Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2006-05-25

蜜月郷愁


 わたしが彼、寺山修司にながらく惹かれつづけているのは、もちろん多方面にわたる彼の天才にもよるのだろうが(だがその天才は概ねポエジーの自在さにある。劇空間をくぐり、スクリーンの幕をくぐり、わたしたちの場をわたるポエジー)、彼にノスタルジーを感じている、ということもあるのだろう。
 裸電球の黄ばんだ明かり、様々な色に染められたヒヨコ、ほおずき、あさがお、お面、金魚、幻灯機…。この頃、ふっとあたまによぎるものたちがある。おおまかにいってしまえば、夜店的なもの、郷愁に煮詰められ、しずかなざわめきをつたえてくるもの。
 それはこのところ読んでいる寺山修司の戯曲空間に見出されるサーカス的、見世物的なものたちがどうやらひきだしているようだ、と気づく。ジンタのひびき、チンドン屋、蛇娘、空気女、「花を咲かせた片目の手品使い」(『大山デブコの犯罪』)…。
 わたし自身は、サーカスは大人になるまで見たことがなかったし、見世物も残念なことにいまだに見たことがないのだが。けれども、わたしのなかで大事にしまってある、祭り的なものを、彼はいつでも誘発してくるのだった。
 天井桟敷の見世物たちは、日常と非日常の接点にある祭りとして、ポエジーの自在さと密接に結びついている。接点をわたるウサギのような存在がポエジーなのだ。「人生は/お祭りだ/いつも/どこかで/おはやしがなっている」(『大山デブコの犯罪』)。ではポエジーとは? たとえば「演劇をもって幻視への通底を」、だがその演劇は言葉でできていたはずだ。劇によって言葉がこわされてゆく、「持続してきた「劇をこわして」」いくのもまた言葉なのだ、「たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。」(「 」は『邪宗門』)、こうしたせめぎあいの場の往還が、あるいはポエジー。
 ノスタルジーとわたしはいった。それはわたしに関していえば、幼児の体験のほうに連関するものたちだ。鏡像段階のはざま、世界との接点のほうへ。それは外部(父母)にまもられているからばかりではなく、祭りのような往還のときだったのだ。外部と内部の区別がまだつきにくい、自我がまだ発達していないゆえの、あのころの抱擁のほうへ。
 胎児になりたいのではない、世界と蜜月をむすんでいたころが、他人の故郷のようにノスタルジーをつのらせるのだろう。他人といったのは、もはや戻れるものではないことをしっているからだ。それをなぜ、彼が想起させるのか。世界との接点という類似にもよるのだろう。そして、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった/言葉のない世界/言葉が意味にならない世界に生きていたら/どんなによかったか」(『帰途』田村隆一)といいたい、けれどもいえない、場所ということに、「言葉で作った世界を言葉でこわす」その場所をかぶせているのだろう。もはや言葉をおぼえてしまったのだから。そしておぼえた言葉をとおして、わたしは、蜜月をかろうじて思い出すことができるのだから。「たとえ、一言でも台詞を言った時から、逃れる事の出来ない芝居地獄」(『邪宗門』)。
 いや、彼が私にノスタルジーをもたらしてくるのは、ただたんに、わたしの幼児のころの現象、モノたちにかぶさっている、だけなのかもしれない。けれども、「一番後ろにあるものを見る事なんか誰にも出来ない」(『邪宗門』)、また、そこには前回触れたように、中学のわたし、思春期のわたしに大切なことを教えてくれた彼に対する敬意をこめた追憶もまじっているだろう。そして、多くの他の作者たちは、年月の間に印象が変わってしまう。当時ひかれた誰かの作品を思い出すたび、その誰かごとまきこんだ、とどかない、もどれない場所に、とおいノスタルジーを感じてしまうのだが、わたしにとって、寺山は変わらず接してくれる数少ない人物なのだった。いつ読んでも、観ても、そのつど、あたらしいなにかをくれる。わたしの記憶の刷新、だから、ノスタルジーがちかい場所から感じられる、ということもあるのだった。
 ともあれ、万華鏡、人さらい(夜は、ちいさいわたしにとって、人をさらってゆく時間だった。ネオンのかなたに逃避行、飲み込まれた母がいた)、おはじき、びい玉(ガラスに目をあてる、光のほうをみつめる、まつげや細胞がどうにかすると拡大され、ガラスに映る。わたしがガラスになったのだ、ガラスとひかりと肌の三位一体)、くもの巣にちりばめられた朝露(の、かがやきを陵辱する子ども)、美女と野獣(きれいはきたない、きたないはきれい*)、スノードーム(の箱庭的な世界にわたしは入っていったものだった)、押入れ、そして? 「謎が笛吹く 影絵がおどる 死んだ子供のサーカスだ とんぼがえりで地球がまわり あとはまっくら 闇ばかり!」(『地球空洞説』)。

*シェイクスピア『マクベス』より。寺山の『血は立ったまま眠っている』にも、「きれいはきたない、きたないはきれい……雲霧わけて、飛んでいこう」という台詞が出てくる。
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2006-05-15

描くこと、書くこと


 それにしてもこのところ、ここで絵のことをあげることが多い。病などで中断していた美術館めぐりがまたできるようになってきた、ということもあるだろう。けれども絵についてすこし考えてみる。
 もともと絵を描くのが好きな子どもだった。小さいわたしはとてつもない集中力でなにかを描いていた。そうすることで世界と触れることができた。いや、世界のなかへ、胎児のほうへ戻っていったのだろう。描くとき、世界とわたしはひとつだった。その蜜月の記憶がずっと尾をひいていたこともあったかもしれない(もちろんそれだけではないだろうが)。
 絵はおそらく、すこしずつ離れていった。描くことは描いていたが、世界に入ることからほんの少しだけだが、ずれていった。だがまだ気づかない。平行して、小学生だったと思う、すこしだが書くことがもたげてきた(詩の断片のようなものをつくった)。もちろんまだ描くことのほうが前面にあり、書くことは隠れていた。だから小説などもあまり読んでいなかった。それよりも歴史物、偉人伝などに興味があった。描くことで実在の世界と触れているように、読むことで、歴史上の人物という実在に触れたいと思っていたと思う。彼らは本当にこの世にいたのだ。当時のわたしには、フィクション、物語は実在ではない、うそであり、世界ではなかったのだ。
 小学校の終わりから、父の影響もあり、映画を観はじめる。映画によって、物語(ストーリー)と絵(映像)は、対立するものではない、ということに少しずつ気づかされていったのだろう。描くことのほうへ、書くことが近づいてきた。平行して、ストーリー漫画を描きはじめた。本はまだあまり読まない。ただ、映画の原作としてなら読むようになった。レマルク、フィッツジェラルド、マリオ・プーヅォ、パトリシア・ハイスミス。
 中学校の図書室に、『さかさま世界史英雄伝』『さかさま世界史怪物伝』があった。目次をみると、歴史上の人物がたくさん載っているので、何げなく借りた。読んだとき、わたしの小さな世界はくずれた。イソップ童話で親しんだイソップには、「イソップおじさんのように人生を軽蔑するものは、軽蔑に価する人生しか、手に入れられない」とあった。コロンブスは偉人ではなく、「他人の故郷を強奪した男」だった。ラスプーチンが酒池肉林のさなか、「罪によりわが身を貶めよ、肉を試み、堕落により汝の誇りを克服せよ」といっていた。善悪の転倒。そのとき、歴史上の人物たちは実在しなくなったと、ショックを受けた。だがそうではない、物語が実在ではないのなら、歴史上の人物たちもまた実在ではないのだ、ということに気づいたのだ。死んでしまった人々は、自伝も含めて、もはや物語、書かれたこと、書くことでしか存在しないのだから。
 絵に対しては、それほど驚嘆する出来事があったわけではなかった。相変わらず、映画ばかり観ていた。たまに美術館にもいっていた。けれども、いつだったか、描くことは、ほんとうにもうわたしから離れてしまっていたのだ。それは世界と仲直りするための手段ではなくなっていた。描くことは文字を書くことよりも前に存在した、世界に触れるためのパートナーだった。それは三つ子の魂のように、ずっとついてまわると思っていたので、気づかないふりをしていたのだが。
 そしてある日、「わたしは不器用だから、ひとつしかできない。どちらかを選ばないといけない」と、描くことと決別した。美術館にも足を運ばなくなった。わたしは書くことを選んだのだからと、絵そのものと離れてしまったのだ。
 街や景色の印象をノートに書く。「首を渡って。肯定するように、押しだしてくれるように風がふいてきた」、「湖に魚が死んでいた。この魚の白い腹ごと、受け入れること」。世界はノートに書くと、またすこし姿をみせてくれるようになった。スケッチしているのだ、と思った。三つ子の魂は、ここにあった。
 絵からすら離れてしまった、頑迷なわたし。絵と詩がおなじふるえをもっているように、描くことと書くことも、双子たち、だったのだが。そのわたしに、描かれたものとして絵たちがやってきてくれたのは、すこしずつだった。それは絵の単独のよびかけとしてはじまったのではなかった。絵と物語が密接な関係を持っている、とどこかで、そこかしこで、彼ら(映画や詩人)はささやいてくれていたのだった。
 ささやきと、ある事情から美術館のチケットや、画集などが手にはいりやすい時期がちょうど重なった。ワイルドを読んでビアズリーを観る。プルーストを読んで印象派展へ出かける。美大にいった友人が、ルドンをすすめる。これは、わたしにとっては映画と原作の関係に似ている。描くこととしての絵は忘れられていた。描かれたものは、べつのだれかをともなって(それはひと、ばかりでない)、わたしをまねいてくれるのだった。
 そうして世界に触れることは、描かれたものをとおしてやってくるようになる。それは画家という第三者をとおしてやってくることにより、人が関係してくるようになったような気がする。謎のような奥行きが感じられる。そうして気づく。世界とは生のことだったと。書くことで生にふれること。他者たち、そしてちいさいわたしもまたそこにいたにちがいない。

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『さかさま…』は寺山修司、角川文庫。蛇足になるが、この二冊の本は、とても大切な本として私に刻印される。だが、これまでに三回は買い直している。友人や男に貸す。すると、なぜか二度と帰ってこず、そのうち彼らとも没交渉になってしまうのだった。他者を語ることも物語なら、彼らもまた大事な物語なのか。
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 蛇足はつづく。けれども、この二冊を含む角川文庫の寺山シリーズは、いつでも簡単に手に入ったので、別に問題はなかった。これらは、わたしとともにずっとありつづけてくれるような気がしていた。
 昨日、ネットで本の検索をした。そろそろ『寺山修司幻想劇集』を読み終えてしまうので、角川文庫の『毛皮のマリー』(持っていたはずだが見あたらない)を買って読もうと思ったのだ。すると『毛皮のマリー』を含め、かなりの寺山シリーズが、新刊では手に入らなくなっていることを知った。ありつづけてくれるものはないのだ。
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 この四月三〇日で池袋の「ぽえむ・ぱろうる」(詩の専門書店)が閉店した。このこともさびしかった。かつて渋谷にあった「ぽると・ぱろうる」とともに、わたしには長いこと大切な空間だったのだが。ぱろうるたちは、詩の本以外にもたくさんの書物に引き合わせてくれた。そこには小説はもとより、ガロ系のマンガや辻村ジュザブローの写真集なども置いてあった。寺山修司の戯曲全集を買ったこともある。あの黒い色調の店内に入り、本に囲まれると、ひきしまり、かつ包み込まれるような、やさしい違和を感じたものだった。出会いはまだ詩を書くと意識する前のことだった。なにか過去と切断されてしまったような喪失感がある。ありつづけるものはない。だから大事に…などと、あたりまえのことをいってしまいたくなる。
 書くことも、ありつづけてくれるものではないのかもしれない。わたしにとって、描くことがそうでなかったように。けれども、それでも、書くことは世界とふれるための、とても貴重なパートナーだ。喪失感と出会うこと。
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2006-05-05

往還と連関


音と絵が出合うこと、絵と詩が出合うこと、というよりも、相互に自在に行き来しながら、世界をわたしたちにつたえてくること、その往還を、往還がもたらしてくれる体験のゆたかさを、たぶん、武満徹展でいまさらながら、気づかされていたのだろう。
 おそらく、そのことが頭の片隅でひびいていたから、『寺山修司幻想劇集』(平凡社ライブラリー)を読みたくなったのだ。片隅がだいじな連関をつないでゆく。
 ほんとうは劇として観なければ、あの往還を感じられないのかもしれない。が、設定が、台詞が、詩として読むわたしにやってくるのだった。たとえば『レミング』。アパートの一室の壁がなくなってしまう(「その壁を証明するものは/まず理性の高さである」)、その床下の暗がりに住みながら地下で畑をたがやす母、隣室は金星からの迎えを待っている兄妹、壁の代わりに本を置いてゆく修理人、映画の撮影が突然部屋で行われる。女優は、映画に永遠に囚われている…(「事実はすぐに風邪をひく」と女優はいう」)。その他、コロスのような監視員たちが「空瓶に密告される」、「アリバイのない鰐を切り抜く」と、あいまに詩行をまぜ、劇を謎として引き裂き、結ぶのだった。結ばれた壁のない部屋は、自在の穴となって、事実たちをまた詩のことばでひきよせているのだった。事実たちは取替え可能だ。それは病院の一室かもしれない。登場人物は患者かもしれない、医者かもしれない。それは他人がみた夢なのかもしれない(「夢のなかでは壁という壁が正体を隠すのです」)。さいごに、壁のない部屋の住人が淡々という。「「世界の涯てとは、てめえ自身の夢のことだ」と気づいたら、思い出してくれ。おれは、出口。おれはあんたの事実。そしておれは、あんたの最後のうしろ姿、だってことを」。これは、寺山修司の遺稿となった詩にむかって、劇からにじみでていると思った。

  ぼくは
  世界の涯てが
  自分自身の夢のなかにしかないことを
  知っていたのだ

              (『懐かしの我が家』)

 そして。音と詩、絵と詩、劇と詩。あたまにますます往還が響いていたとき、ちょうど、和合亮一さんから、彼の詩を演じるという、『詩×劇 世界が脳になってしまったので少年は左に回らない』(遊戯空間公演 四月二十八日〜五月一日、四谷・コア石響)の案内をいただいた。この偶然が必然のようで、うれしくなる。今、まさに、なにかがつながろうとしているのかもしれない。さっそくでかけた。
 詩のことばがいったん音というみえないものになり、身体のほうへ、現実のほうへながれ、みえるものとなること。その際、それが演じられることにより、他者の解釈はもとより、詩のことばにさまざまな意味が磁石に対するように生成してゆく、その過程により、あの詩たちが、どういった共有をふくんだ身体(空間)となってくるのか。
 (以下敬称略)それは、演出(篠本賢一)と役者たちと、和合詩による、せめぎあう、あらたな、流れをともなった空間だった。詩が照射されるばかりではない。彼らの解釈にの磁場に、詩のことばがたちあがり、あたかも演奏されているようだった。わたしたちは、その演奏の渾然一体をうけとっている。
 それは、わたしたちの想像力が参加するすきまを残してくれる構成にもよるのだろう。 十三編の詩があったが、四編ほどは、暗闇で、役者のもつライターのようなあかりがともされ、かろうじて姿がみえる、という趣向のもと、詩が演じられるのだった。「土をこねているうちに思い出せなくなるものがある」、暗闇にうかぶ役者(藤田三三三)は、こねる恰好をしている。「粘土が私たちの形を奪って私たちになろうとしている」「表では見えないものたちがいたずらに窓を叩き叫ぶ」、その暗さは、わたしたちの思い出せないなにかだった。だから、わたしたちの暗がりごと、詩のことばの明かりにすいこんでゆく。それは地下であり、「ヒバリが振り切るように宙返りをしたが誰も気づかない好日」という天だった(「 」内は『晴天好日』、『地球頭脳詩篇』より)。おさえた演技が、あるところでは振動するようにつたわってくるのだった。
 また、『熱帯魚』(『RAINBOW』)では、役者(金子あい、渕野陽子)が、とおい(あるいは近い)ところを指差しながら、円をえがくように移動している。「叫ぶように怒鳴るように何百も爽やかな風が吹いてきた」、それは「窓のない家の」窓であろう、熱帯魚のおよぐ場所であろう、その変幻自在ないない窓が、彼女たちが指差すその行為、その演技によって、ほとんど、わたしたちも、指差し、その場で、たしかに現出を感じていたのだった。
 それらすべてにはどんな効果音もなかった。ただ、パーカッション(田中佐知子)が時折、心臓のように響くだけだ。小道具もなかった。せいぜい椅子がひとつあるだけだ。ただ演じるばかりであった。パーカッションもまた音を演じていた。だからこそ、「青空の象」(『スカイハイウェイ』、『RAINBOW』)や、湯水に浮かんだ花切りバサミが、そして「中指の道路で画用紙が燃える」(『ハンディ』、『AFTER』)のを、観ることができるのだった。ことばと、演出と、彼らの表現による肉(身体)のなかで、わたしたちは、目をとおして、ことばのなかでつながっているのだとすら思えるのだった。


  きみは青空になって僕の書きかけの文字を過ぎる

                 (『葉書』、『地球頭脳詩篇』)
 
 詩が劇を通低音として響きながら、往還のなかにわたしたちをからめてゆく。わたしたちの文字のほうへ。頭の片隅が、じんわりと、しっているかもしれない音をたてて、なげられた、またもどって。
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