、常設でも展示がある。また、以前から隣接して「大塚・歳勝土遺跡公園」という弥生時代の史跡があると知っていて、いつか機会があったら訪れてみたいなと思っていたので、出かけてきた。

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 車で連れてってもらった。電車だと、電車を乗り継ぎ、バスも使う感じで、少々面倒だったが、車だと存外近い。うちから十五キロぐらい。
 カーナビの地図などをみると、博物館隣接の遺跡公園はもとより、近くにはほかにも公園が多い。だからなんとなく緑が多い、のんびりしたところなのかしらと思ったが、実際に行ってみると微妙だった。傾斜が多く、たしかに緑も多かったが、商業施設や比較的背の高いマンションなども多い。丘陵的な緑と宅地を進んで、ああ、このこんもりとした緑のあたりが博物館や遺跡公園なのかなと思ったら、あてがはずれる。横浜歴史博物館は、駅に近いところらしい(最寄りは市営地下鉄「センター北」駅)。あたりに緑は点在しているのだが、商業施設や立体駐車場、マンションに囲まれた一角にあった。緑が遠く感じられて、すこし息苦しい。遺跡公園も隣接しているはずなのに、博物館入口からはわからなかった。
 そうだ、森の中にある美術館とか、そんなイメージを抱いていたので、なにか拍子抜けしたのだった。その感覚で、パーキングも屋外にあると思っていたので、ビルの中にあったので、やはり意外だった。ともかく横浜歴史博物館へ。

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 企画展は、平日は近隣の小学校の観覧などで混むらしかったが、行ったのが土曜日だったので、比較的空いていた。遺跡を掘る体験スペースなどがあり、子どもが発掘を体験している。
 発掘された縄文土器のかけらを触ることができる展示があり、それがよかった。手から感触を確かめる。ざらざらと、やさしい。しっくりする。時代を超えてここにあることに思いをはせる。
 企画展も常設も基本的にフラッシュをたかなければ写真撮影可とのこと(一部不可のところも)。写真を撮ることに気がいってしまわぬ程度に少しだけ。この案配が難しい。写真に収めてしまうと、実際は見ていないのに、見てしまったような気になってしまうから。

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 久しぶりの縄文土器たち。どうしてこれらがこんなにも好きなのだろう。常設展で歴史劇場での上映、横浜の辿った三万年の歴史を約十五分の映像で辿る、というものがあったので鑑賞した。縄文時代は自然とともにあり、弥生時代にはいってから鉄が使われるようになり、争いも起こった……そんなことを言っていた。あるいはそれもわたしが縄文時代に惹かれる理由なのだろうかとぼんやりと思う。
 たしか企画展のほうだったと記憶しているが、顔面取手土器の展示があった。横浜市都筑区の高山遺跡や大熊仲町遺跡から出土したもので、縄文中期のもの。ここには説明がなかったが、それほどこことは離れていない、およそ十キロの町田市の本町田遺跡に訪れたときに、顔面取手土器の一部が展示されていて、「現在の長野県や山梨県にあたる地域の縄文時代中期の人々が土器の一部として作り始めたと考えられています」と解説があったことを思い出した。わたしはどうもこの顔面取手土器が好きらしい。ああ山梨の釈迦堂遺跡博物館でこの系統のものを見たなあと頭のなかで反芻する。縄文土器に土偶の頭をつけたような、土器と土偶の混成のような。

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 話が前後してしまうが、帰りにミュージアムショップでこの顔面取手の部分、顔面だけをミニチュアサイスに復元したものが売られていたのでつい買ってしまった。縦横およそ二センチほど。この文章を書いている(作成しているといったほうがいいのか)パソコンからすぐ見えるところに飾って。こんなふうに小さなガラクタたちで、わたしの机のまわりは満ちている。囲まれてゆく。
 博物館は緑から離れた感じでそこにあったと書いた。大塚・歳勝土遺跡公園も、博物館に着いたときはどこにあるかわからなかったが、博物館の三階部分、屋上から道路にかかった連絡橋を渡って行けるのだった。遺跡公園はそれほど高いところにあるということ。橋を渡るという行為をそのときは気にすることはなかったが、象徴的ともいえそうだ。ビルたちに囲まれた場所から、緑深いところへ。現在から過去へ。弥生時代の遺跡、木柵や溝、土塁で囲んだ環濠集落のムラ、大塚遺跡と、そのムラの外に溝で囲んだ方形周溝墓と呼ばれる墓の歳勝土遺跡、さらに古民家もある公園。大塚遺跡のほうには、復元された竪穴式住居や高床式倉庫などもあった。
 公園内にはそのほかに、周辺地形の模型があり、この公園のすぐ近くに縄文遺跡が何カ所か点在しているのがわかった。車でここに来る途中に、鶴見川の支流の早渕川が流れているのを見た。この川の近くのすこし高いところ、ということなのかもしれない。
 車で来るときにあちこちに見えた点在している緑たちのどれかが縄文遺跡なのかなと思う。間違えているかもしれないが、おそらく一部はそうなのだろう。あの緑が……そう思うと気持ちよかった。
 この公園ではとくに大塚遺跡のほう、復元竪穴住居が点在しているところに惹かれた。あまり縄文時代のそれと違いがわからないからなのだろう。少し調べたが、外観的にも内部構造的にも大きな違いはないようだ。ただ縄文と明らかに違う高床式倉庫もあったけれど。

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 ともかく吹いた茅葺きの感じが心地よかった。この復元した住居跡群は、丘の頂上といった場所にあるのだが、そこに向かう途中、雑木林もあったが、竹林といったところも多かった。遺跡公園になぜ竹林なのだろうかと少し意外だったが、竹林の静かな感じも新鮮だった。

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 うちの近くまで帰ってきて、実際にはうちを通り過ぎて、崖の上、丘の上のこんもりとした緑たちのあたりを眺める。いつもの風景だ。この緑、この小学校のあたりも、縄文の遺跡があったんだよなあと思う。近くには川や湧水。
 そしてこの日、前回、神代植物公園に出かけたときに買った蚕豆に続いて、また蚕豆を買って食べた。出かけるたびに蚕豆だなあとすこしおかしくなる。もうすぐそれが枝豆になるのかしら。季節が変わりつつある。
18:34:58 - umikyon - No comments

2019-05-05

キンラン、ギンラン、令和に緑に会いに行く──神代植物公園

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 元号が令和になった。わたしのパソコンでも、知らないうちに令和の漢字変換が何の支障もなくできるようになっていた。まるで前から存在していたように。このところの、元号が変わったこと、それにともなう公式行事などに、あまり関心がない。どこか他人事だ。
 もともとあまり平成に思い入れがなかったからかもしれない。昭和生まれなので、どちらかといえば昭和のほうが愛着がある。平成は最後までなじめなかった。昭和は西暦と五の倍数という共通項があるので、計算しやすい。昭和の元号に二十五年足せば西暦になる。昭和二〇年が一九四五年、昭和五十五年が一九八〇年といった感じだ。平成はそれがないので変換しずらい。もっとも令和も元年が二〇一九年、二年が二〇二〇年だから、そうなのだが。ただ、令和という文字は意外と気に入っている。
 世間は十連休だが、わたしのバイトは祝日とか関係ないといえばいえる。そのこともあって、他人事なのかもしれない。その連休もそろそろ終わる。ちなみにバイトと祝日、関係ないと言い切らないのは、祝日や日曜は仕事量が少なくなる、いくぶん暇というか楽になることによる。こんなふうにどこかで何かが関係しあっているのだろう。
 連休はわたしは通常通り。五月四日は土曜日で、五日が日曜。日曜は週一回のバイト休みの日なので、土曜日はなんとなく、特別な日だ。休み前の日。

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 みどりの日でもある。その特別な日に、神代植物公園に出かけてきた。去年、たまたま、やはり五月四日に出かけたのだが、その折り、無料開放日だと知ったのだ。公園の新緑たちが見たかった。それに隣接した深大寺あたりの蕎麦も、食べたいと思ったのだった。
 連れ合いはずっと連休中は休みだった。だから、やはりわたしの生活に、連休が関係ないとは言い切れない。その連れ合いと車で行く。うちから神代植物公園は車だとかなり近い。十キロぐらい。途中の道は比較的空いていたが、去年、植物公園の駐車場に車を停めるのに結構並んだ記憶があったので、すこし不安だった。今年は十連休だし、もっと混むのではと。だが去年よりも出かけた時間がすこし早かったせいか、さして並ばずに停められた。時刻は午前十時をすこし回ったぐらい。まだお昼には早い時刻だったが、連休中だし、昼時は今よりもっと混むだろうと、最初に蕎麦を食べることにした。
 神代植物公園の駐車場からだと、深大寺の北参道からゆく感じ。いわゆる門前の蕎麦屋といったことなのだろうが、深大寺蕎麦として、二十軒ぐらいの蕎麦屋さんが並んでいる。国分寺崖線の育んだ湧水も各所に流れ、それを元にした池などもあり、深い緑と水、団子屋さんにお茶屋さん、植木屋さんに、観光みやげを売るお店もあり、家から十キロという距離をいつも忘れてしまいそうになる。どこかもっと遠いところに旅にきたような。この錯覚はいつも心地よい。
 去年食べたお蕎麦屋さんは、いまいちの味だったので、今年は別のお店へ。というか、有名な蕎麦どころであるのだけれど、これまで深大寺蕎麦ば、おいしいとおもった記憶がない。並ぶのがきらい、行列が出来るお店は避けている、ということもあるかもしれない。
 今回はいった店は、はじめてのところ、すこし端というか、にぎやかな目抜き通りではないので、それで比較的すいているといった感じ。おいしかった。ほどよいコシがあって。いままで深大寺で食べたなかでは一番だった。

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 そのあとで、植物公園へ。公園内も、蕎麦屋さん周辺もそれなりに人は多かったが、さして気になるほどではなかった。とくに植物公園のほうは、敷地が広いから、人は緑にまぎれてしまう。
 薔薇はまだ、すこし咲き始めたかんじ、藤はそろそろおわり、シャクヤクやボタンも咲き始め、ツツジ、サツキも……。植物は好きだが、これらの花たちは、じつはそれほど好きというわけではない。ただ、緑が多い、やわらかに、春というより初夏を満喫している、あの葉たちの色合いが心にしみた。
 芝生広場で、グリーン・マルシェというイベントをやっていた。食べ物や飲み物、植物や雑貨などのお店の出店、ワークショップ、コンサートなど。
 林の中で、エビネが咲いているのをみつける。蘭科の植物だが花が小さいこともあって派手さがあまりない。色も茶色だった。だが、林の下で、ひっそりと咲く姿は、それでも凜として存在感があった。山野草としては人気があったと思う。家で父が育てているのを見た。それからもたまに、デパートや、植木市の類いで鉢植えを見たおぼえがある。林の中で見るのは初めてかも……と感慨にふけろうとした矢先、エビネの近くでやはり蘭科のキンランを見つけた。こちらは久しぶりにその姿を見た。小学生高学年から中学生ぐらいのときに、父とよく近所の雑木林を散歩した。その林に生えているのを見た。それ以来だ。あの林の下のキンランが思い出の中からなにかを突き破って、立ち現れた。
 ただ、そのかつての林でも、中学生のある年からは、姿を見かけることがなくなった。もはや当時でも、減少しつつある花だったのだろう。
 植物公園から離れ、深大寺周辺をまた抜けて、こんどは神代植物公園水性植物園へ。湧水が湿地を作っていて、気持ちの良い場所だ。アヤメが少し咲いていた。菖蒲園もあり、稲作も行われるようだ。まだ水田に水が張ってあるだけだったが。ああ、田んぼ池だなあと、その水をいとしく思う。

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 今まで知らなかったが、ここに小高い場所があり、そこは深大寺城があったのだとか。空堀と土塁、腰郭などの遺構が残るのみで、緑の山といったところ。今回、そこを登ってみた。この一画に、キンランとギンランが咲いていた。キンランは目立つ黄色なので、目に付いたが、ギンランはなかなか最初、さがせなかった。白くて、キンランよりも小さい姿なのだ。でも、その白さをいったんみつけたら、もうあちこちに。びっくりした。
 これも、父と行った林に生えていたものだ。こちらはキンランを見なくなってもしばらく林で咲いているのを見た。林の下で、一面に咲いていた記憶がある。けれども、キンランもギンランも、ともにあの林で見た以来だ。キンランのほうはおおかた記憶どおりの姿だったが、ギンランのほうは、記憶のなかではもっと緑ががっていた。あの林の色を花びらににじませていたからだろうか。あの林の気配が、この神代植物公園のそれに流れ出す。これらの蘭は、菌根に依存する性質から人工えでは育てにくいことがあり、鉢植えで見たことがない。今はどちらも激減し、絶滅危惧種となっているらしい。ともかく見ることができて良かった。あの林を、そして父を思い出させてくれて。

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 湿地のほうへまた戻る。ヒメウツギが白い花を咲かせていた。名前はよく聞くのだけれど、実は最近まで名前と実際の花が一致しなかったもの。もう、おぼえた。ウツギ。卯木が咲く季節だから卯月。好きな季節、旧暦四月の花だから、ずっと名前とその姿を一致させたかった花のひとつだった。

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 それと、植物公園で、もうひとつ。ナルコユリか、アマドコロか、ホウチャクソウかわからなかった花がけっこうあちこちに咲いていた。どれも、白い釣り鐘状の花を下に向けて咲かせる。うちに帰って調べたら、どうやらホウチャクソウだとわかる。ナルコユリに比べて、つける花の数が少ないのだ。ホウチャクソウ…。記憶のなかでもごっちゃになっていて、このどれかを、やはり父が栽培していた。どれも昭和の話だ。その昭和の終わりに父も病気で死んだ。

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 帰る間際になって、雷の音。いそいで、車に戻ったら、とたんに雨…いや、雹が降ってきた。卯月をすぎ、初夏というより、夏の天気。
 家に帰って、蚕豆をゆでた。今年の初蚕豆。サヤからとりだすとき、残酷なことをしているなあとすこし思う。サヤの裏についた綿のような繊維質が豆を大切に守っている。緑の色たちに会いにいったあとだから、この緑を食したくなった。その日の締めくくりにふさわしいような気がしたのだった。だがというか、やっぱり、茹でた蚕豆はおいしかった。
 令和が始まった。平成をいつかそれでも懐かしく思い出すことがあるのだろうか。緑たちが新鮮だ。
23:45:06 - umikyon - No comments

2019-04-20

しらない緑と、水がやさしい──用水路たち

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 桜は、ほぼ終わり。季節が過ぎてゆく。新緑がつぶつぶとやさしい。わたしは花をつける草の名前はわりと知っているほうだと思うけれど、残念ながら、木の名前をあまり知らない。この新緑の時期、そのことを痛切に感じる。名前がわからないから、木々の新緑、としかいいようがない。花を眺めて、個々の名前をつぶやく。すると花たちと、なにか交流が持てたような気がいつもする。その交流が、木とは……。いや、木たちがつぶつぶとした葉を生やしはじめているのをみて、幸せな気持ちになる。まわりの色がやさしく輝いている。つつまれたような、緑たちの、生のよそおいを、あわく浴びて。そこにも、たぶん交流といったものはあるのだ。ただそれは景色全体として、そうなっているようで、そこにはほとんど名前がない。たまに柳の枝が揺れているなあと思う。桜がすっかり葉桜に…。カエデたちが緑の手のような葉っぱを……。そのぐらいしかわからない。名前がわからなくても、交流できるといえばいえる。けれども、なにか、大切なことを、知らないでいるのではと、つい思ってしまうのだ。
 そういえば、よく名もなき花とかいうけれど、それはすこし違うといつも思ってしまう。名もなき花というのはないのだ。そう呼ぶ人が知らないだけなのだ。わたしが名をしらない木たちが、つぶつぶと、やさしい。

 数日前、早朝バイトが終わったあとに、とある雑誌に載せる記事のための、取材の下調べということで、ひとりで自転車で散策した。下調べなら、散策という言葉はおかしいかもしれないけれど、感覚的にはまるで旅にでも出たような、少なくとも途中からはほぼ自分のための遊びとなっていたので、散策とした。

 企画は、昔このあたりにあった水田のための用水路をめぐる、というもの。このあたりに関していえば、ルートとしては、上流から順に緑道、現在も流れている一級河川、用水路を復元した公園、用水跡という石碑がたっている小さな道、別の一級河川、用水路が名前を変えて小川のようになっていて、親水公園となっている……、そんな感じだ。
 早朝バイトのある所からすぐのところが、最初の緑道になっているので、まず、そこからスタートした。
 バイト先からすぐのところだし、ふだん、素通りしてしまうところだ。ただ、緑道だといわれるとそんなふうに見えてくるのが不思議。緑道は川の岸辺にむかって終わる。まるで用水路が川にそそぐように。

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 その川は、おなじみの川だ。けれども、よくわからないが、今、ここにある川は、かつてと流れ方がだいぶ違っていて、別の場所を蛇行しながら流れていたようだ。そして現在の川が流れているあたりは用水路が流れていたらしい。ちなみにこの難しさは、もう少し下流でも生じる。親水公園となっているあたりには、また別の一級河川があって……、その始まりのあたりが水神橋というのだけれど、その川のほうに、「ここはかつて用水路が流れていました」とある。
 つまり、二つの川と用水路、三つの流れがあるのだが、その流れの、かつてと今の違いがよくわからないのだ。
 このわからなさが(もしかして、昔の用水路の川筋を今の川たちに再利用したということなのかもしれないが)、謎として、心をすこしざわつかせた。
 先走ってしまうが、その水神橋のすぐむこうの下流で、ふたつの川たちは合流する。一方の川に、もう一方が注ぐのだ。そうして数キロ先で、注がれた川も多摩川に合流し、さらに十数キロで羽田の海にそそぐ。
 話をもとにもどそう。最初の緑道から、川へ。その川沿いの岸辺の路もまた緑が多い。川の水も澄んでいる。護岸が自然に近い形で行われているのも目に心地よい。今の季節は菜の花の黄色が鮮やかだ。
 この岸をゆくとすぐに用水路を復元した公園に出る。ここは用水路を復元しただけでなく、水田も復元し、毎年稲作も行われている。わたしの大好きな公園で、かなり頻繁に訪れている。一年三六五日のうち三〇〇日以上は、多分。もうすぐ、そろそろ水を張った田んぼの上に鯉のぼりが泳ぐだろう。水を張った田んぼは池のようになるだろう。今はレンゲ畑になっている。

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 ここで川から水を引いて復元した用水路は、およそ六〇〇メートル。またおなじ川に注ぐ。そう、この公園も用水路もおなじみで、季節ごとにわたしに大切ななにかたちを伝えてくれる場所だ。

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 そこを離れて、また川辺に出て、用水路の跡をめぐる旅へ。ちなみにここから先は、ふだん、家の近くではあるのだけれど、あまり足を踏み入れたことがないので、よけいに旅的な気分を味わったというか、新鮮な驚きが、あちこちにあった。岸辺から、いったん大通りに出たのち、すぐにその通りと平行して走る小道へむかう。ここで用水路跡と書いた石碑を発見した。言われてみれば、下にまだ暗渠となって水が流れているような感じだ。緑道のように流筋がわかるような気がした。

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 その小道をゆくとお寺がある。いつもバスに乗るとき、その名前だけを停留所名として聞いただけのお寺。桜がきれいらしいが、もうすっかり葉桜だ。そういえば小道沿いにもすこし桜並木だったらしいような後が。しらなかった。来年は来てみよう。
 そして、お寺のさらに奥に緑深い場所があった。行ってみると、神社があった(用水路のことは完全に忘れている)。わたしがお正月などに初詣にゆく神社とおなじ氏神様の神社なのだが、こちらは人の気配もなく、さびしい感じだ。けれども、社は小高くなった頂上にあり、年を経た松なども生えていて、なにか古墳のような神聖さを感じた。だから、つい、登ってしまったのだ。登った先から、何が見えるだろうか。川が見えるのではないかしら。思えばいつもそんな期待を抱いてきたような気がする。小高くなった緑深いところを登ると、きっとその向こうに水辺が拡がっている……。子どもの頃から、よく思ったものだった。久しぶりに体験して、懐かしいというよりも、新鮮だった。ちなみに、登り切ったそこから見えるところには、川がない、それは実はわかっていた。もし見えるとすれば、真逆の方角だ。そこに多摩川などが流れているから。案の定、小高い頂上からは住宅地が拡がっているのが見えるばかりだったが、久しぶりに、あの期待を味わうことができて良かった(後日、地図を開いてみたら、近くをべつの川が流れていたのだが、わからなかった)。

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 また、小道のほうに戻って、水神橋へ。ここの川から分水しているような感じで用水路の跡、今は名前を変えた用水路が現われ、約九〇〇メートぐらいが、親水公園となる。この区間は、ほぼ初めて通るところ。この小道自体、あまり通ったことがないのと、今は川と名前が付いているので、用水路跡として認識していなかったのだ。知ったことたちで、新鮮な驚きがわき上がる。そして季節は新緑だ。ちょうどこのあたりは緑も多くなってくる。とくに親水公園になっているところは、多摩川が長い年月をかけてつくった崖の連なり、緑と水が豊かな国分寺崖線下に位置し、親水公園とは別の二つの公園と隣接していることもあって、さらに緑が深くなり、小さな渓谷を想起できるところもある。途中、二カ所、その公園たちから、湧水が注ぐのも見ることができた。だから、この用水路はきれいなのかしらと思う。さきほど、通ってきた復元した用水路も水はきれいだったが。あちらはとりいれた川の水を処理して流しているらしい。稲作に利用するのだから、きれいさは必要なのだろう。いや、それ以前に、川自体が、やはり国分寺崖線上の川で、湧水も注ぎ込む、きれいな川なのだけれど。

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 ともかく、この用水路をどこまでも、追ってゆきたかった。新緑まみれの、昼下がり。木の名前はわからない、だが用水路のかつての名前はわかる。そしてほとんどはじめての場所だった。新鮮なおどろきと新緑。澄んだ水たちが、向こうへどこまでも向こうへ流れてゆく。けれども、きりがないので、親水公園がおわりになるという橋までで、探索をやめた。ここまででも、実はけっこう時間が経っている。わたしは、どうして、こんなに水が好きなのか。わくわくと、まだ後ろ髪がひかれている。興奮冷め止まない。ちなみに、用水路は、江戸時代初期に作られたものらしい。徳川家康が命じて……、まわった用水路や川たちは、ゴミ捨て場になっていたり、下水が流れ込んだり、一時期とても汚くなったりしていたらしい。
 ゆっくりと親水公園を遡る感じで帰り道。ふと、小さな鳥居のある場所に足を踏み入れる。行きのときに気になったのだが素通りしてしまったところ。鳥居のすぐ奥に小さな祠があり、その奥に、小さな流れがあり、また小高くなっている。さきほどよりもさらに古墳のようだなあと思ってしまう。流れが堀のように見えたのだ。この社の名前などがわからなかったので、家に帰ってから調べたら、水神社とあった。だから近くの橋は水神橋というのだと合点がゆく。ちなみにこの小高い緑深いところは、うねうねと先ほどの神社に続いていた。つながっていると思わなかったので、こちらもすこし驚いた。ここちよい、いとしい発見だった。
 記事にするとなると、今回書いたこととは、だいぶ違ったものになるだろう。ただ、記事とは別に、そのときの体験を、小旅行のことを、書いておきたかった。ことばにすることで、なにかたちが、わたしと近づいてくれそうで。緑がやさしい。水がやさしい。

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17:38:31 - umikyon - No comments

2019-04-07

今年の桜は。

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 体調があいかわらず、すこし不調。その間に、風邪もひいたようだ。前回書いてから、今日まで、もう半月になってしまった。三月から四月へ。この期間に、いろいろあった。あたらしい元号が発表になった。桜が三月末から見頃になり、もはやその時期を終えようとしている。
 今年は身体がきついなと思いつつ、例年、桜の頃になると、足を運んでしまう、うちの近く、仙川沿いの桜並木を見に、何回か出かけた。
 何回か書いているけれど、仙川は基本的にコンクリ−トで護岸工事されているので、なんとなく、ものがなしく、桜が咲く頃でないと、ほとんど通らない。もうひとつの近くを流れる川、野川は自然に近いかたちで護岸されているので、こちらはよく通るのだけれど。


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 ともかく、その仙川に毎日のように桜を見に行った。最初は、まだまだだなあと、なかば信じられない面持ちで。なにが信じられなかったのか、毎年、どこか狂想ということば、なのか、狂った、幻想、ということばなのか、どこかがこわれている、日常が平然と非日常になる、そんな違和をも内包した、あたり一面の静かな狂乱に、心がざわめく。その状態にまだなっていないことで、あの得体の知れないような狂の空間になることが、まだ信じられないと思うのだった。だから、憑かれたように桜をみてしまう。そして、一日、一日経つうち、三分咲き、五分咲きと、花が満開に近づいてゆく。そのうちに夢と現実の境にかかる橋として、桜たちは枝をわたす。春が全開でやってきた、その象徴のお祭り、のような。祭りと日々が、共存している、それが春のソメイヨシノといえるかもしれない。信じられなさが、日を追うごとに薄れてゆき、気がつけば、この空間のとりこになっている。

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 場所は仙川沿い、東宝撮影所の近く、成城一丁目付近。この桜に魅せられて、もう十五年ほどになるかもしれない。
 川に桜が映る、護岸された苔むしたあまり綺麗といえない岸辺が、このときばかりは美しくなる。川に映った桜、それに覆い被さるように咲く桜、さらに散り始めてしまうと、桜と川のあいだに花吹雪になって、四方八方、桜だらけになる。この狂をどう表現したらいいのか。
 気がつくと、仙川をぐるぐる回っている。何度も何度も。もういいじゃないかと、どこかで声がする、けれども、同じ場所を、桜たちをみてしまう。みるたびに表情がすこし違うように感じられたのかもしれない。雲の位置が変わる、日差しが翳った、川面に花びらが散った、鳥が着水した、一歩歩いただけで、桜の見え方が変わるというのに、なんと瞬間は永遠なのだろうか。この変幻は、やはり、魔だった。

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 仙川だけでなく、近くのお寺の桜も見に行った。ふたつのお寺。どちらもライトアップされるらしい。ありがたいことだ。
 わたしは朝早い仕事の関係で、夜出歩くことがなく、なかなかライトアップされた桜を見る機会がない。言い忘れていたけれど、仙川の桜も、東宝撮影所の好意というか、無償で数日間ライトアップされている。ある午前中に、照明機材を設置して回っているのをみて、どこか心が微笑んだ記憶があった。

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 ともかく、ライトアップ。四月六日の土曜日のこと、次の日曜日、早朝バイトが休みだったので、家人と、夜ご飯を食べに出かけた。帰りにライトアップされた桜を見ることが出来た。
 何回も昼間や午前中にみていた、立派な桜の木。一本だけだが、大木で、その桜だけで静かな威圧感が感じられる。昼間とはちがう表情。桜自体が夜の中で白く発光しているようにも見える。この桜は、ほんの少しだけ、開花が遅かったので、六日ぐらいだと、ほかの桜は早いものはそろそろ葉桜になりかけているものもあったけれど、ちょうど満開といっていいぐらいだった。ほんのすこしだけ、花びらが散り始めて。

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 話は前後してしまうが、仙川の桜を見た帰り、さらに家の近くの公園の桜も見て回る。野川沿いにあり、野川に面した桜も見応えがあるのだけれど、田んぼが復元されていて、いまはそこにレンゲが咲きはじめているが、その田んぼの用水沿いに何本か桜が植えられていて、それがとくに目当てだった。五日の金曜日だったか、用水にカルガモが泳いでいるのを見つけた。めずらしく桜といっしょに写真に撮ることが出来た。菜の花も咲き、タンポポも咲いている。公園の入口にしだれ桜も何本かあって、そちらはすこし開花時期がずれていて、まだ三分咲き、四分咲きぐらいだったが、次の土曜日に通ったら六分咲きぐらいになっていた。

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 仙川の桜の前や後に、数回、成城学園前の住宅街の桜も見に行った。桜並木となっている場所があるのだ。こちらも綺麗なのだが、下が川ではないからか、それに車も通る道なので、あまり桜に見とれてばかりいられないということなのか、狂というほどではない。だが、せっかくの桜だ。桜がアーチ上になっているところを歩くのは素敵だった。
 そのほか、仙川の桜(ここが標準地点となっているのがおかしい)の後で、世田谷通り沿い、大蔵に向かう坂の桜並木も見に行った。こちらは桜よりも、大蔵三丁目公園の湧水で出来た池が目当てだった。池のまわりに桜はないのだが、花びらが散って澄んだ池面に浮いている。

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 そのほか、こちらは家人と車で通ったのだが、和泉多摩川、狛江の多摩川沿いの桜も。六郷桜通りというらしい。七日の日曜日も通ったが、盛りをすぎた満開といった感じだった。この日はお祭りも開かれていたので、ぎりぎり、桜の見頃と重なってよかったなあと思う。せっかくのお祭りだもの。
 多摩川の土手下で、レジャーシートを敷いてお花見をしている人たちが目立った。お花見といったけれど、ほとんどの人が花を見ていないようだった。にぎやかに飲んだり食べたりを楽しんでいる。それはそれで、桜を愛でている、春を感じている、ということなのだろう。
 そういえば仙川の桜を見に来ている人たちのほとんどが、わたしをふくめて、ただ桜の花を見に来ている。土曜日はちらほら、レジャーシートを敷いて食事をしつつ花見をしている人たちもあったが、それが例外的といっていいほど、桜に足をとめ、眺め、写真を撮っている人たちばかりなのだ。この花を愛でている人ばかり、というのも、わたしが足繁く通う理由の一つになっているかもしれない。

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 五日の金曜日、野川(仙川ではない)の橋の上で、花のついた桜の枝をひろった。子どもが折りでもしたのだろうか。桜がくれた贈り物のような気がして、連れて帰る。いつかも、こんなことがあった。やはり野川近く、田んぼのある公園でだったか。桜の枝をもちながら、公園の桜を見に行った。手折ったのがわたしだと思われないかしらと、いらぬ心配をしながら。
 家に帰ってきて、水切りをしてから、コップに花をいけた。家で小さなお花見。日曜日の七日、コップの桜はだいぶ終わりに近づいてきた。七日の今日は仙川に行かなかったけれど、あの桜ももう、見頃を過ぎただろう。六日の土曜、昨日、彼らにお礼をいった。ありがとう、今年も、花をみせてくれて。野川の桜にも。祭りは終わりに近づいている。微熱がさがらない。

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23:58:00 - umikyon - No comments

2019-03-20

穏やかな田んぼと木琴バード

 ユキヤナギが咲いている。ハナズオウ、エリカ、猫の毛みたいな蕾のハクモクレンも厚みをおびた花を咲かせた。
 梅はおわり、ヒカンザクラがさき、ソメイヨシノも蕾をほころばせている。
 大好きな春だというのに、また少し体調がおもわしくない。仕方ない、ほとんど持病になりつつある、この身体に巣くったものと、付き合っていかなければ。

 三月十六日の土曜日、國學院大學博物館にいってきた。企画展として「神に捧げた刀─神と刀の二千年」(二〇一九年一月二十二日─三月十六日)が開催されていて、その最終日だった。わたしは刀剣にはあまり興味がないので、連れのお供で。けれど、あの常設展示の考古部門が観たかった。この博物館は、縄文土器や土偶、石器類がかなり充実している。
 最後に行ったのはいつだっただろうか。
 二年ぐらい前だったかもしれない。「特別展 火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館 二〇一六年十二月十日─二〇一七年二月五日)。それから少しリニューアルしたようだ。若干レイアウトが変わっていて、前回なかったミュージアムショップが出来ていた。それと、テレビなどで紹介された影響なのか、ものすごく混んでいた。観覧料が基本無料という点に変わりはないので、理由はやはりテレビで取り上げられたからなのだろうか。前回も、その前も、ものすごく空いていたので、今回の混雑にびっくりした。
 わたしたちがあらかた見終わったあとで、企画展の、刀剣を間近にみるルートというのが、長蛇の列になったのは、さらに驚きだった。団体がきたようだった。バスツアーとか何かなのだろうか。
 空きすぎていたときは、こんなに空いていていいのだろうかと不安になったけれど、勝手なもので、ここまで混んでしまうと、困ってしまう。ただ、企画展のコーナーだけが混雑していて、常設はそうでもなかったので、わたしとしては落ち着いてみることができたのだが。

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 常設は縄文前期、中期、後期、そして弥生時代、古墳時代と続く。縄文時代の展示は土器、石器、土偶、石棒など。わたしの好きな縄文中期の装飾的な土器たちと再会する。
 石棒(石神)の展示は、石棒を真ん中にして、土偶や土版などをそのまわりに囲むように置いてある。棚がガラスで、下に鏡がはりめぐらされていて、裏面も見ることができるようになっていることも手伝って、万華鏡的に、石棒を中心とした、祈りの宇宙が拡がってみえるのに、心ひかれた。ストーンサークル。
 ミュージアムショップで、土偶と縄文土器の絵ハガキを一枚ずつ購入した。

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 國學院大學博物館、最寄り駅は渋谷だが、地下鉄の表参道駅からも行ける。行きは表参道から、帰りは少し寄り道したので、隣の明治神宮前駅に出た。このあたりは前も書いたが、以前近くに住んでいたこともあって、なじみの場所のはずなのに、ちっとも土地勘が働かない。六本木通り、外苑西通り、表参道、自転車で通っていたというのに、どこも同じように思えてしまい、方角もわからなくなってしまう。かつてよく買い物をしたスーパーマーケットもなくなってしまっていたから、なおさらよそよそしい感じがする。
 明治神宮前駅、というか、原宿に近い表参道のあたりまできて、ようやく知った場所といった感覚がもどってきた。
 葛飾北斎が《富嶽三十六景 穏田の水車》で描いたのが、この付近だったという案内板がこのあたりにあったなあと思ったら、すぐに遭遇した。この道のしたに渋谷川が流れ、田んぼが拡がり、水車があって。だが、ここ表参道には、見事なまでにあとかたもない。息が詰まりそうだ。明治神宮の森まで行けば、一息つけるのかもしれないが、そこにゆくまでもなく、地下にもぐって、電車に乗った。

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 先日、「モッキン・バード・ヒル」という曲を聴いた。曲名だけはなんとなく知っていた。モッキンバードというのは、鳥の鳴き声だけでなく、ピアノや犬の声までもまねる鳥のことで、和名がマネシツグミ。
 アメリカのスタンダード曲で、日本語版でも、みんなの歌などで紹介されているらしい。
 わたしは今まで、「モッキンバード」というのは、「木琴バード」と書いて、木琴のような声で鳴く鳥のことだと思っていた。なら、「木琴鳥」じゃないか、木琴のあとにバードと続くのはおかしいじゃないかというツッコミを自分にすることなく、ずっと。
 今までの自分の思い違いも、なんだか、おかしかったが、まねするのなら、きっと木琴のような声でも鳴くのかもしれないなあとも思った。
 「モッキン・バード・ヒル」は、でも、とてもいい曲だ。今まで聴いたことがなかったけれど、すぐにメロディーを憶えてしまった。
 シジュウカラが遠く、高い空で鳴いている。まもなくウグイスの声も聞こえるだろう。
18:25:01 - umikyon - No comments

2019-03-05

梅の花に会いに行く──越生梅林

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 二月が二十八日までだということをつい感覚的に忘れてしまう。二十五日を過ぎて、二十六、二十七ときて、まだ三月まで間があると思っていたら、三月一日が唐突にきた。それは春を待ち遠しいと思っているわたしには、うれしい錯覚なのだが。
 雨が多い。一雨ごとに暖かくなるのだろうか。沈丁花があちこちで咲いている。咲き始めの頃は、花に顔を近づけないと香りがわからなかったけれど、今はもう、香りのほうで花の存在を教えてくれる。キンモクセイみたいだなあといつも思う。そうして秋のキンモクセイが咲く頃には、また逆に思うのだ、姿が見える前に香りで教えてくれる、まるで沈丁花みたいだなあと。梅は満開に近い。
 ともかく、三月最初の土曜、二月からの余韻がぬけない二日に、埼玉の越生梅林に出かけてきた。
 子どもの頃に埼玉に住んでいたこともあって、越生梅林はなじみの場所。ほぼ毎年のように訪れているので、ここでももう何回か登場している。
 越生梅林は、関東三大梅林のうちの一つ。会場は越辺川沿いの二ヘクタールの場所で、千本位だが、付近の梅農家が栽培する梅と合わせて二万本以上の梅がある。梅の種類は、白加賀、越生野梅、紅梅など。毎年二月中旬から三月下旬にかけて、梅まつりを開催する(二〇一九年は二月十六日─三月二十一日)。

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 ということは自分では既知の事実だったが、なんとなく今回は歴史的なことも気にしてみた。南北朝時代(観応元年(一三五〇年))、九州太宰府から、この近くの現在の梅園神社に分祀した折、菅原道真公にちなんで梅(越生野梅)を植えたのが起源だという。苑内にはその時の梅「魁雪」があった。また、梅の木は樹齢二〇〇年を過ぎると、ねじれが生じてくるという。苑内には、特に保存古木としてある越生野梅に、その形状がみられる……。
 梅が、好きというか心のなかで、咲いている感じなので、毎年、あちこちで梅が咲くと心がさわぐ。そのきっかけになったのが、おそらく越生梅林だろう。春のなか、ほとんどさきがけのように咲く、静かな花。梅は「春告草」と言うのだと知ったけれど、個人的には、勝手に思ってきた「春告げ花」と、つい言いたくなる……。梅にまつわる思い出、思い入れは多い。それほど梅に魅了されているということなのだろう。そんななかで、たとえばあちこちの梅祭りなどで、多く名前を聞く菅原道真公。わたし自身は、彼に対して特別な思い入れはないけれど、ああ、また名前を聞いたなと、どこかがともるように、梅にまつわなにかとして、大切に感じるのだった。
 「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな」。

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 前日も翌日も雨だったが、出かけた土曜日は晴天だった。ありがたいことだ。三月二日現在、白梅が七分咲き、紅梅が満開、しだれ梅も咲き始め、見頃を迎えているという。
 ということは、実は出かけた後に知った。満開ではないのだろうなということぐらいしか調べなかった。あまり細かいことまで気にしなかった。咲いていれば十分だった。
 実際、出かけてみたら、なるほど満開ではない、感覚的にはたしかに七分か六分咲きぐらいだった。けれども、満開すぎて、終わりの頃よりも、まだこれから咲くであろうつぼみたちと咲いた花たちの姿が見るのは、やさしかった。梅祭りの開催中、一日しか訪れることができないのなら、この日がいちばんよかったのではないかとも思う。晴れて、暖かで。いや、それぞれに良さはあるのだろう。満開過ぎの、あのどこかさびしいような景観も趣が。
 
 うちから越生までは六十数キロ離れている。車で出かけたのだが、早朝バイトを終えてからだったので、到着は午後一時ぐらいと少し遅かった。天気がいいからか、混んでいるけれど、このぐらい混んでいたほうが活気があってよい。駐車場から、越辺川をみる。おっぺがわ、いつもながら、ふしぎな音、すこしひょうきんなような響き、なつかしい、きれいな流れ。河原で遊んでいる家族も多かった。

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 梅祭り会場にはいってすぐに気づいたのだが、最近、梅の足元に生えている福寿草が増えたようだった。以前はこんなに黄色い花たちがなかったと思うのだけれど。これはうれしい変化だった。近い空で梅の花、そして足元には福寿草の黄色い花、高い空では陽射したち。
 川沿いの祭り会場の梅林を進む。屋台村、物産などを売っている売店などを覗く。来たらここで梅干しを買うのも、通例行事になっているのだ。ここ数年で全体的にすこしだけ値上がりしたような気がする。いたしかたないことなのだろう。はなれた売店で梅干しを買った。塩分が多めで、しょっぱいのが好み。
 梅祭り会場の奥のほうで、ビニールシートを広げるのも、例年どおり。ここで梅見。ささやかな昼食。越辺川が見える、川の向こうにも梅、そして頭上にも梅、梅に囲まれて。

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 シートで寝転んで、頭上の梅を見る。梅は枝が低いのがいい、といつも思ってしまう。歩いているときも、そうだけれど、低いところで咲いているから、花たちが近しく感じられるのだ。花にひきつれられてのように、空もまた。
 風がすこし冷たいけれど、陽射しが暖かで、力をもってきた気がする。明るさが増している。オオイヌノフグリが咲いていた、ヒメオドリコソウも。川がキラキラしている。しずかさが愛しい。来てよかった、いや、今年も来ることができた、そのことがありがたい。
 着いたのが比較的遅かったので、すぐに時間が経った。午後四時近くなったので、名残おしいけれど、梅祭り会場を後にする。すぐ近くの物産館…、うめその梅の駅というそうだ(うろ覚えだが、ここ数年でそう呼ぶようになったのではないか)。そこに寄って、お土産を物色する。梅干しはもう入手していたので、味噌の加工品「おなめ」を買う。そういえば、以前ここで梅の枝を買って帰ったことがあった。こけ玉の梅が売っていたが、陽射しなど、うちではおそらく管理が難しいだろうと、後ろ髪ひかれつつ、買わずに店を後にする。
 そういえば道真公の梅。伝説では、彼が愛した庭木の桜、松、梅などのうち、梅だけが彼の住む太宰府まで飛んでゆくことができたという。桜は悲しみのあまり、その場で散って、松も飛んで後を追ったが途中で力尽きて。桜が散ってしまったというのはなんとなく、姿から腑に落ちる気がする。ならば、梅はどうして彼を追うことができたのか。それはわからないけれど、やはり、しっくりするように感じる。それは道真公と梅がもはやあまりにも結びついているように思われるからかもしれないが、どこか奥ゆかしいような姿、けれどもひっそりと花を咲かせる存在感に、うなずくことがあるのかもしれない。
 これを書いている、三月三日のひな祭りの翌日は朝から雨。春雨なのだろうか、この雨でまた梅もさらに開花するのだろうか。うちの近くの梅はほぼ満開、それよりも花が肉厚の木瓜の花も。わたしの大好きな春がやってきた。

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2019-02-20

春、かれらに触ることができたかしら─府中「郷土の森 梅まつり」など

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 今年は春がすこし足踏みしているような感じがする。二月に入っても寒い日が続く。けれども、あれは二月の八日だった。昼間、チラシ投函のバイトをしていたとき、もうホトケノザとか咲いているのかしらと、ふと注意してみたら、あちこちに花開いているのを見つけたのだった。ホトケノザはもちろん、ハコベも咲いていた。そして、タンポポに似た黄色い花。ジシバリかコオニタビラコかと思っていたのだが、後で調べてみたらら違った、ハルノノゲシというらしい。またひとつ名前がわかって、うれしい。オオイヌノフグリはつぼみ。数年前まで、春の花たちは三月、啓蟄あたりで咲くのだとばかり思っていた。思い込みのせいでろくろく花たちを見もしなかった。それが間違いだと気づかせてくれたのが、たぶんホトケノザ。うちのマンションの駐輪場に、二月にもう、ひっそりと咲いているのを見かけたのがきっかけだったと思う。わたしにとっての春告げ花のひとつ。
 「春告げ花」と、勝手に使っていたが、「春告」のあとに「鳥」「魚」「草」などが入って、それぞれ、一応固定されているみたいだ。「春告鳥」がウグイス、「春告魚」がニシン、そして「春告草」が梅。
 草なのに梅、というと少し違和感があるけれど、梅もわたしのなかでも「春告花」(草ではなくって)だった。こちらは三月よりもずっと前に咲くことを昔から知っていた。熱海の梅祭りなどが一月から開催していたし、梅については意識して辺りを見渡す癖がついていたのだ。今年も二月にはいって、あちこちで、梅が咲いているのを見ている。公園で、人様のお庭のものを塀ごしに。
 そんななか、二月十六日の土曜日、府中市郷土の森博物館で開かれる「郷土の森 梅まつり」(二〇一九年二月二日〜三月十日)に出かけてきた。ここ数年、毎年のように出かけていて、去年も訪れている。ここは敷地全体が博物館になっていて、ケヤキ並木、梅園や、田んぼ、池や小川、移築してきた古民家や建物、遺跡、本館での常設や企画展、プラネタリウムなどがある。さっき、これを書くので少し調べたら、最後に行ったのは、去年の六月の中旬だった。あじさい祭り目当てで。

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 今回も、連れ合いと車で出かけた。去年のあじさい祭りの時だったか、彼が多摩川沿いに出かけるルートを発見した。うちから多摩川は近い。直線距離で五〇〇メートルほど。郷土の森も多摩川沿いにあり、川を横目に見ながら、十数キロ、上流に向かえばいいので、助手席で無責任に景色を眺めているわたしとしては、着くまでの車窓も楽しいし、早く着くし、素敵な道のりだった。
 駐車場に車を停め、入口前の物産館に立ち寄る。府中の野菜、お菓子、地酒、絵ハガキなどがあり、小さな道の駅といったかんじ。郷土の森で採れた梅干しも売っている。
 そうして入場。博物館本館を過ぎ、復元移築された建物たちのエリアに来ると、もう小さな梅園があった。紅梅、白梅が、そろって咲いていて、それ目当てで来たのに、すこし驚いてしまう。うれしい驚き。さらに小川をわたると、広い梅園。かなり花の咲いた梅もあったけれど、まだ開花の遅れている種類の梅もあって、全体で三分咲きぐらい。けれども、咲いた花たちばかりが目について、なんとなく、もっと咲いているような気がする。梅たちのほんのりやさしい匂いも嗅ぐ。子どもの頃から白梅に親しんでいたこともあって、相変わらず白梅が好きだけれど、紅梅がこんなふうに混ざって咲くのも、趣きがあると思う。なにより、あたりの空間が色が増えることで華やかになる。

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 去年の梅まつりの時も来ているので、なんとなく勝手がわかる。梅園のさらに奥に、ロウバイも咲いていたなと、そちらへ。ただ、今年は園内マップをもらいそこねたので、適当に歩いていた。すると水遊びの池の近くに、「珪化木」と案内標識を見つけた。ここ郷土の森博物館のミュージアム・ショップで見かけて、初めて知った樹木の化石。なんだろうと行ってみたら、模型のティラノサウルスの近くに、本物の珪化木たちが、置かれていた。府中市民の方の寄贈によるもので、秋田県大仙市出土、白亜紀後期の七千万年前ぐらいのものとあった。ちなみにティラノサウルス(たしか国立科学博物館から譲られたものだったと思う)をここで見るのは久しぶりだった。苑内はそれほど広いのだ。その時にはたしか珪化木はなかったなと思ったら、二〇一六年に設置されたものだった。ともかく、こんなところで、この頃のお気に入りの珪化木に会えるなんて思いがけもしなかった。こういう出会いは、わくわくする。なにかたちが、貴重なものを授けてくれたようでもある。

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 わたしが珪化木にひかれたのは、たんに植物が好きだからだと思っていたが、それだけではないのかもしれない。珪化木は、地中に埋もれた樹木が長い年月をかけて、地層の圧力などで木の成分が二酸化珪素に置き換わってできたもの。二酸化珪素が結晶化すると石英や水晶になるので、瑪瑙のようにキラキラしてもいる。木の原型を保ちつつ、そんな性質も併せもった不思議な化石。樹木であり、石である…。このキメイラ的なことに触手が動いたのかもしれないし、縄文土器のように年月を隔ててここにあるということに思いを寄せたのかもしれない。植物が永遠のような姿として、きらめいている。
 その珪化木に苑内で出会うことができるなんて。それはほんとうに切り株のまま化石になったものとして、そこにあるようだった。まわりの草木となじんで、あたかも地中には根があるようだった。丸太のまま化石になったようなものもあった。さわってみた。きらきらしてはいたが、わたしが持っている小さな珪化木ほどつるつるしていない。わたしのものは磨かれているのだろう。きらめきながら、ざらざら。そんなことが、よけいにリアルさをおびていて、心に響いた。
 そのあとでロウバイの小径へ。ここは苑内のへりといったところで、すぐ向こうに多摩川が見える。ロウバイは花期が梅よりも早いので、もう盛りは過ぎていると開花状況を知らせるHPにはあったが、十分だった。ロウバイは蝋梅と書く。蝋のような質感をもった花びらたちが、黄色く、さんさんと輝いている。これは蝋は蝋でも蜜蝋だ。蜂たちの蝋の色だ。花びらにそっと触ってみる。すこし肉厚。

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 さらに、ロウバイの小径を過ぎて、本館のほうへ戻る感じで歩くと、ふるさと体験館がある。その近くの水辺に、もう一つのお目当て、ネコヤナギがあるので、それを見にゆく。これも去年来て、知ったのだった。
 あのほんとうに猫のしっぽみたいなあたたかそうな毛、花穂(かすい)というのだが、それが昔から好きだった。寒さに耐えている感じがいとしい。
 今年もふわふわとそこにいた。猫のしっぽが枝からたくさん。こちらも触ってみる。毛がなめらかだ。そういえば、子どもの頃、宝箱にこの花穂をひとつ、ふたつ、入れておいたっけ。

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 そうして入口近く、いや出口ともいえるが、本館へ。こちらの常設展の縄文土器や土偶にまた会いたかったのだ。あじさい祭りの時に『府中市郷土の森博物館 常設展ガイドブック』という本を入手していたので、少しだけ土器や土偶の由来がわかった。本宿町遺跡で出土した縄文時代初期の土器、縄文時代中期の土偶、清水が丘遺跡で発掘された縄文中期の土器、武蔵台遺跡(武蔵台東遺跡と隣接していて、ジオラマもあった)の縄文初頭の土器と石器、石棒、武蔵台東遺跡の中期の土器と土偶など。清水が丘遺跡は、苑内に柄鏡形敷石建物跡が移設保存されている。床に石を敷き詰めた縄文中期から後期の建物跡。土器や土偶を、見て、どこかで、触ったような錯覚をもった。というか、目でみることで、感じようとしていたのだ。遠い、でもどこかなつかしい気配。

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 常設展示室から出た、入口と出口を結ぶ廊下に、体験ステーションというコーナーがある。昆虫標本をみたり、昔のおもちゃで遊んだり、昔の衣裳を着たりすることができるのだが、そこに石の矢じりと縄文土器片もあったので、こちらは触ってきた。とくに土器片のほうは、たくさんの人が触ってきたようだ。最近の手と、作られたかつての手を思う。果てしない温もりのようなものを感じた。
 本館は、プラネタリウムも新しくなったらしい。今度機会があったら覗いてみよう。ミュージアム・ショップに行く。ここは博物館だからなのか、他の郷土資料館的な施設よりも、科学的なものが多く置いてある気がする。ガイドブックにも「府中の歴史・民俗・考古・自然・天文、すべてについて紹介されている総合博物館」とある。
 そう、梅干しや府中のお菓子などのほか、過去の企画展の図録、書籍、絵ハガキ、布製品、陶器、昔ながらの玩具、隕石、化石、鉱物なども売っていて、盛り沢山で、ちょっと楽しい。化石ガチャ、鉱石ガチャもある。そして、珪化木も売っていた。わたしにきっかけを与えてくれた、あの……。感慨をこめて、その化石を見る。四つほど売られていた。ここで見たことがきっかけで、去年の暮れに別の場所で購入して、すでにうちにひとつあるというのに、結局今回、また買ってしまった。うちにあるものと、すこし違うかたち選んで。これで二つも持つことになるなと思ったが、最初に珪化木の存在を教えてくれたこの場所に、敬意を表してというか、記念として、どうしても、連れて帰りたくなったのだ。苑内にあった切り株のような珪化木も頭によぎった。
 土曜日が過ぎて、月曜日。晴れて少し暖かい。カラスノエンドウやヒメオドリコソウの葉を見かけた。五分咲きぐらいの梅、通りかかると、甘酸っぱいような香りがした。もう春だと思っていいのかもしれない。ネコヤナギみたいなハクモクレンの冬芽、毛むくじゃらのそれに触る。すこしずつ膨らんできたのかもしれない。春はもうすぐ、いや、もう来ているのだろう。珪化木は、前からいたものと、仲良くふたつ並んで、小さな箱に収まっている。これを書いている机のすぐ脇で、見えるところに置いている。触ると、つるつるとなめらか。植物とこんなふうに出会うこともあるのだった。

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2019-02-10

瞬間の波、永遠の海─江の島

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 海が好きなのに、もうずっと海をみることがなかった。なので行ってきた。うちから一番行きやすい海、江の島へ。車だと近いのは横須賀、三浦海岸辺りなのだろうけれど、電車だと江の島だ。小田急線でほぼ一本でいける。
 江の島・鎌倉あたりは、昔から一人でたまにこっそり出かけているところだった。わたし自身は車の免許がないので電車で。生まれた時から小学校にあがるまで、小田急線沿線に住んでいたからかもしれない。今、小田急線沿線に住んでいるのは偶然なのだが、ありがたいことだ。ともかく江の島や小田原にははどうも愛着がある。小さい私は、踏切で海のほうへゆく特急ロマンスカーを見るのが好きだった。枕木のずっと向こうが海なのだ…。
 家人と出かけた。今回はじめて、江の島1dayパスポートというのを買ってみた。うちからだと江の島までの電車賃プラス八〇〇円ぐらい。それで展望灯台や江の島岩屋などの施設料金も含まれ、土産や飲食その他もも割り引きになるらしい。
 以前一人でのときは、新宿の始発から利用したこともあり、特急券をプラスしてロマンスカーに乗っていったものだった。今は小田急線沿線に住んでいるので、わざわざ乗るまでもないと、急行や快速などを乗り継いでゆく。

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 日曜日だったが、冬という季節もあるのだろうか、電車は比較的空いていた。片瀬江ノ島駅についたのが、午前十一時をまわったころ。
 終点の片瀬江ノ島駅までは内陸だから海が見えない。けれども、近づくにつれて車窓の陽射しが明るくなってきたような気がした。駅に到着すると海はわりと近い。江の島弁天橋のほぼたもと。この橋をわたれば江の島だ。わたしが最後にきたのはいつだったか。そのときよりも、橋のまえの国道一三四号線沿いに並ぶ店たちが、ずいぶん今風になっていたようだ。明るいというか、都会風というか。こんなことを寂しがるのは、年をとったということなのだろう。じつはその変貌のせいで、道を間違えてしまった。あらためて江の島へむかう。あたりは海。トンビに注意との看板。そうだった、トンビが多いのだったけ。ピーヒョロロと鳴きながら、頭上を旋回する姿をなつかしく見上げる。
 橋の途中で富士山が見えた。当たり前だけれど、うちから見えるものよりも、ずっと大きい。すこし雲がかかっていて、くっきりというほどではないが、見ることができてよかった。

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 橋をわたれば江の島。立派な青銅の鳥居をくぐって、お土産店のたちならぶ弁財天仲見世通りへ。貝細工を売っている店、海産物、食べ歩きできる類いのもの、アクセサリー、食事処、こうしたお店たちはは眺めるだけで、楽しい、お祭りのようだ。
 ここは古くから信仰されてきた場所でもあるので、観光地なのだけれど、雑多な賑わいのなかに、どこかそうした歴史や、神聖なものの気配が残っている。日本三大弁天の一つである江島神社の弁財天、「奥津宮(おくつみや)」、「中津宮(なかつみや)」、「辺津宮(へつみや)」……。名前を聞くだけでも、海への信仰、祈りが感じられる。そして龍や亀への信仰。
 すこし古色蒼然とした気配と、観光地としての今の様子。それはわたしにとっても親しみぶかいものだった。疎外感がない。賑やかさのなかで、お土産などをみつつ、上へ、というか奥へ向かう。江の島サムエル・コッキング苑の前で、連れ合いがタコせんべいを買った。タコをプレス焼きしたせんべい。わたし一人だったら多分買わない。いや、彼も一人だったら買わないかも。食することができてよかった。タコがそのままプレスされているからか、風味がよい。タコがはいっていない小麦粉部分にも香りがしみこんでいるようだった。お酒でいただく。トンビが近くを飛んでいる。
 そのあとで、江の島サムエル・コッキング苑と、中にある展望灯台へ。これもパスポートがあるから入ったが、なかったら、おそらく訪れなかった。苑は植物園的な感じだが、申しわけないが、四季を通じて、わたしにとってはあまり関心をひくものがなかったし、展望灯台はわざわざお金を払って登らなくても、江の島からの眺望で十分そうだったし…。
 こちらも今回、入ってよかった。江の島よりもさらに高い、展望灯台からの景色が楽しめたこと、そして資料館での解説。ここは明治の貿易商サムエル・コッキング氏の別荘地だったらしい。それが縄文の遺跡でもあったとある。竪穴式住居跡が発掘され、そこから出土された縄文土器はおよそ九〇〇〇年前の縄文前期のものだったとか、さらに黒曜石の石器が出土、どちらも静岡東半分部分との交流を示して…。
 この日は縄文などとは無縁の遊びをしている感覚があったので、うれしい驚きがあった。苑内は遺跡でもあったのか…。展望灯台から降りて、苑内を、そうと意識して巡る。立派なスダジイの木があった。縄文時代、食されていたドングリのなる木だ。関係がないかもしれないが、勝手に縄文と結びつけて、立派な大木を眺める。花期になったら、きっと独特の、生の放出的なにおいをあたりに漂わせるのだろう。

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 そのあとで、海のみえる食堂で昼食を。釜揚げしらすと鰺のたたきの二色丼と、サザエのつぼ焼き、そして連れ合いは江の島ビール、私はワイン。
 ほかの店と迷ったけれど、海が見えるところ、サザエのつぼ焼きが食べられるところということで選んだ。味はまあまあだった。海が見えて、サザエのつぼ焼きが食べれて。十分だ。
 そう、なぜかサザエのつぼ焼きに固執している。それほど美味しいと思っているわけではないのだが、こうして海辺に来ると食べたくなる。海にきたというイベントの象徴になっているのかもしれない。サザエの蓋部分を、連れて帰った。小さい頃、これでおはじきをした記憶もある。そうだった、子どもの頃、家で食卓にサザエが出たという記憶はあまりないのだけれど、プランターや鉢に、サザエの貝殻が乗っかっていたおぼえがある。カルシウムが植物にいいとのことだった。そんな記憶たちも重なって、海でサザエのつぼ焼きを食べたくなるのだろうか。
 午前中に江の島にきていたが、食事をしたのはもはや二時近かったかもしれない。そのあとでごつごつとした岩場の稚児ヶ淵、岩屋へ。個人的にはこの稚児ヶ淵のあたりに一番来たかった。波が迫る岩場と磯で、意外と荒々しい海を近くで感じることができるから。

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 またトンビが目についた。食べ物を狙う子なのかもしれないが、わたしはどうも昔からトンビが好きなのだ。上昇気流に乗って輪を描いて飛ぶ姿が美しいし、猛禽類なのだが、ピーヒョロロという鳴き声が、その姿とすこし違和のあるのも、やさしい。勝手な思い入れなのかもしれない。わたしが住んでいる辺り、内陸ではほとんど見かけることがなく、海辺の鳥というイメージもあるかもしれない。旅先でしか会うことがない鳥……。

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 そして、待望の海だ。ここに至るまでにも、海はあったし、それを見て感慨があったが、波やしぶきを近くで感じられるのは、独特のものがある。岩の隙間に入り込む海、打ち寄せる波のかたちが刻々と変わる。ときに足元をぬらしそうなぐらい近づいて。おなじ姿をとらないということが、昔から不思議で、尊いもののような気がしていた。この瞬間は永遠なのだ。雲がまた移ってゆく。それにしても陽射しがまぶしい。潮の香りがする。海の水は比較的きれいだ。

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 磯の奥まったところ、水が井戸のように残っている裂け目に、死んだ魚が沈んでいた。こうしたことも、目をそむけず、覚えておかなければいけない。
 そのあとで岩屋に入って、整備された洞窟をめぐる。手燭を持って歩くところもあって風情があった。あとはもう帰り道。海からすこしずつ離れてゆく。まだそこ、むこうに見える。また土産物屋さんをのぞく。とても小さな貝の入った袋、そして桜貝の入った瓶詰めを買う。桜貝は、子どもの頃に好きだったもので、たしか持っていたはず。マニキュアをした爪のような、桜色の小さな貝。すこし力を入れたらすぐに割れてしまう、繊細な、羽のような貝。
 江の島弁天橋を渡る。もう最後の海だ。だいぶ日が傾いてきた。トンビが旋回している。

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 この日は、日曜日だったと書いたけれど、次の月曜日も、珍しくバイトが休みだったので、曜日の感覚がなかった。まるで土曜日のようで。満ち足りた休み、そして休みの前。髪の毛が少しごわごわしている。海にゆくといつもこうなる。潮風にあたってきたということ、海から帰ってきた証拠だ。つぎに海へゆくのはいつだろうか。
04:41:24 - umikyon - No comments

2019-02-05

えにしと住んでいる場所たち。赤塚へ。(板橋区立郷土資料館)

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 どうやって見つけたのだろうか。ネットの検索で、板橋区立郷土資料館で「再発見!いたばしの遺跡〜いたばしの旧石器時代・縄文時代〜」(平成三十一年一月十九日─三月二十四日)という催しがあるということを開催のだいぶ前、おそらく去年知った。会期中なら比較的簡単に見つけられるけれど、その前だと、ちょっと引っかかりにくい。会期前の後日もう一度試してみたが、なかなか探し出せなかった。縁があったのだろうか。見つけることができてよかった。
 板橋区立郷土資料館は、赤塚城跡、赤塚溜池公園に隣接している。赤塚はかつてわたしが住んでいた街でもある。自分のことなのに、大雑把にいってしまうが、十年ほど前、十年ぐらい住んでいたのではなかったか。
 特に近くにある赤塚植物園は、毎週のように出かけていた。だが、郷土資料館のあるあたりは、数えるほどしか訪れたことがない。郷土資料館にいたっては一回入ったぐらいではなかったか。あの頃から縄文などに興味があればなあと、また思う。縄文時代に興味を持ったのは、ちょうど赤塚を引っ越した直後だった。けれども、まだ行けるような場所にいるうちで、よかったとも思う。
 ともかく、二月になってすぐ、比較的陽射しで暖かく感じられるある日に出かけてきた。
 うちからだと、千代田線・副都心線の地下鉄ルートが便利だ。この副都心線は、赤塚にいる最後の頃に出来た比較的新しい路線で、今回、電車に乗っていても途中駅までは、あまりなじみが無いことが、すこしおかしかった。北参道、東新宿、雑司ヶ谷…。なじみのある場所に行くのになあと。池袋を過ぎたら、なつかしい駅名が続く。千川、小竹向原、平和台を過ぎたら地下鉄赤塚。
 あちらがわの出口が、わたしが家に帰るのに使っていたほうだなあと、感慨にふけりながら、逆の出口へ。郷土資料館までは、実は二キロ以上ある。途中の植物園に行くのにも、自転車でしか行ったことがない。徒歩で行くということは、すなわち、もはやここの住人ではないということなんだなと思う。それでもいつもみたいに地図を確かめたりすることがないから、ゆかりがある場所、ともいえるのだけれど。
 ほぼ十年ぶりなので、店などは変わっていたところもあったけれど、全体的な印象としてはあまり変わっていない。今住んでいる場所と、どこか似ているなあと思う。比較的緑が残っているからか。それもあるけれど、周りに高い建物がないからだろう。
 愛猫のべべのかかりつけの病院があった。もう危篤状態です。こちらではもはやなす術がありませんといわれるまで、通っていた…。すこし思い出すのがつらかった。もう十年以上前なのに。けれども、こうしたことも含めて、受け入れなければならないのだろう。この病院へ来るとき、今歩いている大通りからではなく、暗渠となった川の上を自転車を走らせてきていたのだった。その緑道も確認する。

 東京大仏の近くの大仏蕎麦のお店。かつて、なぜかわたしの案内で、赤塚植物園、東京大仏を巡る句会を開いたことがあり、その昼食をたべたところでもあった。案内の電話番号、以前は〇三がなかったが、今はちゃんと市外局番から始まっている。変わったのはそれだけだ。いや、それが変わったということなのだろうか。おいしかったなあ。
 大仏蕎麦の近く、郷土資料館にゆく前に、途中にある赤塚植物園へ。毎週のように行っていたなあと思っていたが、考えてみたら二月のこんな時期には、訪れたことがない。花が少ない季節だから。けれども、絶対に寄ろうと決めていた。大切な場所だった。

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 入ってみると、たしかに花が少なかった。まだ梅も咲いていない。睡蓮池がむきだしといった感じで、冷たげな水を湛えている。はいってすぐに、赤い実が目についた。ピラカンサスに似ているなあと思ったらヒマラヤトキワサンザシとあった、花のような赤。咲いているのは、福寿草、水仙、椿ぐらいだった。けれども、黄色い福寿草が、地面に鮮やかだった、そして、案内板で現在見頃のものとして提示されていた、タラヨウの赤い実。
 タラヨウというのは葉っぱの裏に傷をつけて字を書くことができる樹木で、その縁で郵便局の木にもなっているもの。葉書の語源という説もある…ということは知っていた、というか、ある詩人の方に教えてもらっていたのだが、赤い実がなることは知らなかった。タラヨウの実は、さきほど見たヒマラヤトキワサンザシほど派手さはないが、赤さが奥ゆかしいようで、やさしかった。冬にともった小さなぬくもり。

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 ニリンソウはまだ芽すら見つからなかったが、板橋の花だったなあと、姿を思い浮かべながら、植物園を後にし、今度は不動の滝へ。不動の滝公園となっているが、通りから見ることができるところだけのぞいた。わたしが住んでいた頃から、水量が少ないと思っていたが、それ以上に少なくなっていた気がする。今住んでいるところの近くにもやはり不動の滝(喜多見不動)がある。不動の滝つながりなのかしらと、ふとくっつけてみる。そういえば、植物園でもらった「みずみどり」という小冊子に、荒川と武蔵野台地との間の高低差、崖下から染み出る湧水のことが書いてあった。うちの近くの国分寺崖線とおんなじだ。川の近くの崖下というのは、湧水が染み出るところなのだなと、あらためて思う。
 だいぶ寄り道してしまったが、いよいよ板橋区立郷土資料館へ。隣接した板橋区立美術館は、工事中で閉鎖している。溜池では釣りをする人たちが見えた。
 池のほとりの建物が、目当てのところだ。こんな素敵な場所だったのか。

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 HPなどから、企画展の概要を。
 「私たちが暮らしている“いたばし”には、いつから人がいたのでしょうか? 南関東では、およそ四万年前の生活の跡が最も古い時代と考えられ、西台後藤田遺跡では、同最古級の資料が見つかっています。この他にも、岩宿遺跡に次ぐ国内で二例目の発掘調査事例となった茂呂遺跡など、旧石器時代を研究するうえで重要な遺跡が数多く調査されてきました。また、旧石器時代に続く縄文時代でも、一時縄文時代最古とされた稲荷台式をはじめ、縄文時代前期の標識資料とされた四枚畑式など、考古学的に知られる遺跡が数多く存在しています。更に、四葉地区の遺跡では居住内貝塚と共にイノシシを模したと考えられる獣面把手や縄文土器が出土しています。こうした旧石器時代と縄文時代の遺跡や出土資料から得ることのできる情報を元に、区における人の生活の始まりとその内容について紹介します。」

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 そのほか、縄文後期では小豆沢貝塚、赤塚城址貝塚などがあったとか。特に赤塚城址貝塚は、この郷土資料館の隣接地だ。赤塚と名のつく場所に、貝塚があったなんて…。
 つい、展示品も、赤塚のものに目がいってしまう。ほぼ完全な姿で残っている土偶、注口のある土器、堀之内式土器…。そのほか四葉地区の遺跡からの出土の土器が充実していたと思う。
 また縄文土器たちを見ることができたなあと、会場内で思う。大雑把なことを書いてしまうが、多摩地区のもの、石神井で見たものと、見た目というか、印象が似ている気がする。石神井は、隣の区だし、近くだから、そうかもしれない。時代もなにも、考えなしに書いてしまうが、派手さがあまりない。けれども、しっくりとくる。なじみやすいといえばいいのか。おだやかに、時の向こうから、よりそうように、土器たちがそこにあった。
 企画展の会場内では写真撮影が禁止されていたので、常設展の縄文コーナーで写真を撮った。

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 そのあとで、中庭に移築保存されている、古民家へ。旧田中家住宅という。江戸時代後期の建物だとか。こちらも、現在の家の近くの次太夫堀公園民家園などの建物を思い浮かべてしまう。そういえば、うちも崖下にあたるけれど、崖のうえは、縄文の遺跡があったのだっけ…。
 ということで、名残惜しかったが、貝塚があったという赤塚城跡のほうへ。美術館の南側の山を登る感じ。ここは桜がきれいだったり、さらに南にゆくと梅林があったりするので、その時期に来たことがあった。もっとも桜の時期は、赤塚のここではなく、川越街道をはさんで、練馬区にある光が丘公園にいっていたので、あまり来たことがなかった。梅祭りも開催されていたので、梅林に何回か来たことがあったのだった。
 そんなところに、貝塚が…。ただ遺跡を示す碑の類いがないので、どこなのかわからない。持ってきていたガイドブック(『武蔵野の遺跡を歩く』)に東北斜面と書いてあったが、ガイドブックの地図をみると、逆のかんじだ。しばらくうろちょろして、要領を得ないまま、もしかして…と思えるところを、写真に撮った。あとで家に帰って郷土資料館でもらってきた企画展のチラシをみると、小さく「旧板橋区史より 赤塚城址貝塚」という地図が載っていて、そこについている印で、ようやく貝塚の跡がわかった。もしかして…と思えたところ、そして、古民家にいったときに見上げた斜面、このあたり、なんだか遺跡っぽいなあと思ったあたりが、それだったので、ちょっとうれしくなった。

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 赤塚の駅についたのが午後一時近く。貝塚を探している時は、午後三時すぎ。だいぶ西に日が傾いていた。
 帰りは、また赤塚の駅のほうへ歩きはじめたのだが、早朝バイトをしてきてのことでもあって、けっこう疲れていた。バス停があったので、ふと時刻表をみると三十分に一本ぐらいの本数なのに、まさに今が到着時刻だった。正確には一分前。もう出たのかな、そしたらしょうがないと、思案していたらバスがきたので、つい乗ってしまった。行く先は赤塚ではなく、ひとつ向こうの成増駅。成増は住んでいた頃から隣駅だったが、そんなに頻繁に訪れたことがないので、バスの走る道も、知らないところだった。帰りも赤塚を通って、感慨にふけりたいなと思ったが、まあ、しかたない。成増駅についた。ここも考えてみれば、久しぶりの場所だ。おいしく頂いた回転寿司の店がまだある。
 副都心線から千代田線、千代田線直通の小田急線へ。途中『縄文時代の歴史』(山田康弘著、講談社現代新書)を読む。郷土資料館で、さきほどみたばかりの製塩土器についての記述があって驚いた。海水を煮て塩を作る土器。塩をつくることに特化している、文様がまったく描かれていない土器なので、つい素通りしてしまったのだが、ここでこの記述に出会ったことが、やはりえにしのようで、うれしかった。
 小田急線で自宅最寄り駅に降りる。この崖上のあたりにも縄文の遺跡があったのだ、そしてうちのある崖下は、海だったのだ…。近くを流れる仙川の貝層断面を、こちらは世田谷区立郷土資料館でみたことがあったっけ…。そんなことを思いながら自転車をこいだ。自転車に乗っている場所が、現在住んでいる場所なのだ、かつて赤塚がそうだったように。もう夕焼け、いや日が落ちたのだろう。暮れ残った西の空に富士山が見える。ここが今のわたしの住むところ。

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2019-01-20

初春の縄文など─川崎市民ミュージアム

 年が明けて、もう大分経つというのに、大寒の頃、やっと正月気分が抜けた。というか、ゆっくりと日常に戻っていった。毎日バイトをして。正月に残ったお餅を昼ご飯にして。
 この頃、本をちゃんと読んでいないことに気づき(いいわけめいてしまうが、詩の類いは読んでいる。それ以外…)、新古書店に行き、堀辰雄、『梁塵秘抄』などを買う。ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』、以前、買いそびれていたものが売っていたので、それも。なぜ買いそびれてしまったのかわからない。好きで全集の類いもけっこう持っている。ほんとうにメモ書き、断片集だと思ってしまったのかもしれない。
 

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 新春というのに、まだ大寒前。いちばん寒い季節だろうか。冬を好きになろうとしているが、なかなかうまくいかない。それでも、ずいぶん冬と仲良くなってきたのだが。曇り空などが続くと、とたんに気持ちが沈んでしまう。植物のようだなといつもぼんやり思う。冬のなかで、陽射しや寒さに向かっていること。紫外線量の少なさが気持ちに影響すると、昔、医者に聞いたことが思い出されて。
 またチラシなどを配ったりのバイトも始まった。沈丁花がもう蕾をつけているのを見つけた。ハクモクレンの冬芽…ネコヤナギみたいな毛むくじゃらの芽に出会った。そっと触ってみる。また、会えたなあと弱い陽射しのなかで思う。

 なにか展覧会とか、ないかしらとパソコンで検索していたら、家の近くでこんなものを見つけた。川崎市民ミュージアム「発掘された日本列島2018〜新発見考古速報」(二〇一九年一月八日〜二月十七日)。実はこれは文化庁などが主催する巡回展で、去年、江戸東京博物館で同じものを見たことがあった。でも川崎市民ミュージアムの常設展にも行きたかったし、連れははじめてなので、出かけることにした。今年初めての縄文土器…。まだ新年が続いている。そう、縄文土器に特に出会いたかったのだ。
 うちから川崎は、かなり近い。大雑把にいって、多摩川を越したらすぐ隣町。今回は車で出かけたけれど、自転車でも行けるぐらいだ。

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 川崎市民ミュージアムのHPから。
 「日本列島では、毎年約八〇〇〇件の発掘調査が行われています。「発掘された日本列島二〇一八」展では、このうち近年発掘され成果がまとまった全国一七の遺跡から五四六点にわたる資料を速報展示します。さらに、特集展示として全国の代表的な装飾古墳を取り上げます。古墳内部に表現された幾何学紋や器財・動物・人物等の文様は、古墳時代の死生観や葬送儀礼を知る上で極めて高い価値があります。この特集は、東日本大震災や平成二八年に発生した熊本地震により装飾古墳が被災した事態を受け、装飾古墳の世界やその保護の取り組みを紹介するものです。
 川崎でも、重要な遺跡が数多く発掘されています。現在の川崎市域には、かつて古代武蔵国の橘樹郡・多磨郡・都筑郡がありました。この三郡にはそれぞれ、橘樹郡に影向寺遺跡、多磨郡に菅寺尾台遺跡、都筑郡に岡上栗畑遺跡の古代仏教遺跡があります。瓦塔や「寺」と書かれた墨書土器(ぼくしょどき)などが「ムラ」の遺跡から出土し、また丘陵地帯には骨蔵器を用いた古墓群が造営されました。これは古代になって新しく出現した有力氏族の墓所と考えられます。本展では、これらの遺跡から発掘された資料から、古代寺院の成立とその後仏教が「ムラ」に浸透していく過程を描きだします。古代の川崎に華開いた、仏教文化をご観覧ください。」

 江戸東京博物館でも、展示解説、ギャラリーガイドの方のお話を聞いてためになったので、それも目当てだった。今回は、加曽利貝塚から剥ぎ取ってきた貝層断面に、土器が突き刺さっていると聞いて、よくみたら確かに確認できたことに、ちょっと驚いた。加曽利貝塚で断面は見ているのに気づかなかった…、そうした目でみると貝にまじって、あちこちに土器が刺さっている感じで、確認できた。

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 縄文関係の展示は、特に加曽利貝塚…。去年もおととしも訪れたところなのに、やはりその関係の展示にひかれた。丁寧に埋葬された犬、加曽利式の土器、ほとんど欠損が見当たらない山形土偶(顔が山形なのでこう呼ばれる)、頭だけのミミズク土偶(円盤を貼り付けた顔の表情がミミズクに似ている)。

 もう一つのお目当ては、常設展だった。時系列が逆になってしまうが、実は最初にこちらに訪れた。旧石器時代から昭和までの展示。セエノカミという行事についての解説があった。小正月の時期、松飾りや注連縄を燃やす行事で、個人的にはドンド焼きが耳なじみがいいのだが、川崎ではセエノカミと呼ばれていたとのこと。セエノカミは塞の神、道祖神のこと。つくられた藁小屋が再現展示されていたが、それが竪穴式住居のようだと思ってしまったが、関係ないのだろうか。この小屋でおこもりをし、そのあとに火がつけられ、神様に送られる。火への信仰、そして村境にあった神への信仰。道祖神が縄文の石神信仰と関わりがあるかもしれないので、もしかして、感じたことはあながち間違えではないのかもしれない。
 川崎の縄文遺跡から出土された縄文土器などもみた。今年初めての縄文土器。これだけで、もう、うれしくなってしまう。川を渡った、家から近いところの出土品。そしてこのあたりも、かって海だったということ。

 実は川崎市民ミュージアムは初めて訪れたのではない。だいぶ前、一度、来たことがある。たしかフランシスコ・ザビエルに関する展覧会…。調べてみたら一九九九年だった。「大ザビエル展 : 来日四五〇周年その生涯と南蛮文化の遺宝」というらしい。そのころしていた仕事の関係で招待券を頂いて、それで…、ザビエルのあまたの肖像画の展示、南蛮文化的な展示だったと思う。今住んでいる場所ではなかった。あの頃は、もっと川崎市民ミュージアムに来るのに、けっこう時間がかかる場所に住んでいた。まさかこんなに近いところに越してくるなんて、思いもしなかった。
 このときは常設展示は行かなかった。ただ、ザビエルの展覧会をするのに、ずいぶん現代的な展示施設だと思った記憶があった。
 今回も、現代アートと常設の展示が融合していると思った。なので一見すると常設の展示に入るのに、すこし戸惑うのだけれど。このエリアは現代なのだろうか、古代なのだろうか? この錯覚は心地よいといえば心地よいけれど。

 今回も時間の関係でいかなかったけれど(なんだかんだ三時間はいた)、川崎市民ミュージアムは川崎市中原区の等々力緑地内にある。この緑地には釣り堀池や緑豊かな公園もあるようだ。とくに釣り堀池は広いようだったので、訪れてみたいと思った。それと、ミュージアム内の映画上映、ミュージアムショップ、常設展なども。自転車でゆける場所だということがわかったので、次は自転車で。春になったら。

 この日は暖かだった。満月も近いらしく、夜中に西のほうにしずむ月をみた。訪れた午後に、東から登ってきた月をみた。しらべたら二一日が満月。わたしが早朝バイトに出かける頃、夜中にちかい明け方、しばらくこの月が見えるので、すこし詳しくなったのだ。これから半月ぐらいは、晴れていたら、真っ暗な午前四時ぐらいに、明るく輝いているのが見える。
 半月たったら、二月。まだ春の暖かさはないかしら。春を待ち望んでいる自分がいる。
09:27:30 - umikyon - No comments

2019-01-01

謹賀新年 2019年1月1日 初日の出

あけましておめでとうございます。

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 今年も例年のように初日の出をみようと目覚ましを日の出の二〇分ぐらい前にセットした。午前六時三〇分。天気予報では晴れて初日の出が拝めるということだったので、てっきり快晴なのだとばかり思って外を見たら、東のほうから西まで下のほうに、雲がずいぶんかかっている。南東の空に、細い月がいた。中空に雲はないので、晴れといえば晴れなのだろうが、すこし残念な気持ちになった。下まで晴れていれば、日の出の五分ほど前から、地平線が明るくなって、登ってくる場所がわかる。けれども雲のために、初日の出の六時五〇分にも、太陽がみえない。毎年、拝んでいるのに、そうなると、どこからあがるのか、微妙にわからない。これも例年のことなので、学習能力がないなあと、すこしおかしくなる。東のこのあたりかしらと見当をつけるのだけれど、いざあがってみると、いつも場所が違うのだった。

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 ちなみに西のほうには富士山がみえるのだが、それもことしは雲に隠れてわからなかった。
 日の出の時間がすぎ、七時ぐらいになって、雲の切れ間から、ようやく光がさしてきた。輝きが線になって、雲をつきとおすよう。これはこれで味わい深いと思う。


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 家人に教えようと声をかけたすきに、もう雲に隠れてしまった。そのあとまた一〇分、十五分、雲の間から見え隠れして。最後にくっきりとした姿を見たのは七時三〇分ぐらい、日の出の時刻から、四〇分かあと、ぼんやりと思う。
 こんな初日の出もある。雲のすきまから、ひかりの束。拝むことができて良かった。

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08:21:28 - umikyon - No comments

2018-12-30

植物たちに、思いを寄せる…(ミュシャ展、珪化木)

 すこし前に偶然、新宿で「アルフォンス・ミュシャ展」が開催されると知ったので、めずらしくチケットを購入した。小田急百貨店で十二月二十六日から年明けの一月七日まで。珍しく、といったのは最近は興味がほかに、おもに縄文などに移っているので、美術展の類いはあまり出かけていないから。だから自分でも、なんで買う気になったのか、ちょっとわからなかった。それに、ミュシャなら、もう何度もみたではないか、何度もみた他の画家たちの展覧会は、いかなかったくせにと。
 懐かしくなったのかもしれない。新宿ならほかに出かけたいところもあった。そんなこんなで二十八日に出かけてきた。
 早朝バイトがかなり忙しい時期で、疲れていた。こんなことで頭が切り替わるかしらと思ったが、通勤は自転車で、電車に乗るということが、もはや非日常なので、それだけで案外スイッチが切り替わってくれた。
 小田急百貨店のHPから。
 「アルフォンス・ミュシャ(1860─1939)は、19世紀末のヨーロッパにおいて流行した「アール・ヌーヴォー」の代表的な画家、デザイナーとして知られています。現在のチェコ共和国に生まれ、幼い頃から絵を描き続けたミュシャは、近隣の領主エゴン伯爵に才能を認められ、1887年、伯爵からの援助でパリに美術留学しました。しかし、1889年突如援助を打ち切られ、挿絵などを描いて生計を立てるようになります。
 本展では、代表作〈ジスモンダ〉をはじめ、ポスターや装飾パネル、本の挿絵、ポストカードに加え、アメリカ時代から祖国チェコに戻り、スラヴ独特の象徴的表現で制作した作品、デザイン集、雑誌、はがき、当時販売された商品のパッケージ等、珠玉のミュシャ作品400余点を展示いたします。」

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 会場はちょうどいい混み具合だった。静かに観覧することができた。写真撮影が可ということなので、シャッターを切る音などは響いていたけれど。
 感動した…ということは、やはり思ったとおりになかったが、懐かしかった。彼の絵が好きだった自分を感じるようだった。やはりパリ時代の、大女優サラ・ベルナールに見いだされた頃の絵が、圧倒的に生き生きとしていた。生活に美をという発想が素敵だった。ポスター、挿絵、カレンダーやお菓子の箱、シャンパンに香水。
 展覧会の会場にあった言葉。「アール・ヌーヴォーの基本姿勢は「自然から学ぶ」で、それは多用される植物模様や有機的な曲線モティーフからも明らかでしょう。(中略)リアルに再現しながら、それらをリズミカルに繰り返すことでデザイン的な効果を示しているものもあります。ナイフ、フォーク、食器などは「生活の中に、美の喜びを」というアール・ヌーヴォーの理念の表明とも見えます」
 わたしがミュシャやエミール・ガレが好きだったことが、なんとなくわかったような気がした。ヨーロッパの植物に対する考えとは無論背景が違う。けれども、植物好きなわたしの琴線にひびくところが当時、あったのかもしれない。
 子供の頃から植物は好きだったが、それに対して喜びのようなものは感じなかった。ただ当たり前のようにそばにいてくれるものだった。その植物たちが、こんなに美しく別の姿で現われる…そのことに若いわたしは感動した、という面もあったのではなかったかと。
 それは縄文時代に興味を移していった今につながるわたしだった。植物たちが愛しいし、それ以外にも…、たとえば生活についてなど。
 感動しなかった…といいつつ、会場内を何回か往復した。なんだかんだ気に入った証拠だ。
 
 ミュージアムショップなどもみて楽しんだあと、別の期間限定特設雑貨店へ、こちらも目当てのひとつだったのだが、欲しいものがなかったので、また別の…。新宿西口にある小田急百貨店から、地下通路を通って東口へ、そこから地上へ。新宿は子供の頃からなじみがある所なので、かつてしったる…のような、親近感がある。そのことを思い出して、なんだかわくわくと移動している。年末でけっこう人混みしているというのに。ここをまがれば、あの店へ、あの場所へ。
 お目当ての店は、紀伊國屋書店のビルの中にある。鉱物や化石を売っているお店。
 以前、府中市郷土の森博物館で売っているのを見て、珪化木という木の化石の存在を知った。木の切り株のままつるつるの石になっているような感じ。博物館でみたときに買えばよかったのだが、そのときは買わなかった。それからずっと気になっていたのに。その珪化木を、今日こそ買おうと思って訪れたのだった。
 アンモナイトに三葉虫、鉱物、化石、隕石、この店にも、訪れるたびに、わくわくする。
 ガーネットの原石、アンモナイト、砂漠の薔薇、虎目石なんかを、たしかここで買ったと思う。最初に買ったのは、もう四半世紀も前になるかもしれない。
 で、珪化木。やはり植物がすきなので、たぶん惹かれたのだろう。縄文土器片を手にとって、かれらの時代を感じたいように、珪化木も手元において、木の時間をさわってみたかった、見つめたかったのだ。
 お店には、数種類あった。その中の一つを購入する。直径四センチのちいさな切り株。かろうじて年輪ぽいものがみえる。
 ちょっと調べたら、土砂に埋もれた木が、地下水などに含まれる珪酸によって、長い時間をかけて二酸化珪素に化した木ということで、珪化木なんだとか。二酸化珪素が結晶化すると石英になるから、石英の色も珪化木のなかで見ることができる。
 幹のあたりはざらざらして、石というより土器のよう、そして切った面はつるつる。なめらかすぎて、こわいぐらいだ。買って良かった。
 ナンヨウスギで、二億五千年から一億九千年前のもの、そう書いてあった。

 お店で、ラリマーという、海の波紋をそのまま石にしたような鉱石もうっていた。はじめてみるかもしれない。珪化木の二〇倍ぐらいの値段がしていたので(笑)、手が出なかったけれど、海の結晶のようで、ちょっとひかれた。

 今、珪化木は机の上で、すぐ手元にとれて、見ることができる場所に置いてある。植物の息づかい。今年も終わろうとしている、つるつる。

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08:46:07 - umikyon - No comments

2018-12-20

冬の花と、ボロ市


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 我が家の玄関にクリスマスリースが飾ってある。珍しくお手製のもの。
 冬になり、街に花を見ることがなくなってひさしい。たまに見るのは赤い実のピラカンサスなど。それはそれで、いとしい。けれども、だからだろうか、あちこちの家のドアにかかったクリスマスリースについ目がゆくようになった。花をみる代わりなのだろう。
 それで、なんとなく自分で作りたくなってしまったのが十一月終わりだった。参考にしたのが園芸店のリース。松ぼっくりやドライフラワーできれいにアレンジされて、冬の花が満開のようで。
 ちなみに、わたしはこうした作るということ、基本的に大好きなのだが、ながらくそれをしないようにしてきた。子供の頃は、ガラクタばかり作っていた。作ることが楽しかった。けれども、書くことが作ることに変わったので、そちらは殆どしなくなった。自分で書くことだけをするように課していたのだ。
 それを解禁したのは、堕落のような気が、今でもすこしするのだが、数年前、グループ展で作品を出品するということに関わっていた時期があった。絵は描けないので(こちらも実は十代の頃まで大好きだったことなのだが)、オブジェ的なものを作った。自分の文章、書いたものにガラクタたちを貼り付けたりして。楽しかった。熱中した子供の頃を思い出した。だから、ハードルが下がったのかもしれない。また作ってもいいんだと。あるいはガラクタを作ることと、創作活動は、響き合うのだと、思ったのかもしれない。

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 で、クリスマスリースだ。材料は一〇〇均で購入したものと、拾ってきた松ぼっくり、ポプリの中身など。最後に先日でかけた民家園手作り市でもらった棉がらを貼り付けてみた。購入したもの、拾ったり、もらったもの、ながらくうちにあったもの、思い出たちが、ごちゃまぜになって、それがクリスマスリースとなるのが心地よかった。できあがったもの、自画自賛してしまうが、意外といい出来だ。出勤したり、帰宅の時につい見てしまう。冬の、うちの花だ。

 十二月に入って早朝のバイトが繁忙期に入り、ずっと少し疲れが抜けないでいる。
 まあ、それはしかたない。休みは固定で週一回日曜日。土曜日はだから休日前のすこし非日常な感覚がある。
 その土曜日、世田谷のボロ市に出かけてきた。ここ数年、毎年のように行っている。ボロ市は毎年、十二月十五日、十六日、一月十五日、十六日に日を固定して開催。元は楽市起源で、四〇〇年の歴史をもつ。古着やボロ布が売られていたから「ボロ市」の名が付いたとのこと。露店数は約七〇〇。日用品・書籍・骨董・玩具・食品・アクセサリー・植木など。場所は世田谷一丁目、ボロ市通り付近。
 ここ数年は、開催の四日間のうち、どこかが土曜にかぶさっているので、そこで出かけている。
 去年だったか、おととしだったか、テレビなどで紹介されたからか、ものすごく混んでいたことがあった。人混みのなか、ただ通りを流されるだけ。品物をみることすらできず、買うなんてとても…。どこかで出店している方のコメントをきいたか、読んだのだけれど、あれだけ混んでしまうと、かえって商売あがったりだとのこと。人たちは、立ち止まる余裕がないのだ。川のなかを流されてゆく。今年も土曜日だったから、混むんだろうなと心配していたのだが、意外だった。なるほど混んではいるけれど空間があった。立ち止まってみることができる。ちょうどいい混み具合だ。あまり人が少ないのもさびしいから。ほっとしながら、ゆっくり通りを歩く。
 家紋の判子、スルメイカの干物、針金細工、古い着物、鉱石、戦前の教科書に、古い絵ハガキ、カップ酒、縁日的な食べ物のシシカバブー(でも昔ながらのたこ焼きとか、ジャガバター、焼きそばとかはなかったか、少なかった)、骨董、豆盆栽、木製の鳥の餌代、鳥笛、神棚、あとはなんだったかしら、川の流れのなかで、ほんのすこしたちどまって、それらを眺める。市というのは、どこか心がさわぐ。売り買いするという行為は日常なのだが、非日常の感覚があるからだろうか。
 混んでいた時、それでも通りからすこし外れたところ、川の支流といったところのアクセサリーを売っているところで、石のネックレス、木のブレスレットを買ったと思う。あと、やはり本通りからそれた場所で、縄文土器が売られていたのをみた記憶がある。去年だったかどうか。
 だが今回は、アクセサリー屋さん店はおなじ場所にあったけれど、ほしいものがなかった。縄文土器を売っていたお店は、多分無かったと思う。あったと思われる場所では、アンモナイトや三葉虫の化石、鉱石などを売っているお店になっていた。それはそれで、楽しかったけれど。
 縄文土器といえば、ボロ市通りの真ん中に、代官屋敷と世田谷区立郷土資料館がある。郷土資料館によった。毎年、ボロ市の頃には企画展で、ボロ市のことを採り上げてる。けれどもお目当ては、世田谷の縄文遺跡の紹介、出土品だった。もう何度もみているのにやはり、縄文土器に会いたかったのだ。ほっと息をつく。縄文後期のものだ。
 展示室は二階なのだが、一階の入口に、仙川という川の付近の貝層断面が展示されていて、すこし驚いた。気づかなかったか素通りしてしまっていて、ほぼはじめて見るものだったし、この場所は、けっこううちの近所でもあって、とくに桜の時期は、お花見をしに、毎日どこか、憑かれたように、出かけてしまう場所の近くだった。
 後日のことを書いてしまうが、今日、その川の近くを通った。このあたりは海だったのだなと思う。わたしが住んでいるところも低いところだから海だったのだろう。そう思いながら、坂をくだった。海へむかうように。
 話がそれた。そのほか、企画展では、徳富蘆花、北原白秋などがボロ市のことを書いているのを見た。特に徳冨蘆花の文章はここちよかった。
 郷土資料館は、代官屋敷があった場所で、庭園もある。庭園内を散策して、一角で立ち止まる。夏には、このあたりがホタルドームとなって、ホタルを中で見ることができるホタル祭りが開催されるんだなあと、感慨にふけった。入口近くで世田谷のスイーツなのだろうか、お菓子が売っていたので購入する。
 今回は、出かけたのが二時過ぎと少し遅かった。ほぼ見て回って、そろそろ帰ろうかなと思った頃には、もう暗くなっていた。冬至近いこの時期はほんとうに日が暮れるのが早い。暗くなると、品物たちはちょっと見づらくなるけれど、夜店のようで趣があった。暗がりのなかで骨董をながめる。手にとったものだけがクローズアップされるみたいだ。鉱石がひかっている。

 うちに帰ってきたら、玄関ドアにクリスマスリース。やさしい花の出迎えみたいだ。その日のうちに、ボロ市で買ってきた豆菓子、スイーツなどを頂く(今年は口にするものしか買ってこなかった)。日常と非日常たちの仲よさげな連なりだと思う。疲れはまだ抜けないけれども。
20:13:58 - umikyon - No comments

2018-12-05

好きと苦手、仕事と楽しみと日々、そのはざまで (湧水たち)

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 秋が長らく苦手だったと、書いただろうか、たぶん書いているだろう。ここ何年かで苦手意識はだいぶなくなってきたけれど、好きな季節といわれれば、やはり春。花が少なくなってくる季節、葉が落ちる季節、秋が苦手だった。そして寒い、陽射しに力がなくなる冬になる。咲いている花はほとんどない。それが心まで寒くなるようで。
 秋の紅葉も、終わりへむかってのお祭りのようで、どこか寂しい。色づいた葉が落ちてゆく。秋も冬も苦手だ。はやく春になればいい、そうずっと、思ってきた。
 ここ何年か、と書いたが、もはや十数年かけて、なのかもしれない。すこしずつ、ゆっくり、紅葉を、うつくしいと思えるようになってきた。夕暮れのような、最後のかがやき。そして太陽がまた昇るように、葉も次の年には、また鮮やかな緑をつけるだろう。

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 土曜日、早朝バイトがおわってから、仕事をかねて、湧水のある公園、おもに二カ所、回ってきた。取材というか、まあ、そんなこと。そちらは、どこかで書くから、置いておいて。
 二つともはじめてゆく場所。両者はずいぶん近い。間に美術館をはさんで、おなじ道沿いにある。もとは続いた緑だったのかもしれない。
 道にそって川が流れている。かつては田んぼの用水だったとか。出かけた公園とは別に親水公園として整備されている。
 春でも使える写真を撮りたかったので、それが少々気がかりだった。自転車で出かけたら、いきなりの木々の緑というか、紅葉あるいは黄葉。見事だなあと思う反面、心配になった。だが、水辺だけを撮す分にはなんとかなるかもしれない。これらの間で、ゆれうごく自分の心が妙だとおもった。紅葉をみたい気持ちと、紅葉をのけて、春っぽさを仕事のために、もとめている自分と。
 どこかから写真は借りてこられるかもしれないので、そこまで気にしなくともいいのだけれど。

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 最初に訪れた公園は、柿が熟した木、湧水を元にした池、古民家などが、やさしかった。井戸ポンプもあった。飲み水にはできないが、今も現役らしい。そういえば、わたしが子供の頃にも、うちに井戸ポンプがあった。こことは離れているが同じ世田谷区内だ。じつは世田谷というか、今住んでいるうちの近所でも、井戸ポンプがあちこちにある。古くなって使えなさそうなものもあるけれど、実際に新設して使えるものも。ある時、ポンプをうらやましそうに眺めていたら、実際に水を出してくれた方がいた。「飲めないんですけどね〜」と微笑んで。そんなことをふと思い出す。井戸水に出合うたび、心がさわぐのだった。
 美術館の緑地をすぎて…というか、どこからどこまでが美術館のものなのか、実はよくわからなかった。秋の森たちは、狭間を曖昧にしている。親水公園もそうだ。親水公園なのか、別の公園なのか。川沿いに進んで、次の公園へ。どちらも崖というか、高低差があるところに作られているが、こちらのほうが、その差を生かした庭園という感じなので、その視点からは趣があった。山にいるような錯覚。思いがけず湧水地点も見ることができた。この湧水地点の写真だけは使えるかも、とやはり胸算用し、それで安心したのか、秋の景色、色づいたモミジたちに心惹かれる。

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 それと、ここには昭和初期に建てられた家が保存されている。建物の中も見学できるので入ってみた。建物は高台に建っているので、庭の緑が俯瞰できる。こちらの窓から、あちらから…少しずつ趣が変わって、家から見るための庭でもあるのだなと、あらためて気づかされる。

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 最初に訪れた公園だったか、付近の地図に、もうひとつ小さな湧水がある公園があると書いてあったので、いってみる。だが、簡単にしか地図を見なかったので、道に迷った。スマホで調べても載っていない。見回すと、高台の坂道と坂道の間の小さな三角地帯、ひときわ紅葉が目立つ場所がある。たぶんあそこだろう。やっぱりだった。けれども工事中だった。公園予定地なのだろうか。スマホで検索できなかったのは、そのせいかもしれない。立ち入り禁止の外側から、おおよそのものは見ることができた。紅葉、黄葉している木々の下に、木の散策路、橋があり、そこに流れ、湧水たちが。

 こちらは、もはや記事としては使えないので、かえって存分に秋として、景色を眺めた。小さな水と木の三角地帯。

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 そうして、通り過ぎてきた美術館の入口近くで、銀杏が色づいていたのを確認したので、そこも立ち寄った。もはや取材は関係ない。プライベートだ。いや、もともとプライベートも仕事もかなり稀薄なのだけれど…。どちらもわたしの好きや、書くことに関係しているから。
 銀杏って、こんなにまぶしかったかしら。みあげる空に、あざやかな黄色がよく似合っていた。あまりに似合いすぎていて、目にしみるほどだった。太陽の色。
 帰り道、また親水公園や、最初にいった公園を通る。行きとは違う風景だと思う。モミジの赤が鮮やかだ。そう、自転車で家からほんの少しの場所なのだ。来たことがなかったけれど。よく通る道から一本入っただけなのに、今通っている道もはじめて通った。その日は土曜だと書いた。次の日の日曜日は、週一回の休み。仕事と遊び。日常と非日常。境目は曖昧なのかもしれない。そういえば、秋と書いているけれど、もう冬なのかしら。十二月。それでも、やはり、秋を味わえてよかったなあと、思うのだった。

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 そうして、また数日後、日曜を過ぎての平日、早朝バイトが終わってから、もう一カ所、公園をみにいった。こちらは、前出の公園たちと違い、何度か訪れたことがある。
 だが、公園というか、崖下のへりに流れがあって、それだけを公園の外から見る感じで訪れただけだったので、せっかくだから、公園の中も入ってみようと思ったのだった。いや、実は崖下の流れのほうから入れるのかどうか、心配でもあった。別の入り口があるのではなかったかしらと。たとえば崖の上からとか。
 この公園はかなりひろい運動公園でもあって、崖下の流れのある場所だけ、すみっこで親水園として、流れにそって、ひっそりとあるので、そちらのほうから行くのではなかったかと。
 さて、出かけてみたら、崖をのぼる道は、いきなりあった。というか数本あった。わたしは今まで何を見てきたのか。流れしか見ていなかったのだ。
 いちばん端、来たところから一番近い道をのぼった。ちょっとした山道のよう。登ったところは木々に囲まれ、あずまや、古くから祀られてきたらしい小さな神社、フィールドアスレチック用の遊具などがあった。のぼりきってしまうと、奥行きは案外なかった。すぐに道になって。けれども、木々が多いのであまりそれは感じられない。崖の上から、下のいつもの流れを見ることができた。新鮮だった。流れのすぐ向こうに仙川という川が流れている。湧水たちは、おそらくここに注ぐのだろう。

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 崖を降りて、また流れにそって歩いてみた。初めて訪れたときから、湧水なんだろうなと、調べもしないで、思っていたのだが、それを示す看板があったのを今回はじめて気づいたた。本当に今まで、下の流れしか見てこなかったのだろう。看板には、「この流れは「自然の湧水」です」とあった。うれしくなった。勝手にそうなんだろうなと思っていたことが、裏打ちされたようで。
 わたしは湧水という言葉にどうしてこんなに惹かれるのだろうか。この親水園では、湧水地点はわからなかったが、こちらもまた出かけてみてよかった。崖の上にのぼって、知らない景色に出合った。あたらしい発見があった。こちらは紅葉、黄葉がみごとな木々はなかった。けれども、斜面では、落ち葉たちが足元で踏む度にかさかさと、心地よかった。まだ平日、週もはじまったばかり。仕事と遊びのはざまで。使えないであろう古い井戸ポンプが置いてある家をとおりすぎた。しらない鳥が鳴いた。もはや秋ではない、冬なのだろう。

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