Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2007-05-25

黄色い小さい壁、黄色い…


▲フェルメール《デルフトの眺望》 1660―61年頃、マウリツホイス美術館

 モネの展覧会、あの白い雪たちを観ていたおり、プルーストがフェルメールの《デルフトの眺望》(一六六〇―六一年頃、マウリツホイス美術館)について、白い壁のことを書いていたのではないかとふと思った。というより思わされた。まるで壁が壁を呼ぶように。「白という、「何もない」色彩と考えられてきた色(中略)、とりわけ雪という、西欧人が「病んだ自然」として例外的にしかモティーフとして取り上げなかった」…。白い壁は、もはや何もないものではけっしてない。その白さもまた、描き取られた断片が、瞬間と重なる、塗り込められた瞬間ともいうべき、永遠ではなかったかと。プルーストの小説をも、そこに映していたのではなかったかと思ったのだ。モネの壁は、水面のようだ。鏡のようだ。ルーアン大聖堂の連作では、その壁は、日射しの移ろいをおよがせる、巨大な石だった。この大回顧展にも、二枚あった。《ルーアン大聖堂、正面とサン=ロマン塔》(一八九三年、オルセー美術館)と、《霧のルーアン大聖堂》(一八九三─九四年、青山ユニマット美術館)。切り取られた時間が違うのがよくわかる。この時間のもたらす変化は、自然物ではない、鏡的な効果もない石なので、それを描くのは困難なはずだし、実際、彼は大聖堂が崩れ落ち、下敷きになる夢を見ている。ともあれ、前者が曇り空の午後だろう。そして後者の霧のなかの大聖堂は、晩年の睡蓮のように見えないことに忠実に描いているので(彼は白内障のため、対象を見分けることが出来なくなっていた)、ほとんど抽象画のように輪郭がぼけている。もういちど書こう。見えないことを見えないままに描くこと。対象から断片を切り取ることとはそうしたことだ。見たことがすべてではない。見たことが自然の凝縮だとは決して言えないと、モネが感じていたように。見えないままを描くこと。
 壁に戻る。そうして、ユトリロの淋しい白い壁、佐伯祐三の激情のような壁をそこから連想したりもするのだった。ユトリロの壁は、壁自体がかなしさを湛えているようだ。重苦しさのなか、なんとか息をしているようだ。佐伯祐三の壁は怒りをもぬりこめた壁だった。壁のむこう(それはいつも内側のように感じられる)へゆけないこと、への怒りと悲しさ。そしてユトリロのそれは、なぜか壁の外側へゆけないことへの苦痛にも思われるのだった。「壁は空間をモノクロームにぬりこめたきり、微動だにしない。(中略)壁はどこまでも無言だが」…(『異人論序説』赤坂憲雄)。
 『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳、集英社文庫)を当たってみる。フェルメールの壁の箇所は、「第五篇・囚われの女」にあった。それは主人公の尊敬すべき年配の知人、作家であるベルゴットの死の寸前のことばだった。彼の好きな《デルフトの眺望》が丁度彼の住んでいるパリに来ていた。それについて、「黄色い小さな壁が実に見事に描かれており(それが彼には思い出せなかった)、その壁だけをじっと眺めるとすばらしい中国の美術品のように自足した美を備えている」との評を見たので、具合が悪かったにも関わらず絵を観に行く。「ようやくフェルメールの前に来た。彼の記憶ではもっとはなやかな、彼の知っているあらゆるものとかけ離れた絵のはずだったが、それでも批評家の文章のおかげではじめて青い小さな人物たちに気づき、砂がバラ色であることを認め、最後にちょっぴり顔を出している黄色い壁の貴重なマチエールを発見した。彼の目まいは徐々に増大した。彼は目をすえて、ちょうど子供が黄色い蝶をとらえようと目をこらすように、この貴重な小さい壁を眺めた。「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ」と彼はつぶやいた、「おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている。この小さいな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」。」そうして彼はその場にたおれ、息をひきとってしまう。「庇のついた黄色い小さい壁、黄色い小さい壁」。これが彼の最期のことばだ。壁は白いものではなく、黄色だった。ついでにいえば、わたしは語り手の言葉だと思っていたが、作家のベルゴットの言葉だった。家にあるフェルメールの画集を観る。積み上げられ、塗りこんだ、壁のはなつ実感。その壁はユトリロとも佐伯祐三とも違った。彼らのそれは、閾としての閉鎖が感じられる。内部であれ、外部であれ、行けないことへのような。そしてモネのそれとも厳密には違うだろう。だが塗り込められたものの放つ照り返しのような鮮やかさは、モネの時間と通じるものがあった。その黄色い壁には、空と近しい色が置かれていたから。
 『失われた…』のこの箇所の数頁先に、気にかかる文章があった。全面的に肯定するわけではないが、憶えておこうと思ったので、メモ的にここに抜粋しておく。
 「この地上での人生の条件のなかには、善をなせ、心こまやかであれといった義務、他人に礼儀正しくあれといった義務さえ人に感じさせるような理由は何ひとつなく、また神を信じない芸術家にとってみれば、永久に知られることのない一人の画家、わずかにフェルメールという名で確認されているにすぎない一人の画家が実に巧妙かつ精緻に黄色い小さな壁を描きあげたように、何度も繰り返してひとつのものを描くべく義務づけられていると感じる理由は何もない――たとえその作品が称賛をかちえても、蛆に蝕まれてゆく自分の肉体にとってはどうでもよいことだろう。このような義務はいずれも現世で報いられるものではなく、この世界とはかけ離れた世界、善意や心づかいや自己犠牲に基礎をおく別の世界に属しているように見える。人はその世界から出てこの地上に生まれ、おそらくはやがてその世界に引き返して未知の掟に支配されながらふたたび生きることになるだろう。だがそれに先立って、人はこの地上でもその掟に従うのである。それは、だれが書きつけたのかも知らずに、自分のうちに掟の教えを持っているからだ。いっさいの深い知性の働きによって人が近づくこの掟、それが目にはいらないのは愚か者だけだ――いや、それすら分かったものではない――。だからベルゴットが永久に死んでしまったわけではないというのも、かならずしもあり得ない考えとは言えないのだ」。
 この掟の世界とは、たとえば「不条理の詩的構成が再び新たに喜びを与え、新たに怯えさせ、新たに衝撃を与えるためには、新たな素材の流入、日常言語の清新な諸要素の流入が、不可欠となる」(ヤコブソン)、その流入の来る場所であろう。モネの雪が、清新であったように。フェルメールの黄色い壁が、積み上げられ、陶器に似た、文章に似たまごうことない壁を帯びたように。
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2007-05-15

雪断片


▲クロード・モネ 《かささぎ》 1868−69年 オルセー美術館

 『MONET大回顧展モネ』(二〇〇七年四月七日─七月二日、国立新美術館)に行った。モネの絵は、ここでも何度も書いているように、わたしにとっては特別なものだ。はじめにその絵(《睡蓮》だった)に受けた衝撃は、瞬間との出会い、瞬間の永遠をそそぎこむ、その共時性によってだった。その衝撃は、もはや一回限りのものとして、薄れてしまったが、モネの絵に出合うたび、なにかやわらかな衝撃がはぐくまれるといった風になるのだった。マグリットが、硬質につきさす熱だとしたら、モネのそれはやわらかな熱なのだ。
 今回、モネの絵には、塗り残しが多かったことに気づく。四隅が白いままの睡蓮の池たち、また、展覧会の目玉となった《日傘の女性》(一八八六年、オルセー美術館)は、傘の柄はないし、指もないし、その顔も書かれていない。これら細部は、たぶんうつろいを、時間をつかむためには重要ではなかったからだろう。塗っている間に、時間はすぎてしまうから。時間の断片に光りがちりばめられて。そうして曇り空や、夜までも、光りをはなっているのだ、明るいのだ、輝いくものを持っているのだと、まざまざと教えてくれるのだった。曇り空では、たとえば《ヴェトゥイユ、曇り日》(一九〇一年、リール美術館)、《ウォータールー橋、曇り空》(一九〇一年、サントリーミュージアム)。その空は、薄い布を透して光りをたたえているようだった。暗い空気に、光りがたゆたっているようなのだ。そして夜。夜といったが、それは概ね日没のことだ。モネには夜だけをえがいた作品はなかったと記憶する。日没、夕景、夜と昼のせめぎあう場で、あかるさがあたかも夜からもにじんでくるような。《エトルタの日没》(一八八三年)の、黒い奇岩と、夕景の空と海。この黒さが、なぜか光りを内に秘めていると思った。そこからにじみだすものに反応して、空と海は、青、白、緑、桃色、橙、呼び合うように光をさらしてくるのだと思った。《黄昏、ヴェネツィア》(一九〇八年頃、石橋財団ブリヂストン美術館)は、教会が炎のような空と水につつまれているのだが、これは夜の側からの、いどみかかるような明るさだった、光りだった。あるいはまるで、風や空気がみえるかのような。
 《ジヴェルニー付近のセーヌ川》(一八九四年、上原近代美術館)は、川岸と水面と空が描かれた、たぶんだれもが、こんな風景をみたことがあるだろう、しっているだろう、とおりすぎたことがあるだろう、そんな景だ。目の結んだ一コマ、断片を差し出してくるこうした連続性から、しばらく眼がはなせなかった。連続性といったのは、それによって、不連続なわたしたちはつかの間ではあるが、連続することができるから。だがこれも、モネの時間との、光との、圧倒的格闘があればこそ、だが。こうした景こそが、わたしたちを時間をもたない瞬間にはこぶのだ。
 会場内で、雪景色ばかりを集めた「2章 諧調」という部屋があった。そこには、「白という、「何もない」色彩と考えられてきた色のなかに、モネは限りなく微妙な色彩と諧調を見出す。とりわけ雪という、西欧人が「病んだ自然」として例外的にしかモティーフとして取り上げなかったものを素材に、その限りないニュアンスを描きすことに挑戦した。雪はあるときはばら色や黄色に温かく、あるときは青や紫を帯びて寒々しい」と書かれてある(カタログより)。白が「何もない」色彩で、「病んだ自然」として捉えられていたとはしらなかった。そこからの視点のずれをモネがもっていたことに、彼の迎合しない、因習などから自由な眼差しが、真摯な美をつむぐのだと思った。ことばにすれば、だいたいそんなことを感じたのだが、展覧会場では、ただただその白さに圧倒された。《雪中の家とコルサース山》(一八九五年、上原近代美術館)の、白い屋根たちと白い空と白い山。この白さたちは、それぞれ青みがかり、灰色がかり、桃色がかりと、微妙な白さたちを湛えている。白のそのねじれたような、微細な色調の変化をまぶしく感じたのだった。《かささぎ》(一八六八―六九年、オルセー美術館)は、一面の雪景色、門に小さくカササギが描かれている。ここでは雪の明るさに眼を瞠った。それは、曇天ではあるが、白さが反射して明るさを増す、あの雪そのものの色だった。それは、水面が反射する光のようだった、あの睡蓮たちや、前出の、《ジヴェルニー付近のセーヌ川》のように。
 そうしてこの白さは、「何もない」から、「何もかもある」色彩になるだろう。「病んだ自然」というヒエラルキーを滲ませた観点からの脱却は、モネのジャポニスムについての態度と通底するのだった。彼は浮世絵をみて、西洋的遠近法からの脱却をはかったという。そしてそこからアニミスム的な考えもうけとっただろう。自然とともにあること。だが、そうではない。だから感動したのではない。白い明るさ、それらすべてが筆にまきこまれ、白をつくっていたからだろうか。それは断片がもつ生だった。不連続さとしての断片が。「モネは世界を凝縮して表わす伝統的な考えに反発していた。彼は世界を断片として捉えること、そのために自分の身体と感覚を通して得た経験をもとに、表現することを選んだ」。「「断片」も浮世絵の一つの重要な特色である」。時間の断片に光りがちりばめられて。連作の積み藁シリーズにも、雪を描いたものがあった。《積みわら、雪の朝》(一八九一年、ボストン美術館)。雪に、積み藁の影が青く落ちている。まるで空のように。何もかもが、一面の。
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2007-05-05

小屋を建てる、辺境に。


▲フェルナン・クノップフ《白、黒、金》1901年頃

 今回は、頭のなかの整理的に、頭のなかの辺境をかたちづけ、できれば小さな骨組み、小屋を、建てられればいいのだが――。

 〔 〕内は、主に私の注釈、補足。

 例えば、『道化的世界』(ちくま文庫、山口昌男)で、道化と詩人が近しいものだと知ったときから、まず、道化を頭の片隅に大事に置くようになったのだろう。
「道化=トリックスターは、よどみなく流れて人々の意識を眠らせる現実の記号の組み合わせに異議申し立てを行う。そして、現実を「理解」(往々にして従属するという言葉の同義語)するために必要不可欠と思われた言葉及び行為を意味のないものに還元してしまい、ふつうそれが通用する文脈から切り離してしまう。詩人が「あまのじゃく」と精神の何らかの部分を共有するとすればまさにそういった点においてなのである」。
 「道化的行為の根底にある志向は、絶えず、日常世界の中において可塑性の高い、言語及び肉体表現を、想像力を媒介にして、異質の次元に置き換えて、宇宙的リズムをこの世界に導入するきっかけをつくることにある。(中略)詩的言語が道化の身振りと切り離すことの出来ない所以である」。
「語の紋切り型の拒否も最も効果的な形式の一つであろう。ここで、語を行為という言葉におきかえるならば、直ちに、子供の身振り、異人の身振り、狂人の身振り、阿呆の身振り、道化の身振りという連想に我々は導かれる」。
 そして、道化、異人、子供、狂人、あまのじゃくたちをその片隅という場所にさらに住まわせていったのだろう。
 「道化はその限界を知らぬ放恣な性格の故に、定住の世界に安住することを許されない。(中略)定住社会は、一定期間彼らを受け入れて、日常生活を構成する諸要素、ヒエラルキーをすべて、疑わせ揚棄させて、新しい秩序に置き換えるのを援けさせる。しかし、その期間が終ると、彼は元の位置に戻らなければならない。所詮彼は、秩序の内側、「文化」の中心に棲息すべき人種ではなく、周辺部、あるいは境界の外に住むか、絶えず、この世界の周辺を放浪しなければならない種族に属する。境界性(マージナリティ)こそが彼が、本来帯びている刻印である。」
 「彼〔ヘンリー・ミラー〕が「道化は行動の詩人だ」というとき、詩が、純粋身振り、原身振りに他ならず、道化の行為が、日常生活のありふれた交換の記号とは異なり、あらゆる行動の源泉から直接発していることが言い表されている」。こうしたことから、詩人をますます道化とむすびつけて考えていったのだろう。あるいは、その片隅は、辺境、境界、閾ということばを付与していった。いや、ことばだけでなく、辺境として場所を拡大していったのだ。「周辺部、あるいは境界の外に住むか、絶えず、この世界の周辺を放浪しなければならない種族」が道化ならば、それはわたしのなかでは詩的言語を介して詩人と結びついていたのだから。境界ということばに惹かれるのは、だから、そんなこととつながっていたのだろう。
 『昔話と日本人の心』(河合隼雄、岩波書店)でいう、「うぐいすの里」という「見知らぬ館」という中間地点で、「日常的な空間からやってきた男性が、非日常な空間に出現してきた美女に会う」、「見知らぬ館」にひかれたのも、それが境界だからだ。「このような日常・非日常の空間構造を、心の構造として読みとると、意識・無意識の層と考えることも出来る」。「見知らぬ館は〔男の住む〕日常の世界と〔女の住む異界〕非日常の世界の中間地帯と言うことができるであろう」。意識と無意識の接するところ。『影の現象学』では、見知らぬ館に対応するものとして、「王と辺境とを結ぶ道化。日常の世界と非日常の世界に出没するトリックスター」という仲介者の存在をあげている。この道化、接点で、「再び力を得た自我は、新しい統合の道を、現実とのかかわりのなかで堅めてゆくことになる」、それが創造(創造的退行)だと『影の現象学』(講談社学術文庫、河合隼雄)では語られている。「退行とは心的エネルギーが自我から無意識の方に流れる現象である。白昼夢、妄想(中略)一般に退行といえば、病的現象を指すものと考えられていたが、ユングは(中略)むしろ創造的な心的過程には必要なものであることを早くから指摘している。」境界での創造。道化、詩人。わたしのなかで辺境はますます大きくなるだろう。

 最近、『境界の発生』(赤坂憲雄、講談社学術文庫)を読んだ。「共同体の内部は(中略)、日常的で慣れ親しまれ自明性の光に浸された可知敵領域である。それにたいし、境界の外縁部からは混沌の闇が迫り(中略)、穢れや病気や厄災の威嚇を吐きかけてくる。と同時に、そうした混沌の領域は測り知れぬ創造の活力を宿した、非合理と不可知の神秘の聖なる時空でもある」「共同体イメージは、その二元論的な認識構造ゆえに、共同体の外部にさまざまなレヴェルの〈異界〉と〈異人〉を表象=産出する。(中略)秩序と混沌という二元論的世界を生きる定住民にとって、〈異人〉は漂泊性を濃厚に帯びているがゆえに、秩序と混沌に相またがる両義的存在として立ちあらわれてくる。また、混沌自体が聖なる境域として創造と破壊という両義性を孕んだ象徴空間であることから、〈異人〉を迎える定住農耕民は怖れと敬いという両義的な心態に引き裂かれざるをえない。」
 この境界は、先の創造と退行に通じるだろう。両義的存在は、王と道化、にも通じるだろう。そして、この本に出合う前から、わたしの場所に、異人が住んでいたことに気づく。彼らがこの本を呼んだのだ。
 異人とは、現在読んでいる同じ著者の『異人論序説』(ちくま学芸文庫)によると、「1漂泊民(遊牧民、日本中世の遊行聖、土着以前の行商人、遊女、芝居一座、遍路乞食)、2定住民でありつつ一時的に他集団を訪れる来訪者(行商人、旅人、巡礼、赴任した教師、海外派遣の商社マン)、3永続的な定着を志向する移住者(移民、亡命者、嫁、養子、転校生、新生児ほか)、4秩序の周縁部に位置づけられたマージナル・マン(狂人、犯罪者、変人、アウトサイダー、異教信仰者、独身者、未亡人ほか)、5外なる世界からの帰郷者(故郷へかえる人)、6境外の民としてのバルバロス(鬼、河童なども含む)」となる。これにしたがうと、道化は4になるだろうか。秩序の周縁部にいるもの。『影の現象学』では、「ロシアでは道化の役目に選ばれた人間はしばしば外国人であったという。つまり彼等は王国の秩序を超えた世界と通じているのである」とあった。
 また、『異人論序説』では、「〈漂泊〉の民は〈漂泊〉の民であるがゆえに、〈異人〉として表象されるわけではない。混沌のかなたを浮遊する漂泊民は、“まったく存在しないも同然の生物、遠近の彼岸にいる生物”(ジンメル)であって、〈異人〉とはいえない。定住民の生活圏と接触するとき、はじめてかれらは〈異人〉でありうる」とあり、境界に近づくとき、その姿ははじめて関係してくるのだという。つまり「〈異人〉とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である」。河童などは、「“遠近の彼岸”を浮遊する生物」だが、「生々しいイメージとして体験していた」から、異人にいれている。このとき、「想像の産物」とあるが、ここに、言葉の力を、フィクションとしての文学をそそぐことは可能だろう。そうして場所に物語をいれるのだった。
 そして境界は、「外部にたいしては内側・内部にたいしては外側を意味しており、遠/近・または〈漂泊〉/〈定住〉の両義性にひたされた空間といえる。境界的(マージナル)な領域に生きる人々が、往々にして潜在的な遍歴者の相貌を呈するのは、むろんそのためである。」とあったが、遠/近、〈漂泊〉/〈定住〉の両義性にひたされた空間というのと、正負、浄・不浄、こうした対立する観念たちが接していることからくる反転は、関係しているのではないかと思った。「〈異人〉の神秘性の由来は、かれらが混沌のかなたからの訪れ人であり、また、秩序と混沌を媒介する両義的存在と信じられていることにある。無定形の混沌(カオス)は、崩壊もしくは危険の象徴であるばかりでなく、創造もしくは能力の象徴でもある。混沌に内在する正と負の両義性といってもよい。混沌(カオス)を背負った〈異人〉は、そうして、正・負に引き裂かれた神秘性を身にまとうことになる」。
 『境界の発生』にもどると、例えば「供犠の庭にささげられる聖化されたイケニエは、象徴的には、人間/神・内部/外部あるいは俗/聖といった二元的にたてられた対立項をつなぐ媒介者である」とある。媒介者は、二元たちが接する場にいることと繋がっているのではないか。「供犠sacrificeという言葉には、殺害する・聖別するという二重化された意味が孕まれている」。「客人歓待を意味するhospitalityという語が、敵意をあらわすhostilityとともに、外人・敵人・客人・主人などを全体的に意味したhostという語に語源を有するように、原始・未開人は外人を畏怖し、異人を怪奇で悪霊的と見なすと同時に、これら異人を歓待饗応するのである」こうした二元的なものたちを含んだ意味、ということも、ついここにかぶせてみたくなる。殺害と聖別、歓待と敵意、はざまで。「浄と不浄とは、……別個の二綱ではなくて、すべての聖物を含む同じ綱の二変種である」(『異人論序説』のなかのデュルケム『宗教生活の原初形態』)。「ギリシア語の「聖なるhagios」という語は、古代には「穢された」という意味をもち、古代ローマでも、「聖なるものsacer」は、穢し穢されることなしには接触することのできない人間やモノを意味した、とされる。(中略)すなわち、古代世界にあっては、“聖性の尊厳に由来する禁止事項と、畏怖と罪悪を鼓吹する禁止事項とが言語において区別されていない”(カイヨワ『人間と聖なるもの』ことがわかる」(『異人論序説』)。対極的な二項は、区別されにくいほど、近しいものだったのだ、と。あるいは、「道化の両性具有性。道化は単純に男性的でもなければ女性的でもない」(河合隼雄『とりかえばや、男と女』新潮文庫)とある。同書では、「ギリシャ神話の「混沌」(カオス)のように中世的ではあるが、そこからつぎつぎと子どもが生まれるのは、その存在が両性具有的であることを示唆している」ともあり、性が接する場としての境界にも接点を見出したくなる、あのわたしの場所に置いてしまう。
「もともと、物語の主人公としては、ヒーロー・トリックスター融合型のような主人公が多かったのではないか。(中略)ヒーローとトリック・スターという分離が、もっと明確な姿をとるのが、王と道化である。王は至高の存在として絶対的な正しさと権力をもつ。これはあくまで建前のことであり、そればかりを主張していたのでは現実にそぐわなくなる。したがって、王の影の部分を背負うものが道化として登場することになる。道化のもたらす笑いが、ともすれば平板に固まってしまいそうな王国を開放し、活性化するのである」(『とりかえばや、男と女』)。王と道化も、辺境にいるものとして結びつきもするが、二元論的にもむすびつくだろう(「こうした浄と不浄の相互補完性は、国王と死刑執行人(または道化)・帝王と宦官などにもみいだされる」(『異人論序説』))そして、そう、ここでまた道化が。道化が詩人に。そして、「〈芸能〉がいずれ共同体的な日常性を超えた場所にしか成立しがたいものである限り」(『境界の発生』)、とあったので、これもわたしのなかの境界に置く。泥から茎をのばして水面で咲くスイレン(ハスでもいいが、ハスだと、釈迦にまつわる固定的な意味を付与されてしまいそうなので)。

 わたしのなかの場所が広がる、というより、名付けられることで、境界がひきよせられてゆく、といったほうが近い。花が咲いている。名前がわからないと、関係はそのまま遠ざかってしまう。だがたとえば、ハンゲショウという名前を知る。半分だけ白く化粧をした葉。緑に白い絵の具をたらされたような姿が、すこしだけ近づく。かたちを自分なりにとらえるために、名前を媒介者とする。そうして媒介者たちを、境界のかたちを少しでも立体的にしようとする、したいらしいのだ。

 だが、「〈異人〉は日常の地平から排除されるがゆえに、〈聖〉性をおびた存在となる。うらがえせば、かれらの〈聖〉性は排除においてこそ保証されている。この、あやうい逆説的な構図のうえに、共同体と〈異人〉のおりなす両義的光景(敵視と歓待)はひろがっている。〈聖なるもの〉は正・負いずれであれ、なんらかの疎外過程を根底にもつ」(『異人論序説』)。ことがこの境界にあることを骨身にしみて、感じなければいけない。つまり、疎外にまつわる差別も、あの境界では接しているということを。

 あるいはわたしは、小屋を建てたいのだ。わたしのなかに、辺境のアイデンティテイとしての小屋を、名前としての小屋、刻むための小屋を。
 『異人論序説』の最初のほうに、メタファーとしての小屋が出てきた。「小屋を建てるとは、きれめなく連続する無限の空間からひとつの区画をきりとり、ある方向づけられた統一体へと形成することである。(中略)。人間はひとつの意味にみたされた内部を析出し、同時に、小屋の壁という境界線のむこうへ外部を疎外する。(中略)はじめて小屋を建てるとは、それゆえ、原初のカオスを一本の境界線によって劃し、ある囲い込まれた秩序の空間を創造することである。(中略)敷居は、空間的な連続性の廃棄をしめしている。それは移行の象徴であると同時に、その媒介物でもある(エリアーデ『聖と俗』)。(中略)扉こそは、この敷居の小さな神の具現である(バシュラール『空間の詩学』)。境界をつかさどる〈聖〉なる司祭、といいかえてもよい。門もまた、世界を内部と外部にかぎる、神聖な境界である。(中略)。そして境界。あらゆる境界は、わたしたちの想像や夢の源泉であり、始源のイメージ群が湧きいづる場所である。世界という存在の奥底をのぞきこもうとする誘惑と、寡黙な存在をことごとく征服したいという欲望が、そこには渦をまき、蓄積されている。
 〈異人〉とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門である。内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして境界をつかさどる〈聖〉なる司祭=媒介者としての〈異人〉。知られざる外部を背に負う存在(もの)としての〈異人〉。内と外が交わるあわいに、〈異人〉たちの風景は茫々とひろがり、かぎりない物語群を分泌しつづける」。
 「〈異人〉とは、それ以上さすらいはしないものの、〈漂泊〉の自由を放棄したわけでもない潜在的な遍歴者である。」

 この無限の空間という連続を、切り取る不連続、ということもバタイユの死という連続、生という不連続を彷彿とさせ、興味ぶかかったが、今日は小屋を、門をかたちづくったあたりでやめておく。門。「ヒュノプスはギリシャ神話で眠りの神。夜の息子、死の弟、夢の父親。ヒュノプスは象牙の門と角の門の番人でもある。象牙の門は、人々を惑わせ、愚かしい思いに誘う虚偽のまぼろしが群をなして通る門、角の門は、予言と霊感の真実の夢が通る門。この門はきっと、とても接しているにちがいない」と、フェルナン・クノップフ《白、黒、金》(一九〇一年頃)のヒュノプスを描いた作品によせて、十一月五日の日記にわたしは書いている。門は、境界でもあったのだ。
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