Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2006-03-25

桜の樹の下


 また今年も桜の季節になった。わたしにとって、桜はいつもふいをうつようにやってくる花なのだ。
 開花宣言翌日の二十二日、通勤の途中、すこし遠回りして一本の桜をみにゆく。数年前まで、そこには酒屋さんがあった。黒い板の壁、暗い店内。昔ながらの、といった古いお店。あまつさえホーロー製の広告が貼られてもいた。店先には大きな火鉢が二つほどあり、スイレン鉢になっている。苔むした暗緑色の水のなかをメダカや赤い和金たちが泳いでいた。初夏から夏にかけて、太陽の位置のせいだろう。水が朝日に反映して、とくにちらめく。街路樹の葉影も落ち、緑色に緑色が重ねられ、ゆらぐのをみるのが好きだった。スイレンも毎年花をつけていた。
 新宿御苑が近くだからか、桜が咲くと、手書きのポスターが壁に貼られる。お花見にビールはいかがですか。たしか御苑内は、酒類持ち込みは禁止のはずだったが。店の横の桜のため、だったのか(まさか)。
 店がなくなったのはいつだったか。今は駐車場になっている。火鉢の池もなくなったが、桜だけはそのままだ。ほんとうに見事な大木なので、伐るのはしのびなかったのかもしれない。
 その桜は二十二日の朝はまだ、一分咲きくらいだった。そのせいか、桜に感じる独特の想いを抱くことが出来なかった。べつの花のようだった。ふいうちすぎて、だれだかわからない、友人ではあるのだが思い出せない、そんなことにも似ている。代わりに酒屋さんのことがしきりに思い出された。鉢植えのバラも毎年上手に花を咲かせていた、など。
 夕方、またそこを通ってみる。八時間ほどで、ずいぶん咲いた。三分咲きぐらいだろうか。見上げても、だが、まだ桜にたいする感触はもどってこない。過去の(桜をみた)わたしをひきつれてやって来てもくれるが、つきはなしもする。静かな温もりにもにた花びらをとおして闇が落とし穴のように開いている。たとえばそんな。
 酒屋さんから新宿御苑の脇をとおって駅に向かう途中に高校がある。その校庭にも見事な桜があったが、こちらは校舎の立替えの折にどこかにいなくなってしまった。と、過去のわたし、ではなく、過去の場所についてその日は思い出したのだった。

「桜の樹の下には死体が埋まっている」…桜の季節が近づくにつれ、このことばがしきりに思い出されるので、『梶井基次郎全集』(ちくま文庫)を読み返している。そして『桜の樹の下には』が、存外短い文章だったことに驚く。長いものと思っていたのは、ことばにあまたのものが詰まっていたからなのだろう。美醜がつながっていること、たとえば泥から咲く蓮。「何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」。腐爛した屍体から養分を吸い上げる桜の根、だからこそ…それは完全な美しさの謂、なのかもしれない。それは期待と同時に不安をもたらすものなのだ。

 この頃読む小説の行間から、景色を感じたことがついぞなかったとふと気づく。というよりも、『梶井基次郎全集』に気づかされる。かつて読んだときもそうだったが、この行間からは景色たちがとてもわたしのなかに入ってきてくれるのだ。それは何人かの画家たちの絵をまえにしたときの気持ちに似ている。わたしもいつかの体験を混ぜあわせるようにして感じている。共時性なのだろうか。

「霜解け、夕凍み、その匂いには憶えがあった。」(『過去』)
「ササササと日が翳る。風景の顔色が見る見る変ってゆく。」
「町の屋根からは煙。遠い山からは蜩。」(『城のある町にて』)
「茅屋根の雪は鹿子斑になった。立ちのぼる蒸気は毎日弱ってゆく。」(『雪後』)
「深夜の静けさは暈となって街燈のぐるりに集まっていた」(『ある心の風景』)

 そして、すこし長いが、
「何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったという風に果物は並んでいる。」(『檸檬』)
 音にかたちがあたえられることがきれいだった。

 次の日の夕方、そして次の次の日、つまり今日まで、毎日元酒屋の桜をみている。もう五、六部咲きくらいだろうか。日がたつにつれ、遠目からもあの独特のほの明るさで、ぼんぼりの手招きのように目につきだしてくる。そう、こんな気持ちに近い、もうすぐ桜をまえにした、あの気持ちがやってくると、みるたびに思いが募ってくる。桜の樹の下で。
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2006-03-15

水色の爪



 夢のはなしをすると
 水色の爪がのびて
 死人のようだとひとが言った
              (支倉隆子『北ホテル』、詩集『音楽』より)

 めずらしくまとまった物語として夢を見た。というよりも憶えていられた。ここ数年、夢とほとんど接触がなかった。それまでは、夢を大事に思っていたのだったが。夢との連関を断ち切ってしまったのは起きてるわたしだ。いつからか夢のわたしが、現実世界のわたしの、その表面上のコピーに思えた。それは見たくない同一性や近親憎悪だった。夢のわたしは未知の、もっと深い奥底からのメッセンジャーであってほしかったのだ。つまりは悪循環。その表面的な行為から、つむぐこと。起きてるわたしも、そんな場所からことばを探っていたのではなかったか。前述の『明恵 夢を生きる』は明恵上人に対する夢分析であるといっていいだろう。彼は生涯夢の記録を書き続けた。これを読み返して、彼のみた夢のうつくしさに、また明恵本人が夢について客観的に分析している姿にこころひかれた。彼の伝記的な描写を読むうち、彼の奥深い夢は起きてる彼の真摯であろうとした姿と密接に結びついている、と気づいた。このことからわが身を見つめること。寝ていても、起きていても、結局はわたしなのだ。夢をうけいれなければならない、夢のわたしがひらたいのは、起きてる私がひらたいからなのだ。

 その日見た、夢のわたしは、あと一週間で死ぬのだった。高校時代の親友(現実には今では住所も苗字もわからない)に、死には触れないで書きためた原稿の場所を教える。具体的に何か形にするとか思ったわけではない。そしてなぜ詩人ではなくこの人に…、と夢のわたしも妙に思っているが、この人にともかくつたえたかったのだ、とつよく感じる。詩のことばをわたしたかったのかもしれない。
 死までの間に、三編の詩を書く。読み返すとあまり良くない。書き直しを試みたがすすまない。そして、死の前日。身体も頭も動かなくなってきた。どうあがいても、その三篇が遺作となるしかないのだった。
 あきらめた、といっていいのか。重くしずんだ悔いはあったし、死が怖かったが、身体が動かなくなってくるとともに、そうした思いは鈍くなってくるのだった。そして鈍さはほとんどすべてのことに紗として覆いをつくった。その紗ごしの世界での出来事は、もはや死ぬわたしには遠かった。父も亡くなる前はこうだったのだろうか、とふと思う。では父はわたしを許してくれていたのだ、と。この麻痺したような心のなかでは、誰をも許すことができたから。夢のわたしはそれだけを石化しつつある心のなかから、宝石のようにとりだし、うれしくなる。

 夢自体はまだ続くが、ここでやめる。夢の話が面白くないといわれるのは、基本的に他者を必要としない、自分にしか関わりのないことだからだ。明恵上人の夢記がそうでないのは、そこでみられたものたちを丁寧にひろいあげ、外にむけて発することばだからだ。どこまでが外でどこまでが中か、その境で。それは現実と詩のはなしでもある。そのこともふくめて書くことにためらいがある。そして夢にのまれないことについても。夢からことばを掬ってくるのは、わたしにはまだかなりむつかしい。現実に対してはそれでも客観性がある、距離が取れるのだろう。だが夢は自分に親しい、密着しすぎているのかもしれない。ひきはがすこと。

 夢を見ていた 私たちは死んでいて そして
 とても幸福そうだったから おだやかに死ね
 たのだと思っていた 限りなくうすれてゆく
 ような夢の中で…………けれど死とはそのよ
 うなものではないのだから 夢の中の私たち
 に別れを告げていて…………私たちは………
 …死とはそのようなものではないのだから

        (篠崎勝己『非歌 2』、詩誌『龍』vol.24 2006.2より)

写真=《グラスの中の卵》オディロン・ルドン 一八四五年頃
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2006-03-10

白い肌、白い肉


「フランス近代絵画展」(二月二十二日〜三月十二日、日本橋三越)に出かけた。チラシには、ルノワール、ドガ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、ピカソ…とある。そうそうたる顔触れに、逆にひいてしまう面もあった。だからじつはあまり期待せずにいったのだが、思いがけず、やさしい驚き、郷愁をもらって帰ってきた。
 ゴーギャンの《タヒチの女性》(一八九八年)が《我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか》の習作めいたもの、描かれなかった一部であるということに、《我々は…》への想いが懐かしくつのってきた。画面右から、生を読むように、赤子から死をみつめる老婆が描かれている。とりまく感情と、営みと、時間もまた込められている、永遠の一瞬、のように壮大な絵。「人生は永遠よりほんの少し短いだけだ」(『光の成就』野村喜和夫、『hotel』no.14より)。《我々は…》は、そんな人生と永遠の狭間を捉え、またその狭間を観る者に入り口のように差し出してくれるのだった。
 オディロン・ルドンの絵が何点かあった。ないと思っていたのでふいうちだった。謎のような目玉がいた。わたしは彼の特に花の絵がすきだったと思い出す。花が花瓶にあるだけで、世界は幻想と化すのだった。そしてユトリロも何点かあったが、やはり以前、かれの家、あの白い壁がすきだったとあたたかいものがよみがえる。白といえない、さまざまなものをぬりこめた色。それはおおむね哀しみだった。そういえばモネの《ルーアン大聖堂》(一八九二年)もあった。あの壁もまた、壁ではなく、そこに差し込んでくる陽の瞬間が描かれていたのだった。
 今回の展覧会は、わたしにとってそこに展示されている絵そのものに魅入るていのものではなかった。そうではなく、そこに架かった絵が、画家のほかの絵たちをふっとさしだしてきてくれるのだった。それをみたかつてのわたし、とともに。
 だが、ひとつちがったのはルノワールだ。わたしは彼の人物たちに今までさして心ひかれなかった。この展覧会でも何枚かあったが(目玉は《水浴する女性》だった)、彼の一枚の風景画に心惹かれた(名前は分からない)。それは腐った肌と当時の批評家に評された、あの彼独特の肌の質感がそのままに、風景をかたちづくっていた。山肌がなまめかしく、生き生きしているのだった。また、《カップ》(一九一六年)とあるコーヒーカップを描いた小品があった。陶器の白い地はここでもつめたさのなかにわずかなぬくもりをもつ肌のようだった。こんなあたらしい出会いもまたある、ということ。
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2006-03-05

痛い瞳−−映画と日々


 河合隼雄の『おはなしの知恵』(朝日文庫)に、「言語表現と映像による表現の差」について語られている箇所があった。「おはなしが言語によって表現され」る場合、「いろいろなイメージは、自分で心に描くより方法がない」、つまり「自分の心のなかのイメージ」として認識しているのだが、そうすると、「それは「おはなし」であるにもかかわらず、自分の内界がかかわっていることが感じられる。それに対して映像は」、特に「外的現実に近いもの」だと、「自分の責任を離れた「現実」のように見えてきたりする」。それが特にビデオだと、内的に関わらず、外側から「自分がその現実を「操作し」、時には「再現(リセット)」することができるような錯覚を起こす」場合があるので、「歪んだ現実感覚をも」ってしまう、とあった。これは、たとえば残酷なシーンを、内界での関わりをとおして知るのと、外側で痛みに関与しないで知ることの違いについて語られていたのだが、興味深かった。
 これに類して、こんなことも書かれている。「人が映画から学ぶものは画面に描かれているものではない。(中略)視線に可能なことは、せいぜい画面を見ることでしかあるまい。ところで人は、画面を見ることによって何を学ぶか。(中略)瞳がどれほど見ることを回避し、それによって画面を抹殺しているかということを学ぶのである」(『監督 小津安二郎』蓮實重彦、ちくま学芸文庫)。このその外側からの関与(「見ている瞳は何の変化も蒙る気遣いもない」)は、「抹殺の快楽」、「ブルジョアの美徳」だと批判される。そして、この快楽に陥らないように注意した瞳は、「瞳を切りさ」かれ、「不断の緊張を瞳に強いずにおかない」という経過をみたのち、つまり身体的な比喩がしめすとおり、痛みをとおして、内界に限りなく近づいてゆくのだった(この場合、一般的な映像の話しではなく、本のタイトルにあるように、むろん小津映画に対してだが)。
 たぶん寺山修司が(じつは彼の書いたものたちを何年にも渡って調べているのだが、いまだに出典を探せないのだった。だからいまから書くことは、映像の方に誘う謎として、わたしのなかにある言葉だ)、〈映画を観るときにおこなう瞬きによって、わたしたちは映像に自身の暗闇をまぎれこませている、つまり自分をも映像のなかに見ているのだ。〉といったことを書いていたと思う。瞬きをとおして内界がかかわってくるのだった。
 たぶん偶然ではないだろう、ここでも“瞬き”という、瞳の身体的な関与があることに、今さらながら少しおどろいている。そういえば、「身」という字は、もとは“み”という大和言葉で、精神と肉体、「肉から心までをふくむ生き身としての人間存在をあらわすことば」だという(『明恵 夢を生きる』河合隼雄、京都松柏社)。“身体”“自身”“身にしみる”…「体と心」の両方のはざまでゆれることば。あるいはそんな風に内界を映像に二重写しにし、癒着をとおして外側にふれること。
 だが、映像が「自分の責任を離れた「現実」」として外側にとどまっている、というのもうなずけるのだ。卑近な例だが、ビデオを観てすぐに詩作に向かうと、ことばが出て来にくいことが多々あった。突然場所を変えたような違和を感じてしまうのだった。これも言語表現は内界にかかわってくることだから、なのだろう。ビデオという外側で起こっている出来事から、いきなりそれと離れた内界へはゆきにくいのかもしれない。書かれたものを読んですぐに詩作に向かうと、内界どおしで行き来があるから(書かれたものが詩のことばに浸透してくることもある)、ことばが出てくる出てこないはともかく、別の場所から到着した、という感覚はないのだった。
 ビデオだと、それにまつわる印象を書いたりしないと、詩のことばにゆけなかったと思い出す。それは気に入った台詞を書き留めるだけでもよかった。言語によって表現することにより、あるいは台詞を記憶からひきだしてくるという作業で、内界をとおらざるをえないのだろう。
 ではビデオではなく、映画館ではどうだろう。寺山修司のものとしてあげた文では、映画館の暗闇が瞬きを誘発する、とあったと思う。瞬きの暗闇と映画館の暗闇がまざりあうこと。暗闇が内界のそれと共鳴しあうことによって、映像との媒介をはたすということ(だが、ほんとうに彼がいったのだろうか。彼であったとしても、年月がたつうち、わたしのつけたした思いがかぶさっているのではないだろうか。この合作を郷愁のようにここちよく感じている、そんな面もあるようだ。それはかつてのわたし、読んだわたしとの出会いでもあるから)。
 よく言われることだが、映画館を出たあと、人々はその主人公が乗り移ったようになっている、ということがある。これも身体的なことだろう。そこでは風景すら、身体(瞳)を透してはいってくることが多々あるのだった。あたかも絵画がそうであるかのように。
 あるいはこれもどこかで読んだのだが、モノクロのほうが、観るわたしたちが自身で色をイメージすることにより、映画に参加しやすい、とあったことも思い出す。では、サイレントのほうが、言語表現が提示されるから、もっと参加しやすいのか。いや、それはちがうだろう。それなら、字幕だっておなじことがいえるから。だが音のなさをイメージすることで、内界にはいってくることがあるだろう。痛い耳だ。そうして映像にまつわる連想はつづく。わたしが寺山のことばだとして思っていることばに、わたしが、あるいはだれかが接木したかもしれないことばを思い出す。〈フィルムのひとコマと次のひとコマのあいだによこたわる空隙、ここにこそ、わたしたちは、自身を挿入しているのだった〉。
 あるいは……なんだかわたしは予行練習か復習でもしているようだ。たぶん来週、ヴェンダースの新作映画を観にゆくために。
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