Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2005-09-27

曼珠沙華


 彼岸花もまた、桜と少し似て、私にとってはいつも突然やってくるのだった。ということを、去年のこの時期にもここですこし書いたように思う。
 ベランダに彼岸花の鉢植えがある。それまでは土しかないところへ、お彼岸の頃、てっぺんの赤くにじんだ花のついた茎を出す。こうなると後は早い。一日に十センチ単位で茎をのばしてくる。わたしは花が咲く時期になると、いつもすこし不安になるのだった。花が終わってから交代で出てくる葉は翌年五月には枯れてしまうので、茎をのばしてくるまで、地上部には何もない。夏に焼かれたような草たちが繁るなか、眠りつづける球根。毒性があるからだろうか、他の鉢植えのように雑草も生えてこないので、そこだけ黒い穴のように見えることがある。生の裏側のぽっかりあいた、汗ばむ死、睡眠がしずかにこれらをつないでいる。
 彼岸の頃になると、もう起きないのでは、と、毎朝わたしは鉢を覗いてしまうのだった。このしぐさに、去年のわたし、おととしのわたしを、思い出す、このとき、桜に感じるような、過去との邂逅を感じるのだった。あるいは不安をとおして、彼岸という季節に立ち会っているのだった。だが、桜のそれとはすこしちがう。桜には、春という季節そのもののふいうち、といった感触をもまた秘めてかんじられている。つめたい冬から、あたたかさにうなづく使者として。桜はわたしにとってそれでも待ち望まれた、再生の使者なのだ。彼岸花もまたふいにやってくるものだし、秋をつげる花たちとしても、確かにわたしには感じられるのだろう。だが、それよりももっと親しみをこめた、生活に近しいものとしてなれあいのようなものが混ざっている。それは鉢植えにして、毎日ながめ、育てているからだろう。とはいっても、彼らは彼らの生を淡々と生き続けるだけなのだが。
 黒い穴が彼岸の端で生をつむぐ。家にある鉢植えは、今年も花茎を出してくれた。安心をあたためたのち、彼岸花の群生地に出かける。ここでの花は、他人の花だ。そのいいかたは正しくない。おびただしい数の花たちは、見ているわたしと距離を保ちながらも、突然、亀裂をぬって、季節と過去をさしこんでくるのだった。一期一会のさなかに、郷愁をひたしてくること。鉢植えのそれも、この時この花を咲かすのみで去ってしまうけれど、錯覚として、私に近い場所に、なお、ありつづけてくれる。だが、この川のほとり、この赤い色はちがうのだ。そこは旅のような、季節の一端としての場所だから。
 ここで、いつか、南のほうで、十月はじめに彼岸花を見た記憶がうかんできた。埃にまみれたひまわりがうなだれていた、八月のような暑さのなか、彼岸花だけが秋をつたえてくるようだった。季節に圧倒されそうな、あのめまい。
 あるいは、数年前、ここで絵葉書を買った記憶。印刷の荒い、まるで昔の着色した絵葉書のような代物だったが、それがかえってほほえましいのだった。わたしは、ある大切な友人にそれを送った。イワタバコ、鉢植えだと難しいですね。ユキモチソウが赤い実をつけました。彼女とは、季節のそんな花のやりとりが、たしかに近しい、大事な挨拶だった。ローズマリーは花や葉の少ない冬に咲いてくれるので、あたたかく感じられます。そのあとしばらくして、「入院している間に、鉢植えがほとんど枯れてしまいました」と手紙がきた。翌年、彼女は亡くなった。
 彼岸花の別名、マンジュシャゲはサンスクリット語で「赤い花」をさすのだという。去年、この赤はすこしばかりいたましい色だったようにおもう。さまざまな私的な別離が反映されていたのかもしれない。今年のそれは、夕暮れのようにたたずんでくれていた、と思った。彼は誰時がふれてくるのだった。
 あるいはこの親しさは、この近接は、鉢植えのそれと、どこかに生えているそれとをもむすぶ、暮れなずむ空の色、なのかもしれなかった。そう、それでも黒い穴が、夜にそそぎこむ、のだとして。

(群生地=埼玉県日高市巾着田、曼珠沙華公園)
22:27:19 - umikyon - No comments

2005-09-16

バニラ・スカイ


 夕方。地下鉄の出入り口から一歩外に出ると、日の落ちた後の残映で空が彩られていた。ダンセイニの『ペガーナの神々』。ひとりぽっちだと泣いている小さな女の子の神様に、別の大人の神様が、空の色を毎日変えて見せますから、となぐさめる。だから、空の色は一日たりとも同じものはないのだと。

 ……はだいぶ、よくなりました。ありがとうございます。以前、あなたが「飼いならせませんか?」と仰ってくださったこと、丁度、思い出しておりました。当時は、わからなかったのですが。治ったわけではなく、日によっては、またかなり症状がでたりしますが、何とかだませるようになっています。飼いならせたのでしょうか。夏目漱石は強迫症を治すために小説を書いていたということでした。書くことによってだいぶ症状が治まってきたとのこと、そのうらにながれるかたちが、まったくつかめませんでした。いまでも筋道だてては説明できませんが、なんとなくわかるような気がしてきました。『我が輩は猫である』は彼にとっては小説ではなく日記だったそうです。作品として肩をならべようとするわけではもちろんないのですが、わたしはここでこうして日記をつけるようになって、少しずつ、治まっていったというか、つきあえるようになってきたようなのです。詩のことばは……をわずらう以前からありつづけました。……によってことばが出にくくなったことはありましたが(……は熱のように、ことばとむかうときの力を削ごうとします)、病いにかかってもかからなくても、どこかでたしかにながれつづけていました。病いが詩におよぼす力がないように、詩もまた病いと関係なかったのです。とはいっても、詩を書くのもわたし、……にかかったのもわたし、ですから、まったく関係がないわけではありません。発症したのは、その近辺、生活と創作のあいだの亀裂、あるいは日常の他者と、詩の他者の関係への不信、からきたこともありました。どうも、日記はその周辺、詩のことばと通常の生活(……という病をふくむ)のあいだのクッションになってくれたようです。書いているうち、すこしは溝に橋がかかった、不信がやわらいできたようなのです。この作業は日常をみつめる点でしずかに有効だったようなのです。とはいえ、和睦はなかなかむつかしいようですが。

 朝、公園の脇をとおりましたとき、萩が咲き始めているのを目にしました。そのまわりでは、セミが鳴いています。パスカル・キニャールは日本でいえば梅雨の頃を、春でもない、夏でもない、その間の第五の季節といっていましたが、今の時分もそうなのでしょうか。いえ、暑いような涼しいような、夏と秋が境界をもちつつ溶け合っている季節なのだとおもいました。水平線の水と空がにじんでみえることがあるように。今日の空はあざやかでした。季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
22:18:55 - umikyon - No comments

2005-09-06

台所


 おおむね伝記というのだろうか、九人の文人たちのことが漫画で描かれている短編集をみる。
 基本的に、私は先にあげたクリムトのことば(「画家である私について何か知りたいと思う人は、注意深く私の作品を見て、その中から私が何者であるか、私が何をしたいと思っているかを理解するしかない」)に惹かれ、うなずく者なので、作家の実生活などにほとんど興味をおぼえない(そこには、作家の書(描)いたもの以上のものはおそらく流れていないから)。だから、そこで書かれた出来事たちに関心はしめさなかったけれど、ひとつ、ひっかかったのは、彼らのそれぞれがおのおの、現実的日常と創作のはざまで揺れていることだった。あたりまえといえば、そうなのだが。折り合いをうまくつけてみえる場合でも、それはみえない(あるいは作品にたしかにあらわれていたのに、わたしがみなかった)場所で、痛みをおびてつかんでいる姿のおもてにすぎないのかもしれない、ということを思った。

 映画、テレビなどでみる台所や居間、つまり、おおよそリビング・ダイニング・キッチンという場。食事をとる、食事をつくる、掃除をする。中学生の頃からか、そこで映し出されている光景に違和感をおぼえた。リアリティが希薄なこと、というのとは少しちがう。だがその台所が私の家にある台所と同じ作用をするとはどうしても思えなかった。生活感がない、というのとも少しちがう。あるいは同じなのかもしれないが。もっとも、多くのドラマなどでの屋内のシーンはリアリティが希薄であり、生活感がないのかもしれない。そこで進行している出来事に、表面レベルで共感ができても、感動をしないこととつながって。だがたとえばゴダールの映画ででてきた台所も、食事をつくっていたのだが、それはきれいすぎる光景だった。小津安二郎映画のそれは、うしなわれつつある時代という夢のつまった物語だ。それらはどうしても私にとっての台所とは違うものなのだ。

 私は長いこと自分の住んでいる場所、人との関わりなどを含め、日常のいろんなことになじめていなかった。そんな異和を集約したスケープゴートとして、台所はわたしのなかで横たわっていたのかもしれなかった。それは汚れるものであった、生きるための食と排泄、それはしがらみのようについてまわる美しいもの以外のすべてだった。台所は生活に付着するマイナスの要因すべてを体現して、私の前に存在してきたのだ。文字どおり油でよごれ、ゴミの出る場所として。
 映画のシーンにはその汚れたイメージが現れてこない。それは私のように毛嫌いしていないからだろうし、彼らはそこから美しいものを取り出してきたからだろう。
 これも先にあげた『諸註という書物』(中村文昭)では「文学、芸術、思想の独占物ではない、おおくの人々の中から生涯の友を得ること、理屈でなく、恋人と心が通じてしまうこと、第三者の不幸を新聞などで知っただけなのに、その不幸が感じられてしまうこと」とあった。そうしたものとの出会いを日々にみつけること。あるいは「芸術作品の中に自然を見るようにこころがけ、自然の中に芸術作品を見るようころがけること」。そう、この自然を「日常」に置き換えてみること、なのだ。私はたぶん、ずっと台所(台所にこだわるのは、私の中ではたぶん「人はパンのみにて生きるにあらず」のパン、芸術以外のものの象徴なのだろう)の表面しかみなかっただろう。ある意味、台所を必要以上に貶めて、無視しようとしていただろう。…と気づいても、すぐに台所を美しく感じるということはないのだが。折り合いをつけるのではなく、見つけること。

 ヴィム・ヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の映像のワン・シーンを思い出した。狭い、ごちゃごちゃとした居間に小さな聖人が祭ってある。その聖人にいつもお酒をあげている、一緒に飲んでいる、と顔をくちゃくちゃにして笑う老人。聖人のまわりに捧げられたさまざまな小さなもの。
23:35:13 - umikyon - No comments