Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2005-03-23

春触(しゅんしょく)


 朝、踏切で電車が通りすぎるのを待っている間、香りともいえないかすかな感触がよぎるのを感じた。土の匂いと、沈丁花かもしれない花の香りと(あたりには見えなかったから)、あたたかい風と、線路にしきつめてある砂利の埃っぽい匂いと、雨の前の湿った空気と、それらが混然となって、春をつたえてきたのだった。それらはおおむねこころよいものだった。ずいぶん以前、18歳とか19歳だったかもしれない、後ろ側の首筋にあたたかい風をかんじたことがあった。真昼の駅のホームだった。それは和解であり、後押しであった。それは信じていいことだった。風がわたった、風が変わった、うかされるようにして私はホームのベンチでその風についてメモをした。熱情的に、世界とのやわらかな信頼がはぐくまれたのだ。
 そして、今日。風は風としてではなく、ほとんど見過ごしてしまうだろうというほどかそけきものとしてやってきた。わたしは信じることを忘れていたから。あるいはほかのさまざまなことで蓋をするようにして、そのことをどこかにやってしまっていたから。もちろんそれだけではない。熱情はうすれるものだ、そして微温がわるいわけじゃない。信じる手前でためらうこともときには必要なのかもしれないのだ。
 感触ののち、線路際にハコベの白い花が咲いているのを、道端にホトケノザの蒼紅色の点をみつける。
 わたしはまだ信じきれていない。わたしにとって、それは微温よりもさらに温度のない、消え入りそうな花たちだ。
 だが。今日と言った日から四、五日経って、スミレが咲いているのをみるだろう。今日と言った日の四、五日前、梅をみにいかなかっただろうか。あたりまえのことだが、わたしと関係がなくとも、それらは生を息吹くのだ。ひとりでいることを支えること。あじさいの枝から、新芽がでている。
00:55:03 - umikyon - No comments

2005-03-10

ことなるこころ


 おなじ心を、とおしつけてくるひとに、不快感をかんじた。せいぜい共鳴しあうことだけだ、とかつてわたしは書いた。だが、それもまた幻想なのかもしれない。わたしが鳴るだけなのかもしれない。かれをきめつけることなどぜったいできはしない。それでもつい想定してしまう、たぶんそうだろう、とおもった予想がはずれてゆく。

 「グレタ・ガルボって女優が死ぬ直前に言ったそうだよ、自分が今まで見た中で最も美しいものは手をとり合って夕暮れの中を散歩する老夫婦だった、と言ったそうだ、」(『はじめての夜、二度目の夜、最後の夜』村上龍、集英社文庫)このエピソードは小説のなかでは否定的に語られている。「密度の濃い時間」をすごすには、「幸福な老夫婦をイメージして退屈を選ぶ」ことはないと。
 いや、ないものねだりなのだ。小津安二郎をビデオで観て、返しにいった日曜の夕方、ふとみた光景を思い出す。一軒家、なかば開いたカーテンから居間がみえていた。ちゃぶ台、ポット、白い洋服ダンス、家計簿かもしれない、子供の連絡帳かもしれない、じゅうたんにおもちゃとともにちらかっていたノート…。壁にちいさな窓だろうか、換気扇かもしれない、そこから、湯気がたっていた。風呂を沸かしているのか、夕餉のしたくだったのか。それはその日、小津がみせた幻覚だったのかもしれない。それから何度もおなじ場所を通っているのだが、二度と見たことがないから。ともかく、それはわたしが美しいとおもう、すべての情景の凝縮であった。うしなわれた、あるいはわたしがえらばなかった、小津の描いていたかもしれない、夕暮れの家族、そのものだった。小津は生涯独身だった。グレタ・ガルボも独身のまま生を終えた。ないものねだり、とくくってはいけない。かれらのイメージは退屈なんかでは決してない。それはある種、片恋にも似ているだろうか。わたしもまた老夫婦でも家族でもいい、それらの居間を選ばなかったのだ。
「なぜ私は一生よそ者なのか。ここが我が家だと思えるのは、まれに自分の言葉が話せた時だけ。自分の言葉…失われた言葉を再発見し、忘れられた言葉を沈黙から取りもどす…そんなまれな時にしか自分の足音が聞こえない…。なぜです?」(『永遠と一日』テオ・アンゲロプロス監督、1998年)わたしはここまで自分がことばとむかいあっているとは思わない、だが、よそものなのだ。
 よそものは幸福な老夫婦のイメージを大事にする。そこに退屈は存在しない。あったとしても、それは小津の淡々とした時間であり、家族の凝縮の怠惰なのだ。小津がどんなに家族を大事にみつめていたか。

 わたしはかれをわかろうとしない。だがグレタ・ガルボのことばにリアリティを感じること、小津の居間が現出したこと、それはそれでもかれらにふるえたということなのだ。
 わたしはかれをわかろうとしない。予想と予感はちがうのかもしれない。かれはわたしをわからない。
00:16:40 - umikyon - No comments