Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2004-11-27

水母蓋


 彼女は心がまひしている、と思った。というか、曇りガラス越しに世界と対峙しているのだと。感覚はまったく違うが、言葉上は、父親が亡くなったときの様子に似ていた。「悲しみに蓋をすることによって、鈍痛がかろうじて感じられる。私はほかの感情にも蓋をしてしまったのだ」。そのかつての鈍痛には、拒んでもどうしようもなくにじみ出てくる、感情があった。蓋をしている、という不自然さを敏感に意識する心があった。彼女自身がまた重いもので押さえつけられている、そんなしびれた感覚をも感じていたのではなかったか。
 だが今はちがうのだった。重いものは押し付けもせず、ただ窓のそとの出来事として映るのだった。まるで彼女の責任ではないかのように。実際、窓の内側の出来事だったろう。その重いもの、曇ったものは、彼女の側から発せられていただろうから。たとえ、それをかもすのに他者があったとしても、一端を担ったのは、またそう受け止めるのは彼女なのだから。だからこれは彼女のつくる色眼鏡のものがたりなのかもしれない。
 彼女は一定すぎる温度をたもっていた。空調の効いた室内のように。暑さもなく寒さもなく。感情や感覚がしびれている、というのはそういうことだ。
 泉鏡花の小説『海神別荘』では水母は海に来た汚れた魂のさまようさまであった。
彼女は成分の98パーセントまで水の水母と海の、その2パーセントの違いにひかれていたことをも思いあわせる。水母はだが、汚れた塊なのだろうか。袋は彼女の感じるガラスのように遮断するだけなのだろうか。
 わたしはもっと暑がりで、もっと凍え、もっととてつもなく疲弊したのではなかったか。数年の昔、灯された熱、そのやわらかな、おそらく当時最後だと感じた温かさが、先細りにうしなわれ、それが浸透してくることで、彼女は敏感に、殻を被ったのではなかったか。あるいは疲弊した心が膜をつくっている、そのかたちが水母なのかもしれない。
00:06:28 - umikyon - No comments

2004-11-16

お早う


 いつからか、私はだんだん無口になっていった。といっても誤解をまねく言い方だが、さしさわりのない会話ならしゃべるのだ。季節の移り変わりについて、あいさつとか。これはともすると些細な会話だが、ここにもまた大事なつながりがあった。小津安二郎の映画『お早う』では、このあいさつの持つ人々とのつながり、その些細な、繊細な、とるにもたらない、だが必要な線としての会話、いいお天気ですね、こんにちは、(今の季節ならば)庭の山茶花が咲き始めましてね、等これらの必要性を訴えていた、彼はその言葉たちが失われてゆくことの危惧をも映像に込めていたのではなかったか。
 いや、話がずれてきているかもしれない。ともかく、そして、その会話たちは、別の意味でも安らぎである。よいお日柄ですね。あれは尾長ですよ、そこにいるのは四十雀。(桜の葉の色づくの見て)桜の花の季節はいいでしょうね。つかれたでしょうから休んでください。
 この言葉たちに責任はない。あいさつに責任がないように。だがこの言葉たちは潜在的に繋がりを求めている。同意を求めている。それも意識的ではない。責任がない言葉であるから日々素通りしてゆく言葉でもある。だが、そこであいさつがかえってくる、微笑みとともに、おはようございます、とか明日から天気は下り坂のようですよ、とか。これらの会話によって、わたしは生かされていると思うようになった。彼らとたとい細い線であろうと繋がっているのだろうと。責任がないにせよ、いつからかその事がやわらかな期待にもなっていった。
 かつての私はあいさつたちを軽んじていた。そう、そこに責任がないから。
「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」(吉本隆明『廃人の歌』・『吉本隆明詩集』思潮社)かつてのわたしはこの詩行にある傲慢さを感じつつも、自身もまたそこから離れられないと痛切に感じていた。これは責任をひっかぶろうとしている者の側の発言だったから。傲慢さというのは、人はおいそれと真実を口にすることはできない、と思っていたから。そう、また、全世界を凍らせるという比喩が大きすぎると思っていたから、反発を。
 いまは? おいそれと真実は口にできないだろう。そのことにたいしては根本的に見方は変わってない。たぶん口にできないことをあちこちでそうとは知らずにでも感じているから、無口になっているのだし。そう、たぶん、そのくらい言葉に対して責任を持たなければいけないのだ、と思うようになってきているように思う。全世界が凍りついてしまうほど、とりかえしのつかない言葉が実はたくさんあるのだと。その考えはとても緩慢にやってきた。その結果? いまではわたしは日常で大事なことをいうのに頭の回転がついていかないのだ。それはだいぶかしばらくか時が経ってのち、はじめて言葉になるのだった。おおむね詩の言葉として。なぜなら私は通常の意味で日記を書かないから。友人に宛てる手紙、メールもある程度距離をおいて、つまりことばを検閲してからでないと出さないから。
(とりかえしのつかないであろう一言を口にしてから)「そのことばには、ききなれないひびきがあった。その瞬間までそのことを思いつめてはいたわけではなかったのだが、いったん口にだしてしまうと、それを追いかけて、責任がにわかに感じられた。」(『運河』丹羽文雄/新潮文庫/品切)
 そう、いまのわたしはその意味で無口になっている。責任がある言葉にたいしては。しゃべり言葉ではとくにそうだ。あたりさわりのない言葉以上を口にするのに時間がかかる。咀嚼する時間が。それは他者からきいた言葉によって引き起こされることばかりではない。
 ではあいさつ、その周辺の言葉たちは? あるいは私は逃げているのかもしれない。その重みのない言葉が安らぎなのだった。咀嚼しないでもおおむねやさしいやりとりが傷にならないのがいいのだった。そればかりでは不幸である。だがそれがもはや成立しない場所はもっと不幸である。孤独であるとか。
「今日の月はきれいだね」「うん」と、
「月がきれいだね」「興味ない」でもまた疎通の温度差がある。あいさつたちも実は一筋縄ではいかないのだ。
01:19:59 - umikyon - No comments

2004-11-05

誕生日にて


 今日は誕生日。だからせめて何か書こうと思った。 
 日記といえば。カミュを連想するまえに。わたしはかつて通常の意味の日記をつけていたことがあった。感情の吐露、心情すべての速記、それはとてつもなく饒舌で、けれどもあたりまえのことだが心のうごき全てを記録するにはたりないのだった。それのすべてを記入するには、少なくとも起きているあいだ中、メモをとってなくてはいけないから。
 ともかくわたしが思う日記を書くには時間がたりなすぎた。書く端から事物が、感情がこぼれてゆく。わたしは笊のように書いていたから。で? こぼれる事柄の多さにつかれ、書くことをしなくなった。で? それから紆余曲折があったはずだ。日記は書かなくなったが、それは拡散されていった。日記で書きたい吐露はおおむね詩行に向かった。あるものは手紙へ、会話のはしばしに、メモに。だが、それはすべて詩にむかったといっていいのだ。川が海にそそぐように。
 数日前、ささいなことだが心がさわいだことがあった。友人への手紙でそのことに少しふれた。ふれられたことによりか、いやふれられなければわけのわからない塊として、ともかくそのことは大きくなっていった。わたしはもはや心情吐露のような日記は書かない。それは上っ面でしかないから。たとえばかなしい、さびしい、その感情の表面だけにふれても、そこには共有がないから。その共有は自身ですら日が経ってしまえば不通になるものなのだ。
 きのうさわぐことについて、寝しなにメモをとった。それはかつての日記の残骸であった。そのあとに「こんな風に動きを追ってみるのはそれでも楽しい」とある。改行して、「白いインク壺をのぞきこみ、波紋の中にまさぐること」と、これはまぎれもなく詩の断片があった。
 今日、これに向かうまでそのさわぐものたちと格闘していた。つまり多分詩を書いていた。詩行はつめたい、そしてやさしい。日記と思って書くとしっぺがえしをするが、なぜだろう? わたしはやはりこのせいで日記を必要としなくなったのだ。日記としてかかないこと、が前提だが、それは感情を、事物をこぼすことがないから。日記よりは目のつまった笊だから。
 今日、さっきまで詩らしきものを書いていた。心をさわがすものが姿をあらわし、詩行のあいだを魑魅魍魎のようにうるさい、のでゆるんだ涙腺。だからきっと、詩行は感情的になっているはずだ。そのことばたちは表面をなぞるだけで終わってしまう。だから明日なおす。
 だが、さわぐことといえばつまりこうだ。
 「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(伊勢物語)、そう「去年を思ひ出でて」、「月のかたぶくまで伏せりて」、「うち泣きて」。畜生、今日は誕生日だ。こんな風に伏せたあと、見上げる月はそれでもすこしは明るいのかもしれない。
02:14:14 - umikyon - No comments

2004-11-03

手帖


 実は日記といえば、まっさきに連想するのがカミュの手帖なのだった。
 いつかの、かってのわたしは、
「大気は、残忍で恐ろしい鳥でいっぱいだ。」
「この八月はまるで蝶番のようだった」
「街頭の女たち。欲望に身を焦がす獣が腰のくぼみに巻きついて、猛々しいやさしさでうごめいている」
「《これは衛生法だ。》/それからシャワーを浴び、伸びをする。」
 なかには小説の覚書もあるが、たとえばこれらの行に詩を感じているのだった。
「黄を散らしたような寒空。ぼくは毎日の天気をノートにつけなければいけないはずなのだ。透明な昨日の美しい太陽。光がふるえる湾ーーそれはまるで濡れた口唇のようだ。そしてぼくは一日中勉強した。」からは美しさと、気力をもらうのだった。
 「現代の夜明けに。すべては成就されたのか? よろしい、それならこれから生きはじめよう。」からはかすかな希望を。
また小説の覚書きからは、書かれなかった書物、書かれた書物、そのはざまを想像するのだった。詩行のあいだに、わたしたちをしのびこませるように。
かってのわたしは、と書いた。古本屋で見つけた『太陽の讃歌』『反抗の論理』二冊の新潮文庫を。そのわたしは附箋やら栞を本にはさみこんでいた(後日、既刊の二冊と未刊の三冊目とあわせた一冊が『カミュの手帖』としてやはり新潮社から出ている)。今、その附箋たちをみても、どこに対してつけたのかわからないのだった。わたしは書き込むのがきらいだった。書き込みは本がかわいそうな気がするし、後日そこを読んだとき、書き込みがしてあると、なにか脅迫されているような気がするからだった。ほらここを読め、ちゃんと読め、と。ともかく書き込みがないから、附箋だけだから、今こうして手帖を開き、かってのわたしがどれを好んだのか考えるのが楽しい。想像することで、彼女に近づけるようで。
「ぼくは最後にはいつもある存在をひと巡りしてしまう。そうするには時間をかければじゅうぶんだ。ぼくが切れ目を感じる瞬間がいつもやってくるのだ。おもしろいのは、それが、ある物を前にしてぼくが、《それに好奇心をそそられなくなる》のを感じるときだ。」かってのわたしもまたこの文章にひかれたのだろう。このページの栞はどこを指しているのかすぐわかった。だが今のわたしは、《それに好奇心をそそられなくなる》そのことをおもしろいとは感じない。文脈から離れ、にぶくなった好奇心におびえるのだった。「この世界に連体すること、この世界では花や風は、それ以外のすべてを決して許容してくれないだろう。」花や風にふれること。
そう、最初にもどろう。カミュの手帖めいた日記をここでも本当は書きたかったのだ、という話だった。だが多分わたしには書けないだろう。かつてはにぎやかに饒舌すぎて、いまはさびしさが饒舌で。

 今年は猫の看病や亡くしたことなどから、ベランダの植物たちの世話がおろそかになった。ホトトギスも紫蘭も吾亦紅もギボウシも葉だけで終わってしまった。写真のフジバカマは例年どおり咲いてくれた数少ない花のひとつだ。
01:11:45 - umikyon - No comments