Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2005-06-21

ゴシップ


 書かないとことばがでなくなっている。その傾向があった、というのは後付けだろうか。一人遊びがすきな子供だった。説明が苦手だった。ひとびとは、待ってくれなかった。折り合いをつけてきたつもりだったが。他人の前にでると緊張してしまうのだ。だが親しい人間にはそうでなかったはずだ。ちゃんと話せていた、と思う。つい最近まで。いまはだめだ。書きことばだって、すべて、ではない。だが、話すよりもまだ信頼できる、というか、息がつける。書き言葉だって、逃げてゆくものだ。しっている。だが。親しいはずの人間と、電話で話す。演技しているとどこかで思う。そしてたどたどしい思考回路。なにか言わないといけない、と緊張して。…わたしがひきこもりにならなかったのは、他者がすきだから、他者を欲していることを思考の表面で認識していたからにすぎない。
 …以前、ここで書いたように、「とりかえしのつかない言葉が実はたくさんあるのだと」感じているからばかりではない。わたしの大好きなキニャール。あまりに引用し、口ずさんできたので、すぐに書ける、彼のことば「口を閉ざして語ることのできる唯一の方法だから書いてきたのだ。」(『舌の先まで出かかった名前』パスカル・キニャール/青土社)を踏襲するためばかりでもない。たとえばでないことばとは、あいさつほどもやさしくないから。それはあいさつというより、書くことばに似て非な、けれどもとても似すぎていて、つかうと引きずり込まれそうな、表面的な、上っ面だけのことばの領域にはいるもののことだ。わたしはとても怖いのだ。怖くなったのだ。それらのことばにとりこまれそうな自分が。それは進めないことばだ。そこで打ち切られてしまうことばだ。吐いたことで、聞いたことで共有できたと満足し、終わってしまうことばたちだ。たとえばゴシップ。私のことを語るにしても、それはゴシップにすぎないのだ。それらでは、他者と出会うことができない。たぶん。たぶん。
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2005-06-09

ひとつ、ふたつ、たくさん


 シンバッド第八の航海(短編集『バーナム博物館』スティーブン・ミルハウザー、柴田元幸訳、白水uブックス)。
「言葉のまわりで、いやおそらく言葉のなかで、航海は徐々にかたちを帯びていったのだった。だが、物語ることによって、やがてひとつの変化が現われた。というのも、ひとたび航海が言葉によって呼び戻されると、そこにひとつの乖離が生じるように思えてきたのだ。(中略)では、七つの航海は二組あるのだろうか? 語られる七つと、語りを逃れる七つと? (中略)もしかしたら、七つの航海は三組あるのだろうか――七つの航海と、七つの航海の記憶と、七つの航海の物語との?」。三つであること。この短編の構成、語りもまた三つからなっている。ひとつは老人になったシンバットがまどろんでいる姿の描写、ふたつめはアラビアン・ナイトや『シンドバッドの冒険』の訳についての考察(「主要な英訳が三つある」のは偶然だろうか)、そして七つではなく(『千夜一夜物語』でのシンドバッド――シンバッドと二つの呼称があるらしい――では七つの航海を終えたのち引退する)、八つめの航海の物語と。これらが交互に語っているのだった。
 そして? バクダッドもまた三つあろのかもしれなかった。航海にあるとき、故郷バグダッドは希望の地だ。バグダッドにあるとき、それは退屈と絶望の場で、航海こそが希望となる。つまり、二つのバクダッド。三つめはゆれうごくバグダット、であるだろうか。かさなる希望と絶望の場、あるいは現実のバグダット。
 三はゆたかな数だ。出典を忘れてしまっているのだが、昔はひとつ、ふたつ、たくさん。つまり、三までしか数が存在しなかった…。と聞いたことがある。三はたくさんなのだ。そしてアンバランスでもあるのだが。
 この『シンバッド第八の航海』のなかでも、三だからこその、入れ子細工的効果がある。『ユリシーズ』のなかで語られたシンバッドの話によって、物語から物語へ渡ってゆく。そしてシンバッドは一人称で語られるが、それも実はシェヘラザードによって物語られた、シンバッドの話なのだ、という重層、あるいは重奏。「そのシェヘラザードもやはり、『アラビアン・ナイト』という物語の一人物に過ぎない」、という入れ子。そして「テクストを読む行為にはつねに制限が伴い、偶然の要素が含まれる。二つとして同じ読書はない。この意味では、航海は読者の数だけ、読書の数だけ存在するのだ」という、たくさん。この読書はここでは原本の「船乗りシンバッド」(このタイトルもまた、さまざまあるようだ)をさしているが、今、わたしたちは別の本を読んでいるのだ。庭で食事の支度を待っている少年の読書、そして読み終わり、こうして書くためにまたひもとくこと。接点について。三はだがアンバランスだ。たぶん、ゆたか、だから、こわれやすくて。
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