Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2007-06-25

呼び水


 「水の情景―モネ、大観から現代まで展」(二〇〇七年四月二一日〜七月一日、横浜美術館)に行った。前回のマルケの水と関係しているようだが、自分としてはそうした感覚はなかった。いや、心のどこかで水がつながっていたのかもしれないが。水が水を呼んでいたのだろうか。それにわたしは元々水に惹かれているのだ(だからペンネームに海埜という名字を選んだこともある)。ともかく、モネにまた出会えるだろう、そして思いがけない作家たちとの出会いがあるだろう、知らない水に触れることが出来るだろうと思ったのだった。桜木町駅から動く歩道に乗って行く。運河や海が見える。それは完全に濁った水だ。マルケの水に色合いは似ているが、彼のそれは濁りと清冽を共に持っている。だが見えたこの海は、澱むばかりだ。曇り空もそうした澱みを増長していたようだ。だが海だ。ひさしぶりに見た水だ。水の情景はもうここからはじまっているのだと思った。
 モネ、シニャック、浮世絵、大観、現代の作家たち。オブジェ、写真、映像、さまざまな水。高嶺格《水位と体内音》(二〇〇四年)は水の入った水槽に、プロジェクターで光を浴びせ、水の反映を暗い室内に映し出す。ともすると、この水槽は、水が生活に密着していることをわたしたちに教えてくれる。洗面器の水が光の加減で、壁に反映する、橋の裏に映った水、金魚鉢に陽光が当たる、など。そして羊水のありかを映し出してもくれるのだ、たぶん。竪山南風の《魚楽図》(一九二六年)の八枚の連作のうち五枚。鮒や鮎の泳ぐ川底もよかったが、なぜか、「其三 蜻蜒」にひかれた。これは鉢に露草やイヌタデらしき野草が書かれ、草の周りにトンボ、鉢の下に無数のメダカが描かれている。どうした設定なのかわからないけれども、ありふれたものたちだ。身近にいたものたちだ。それがとても新鮮だった。たとえばこの頃だと、昼顔に出会う。露草が咲いているのを見る。雑草と化し、栄養が足りないのか、小さい花をつける芥子の花を、通りがけに見る。その瞬間のざわめきが、こうした絵と共鳴するといったらいいのか。日々の中から、彼らのざわめきがなにごとかを誘うようにつぶやくのだ。それは前回も書いたが、なぜか痛いものを持っているのだが。菱田春草の《夏汀》(一九〇二年)は、水に浮かぶ岩に鳥が乗っている。別の岩には河原撫子。この鳥、撫子に逢ったことがあると思った。あるいは今逢っていることがうれしかった。水はわずかにグラデーションを帯び、背景と空と水と、それらの境界をなくしているようでもあった。あるいはそれらすべてでもあった。モネはこの間見たばかりだからか、何枚かあったけれども、今回はとくにひかれなかった。そして3枚の絵。アクリル絵具ののっぺりとした水。わたしはアクリルはなぜかあまり好きではない。自分でも使ったことがあるのでわかるのだが、その簡便さが失礼だが安易さに通じるようで苦手なのかもしれない。だが、丸山直文の絵たち、これはアクリルなのだが、なぜか気にかかった。《path 3》(二〇〇五年)は、田圃にはった水、畦道らしく、くねった青い線(おなじ青い線で一筆書きのようにたまに木が書かれている)を、ちいさな人物が一人、走って行く。水は黄色とパステルグリーンの二色だけ。だが、夢の水を、夢をつうじて郷愁の水を走っているかのような気になった。この人物がもってきた田圃の水が、なぜか呼び水となって、とおい誘いをしかけてくるのだった。あまいような、にがいような。また聖書のなかの水もあった(大洪水など)。水は本をひたすのだ。ナルシスの水もあった。水は鏡になるのだ。水はだから、あるいは無数の比喩になるのだろう。時の、血液の、たとえば…。照屋勇賢「10のボタンと13の指輪」(2007)は、インスタレーション。屋外に溜池(これは見損なってしまったのだが)、屋内はサンゴの砂に貝殻(作り物だと後で知った)が散りばめられている。わたしたちは最初、その砂浜を脇に、踏まないように歩いた。だが、ついに踏まなくては出れなくなってしまう。海の記憶をもっている遺品たちとして、文字通り死んだサンゴとして、作家の作品として、それらは文字通り、触れられるようになっていた。さわさわと砂の感触が、足を伝う…。砂をとおして水の比喩をうけとったのだった。
 外に出る。真板雅文《竹水の閑─横浜》(二〇〇七年)は浅い四角い池の中央部に、円錐を逆さにしたようなかたちに竹が配置されている。池は行きにみたときは、端から霧を出していた。雲のようだとも、朝霧のようだとも、古代世界のようだとも思った。地動説の頃、その端は、滝となって、どこかに流れつづけていたから。帰りにみたとき、池面から噴水として吹き上げていた。刻々と変わる水、その水の変化を照らし出すように。助長するように、姿を変えていることが、したたってきた。とはいえ、この作品を見ていたとき、この展覧会のためではなく、常設されたものだと思ってもいたのだったが。「竹はだんだんと青い色を失い、色が変化していく、これも毎日の自然の現象としてとらえ、感じて欲しい」と、作家のことばがカタログにある。変化こそが水なのだ。水は変化を映す鏡なのだ。変わらないものはない、と水が差し出してくる。反映して。わたしたちをも流れる水の音がどこかで鳴って、鳴り続けて。

▲写真は“去年、伊豆で”
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2007-06-15

マルケの水と夜借景


▲アルベール・マルケ《オンフルール港》

 ひらたい不透明な色彩の景色。厚く塗ったわけではないのに、その不透明性のせいだろうか。なにかを塗りこめたように感じてしまう。不透明? たとえば水は青ではなく、乳白色に青、緑、オレンジ、さまざまな色で固めているのだった。こもっているのか、こめているのか、それは息苦しくもやわらかい。さびしくも、あたたかい。アルベール・マルケ。最初は、数年前のプーシキン展だった。《オンフルール港》(一九一一年、プーシキン美術館)。白濁のような海に灰色の帆をもつボートが傾いている。このひらべったさになぜかひかれ、展覧会場で絵葉書を一枚買った。そのままどこかに、頭のなかへ、絵葉書ファイルのなかへしまい、忘れていた。先日、青山ユニマット美術館で同館所蔵の《アルジェの港》(一九四〇―四二)を見た。海の水たちがまったく《オンフルール港》とおなじだった。厚ぼったい空がまったく彼だった。たましいの色が、というべきか。そうして思い出したのだ。そのやわらかなナイフで貫かれたような感触を。感動というのだろうか、それにはいつも痛みがまとわりついている。なぜだろう。その痛みは甘美だ。たとえば美がうしなわれたものをつかのま開示させてくれるからだろうか。永遠にうしなわれたものが一瞬戻ってくる。そしてまた去って行く。不連続なわたしたちに、連続の記憶を? 「芸術がなりたつのは、世界からのこの隔たりのゆえである。芸術は、あたえられた世界をひとつの「異郷」として手わたす。(…)芸術は、その意味でおしなべて「異邦的(エキゾティック)」であり、異郷としての世界をこそあらわにするものである。芸術によって開示された世界のまえで感じられるものは、この世界そのものが異邦であることにほかならない」(『レヴィナス入門』熊野純彦)。そう、あるいは不連続なわたしたちだからこそ。ともかく、このぬりこめられた壁のような景は何なのだろう。マルケの絵との二度目(二枚目)の出会いに、えにしのようなものを感じ、彼をもうすこし知りたくなる。
 だが青山ユニマット美術館にも、書店にも、彼に関するものは見つけられない。フォーヴ派とも関係があったらしいのでそちらもあたってみたが…。この詳細は省く。今、とにかく手元には、一九七三年に巡回展として開かれたマルケ展の図録(読売新聞社)がある。
 図録には、生没年も書かれていない。ネットで略歴を一応調べる。一八七五─一九四七年。ギュスターヴ・モローに絵を学び、マティスらのフォーヴに一時所属し…、だが知りたいと思ったのはそうしたことではなく、もっと彼の絵を見たかったのだ。欲をいえば、生でその絵と会いたかったのだ。「彼はひとつの風景を、垂直線と水平線に分解し、もっとも本質的な要素に還元する」、そして彼の絵に共通なモティーフとして「動的でもあり不動でもあり、流動的でもあり不透明でもあるもの、即ち水」と図録にあった。「ぼんやりとした、湿っぽい手法」(とは、わたしがのっぺりとした、平べったいと感じている乳白色のことだ)で、水を描いていたのだった。なぜだろう。「“霧のはう流れに映る樹々の影が煙のように死ぬ時”の描写」。「描くとは(中略)「過ぎ去る何ものかを定着すること」、幸せな瞬間を呼び起こすことなのである」(図録より)。例えばその過ぎ去る何ものかは、水と響きあうのだろう。流れ去る、刻々と姿を変える、雲になる、それらの水の瞬間を記憶すること、わたしの言い方だと、その瞬間に触れること…。この水たちは、モネの時間にも通じるだろう。彼の関心は水そのものというより、水の反映にであったが。彼の描く植物(ひなげし、アイリス、アガパンサスなど)に季節を反映させていたように。マルケは水そのものにすべてを流し込み、注ぎ込み、還元し…どうだろう。それは後から感じたことであるかもしれない。重たい、けれども陰鬱ではない、わずかな毒のような白濁と乳白色のつなぎ目にあるあの感触が、忘却の河(レテ)への誘いのように…。図録は、約七割の作品がモノクロ写真という、古いものにありがちな体裁で、物足りなさが残る。カラー写真もあまり鮮明ではない。だがそれでも一枚、とても気になるものがあった。《ポン・ヌフ、夜》(一九三八年)。セーヌ川が歩道の街灯と百貨店の電飾で滲んで見える。百貨店側の依頼で書かれたらしいが、その思惑はさておき、夜の暗さを借景にして、河は海のように見える。海に浮かんだにぎやかな漁り火たちのように。夜が忘却をひきよせ、灯火をつけることにより、そっと何かをかいま見せてくれるようでもある。マッチ売りの少女のあのマッチのように。それは具体的な像を結ぶものではないけれど。そしてわたしは思い出すのだった。以前、通勤に使っていた電車の車窓から見えていた川のことを。行きの朝はその川底を見つめる。魚の影か本体、冬は水鳥の落とす影も見える。そして帰り。夏至前の日が長い頃には、どうにかすると薔薇色に染まる水と遭遇することがあった。そのほかはたいてい夜の川を海に見立てていた。桟橋、漁り火、黒い波。河口の橋を電車が渡ってゆく、末広がりに海が夜に溶けているのだと、通るたびに思っていたのだった。図録の《ポン・ヌフ、夜》に、わたしの川を注ぎ込む。夜は恐ろしいばかりでなく、そんなことを感じることを許してくれる、見逃してくれることもあるのだった。


▲アルベール・マルケ《ポン・ヌフ、夜》
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2007-06-05

名付けられざる逢魔が刻


 また『異人論序説』から。「名付けることのうちには呪術的な力が、ある根元的な暴力が孕まれている。人間は名付けるという、人類史における、また個体史における原初(はじまり)の行為によって、連続体としての世界を分断し、自己の所有のもとにおこうとする。(中略)名付けられざるモノは、名前をもたないがゆえに不確かな、未知なるもの・不気味なものでありつづける。名付けられたモノとモノの隙間、いわば連続性をたちきられた世界のそこかしこに生じた裂けめは、近寄りがたく威圧的な魔性の源泉となる」。
 幼児もまた「原初的混沌ともいうべき無差別の世界を、名付けることによって分節化し、名付けられたモノを自己の身体や周囲に附着させ」、「みずからの日常的世界(名付けられたモノの集合体)がしだいにその圏域をひろげ、名付けられざるモノや空間を征服してゆく」。こちらの裂けめには、たとえば、「理科準備室・地下道・雑木林」(やがては名付けられ、同心円にくくりこまれてしまうが)、「酔っぱらい・わめきたてる女・浮浪者・森に隠れ住む盗賊」が置かれる。それは、「恐ろしくも魅惑的」で、聖なるものと、禁忌が入り交じっているという。
 だが、この「世界を名付けられた領域/名付けられざる領域の対比のうちに認識する(中略)二元的世界観」は、「共同体全体にとって共有される観念とは位相が異なる」。「子供がやがて、その対象を名付けることによって比較的たやすく呪縛そのものから逃れうるのにたいし、未開社会にあっては、対象はけっして名付けえぬものとして呪縛の源泉=禁忌でありつづける」。
 これは未開社会に限らない。呪縛の源泉=禁忌は、「みずからの文化形態からもっとも遠い、道徳的・宗教的・社会的・美学的な文化のさまざまなかたちを、無条件に拒否する」ようにしてしまう。「たがいに共有できる価値規範の欠如した人々(文化)を、野獣(非人間・非文化)のカテゴリーにくくることで、全面的に排斥しようとする態度は、古来よりけっして珍しいものではない」。これは、いまでもあちこちでいえるだろう。この二元的な世界観は、「デカルト的空間認識とは対立する。(中略)自己を世界の中心にすえ、自己との遠近にしたがって、人間・モノ・場所が同心円状に配列される」から。たとえば古代ギリシアでは、自国を中心にすえ(名付けられない場所との接点)「辺境諸国の人々は、未開(バルバール)ないし野蛮(ソーヴァージュ)という形容詞を冠して一括」し、それよりさらに遠方に住まうものは、もはや怪物が住まうところだった。「E・リーチは両義的性格(中間性・曖昧性)を、タブーの指標として重視している」。ギリシアでは、タブーは、辺境、「境界領域」になる。それは、名付けられない場所との裂けめだ。「言葉をかえれば、古代ギリシア的秩序が混沌に接し、不断にギリシア的な「人間」・世界としての自己同一化の運動をくりかえさねばならない、不安定な空間といえる。辺境の住民たちは、「人間」の形態はしているが鳥の啼声に似た不可解な言葉をしゃべる、人間と動物の中間的存在=〈異人〉として忌避された」。本居宣長も、『呵刈葭』の中で、「外国ハ正シカラズ。鳥獣万物ノ声に類セルコト」と、外国(おもに中国)の言語と自然音とを結びつけ、不正と正に、つまり「自然音と人間の言語(声)とを峻別」していたことを思い出す。この態度は、これから触れることに結びつく(『言霊と他界』川村湊)。差別化に。
 二元的な世界観は、名付けられたモノ/名付けられ得ないモノだけにとどまれば、差別化はない。だが、デカルト的空間認識の二元的な見方は、自己との遠近は、中心を保つために、差別化する。こうしたことを、「秩序と混沌のあい重なる辺境にバルバロスを、混沌のかなたに怪物を配する」こととし、「隠喩的地理学」と呼んでいる。「あらゆる遠/近関係は、自己からの距離(社会的距離)をゆいいつの基準としてはかられ、決定される」。「空間を内部/外部に分かち、あらゆる人間をわれらWeとかれらTheyとに分割する。辺境に棲むかれらは、「人間」であるよりむしろ動物に近似した生物であった。(中略)このカテゴリカルな思考様式は、しばしばある種の差別関係を産出し、あるいはそれを正当化するための心理的母胎となる。人種的・民族的関係が葛藤をふくむ場合には、思想・宗教・行動などあらゆる場面にわたって、われらに正(プラス)の意味を、かれらに負(マイナス)の意味を付与する傾向があらわれやすい」。このわれらとかれらが接する場所が境界であり、ここで接するかれらを「バルバロス的〈異人〉」という。ここで接しないかれらは、関わりを持たないゆえに、存在しない。この異人は、歪んだ隠喩的地理学上の負性を帯びた存在として、「西欧社会のなかの黒人」、ユダヤ人、日本では、河童、山姥(異形の者や、農耕定住民ではない者に対する差別、また河の神や山の神という両義性をもった存在)を例にし、生贄、供儀またはそれの行われる場所としての庭、演技へと考察が進められる。
 子供にとって、名付けられざる世界は、恐ろしいかもしれないが、入り交じった禁忌はどちらかと薄いのではないか。未知なるもの・不気味なもののに、憧れのほうが多いのではないか。たとえば、未知なる生物に対するような。名付けた瞬間に恐怖はなくなる。それは身のまわりに無害なものとして置かれる(殺人などは、大抵の場合、まだ身近に置かれることはない)。それは、恐怖としてでなく、どちらかといえば、安心するものとして置かれる。名付ける大抵のものは、恐怖ではない。名付けられない他のものにも、期待を感じるのではないか。名付けられたものは、もはや未知のもののもつ不思議な感触はないが、他者そのものとして、認めることでもある。不思議さは消えてしまうが、まだ名付けられないものはほかにもある。禁忌はだから起こりにくいのではないか。それは狭い範囲の境界からの見方かもしれないが、境界に対する態度としては、決して軽んじてはいけない。またそれは、名付ける(名前を知る)喜びに関係することでもあるだろう。
「酔っぱらい・わめきたてる女・浮浪者・森に隠れ住む盗賊」を「恐ろしくも魅惑的」だと書いた。これはヘッセの『デミアン』からだそうだが、私にとってもそうだった、と思い出す。盗賊はお話のなかにしかいないものだった。それは想像と現実の混合物であったから。また、たとえば暗渠を思い出す。小さな穴から水の音が聞こえる。この水が暗がりをまとって手招きしているようで好きだったと。水が裂けめから暗さを感じさせるすべてだったのだろう。そこには、知りたい欲望の音を感じるのだった。そして夜の街の明かり。街の明かりは、それこそ、名付けられない夜の闇の端っこ、裂けめを照らすものとして映ったのだろう。個人的な記憶としては、夜は母親が家出をし、帰ってきたことと重なる。四歳位だったか。どういういきさつかしらないが、男と夜の街に消えていった。そして夜の街から戻ってきた、帰ってきた。そのしらなさが、闇に溶けてもいたのだろう。帰ってきたことだけが、夜に灯されたもの、名付けうるものだったのだ。それは概ねそれでも、明るいものだったのだ。
 これを途中まで書いて、外に出たら夕焼けだった。この時刻もまた夜と昼の裂けめなのだ、名付けられざるものと名付けたものの間なのだ、そうしてミュシャが、芸術の連作で、poemを夕方に置いたことも思い出した。禁忌として排除せず、そして喜びだけを取るのではなく、その裂け目にあること、見つめること。こうしたことも両義性なのだから。“逢魔が刻”とも名付けられたそれは…。
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