Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2004-10-21

ムラサキシキブ


 いつからだろう。彼女はくすんだ色を身体に背負った。あるいはだんだんと浸透していった、と言っていい。きっかけはメモ書きのようにささいなこと。かきためても忘れるもの。
 その色は彼女にしか見えない。多分ほとんど。薬をのめば治るかと思ったが、薬は攪拌するだけだった。色が存在することにかわりはないのだった。騙し、騙されることにつかれた身体。
 薬を飲まなくなり、ますます浸透が著しくなった。彼女の肌は目に見えてその色に染まった。といってもそれが見えるのは彼女だけであるのだが。
 薬をやめたときはきっと色をとりのぞく方法があると、それでもたかをくくっていた。染まりはじめた当初なら、洗うようにそれが可能だったかもしれない。だが? 付着し、沈着した色、もはや肌の部分になってしまったそれをどうしてとりのぞくことができるのだろう?
 それが治癒するとはどういうことなのだろう。薬は色をむりやり忘れさせるあまり、彼女の記憶の一部すらも消し去るのだった。殴られたような眠りの後、昼も色から忘れさせられた故のもうろうとした目覚めがあった。
 色をのぞくことは不可能なのか。たとえばヘンナパウダーで皮膚を別の色に染める。紅花でマニキュアにするように。彼女は首を横にふるだろう。あるいは原因を突き止めたとしても、もはや原因には染まった色にたいして責任が持てないのだ。原因と色はもはや無関係といっていいのだから。それぞれ別の生を歩んでいる。
 たとえば朝焼けに汗腺まできらめく、木漏れ日にちらめく二の腕、月夜に映える白いうなじ、間接照明にうっすらと照った横顔、そんな色たちがエキスをもたらし、ながいことかかって彼女の色を包むのかもしれなかった。かたえにずっといると約束した他者もその一端をになうかもしれなかった(今の段階でそれを信じるには彼女は染まりすぎていたのだ)。
 メモ書きの紙片が見つかった。もはや彼女にはその文字を判読できない。あるいは読めたとしても彼女とは無関係の生だった。
遠くで見慣れた実が色づいている。彼女は当初、赤になり、青くなった。その名残り、その交錯の色だということを彼女は意識していただろうか。
02:16:48 - umikyon - No comments

2004-10-15

空の青さと


 時間つぶしに入った古本屋。店頭の本は3冊迄105円で、文学全集だけでなく、文庫、新書、コミック、組み合わせはなんでもよかった。そのランダムさが良心的だと思った。結局店頭にならべられていた文学全集のうちの2冊を買う。一冊を時間つぶしの延長で早速読みはじめた。本に無沙汰だった私を何事もなかったように迎えいれてくれる、この雰囲気、このふるびた香りが好きだった。本は受け入れてくれるのだった。そんなおしきせがましくない態度にくるまれるようにして、私は無沙汰になる前の生活に少しずつ戻ってゆく。通勤の電車で、もちろん家で、湯船で、寝入りばなに、あるいは眠れない夜に。本はそれらの居場所にすうっともぐりこみ、戻ってきたのだった。出ていったときも簡単だったが。それは何度も書くように悲しみだった。悲しみにしびれ、まひした心が、本の居場所をなくしたのだった、押し出したのだった。
 ふっと帰ってきた本ははじめての作者だ。彼の来歴もしらない(巻末に載っているがまだそこまでいってない。それにこんなことを書くと怒られるかもしれないが、私はあまり作者の伝記的なものに興味がない。彼が書いたものだけが全てだから)。
 本来ならば、人間の業のその究極までからみあった糸をたぐるような、彼の誠実な描写に言及しなければならないのだろう。だがたとえば「雲一つない晴天」になじまないという彼(誰?)、「碧空一色であることは、却って不安を感じさせる」、「空は碧いと概念的に思いこんでいる児童画を見せつけられるような気がする」と空に異を唱える彼にただただリアリティを感じるのだった。その碧さに私もかつてかすかな違和を感じなかったか?空をつうじて主人公の葛藤が近しいものとしてやってくる。それがうれしいのだった。
まだリハビリなのだ、きっと。空の色が伝わってくる。それはまぎれもない碧さだった。たたまれて。(文中「 」内は『菩提樹』<『丹羽文雄集』現代文学大系46・筑摩書房>より)
01:13:27 - umikyon - No comments

2004-10-08

ジャノヒゲもしくは本の名前


 追記的に。謎は謎のままであったほうがよかっただろうか? 昔大好きだった本がこちらの世界で売ってない本で、私がかってあちらの声を聞けたときに、耳もとでささやかれた、ありえもしない本なのだとか?「またわたしのようにちょうど一番星が現れるたそがれどきに生まれたものでなければ、夜になってもその姿を見ることはできないのだ」たとえばそのような出自の特権を駆使しても、心が開いてないと見ることができない本だということ。あちら側のなつかしい声をきくにはもう少しかかるだろう。行間から物語がこぼれてゆく。
<河出文庫 ロード・ダンセイニの幻想短編集成 全四巻 (二巻まで刊行中) 一『世界の涯の物語』、二『夢見る人の物語』 (文中「」内は二巻より引用>
 もう一冊は『アフターダーク』だ。村上春樹だ(講談社)。すんなり入ってきたからといってそれが傑作というわけではない。彼の独特なはずしたかたが好きだった。台詞の、比喩の。今回もそれがかんじられたが、ストーリー的に違和があった。彼は幻想と謎と現実がからみあった作品がおおいと思うのだが、これまでは現実的にはそれでもなんとか説明のつく、なんていうのかな、物語としては、それでも現実は起承転結をむすぶことがおおかった。それが無理であろう。だが「アフターダーク」ではそんな結がなかった。現実もまた謎なのだ、謎は謎のままさらけだせばいい…あるいはそんなことなのだろうか。登場人物は一瞬個性をみせつけ、物語の舞台から次々と消えてしまう。彼らのその後の説明は一切ない。ただ眠りが、現実と向こうとの接点であるかもしれない夜の眠りだけが大円団となるにたるのかもしれなかった。謎は謎として、だが現実の謎はどのみち残るのだから、もっと登場人物について追跡してもよかったと思った。
 今朝、会社の行きに公園を通った。歩道沿いにジャノヒゲが植わっていた。ぜいたくなほど、紫の実、実、実。 
01:10:39 - umikyon - No comments

2004-10-05

べべ


 18年一緒だった猫が亡くなりまだ四ヶ月ちょっとだ。悲しみがマヒしているとどこかで書いた。集中力がなくなり、本もろくに読めなくなっていた。体重が減りすぎた、と思ったら今度は増えすぎた。悲しみに蓋をするとはそういうことなのだ。どこかでほころびがでる。いいたくないが、白髪がふえた。新しい猫(写真)はいない彼女ではない。
 こんなに本を読まずにいたことは久しくなかった。頭の回転が鈍くなったような気がする。蓋をしたなかに、そんなものもしまってしまったんだろう。感受性であるとか。
 数日前、新しい猫(リルという)の為の病院をネットで検索していたら、ある病院のHPに前の猫そっくりの写真があった。思いがけなかったから、私は目をふさぐことなくその一枚に釘づけになってしまった。その瞬間、なんて長かったのだろう? もう彼女にそっくりな子をみても、大丈夫だろう、だって私、今までだってぜんぜん悲しんでないじゃない、あんなに長いこと一緒にいたのに、などと思っていた、そんな私を非難するように、もうひとりの私がその写真を正視するようにしむけた感もあった。結果は? 冗談みたいに涙がでて、とまらなかった。亡くなった直後、わずかに泣いたばかりだったのに。
 たぶん、もう蓋をずらしてもいい頃だ、ということなのだろう。今なら時がわずかばかりだが経ったから、悲しみにとりこまれることなく、いない悲しみを受け入れつつ、彼女を思い出せるだろう、ということなのかもしれない。涙はよくいうがカタルシスだから(これを書いてる今も涙がとまらない。18年の間に彼女は私の空気になっていたのだから)。
 この四ヶ月の間、昔大好きだった本が新装されて文庫になったので、買ってページを開いてみたことがあったが、殆ど読めなかった。文字が、単語が、読む端から逃げてしまうのだ。そうなると、詩も言葉が逃げやすくなるのだった。だが、書くほうは読むよりはまだましだった。うまくいえないが書くほうは、まだ集中力にだろうか、素材だろうか、ストックがあるのだ、と感じていた。
 それがとうとう底をついた、とこのところ感じていた。本もよまない、映画もみない、人とも会わない、やすみの日はぼうっと引きこもり状態…じゃあたりまえだ。空気がよどんでいる。
 猫の写真に会ってから数日後、今日だ。好きな作家の新作本をおそるおそる開いてみた。そしたら、以前のようにすうっと頭にはいってくるではないか。蓋がずれてきたのだといいのだが。
22:26:10 - umikyon - 1 comment

2004-10-01

23:21:11 - umikyon - No comments