Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2007-02-25

隔たる“郷”  (オルセー美術館展、セザンヌ)


 オルセー美術館展(一月二七日―四月八日/東京都美術館)に行った。テーマは「十九世紀 芸術家たちの楽園」。楽園とは、チラシなどによると、「自分の拠り所となる世界」、「理想にかなう制作の場」なのだという。ここでいう楽園とは、おおむね“創る場所”ということなのだろう。ともかく、彼らのそれぞれの描いている場ごとに、家庭、近郊、異国、サロン、内面世界と、五つのテーマごとに、作品が展示されていた。
 けれども楽園とはどういうことだろう。楽しい園。“楽園”の文字には、苦しみが欠如しているように思う。だが、芸術家たちはそこで苦しまないわけではもちろんない。そして楽園のイメージには満ち足りたという感触がつきまとう。だがそうであれば楽園で人はおそらく芸術を必要としない。そこで充足して、終わってしまうから。そしてそれは超越的でも荒唐無稽でもないものだ。そうした楽園ならば創る場になりえない。それは遠くにありすぎ、手の届かない、ものだから。絵空事。あるいは「それは「無何有の郷」のものでありながら、また現実の世界にも近いものなのだ、あるいは、そうしたユートピアとは、ほとんど現実世界の裏側にある反世界なのであって、たとえばメビウスの輪が表と裏とがねじれあって連続しているように、どこかでつながっているものといえる」(川村湊『言霊と他界』)のかもしれない。楽園とは、遠くにありつつ、近いもの、懐かしさを漂わせるもの、つながってはいるが、けっしてそこに居続けることができない、はがれているもの、だろうか。仮に楽園に苦痛がないとすれば、出ることこそが苦痛なような? あるいは楽園ではなく異郷…。
 楽園ということを脇におきつつ、沿わせながら、混雑した館内をめぐる。そうして、今さらながら、行く前にチラシやテレビなどで知っていたそれらと、実物とでは感触が全く違うことに驚く。筆触たちが画家個人のものとして、芸術を媒介にして観ている私にそれぞれやってくる。このとき、彼らと接することが、瞬時できるのだ。隔たりとのふれあい、そう、異郷だ。「芸術がなりたつのは、世界からのこの隔たりのゆえである。芸術は、あたえられた世界をひとつの「異郷」として手わたす。」(『レヴィナス入門』)。「その二つの世界のあいだに対応関係を打ちたてることはできても、その隔たりを埋めることはできないのである」(『失われた時を求めて』)。
 ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》(一八八七―一八九〇年)。今回、ここで観て、はじめて聖なる山、だと頷かされた。それは静かだ。だが、モネの光の反映と違い、山そのものが確かに存在するものとして、無言で呼んでいる、呼びかけてくるようだった。描かれているのは、幼少時の故郷の山だという。彼は三十九歳の時に故郷に移り住み、十年間、同じ山を描き続けたという。「エキゾチシズムとノスタルジイは、多くの場合“兄弟の関係”にある、と折口信夫は語っている」(川村湊『言霊と他界』)。そう、前にもここで書いたが、異郷と郷愁は、辿り着けなさにより共鳴しあっているものだ。セザンヌの故郷。故郷の“故”には、故人にも使われるように、「死ぬ」という意味がある。それはもはや失われてしまった、辿り着けない、隔たりなのだ。そこに故郷はある。だが、そこですごした幼年はない。あるいは、そこで今、生計をたてていることにより、故郷は、故郷でなくなり日常になる。故郷から隔たって。日々のなかで、世界から隔たって。郷愁と故郷と異郷は“郷”の字によっても兄妹となるのだった。
 ちょうど『レヴィナス入門』に、「セザンヌの絵画における剥き出しの形態、「色と線との純然たる戯れ」、あるいは「存在の膨らみ」の表現、それらがあらわしているものは、物質があるということ、世界が存在するということそのものだ(『存在することから存在するものへ』)」とあった。郷の字たち。《サント=ヴィクトワール山》では、山は実際よりも大きく描かれているという。そして山に向かう道が描かれていない。大きく描かれた山も、道がないのも、近づきたい、引き寄せたいからだ。道は、遠近法をもたらすだけでなく、山とわたしたちのあいだに存在するものとして、はがすから。世界からの隔たりだから。あるいはルソーが関心あるものを大きく描くように、そうしたことは子どもの視線でもあるだろう。「子どももまたノスタルジーとエキゾティズムと無縁ではない」(前掲書)という。郷の字たちは、子どものほうにもわたしを誘う。
 《サント・ヴィクトワール山》は、実はこの展覧会では、「はるか彼方へ」のコーナーに陳列されている。「十九世紀ヨーロッパを特徴づける、遠い異郷・異国への夢と希望。ゴッホ、ゴーガンをはじめとする芸術家たちは、実際に未知の大地に向かって旅をします」(カタログより)…。ノスタルジーとエキゾティズム、異郷たち。幼年は、では、はるかかなたへの旅なのか。
 「種子の中に人の世の宝石はつまっているのです。幼少時の幻想から創造的な芸術は始まるのです」プゾーニ(オペラ『ファウスト』)。「もはや子供でなくなったとしたら、すでに死んでいるのです」(コンスタンティン・ブランクーシ)。
 また、ここでこうした引用だけをするのは気がひけるが、小島きみ子氏の『エウメニデスII』(http:eumenides.matrix.jp/eu/)誌での優れた論考『抒情の深化』で、ボードレールの「阿片吸引者」のこんな言葉をみつけた。「少年の小さな悲しみ、小さな喜び、それが絶妙の感受性によって途方もなく大きいものになり、やがて大人のなかで、いつのまにか、一つの芸術作品の原則となる」(井上究一郎訳)。
 幼年という内面世界が、異郷とつながる。そうして、セザンヌの異郷、故郷、郷愁、「無何有の郷」に、わたしはこのオルセーではじめて見た、ふれたのだ。画集などのそれでは、決してさわれなかった、山にこめられた日々、幼年をふくんだ世界の現出を、隔たる郷を。“郷往”ということばがある。「心が向かってゆくこと」。この往は、往還の“往”だ。「それは「無何有の郷」のものでありながら、また現実の世界にも近いものなのだ」、わたしたちは郷往する、そうして往還するのだった。楽園ではなく、“郷”の場所を。

●オルセー美術館展 展覧会ホームページ www.orsay3.com
 (写真はセザンヌ《サント=ヴィクトワール山》、上ホームページより転載)
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2007-02-15

にこやかな土の春


 シルク・ドゥ・ソレイユの「ドラリオン」にゆく。彼らをサーカスといっていいのだろうか。たぶん、このことばから、いつもどこかしらのがれてしまうのが、彼らなのだと思う。十年ほど前から、出し物が変わるたびに出かけている。シルク・ドゥ・ソレイユ(太陽のサーカス)、カナダ・ケベックの大道芸人たちが一九八四年に結成。彼らは動物を使わない。このことも斬新なことらしい(だがサーカスにまつわる郷愁、いや伝統をもちろんふまえて新しさをかもし出している)。動物が出るとすれば、それは、動物に変身した人間だけだ。衣裳、音楽*、演じる者、それらすべてが一体となって、動物をそこに現出させる。たとえば、「アレグリア」は幸福のことだが、人はどこまで鳥に近づけるか、というコンセプトのもと、幸福を求めて飛ぶ。彼らはぎりぎりまで鳥に近づき、鳥に変身するのだった。その他「サルティンバンコ」は中世のイタリア語で“大道芸”の意味。古きよき時代の大道芸を継承した、パントマイム、ジャグリングがちりばめられたうえで、バンジージャンプから想を得た技たちがきらめくのだった。「キダム」はラテン語で“普通の人”の意味。その普通の人、少女が夢の世界を旅する、そのなかで、現実と夢のあわいで、空中に、地上に、肉体の果てをめざしたショーが展開する。
 今回の“ドラリオン”は、ドラゴンとライオンの合成語で、西洋と東洋の融和がモチーフらしい(団員の構成員も、今では五〇カ国以上からなる多国籍集団となっている)。そして、中国思想からとった「空」「水」「火」「土」の精の動きにより、それは自然との接点をも現すのだった。こうした題名たちにあわせ、空中ブランコ、トランポリン、玉乗り、輪くぐりなどがなされてゆく。それは、ミュージカルでもないし、パフォーマンスでもない。最初に書いたように、サーカスという枠からすらこぼれる真摯な動きだ。太陽のサーカスから、まぶしさがちらめく。トランポリンにより、水の精と火の精が壁をつたう。水の緑と火の赤がせめぎあい、もとめあう。青い空の精たち(恋人たち)が布をつかった空中技では、特にその旋回する際の布のはためきが、風のようだった。風は目に見えるものとして、空の恋人たちに吹いていた、あるいは風を起こしていた。縄跳びを幾重にもつかった高度な技もあった。子どもの頃のそれを思いだし、少し懐かしくなるが、それよりも縄の多さと、同じ衣裳を着た人々が飛ぶ姿に、合わせ鏡のような、入れ子細工の謎が現出しているとおもった。
 だが実は、「アレグリア」の飛ぶ姿、「サルティンバンコ」の正統をふまえた新しさのほうが、なぜかわたしのなかでは、好印象、ほとんど大切なものとして、残ってしまっている。だから、つい「ドラリオン」に不満を禁じえないのだった。単純に、今回の公演では、ミスがめだったせいもあったかもしれない。くぐっていた輪にぶつかり、はずしてしまう。何度かくりかえした後、できずに演技をやめてしまう、などは、今まででは考えられないことだったし、見たことがなかった。出し物と出し物の間に出現するクラウンの存在も今回は多すぎて、すこしうるさく思った。もちろん、ショーに風穴をあけ、息吹を送り込むクラウンの存在は必要だが、それは約束のように、幕間に必ず出てくるべきものではない。クラウンは、つなぎつつ、ふいをうつものだから。「ドラリオン」というテーマにそった演目に、穴があきすぎ、観ているこちらが感じ始めたキメラ的なものの融合が、そのつど、ばらばらになってしまうのだ。
 イカロス的な鳥の飛翔(アレグリア)、郷愁の大道芸(サルティンバンコ)、現実と夢幻との架け橋(キダム)、…。あるいはそれらは単に観るわたしの側の好みというだけのことかもしれないが。「ドラリオン」では、統一と融合のテーマに、演目がそれらほど響きあっていないように思えたのだ。あるいは、身体以外のものに、テーマを込めすぎたように感じたのか。たとえば玉乗りには、メインタイトルの「ドラリオン」の称されていたが、そこでは、ドラリオン獣が何頭も出てきて、あたりを徘徊している。中国と日本の獅子舞に似た派手な獣たちだが、それは目に見えすぎるのだ。それは身体が演技によってあらわす融合ではなかった。演目ではなく、着ぐるみに近いものによる、キメラだった。丁度「アレグリア」で人たちの結晶が、鳥に変身していたのとは、対照的に。
 一抹の不満。だが終わったあと、黄土色の衣裳の土の精が陽気に踊っていたことを何故か始終思い出す。ほかの精たちは、水も火も、もちろん空も、宙に舞い上がったのだが、彼女だけは、大地でにこやかに笑いながら踊るだけだった。それは他の精に比べて、地味といえば地味だが(実際、彼女が主役になった出し物はなかったし、幕間にでてくるだけだった)、彼女は豊穣の大地の力を体現していたのだった。土の働きがなかなか見えないように。大地の暗い面をも背負った笑いが声にない響きを伝えてくる。
 次の日、梅を観にいった。暖冬とはいえ、外にじっとしていると、まだ手足がかじかむ。今年初めての観梅なので、まだ慣れないのだろうか。こんなに寒いのに、咲いていてくれて、いいのだろうか、咲いていることを信じていいのだろうか、のような違和があった。いや、わたしのほうによそよそしさがあったのだろう。あと何回か、顔をあわせるうち、親密さが出てくるのだろう。そうして去年の梅たちもまた戻ってくる、あるいは、去年の梅たちと、今咲いている梅たちが近づいてくれるのだ。なぜなら去年のそれは、ほとんど、わたしのなかの思い出の梅だから。今年の梅が親密さを増してくれるというのは、それまでの梅自身の歳月を、わたしの歳月と共鳴しあってくれることだから。
 梅のほか、蝋梅が咲いていた(写真)。蜜ロウを細工したような黄色さが、こわれそうで、春まだ浅い早春にふさわしいとおもった。この蝋梅のもろい色、イチョウに残った枯葉の色、水仙、福寿草たちの、つまり概ねの黄色たち。そして梅の木の周りに咲く福寿草の下の地面は、まだまだ露出気味で、ほかの草がほとんどいない。硬いようなその褐色に、土のもつ生々しさを感じた。そして、花たちの放つ色、概ねの黄色たちの誘いにより、あのにこやかに笑う土の精を、大地母神のような姿を思い出すのだった。あるいは思い出たちに色がまた重なるのだろうか。通年さして気にとめなかった紅梅もその日はやけに眼についた。重なって、土の女神。彼女は、ガヤというそうだ。

〔ドラリオン東京公演(原宿・新ビッグトップ)
 二〇〇七年二月七日―五月六日
 http://www.dralion.jp 〕

*シルク・ドゥ・ソレイユは、音楽もとてもいい。バンドは生演奏で、舞台の大事な構成を担っている。音楽は公演ごとに、サウンド・トラックとしてそれぞれ一枚のCDに収められる。「アレグリア」は全体的に気持ちがいい調べだが、「サルティンバンコ」の、「RIDEAU」という曲が特に印象に残っている。歌詞はどこの国のことばでもない。だが、それゆえ、またぐことば、音として響いてくるのだった。この歌手に限って、クラウンとの兼任なのだが(通常、ヴォーカルは専任である)、ピアノに乗せた、彼のとても哀しげな、ジュズーム、ジュズームという囁きが、言語の閾で、繊細に声をふるわせている。楽器のように、ふれあう声の叫びのように、郷愁のように、共有のように。
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2007-02-05

かよう鳥の夕べ


 ほんのわずかだが、日が長くなった。夕刻、こもっていた屋内から一歩出ると、夕焼けの残影がビルたちを照らしている。そこに真冬の夜の暗さはない。街灯たち、列をなす車のライト、ゆるい黄色、オレンジの光が、空の橙、イエローと響きあう。にぶい明るさ。まだ欝は続いている。だが、もうすぐだ。夕方が時間をずらしてゆく。気にとめたことがなかったが、夜明けももちろん早くなっているのだろう。もうすぐこの重さから芽をだせるだろう。
 前回にすこしつうじる。本居宣長と上田秋成が、『呵刈葭』(よしかるあし)という書物のなかで、日本神話や、言語について論争しているとあった(『言霊と他界』川村湊、講談社学術文庫)*。本居宣長から派生した、今に通じる問題もからんでくるだろうから、そこからかいつまんで一点だけここにあげるのは気がひけるのだが…。とにかく宣長は、カナの五十音のみを正しい音とし、“ん”や濁音などは、古来から日本になかったものとして、不正の音としている(たとえばここでも、五十音を最上のものとし、特権化するだけでなく、階級的分化を生じさせた秩序をつくりあげた意識がほのみえてくるのだが)。そして、「外国ハ正シカラズ。鳥獣万物ノ声に類セルコト」と、外国の言語をも自然音にくくったうえで、不正と正に、つまり「自然音と人間の言語(声)とを峻別する」のに対し、上田秋成は「糸竹不正の音ならば、人の言語に合奏すべからず、(中略)上古は言語を糸竹の音勺に合せて、声を調へ咏言せしにあらずや、(中略)物に触るれば其物の音と和して響動す、(中略)糸竹草木の音、神をも人をも和めまつれるを…」、また「海外の言語、羽毛に等類すといふも、又私の甚だしき者なり」と『呵刈葭』のなかで反論しているのだった。「秋成の立場が、相対主義的なものであり、インターナショナルな普遍性に基づいていることは明らかだろう」。秋成はまた別の書物(『霊語通』)で、「音声亦自然にかよふ由あればこそ、五十音の法則をも取はやすなれ」と語っている。「「古言はただ自然の音声にかよふべきはかよひ」とか、「自然の音はたがふ事なし」「自然の言語の妙法」といった言葉が、『霊語通』の中には頻出する。そして秋成が「自然」という語の対語として出してくるのは「法則」なのである」。そして法則(「ことごとしい仮名遣いの法則」)とは、「言語音韻の「自然の妙法」の働きをむしろ阻害するものにほかならなかった。言語音韻は、さかしらを棄て、“自然にかよ”わせることによって、その霊妙さを味わうべきものなのだ」。
 この自然にかよう音の響きが、前回の『なごみ』から借りていえば、〔音韻は、「自然と人間との交感、聖なるものと人間との交感を仲立ちにする役割を担っていた」(日高薫)〕となるだろう。そして、そんな秋成だからこそ、わたしはずっと大切に想ってきたのかもしれない、とうれしくなる。わたしは彼がずいぶん前から好きだったから。もう少し、『言霊と他界』から引用を続ける。「言語はまず、世の中のありとあらゆる“声”を湊合するものであり、天然自然の音と“かよふ”ものなのである。秋成にとってそのことは自明であった(中略)。言語は、現実の世界で生きることと同じように、その世界の中で、自由自在に動き回り、生きようとするもの以外のものではなかったのである」。「つまり一言で言ってしまえば、彼は言葉の世界に生きたのであり、(中略)それは彼がつねに心のうちにひそめていた現実の外側の〈もう一つの世界〉へと“かよう”ことのできる「霊語」としての働きでもあったのである」。「秋成が「ん」の音に、半濁音の存在にこだわったのは、言語音韻の世界の実在性をリアルに描き出そうとしたからである。五十音という秩序の枠の中には位置を占めることのできない、不安定で不正な音。だが、そうした言葉の音韻の実相が示されない限り、そうした音の世界が、実在の世界を超えた別の世界のビジョンを垣間見せてくれることもありえないのだ」。
 おそらく高校の頃だったろう。現代教養文庫の現代語訳『雨月物語・春雨物語─若い人への古典案内』(神保五彌、棚橋雅博訳)を読んだ。ストーリーだけでもとても面白いので、若かった私は文字通り案内され、原文の『雨月物語』を読んだのだった。たとえば、魔王となった崇徳上皇の霊と、西行法師が闇のなかで対話する「白峯」は、まさに世界が“かよう”ことだったろう。だが、とにかく、その闇のけわしさに、当時はひかれたものだった。上皇の怒りが夜を照らす。「見る見る一段の陰火君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり」。魚の絵を描いた後で見る夢で、自ら魚になって泳ぐ僧、夢応(自らつけた名前だが、夢に応じる、というのが美しい)。だが、その夢は現実に通じており、実際に食べられる寸前にまで陥ってしまう「夢応の鯉魚」。美しい、実は大蛇である女性との恋と破局の「蛇性の婬」。そして、これが当時、一番ショックだったのだが、稚児を愛するあまり、その病死を惜しんで肉を喰らい、食べ尽くして悪鬼となった僧の物語「青頭巾」。これらは、こうして並べてみると、すべて、接点の物語であると気づく。河合隼雄にならえば、「見知らぬ館」でおこった出来事たちだ。「見知らぬ館は(男の住む)日常の世界と(女の住む異界、)非日常の世界の中間地帯と言うことができる」(『昔話と日本人の心』岩波現代文庫)。霊との接点(「白峯」、「仏法僧」「菊花の約」も)、絵と現実の接点、あちらの世界で生きる女性との接点(「蛇性の婬」、「吉備津の釜」「浅茅が宿」も)、「実在の世界を超えた別の世界のビジョンを垣間見せてくれる」場所、そしてそこは、「不安定で不正な音」こそがかようことのできる、不安定な場所、誰そ彼時の時間がつつむ場所なのだ。『呵刈葭』『霊語通』で取られた態度は、特に「仏法僧」では顕著だろう。剃髪した半ば世捨て人の男夢然(この半ばという設定も面白いし、名前も面白い。夢応という名前と、また夢応の徹底的な僧である隔絶とも対比できるだろう)が、風雅を介さない息子と一緒に旅をする。そして高野山で難儀に遭い、野宿することになる。これは、接点に足を踏み入れるのは難しいということかもしれない。そこは弘法大師が「土石草木も霊を啓きて、八百とせあまりの今にいたりて」ますます貴い場であるという。つまり「すべて此山の草木泉石霊ならざるはあらずとなん」という場所なのだ。これは、「糸竹草木の音、神をも人をも和めまつれるを…」とする秋成にとって、まさにかよふ接点として、一貫した想いがみえる。この地で、仏法僧という鳥(実際はコノハズクの声らしいが、当時はおなじ名前の渡り鳥の声とされていた)の「仏法、仏法(ぶっぱん、ぶっぱん)」という声を聞くことで、扉はさらに開かれる。かよう音をきいて、異界と通じるのだ。「鳥の音も秘密の山の茂みかな」と夢然は発句する。すると、異界のもの、貴人の霊たちがそこに現れ、宴をひらく。夢然はまだ物陰で見学しているに過ぎない。ブッパン、ブッパンとまた鳥の声が聞こえたとき、貴人に仕えるものが、「旅人の通夜しける」の詠んだ俳諧を思い出し、もう一度、殿下にきかせようとする。かようこと。夢然は畏まりながら、貴人とは誰かと尋ねる。つまり名前を聞くことで、世界の一端はとりあえずつながりをもつ、安心するのだ。「殿下と申し奉るは関白秀次公にてわたらせ玉ふ」。夢然が詠む、山田三十郎(秀次の小姓)が、下の句をつける。「芥子たき明すみじか夜の牀(ゆか)」。せめぎあう接点。霊がかよう、そこに、芥子をたく調伏が置かれるのだ。敵対とすらいっていいかもしれない。日常と非日常の出会いの難しさでもあるだろう。だが下の句をつけるということは、それでも不安定ながら、であった、つながった、ということでもある。この出会いは、もちろん、長くはつづかない。夜明け間近、秀次は夢然親子を異界に連れてゆこうとする。が、老臣により思い止められ、両者は永遠に別れてゆく。「秋成に関していえば、彼は言葉以外の世界に、別の世界の実在を認めることはありえなかった。自然が言葉であり、言葉が自然であるような世界でしか、彼は言語の問題を考えようとはしなかった」(『言霊と他界』)。こうした態度は、おのずと限界を見つめざるをえないのだ。つまり、別の世界と言葉を通して触れあうことができる、が、わたしたちは、けっしてその異界にとどまることができない、ということ。貴人は永遠に去ってゆく。草木のなかへ、鳥の声のかよったところで。
 夕方がまた会社の帰りにあざやかな色を見せてくれるようになった。駅まで歩くあいだに終わってしまう、だが響きあう色たち。

*秋成は、賀茂真淵の国学に興味を持ち、真淵門の建部綾足、ついで加藤宇万伎(うまき)に入門し、特に宇万伎に敬慕したという。「後年、真淵の門弟として本居宣長のみを称揚する世間の風潮に反発して、しばしば宇万伎の存在を著書の中で強調している」。安永五年(一七七六)刊行の『雨月物語』は、「この国学研究を志した時期に成立したもので、古典を踏まえた知的で非通俗的な創作態度は、国学との関連において初めて理解できるものである」(「 」内『雨月物語・春雨物語─若い人への古典案内』解説より)。
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