Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2006-04-25

接点と裂け目


『武満徹| Visions in Time』展(二〇〇六年四月九日―六月一八日、東京オペラシティアートギャラリー)にでかけた。勤め先から二駅の初台にある。夜七時までやっているので、なんとか観てまわれるだろう。そう思った。だから、でかけたのではない。昼の日常とそうでない夜の時間のはざまに、ふと裂け目があらわれてくれることを期待して、寄り道したのだ。
展覧会は、武満の作品のほか、瀧口修造、山口勝弘ら〈実験工房〉のメンバーのもの、武満と交流のあった宇佐見圭司、ジョン・ケージ、大竹伸郎、イサム・ノグチ、そして武満が影響を受けたルドン、クレー、その他からなる、オマージュというより、絵と音とオヴジェと日常からなる、壮大なコラージュといった空間が現出していた。日常といったのは、彼の日常、生前の彼の仕事部屋が会場内に再現されていたからだ。ピアノの上に、たくさんの本が積みかさねてあった。音の書斎ということばがうかんでくる。彼の部屋それ自体がコラージュであることにやさしいものを感じる。椅子をみていた。背後から、彼の曲が、ちいさな音で聞こえてくる。

  うつくしい歯は樹がくれに歌つた
  形のいゝ耳は雲間にあつた
  玉蟲色の爪は水にまじつた
  脱ぎすてな小石
  すべてが足跡のやうに
  そよ風さへ
  傾いた椅子の中に失はれた

               (『妖精の距離』瀧口修造)

 そういえば、入ってすぐ瀧口修造のデカルコマニー(絵の具を塗り、はがすことで偶然に生まれる形態に注目したもの)、バーント・ドローイング(火で紙を焦がした作品。「火と水の交互作用の試み」と瀧口はいっている。)に目がいった。偶然とふれるための手法をとおして、現実と関係をもつこと。それはまさにコラージュなのだ。
 山口勝弘の《ヴィクトリーヌ》。厚みのある額に偏光ガラスをはめ、内部の見え方をガラスの効果で変化させている。これも現実にあるモノをとおして関係をむすぶこと、なのだろうか。
 では武満の音は? 「楽音のなかに騒音をもちこむこと」、「作曲するということは、われわれをとりまく世界を貫いている《音の河》に、いかに意味づけるか、ということだと気づいた」とカタログのなかでいっている。彼の音には、たしかに不協和音のもたらすあやうい均衡がある。その均衡が、騒音をとおした現実との接点なのだ、ともいえるのではなかったか。
 ルドンの《眼を閉じて》(一八九〇年)が習作も含め、何点かあった。彼はこれにインスパイアされ、『閉じた眼』という作品をつくったという。「閉じた眼と謂う言葉が、私に、開かれた耳、と謂う言葉を聯想させたからである」。水と空と花がにじんでいるなかを閉じた眼の女性がいる。身体はその背景に溶けていないが、おそらく閉じた眼の裏側で、外の世界とにじんで、溶けているのだ。
 ルドンの絵を観ながら、会場に用意されたヘッドフォンで武満の『閉じた眼』を聞く。出逢ったたましいのなかをつらぬく、接点をゆく音だった。わたしはルドンの絵を観ていながら、眼を閉じていたのだ。
 武満のスケッチブック。五線譜と、音符の表と、鳥の絵が書かれてある。現実の鳥が、そして絵としての鳥が、音として表されることが、なぜかうれしかった。その音が鳥を記憶することが。これは『閉じた眼』でもいえることだ。その絵と音が、記憶をもくぐりぬけて刹那になること。

 また、図形楽譜という不思議な楽譜。円(コロナ)中央に向かってグラフのような線が書き込まれている。説明がなければ絵画としかみえない。音は音をたてずに、絵のほうににじんでゆく(円にデカルコマニーがほどこされた、にじんだ図形楽譜もあった)。そして、この楽譜をみて演奏することにより、絵が音にむかうのだった。

 寄り道は、開いた音として、縫うように、まとわりつく蝶のように、無言のことばをつたえてくれた。そういえば、ジョン・ケージ《マルセルについては何も言うまい》(一九六九年)。単語がランダムに書かれたアクリルパネル(ガラスかもしれない)が、数センチずつ間をあけて何枚も底にはめ込まれている。遠近をつけたその単語たちが、とじこめられた蝶のようだとおもった。飛んでいる姿のまま、標本にされた数多のことばたち。これはきこえない、音、たちでもある。

 最後に、カタログにあった武満のことばをあげておく。おぼえておくこと。寄り道とともに、この裂け目を。
「言葉と交渉をもつと、私のなかに他者があらわれ、私の考えは緩やかにだがひとつの方向性をもった運動として収斂されて行く」
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2006-04-15

桜熱


  そして桜はつづく。山種美術館に桜を観にいった。「桜さくらサクラ・2006」(三月十一日〜五月七日)。ここでは隣接する千鳥ヶ淵界隈の桜にあわせ、所蔵作品の中から桜をテーマに毎年展覧を行っているという。
 夜の桜たちに、まず心惹かれた。《春の宵》(速水御舟、一九三四年)の古風な細い幹の桜、そして小さな三日月、雪のように、闇に降りてゆく花びら。《惜春》(稗田一穂、一九八〇年)も夜の桜に三日月だが、こちらは幹が太く、三日月もそれに比例するように大きい。その太い枝が、エゴン・シーレの描く人物の肌のように、ごつごつとしている。このことに生を感じた。あるいは闇のなかの生死を。《夜桜》(千住博、二〇〇一年)はしだれ桜が柳のようにとりまく下方に、ちいさな三日月がにじんでいた。まるで桜のほうに三方から照らされている、といった風に。《夜桜》(加山又造、一九八六年)も、さらに大きなしだれ桜で、それ自体が光を放っているようだ、こちらは桜の大きさにやはり対応するように朧の満月。そして夜ではないが、《春庭》(小茂田青樹、一九一八年)の、桜の森のような、ほのぐらい、地面いちめんしきつめられた花びらのむせそうな感触。
 これらの夜は、会場を点在している。昼の桜、朝の桜、一枝の桜、一本のしだれ桜たちのなかに。《春朝》(横山大観、一九三九年)は、桜の大木に赤い太陽だが、夜と昼、白い月と赤い太陽が同じ空間にあることがうれしかった。またここでは江戸前期の狩野常信から、現代まで展覧されているが、その時間、そして京洛、十和田、千鳥ヶ淵、吉野…描かれた各々の場所をも、そこに、あるいは桜にたたまれていることにめまいをおぼえる。それらはいくえにも入れ子細工になって、たがいに反応しあい、四方からかたりかけてくるのだった。わたしはその桜の声をかすかに聞いたような気がする。けれども、なんといったのだろう。館内を一巡してのち、また一巡、また、と何度かまわり、絵のことばに耳をかたむける。むろん、それはなかなか語りかけてはこないのだが。
 回っているうち、一枚、二枚、どうにも気になる絵がでてきた。はじめに観た折はさして興味をひかなかったし、二回目以降も共時性をおびた感動が押し寄せてきたわけでもない。その前に立つ度に、じんわりと感動が拡がってきたようでもあったが、ともかく衝撃はない。だがその都度、見ずにいられない、もどかしい気持ちになってしまうのだった。
 その二枚とは、土塀と一本のしだれ桜を描いた《醍醐》(一九七二年)と、満開の《吉野》(一九七七年)、いずれも奥村土牛。二枚とも水彩のように桜はぼかしてある。《醍醐》では、絵の上面すべて桜でまるで空のようだ。そして中央の土塀の黄ばんだ白、下の道の灰がかった白とで、空と海のようなあわい三つのグラデーションをなしている。《吉野》では、画面上から桜色の空、山並みの青、緑、雲か霧のような桜(あるいはそれらと混ざり合っているのかもしれない)、また山の緑、画面右端に、枝をとじこめたような中央をぼかした桜(縁は桜の花びらで縁取られている)、空と雲と桜がほとんど区別したくないほど、近づいているのだった。なぜ、気になるのか…呼ばわることばは、もっと抽象的になり、ちいさくなった。接近と乖離。わたしはたぶん、最後にまわったときは、《醍醐》と《吉野》しか観なかったような気がする。端緒に夜、そして昼。区別できない闇、区別できない昼、ということもあるかもしれない。
 後ろ髪をひかれながらも美術館を出る。行きは外の桜にあまり会えなかったので、千鳥ヶ淵沿いの緑道を通り、九段へ向かうことにする。桜とまだ離れたくなかったのだ。
 すぐ路の中央に桜が現れる。それがどこまでも続くように見える。もう葉桜になってしまったものもあるが、まだ散りはじめ、といったものもあり、少しほっとする。お堀の向こうに桜が見えはじめる。むこうも葉桜はあるんだろうが距離のせいだな、どれも満開のままのようだ、などとぼうっと考えている。それは先ほど奥村土牛の絵を見た時の一回目の感触に似ている。そこにさして感激はない。先週はさぞ見事だったろうな、それは表面でわたしが語ることばだ。
 千鳥ヶ淵が逆くの字にくぼんでいる。そこから左に曲がったあたりで、菜の花があざやかに飛び込んできた。ここから場所の記憶が不鮮明になる。そのすこし先だったと思う。こちら側の桜、お堀のむこうに桜、さらにお堀に散った花びら、そして水面に映った桜の像が加えられ、四方から桜に囲まれている…と思うまもなかった。その瞬間、山種美術館で観た桜たちが、押し寄せてきた。先頭を切ってやってきたのは、奥村土牛の《吉野》。この絵と、奈良の吉野、こちらの桜、水面、お堀のむこう、《夜桜》のぼうっとともった感触、遠近(おちこち)にある桜たちが、渾然一体となって、わたしを取り囲んだ。桜たちに圧倒されながら、あの共時性に似た感動が遅れてやってきたのだと思った。かぶさって、怒涛のように押し寄せる桜に、わたしはたしかに声をきいたのだった。声なき声を。
 「さまざまの事 おもひ出す桜かな」(芭蕉)
 家に帰って熱を出す。桜にあまりにも触れすぎたからだ、と思った。火照った頬、鈍痛のようなあたまに、桜の魔、ということばがよぎる。奥村土牛は《吉野》に寄せて「歴史画を描いて居る思いがした」といっている。そう、桜はあまりにも多くの時間、多くの場所を運んできて、わたしをその前にたたせてくれた。時空がわたしのなかに入り、私の時を乱す。《惜春》の枝のごつごつした生もまた、肌にくいこんでいた気がする。心身から発した熱だったのかもしれなかった。私の脈にからまる声。
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2006-04-05

桜口


 桜をすこし見てまわった。桜に対して、なにか印象を記述したいと思うのだが、ことばがでてこない。だが、ある独特の入り口のようなものをかろうじて感じている。花見客のにぎわいは、祭りのそれだ。祭りは日常でないことから、非日常との接点だ。たとえばそれも入り口だろう。ふと、墓地に名所の多いことに気づく。たとえば多摩霊園、青山墓地、谷中…。これは桜の樹の下には屍体、ではなく、やはり死者と生者の接点、入り口、といった感じがする。けれどもおなじ墓地に咲く花である彼岸花よりは色のせいだろうか、桜の接点がかそけきものに感じられるのだった。また、桜は奈良時代から栽植されたが、当時は田の神が来臨する花として、「信仰」「占い」のために植えられていたらしい。これも入り口。
 だが、わたしが桜たちに感じていたのはそれだけではない。「見ずにおくことと見ることとの混同」をしてはならない。「つまり、見たことを思考するのではなく、思考することによって画面を選んでしま」わないこと(「 」は『監督 小津安二郎』蓮實重彦、ちくま学芸文庫)。
 桜並木が、アーチ状に空を覆っているのも見た。薄紅の天蓋。休日だけでなく、通勤の行き帰りにも、あるいは帰ってきてから自転車で夜の桜を見に行ったこともあった。そのたびになにか大事なことを感じているのだが、いいあらわすことばがでてこないのだった。もどかしく見つめている視線。それはたどりつけない場所のようだった。夜の満開、昼の満開、桜はそこ、ここにある。薄い紅が、春を手わたそうとしているようだ、だが、それは手に入らないものなのだ、とでもいうように。
 だから、やはり入り口、というあたりでことばがとどまってしまうのだった。見たことを思考する発端としても。たどりつけなさを感じる場所、そこで桜に対して、あるいは瞬間を感じていたのかもしれなかった。モネのように、瞬間をとりこみたいと思ったゆえのもどかしさもあるだろう。
 けれども、桜のまわりを逡巡しているうちに、モネではなく、しきりとオディロン・ルドンの花の絵が思い出された。ルドンの花たちはやはり入り口で咲いている。触ればこわれてしまいそうな、ぎりぎりの場所。花瓶は水中であり、内面であり、空間である、すべての接点に置かれている。背景ににじむようにして咲く花たち、手招きにも似て、拒絶にも似て。絵が似ているのではない。場所が似ているのだ。いや、わたしがその前に立ったときの感触が。
 今、桜は散りつつある。うすれてゆく入り口、なのだろうか。こうなると、あのいいようのなさが薄れてしまい、なぜかほかの桃であるとか、木瓜であるとかのような、やさしい、そしてかなしい花(散ってゆくことに対してだろう)になってしまう。それらの花とはある距離がある。ということは、桜はそれでもわたしに近かったのだろうか。

(オディロン・ルドン《青い花瓶のアネモネとリラ》1912年以降)
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