Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2005-02-19

月明かり


ちらっとみたテレビで。
「アンパンマンはなぜ、バイキンマンにとどめをささないのか?」
「とどめをさせば、アンパンマンもまた死んでしまうから。片方だけでは生き延びることはできないから。」
「それはただしいです。世のなかには光と影、正と負、さまざまな関係があります。どちらか片方がいなくなっても均衡がこわれてしまうのです。」
 …いまさら、『コインロッカー・ベイビーズ』(村上龍・講談社文庫)をよむ。
 このなかのふたりの主人公はそれぞれ、「肉体」「精神」、「内向」「外向」、「破壊」「再生」(それは「生」「死」をももちろん含んでいる)として、そこにある。外見上は二極のようにちがうだろう、だが、もとはお互いにコインロッカーでうまれた、すてられた子供たちであり、双子のようによく似ている性質をもっている。かれらは均衡だ。破壊と再生はこんなにも近しいのだ。
 二極たちもまた、均衡をとおしてのみ関係をもつだろう。相容れないまま対峙するだろう。
 そして他者との関係について。「誰かが誰かを幸福にすることなどできない。他人にしてやれることなど何もない。他人のことをわかってやるのも無理だ。(中略)もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分<注・輝ける時間の象徴>を見せてやることだけだ。」(『テニスボーイの憂鬱』村上龍・集英社文庫)
 相容れないまま、そんな風に他者が必要なのだ、それは諦めではない、それは愛のたりなさでもない。それは孤独をうけいれながら均衡のなかでいきることだ。
 他者との真摯な関係。「(別れてしまった女が)傍にいないという恐怖から逃れるために、頭が冴えきっていたのだと気付いてしまった。(中略)その恐怖から自分を守るためにひどい酔いを全身に散らせて感情を消していたのだと気付いてしまった。」(『テニスボーイの憂鬱』)
 そう、それでも。これほどまでに、誰かを愛したことがあるだろうか。恐怖を感じるほどに? 全霊をこめて時間がかがやく、その他者との距離をみつめること、うけいれること。月のように、たぶん照らされて。にぶい影が映っている。
21:38:58 - umikyon - No comments

2005-02-09

無題あるいは二役


 彼女は色に染まっている、と書いている。あるいはおなじことかもしれない。攪拌し、わかたれた、そのつけねはにじんでいるだろう、そういう意味では、おなじことの別のいいにすぎない。だが、あれからつみかさなるささいな事件、亀裂があった。あるいはとうにそうであったもの、徐々に積み重なっていったことに気づかされた、のかもしれない。つまり、色を別の視点でみると、それはぶれた身体だった。彼女は二つの身体になっていた。二つのこころに。とつじょあらわれた(実際そうではなかったが)一卵性双生児、のかたわれ。が、鏡のむこうから、おおいかぶさるようにして、ひきずりこむでもなく、だが、ますます明るさを、実体をもって。
 あとからでてきたほうは、もともとは彼女の夢、影、だったかもしれない。それらは澱のように沈んでゆき、彼女から見えないまま、だから忘れてしまって、別のものとして生きつづけた、成長していったのだろう。時に他人の夢をも食み、取り込みながら。
 そのものが、どんなに彼女と異質であろうと、彼女にはなつかしい匂いがするはずだ。吸ってきたあまたの…関係であるとか、くるまれる甘さであるとか、を共有しているから。最初は未分明のまま、ひとつのまま、そして分かたれたのちも、どこかでおなじ匂いを嗅いでいた。
 だからこそ油断したのだ。なるほど、もとはわかちがたいものだったかもしれない、だが彼女たちはちがう生を生きてきたのだ。体験を共有したからといって、彼女たちがおなじように感じていると、どうしていえよう? と、事後にたつ傍観者としてのわたしは勝手なことをつぶやくだろう。対岸にのぼったものとして、見物者として。
 そのものは、彼女からでて、とりこんだ。彼女がかなしみによってか、つかれていたからか、からっぽになっていたとき、そう、それがいつだったか、時を限定できない。そこに時間はないから。ともかくからっぽの彼女は、そのものの影になった。夢になった。そのものはどんな意味でも夢をみることはほとんどなかったが。せいぜいそのものが意識しない、あさい眠りにまぎれこむのが彼女だった。
 そのものは彼女のようにわらい、彼女のようにみえるだろう。そのものは感情はあった。だが、かなしみがうすかった。愛情があった、としても、そこをなぞっただけで納得してしまう、うたかたの出来事だった。日々がうすい埃としてつもってゆく。景色は埃ごしで、そのものはそれを当然としてすべるようにすごしていった。苦痛がないかわりにたのしみもない。笑いはおかしみに似せたなにかだった。
 のっとっていたのは、もっと長い時間だったかもしれないんですね。わからぬまま、そのものは彼女のように恋をするだろう。わずかな違和があった。それも気づく一因。そのものはだが必要だったのだ。ひとはからっぽのまま生きられないから。と、対岸のわたしは思う。うめられた空白は当座でなければいけない。だが、そのものはそこに居続けた。彼女は考え、感じることにおびえていたから。そのものはともかく、痛み止めになったのだ。だが痛むこと、痛みが無くなること、その根本は鎮痛剤の関与しないことだということを彼女は忘れていた。あるいは考えることをやめたので、思い浮かばなかった。そのものは安楽椅子だ。ベッドだ。かつてみた夢に似て非ななにかだ。なぜなら、かつての夢をみた誰か、というのはおおむね彼女であろうが、年月がたちすぎて、それはほとんど他人がみた夢でしかないから。
 そのものの裏で、彼女は浅い眠りになった。そのものの裏で、彼女は不安を引き起こした。具体的には過食症。つまり欠落。空っぽはあらたな穴を掘り始めたのだ。
 たとえばからっぽな家をつくること。そこに住めないひとびとが、夢のなかでほほえんでいた。そのものはなぞるだろう、扉をあけようとするだろう。だがはいれないのでわずかなつかれ。もちろんそれはたまってゆくだろう。ささいなきっかけがあればそのものは…。
 それがなんであったのか、対岸のわたしにはわからない。ともあれ、彼女だった。ささいではなかったかもしれない、時期がきたというだけかもしれない。大切な友人が生還した、そのことが徐々に染みとおってきたのかもしれない。彼女はまぶしそうにわたしをみつめている。前とおなじようにして、ではなく。そのものは純然たる影ではもはやなかったから。眠りの浅さを共有し、彼女とそのものはたえずゆれあっているから。いまのところ、それはおおむね彼女だった、というにすぎない。
 ではからっぽはまだあるんですね。からっぽな家の住人が、わたしたちをとりこもうと手ぐすねひいている。
21:35:51 - umikyon - No comments