Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2008-02-25

時と生の幻視


▲裸形・茜城

▲仏塔14

 「池田満寿夫―知られざる全貌展」(一月二六日―三月二三日、東京オペラシティアートギャラリー)に行ってきた。初期の油彩から、版画、彫刻、陶芸と、ほぼ美術関係は網羅した回顧展といっていいかもしれない。というのは池田満寿夫は、他にも、小説家、映画監督、脚本家、TVタレントなど、多岐に渡る活動をしていたから。彼もまた、わたしにとっては、ロートレックのように、小さい頃から、なんとなく身近に感じていた人物だった。彼の原作、監督作品『エーゲ海に捧ぐ』(一九七九年)は、映画は観ていないが、宣伝か何かで、幼少の頃に、名前を聞いていた。なにかエロティックなイメージがあり、子どものわたしには、それは大人のあやしい神秘的な世界を彩るものの、代名詞のようなものとして、映ったものだった。大人たちが子どもに見せまいと隠しているエロスが、その頃のわたしには、なにか秘密の宝箱のように思えたのだ。
 高校生だったか、古本屋で小説『エーゲ海に捧ぐ』を見つけた。子どもの頃に抱いた気持ちは、殆ど忘れていたのだが、見つけるとそれでも、懐かしいような気持ちになった。なにか親戚のおじさんに久しぶりに逢ったような気がしたのだった。本は、淡々として、かつ流れるようなきらめきをもった文体で描かれていたと記憶する。そう、内容はあまり覚えていないが、主人公が、留学先のイタリアかどこかから、洗濯物を日本にいる恋人に送るのだが、その中に、留学先で同棲している女性の派手な、汚れた下着が混じっていて、そのことでさんざん、なぜあたしが他の女の、こんな汚れた下着を洗わなければいけないんだ云々、お経のようにまくしたてられるシーンだけ覚えている。けれども当時のわたしには気に入った文章を書く人だったらしく、その後、エッセイ、小説等、見かけるたびに買っている。展覧会脇の書籍販売で見た感じだと、今ではほとんど手に入らないようだ。そのなかの一冊に、詩画集『女と男』(角川文庫)がある。ヴェルレーヌの詩で、訳が澁澤龍彦、画が池田満寿夫だ。元々が秘密出版されたポルノグラフィーということで、かなりエロティックな詩で、画も、女性や男性たちが、あからさまに性器をむきだしにしているきわどいものだ。ともあれ、画家としての池田満寿夫にもこのあたりで出会っている。塑像家としての彼には、こんな感じで出会っている。ウイスキーだったかの景品で、池田満寿夫の美女グラス、なるものがあった。ロックグラスで、グラスのまわりに裸体の美女が寝そべっているふうな浮き彫りになっている。酒屋さんで一目見て、すっかり気に入ってしまった。それは親しみぶかい、やさしげな裸体として映った。わたしはウイスキーは飲まないし、多分当時は未成年だったかと思うけれど、ともかくどうにかして手にいれ、お茶を飲み、ジュースを飲み、ワインを飲み、と何年も愛用のグラスとして活躍してくれたのだった(ある日、家に帰ると、そのころ一緒に住んでいた家族に割られ、捨てられ、あとかたもなくなっていたのが、ショックだった)。ほかには、彼は若い頃、富岡多恵子と暮らしていた関係で、富岡多恵子の初期の小説に、池田満寿夫をモデルとした若い画家がわりと出てくる。富岡多恵子は、はまってかなり読んだので、そのあたりでも、なんとなく顔なじみのように思ったりもしていたのだった。
 さて展覧会。初台にあるここは、勤務先から二駅なので、アクセスがいい。七時まで開館しているので、会社の帰りにいける。なじみの人に会いに出かけるような気持ちをどこかにもって、出かけたのだった。
 彼の絵画のほうは、前からなんとなく知っていた。その限りでは、どうも良さがわからなかった。今回も、やはりそうだった。油彩、エッチング、デッサン、どうもぴんとくるものがなかった。
 けれども陶芸作品たち。ほぼはじめて見るものばかりだが、こちらは惹かれた。彼は、陶芸の際、偶然できるかたちを重視したという。また、陶芸家として出発したわけではないので(昨陶は一九八三年四九歳から九七年六三歳で亡くなるまでに渡ってだ)、既成概念にとらわれず、土に命を見たとあった。展覧会会場では、入ってすぐに、《裸形・茜城》(一九九三年)という、赤褐色の陶でできた作品がある。いびつな塔、風化しつつある廃墟のようなかたちだ。色と、茜ということばから、夕景に染まる塔を連想した。《古代幻視・クノッソス》《古代幻視・パルミュラ神殿》(一九九三年)は、萩窯で作られた、薄茶色で、やはりいびつな塔の形だ。他に《裸形・翠柳城》《裸形・甲城》《裸形・牛城》(一九九三年)もそれぞれ塔の形で、濃い灰色。これらの塔は、土のもつ時間と、人間が重ねてきた時間を合致させ、そこに存在しているようだった。どれも塔のかたちをなしていないのだが、だからこそ、本質としてさらけだされているようでもあった。わたしはそれらから、太古からの時間を感じたのだった。裸形のままあるかたちから、古代幻視の風が吹いた、と作品に寄せていいたくなる。《裸形・啼鳥岩》(一九九三年)は、禿鷹のような姿の石にみえるが、それもまた石が偶然似た形になった、といった風で、禿鷹の姿を踏襲しているのではない。だが、そこに、わたしたちがはいってゆける余地があるような気がした。鳥の歌がこもっている、鳥の生命とともに、わたしたちは存在してきたのだと、悠久の時間をそこに感じたのだった。どれも、側面にかなり大きくMasuoとサインが彫られている。そうすることで、その瞬間、作者の命が、土の命と触れ合うことができるかのように。またそれを観るわたしたちとも命たちが響きあうことができるかのように。
 この後、油彩、版画などが年代順に並べられ、最後にまた彫刻、陶芸作品が並ぶ。《仏塔》シリーズは、高さ十五センチほどの小さなものだが、素朴な、柔和な表情の仏の顔と、やはりいびつな塔でできており、時間を見つめる視線を感じた。《仏塔14》(一九九四年)は、椅子のようなかたちの中央に仏の顔がある。一の字に線を彫られただけの目で、眠りについているようでもあり、瞑ることで内包するなにかを現しているようでもあった。展覧の最後のほうに、釉薬をかけて焼いた陶の額があった。《佛画陶額4》(一九九四年)は、なめらかな陶に、釘でひっかいたような面長の仏の顔で、その簡素さに、たとえようもないやさしさ、赦しに似た何かを感じた。そして《富士》(一九九六年)も陶の額で、こちらは版画のように、富士が青、山頂が白と、わけられているが、単純な線だ。けれどもどっしりとした存在感があり、やはり生をささやくようだった。彼は山梨にも窯をもっていたから、そこからの風景だろう。彼の日々と、富士という山の時間が出会って、生を迸らせているような、そんな存在感があった。
 展覧をひととおり観たあと、また陶芸作品だけ、観る。なんども観る。かたちを、その時間と生を眼に焼きつけておきたいと。彼はもはや、ほとんど顔なじみの人(といったイメージという意味だが)ではなくなっていた。凝縮した時間と生を送り込んでくる、陶芸作家としてそこにいたのだった。それはとても心地よい新しい印象だった。

池田満寿夫 知られざる全貌 展 HP
http://www.operacity.jp/ag/exh90/
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2008-02-15

クセニティス、遍歴するロートレック


▲「ジャヌ・アヴリル」

 ロートレック展(二〇〇八年一月二六日〜三月九日、サントリー美術館)に行った。トゥルーズ=ロートレック(一八六四年―一九〇一年)の、生涯三七年のうち晩年十年にスポットをあてた展覧会。ポスター、肖像画、版画、スケッチ。だが、その十年、二十代後半から三十七歳までの間に、主要な仕事はなされているから、ほぼ網羅している回顧展といった印象を受けたのだった。
 ロートレックは、多分わたしにとってはじめて知った画家になると思う。生まれた時だったのか、物心ついた時からなのか、家に複製画が飾ってあった。今はないし、手元にある画集やカタログに載ってないので、作品名などは解らない。記憶では、それは油彩画で、太った婦人の上半身が描かれてあった。服は灰色、髪の色は褐色。美しいとはいえない女性だが、存在感があった。この作者がロートレックだと親から教えられる。その表情は、子どもの眼には、こわい、厳格なものに映ったが、毎日観ている、というより見かけているうち、親近感がわいてくるのだった。それは絵そのものに対してでもあり、ロートレックという名前にも親しみを覚えることになるのだった。小学生低学年だったと思う。多分食玩のようなものだったのだろう。スーパーで、額付きの三センチ四方位の小さなロートレックの絵を見つけ、親にねだって買って貰ったことがある。中学になると、ロートレックの絵はがきを何枚か買っている。それは、絵にひかれてなのか、名前につられてなのかわからない。おそらく両方だろう。また、画家の生涯など、以前はあまり気にとめたことがなかったが(絵と人生を結びつけて考えることをあまりしなかったので。今では、それは半分正しく、半分間違えていると思っている)、ロートレックについては、早い時期から簡単な略歴を知っていた。南フランスの男爵の家に生まれ、遺伝と骨折のために、十五歳で成長が止まり、歩行も困難になったこともあり、観察者=画家となる。モンマルトルの歓楽街で、絵筆をとり、役者、歌手、娼婦などを描き、アルコール中毒、梅毒などを併発、三十七歳で生涯を終える。画集も数冊ある。一冊は高校生の頃に買ったものではなかったか…。こう書いてみると、ロートレックはわたしにとって、かなり特別な位置を占める画家であったことに、あらためて気づく。一番はじめに名前を知り、一番はじめに絵はがきを買い、一番はじめに略歴を知り、一番はじめに画集を買ったのが、ロートレックのものなのだから。だが、それは先にも書いたが、親近感のなせるわざだった、親戚かなにかのように身近に感じていた故だったので、特別なこととは少しも感じられなかったのだった。
 そして、このロートレック展。だが実はまとまったロートレック作品を観るのはこれが初めてなのだった。そして印象はおおまかにわけて二つになる。一つは、絵はがきや画集で親しんでいた絵たちの実物に出会えた喜び。この喜びには、喜びにより、親密さを増してゆくような意味合いもあり、どちらかといえば個人的な感情といっていいだろう。たとえば、『ジャヌ・アヴリル』(一八九三年、踊り子ジャヌ・アヴリルが片足をあげて踊っている、彼女の宣伝用ポスター)、『ディヴァン・ジャポネ』(一八九二―九三年、日本風のカフェのポスター、カウンター中央に、黒衣に黒い帽子のジャヌ・アヴリルが座っている)、役者アリスティド・ブリュアン(つばの広い帽子に、マフラー、四角い、いかつい顔)を描いた一連のポスター作品から感じたものがそうだ。一瞬、なじみのあったそれらに、生で会えた喜びがやってくる。だが、その親密さをやぶって、やってくるものがある。これが、第二のものにつながるだろう。それは、ロートレックの、だろうか、あるいは彼らのだろうか、ロートレックの力と、ジャヌ・アヴリルのもつ力、アリスティド・ブリュアンのもつ力、それらがせめぎあい、かさなりながら、存在をにじませ、あふれさせ、凝縮したなにかとなって、手招きしてくるように感じられるのだった。それはどちらかといえば表情に近いものだ。表情に現れる、人間の生の瞬間が捉えられている。それはもちろん静止しているが、なにか動きの総体のようなのだ。存在の動き、としての表情が、画面からあふれ出してくる。ジャヌ・アヴリル、アリスティド・ブリュアン、そして、歌手のイヴェット・ギルベールを描いた版画集、どれも実物よりもおそらく、みた目でいえば、表面的なことをいえば美しくない。イヴェット・ギルベールは、ポスターの下書きを見て、「こんなにも無惨に醜くしないで下さい」と、他の画家のデッサンを選んだそうだ(後に、和解する)。写真に残っているほかの人たちと、絵を比べてもそうだ。ちなみにサラ・ベルナールのデッサンもあったが、ミュシャのそれとまったく違っていた。ミュシャのそれが、生を線に移行させ、線を生き生きと美しくさせていたとしたら、ロートレックは、女優の生と筆の生そのものをからめた生としての表情だった。ロートレックのそれらは、薔薇のようには美しくない。だが、そうした表面的なものを描いたのではない、とロートレックの絵からはにじみだしてくるものがあり、それこそが美なのだった。絵が、力強く、生を美として語りかけてくるのだ。そこにあるものは、生そのものなのだ、と。《彼女たち》(一八九六年)という一一枚の版画集がある。これは殆どが娼婦たちを描いた連作で(一点だけ、女道化師)、今回ほとんどはじめて見た。コルセットをしめているところ、髪をあげているところ、目覚めるところ、かがんでいるところなどで、好色性はほとんど感じられないし(そのために、売上げはとしては失敗だったらしい)、やはり、彼女たちはあまり美しいとはいえない。だが、その肩、その首の一端からすら、生がうごめいているようなのだ。シーツのしたに、生がたしかに存在しているのだと、絵は伝えてくるのだった。このうごめく生の感触は、家にあった複製画からもじわじわと感じていたのだった。彼女は決して美しくなかった。だが存在として美しかったのだ。
 ロートレック展の会場で、ふと『永遠と一日』(テオ・アンゲロプロス監督)の台詞を思いだした。サーカスのスケッチ(たとえば《フッティとショコラ》一八九九年など。フッティは白人の道化師、ショコラはキューバ人でいじめられ役)を見ていた時かもしれない。「クセニティス」「亡命者(という意味)か?」「どこにいてもよそもの」。クセニティスは、ギリシャ語の方言だ。貴族であるロートレックは、歓楽街では、よそもの、クセニティスだったろう。もっとも、サーカスの住人、役者、娼婦、彼らもまた、日常からという意味で、よそものの意味合いを帯びる者たちなのだが。あるいは異人。「〈異人〉とは、それ以上さすらいはしないものの、〈漂泊〉の自由を放棄したわけでもない潜在的な遍歴者である。」(『異人論序説』ちくま学芸文庫、赤坂憲雄)それは、他者として疎外されるものでもあるが、拘泥することなく、そこにいつづけることができる者でもある。こうした遍歴こそが、生を吸い込み、からめとることができる、と思わずいってしまいたくなる。よそ者としての、彼らの生。ある種の哀しみとともに。哀しみというのは、こういうことだ。わたしは『永遠と一日』のこんな台詞がとても好きだったとまた思い出す。「なぜ私は一生よそ者なのか。ここが我が家だと思えるのは、まれに自分の言葉が話せた時だけ。自分の言葉…失われた言葉を再発見し、忘れられた言葉を沈黙から取りもどす…そんなまれな時にしか自分の足音が聞こえない…。」我が家はまれにしか存在しない。たとえば、絵からあふれる生の間だけ。わたしは、この台詞がとても好きだった。ともかく、このクセニティスとしても、ロートレックは、わたしに存在する、わたしを遍歴するのだった。わたしは、彼を身内のように感じていると書いた。「どこにいてもよそもの」。それはわたしが、自身をどうしたってそう感じてしまうことにも由来しているのだ。

ロートレック展
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/08vol01lautrec/index.html


▲「ディヴァン・ジャポネ」
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2008-02-05

花の束のめまい


 ブルガリにプールファムという香水がある。はじめて店頭でその香りをかいだとき、花々につつまれるような至福感に満ちためまいをおぼえたものだった。それは麻薬的な衝撃だった。ミモザ、オレンジ、ジャスミン、ローズ、アイリス、ムスク、ビャクダンらの花の束たち。以来、ずっと気に入って使ってきた。けれども香りに人は慣れてしまう。花の束の香りは、思い出よりもはやくどこかに逃れてしまうものなのだ。
 中学校はどぶ川の近くにあった。通いはじめは川を通るたびに汚臭が気になったが、いつからだろう、割りと早い時期(おそらく数ヶ月)で、まったく何も感じなくなった。不思議に思ったが、慣れとはこういうことなのか、と教えられたものだった。
 くらべるのが少々香水のほうがかわいそうだが、それと同じことなのだろう。悪臭と比べれば、慣れは緩慢だったが、確実に、プールファムの、花の束の匂いを感じなくなっていったのだった。それでもずっと、何年も使っていた。最初の衝撃が忘れられなかったから、そして、そうした体験をさせてくれたあの花の束たちに、親密さを感じていたから。それは匂いがわからなくなっても、失われることのない体験の思い出だ。だが最後はつけた瞬間から、アルコールの臭いしか感じることができなくなっていた(アルコール臭が感じられることも不思議だったが)。これは本当は、オーデ・パルファムという、香りの濃度の濃い、長時間保つタイプの香水なのだが。
 慣れが原因ならば、他の香水に浮気をすれば慣れから逃れることが出来るかと思った。迂回をしたら、またあの花の束の香りが、戻ってくることになるかと、あの目まいに近づくことができるかもしれないと思ったのだ。また、もし別の香りが気に入ったとしても、数種類使いわければ、その別の香りのほうも、慣れから遠ざけておくことができるのではないか、とも思ったかもしれない。ロシャスのオー・デ・ロシャス、グレのカボティーヌほか、色々試したが、ニナ・リッチのレールデュタンが一番気に入った。プールファムで感じた花々の衝撃はなかったが、それはなつかしいような柔らかな花のふるまいだった。それはなにか思い出に近しいものだった。今香りの成分をしらべてみると、ジャスミン、ローズ、ビャクダン、ムスクと、プールファムとかなり共通の花の匂いが使われていることに気づく(ちがうものとして、ほかに、カーネーション、くちなしなど)。結局花たちが束の中から呼び合っているのだろうか。けれどもレールデュタンはそれでも別の香りだった。やさしい、どこかほっとする匂いだった。おまけにボトルデザインが良かった。蓋が二羽の白い鳩がモティーフとなっている。発売は一九四八年、第二次世界大戦後だ。時期的にも、このデザインに平和をこめられたらしい。それは私のひかれるアール・ヌーヴォー的なデザインとして映るのだった。流動的な線、自然との出会い。ちなみに、カボティーヌも蓋がうねうねとした緑のガラス製の葉っぱで、そこにアール・ヌーヴォーを感じて使ったのだった。こうしたことは、大事な無駄、ゆとり、つまり遊びである。ラリック社の香水も、ラリック好きとしては気になったが、匂いがすこしきつかったので、飾りとして、ミニチュアボトルを買ったこともある。ラリックが一九二〇年代、デザインしたコティ社の製品も探してみたが、現代のはデザインが気に入らなかった。ロシャス社のビザーンスは、ビザンティンをイメージした、つまりヨーロッパとアジアの接点をイメージした、青い壷のようなボトルで、香りもなかなかいいのだが、入手困難で、ミニボトルをようやく手に入れられただけだった。ともあれ、レールデュタンが、香りと形ともに気に入り、手に入りやすいものだった。
 レールデュタンをおよそ半年かけて一本使いきった頃、まだ少し残っていたプールファムをおそるおそる使ってみた。もちろん、最初に受けた衝撃はなかったけれども、失われた香りがまた戻ってきてくれたのがうれしかった。花の束が、おずおずと差し出されているようだった。私はまた、花たちに再会できたのだ。
 今いけばどぶ川も、強烈な臭いを放つのだろうか…。だがこちらは、前よりも状態が改善され、臭いがしなくなっっているというが。
 この頃は、レールデュタン、プールファム、交互に使っている。脳の海馬という記憶をつかさどるところと、香りを感じるところは、近いと、前にもここで書いたが、香りたちは思い出と親しいものだ。だが、慣れと新鮮さのはざまで、日々をみつめることを、香水たちは教えてくれもするのだった。レールデュタンは、時の流れ、という意味だという。ともあれ、ふたつの香水は、季節のちいさな便りをしたためた玉手箱のように、花の束から、ひめやかに香りを送り届けてくれるのだ。

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