Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2007-11-25

日々にこぼれたひとしずくの


▲モネ《セーヌ河の日没、冬》

 箱根に行ったおり、ポーラ美術館の「モネと画家たちの旅―フランス風景画紀行」(九月二二日―二〇〇八年三月二三日)を観てきた。こちらも旅先だし、展覧会も旅にまつわるものだ。それだけでなにかわずかだが共有を感じる、親密な空気がそよぐようであった。
 もっとも背景はだいぶ違うのだろうが。展覧は一九世紀末のものが多い。汽車ができ、旅が容易になった頃だ。旅は新鮮な誘いに満ちていた、こともあっただろう。だがおおむね旅をするのは、日常から離れることだが、日常から逃れるためではない。日常から一端離れて、日々を活性化させるためにもあると思う。また旅は不自由さの獲得する自由でもあるだろう。日々の習慣から身体を退くことは、不自由でもあるが、その労力が、習慣のもつ力を押しのけてくれる。この花、この空は、日々のなかにもあるが、わたしたちは、普段あまりそれを見ない。もの本来の力を脇におしやり、見つめることなく、日々をすごしてしまう。だが、そうしないと、日々は新鮮になるが、生きにくくもなるだろう。ものの持つ力が跋扈してしまうというのは、混沌が湧き出すぎてしまうというのは、生きにくいだろう。だからある程度は仕方ないのだ。旅はそんなものたちの力を、ふっと思い出させてくれる。日々から少しだけ距離を置くことで、おしやっていた力を幾分弱め、もの本来の生のありかたを見せつけてくれる。そうしてわたしたちはまた日々に帰ってくる。旅から帰ってくる。花は、空は、そこここに、いつも、そこにあるのだ、とどこかでささやく声がする。
 マラルメは「旅をすることや異国趣味に耽ることの虚しさを知っている我々は、単に大西洋の岸辺に行って見るだけでよいのです。沖には青く霞んだ水平線が続くのみで、そこに日常生活の彼方にある何物かを見ようとしても、それは〈無限〉と〈無〉でしかないのです」と、一八七四年に書いている(展覧会図録より)。また、ユートピアの語源は、ギリシア語の「ウ・トポス」(どこにもない場所)であるという。旅により、日々から逃れることはできない。旅の果てにユートピアはない。だが、日々のなかに、青い水を見ることはできるのだ。
 ポスターや図録の表紙を飾るモネの《セーヌ河の日没、冬》(一八八〇年)は、夕焼けの河だ。有名な《印象、日の出》によく似ている色づかいで、こちらはまだ実物を見たことがないが、好きな作品なので、その意味でも、惹かれたが、氷塊が寒さと、きらめく輝きを画面から押し出してくる。夕焼けが、空と水面という地を染めながら、あふれだす。旅との関係でいえば、これは当時住んでいた場所で書かれたものだ。日々のなかで。そして、この夕焼けの色を、同じものではないが(空の色は同じ場所、一瞬のちですら、変わってしまうものだから)、わたしは見たことがあるのだと、教えてくれるのだった。日々のなかの空。
  また《睡蓮の池》(一八九九年)等は、自分の家の庭である。旅は、地理的な遠さではない。日々のあちこちに穴をひろげ、ものの力(ここでは、刻一刻変わる光かもしれない)を、こんな風に見た、見たかった、というものとのたたかいをの痕跡が、絵をとおしてつたわってくる。旅は、そこここに、日々にあいた穴としてあるのだ。
 《睡蓮の池》にかかっているのは、日本風の太鼓橋。これは小さなエキゾティシズムだ。違和をもちこむことで、想像力がはばたき、日々のなかから、新鮮さを思い出させてくれる。アンリ・ルソーが三点あった。《ライオンのいるジャングル》(一九〇四年)、《異国風景》の猿、《エデンの園のエヴァ》。ルソーもまた旅を殆どしなかった。植物園や動物園のスケッチ、図鑑の写真、挿し絵などに想をえて、想像力をもって、旅の眼を造り出した。旅の眼が、日々からモノの持つ力を見据えるのだった。
 と、その場で思ったわけではない。ただ、そのときは、特に《ライオンのいるジャングル》に、新鮮な息吹を、視線を感じただけだ。その繁茂する植物たちの密度に、そのライオンのほとんど愛らしいといっていい姿に。
 ルソーは、展覧会では「想像の旅」のコーナーにある。ここにはルドンも数点あった。《イカロス》、《アポロンの二輪馬車》、《ヴィーナスの誕生》(一九一二年)と、ギリシャ神話のもの。《ヴィーナスの誕生》は、アンモナイトのような貝の舟に、顔も輪郭もさだかでない美の女神が乗り、緑の海を静止しているように漂っている。生命の起源への旅のように、海が描かれているのだろう。この静けさ。海は羊水のように、死をもはらんでそこにあるようだ。旅は、生きていること(つまり死を背中合わせにして)でもあると、生死の根源を、めまいを起こさせるほどに、深い遠さを思い出させてくれるのだった。
 マラルメはまた、「遠い彼方へ、逃れよう、彼方へ」と、「海の微風」で言っている。どこでもない場所は、彼方は、ひとしずくの水のなかに顔を覗かせている。日々のなかに旅はあるのだ。無をはらんだ有限。「異邦の天地の旅に錨をあげよ」。

 他にもゴーギャン、ゴッホ(この二人は故郷喪失者として紹介されていた)、ルノワール、アルベール・マルケ、ヴラマンク、セザンヌ、キスリング、ボナール、数多の作品が展覧され、常設でも、旅にちなんだ化粧道具が展示されるなど、充実した内容だった。

ポーラ美術館HP
http://www.polamuseum.or.jp/exhibition/01.html

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2007-11-15

はがれた子供、時間の水


 「セザンヌ4つの魅力―人物・静物・風景・水浴―」展(ブリヂストン美術館、十月六日〜十一月二五日)に行く。ここの企画展はチラシなどにも「特集展示」と書いてあるとおり、一室だけを企画にあてた小規模な展覧会。あとはエジプト美術から印象派から現代までの石橋財団所蔵作品の常設展示となる。セザンヌはもとより、この常設も好きな作品が多かったと記憶するので出かけたのだった。
 まずセザンヌ。やはり《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(一九〇四―〇六年、写真)にひかれた。その山のごつごつとした形、緑の森の静謐さと荒々しさを共にふくんだ質感に、強烈かつも静かさを湛えつつ、反比例の矛盾を一挙に解決してしまったかのような複雑さをもって、わたしにやってくるのだった。ぐいぐいとおしつける反面、すっとしみこむようなのだ。それは以前にみた《サント=ヴィクトワール山》たちと同じだが違う山だった。たった一枚の、力をもった山の表情の無数として現出するようだった。それはここにあった《曲がった木》(一八八八年―九〇年)の持つ荒々しさと静けさにも通じる。緑の森のなかの、曲がった木の叫びと、そうあることの声のなさ、声のない重さ、いきりたちながら、まがっていることがこめられたかたちとなって木を、木の表情を語っているのだった。
 セザンヌを特集している部屋を出る。以前、どこかで書いたコンスタンティン・ブランクーシの彫刻《接吻》(一九〇七―一〇年)に廊下で出会う。「もはや子供でなくなったとしたら、すでに死んでいるのです」と彼は言っている。その彼の作品からは、子供の新鮮な驚きが、あふれだす。隙間なくくっついてしまって、ほとんど四角い箱のようになってしまった男女の接吻する姿。それは一体化への夢でもある。わたしたちはひとつになれないから。
 常設にあるルソーの《牧場》(一九一〇)は、牛と人間と木が描かれているが、彼の絵らしく、変わらず木の幹が低すぎ、人間が小さすぎ、牛が大きすぎる。牛は茂った大きな木の幹よりも上に頭がある。それでもそれはまざまざと新鮮な想いをつづるようでやさしくせまってくる。子供の驚きだけではない、子供の世界とまだ分かたれていない遠近感(子供は、おぼえることで、他者と自分をひきはがしてゆく)がそこにあるからこそ、郷愁をおびてやさしいのだ。わたしたちはけっして世界と未分化であった状態にもなれないから。
 今回ここではじめて観た、ルドンの《供物》は女性の全体像を描いた小さな油彩作品。顔も衣裳もさだかではないからか、それは花のように見えた。ルドンの描く花と同じ色彩だったのた。やわらかい夢の入口で咲いているあの花のように衣裳がひろがっていた。目覚めることを、目覚めながら夢を見ることをうながすかのように。
 そして、またモネの《睡蓮の池》(一九〇七)。あらい素描のような油彩の、夕焼けに染まった池の反映が眼をひく。そこにある止睡蓮の花自体は、ほとんど目立たない。花はおそらく、画家のなかで、とても親しい友人として描かれたのだ。この友人なら、ちょっとのあいだ脇においておいても、まだ離れてゆくことはない…。その脇にいてもらう間中、せわしない夕焼け、その移り変わりを、引き留めようと思った…。だからこそ、せわしなく動く筆だった。急がなければ、夕景の色は永遠に失われてしまうから。それは昼と夜の間でもある。昼と夜という時間をも、池の水は反映し、ゆらいでいる。画家のつかみとった、とろうとした時間が浮いている。だからこそ、この夕焼けを含んだ水は、誘うように鮮やかなのだ。私は眼が水のなかに瞬間もぐり、水にひたされるような感触を刹那、感じたのだった。
 日が落ちるのが早くなった。美術館を入ったときは午後遅くだったが、出たらもう夜だった。時間の水を持ち帰るようにして、街を歩く。外は雨が降っている。
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2007-11-10

さわる、ふれられる (増刊日記)

 箱根に出かけてきた。感想などをメモ的に。


 箱根仙石原高原のススキ。一面の。一面の花というのは、なぜか心がさわぐ。ヒガンバナ、ひまわり、レンゲ、コスモス。そしてこのススキ。見慣れないものだからかもしれない。生本来の力をもって、のように、そこにいる、その場所でみている私たちを圧倒させるからかもしれない。ススキの高原で、泉鏡花の『草迷宮』の花畑をちらっと思った。下界から閉ざされた場所で夢幻のように咲く植物たちと、この圧倒的な植物たちを並べてみたのだ。そして、ここでススキをかきわけ、斜面をのぼったのだが、そのとき、自分が草よりも小さい生き物になったような気がした。背がちぢんで、背よりもたかい草のなかをすすむような。子どもになったようでもあった。これも、日々にくもってしまった草にたいする目を覚醒させる体験だった。そして、アンリ・ルソーの植物たちを想起した。人よりも獅子よりも大きな植物たちが繁茂している、あの不可思議な遠近の世界を。私はそれを体験しているようだった。ルソーはこんな草にさわっていたのだ、とざわめいたのだった。





 芦ノ湖で、遊覧船に乗った。舟が進むたびに、波が生じる。海よりもおだやかな波が、湖にいることを始終思い出させてくれる。まわりを囲む山々、岸もここが湖であると、やさしさをもって告げてくれる。日差しがちらめく。湖面が光る。山を紅葉が彩り始めている。湖面をみて、湖面がちらちらと反射するのをみて、モネを思った。山をみてだれか日本画家たちを思った。土牛であるとか、東山魁夷であるとか。岸辺にある貸しボートを見てアルベール・マルケを思った。絵のような景色だといいたいのではない。この短い時間に、彼らとさわるように共鳴することができたのではなかったか、といいたいのだ。



 植物園で、ブーゲンビリアを見た。説明によると、花にみえるところは、葉だとある。先端の白いちいさなめしべだかおしべのようなものが花なのだと。そういわれてながめると、今まで花びらとおもっていたものがたしかに葉とみえてくる。そして、まるで名前をしったかのような親しさをおぼえる。名付けることは所有すること、他からそのものを分けることでもあるが、名前をしることで、得るかたちがある。そんな風に、ブーゲンビリアの花のような葉は、なづけられ、ただしくひきはがされた友人として、さわってくれたのだった。



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2007-11-05

広場、深呼吸


ムンク展(十月六日〜一月六日)に行ってきた。国立西洋美術館は好きな美術館だ。もう何度も訪れているので、その日もなじみの場所にきたとまず思うのだった。それはどちらかというと公園であるとか、芝生のある広場であるとか、そういった場所にきた感触だ。だが独特の匂いに似た感触がある。照明を落としてあるからだろうか、影の匂いがするようなのだ。曇り空の広場。人々がうごめく。その人々は、座っていたり、歩いていたりする。絵に描かれている人々も混じっている。空には風景画も溶けているはずだ。絵に描かれた人はときに皮膚を裏返しにして、普段なら見えないであろう何かをかいま見せる。だからここをにいることはともすると実際の広場にいるよりもリアルな体験をもたらすだろう…。広場の風がかわった。展覧会場に入ったのだ。
 少女を先頭に、帽子をかぶった男性たち。ムンクの《不安》(一八九四年)に描かれた葬列をなすような黒衣の、無表情な人々たち。その顔が、裏返しになった皮膚の一端からのように、不安なのだろうか、重たい気分のようなものを差し出してくる。《マドンナ》(一八九五年)は、眼をつむった裸体の女性の上半身。マドンナからイメージするものたち、慈愛であるとか、やさしさや愁いなどがここには見受けられない。暗い生がつむった表情から浮かび上がる。だから左端に小さく胎児が座っているが、それもキリストとはみえず、死児であるかのようだ。そう、マドンナは死の女神のよう、死の眠りを生きるもののようだ。広場を歩くのではなく、オフィーリアのように広場を流れる忘却の河を流れるようだ。背景は暗緑色。澱んだ水のようでもあり、そこに彼女の意識、内面がにじんでみえるようでもある。《絶望》(一八九三―九四年)はうつむいた男性と、夕焼けのような赤と黄の縞の入った背景。この背景は、水ではないが、男の絶望(絶望なのだろうか、そう名付けてはいけない、もっと複雑にねじれた内面)が、オーラのように放出され、溶けだしているからこんな色をしているのだ、と告げているように見える。その背景からまたわたしたちのほうに、渾然一体となったオーラをはなって。《声/夏の夜》(一八九三年)の白い服を来た女性では、その白い服が、骨のように見えてしまう。内面がにじみでるのではなく、すけて骨がみえるようにみえてしまうのだ。そこにまた、そしてその無表情な表情から、生がかいま見れるのだ。死をともなって。
 今あげたものは、七章にわけられた展覧のなかの第一章「生命のフリーズ」に属するものばかりだ。「生命のフリーズ」とは、ムンクが自らつけた諸作品を総括する名前。個々は個々であるが、それらをまとめた題名のようなもの。内面や意識のオーラ、あばくというよりかいまみえてしまう、にじみだしてしまう、そうしたものたちにつけられた仮の名前のようなものだろう。広場には《吸血鬼》(一八八三―年)もいる。後頭部に口づけする女の背後から、シミのように浮かび上がる影がある。にじみでる影、生の断面のようなその影にひきこまれそうだ。名付けられない感触が広場をつつむ、たまに体当たりしてくる。よろける、息がくるしい、息をすいこむ、はく、深呼吸。いままであたりまえにしていた呼吸を、エキスのように心地よく感じる。
第二章から第七章は、個人の邸宅、劇場、大学や市庁舎の装飾や壁画や下絵。広場は西洋美術館に戻りつつある。だが宙ぶらりんだ。つまり、それらのムンクにはあまりひかれなかった。それらからはムンクのはがれた内面があまり見えないのだ。それは見るわたしの側の問題だろうが。《浜辺の三人の少女たち》、《工場からあふれ出す労働者たち》、《雪の中の労働者たち》、これらの人々から、直に差し出してくるものが少ないように感じたのだ。これらの壁画からは、彼らしさが薄れているようにも思えたのだ。彼らしさ? ここにいる人々は私を息苦しくしない。よろけさせない。不安よりももっとことばにならないもの、絶望よりも言葉にならないもの、それらのはなつものが薄れているように思えたのだ。
私が西洋美術館と感じる広場のいちばんお気に入りの場所は暗い泉のような(だが澄んだ水を湛えている)、常設展示の松方コレクションだ。時間があまりなかったので、残念ながら急いで回ってしまったが。常設だが、収蔵数が多いからだろうか、展示されているもののなかには、必ずいつも何点か知らないものがある。あるいは知っているものがいない。図録でしか見たことがないものもある(アルベール・マルケもあるらしいのだが、展示を見たことがない)。必ずいるのが前回も少し触れたモネの《睡蓮》(一九一六年)。広場の暗い泉はこのイメージだろう。時間がなかった。これだけでも見たかった。近くで、少し遠のいて、座って。広場をしめった風が流れる。波紋がわたしに少しだけ語りかけてくる。また、何度めかの。それはもはや新鮮さはなかった。だが優しい共鳴だった。しずかな波だった。遠巻きにみると、広場全体が池(泉ではない)になって、風をおくってくるようだった。息くるしいわけではないが、息をすいこむ。呼吸することがことばではあらわしにくいやりとり、なにかをうけとったというしずかな了解のように。広場は現実感をゆさぶる場所となる。ゆらいだ水のように。影がふかくなり、さそうように。ゆさぶられた現実は、あたらしいのではない、本来もっている力を思い出させる。深い呼吸が波紋をよぎる。
 外に出てしまう。ロダンの《地獄の門》。このブロンズは、敷地内に入らずとも、通りすがりに見えるので、建物の外観とともに、地獄をこういうのはおかしいが親しいものだ。広場が今日もここにある、あなたがみなくてもいつもここにある、といってくれているようなのだ。呼吸をする。ムンクのぬりたくった夕景の色が、うっすらと染まった地獄の門の向こうの空とふれあっている。広場は日々に点在する。

▲写真:ムンク《不安》
http://www.nmwa.go.jp/
▲国立西洋美術館ホームページ
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